三重県立美術館「ベスト・オブ・コレクション」ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

三重県立美術館(以下「三重県美」)で開催中の「開館35周年記念Ⅰ ベスト・オブ・コレクション―美術館の名品」(以下、「本展」)鑑賞の名古屋市美術館協力会ミニツアーに参加しました。参加者は11名。地下1階美術体験室で貴家映子学芸員(以下「貴家さん」)のレクチャーを受講後、自由観覧となりました。

◆貴家さんのレクチャーは、主に「収集方針」と「本展の見どころ」
 貴家さんによれば三重県立美術館の開館は1982年9月で、今年は35周年に当たることから記念展を3つ開催。その第一弾が本展で、第二弾が昆虫や動物のようなかたちをした、風で動く人工生命体「ストランドビースト」で知られるオランダのテオ・ヤンセンの展覧会(7/15~9/18)、第三弾が「本居宣長展」(9/30~11/26)とのことです。
 本展は三重県美の収蔵品展なので、レクチャーの内容は主に収集方針と本展の見どころ。先ず、三重県美の収集方針ですが、①三重県にゆかりのある作家、②明治以降の日本近代洋画の流れをたどれる作品・近代洋画に影響を与えた外国の作品、③作家の制作活動の背景の分かる下絵、素描等、④スペイン美術(1992年バレンシア州と三重県の友好提携による)の4本。次に、本展の構成は収集方針を踏まえて、1階が「明治から現代へ 絵画史をたどる近代美術コレクション」、2階に「ヨーロッパ美術の精華」と「曾我蕭白 旧永島家襖絵」。なお、この日の展示は140点、展示替えを入れると150点になることでした。

◆明治から現代までの日本近代絵画の流れをたどる1階の展示
 1階の展示は、①近代の開拓者たち、②大正から昭和へ、③近代美術の成熟、④戦争を越えて、⑤現代美術へ、の5章に分かれ、最初の展示作品は岩橋教章《鴨の静物》。貴家さんによれば「日本の近代洋画はテクニックを学ぶことからスタートした」とのことですが、リアルに描かれた板目や鴨を見ると、当時の画家が洋画のテクニックに驚き貪欲に吸収していったことが分かります。中澤弘光《青き光》は、「三重県美で紹介して欲しい」と寄贈を受けた作品とのこと。近代洋画だけでなく、金ぴかの屏風に描かれた竹内栖鳳《虎・獅子図》始め、川合玉堂《秋景》、菱田春草《薊に鳩図》などの日本画もあります。
「②大正から昭和へ」では、岸田劉生、村山槐多の《自画像》の外、佐伯祐三《サンタンヌ教会》、フォーヴィスムの里見勝蔵《裸婦》、南米で描いた藤田嗣治《ラマと四人の人物》が目を惹きます。また、「③近代美術の成熟」では、エレベーターガール、レビューガール、女給、奇術師を描いた中村岳陵《都会女性職譜》4点に昭和初期のモダンを見ました。海老原喜之助《森と群鳥》は「海老原ブルー」が魅力的。郷土の画家である宇田荻邨が描いた《祇園の雨》を見ていると、白川のほとりで傘を差して佇んでいるような気になります。
貴家さんによれば「④戦争を越えて」に展示の松本竣介《駅の裏》は東京駅を描いたもので、東京駅のステーションギャラリーで展示されたこともあるそうです。また、「⑤現代美術へ」の元永定正《作品》は、神戸・摩耶山のネオンを描いたもので、元永の死後に40点以上の寄贈を受けたそうですが「作品が大きいので収蔵に苦労しています。」とのことでした。また、「腰かけたくなるような黒い座り机がある。」と思ったら、小清水漸《作業台 水鏡》でした。名古屋市美術館の収蔵品にも、同じ作家の作品がありますね。
1階の展示で「日本近代絵画の流れをたどる」ことができました。表題に偽りなし。

