展覧会見てある記「顕神の夢 ―幻視の表現者」碧南市藤井達吉現代美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.01.27 投稿

碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「顕神の夢 ―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで」(以下「本展」)を見てきました。

1月7日付中日新聞の記事によれば、岡本太郎美術館(川崎市)などと連携した全国巡回展の5カ所目(最終)で「霊性や神性、宗教観をテーマとした企画展」。前期(1/5~1/28)後期(1/30~2/25)で20点程度入れ替わるようで、展示室の写真(岡本太郎と横尾忠則の作品が見えます)も掲載されていました。

本展の入口は2階で、最後の展示「神・仏・魔を描く」は1階・展示室3です。会場入り口に「作品リスト」が置かれ、展示室にも作者の言葉などが掲示されており、鑑賞の助けになります。

◆「見神者たち」・「越境者たち」・「幻視の画家たち」・「神・仏・魔を描く」(2階・展示室1)

〇「見神者たち」

最初の展示は大本教の教祖(開祖)出口なおの《お筆先》と、もう一人の教祖(聖師)出口王仁三郎(おにさぶろう:開祖の女婿)の仏画《厳上観音》、書《おほもとすめおみかみ(大天主太神)》と茶碗《耀盌(ようわん)》です。出口なおは57歳の時に神がかりして「艮(うしとら)の金神(こんじん)」の命ずるまま「うしとらのこんじん」「のこらずのこんじん」等と自動筆記した20万枚を超える「お筆先」を残したとのことでした。いずれの展示品も現世の向こうからやってきた「何か」を表現しており、「顕神の夢」の冒頭にふさわしいと思います。岡本天明《三貴神像》は、見るからに神道の神の姿を描いたもの。金井南龍《妣(はは)の国》(本展チラシ裏07に図版、以下「裏07」と記載)は、昭和40年代の父と子どもたちが祈る姿だと思ったのですが、実はイザナギと子どものアマテラス、ツクヨミ、スサノオが、黄泉の国のイザナミを慕う姿でした。三輪洸旗《スサノヲ》《雷神》《太子と大師》《神馬》は、いずれも作者が見た「神の波動」を描いたものだと思われます。

〇「越境者たち」

目を引いたのは、馬場まり子《海から見た風景Ⅳ(月は東に日は西に)》です。画面中央に山並みが横たわり、空には大きくて丸いものが二つ並んでいます。山並みに向かって人の影が長く伸びているので、太陽を背にして、東の風景を描いたと思われますが、不思議なことに月と日が二つとも浮かんでいます。この作品の横には、岡本太郎《具現》《千手》(裏03)と横尾忠則《水のある赤い風景》《如何に生きるか》の4点が並んでいます。《水のある赤い風景》は大火事を想起させ、《如何に生きるか》にはY字路とオーロラが描かれています。以上5点はいずれも「この世を越えた向こう側」を描いているようです。

本展のチケットに使われている、中園礼二《無題》も展示されています。展示室1の最後の方には、宮沢賢治の作品の複製画もあり、なかでも人間の姿をした電柱が歩く姿を描いた《無題(月夜のでんしんばしら)》は、とてもシュールで、思わず見入ってしまいました。

〇「幻視の画家たち」

本展の副題は「村山槐多、関根正二から現代まで」。そのうち村山槐多は、《裸婦》(前期のみ)と《バラと少女》の2点を展示していました。後期には《尿する禅僧》が展示されます。一方、関根正二は、《少年》(チラシ表紙)《自画像》《神の祈り》《三星》の4作品を展示。どういうわけか「幻視の画家たち」という表題をつけると、以上の作品は、いずれも「幻」を描いているように思えてしまいます。

頭上に赤い雲が浮かぶ、萬鉄五郎《雲のある自画像》(裏09)を始め、宮沢賢治の童話を描いた、高橋忠彌《水汲み》、ケンムンという謎のイキモノを描いた、藤山ハン《南島神獣―四つのパーツからなる光景》、胴体が蓑虫、羽が枯葉の巨大な蝶を描いた、三輪田俊助《風景》などは「幻視の画家」にふさわしい作品です。

〇「神・仏・魔を描く」

展示室1の最後に展示の橋本平八「猫A」ですが、作品リストでは「神・仏・魔を描く」に入っています。展示スペース等の都合で2階に展示されたと思われますが、他の作品となじんでいました。

◆「幻視の画家たち」・「内的光を求めて」・「神・仏・魔を描く」(2階・展示室2)

〇「幻視の画家たち」

展示室に入ると舟越直木のドローイングとブロンズ像が並んでいます。ブロンズ像には目鼻が無く、ドローイングは人間離れした女性を描いています。草むらを描いた芥川麟太郎《笹藪わたる》には、1945年の横浜空襲の時、母子で逃げた体験が反映されているようです。そう思って作品を見ると、作者の心情が見える気がします。

