2017年 秋のツアー北陸

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor
富山県立美術館にて

富山県立美術館にて

9月23日(土)から24日(日)まで、名古屋市美術館協力会の秋のツアーに参加しました。参加者は30名。今回の目的地は、2013年(北陸新幹線開業前)のツアーと同じ富山・金沢。見学先は、富山県美術館(ただし、今回は移転後の建物)、石川県立美術館、金沢21世紀美術館が前回と同じものの、發電所美術館と毛利武士郎(もうりぶしろう)記念美術館は前回と異なります。
◆車両事故による大渋滞に遭遇するも、昼食後には10分遅れまで回復
秋の行楽シーズンとあって、名古屋駅はエスカ地下街の通路、太閤通り口の噴水前広場のいずれもツアー客ですし詰め。集合時刻には参加者全員が集まり、名古屋市美術館の橘総務課長に見送られて、観光バスは名古屋駅を8時頃出発。バスガイドさんの「土曜日が秋分の日なので、普段の土・日よりも人出が多く、渋滞でバスが遅れるかもしれません。」というアナウンスを聞いていたら、いきなり大渋滞に遭遇。「運が悪い」と嘆いていたところ、運転手さんは「一宮ICから一般道路に下り、一宮ICから高速道路へ入り直す」という奇策を取り、IC出口からIC入口までの渋滞を回避。高速道路通行料は増えましたが、時間のロスを縮めるほうが大事ですよね。

魚津にて昼食

魚津にて昼食

一宮ICを入ると間もなく事故現場を通過。休憩した長良川SAでは「7時55分頃に車2台による衝突事故」との放送が流れていました。事故現場を通り過ぎた後、バスは順調に走行。昼食会場の魚津港・海の駅「蜃気楼」に到着したのは、当初予定よりも27分遅れの12時27分。食事時間を切り詰めて、予定から10分遅れの12時50分には發電所美術館に向け出発できました。

◆下山芸術の森 發発電所美術館 (Nizayama Forest Art Museum) =富山県入善町
ツアー1番目の見学先は「NEW・BALANCE TETSUYA NAKAMURA SOLO EXHIBITION」。学芸員さんによれば、題名は「世界の新しいバランス」という意味。作家の中村哲也氏は、東京藝術大学漆芸科出身。ただし、今回出品作の塗装に漆は使っていないとのことです。

発電所美術館内

発電所美術館内

發電所美術館は北陸電力株式会社から譲り受けた「旧黒部川第二発電所」を改装した美術館。天井高約10メートルの展示室に、「独立した形体」というロボットの外、大砲の玉・爆弾で出来た(という想定の)「師範アルファ」から「師範デルタ」まで5体のロボットと「危」と書いた「危険サイン」、1メートル四方のサイコロ型ロボット「ヒーローズ」5体(ピンク、ブルー、レッド、イエロー、グリーン)、蝶の羽を貼った「タイタニック」が、2階(ロフト?)にはスーパーカー、超長大なリムジン、金色のカメの剥製が展示されていました。

アクション・ムーヴィーに出てきそうです

アクション・ムーヴィーに出てきそうです

学芸員さんによれば、「師範」は、爆弾の爆発力を使わないよう自制している姿。「ヒーローズ」は「戦隊シリーズ」のヒーローたちの40年後、50年後の古びて、すり切れた状態をイメージした姿で、サイコロ型に折り畳まれた状態で展示している、とのことでした。
なお、2階に展示の自動車は、シャープな形態だけでなく、塗装が見事でした。自動車用塗料を使っているとのことですが、「フランケン」の鮮やかな赤、黒、ガンメタルや、「レプリカカスタム」の玉虫色には「さすが、漆芸科」と感心しました。展望塔の眺望も素晴らしかったです。

◆毛利武士郎記念館 =富山県黒部市
ツアー1日目、2番目の見学先は保崎係長の提案で、「シーラカンス毛利武士郎記念館」。緩やかな山道を登ると、アトリエらしき建物。周囲は田んぼで、美術館があるとは想像できません。造形作家の柳原幸子さんが出てきて、我々を美術館に招き入れて下さいました。