◆ムリーリョ、ゴヤ、モネ、シャガール…ヨーロッパ美術の精華
 2階の第1室は、西洋画の展示。レクチャーで貴家さんが紹介した作品は、ムリーリョ《アレクサンドリアの聖カタリナ》、ゴヤ《アルベルト・フォラステールの肖像》、マルク・シャガール《枝》、ピエール・ボナール《ヴェルノンのセーヌ川》の4点。
《アレクサンドリアの聖カタリナ》は、ルーブル美術館の収蔵品だったことがあり、ルイ・フィリップ(1830年の七月革命後の七月王政で国王に即位するも、1848年の二月革命で退位)が収集したスペイン美術コレクションの一つだったとか。ムリーリョ(1617-1682)はスペイン・セヴィーリアで活躍し、バロック期にカトリックの教えを広める絵を描いた画家。カタリナは、ローマ皇帝の命により斬首刑を受けた四世紀初頭のキュプロスの王女。絵は殉教の場面で、右上の天使が「殉教」を、左下の剣と木の台が「斬首刑」を示すとの解説でした。《枝》は、岡田財団から寄贈を受けたもの、《ヴェルノンのセーヌ川》は、平成25年の収蔵品で本展が初公開とのこと。
1階に展示の浅井忠《小丹波村》との関係で、その先生で工部美術学校のイタリア人教師であったフォンタネージ・アントニオ《沼の落日》が展示されています。また、入館者に人気があるのはルノワール《青い服を着た若い女》のようで、「ベストワン」に推す投票用紙が何枚も掲示されていました。油彩画だけでなくエッチングの展示もあります。ウイリアム・ブレイク《ヨブ記 表紙》や、一目で「ムンクだ」と分かる《マイヤー・グレーフェ・ポートフォリオ》の5点、ルドン《ヨハネ黙示録》の表紙+12点は、版画ながらも見応えがありました。

◆重要文化財:曽我蕭白筆「旧永島家襖絵」5年ぶりの全点公開
 2階の第2、3室の展示は本展の目玉、曽我蕭白です。
 貴家さんによれば曽我蕭白は「三重県にゆかりのある作家」で、三重県には画家の作品がいくつも残っているそうです。「旧永島家襖絵」もその一つ。これは、辻惟雄氏が文献を手掛かりに探し歩いて1962年に発見したもの。蕭白が35歳の頃、二回目の伊勢地方遊歴の際、斎宮の旧家・永島家に揮毫した44面の襖絵です。三重県美は1988年に29面、1997年に残り15面を収蔵。収蔵したときは作品の傷みが激しかったため、時間をかけて修復したとのことでした。
貴家さんは、「旧永島家襖絵」のうち《竹林七賢図》(注)を解説。「七賢のうち二人が袂を分かつ場面を描いている。部屋に残った五人の表情が俗っぽいのが面白い。」とのことでした。
第2、3室には、「旧永島家襖絵」だけでなく、岡田財団から寄贈された蕭白の屏風のほか、増山雪斎、月僊の作品も展示されています。
注:【竹林の七賢】ちくりん‐の‐しちけん 
中国晋代に、俗塵(ぞくじん)を避けて竹林に集まり、清談を行った七人の隠士。阮籍(げんせき)・嵆康(けいこう)・山濤(さんとう)・向秀(しょうしゅう)・劉伶(りゅうれい)・阮咸(げんかん)・王戎(おうじゅう)をいう。日本では、近世、障屏画(しょうへいが)の主題として取り上げられた。(デジタル大辞泉の解説による)

◆最後に
 遠方ということもあり僅か11人のミニ・ツアーでしたが、貴家映子学芸員は名古屋市美術館に好意をお持ちのようで、我々協力会の会員もフレンドリーな「おもてなし」をいただきました。また、レクチャー会場の美術体験室は、いわば図画工作室、少人数のレクチャーにはぴったりの場所でした。お目当ての展覧会は、質・量ともに充実していて大いに楽しめました。帰り道は快晴で、爽やかな風が吹き、東の空は雲ひとつない濃いブルー、とても綺麗でした。「開館35年記念展Ⅱ テオ・ヤンセン展」(7/15-9/18)でもミニ・ツアーが出来ると良いですね。
Ron.

レクチャしてくださった三重県美術館の貴家(さすが)学芸員 ありがとうございました

レクチャしてくださった三重県美術館の貴家(さすが)学芸員 ありがとうございました

「物語 ベルギーの歴史 ヨーロッパの十字路」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

5月21日(日)の協力会春のツアーでは、兵庫県立美術館「ベルギー奇想の系譜」展の鑑賞を予定。ベルギーに関する参考書を探していたところ、この本に出会いました。読んでみると、知らなかったことばかりでびっくり。その一部を、ご紹介します。

