現在、申し込みを受け付けているイベントはありません。
次のイベントの情報は、決定され次第お知らせいたします。
最新の情報につきましては随時ホームページにアップしますので、ご確認ください。また、くれぐれも体調にはご留意ください。
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事務局
2025年4月25日
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事務局
2025年
5月13日
名古屋市美術館協力会のアートツアーで、京都・元離宮二条城で開催されている「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展(以下、ソラリス展)と、京都国立近代美術館で開催されている「若きポーランド」展(以下、ポーランド展)を訪問しました。以下で簡単に、「ソラリス展」の様子をご紹介します。
アンゼルム・キーファーは、名古屋市美術館の名品コレクション展(常設展)でも、毎回、彼の作品が展示されるので、とても親近感のある作家です。特に、今回の「ソラリス展」は、世界遺産である元離宮二条城を会場とし、スケールの大きな作品が野外にも展示されます。また、主催者であるファーガス・マカフリーのスタッフによる本アートツアーのための作品解説もあり、とても楽しみにしていました。
作品保護と展示室内の導線を残すため、作品解説は途中から2つのグループに分かれました。会員からは、「作品タイトルを見ると女神の名前が多いが、男神の名前の作品はあるのか」、「重そうな作品だが、どうやって展示したのか」、「作品の表面に張り付けられた材料はなにか」など、活発な質問が出ました。
作品解説では、第二次世界大戦で敗戦国となったドイツと日本の共通性、フランスにあるアンゼルム・キーファーのアトリエの様子、元離宮二条城で展示する意義についても、話題が出ていました。おもしろかったのは、江戸時代のものと思われる「落書き」が、残されている箇所があったことです。「落書き」した本人は、まさか2025年の「ソラリス展」で、大勢の観客に見られるとは、思ってもいなかったことでしょう。
中庭に面した展示室では、麦のような作品の穂先が窓からの光で金色に輝いていました。これらは、もちろん本物の植物ではありません。ここでも、「作品タイトルのモーゲンソー計画とは」、「砂の上にどうやって植えているのか」、「通路のほうに斜めに傾けているのはなぜか」、「砂の上に置かれた蛇や陶器の破片の意図は」、「麦の種類はなにか」など、活発な質問が出ました。
前日からの雨も上がり、前庭の≪ラー≫を背景に記念撮影をしました。中庭にも、鉛で作られた多くの作品が並んでいました。
アンゼルム・キーファーの作品には、大量の鉛が使用されています。古代から中世にかけて、盛んに研究された錬金術は、卑金属の鉛から貴金属の金を精錬できませんでしたが、現代アートの世界では鉛の作品から、とても貴重な、金にも勝る鑑賞体験をすることができました。
(注:既に展覧会を見た多くの方が、他のメディアやSNSで、盛んに作品画像を発信しているので、本レポートでは写真を控えめにしています)
杉山 博之
2025年
5月13日
5月10日(土曜日)、名古屋市美術館協力会の春のバスツアーに参加しました。午前中は二条城の二の丸御殿台所、御清所で開催されている「アンゼルム・キーファー ソラリス」展を鑑賞。昼食は智積院茶寮で貸し切りの部屋で料理を堪能。午後は京都国立近代美術館で「若きポーランド 色彩と魂の詩1890-1918」展を鑑賞するツアーです。
名古屋市美術館に収蔵されている作品の中でヴィジュアルにおいて最もインパクトのあるものはキーファーの≪シベリアの王女≫だと個人的には思っているので、二条城でキーファー展があると聞いたときはそんなところで展覧会が開催されるのか正直疑問に思っていました。現代美術と伝統文化である二条城とマッチするはずがないと思っていました。