中はこんな感じです

中はこんな感じです

保崎係長によれば、毛利武士郎(1923-2004)は1950年代、活発に抽象彫刻を発表した作家で、「シーラカンス」は1953年に第5回読売アンデパンダン展に出品した代表作の題名(現在、東京都現代美術館が所蔵)。高く評価されていたが1960年代から新作の発表を絶った後、1983年開催の富山県立近代美術館「現代日本美術の展望―立体造形」展に出品したレリーフ状の新作《哭Mr.阿の誕生》によって再び脚光を浴びた。当時の展覧会を担当した学芸員は、現在、独立行政法人国立美術館理事長の柳原正樹氏。毛利氏と柳原氏の交流はその後も続き、1992年に毛利氏は東京から富山県黒部市へアトリエ兼住居を移転。移住後に、金属の塊をコンピュータと連動した工作機械で加工した新作を発表するようになる。毛利武士郎記念館は毛利氏死去10年後の2014年に、柳原氏が毛利氏の遺志に従ってポケットマネーでアトリエ・工作機械室を改装した美術館。柳原幸子さんは柳原氏の奥様、とのことでした。(毛利武士郎記念館のパンフレットで一部補足)

美術館には《哭Mr.阿の誕生》を始めとする毛利氏の作品が展示されていました。柳原幸子さんは「毛利氏は新作の発表を絶っていた期間、作家仲間の向井良吉が社長を務める、京都のマネキン制作会社「七彩」の東京支社を任されていた。《哭Mr.阿の誕生》には、マネキンの型取りに使っていたアルギン酸(海藻を原料にした糊)を使用。また、工作機械で加工した新作は、金属の表面と内部を削った後、内部の空間に金属を埋めるという凝った作り方をしているが、2つのパーツに分かれている《絶作》(2004年)は、合体して金属を埋めるという工程前の未完成品なので、内部が埋まっておらず、その構造がよくわかります。」と、話されました。
◆富山県美術館の概要
ツアー1日目、最後の見学先は、富山県美術館。富山県立近代美術館の収蔵品を引き継ぎ、本年8月27日にリニューアル・オープンしたばかりです。屋上には大勢の人影が見えました。

