読書ノート 「失われたアートの謎を解く」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

ディエゴ・リベラの壁画《プロレタリアートの団結》(名古屋市美術館蔵)の図版が掲載されているのを見て、衝動買いしてしまった本です。監修の「青い日記帳」はTak(タケ)の愛称でブログ「青い日記帳」を主宰する美術ブロガーです。また、「あとがき」には「膨大な資料を元に執筆してくださった古川萌氏、齋藤久嗣氏、鈴木雅也氏の三名の執筆陣に心より感謝いたします」という謝辞がありました。

 ◆アートペーパーNo.110 2019年春号の特集記事

衝動買いの要因は、名古屋市美術館ニュース アートペーパーNo.110 2019年春号の特集「“壁画家は日当で働く”― ディエゴ・リベラ、壁画の報酬」(執筆J.T.)です。「ニューヨークでの挫折と《アメリカの肖像》」という章で「ロックフェラー2世の次男・ネルソン・ロックフェラーから壁画制作を依頼されたリベラは、壁画にレーニンの肖像を描いたために解雇され、壁画は破壊された。その壁画の報酬として14,000$をもらったリベラがニューヨークの<新労働者学校>に描いた壁画21点中の一つが名古屋市美術館常設展に展示の《プロレタリアートの団結》である」という話を紹介していました。「失われたアートの謎を解く」(以下「本書」)に、その「破壊された壁画」の記事があったため、思わず飛びついてしまったのです。

◆本書・第三章 15 レーニンを描いたから破壊されたロックフェラーセンターの壁画

   レーニン像を描いたために破壊された壁画《十字路の人物》について、本書「第三章 捨てられて上書されて」のp.162~175は「制作中の壁画の中にレーニン像を見つけた地元の新聞紙が『リベラがRCAビルの壁に社会主義者を描いた―出資者はロックフェラー2世』とセンセーショナルな見出しで報道した」「下絵制作時点ではレーニン像を描く予定はなかった」「リベラはレーニンを描きこむことによって自らの思想を体現しようとした」「当初、レーニン像を描くことに容認的であったネルソン・ロックフェラーも相次ぐ批判に抗いきれず、リベラに対してレーニン像をありきたりの普通の男の顔に描き替えて壁画を完成するように指示を出した」「リベラの頑迷な抵抗の前に調整は実らない。膠着状態が長引くと、さらに事件は政治的な色合いを帯びる」「RCAビルには壁画の破壊に反対する労働者が押しかけ小競り合いが起こる一幕もあった」「結局1933年11月、リベラが作業現場を留守にしている隙に壁画は取り壊された」と、事件の経過を書いています。芸術家のリベラを高く評価していても、レーニン像を描いたことが政治的な色合いを帯びてしまったため、壁画を破壊せざるを得なかったということですね。

本書は後日譚として<新労働者学校>に壁画を描いたことに加え、メキシコに帰国したリベラが「時のロドリゲス政権の理解と資金的バックアップを得て《十字路の人物》の再現作品をメキシコシティ、国立宮殿の中央階段壁に描き出した」ことを書き、《十字路の人物》を再現制作した《人類、宇宙を制御する主体》の図版も載せていますので、アートペーパーNo.110の特集とあわせて読むと良いと思います。

◆ナチスによる絵画略奪も

本書「第二章 戦争で消された名画」のp.72~103には、ナチスの絵画略奪に関する「05 ヒトラーの美術品犯罪 略奪された400万点」「06 連合軍が救った名品コレクション アルト・アウスゼー岩塩坑に隠された1万点」「07 フリードリヒスハイン高射砲塔に隠された美術品の行方」「08 今も美術館を悩ますナチス御用画商の隠し絵画」という4つのエピソードがあります。今年の春に日本で公開された記録映画「ヒトラー vs.ピカソ 奪われた名画のゆくえ」や2019.8.25付と同9.1付の日本経済新聞「NIKKEI The STYLE / Art」に連載された「ナチスの略奪(上)(下)」でも取り上げている内容ですが、本書の記事は膨大な資料をうまくまとめており読みやすいと思います。

◆特別寄稿 甦る!《サモトラケのニケ》 文・池上英洋

本書p.42~45に、頭部と両腕を失った《サモトラケのニケ》を同時代の作品をもとにCGで推定復元した姿を掲載しています。図版の説明は「右手にはオリーブの枝を持っていたなど諸説あるが、勝利の女神であるニケは本来、勝利者に捧げる月桂樹の冠(月桂冠)を手にしていた可能性が高い」というものです。「そうだったのか」と、興味深く読ませてもらいました。

Ron.

