展覧会見てある記 ホー・ツーニェン 百鬼夜行 豊田市美術館

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◆2019年あいちトリエンナーレ《旅館アポリア》から始まった連作の最後

先日スマホを見ていたら、突然「美術手帖 EXHIBITION」が出現。「ホー・ツーニェン 百鬼夜行」が豊田市美術館で開催されることを知りました。記事の概要は以下のとおりです。

〈シンガポールを軸にして、アジアを舞台にした作品を展開してきたホー・ツーニェン。(略)本展では、日本をテーマとしたプロジェクトのひとつとして、奇怪かつ滑稽な100の妖怪たちが闇を練り歩く、新作の映像作品《百鬼夜行》を公開する。ホーの日本でのプロジェクトは、あいちトリエンナーレ2019の豊田会場における喜楽亭(きらくてい)の《旅館アポリア》に始まり、2021年春の山口情報芸術センターでの《ヴォイス・オブ・ヴォイド-虚無の声》に続いて、本展が最後となる。(略)第3弾となる本展では、近代から現在まで日本の大衆文化を反映してきた「妖怪」に焦点を当て、戦争の時代を含めて日本の文化史や精神史を浮かび上がらせる(略)〉引用終り。

(URL=https://bijutsutecho.com/exhibitions/8808)

◆「ホー・ツーニェン 百鬼夜行」は4つの展示室を使った映像作品

早速、豊田市美術館に行くと「ホー・ツーニェン 百鬼夜行」(以下「本展」)の大きな看板。口を大きく広げた妖怪(山彦)が出迎えてくれました。展覧会場の入口は2階の展示室1。展示室4までの4室を使った展覧会です。順番に映像作品を見ました。入口にはカーテンが引かれ、中は真っ暗。展示室に入ると係員が来て、足元を懐中電灯で照らしてくれます。

◆展示室1 100の妖怪(上映時間16:30)

展示室1は2つのスクリーンに映像を投影。一番大きな壁面には、2台のプロジェクターを使ってパノラマ作品が投影され、左から右へと色鮮やかな妖怪がパレードを続けます。手前の小さな画面には、眠る人々。この作品は手前の画面とパノラマ画面を重ね合わせて見るように制作されていますが、それに気付かず、「手前の画面にも映像があるけど、まあいいや」とパノラマ画面だけに集中してしまいました。今、思い返すと、残念な鑑賞方法でしたね……

妖怪のパレードはエンドレスなので、どこから見てもO.K.とはいえ、本来の始点は土蜘蛛(古代、大和朝廷に服従せず、異民族視された人々)。赤舌、雷獣、鵺、白澤、獏、鳳凰、だいだらぼっち等、延々と行進は続きます。水木しげるの「妖怪図鑑」を見ているようで、理屈抜きに楽しめる作品です。ただ、旧日本兵の姿をした大天狗の登場で「なぜ、日本兵?」と思い始めました。海坊主、船幽霊、産女(うぶめ。赤子を抱いて、腰から下は血まみれ)の後から登場する、河童、キムジナー、魍魎、木霊(「もののけ姫」に出てくる妖精)などは皆、短刀や手榴弾のようなものを身に着けています。旧日本軍の参謀・辻政信にそっくりな坊主や司令官、快傑ハリマオ(昔のテレビドラマの主人公。頭に白いターバンを巻き、黒いサングラス。石ノ森章太郎もマンガを描いた)が出て来て、作者の意図が分かりました。妖怪は太平洋戦争の影を背負っているのです。

◆展示室2 36の妖怪(上映時間16:45)

展示室1「100の妖怪」に登場した妖怪の中から抜粋し、名前・性質などを紹介しています。偽坊主(第二次世界大戦後、多くの日本兵が僧侶に化けた)、二人の「マラヤの虎」(山下奉文・陸軍大将=戦犯として死刑宣告と、日本人盗賊・谷豊=F機関に所属、ハリマオと呼ばれた)なども紹介されました。(注:山下奉文(ともゆき)は、日本軍が英領マレーとシンガポールを攻略した時の司令官。宮本三郎の戦争画《山下、パーシバル両司令官会見図》(1942)に描かれています)