■ 「はしがき」を読むだけでも、ベルギーのイメージがつかめます
「はしがき」は、わずか7ページですが、この本のエッセンスが詰まっています。
《抜粋》
(現在のベルギーについて)
EUやNATOの本部を抱える「ヨーロッパの首都」ブリュッセルを首都とする国
面積が約3万平方キロメートル。関東地方とほぼ同じ広さで、人口は1100万人強。つまり東京都の人口と同じくらいの小国。都市部の人口密度は東京並みに高いが、農村部はそれほどでもない。
 独立以来もっとも悩まされてきたのは「言語問題」。北方は、オランダ語を話す人々が暮らすフランデレン地方。南方はフランス語を話す人々が暮らすワロン地方。さらに、人口の0.5%はドイツ語を話す多言語国家である。言語の観点から見たフランデレン民族とワロン民族の人口比は6対4と言われている。独立時にはフランス語だけが公用語であったが、その後オランダ語の公用語化をめざすフランデレン運動が起こり、今はそれぞれの地域ごとに公用語が定められている。近年、フランデレンとワロンの対立は激しさを増し、この国に影を落としている。

(ベルギーの歴史について)
 西欧の中心に位置しているため、独立以前は大国が奪い合いを続けていた。
 独立は1830年で、まだ西欧では若い国である。
 ローマ帝国の支配下にあったとき、「ベルガエ人」が暮らしていた。この「ベルガエ」がベルギーの語源とされる。しかし、その後「ベルガエ」の名は西欧において、独立するまでほとんど目にすることはない。ネーデルラントやフランデレン地方と呼ばれていた。
 1830年にベルギーがオランダから独立したとき、かつてその地を統治していた隣国フランスの新聞は、このニュースを「国内事情」の欄で紹介した。
 かつての支配国オランダでは、ベルギーのオランダ語を「訛り」と馬鹿にするジョークがある。オランダからすれば「田舎者」というわけだ。
 ベルギーの国章の中央にはライオンの絵が描かれている。これは、1302年にフランスの侵略を退けた戦いに由来し、その後も侵略者ナポレオンを退けた1815年のワーテルローの戦いを記念する獅子像に引き継がれてきた。ローマ帝国のカエサルに一時は侵略を断念させた「勇敢なベルガエの人々」、第二次世界大戦のときにアドルフ・ヒトラーに徹底抗戦した「ベルギーの戦い」などを誇って、ベルギーの人々は自らの歴史を振り返るとき、しばしば「勇敢な」という表現を用いる。西欧の中心であるからこそ、そして大国に振り回されてきたからこそ、都市や地方の自治を誇り、自由を愛して、獅子のように戦った歴史がある。

■ 序章「ベルギー前史」は、まさに大国による奪い合いの歴史でした
 序章では、ローマ帝国の支配から、ゲルマン民族の侵入、フランク王国の設立・分裂、フランドル自治都市の成立、英仏百年戦争、宗教改革とオランダ独立戦争、オランダとの南部ネーデルラント(後のベルギー)の訣別、スペイン継承戦争、ハプスブルク時代のベルギー、フランス革命、ウィーン体制と、ベルギー建国までの道のりが書かれています。ただ、ベルギー史は複雑すぎて一回読んだだけではとても頭に入りません。

■ 序章の【コラム】美術 ― 画家にして外交官ルーベンス
 オランダ独立戦争後にオランダと決別した南部ネーデルラントからフランデレンを割譲しようとするオランダや、そのオランダと手を組もうとするフランデレンの諸侯に対し、南部フランデレンの統一を守るために努力したのがルーベンスだったと、序章の本文にありますが、ルーベンスについては【コラム】を設けて、詳しく書いています。

《抜粋》
ベルギーで、もっとも知られている画家はピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)だろう。ルーベンスはベルギー独立以前のドイツで生まれたが、父ヤン・ルーベンスと母マリアはアントワープ生まれ。だから「ルーベンス」はドイツ語の発音で、オランダ語では「リュベンス」となる。
 ルーベンスはオランダ独立戦争の激戦地であるアントワープでカトリック信徒になり、聖像を禁ずるプロテスタントに抵抗して宗教画を多く描いた。また人文主義教育のもとで多言語を習得した。
 彼は1600年以降、スペイン王への贈答品を渡す公使の役割を担うこともあった。イザベラの宮廷画家として迎えられ、多言語を自由に扱う能力も認められて、絵を携えて政治的な外交交渉を担うことがあった。イザベラの庇護の下で個人の工房を持つことも許され、多くの弟子が育った。もっとも著名な弟子はアンソニー・ファン・ダイク(1599-1641)である。この時期に描かれたのが、『フランダースの犬』で少年ネロが憧れた『キリスト昇架』(1610)と『キリスト降架』(1614)である。
 その後彼はパリ、さらにはスペインとネーデルラント、そしてイギリスに渡り絵を携えて和平交渉に寄与した。それが讃えられ、後にスペイン、イギリスでナイトの称号を与えられている。ベルギー(フランデレン)、アントワープの宗教的背景や地理的特徴が彼を多言語話者とし、特異な外交画家に育て上げたといえるだろう。