「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

今回のミニツアーは、碧南市藤井達吉現代美術館(以下「当館」)で開催中の「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」(以下「本展」)を鑑賞しました。参加者は9名。解説は、大長(だいちょう)悠子学芸員(以下「大長さん」)でした。大長さんは「本展は彫刻家のデッサンに着目した展覧会です。画家は三次元を二次元で表現しますが、彫刻家は二次元の中で三次元をめざします。そのために触覚・手触りを働かせます。19人の戦後作家のデッサン・彫刻を紹介しますが、プロローグとして戦前の彫刻家・橋本平八のデッサン・作品を展示しています」と、本展の意図・構成を話してくださいました。

◆2階エントランスホール

本展の入口は2階。2階エントランスホールには青木野枝《雲谷(もや)2018-2》が展示されています。大長さんは「これはまさに『空間に線を引いた』作品です。展示室の壁に貼られたデッサンを見ると『デッサンを立体化』した作品であることが分かります。《雲谷》は目に見えない空気を表現したものですが、本展で紹介した彫刻家はいずれも形にならないものを彫刻するためにデッサンをしました」と解説してくださいました。

◆プロローグ 橋本平八から現代へ

会場入口近くに、橋本平八の彫刻《石に就いて》を印刷したハガキと彼の日記が展示されています。大長さんの解説は「《石に就いて》は自然石を木で彫った作品です。そして、この作品は『石を超越した存在』であるということから、作家は『仙』と呼んでおり、作品名も《石》ではなく《石に就いて》です。日記をみると、何枚も下図を描いて、どのような作品にするかを追求していたことがわかります。本展は平塚市美術館、足利市立美術館と巡回し、当館は3館目の展示なので《石に就いて》はハガキ、《少女立像》《裸形少年像》は下図だけの展示になりました。次の巡回先は町立久万美術館(愛媛県久万高原町)です」というものでした。

同じ場所の奥には、戸谷成雄の彫刻《襞の塊(ひだのかたまり)Ⅴ》《襞の塊Ⅵ》とデッサン《鉛のかたまり》《紙のかたまり》が展示されています。大長さんは「《襞の塊Ⅴ》は鉛板の塊、《襞の塊Ⅵ》は紙の塊を表現したもので、鉛板や紙をかたまりにした時に表面にできる襞(ひだ)がモチーフです。また、二つの彫刻はデッサン《鉛のかたまり》《紙のかたまり》に対応しています。重そうに見えますが中空なので意外と軽くて、それぞれの重さは30㎏です」と解説してくださいました。《石に就いて》は具象彫刻、《襞の塊》は抽象彫刻。分野は異なりますが「目指すものは同じ」ということなのですね。

◆第1章 具象Part1

「具象Part1」は柳原義達と佐藤忠良、舟越保武のデッサン・彫刻を展示しています。大長さんの解説は「三人は『具象彫刻の三羽烏』と呼ばれた作家で、新制作派協会彫刻部を創立しています。特に、柳原義達はデッサンを重視して何千何万というデッサンを描きました。細かい線で、周りの空間も含めて、触るように描いています。舟越保武はクリスチャンで信仰心が篤く、精神の気高さを彫刻で表現して、戦後の抽象彫刻が流行した時期に具象彫刻を牽引した作家です。佐藤忠良のデッサンには定評があり、ロシア民話をもとにした絵本『おおきなかぶ』の作者としても知られています。ロシア民話を取り上げたのは、シベリアに抑留された経験が関係しているかもしれません」というものでした。

この時ミニツアーの参加者から、柳原義達の彫刻《犬の唄》について「妊婦のような体型と《犬の唄》というタイトルの関係がわからない」という質問がありました。大長さんの回答は「《犬の唄》というタイトルは、普仏戦争で敗れたフランス人の心情を歌ったシャンソンの題名です。抵抗する気持ちを持ちながらも、表面上、プロイセンに対しては犬のように従順さを示す、とフランス人の心情を歌ったシャンソンに託して、作家は第二次世界大戦の敗戦で破壊された人間像を表現しました」というものでした。