◆展示室3 1人もしくは2人のスパイ(上映時間17:25)

スパイ養成機関「陸軍中野学校」の話、「F機関」(藤原岩市少佐を長とする謀略機関)の話、「マレーの虎」と呼ばれた日本人盗賊・谷豊を諜報員として勧誘する「ハリマオ作戦」、もう一人の「マレーの虎」山下奉文・陸軍大将、マラヤ侵攻時の参謀で敗戦後は僧侶に化けて戦犯の追及を逃れた辻政信の物語などを、「スパイ」という視点から作品化したものです。2019年の《旅館アポリア》と同じように、アニメーションと実写、虚構と史実などを重ねた映像でした。

◆展示室4 1人もしくは2人の虎 (スクリーン1:上映時間8:00、スクリーン2:上映時間8:00)

展示室4は、3つに仕切られています。手前の部屋のスクリーン1では、二人の「マレーの虎」、山下奉文・陸軍大将と日本人盗賊・谷豊の話、辻政信の話および「F機関」の藤原岩市少佐の話を、「虎」という視点で作品化したものを上映しています。

真ん中の部屋のスクリーン2では「虎」のイメージを主題にした作品を上映していました。冒頭、中国や日本で描かれた「虎図」が次々に登場。どの「虎図」もアニメーション。つまり、動いています。次に登場するのが谷豊。1932年から「ハリマオ=虎」としてマライで活動中、1942年に死亡。軍部は、直ちに彼をモデルにプロパガンダ映画「マライの虎」(1943)を制作。第二次大戦中には「千人針」に「千里往って千里還る」という虎のイメージが使われ、戦後の1960年にはテレビドラマ「快傑ハリマオ」(主人公は、盗賊ではなく海軍中佐という設定)として復活。1989年には、陣内孝則が主役の映画「ハリマオ」が制作され、その後も「タイガーマスク」や「ラムちゃん」など、「虎」のイメージは現代まで脈々と続いていることが分かりました。

最後の部屋には、山下奉文・陸軍大将や快傑ハリマオなどに関する資料が展示されています。

◆《旅館アポリア》の再現もあるようです

本展のチラシの裏には、「とよたまちなか芸術祭の特別展示」ホー・ツーニェン《旅館アポリア》Ho Tzu Nyen Hotel Aporia 日時:2021.12.4|土|-2022.1.23|日| 10:00-16:30、休館日:月曜日[2022年1月10日は開館]、年末年始(2021.12.27‐2022.1.4) 観覧料:無料、主催:公益財団法人豊田市文化振興財団、豊田市、会場:喜楽亭(豊田産業文化センター内)と書いてあります。

2019年の《旅館アポリア》は、喜楽亭(高級料理旅館で戦前は養蚕業者、戦後は自動車関係者が利用。その後、現在地に復元移築)の4つの部屋を使った、12分×7本=84分の映像作品(一ノ間「波」、二ノ間「風」、三ノ間「虚無」、四ノ間「子どもたち」)でした。一ノ間「波」は、小津安二郎監督の映画「彼岸花」(1958)が素材で、出演者の顔にスモークがかけられ、一瞬ですが佐分利信や愛知県蒲郡市の三河大島、蒲郡ホテル(現:蒲郡クラシックホテル)が映ります。三ノ間「虚無」も小津安二郎監督の映画「父ありき」(1942)、「秋刀魚の味」(1962)を素材にしています。トリエンナーレの時は「三密」の状態で鑑賞していました。今回の「再現」では新型コロナウィルス感染防止のため、マスク着用、検温、入場制限などの措置が実施されるのでしょうか。

◆最後に

展示室4の最後の部屋を除き映像作品ばかりなので、全てを見ようとすれば、最短でも1時間以上かかります。立ち続けるのは大変ですが、椅子はわずかしかありません。じっくり鑑賞しようと思ったら直接、床に腰を下ろすか、携帯チェアを持参して座って見ると良いでしょう。分かりやすいですが、色々と考えさせられる作品でした。

なお、せっかく豊田市美術館まで来たのですから、本展の鑑賞券で、同時開催のコレクション展「絶対現在 Absolute Present」も鑑賞しましょう。「絶対お得」です。

Ron.