■ 第3章「二つの大戦と国王問題」の【コラム】 文芸
 「フランダースの犬」がベルギーであまり知られていないことは、驚きでした。
《抜粋》
 現代におけるベルギーと日本の関係は児童文学『フランダースの犬』で強くなったといってもいいだろう。イギリスの作家ウィーダ(ペンネーム)によるこの物語は、原作が1872年に刊行され、日本では1908年に最初の翻訳が出版された。
 第二次世界大戦で一時断絶した両国の関係が復活した理由として、文化的に見ると、1950年以降に童話文学として出版された同書が果たした役割も大きい。『赤毛のアン』の翻訳で知られる村岡花子(1832-1968)も戦後の翻訳に携わっている。1975年には日本でテレビアニメが放映され、舞台となったアントワープは日本人の一大観光スポットとなった。
 ただし、ベルギーでこの物語はあまり知られていない。物語で少年が死んでしまう結末は19世紀のフランデレンではさほど珍しいことではない。また「負け犬の物語」として批判されることもあった。
 文学の世界でより評価され、また日本で知られているのは、1911年にノーベル文学賞を受賞したモーリス・メーテルリンク(1862-1949)の『青い鳥』である。
 現代の文芸作品でもっとも知られているのは、エルジュによる漫画『タンタンの冒険』だろう。

■ 第4章「戦後復興期」の【コラム】 食文化
食文化は、ベルギーの豊かさ・多様性の象徴なので紹介します。
《抜粋》
 ベルギー料理に添えられるのは「フリッツ」フライドポテトである。ベルギー人の家庭にはポテトを揚げる専用の機器がある。二度揚げするのがコツらしい。このポテトフライ、マヨネーズで食べるのもベルギー風。
 もう一つ有名なものは地ビールである。数多くの種類があることで知られている。修道院で作られていたアルコール度の高い濃いビールは「トラピスト」タイプ。ベルギー人は濃いビールをムール貝とフリッツをつまみに、じっくりと楽しむ。
 スウィーツに目を転じると、チョコレートが有名だろう。ただ、その代表ともいうべきゴディバはトルコの食品会社ウルケルに買収され、子会社となっている。もちろん、工場はベルギーにあるが、グローバル化の影響といえるだろう。

■ 補足
◆ 「ベルギーのビール文化」は、世界無形文化遺産に登録されました
 この本の発行後の2016年11月30日に、エチオピアで開かれていたユネスコの会合において「ベルギーのビール文化」が世界無形文化遺産に登録されることとなりました。
 ベルギーでは、ビールの原料や製法に制限というものがほとんどないそうです。そのため、ホップ以外にコリアンダーなどのスパイス・ハーブが使われたり、大麦以外に小麦やサワーチェリーなども使われるとのことです。
 また、ベルギーでは、それぞれの種類のビールのために考えられた固有のグラスがあり、それも無形文化遺産に含まれています。

◆ 高級品の代名詞、ベルギー・チョコレート
 ベルギー発祥のチョコレートはバレンタインデーでお馴染みの「プラリネ」と呼ばれる高級な一口チョコ。ガナッシュ(チョコレートに生クリームやバター、リキュール、ピューレ等を混ぜて柔らかくしたもの)を丸めて製菓用の高級チョコレートでコーティングしたものです。
なお、GODIVA(ゴディバ)のマークになっているLady Godiva(レディー ゴダイヴァ)は、11世紀の英国コベントリーを舞台にしたお話です。詳しくはGODIVAのホームページをご覧ください。

◆ ベルギーのスイーツには、ベルギー・ワッフルもあります
 日本では、ベルギー・チョコレートだけでなく、ベルギー・ワッフルにも人気がありますね。ネットを検索していたら、「ベルギー奇想の系譜」展の開催期間中、兵庫県立美術館の「ラ ピエール ミュゼ」では、焼き立てのワッフルとコーヒーのセットを1,000円で提供しているそうです。なお、ベルギー・ワッフルには四角形のブリュッセル風のものと丸型のリエージュ風のものがあります。日本でよく見かけるのはリエージュ風のものですが、セットで出て来るのは、どちらのタイプでしょうか?
Ron.