◆第2章 抽象Part1

「具象Part1」の部屋は、最後に「抽象Part1」の展示に変わります。森堯茂のデッサン・彫刻について大長さんは「視覚が通り抜けていく内部空間を表現しようとした作家です」と解説。デッサンと彫刻を見比べると、森堯茂のデッサンはまさに設計図だと思いました。森堯茂の彫刻《罠》については「ブロンズ彫刻ではなく鉄の針金と石膏で制作して漆を塗ったものです。経年劣化が進んで、今はボロボロ」との解説がありました。砂澤ビッキについては「ビッキはアイヌ語で『虹』。《午後三時の玩具》の玩具は、足を動かすことが出来ます」という解説でした。原裕治については「戸谷成雄と同世代の作家で、学年は違いますが二人とも愛知県立芸術大学の同窓生です。原は水脈をモチーフにした、立体と平面の間のような作品を制作しています。また、《けもの道1》《けもの道2》などのデッサンに描かれた白い線は、練りゴムなどで削ったものです。平面なのに彫刻のような雰囲気があります。紙が波打っているのは、屋外で制作したことによる湿気の影響だと思われます」という解説があり、若林奮の《1999.2.21》というタイトルのドローイング2点については「若林奮はドローイングを『薄い彫刻』と捉えていた」と解説してくださいました。

◆第3章 抽象Part2

「抽象Part2」は舟越直木のデッサン・彫刻の展示から始まります。大長さんは「舟越直木は舟越保武の三男で、舟越桂の弟。舟越保武の長男は幼い頃に亡くなっています。直木は絵画でスタートしましたが、兄の舟越桂は『直木の方が造形力がある』と評価しています」と解説し、長谷川さちについては「本展では一番若い作家です。1階フロアには重さ500kgの石の彫刻を展示しています。彼女は『石は何千回もハンマーを振って削らないと形にならなくて不自由だが、デッサンは自由』と言っています」と解説。大森博之については「《背後の手間》は、ネバネバした光がテーマです。素材は石膏ですが、表面に蜜蝋を塗って質感を出しています。彼は『ネバネバ度が高いのものが彫刻で、ネバネバ度の低いものがデッサン』と言っており、《昼休み》については『座薬を入れる感覚』と表現しています」と解説。青木野枝のデッサンについては「鉄のモノトーンな彫刻と違って、色彩豊かな作品が多い」と解説してくださいました。

◎1階フロア

1階フロアに降りると、大長さんが「重さが500kg」と紹介した長谷川さち《mirror》が置かれています。見ただけでは重量を実感できませんが「2階に上げることが難しかったので、仕方なく1階フロアに置きました」という大長さんの話を聞いて、如何に重いか納得できました。

◎1階 手前の展示室

「抽象Part2」の展示は1階展示室にも続いています。床に置いてある4個の立方体について、大長さんは「4個の鉄の塊は多和圭三《無題》で、1個あたりの重量は280kg。表面の模様はハンマーで何回も叩いて作った槌目です。ドローイングは木炭で描いています。一見すると前面を真っ黒に塗りつぶしているように見えますが、目を凝らすと六角形を描いていることが分かります」と解説してくださいました。

◆第4章 具象Part2

多和圭三のドローイング・彫刻の奥に「具象part2」舟越桂と高垣勝康のデッサン・彫刻が並んでいます。大長さんによると「舟越桂は、戦後の具象彫刻を代表する作家で、1980年代に発表された作品は衝撃をもって迎えられました。終わったと思われた具象彫刻に光を当てたのです。《冬の木》の眼は大理石の玉眼です。彫刻の目線と鑑賞者の目線が交わらないので、不思議な雰囲気があります。また、作家のドローイングを見ると、輪郭線をしっかりとつかもうとしていることが分かります。また、高垣勝康は今回の展覧会で発掘した作家です。金沢工美術工芸大学を卒業していますが、彼の生前は作品をほとんど発表していません。彼のデッサンは、顔の中心から描き始めるのが特色です」とのことです。高垣勝康のデッサンは平面なのに、何故か立体感があり、レリーフのように見える不思議な作品でした。

◎1階 

奥の展示室 奥の展示室では三沢厚彦と棚田康司のデッサン・彫刻を展示していました。大長さんの解説は「二人とも舟越桂の影響を受けて彫刻家を目指した作家です。棚田康司《少女》は、3.11の震災後、舟を漕ぐ少女のイメージを夢でみて制作した作品です。棚田康司は一本の木から人間を彫り出す「一木造り」で作品を制作しています。先ず、木材の表面にドローイングします。ドローイングを描いたら、表面部分を剥いで手元に置き、それを見ながら彫刻する、という独特の制作スタイルです。そのため、ここでは紙ではなく木材の表面に線画を描いたドローイングも展示しています」というものでした。

◆最後に

 抽象彫刻の鑑賞は苦手でしたが、大長さんの解説を聞きながら作品を見ると、分かってきたような気がしました。やはり「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」(徒然草 第五十二段)ですね。大長さん、ありがとうございました。

 Ron.