しかし実際に二条城に入り最初に《オクタビオ・パスのために》を眼にしたときに心の中でなるほどと妙に納得する感情を覚えました。二条城の大屋根のとてつもなく太い梁にも負けない重量感ある力強いキーファーの作品とのコラボ。こころの中で全く違和感がない、お互いが完全に調和し親和性を創り出している。驚きだった。違和感がない。これがまさしく現代美術のひとつの面白さだとおもいます。現代美術においては作品とその題名とそれに対しての作者の思想を読み解く面白さにあると思うのだがこの展示は神話、哲学、戦争などいろいろな方向へと私たちを引き込む力があると強く感じました。
そんな展示空間のなかで主催者のファーガス・マカフリーの担当者からの企画、制作、開催までの詳細な解説、《モーゲンソー計画》の作品の砂をどのように部屋の中へ入れ、建物を傷めないように砂をボンドなどで固めて作品を完成させた苦労話など興味深い説明を受けました。また協力会の会員の様々な質問で大いに盛り上がりあっという間の2時間でした。ヨーゼフ・ヴォイスとキーファーとの関係なども話題に。個人的には大分まえにベルリンかミュンヘンか忘れてしまったけれどヴォイスのジャケットの作品を見たなあと思い出したりもしました。
「若きポーランド」展はなじみのない画家の作品ばかりでヨーロッパの美術館でよくみられるレヴェルの作品が多くあるように思いました。フランスの画家たちが浮世絵の影響を受けているのは広く知られていることだがポーランド絵画が浮世絵の影響を受けているということは知りませんでした。歌川広重の《名所雪月花より》《神奈川八景》《名所江戸百景》などの浮世絵を見て改めて浮世絵のよさを発見。また常設展では好きなマティスのリズム感ある《ジャズ》の作品、東松照明の鮮やかなコントラストが際立つ《京まんだら:智積院》、楽直入のアヴァンギャルドな茶碗など見ごたえのある作品を鑑賞することができました。
最後に名古屋市美術館の学芸員の竹葉さんに鑑賞の手引きとなる数多くの資料準備、またバスの車内でのキーファー展の解説、現在のアメリカ、ヨーロッパなどの美術館の動向、キュレーターたちの動き、日本の美術館の今後の方向性等、幅広い興味ある貴重な話をしていただきました。他にもいろいろな細かな心遣いなどしていただくなど大変お世話になりました。本当にありがとうございました。感謝申し上げます。
谷口 信一
2025年
3月21日
前日の中村正義展に続き、2月23日日曜日には、愛知県美術館にて「パウル・クレー展」のミニツアーが開催されました。会員15名が愛知県美術館12階のアートスペースAに集合し、展覧会の担当学芸員の黒田和士氏の解説を聴きました。
ベルン近郊の町に生まれたクレーは父親の影響で音楽や詩に親しみがあったこと、その後ミュンヘンに行き絵を学んだこと、社会風刺や政治批判の時代を経てドイツの画家たちと出会っていくことなど、クレーの人生について年代を追って説明頂きました。
彼が出会って影響を受けた画家たち(カンディンスキー、ロベール・ドローネー、アウグスト・マッケ)らとの交流や、戦争に突入していく時代の流れなども、彼の作品に大きな影響を与えていたこともわかりました。
作品を鑑賞するだけではわからない、クレーの奥深い美術への情熱や概念を、ほんの少し、理解できたように感じました。
2025年
3月14日
令和7年2月22日、今年何度か目の寒波が訪れる中、生誕100年中村正義展が豊橋市美術博物館にて開幕を迎えました。午前中は、豊橋ではかなり珍しいであろう降雪のせいか、会場は閑散としており、そんな中でも学芸員の丸地加奈子さんの解説が1階の展示室でスタート。大きく5章に分けられた中村正義の作品、そして正義に関わった作家たちの作品について、エピソードなどを交えながら解説してくださいました。
日展に入選した初期のころから、蒼野社時代、一采社などの時代の活動について、更には自身が病に侵されて変わっていく画風についてなど、時間が限られる中、興味深い解説をしていただきました。
午後には、作家の長女で中村正義の美術館館長の中村倫子さんと、われらが名古屋市美術館にて中村正義の展覧会を担当して開催してくださった山田諭氏との対談が行われ、午前中とはうって変わって会場には入りきらないほどの聴衆が集まりました。対談では、作家について、更に深く解析、解説していただき、長女倫子さんからは様々なエピソードも紹介されました。
この展覧会では、その後も毎週豪華なゲストによるトークが開催、予定されています。
2025年
2月26日
去る2月13日、協力会の太田龍峰会長が逝去されました。1週間ほど前に心筋梗塞で倒れられ、そのまま意識を回復することなく旅立ってしまわれました。あまりに突然のことで、ただただ茫然とするばかりです。
