読書ノート「芸術新潮」2021年4月号 2021年美術展特集号

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

ようやく「芸術新潮」の美術展特集号が発売になりました。「これだけは見ておきたい2021年美術展ベスト25」始め6つの特集があり、全104展の情報が載っています。その中から、名古屋周辺で開催される美術展を、特集別・会期順に並べてみました。

◆これだけは見ておきたい2021年美術展ベスト25

○渡辺省亭 ―欧米を魅了した花鳥画― 岡崎市美術博物館 5月9日~ 7月11日

○生誕160年記念 グランマ・モーゼス展 素敵な100年人生 名古屋市美術館    7月10日~9月5日

○生誕150年記念 モンドリアン展 純粋な絵画を求めて 豊田市美術館 7月10日~9月20日

○曾我蕭白 奇想ここに極まれり 愛知県美術館 10月8日~ 11月21日

○ゴッホ展――響きあう魂 ヘレーネとフィンセント 名古屋市美術館 2022年2月23日~4月10日

◆新会期決定 帰ってきた2020的Exhibition

○バンクシーって誰?展 名古屋にも巡回予定

注:金山で開催している「バンクシー展 天才か反逆者か」(2月3日~5月11日)とは別の展覧会です

◆2021年、これだけは見ておきたい美術展 番外編1 災害を見つめるアート

名古屋周辺では、該当する美術展の開催はありません

◆2021年、これだけは見ておきたい美術展 番外編2 今年は貴重な海外現代作家展

○ボイス+パレルモ 豊田市美術館 4月3日~6月20日

○ミケル・バルセロ展 三重県立美術館 8月14日~10月24日

○ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術 愛知県美術館 2022年1月22日~3月13日

◆2021年、これだけは見ておきたい美術展 番外編3 イラスト、絵本、マンガ展続々

○サンリオ展 ニッポンのカワイイ文化60年史  松坂屋美術館 4月24日~6月12日

○没後20年 まるごと馬場のぼる展 描いた つくった 楽しんだ ニャゴ! 刈谷市美術館に巡回予定

◆もっと見たい! 2021年美術展50 気になる展覧会を PICK UP!

○GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?  愛知県美術館        1月15日~4月11日

○ランス美術館コレクション 風景画のはじまり コローから印象派へ  名古屋市美術館 4月10日~6月6日

○ミレーから印象派への流れ 岐阜県博物館  9月5日~11月14日

○フランソワ・ポンポン展 動物を愛した彫刻家 名古屋市美術館  9月18日~6月6日

○生誕120年記念 荻須高徳展 ―私のパリ、パリの私- 稲沢市荻須記念美術館 10月23日~12月19日

○杉浦非水 時代をひらくデザイン 三重県立美術館  11月23日~2022年1月30日

○大雅と蕪村 ―文人画の大成者 名古屋市博物館  12月4日~2022年1月30日

◆補足

「美術の窓」2021年1月号、「日経トレンディ」2021年1月号では以下の展覧会も紹介していましたが、これが全てではありません。名古屋周辺では、今年も数多くの美術展が開催されるようなので、楽しみです。

○海を渡った古伊万里 ~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇~ 愛知県陶磁美術館 4月10日~6月13日

○若冲と京の美術 -京都 細見コレクションの精華- 三重県立美術館     4月10日~5月23日

○特別展 刻(とき)を描く 田渕俊夫 徳川美術館 4月18日~5月30日

○所蔵企画展 田渕俊夫と日本画の世界 美をつなぐ 

メナード美術館  前期 4月18日~5月30日、後期 6月2日~7月11日

○トライアローグ 横浜美術館・愛知県美術館・富山県美術館  20世紀西洋美術コレクション 愛知県美術館 4月23日~6月27日

Ron.

読書ノート 「フリーダ・カーロのざわめき」 とんぼの本(新潮社)

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映画「フリーダ・カーロに魅せられて」を見て、もっとフリーダ・カーロ(以下「フリーダ」)のことを知りたいと思い、近所の図書館で借りてきたのがこの本です。内容は、「芸術新潮」2003年9月号特集「フリーダ・カーロのざわめき」を再編集・増補したもので、著者は森村泰昌・藤森照信・芸術新潮編集部。発行所は株式会社新潮社、発行は2007年9月20日、定価は1,500円(税別)でした。

◆フリーダの評価について

冒頭の「フリーダは人生も面白いけど、絵がおもしろい!」と第1章は、森村泰昌が執筆。「フリーダは人生も面白いけど、絵がおもしろい!」には、こんな文があります。(以下、P.○は本のページを示す)

p.6 僕がフリーダ・カーロに扮して原美術館で展覧会をやったのは2001年。(略)今度はちょっとマイナーな人を選んだんですねって言う人もいました。でも、フリーダ・カーロって、メキシコではものすごく有名なんですよ。(略)映画「フリーダ」が公開されてだいぶん話題になりましたが、日本でもきちんとこの画家のことを評価すべきだと、当時は考えていたものです。ただしそれは、フリーダ・カーロの人生が凄かったからではなくて、彼女の絵がおもしろいから。そこが一番重要なところです。(略)常識を突き抜ける。彼女にはそういうところがあるんです。(引用終り)