ネットで読む「没後90年記念 岸田劉生展」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

来年1月8日から3月1日まで名古屋市美術館で開催される「没後90年記念 岸田劉生展」(以下「本展」)ですが、東京ステーションギャラリーでは、去る8月31日から開催されています。東京まで出かける機会はないため、ネット検索してみました。

◆東京ステーションギャラリーのホームページ=ギャラリートークの講師は山田諭さん

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition.html

東京ステーションギャラリーのホームページ(以下「HP」)で「イベント」をクリックすると「記念講演会『岸田劉生の道』」の案内が掲載されていました。内容は「日時:8月31日(土)19:00~20:30/会場:2階展示室/講師:山田諭(本展監修/京都市美術館学芸課長)/参加費:無料*閉館後実施のため、展覧会はご覧いただけません/定員:70人 事前申込制」というものです。「会場は展示室で、閉館後実施」ということは協力会のギャラリートークと、ほぼ同じです。このギャラリートークの記録ですが、HPの中では見つかりませんでした。ただ、他のサイトで記録らしきものを見つけることが出来ましたので、次の記事をご覧ください。

◆美術展ナビ Art Exhibition JAPAN=ギャラリートークの記録? https://artexhibition.jp/topics/news/20190912-AEJ103188/

東京ステーションギャラリーの展示室で山田諭さんが解説する姿や展示風景を掲載しています。ただ、画像はコピーできませんので上記URLを検索してご覧ください。面白かったのは岸田劉生の署名に関する記事で「大きな節目では署名を変えている。ゴッホら近代美術の影響下にあった時期の署名「R.Kishida」は、西洋の古典絵画への傾斜とともに紋章のような署名に変わる。山田さんが『羽(はね)R(アール)点(てん)』と呼ぶ羽飾りのついた盾形の紋章のような署名だ。(略)次の変化は東洋美術への関心を深めた1918年。サインは『劉』と漢字に変わる。(略)1929年に満州(中国東北地方)を旅した劉生は、当地の風景画を油彩で描く。署名は『Riusei Kishida』に変わっていた」というものです。

◆ぴあ いま、最高の一本に出会える 水先案内人のおすすめ=ポイントを押さえた紹介

アートライター・木谷節子氏の記事で「日本近代絵画史上、最も重要な画家のひとりで岸田劉生の、没後90年を記念して開催中の展覧会。学生時代から劉生を研究してきた京都市美術館学芸課長・山田諭氏の監修とあって、展示作品の質量たるや半端ない。また図録に収録されている山田氏編の「岸田劉生活動記録」も貴重なので、少しでも劉生に興味のある人は購入されることをおススメする。(略)10代の水彩画を描いていた時から、満州より帰国後、山口で客死するまでの流れの中で、完全な時系列で観ることができる」と、ポイントを押さえた紹介です。

https://lp.p.pia.jp/shared/pil-s/pil-s-21-01_a1e183f7-ec95-4be1-9831-93354d615a47.html

◆最後に

ホームページの名前とURLだけの紹介になりますが、以下の記事も面白いと思いました。

◎美術手帖 NEWS/ REPORT – 2019.8.31 https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/20460

◎ニコニコニュース 2019年9月4日https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_LP_P_PIA_f4671b4d_8674_

46d0_95a3_1f3bfec5d683/

Ron.

堺 アルフォンス・ミュシャ館の思い出など

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

◆堺 アルフォンス・ミュシャ館の思い出

私がアルフォンス・ミュシャ(以下「ミュシャ」)の作品を最初に美術館で鑑賞したのは、平成27年(2015)に開催された協力会・秋のツアー(10.31~11.1)で訪れた「堺 アルフォンス・ミュシャ館(堺市立文化館)」の企画展「ミュシャと世紀末の幻想」でした。なお、堺市立文化館は、高層住宅の2階から4階までを使った施設で、「カメラのドイ」の創業者、土井君雄氏から寄贈を受けたコレクションを展示する「堺 アルフォンス・ミュシャ館」(以下「ミュシャ館」)とギャラリーとの複合施設です。