屋上オノマトペ

屋上オノマトペ

富山県美術館の丸山学芸員に案内されて2階へ上がり、天井高11メートルの吹き抜けのホワイエで、レクチャーを聞きました。丸山学芸員によれば、美術館の建物は地上3階建。屋上はグラフィックデザイナーの佐藤卓さんがデザインした遊具で遊べる「オノマトペの屋上」(入場無料で、開館時間8:00~22:00)。どのフロアからも立山連峰が見えること、地元産の素材(窓枠の装飾に三協アルミのアルミニウム、廊下の壁に氷見の里山杉)を多用していることが特色。2階の展示室1は、常設展。展示室2~4は、開館記念の「LIFE」展。屋外広場には彫刻家・三沢敦彦氏のクマ(ブロンズ・ウレタン塗装)を展示(写真撮影可)。ただし、木彫のクマは屋内。3階の展示室5は、ポスターと椅子を中心としたデザインコレクション。展示室6は、富山県出身の美術評論家・瀧口修造と世界的なバイオリニスト・ゴールトベルクのコレクションを展示。ホワイエから見える池の周辺は富岩運河の船溜まりを再整備した富岩運河環水公園(ふがんうんがかんすいこうえん)。池の畔にはフランス料理店「ラ・シャンス」がある、とのことでした。
また、バスの中で聞いた保崎係長の話では、開館記念展は「ご祝儀」の展覧会で、日本国中の美術館から名品が集まっており、常設展も充実しているので、2時間あっても見学時間が足らないと思います。見たいものを絞って見学してください。また、瀧口修造はシュールレアリズムを日本に紹介した重要な評論家、とのことでした。
◆開館記念展、コレクション展、屋上広場など
保崎係長の言葉どおり、開館記念の「LIFE」展は、まさに「ご祝儀」の展覧会でした。日本国中の美術館の名品が、「これでもか」と言うほど集結しています。今まで他館の展覧会に貸し出して来た恩を、今回返してもらったということでしょうか。「ご祝儀」のなかでも、デユ―ラー《騎士と死と悪魔》、クリムト《人生は戦いなり》は、特別待遇。美術館の白い壁に黒い台座を貼った上に額を取り付けており、とても目立ちました。富山県美術館のコレクションも多数展示。
本来なら2つの展示室を使うコレクション展は、開館記念展にコレクションを出品しているため1室に縮小。それでも、ピカソ《肘かけ椅子の女》、シャガール《山羊を抱く男》アンディ・ウォーホル《マリリン》、ジョージ・シーガル《戸口によりかかる娘》などは常設展に残しています。なかでも、藤田嗣治《二人の裸婦》は、隣に寄付した会社・個人の名前が掲示され、作品の前にはA5版の解説が積まれていました。
3階の展示室5には、平場だけでなく壁に設置した3段の棚にも椅子が置かれていました。ポスターは壁でなく天井から吊るした透明なパネルの中に収められ、宙に浮いているような展示です。また、展示室6の瀧口修造コレクションは真っ暗な部屋。壁に設置された4段の棚に収められたコレクションだけに光が当たっており、とてもおしゃれな展示でした。
見学時間が残りわずかとなりましたが、屋上に上がると大勢の家族連れと若い男女が遊んでいました。広場の西側に行くと、足元に「いたち川」の細い流れ、その向こうに「神通川」の雄大な流れ、目を上げると正面に加賀藩と富山藩の境、「呉羽山」が見えます。1階まで下りて芝生に出たら、コウモリが飛んでいました。川辺なので、餌になる虫が飛んでいたのでしょうね。
◆石川県立美術館

ツアー2日目、午前中の見学先は石川県立美術館。保崎係長はバスの中の事前説明で、企画展「燦(きら)めきの日本画 石崎光瑤と京都の画家たち」について、「石崎光瑤(いしざきこうよう)は、花鳥画尾を得意とする作家で、画力があり技術も高いが、戦後は忘れられた作家となっている。現在、石崎光瑤のような『主流ではない、もう一つの美術史の流れ』に光を当てようという動きがある。この企画展は注目したい。」と話していました。
石川県立美術館の前田学芸員からは「上村松篁は17歳の時に見た、石崎光瑤《燦雨》(さんう)(1919)に憧れて画家を目指した。石崎光瑤と同じテーマの絵を描くためインドに取材し、約50年後に同じ題名の《燦雨》(1972)を発表。なお、石崎光瑤は現在の富山県南砺市福光の出身で、17歳のとき金沢市に出て江戸琳派の流れを汲む山本光一に学んだ後、19歳で京都の竹内栖鳳に師事した画家。」との解説がありました。また、常設展の見どころは国宝《色絵雉香炉》と重要文化財《雌雉香炉》で、「現在の石川県立美術館を建設する際、寄贈を受けた《色絵雉香炉》の展示室を設けることが条件になっていた。また、雄だけでは可哀そうだということから東京の水野富士子さんから《雌雉香炉》の寄贈があり、300年ぶりの雌雄対面となった。」との説明がありました。
「燦めきの日本画」では、上村松園《花》に惹かれて展示室7に入り、右へ右へと展示を見たのですが、何か変。展示室入口の戻り、順路を逆に見ていたと気付きました。順路に従い、山本光一《時代江屏風》から順に見て、流れがつかめました。
展示室8の土田麦僊《髪》、村上華岳《二月の頃》は、いずれも京都市立絵画専門学校の卒業制作ですが、若い時から上手いですね。竹内栖鳳は百匹の雀と洋犬・仔犬を描いた《百騒一睡》、船の舳先に烏が止まっている《春雪》、水墨画の《水村》の3点が展示されていました。石崎光瑤《燦雨》は展示室8で、上村松篁《燦雨》は展示室9だったので、何度も行ったり来たりしました。二つの作品、同じテーマですが、見た印象は全く違います。何故か解りませんが、石崎光瑤は煌(きら)びやかで、上村松篁はさっぱりしていました。
常設展では、「前田家の名宝」の岸駒《松下飲虎図》と「北陸ゆかりの画聖Ⅱ」の岸駒《虎図》と《兎福寿草図》、久隅守景《四季耕作図》が印象的でした。また、鴨居玲の展示室の奥に郷土の作家の風景画が展示されており、一瞬、「鴨居玲の風景画?」と思ってしまいました。
◆金沢21世紀美術館 館長さんからのレクチャー