ホー・ツーニェン ヴォイス・オブ・ヴォイド

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 「ヴォイス・オブ・ヴォイド」を体験してきました。

あいちトリエンナーレ2019に≪旅館アポリア≫を出品していたホーの新作です。

行列に並ぶのを覚悟していったのですが、幸運にも、すんなり入れてもらえました。

大広間にて

 薄暗い会場に入り、係の方からVR機器の使い方を教えていただき、座布団に座ると映像がスタートしました。

 最初は、和室で座談会の場面のようです。しばらくすると、スーッと視点が上昇して、モビルスーツのようなものに囲まれながら、雲上を遊泳します。その後、地下牢のような小部屋に入ったり、和室に戻ったり。その間も、むつかしい哲学的な会話が聞こえてきます。

会場風景

 始まる前に、係の方から「エンドレスなので、楽な姿勢で見てください。」と言われて、足を延ばして体験していたのですが、いろいろとかなり疲れました。

どなたか、この作品を体験した方がいれば、ぜひ感想を聞かせてください。

ヴォイス・オブ・ヴォイドのチラシ

 帰り際に、係の方に聞いたら、1日当たりの来場者は平日で約30名、休日だともう少し多いくらいとのことでした。

あいちトリエンナーレの≪旅館アポリア≫の順番待ちの行列状態とは、だいぶ雰囲気が違うのだなと思いました。

 そういえば、豊田市美術館で、同じ作家の別の展覧会(「百鬼夜行」)が始まりました。

そちらも、ぜひ見に行きたいと思います。

杉山 博之

新聞を読む 日本経済新聞『美の粋』2021.10.17

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◆「写真の都」名古屋 ― 雑誌と専門店が出現 アマ写真家が台頭

2021年10月17日付日本経済新聞「美の粋」に見覚えのある写真が載っていました。見開き2面にわたる記事には「前衛写真と都市(中)名古屋」という見出しが付き、次のように始まります。

〈戦前の名古屋には、全国でもまれにみる「写真の都」が現出していた――。1920~30年代を中心戦後の70年代まで同地における写真運動をたどる展覧会が名古屋市美術館で開かれたのは2021年2~3月のことだ。およそ半年後の9月下旬、美術館がある中区栄の隣町、大須を訪れた。(略)20年代から30年代の半ばごろにかけて、大須を中心に名古屋市内には写真館が40軒以上、写真の材料を扱う店が60軒以上営業していた(竹葉丈編著「『写真の都』物語 名古屋写真運動史 1991-1972」)(略)36年に創刊されたアマチュア向け写真雑誌「カメラマン」の第3号。表紙に勇ましい言葉が印刷されている。「……名古屋二十萬のカメラマン諸氏の御後援を得て、日に増し、成長して行く……」。(略)「当時の人口160万人ほどに対して20万人はありえない。それでもアマ写真家の旺盛な需要が雑誌の存続を支えたことは間違いない」と竹葉さんは言う〉(引用終り)

 記事を執筆したのは東京編集局文化部の窪田直子・美術記者(2019年4月から論説委員兼務。以下「窪田氏」)です。窪田氏が今年の9月に名古屋を訪れ、名古屋市美術館の竹葉丈学芸員に取材して書いたものだと分かりました。

◆記事が取り上げた名古屋の写真家

窪田氏が取り上げた名古屋の写真家は4人。作品(下郷羊雄は油彩)の図版も掲載されています。なお、以下の説明は窪田氏によるものです。

・後藤敬一郎

ういろうで有名な老舗、青柳総本家の社長を務めつつ、戦後の名古屋で精力的に写真を撮った

・坂田稔(1902~74)

「前衛写真」の中心人物。現在の刈谷市生まれ。20年代半ば、毎日新聞大阪本社に勤務、「浪華写真倶楽部」に加わる。写真材料店を名古屋市内に開き「なごや・ふぉと・ぐるっぺ」を結成。「ナゴヤ・フォトアヴァンガルド」へと発展させる。目の前のあらゆる物象を幾何学的秩序をもってとらえ、批評する写真を「造形写真」と名付けて自らの理想とした