太田さんは名古屋市美術館の副館長を2年間勤められ、その間私は学芸課長としてお仕えしました。最初お会いした時は、少し怖い方かなと思ったのですが、すぐに皆さんおなじみの笑顔を見せられ安堵したのを覚えています。ただ、その後市役所の方に伺ったところでは、若い頃はずいぶん厳しい面もお持ちだったようで、年齢を重ねられる中で穏やかになっていかれたことを知りました。私がお仕えした2年間は、厳しいお叱りを受けることもありませんでしたが、議会対応などで夜遅くまで、何度も本庁にご一緒したことが記憶に残っています。
記憶に残ると言えば、私は健康のためもあり、金山駅から美術館まで歩いて通っていた(現在も)のですが、途中でしばしば太田さんの姿をお見かけすることがありました。美術館まで一緒に話をしながら歩くこともあったのですが、その折、市役所に勤務されていた時は、金山から市役所まで歩いていたとお聞きして、さすがに驚いたことを覚えています。健脚もそうですが、それを続けていられたことに感服しました。
定年退職後に美術館の協力会にお入りになり、令和3年度からは会長として精力的に活動されておられました。このブログをお読みになっていらっしゃる方はよくご存知だと思いますが、美術展の紹介はもちろん、美術に関連する雑誌や新聞の記事の紹介、映画の感想など、本当に幅広く、かつ積極的に美術に触れておられ、またその文章の記述の詳細なことは驚くばかりでした。当館での講演会や解説会などでも、熱心にメモを取られながら聴き入る姿が今も目に焼き付いています。
あれほどお元気で精力的な太田さんが、こんなにあっという間に他界されてしまったことが、未だに信じられません。人の命のはかなさをつくづく思い知らされますが、はかないからこそ、今を大切に生きていかなければならないことを伝えてくださったのだと思います。心からのご冥福をお祈りいたします。 (名古屋市美術館参与・深谷克典)
2025年
2月26日
情報科学芸術大学院大学(以下、IAMAS)の修了研究発表会/プロジェクト研究発表会は、ソフトピアジャパン・センタービルで開催されている。このビルは、大垣駅周辺で一番の高層ビルらしく、最上階の展望エリアからは市街の景色を一望できる。この時期、西の方角には雪をかぶった伊吹山もよく見える。
情報科学芸術大学院大学修了研究発表会/プロジェクト研究発表会にて (その1)
璃月ゆあ ≪同業者コミュニティの形成と印刷産業発展の可能性について-インタビュー分析による他己紹介をワークショップの契機として-≫
研究成果をまとめたポスターが、ずらりと並んでいる。他の美大、芸大でも論文の概要展示は見かけるが、IAMASでは修了要件として作品と論文の両方に取り組むため、論文の本数が多いみたいだ。
その中で、衰退する印刷産業に関するアートっぽくない研究論文に目が留まった。市中のニュースでも書店の減少について見聞きすることがある。自分の周りでも、いろいろな資料や書類が電子データ化され、紙の印刷物はずいぶんと減った。そのような状況下、印刷産業が生き残るためにはどうするか、ひとつの会社のみでは解決できない課題にどのように取り組むかを検討した研究論文だ。
研究中に始めた実験的な取り組みは、実験に参加した会社間の関係性にゆっくりと、明らかな変化をもたらすという、明るい未来も見え始めている。しかし、本研究では、決して短期的な解決策を求めていない。効果が見えてくるのは、10年先か、20年先か、ひょっとすると30年先かもしれない、そのような長い目で業界を見渡した提言がまとめられている。
ポスター展示の傍らに、「月の声を聴くための言葉」という題名の小冊子が置かれていた。
ページを開くと飾りのスリットがあったり、微細な感情の表現のため、ページごとの行間が微妙に変えてあったり、多くの工夫が凝らされている。この小冊子には、ひとつの印刷会社ではカバーできない印刷・製本技術が詰め込まれている。この小冊子を作る時の経験が、本研究の出発点になっているようだ。
作家によれば、本研究には「宝物を探す」ような気持ちで、誠実100%で取り組んだそうだ。また、修了にあたり作品は制作していないが、論文自体が作品でもあると感じているそうだ。
アートっぽくない、異色な展示だが、とても有意義な「作品」を見ることができた。
杉山