金沢21世紀美術館

金沢21世紀美術館

ツアー最後の見学先は金沢21世紀美術館。レクチャーホールで待っていると登場したのは、何と、島敦彦館長。自己紹介によれば、ご本人は富山県出身で富山県立近代美術館に勤務後、国立国際美術館に長く務め、2015年4月から2017年3月末まで愛知県美術館館長、同年4月に金沢21世紀美術館に就任されたとのことでした。3月まで名古屋市にお住まいだったこともあり、終始フレンドリーな雰囲気でお話をされました。

レクチャーは、金沢21世紀美術館の目指すものは「新たな文化の創造」と「新たなまちの賑わいの創出」という話から始まりました。「新たなまちの賑わいの創出」という美術館としては珍しい目的が掲げられた理由は、美術館が金沢大学附属小学校・中学校の跡地に建っていることにある。付属小学校・中学校だけでなく金沢大学も移転することから、美術館には大学移転による賑わいのロスを挽回することが求められていた、とのことのでした。
現代美術の美術館という構想を立てたのは初代館長の長谷川裕子氏(前任は水戸芸術館)で、レアンドロ・エルリッヒ《スイミング・プール》は建物の建設と並行して作品の構想・整備を行うという離れ業で完成させたとのことです。
金沢21世紀美術館の入場者数について、当初目標は年間30万人でしたが、開館10年後の2014年には年間150万人を超え、昨年度は年間250万人を突破。入場者の増はうれしい反面、チケットを買うために長蛇の列ができる(入場者の4分の1から5分の1が有料入場者)こと、入場者の靴についた細かい砂が《スイミング・プール》に落ちて、透明アクリル板に細かいキズが付くことなど、悩みもあるそうです。
◆金沢21世紀美術館 企画展・コレクション展など

金沢21世紀美術館ではいくつもの企画展・コレクション展が並行して開催されており、一番賑わっていたのは「ヨーガン・レール 文明の終わり」でした。島館長によれば、ヨーガン・レールは4年前、事故で亡くなった作家で、晩年は石垣島に暮らしていた。作品は浜辺に打ち寄せられた廃品のプラスチックから作った美しい照明。死因は、廃品を採集するため浜辺に向かう途中で起こした自動車事故とのこと。「文明の終わり」のうち展示室13は、鏡代わりのステンレス板が壁に貼られた薄暗い部屋で、薄暮のランタン・フェスティバルという風情。「インスタ映え」する展示なので、若い男女がひしめき合い、誰もが自撮りに夢中でした。また、展示室5に展示の、表面に縞模様のある瑪瑙(めのう)の小石にも目を惹かれました。
「日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念展」では、針金で作った照明器具に紙袋を被せただけの、イサム・ノグチ《あかり 1P》や二つの「曲げわっぱ」で布を挟んだ《パン籠》が印象に残りました。このパン籠なら、焼き立てのトーストが湿ることはないでしょう。
この外、コレクション展「死なない命」や無料エリア「長期インスタレーションルーム」で開催されていた「アペルト07 川越ゆりえ 弱虫標本」などを楽しみました。金沢21世紀美術館は「小さなテーマパーク」でしたね。
◆帰路、渋滞の影響は僅か
2013年の北陸ツアーでは、車両事故による北陸自動車道通行止めというアクシデントに遭遇して、予定から1時間半遅れの午後8時半に名古屋到着したので、「ひょっとして今回も」と恐れていましたが渋滞の影響は僅か。名古屋駅到着は予定から10分遅れの午後7時10分でした。
企画の松本さま、ツアー・コンダクターの小山さま、運転手さま、バスガイドさま、ありがとうございました。また、ツアー参加者のみなさま、おつかれさまでした。       Ron.