・下郷羊雄(しもざとよしお)

「ナゴヤ・フォトアヴァンガルド」のメンバー。超現実主義の画家。自然の造形に「オブジェ」を見出す着眼は、後に、植物のサボテンをクローズアップで妖しく神秘的に撮影した「メセム属」に結実

・山本悍右(かんすけ、本名・勘助)

「ナゴヤ・フォトアヴァンガルド」のメンバー。詩人で写真家。38年にシュルレアリスム詩誌「夜の噴水」を苦心の末、出版。戦後まもない時期に後藤らと写真家集団「VIVI社」を結成、日本を代表するシュルレアリスム作家となる

◆異なる理想 アバンギャルドを二分

30年代末以降、シュルレアリスム的表現を追求しつづける山本らと、坂田との考え方の相違が次第に深まって行き、記事は次のように終わります。

〈「写真による革新と民族主義の交合」を説く坂田の方針に山本らが納得できず、かつてのナゴヤ・フォトアヴァンガルドのメンバーは袂を分かつ。坂田と山本の作品は時流に対する思想の違いをありありと見せつつも、重苦しい時代に写真表現の意味を考え続けた真摯な態度を醸し出している〉(引用終り)

◆最後に

今回取り上げた記事は、本年2月~3月に名古屋市美術館で開催された「『写真の都』物語 名古屋写真運動史 1991-1972」のうち、前衛写真に関連するものです。「ベテランの美術記者は、分かりやすくコンパクトにまとめるものだ」と感心したので、ご紹介いたしました。

 Ron.

展覧会見てある記「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」豊橋市美術博物館

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豊橋市美術博物館で開催中の「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」(以下「本展」)を見てきました。月岡芳年(以下「芳年」)の作品を見るのは約二年半ぶり。2019年の協力会ミニツアー=名古屋市博物館「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」以来です。

ミニツアーでは、名古屋市博物館の神谷浩副館長(現・徳川美術館副館長兼学芸部長、以下「神谷さん」)が「最後の浮世絵師で最初の近代日本画家」と芳年を評していましたが、本展第四章の《演劇改良 吉野拾遺 四條縄手楠正行討死之図》(1886)を見て「神谷さんの指摘どおり」だと思いました。顔は浮世絵風ですが、ポーズや背景の描き方は近代日本画を思わせます。芳年の門からは水野年方、鏑木清方(水野年方の弟子)が出ており、「新版画」の伊東深水、川瀬巴水は鏑木清方の弟子。まさに、近代日本画の源流の一つです。

本展では浮世絵だけでなく肉筆画、画稿などの芳年の作品260点余が、ところ狭しと並んでいます。芳年のデビューから晩年までを見通すことができる贅沢な展覧会でした。

第一章 国芳ゆずりのスペクタクル、江戸のケレン  嘉永6年~慶応元年(1853~65)

 展示室を入った所に、芳年の没後に出された追善絵《大蘇芳年像 金木年景画》(1892)が掲げられ、15歳のデビュー作、三枚続《文治元年平家の一門亡海中落入る図》(1853)に続きます。国芳ゆずりの武者絵が多く、役者絵などもあります。《正札附俳優手遊》(1861)や《狂画将棋尽》(1859)などは、国芳ゆずりのユーモアに満ちた作品でした。

第二章 葛藤するリアリズム  慶応2年~明治5年(1866~72)

 幕末から明治初期にかけての作品。武者絵だけでなく、錦の御旗を掲げて朝廷の行列が行進する《東海道名所図会 鞠子 名物とろろ汁》(1868)や函館戦争を描く《諸国武者八景 函館港》(1872)、鉄道開通を描く《東京名勝高輪 蒸気車鉄道之全図》(1871)など、次代を切り取った作品も展示されています。

・ 血みどろ絵 

 入口を布で仕切った奥の部屋には、歌舞伎や講談を元にした、兄弟子の落合芳幾との共作《英名二十八衆句》(1866-67)のほか、戊辰戦争に取材した《魁題百撰相》シリーズ等、「血みどろ絵」が一堂に会しています。刺激が強い作品ばかりなので「見ると気持ちが悪くなる作品もあります」という旨の注意書きが貼ってありました。

 歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」を元にした《英名二十八衆句 福岡貢》(1867)には様式美を感じました。《魁題百撰相 会津黄門景勝》(1868)は表向き、徳川家康による1600年の会津攻めが題材ですが、戊辰戦争の会津をダブらせていました。

第三章 転生・降臨-“大蘇”蘇りの時代  明治6年~明治14年(1873~81)

 解説によれば、明治の初め、取り巻く環境が劇的に変化。浮世絵の売れ行きも落ち、芳年は強度の神経衰弱に陥りますが、明治6年には立ち直り、画号を“大蘇芳年”に変えて意欲的に作品を制作するようになったとのことです。

 歴史画が目立ちますが、なかでも弁慶と義経の出会いを描いた三枚続《義経記五條橋之図》(1881)はダイナミックな構図の作品でした。義経が体を鞠のように丸めて右に跳び、対する弁慶は、画面左で上半身を90度に前傾して右に捻って踏ん張り、義経が投げた扇を薙刀の柄で受けとめています。迫力のある作品で、大きく引き伸ばしたものが美術館の玄関先に置かれ、入場者を出迎えていました。

 明治10年に起きた西南戦争を描いた作品や大正天皇の生母(柳原白蓮の叔母)を描いた《美人百陽華 正五位柳原愛子》(1878)なども出品されています。

第四章 “静”と“動”のドラマ  明治15年~明治25年(1882~92)

 盗賊の袴垂が衣を奪おうとしたが恐ろしくて手が出なかったという説話を描いた《藤原保昌月下弄笛図》(1883)や能の『隅田川』に由来する《東名所墨田川梅若之古事》(1883)、明治政府より発禁処分となった、縦長の二枚続《奥州安達がはらひとつ家の図》(1885)の外、「月百姿(つきひゃくし)」シリーズやユーモラスな「風俗三十二相」シリーズなどが出品され、まさに「全盛期の芳年」を鑑賞することができました。

 なかでも《月百姿 信仰の三日月幸盛》(1886)は、デフォルメすると2014年の名古屋市美術館「マインドフルネス展」で見た山口晃の《五武人圖》(2003)になるな、と感じる作品です。《風俗三十二相 かゆさう 嘉永年間 かこゐものの風ぞく》(1888)は、艶めかしく、《風俗三十二相 遊歩がしたさう 明治年間 妻君之風俗》(1888)は、浮世絵としては珍しい洋装の美女でした。

 いずれも三枚続の《弁慶 九代目市川団十郎》(1890)や《雪月花の内 花 御所五郎蔵 市川左団次》(1890)などの役者絵は「近代的、装飾的でスマートな写楽」という雰囲気があり、しばらく見入ってしまいました。

別 章 肉筆画・下図類など

 浮世絵だけでなく《富士山》(1885)、《鍾馗》(1890)などの肉筆画もあります。《西洋婦人》は、藤田嗣治の素描を思わせます。芳年の筆運びがはっきりと分かる素描や画稿を見て「筆でこれだけ描けるのか」と、芳年の画力に感心しました。

コレクション展

 美術館2階では、コレクション展(入場無料)も開催。注目したのは「芳年が描いた東海道」と「野田弘志」「草土社の作家たち」の三つ。写実作家・野田弘志の作品は着物の女性を正面から描いた《きもの》(1974)やリトグラフの《女》(1987)など、展示室の作品のほかに「テーマ展示コーナー」にも3点、貝殻、骨などを配した「TOKIJIKU(非時)」の連作が展示されていました。「草土社の作家たち」では、2020年の名古屋市美術館「岸田劉生展」以来、約一年半ぶりに岸田劉生《高須光治君之像》(1915)を見ることができました。椿貞雄《砂利の敷いてある道》(1916)は劉生の影響を感じました。

 コレクション展も、お見逃しなく。

◆最後に

本展で、浮世絵は明治になっても人気があったということを知りました。赤や青の発色は明治時代のほうが鮮やかです。三枚続の大画面が多く、とても楽しめる展覧会です。

Ron.