ミュシャ館は秋のツアー最後の見学先でした。当日は大山古墳(伝仁徳天皇陵)の見学に時間が掛かったうえ、ツアー参加者の「お土産を買いたい」というリクエストに応えて予定外の堺伝統産業館に立ち寄ったため、到着時刻は予定を45分オーバーした14時25分でした。ミュシャ館を1時間ほど見学した後、15時20分に名古屋へ向けて出発しています。それまでの見学で体が疲れ切っており、「施設がコンパクトで体が楽」「きれいな作品が多く、アール・ヌーヴォーデザインの家具に座ることもできたので、心も体も癒された」という印象が強く、申し訳ないのですが、油彩画の《ハーモニー》(1908)以外の記憶は残っていません。

記憶を呼び覚まそうとミュシャ館のホームページを検索したら、館内風景の画像に女優サラ・ベルナール主演の《ジスモンダ》や《メディア》《ハムレット》のポスターのほか《モナコ・モンテカルロ》も写っています。また、ミュージアムショップでは「当店で人気の高い作品を用いた」として《黄道十二宮》と《夢想》のA4サイズ・クリアファイルを紹介しています。Bunkamuraザ・ミュージアム「ミュシャ展」のホームページに《夢想》の画像はありませんでしたが、夢見るような眼差しの《夢想》が「当店で人気の高い作品」ということは、十分に納得できます。なお、ミュシャ館ホームページのURLは、下記のとおりです。

https://mucha.sakai-bunshin.com/

◆堺 アルフォンス・ミュシャ館(堺市立文化館)協力の「ミュシャのすべて」(角川新書)

ミュシャ館のホームページを検索していたら、Amazonが推薦図書を知らせてきました。それが「ミュシャのすべて (角川新書)」(協力: 堺 アルフォンス・ミュシャ館(堺市立文化館)、出版社: KADOKAWA、発売:2016.12.10)です。内容は、2017年に国立新美術館で開催され66万人近い入場者があった「ミュシャ展」(会期:2017.3.8~6.5)の構成に沿ったもので、「ミュシャのすべて」というタイトルは「アール・ヌーヴォーの寵児」としてのミュシャだけでなく、長い間忘れられていた「壮大な歴史画の連作《スラヴ叙事詩》の作者」としてのミュシャにも光を当てていることによります。

◆複数の「ミュシャ展」が全国を巡回中 もしかして、ミュシャブーム?

現在、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ―線の魔術」(以下「みんなのミュシャ」)を始め、下記のとおり複数の「ミュシャ展」が全国を巡回しています。

◎「ミュシャ展~運命の女たち~」:http://event.hokkaido-np.co.jp/mucha/

美術館「えき」KYOTO(2017.10.14~11.26)から巡回が始まり、そごう美術館(横浜)(2019.11.23~12.25)が11館目となります。なお、URLは北海道展公式ホームページのものです。

◎「ミュシャと日本、日本とオルリク」:http://www.ccma-net.jp/exhibition_end/2019/0907_1/0907_1.html

 千葉市美術館(2019.9.7~10.20)から和歌山県立近代美術館、岡山県立美術館、静岡市美術館に巡回。

◎「サラ・ベルナールの世界展」:https://www.sunm.co.jp/sarah/

 1館目は群馬県立近代美術館で、横須賀美術館(2019.9.14~11.4)が5館目。渋谷区立松濤美術館に巡回。

 以上のほか、「アール・ヌーヴォーの華 ミュシャ展」はハウステンボス美術館(2019.2.9~6.29)で、「夢のアール・ヌーヴォー アルフォンス・ミュシャ展」は高岡市美術館(2019.7.13~9.1)で巡回が終了しています。

◆山田五郎氏が語るミュシャ様式

多数の「ミュシャ展」のなかで、私は「みんなのミュシャ」に惹かれます、それは「日本のマンガへと続くミュシャ様式」をテーマとした展覧会だからです。なお、「ミュシャ様式」については、カドカワエンタメムック「みんなのミュシャ」の中で山田五郎氏が分かりやすく解説していますので、以下に引用させていただきました。

ミュシャは後にミュシャ様式と呼ばれる独自の画風も、数多く開拓しています。勝手に名付けさせていただくと、日本美術に影響されたと思われる「縦長構図」にはじまり、円形の装飾背景を人物にかかるように配した「Q字構図」や、マンガのコマのような「分割画面」、複雑に絡み合う髪を太い輪郭線で囲って平面的な装飾効果を生む「髪唐草」などなど。正統派の画力を活かした「ミュシャ美人」も、もちろんミュシャ様式の大きな要素のひとつです。(引用終わり)                                  Ron.