「歴史と文化の街 ランスの魅力」ランス美術館展出張講演会2017.8.22(水)14:00~15:35 名古屋市博物館講堂

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市美術館協力会の中村さんからのメールで「ランス美術館展 出張講演会」が開催されることを知り、「ゴジラ展」の入場者で賑わう名古屋市博物館まで足を運びました。
平日の開催にも関わらず、開場時刻の13:30よりも前から大勢の人が集まっており、講演会開始時の空席は僅か。隣の席から、「あんたが誘ってくれてよかったわ。講演会の話、どこで知ったの。」「『広報なごや』に載っとったがね。」「へー、私も読んだけど、ぜんぜん気が付かなんだわ。」という会話が聞こえてきます。この人も私と同じように、口コミで講演会の開催を知ったのですね。

◆ランス市、空からの眺め
講師は名古屋市美術館学芸係長の保崎裕徳さん(以下「保崎さん」)。ランス市制作の、空から撮影した市街地の動画で講演が始まりました。保崎さんによれば、ランス市公式ウェブサイトにある動画とのこと。
家に帰って、http://www.reims.fr/1150/reims-vue-du-ciel.htm とパソコンに打ち込んだら、講演会で見たときと同じ、大聖堂や市電、競技場、公園など2分14秒の動画を見ることが出来ました。ランス市は緑豊かで魅力的な街です。
◆ランス市の歴史と魅力
講演の前半は、ランス市にある三つの世界遺産「ノートル・ダム大聖堂」「トー宮殿」「サン・レミ聖堂」や、シャンパーニュ(=シャンパン)の名産地であることなど、ランス市の歴史と魅力の話でした。歴代25人のフランス国王がランス大聖堂で戴冠式を行った話、第一次世界大戦でランス市の80%がドイツの爆撃で破壊された話が印象的でした。(歴史地図を見ると、スイス国境から北海まで続く長い塹壕線がランス市の間際をかすめています。まさに、最前線の街でした。)
◆ランス美術館とランス美術館展(10/7~12/3)
保崎さんの話では、「ランス美術館はシャンパーニュ製造のポメリー社アンリ・ヴァニエの個人コレクションがランス市に寄贈されたことにより開館。コレクションでは17世紀から19世紀のフランス絵画が充実。ランス美術館展にはドラクロワ、コロー、ピサロなど70点が展示され、約30点が藤田嗣治の作品。会期中、学芸員の解説とG.H.マム社のシャンパンが楽しめる「シャンパーニュの夕べ」11/18(土)17:00~19:00(参加料:観覧料込5, 000円、当日現金払)などの特別鑑賞会も開催されます。」とのことでした。展覧会が楽しみです。
Ron.

碧南市藤井達吉現代美術館 「リアル(写実)のゆくえ」 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor


碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「リアル(写実)のゆくえ」(以下、「本展」)鑑賞の名古屋市美術館協力会ミニツアーに参加しました。参加者は16名。当日は土生(はぶ)和彦学芸員(以下「土生さん」)のギャラリートークが予定されていたので、一般の方に交じって14:45まで土生さんのギャラリートークを聴き、その後は自由観覧・自由解散でした。