2003年には「フリーダ・カーロとその時代」展が名古屋市美術館に巡回し、その生涯を描いた映画「フリーダ」も公開されました。しかし当時、フリーダについての知識は皆無。展覧会も映画も評判は聞いたものの、どちらも見ていません。現在は、映画「フリーダ・カーロに魅せられて」が上映されるなど、当時と比べてフリーダの評価は高まっていると思います。「あの時、見ておけばよかった」と悔やまれるばかりです。

◆フリーダの作品について

フリーダの作品については、以下のように書いています。

p.7~8 画集で見るだけではわかりにくいんですが、フリーダ・カーロの絵は、実はあれっと思うくらいサイズが小さい。ずっと体調の悪い人でしたから、大きな絵は物理的に描けなかった。テクニック的なことを言うと、決してうまくはない。ただ、ものすごく丁寧な画家です。 (略)絵の中でいろんな要素が喧嘩したまま混ざり合っている。そうした状態が醸しだす独特の風合いが、彼女の絵の特徴です。(引用終り)

第1章には、こんな文もあります。

p.55~56 フリーダ・カーロは、本当は絵画によって社会的発言をしたくてしょうがない人だった。(略)彼女がディエゴ・リベラに憧れた最大の理由は、「私もあんなんやってみたい」だと思うんですよ。彼は当時のメキシコにおける社会主義革命のリーダーでしたからね。知識人の間ではヒーローです。壁画によって民衆を動かしたディエゴの影響力は絶大だった。でも、幸か不幸かフリーダは体が自由ではなかったから、やりたいと思っても巨大な壁画なんか描けない。アトリエにこもって小さな絵を描くしかなかったんですよ。(引用終り)

 著者が「幸か不幸か」と書いたように、巨大な壁画は諦めてアトリエにこもり、フリーダ自身の気持ちを一心に表現したので、逆に今、彼女の作品が見る者の心に響くのだと思います。

◆フリーダ歴代恋人列伝(執筆は、芸術新潮編集部)

映画「フリーダ・カーロに魅せられて」では「ディエゴ・リベラの不倫が発覚し、フリーダは酒と恋人に助けを求めた」とナレーションがありましたが、この本のp.98~103では、初恋の人からディエゴまで5人の恋人を紹介しています。なかでもディエゴについては「愛し合っているからこそ傷つけあってボロボロになる。それでも離れられない。そんな二人だった。だからこそ、一度は別れながら、2度目の結婚をしたのだ」と書いています。まさに「愛憎がごっちゃになった、でも運命的なパートナー」(p.49)だったのです。

◆名古屋市美術館の所蔵品も紹介

この本には多数の図版が掲載され、その中には名古屋市美術館が所蔵する《死の仮面を被った少女》(1938)と《オブジェによる自画像》(フリーダが1946年当時恋仲だった画家バルトーリに送った品々を名古屋市美術館で再構成したもの)もあります。「名古屋市美術館はメキシコに強い」と再認識しました。

◆最後に

蔵書にしようと思いAmazonで検索したら、全て中古本でした。2007年発行なので仕方ないですね。でも、近所の図書館に行けば借りることができると思います。

Ron. 投稿:2021年3月8日

映画『フリーダ・カーロに魅せられて』

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現在、ミッドランドシネマ2で、大画面で美術を体験するドキュメンタリー「アート・オン・スクリーン」の一作「フリーダ・カーロに魅せられて」が上映されています。原題は ”FRIDA KAHLO”、「アート・オン・スクリーン」は英語表記で ”EXHIBITIN ON SCREEN”。文字通り、フリーダ・カーロ(以下「フリーダ」)の生涯をたどりながら、彼女の代表作や写真などを紹介する「展覧会」でした。

最初の油絵は、交通事故の療養中に描いた《ベルベットドレスの自画像》(1926)

フリーダが誕生したのは1907年7月6日。父はドイツから移住した写真家で、母はスペイン人とインディオの混血です。彼女の生活を一変させたのは1925年9月17日に遭遇した交通事故。乗っていたバスが路面電車と衝突し、大怪我をします。その療養中、彼女は独学で絵の才能を開花。恋人のために、ベッドの天蓋に鏡を取り付けて描いたのが《ベルベットドレスの自画像》(1926)です。映画では「ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》と重ねている」との解説がありました。この時から、彼女が描く眉は左右が繋がっていましたね。

ディエゴ・リベラと結婚、デトロイトで流産《ヘンリー・フォード病院》(1932)を描く

交通事故の後、フリーダは画家のディエゴ・リベラ(以下「ディエゴ」)と知り合い、1929年に結婚します。1930年、ディエゴは壁画を制作するためにサンフランシスコへ渡り、この頃描かれたのが《フリーダとディエゴ・リベラ》(1931)です。この絵で彼女が着ているのはメキシコの民族衣装「テワナ」です。彼女はサンフランシスコでメキシコ文明に回帰し、メキシコ南部オアハカ州テワンテペクの女性の民族衣装「テワナ」を身に着けるようになりました。また、映画では「フリーダの母親が二人のことを、象と鳩の結婚と言った」と紹介しています。