VOCA展ギャラリ-トークを聞いて

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 花見には少々早い上野公園で「VOCA展 現代美術の展望-新しい平面の作家たち」を見た。過去のVOCA展では、名古屋市美のポジション展にも出品していた大崎のぶゆき氏、坂本夏子氏、あいちトリエンナーレ2016にも出品していた佐藤翠氏、久門剛史氏も出品、受賞している。きっとおもしろい作品が見られるだろうと楽しみにしていた。
 移動中の電車内でVOCA展のチラシを読み直していると、その日の夕方から今回の受賞者3名によるギャラリートーク(以下、トーク)が行われることに気がついた。直前のスケジュールを早めに切り上げれば間に合いそうだったので、聞いてみることにした。

 トークの開始時刻に少し遅れて展示室に入ると、若い観客でずいぶん混雑していた。(名古屋市美のレンブラント展のトークも大混雑だったが、それよりも大変だったかも?)人垣越しにトークを聞こうとするが、マイクの調子が悪いようで、よく聞こえない。そんなこんなで、1人目、2人目とトークが進むうちに徐々に観客も減り、3人目の作品がある2階に着く頃には、半分以下になって、ようやく作家の姿を見てトークを聞けるようになった。

 3人のトークを聞き終り、もう一度全体の展示を眺めてみて「氷山みたいな作品が多い」と感じた。実験的な要素を含む作品が多く、目に見える色、形、構成などの要素よりも、目に見えない制作の動機や試行錯誤の痕跡を意識させるものが多かったので、そう思った。
 例えば、白地のキャンバスに透明なアクリル板を張り付けた作品(青木恵美子氏)の前に立つと、自分の姿や背景も映りこむわけで、映りこんだイメージも含めて作品なのか?という疑問がわき、イメージが描かれていたキャンバスをはがしたかのように枠だけを展示した作品(川角岳大氏)の前では、これは完成した作品なのか?という疑問がわく。

 展示室を後にしても、オリジナルなものだけが作品か?目に見えなくても作品か?作品とそうでない物の境界は?・・・。さまざまな疑問が湧き上がる。どうやら今回の展覧会は、自分にとって刺激が多すぎたようだ。名古屋市美の現代美術展のトークなら、もう少しすっきりした気持ちで帰路に着けるのだが。

杉山 博之

「往来往来」を見て(清澄白河)

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 「MOTサテライト 2017春 往来往来 -by the deep rivers」を見てきた。
改修のため休館中の東京都現代美術館(以下、都現美)が、「清澄白河のまちのあちこちであれこれ展開します!」と銘打ち、美術館の地元、清澄白河を舞台に、まちなかで作品展示するという企画だった。例えるなら、あいちトリエンナーレの長者町、岡崎、豊橋の各会場のようなものだろうか。

MOTサテライト 目印はこれ!

MOTサテライト 目印はこれ!


 都現美の休館以来、清澄白河に来るのは久しぶり。展覧会チラシの裏側の地図を見ながら、初めて歩く路地でキョロキョロしていると、交差点の向こうにピンクが目立つ目印の垂れ幕が見えた。入ってみると、ちょうど地元の方と作家が公開トークをしているところだった。スタッフによれば、この建物は以前は印刷所だったそうで、確かに油のようなにおいがした。しばらくトークを聞いた後で、そこでもらった詳細地図を見ながら他の展示場所までの道順と所要時間を聞き、とりあえず遠い方から回ることにした。地図を見て感じたよりも、会場間の距離は近いようで、2時間ほどで一回りできた。

 おもしろかったのは、カフェの2階の展示室。2階に上がる階段の幅は狭く、入口のドアも割と小さめ。それなのに、展示室には縦2m、横3m超の大作が並んでいた。道路に面した窓も作品の幅より狭く、どうやって搬入したのか?。スタッフによれば「枠をバラして、室内で組み立てたわけではない」そうだ。
次におもしろかったのが、10面ほどのスクリーンにリアルタイムで清澄白河の商店街の映像を映していた作品。あるモニターには、中華料理店の厨房内で中華鍋を振るコックさんと大量のお皿が映し出されており、文具店の軒先と思われる映像には、自転車の親子連れや、乳母車のお年寄りがひっきりなしに行きかう様が映し出されていた。とてものどかな雰囲気。

MOTサテライト 迷ったらここへ戻る

MOTサテライト 迷ったらここへ戻る


 最後の展示場所で、スタッフと話していると、「MOTサテライトは今回がはじめての試みであること」、「多くのボランティアが参加していること」、「近隣に新しいギャラリーが増えていること」、「これからも企画を継続していくこと」などを教えてくれた。
 都現美のリニューアルも待ち遠しいが、今回のサテライト企画で、普段なら通り過ぎるだけの界隈をぶらぶら散歩できたのは、とても楽しい経験だった。

杉山 博之