庄司朝美《21.8.18》(裏08)は透明なアクリル板に絵の具を塗り重ねては拭き取って制作したもの。描いた像が、絵の具の中から見え隠れするように思える不思議な作品で、この世の向こう側から描いたように感じます。矢島正明《給食当番》(裏04)は、原爆資料館で見た、原爆の熱戦を浴びて蒸発した人の黒い影だけが残された石の階段に触発された作品。廊下の黒い影は終戦の二週間後に死んだ妹とのことです。花沢忍《宇宙について》《夢》は、シャガールの幻想的な作品のようでした。

〇「内的光を求めて」

横尾龍彦《無題》(1/5~1/28のみ)、《枯木龍1吟》《龍との闘い》の3点は、タイトルと作品を見比べながら色々と観察したのですが「龍」の具体的な姿はつかめません。とはいえ、線の勢いや内なる光のようなものは感じることができました。

〇「神・仏・魔を描く」

真島直子の立体作品《妖精》とドローイング《妖精》は、モチーフに髑髏を使っているためか、作品リストでは「神・仏・魔を描く」に入っていました。石野守一《不安》(裏05)も同様に、展示室2で鑑賞することができました。

◆「内的光を求めて」・「神・仏・魔を描く」(2階・多目的室)

〇「内的光を求めて」

黒須信雄《八尺鏡(やたのかがみ)》、上田葉介《支えあう形》、橋本倫《光の壁龕Ⅱ》、石塚雅子《彼方》(以上は前期のみ)と藤白尊《複数の光源》《小さな渦巻》《未明》は、カラフルな現代アートでした。

〇「神・仏・魔を描く」

黒川弘毅のブロンズ像《EROS No.71》《EROS No.72》は、作品リストでは「神・仏・魔を描く」に入っています。

◆「神・仏・魔を描く」(1階・展示室3)

2階・多目的室を後にして1階・展示室3に向かうと、真っ黒な円空《十一面観音立像》が出迎えしてくれました。インパクトがあったのは、佐々木誠の木彫《久延毘古(くえびこ)》で、宝珠のついた竹の笠を被っている「案山子の神」。案山子なので、腰から下は四角柱でした。三宅一樹《スサノオ》は、台風で半倒壊した樹齢600年から彫り出したもの。《root1(上九沢八坂神社御神欅)》は洞(うろ)のある御神木のスケッチ。いずれも印象深いものでした。

秦テルヲ《阿修羅(自画像)》《恵まれしもの》《樹下菩薩像》の3点は、優しくて分かりやすい仏画です。牧島如鳩《魚籃観音図》は大漁祈願のために描いた油絵で、天女や菩薩ばかりかマリアや天使まで描かれている「国籍不明」の作品です。佐藤渓《大天主太神(おおもとすめおおみかみ)と二天使(にかみがみ)》(前期のみ)は、大天主太神の頭に角が生えていますが、大本教の影響が反映された作品とのことでした。

宗教画ではありませんが、本展は、炎を上げて燃えるロウソクを描いた高島野十郎《蝋燭》を2点展示しています。2018年開催の協力会・秋のツアーで福岡県立美術館を見学した時に初めてこの作品を知り、高い精神性を感じた思い出があります。若林奮の作品も同様に、宗教画ではありませんが精神性を感じます。

以上の外、藤井達吉の作品も、《炎》《佛殿図》《土星》《斑鳩の里》の4点を展示しています。また、1階・展示室4では、令和5年度コレクション展 4期「継色紙の世界」を同時開催中です。

◆最後に

本展チラシは「本展は、今までモダニズムの尺度により零(こぼ)れ落ち、十分に評価されなかった作品や、批評の機会を待つ現代の作品に光をあてる一方、すでに評価が定まった近代の作品を、新たな、いわば「霊性の尺度」でもって測りなおすことにより、それらがもつ豊かな力を再発見、再認識する試みです」と書いています。本展は、この言葉どおり、意欲的な展覧会で「一見の価値あり」だと思います。

本展については、先日、協力会から「2月17日(土)午後2時からミニツアー開催」というお知らせが届きました。後期展示の作品を見ることができるので、参加するつもりです。ミニツアーの前に、碧南駅前の大正館で食事会も予定されているようです。今から楽しみですね。

Ron.

◆追加情報

碧南市藤井達吉現代美術館HP(本展チラシ、作品リスト及び主な作品を掲載)のURLは次のとおりです。

URL:顕神の夢 ―幻視の表現者― 村山槐多、関根正二から現代まで/碧南市 (hekinan.lg.jp)

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