1932年、ディエゴはフォードの工場に壁画を描くためデトロイトに行きますが、この時、フリーダは妊娠2か月で流産してしまいます。この流産を描いたのが《ヘンリー・フォード病院》(1932)です。背景はフォードの工場。血に染まったベッドに横たわる裸婦は涙を流し、その体からは血管のような6本の赤い糸が出て、胎児や骨盤、子宮の解剖図、ランの花、カタツムリ、機械と結ばれています。この作品について映画は「彼女は、大衆の芸術であるメキシコの奉納画・レタブロの様式を参考にして描いた」と解説していました。レタブロは神様にお願いする文章と絵を組み合わせたもので、フリーダはレタブロをたくさん収集していたそうです。

ディエゴがフリーダの妹と不倫、《ちょっとした刺し傷》(1935)を描く

二人がメキシコに帰国後、女癖の悪いディエゴはフリーダの実の妹と不倫してしまいます。これに怒ったフリーダは、ディエゴと別居。全身をめった刺しにされ、血まみれでベッドに横たわる裸婦と、その横でナイフを手に持って立つ男を描いた《ちょっとした刺し傷》(1935)は、この時の心の傷を描いています。新聞で報道された殺人事件をもとに制作した作品で、犯人の「ほんのちょっと刺しただけです」という証言が題名の由来とのこと。映画は「ディエゴと別居したフリーダは、酒と恋人に助けを求めた。1937年にはソ連を追放されたトロツキーを匿い、一時的に恋人関係になった」と解説しています。

シュルレアリスムとの関係

1938年4月、メキシコを訪れたシュルレアリストのアンドレ・ブルトンはフリーダの絵に魅了されます。映画では、バスタブの中に両足の指や火山の火口からそびえる摩天楼、裸婦などが描かれた《水がくれたもの》(1938)が映され、「私はシュルレアリストではない」という、フリーダの言葉が紹介されました。シュルレアリスムは夢や幻覚を描いていますが、フリーダが描いたものは夢ではなくて「記憶」。彼女の作品には、描いたものの組み合わせによって、奇妙な状況が生まれています。しかし、彼女は現実とかけ離れたものではなく、「現実」を描いています。映画ではフリーダの作品を「幻想的写実画」と表現していました。

海外での個展成功、ディエゴとの離婚、そして再婚

1938年、ニューヨークで開催されたフリーダの個展は成功。翌年、パリでも個展を開催し、カンデインスキー、ピカソ、タンギーなどが来場。ルーブル美術館も彼女の作品を買い上げました。この頃のフリーダを撮影したカラー写真が「フリーダ・カーロに魅せられて」のチラシに使われています。撮影したのはニコラス・ムライ(Nickolas Muray)。二人は一緒に暮らしていましたが、フリーダがメキシコで生活するために二人は別れます。一方、フリーダとディエゴとの関係も最悪になり、1939年11月6日に二人は離婚。メキシコで開催された「シュルレアリスム展」に出品された《二人のフリーダ》(1939)は向って右にディエゴが愛したテワナを着たフリーダ、左に愛を失ったヨーロッパ風の衣装のフリーダを描いています。「背景の空はエル・グレコの絵に似ている」と映画は解説していました。《断髪の自画像》(1940)は、ディエゴから好まれた長い髪を切り、中性的な、自立した姿を描いた作品です。

映画では「私は人生で二つの事故に会いました。一つは交通事故、もう一つはディエゴとの結婚。なかでも最悪なのは、結婚」という言葉を紹介しています。ディエゴとの離婚以来、フリーダの病状は悪化。その治療には心の支えが要ることから、1940年12月、二人は再婚します。

晩年のフリーダ

ひび割れた背骨の《折れた柱》(1944)は、痛みに立ち向かう自分の気持ちを描いた作品で、背骨はイオニア式の柱。映画は「ベッドに寝たまま描いていた」と解説していました。《宇宙の愛の抱擁、大地(メキシコ)、自分、セニョール・ショロトル》(1949)の主題はディエゴへの愛。赤ん坊のようなディエゴを抱くフリーダ、それを更に大地の女神が抱き、女神の手の中では死の使いとされるショロトル犬も寝ている、という絵です。

1950年は、大半を病院で過ごし、痛み止めにモルヒネを投与します。1953年4月にはメキシコ国内で初の個展を開催。ベッドから動けない状態でしたが、ギャラリーにはベッドで寝たまま出席。1953年8月には壊死した右足を切断。彼女は1954年7月13日に逝去しますが、死の8日前に完成させたのが、スイカを描いた《人生万歳:Viva la vida》(1954)。生命力を感じさせる作品です。

最後に

映画では、上記で紹介した以外にも多数の作品が紹介されます。また、ニコラス・ムライだけでなく、フリーダの父親が撮影した写真や友人のアルバレス・ブラボが撮影した写真も出てきます。料金は2000円で割引は一切ありませんが、大画面でトークを聴きながらフリーダの作品を鑑賞できるので、一見の価値はあると思いますよ。

Ron.