ギャラリートーク会場は満員

ギャラリートーク会場は満員


◆「鮭」の絵が、4点も
 集合時間の午後2時にはギャラリートークを待つ40~50人程の参加者で2階ロビーは満員。最初の展示は、高橋由一の《鮭》と磯江毅《鮭-高橋由一へのオマージュ》。土生さんは「高橋由一の《鮭》は、日本の写実画の出発点。磯江はスペインで写実画を学び、日本に帰国した時に、『日本人の写実画とは何か』を考えたうえで、描いたのが鮭の絵。2つの鮭の間には150年の歳月がある。磯江は、板に麻紐で縛られた鮭を描いているが、板の割れ目や木目は磯江が描いたもの。画面の荒縄や麻紐の端には本物の藁や麻を張り付け、『だまし絵』のようになっている。また、高橋由一の《鮭》は、今回展示の《鮭》山形美術館寄託の外に、東京芸術大学と(公財)笠間日動画廊も所蔵しているが、皆さんお馴染みの、美術の教科書の挿絵や切手の図柄になっているものは東京芸大所蔵の《鮭》(重要文化財)。本展で借りようとしたが、東京芸大の展覧会に展示するということで断られた。」と、残念そうに話されていました。
当日の午後8時からEテレ「日曜美術館」で、平塚市美術館「リアルのゆくえ」展特集が再放送され、磯江毅の奥さんの話もありました。それによれば、「鮭を描くんだ」と張り切って上物を探してきたのですが腐り始めたために、形が崩れないよう麻紐で固定したそうです。
なお、東京芸術大学の《鮭》は左側に目があり、切り取られている鮭の身は全体の4割足らずで少な目。笠間日動画廊の《鮭》は、ほぼ半身の状態。したがって、磯江の《鮭》に一番近いのは、今回展示の《鮭》山形美術館寄託。結果として、この組み合わせで良かったと思われます。
 なお、2階展示室の最後にも鮭。木下晋《鮭》と三浦明範《鮭図-2001》の2点。鮭は写実画の原点なのですね。
どれもクオリティの高い作品ばかりです

どれもクオリティの高い作品ばかりです


◆黎明期の写実画が「気味が悪く見える」わけは?
 展示は年代順で、「第Ⅰ章 写実の導入 < 明治の黎明>」、「第Ⅱ章 写実の導入 < 明治中期以降>」、「第Ⅲ章 写実の展開 < 大正>」、「第Ⅳ章 昭和 < 戦前・戦後>」「第Ⅴ章 現代の写実」の5章。
 第Ⅰ章には、4月に参加した三重県立美術館のミニツアーで見た岩橋教章《鴨の静物》をはじめ、黎明期の写実画が展示されています。土生さんは「この時期の写実画は、どの部分も同じように力を込めて描いているため、逆に、絵の中心になるものがはっきりしない。田村宗立《加代の像》のモデルは桂小五郎の愛人だった女性で、美人の評判が高かったのだが、この絵はオバケのように見える。西洋の人物画はモデルの特徴をとらえるだけでなく、同時に理想化も施して美しく見えるように描いている。しかし、この頃の写実画は理想化とは無縁で、顔のシワなども克明に描いたため、やりすぎて気味悪く見える。これが、五姓田義松《井田磐楠像》の頃になると、進化して自然に見えるようになった。やがて明治中期になると、黒田清輝の叙情的で明るい外光派と呼ばれる作風が写実画の主流となる。第Ⅱ章では、高橋由一の流れを汲む「旧派」「脂派」と呼ばれた『非主流派』の作家による、西洋画の手法で東洋的な主題を描いた作品を展示。本多錦吉郎《羽衣天女》は、富士山と三保の松原を背景に描いた日本的題材だが、天女には西洋の天使のような羽根がある。櫻井忠剛《能面、貝合わせなど》は、黒漆の扁額に油彩で描いたもの。」と話されていました。

◆第Ⅲ章の主役は岸田劉生
第Ⅲ章では、岸田劉生の麗子像と静物画と、劉生の影響を受けた作家の作品を展示。岸田劉生《麗子肖像(麗子五歳の図》は正に写実画ですが、《野童女》になると崩れた気持ちの悪い絵になって来ます。土生さんによれば「この変化は、本質に迫ろうとして写実を越えたことによる」とのこと。なお、図書館で借りた「別冊太陽 154」によると、劉生の《壺》と《壺の上に林檎が載って在る》は、どちらもバーナードリーチ作の水差しを描いているようです。
第Ⅲ章は参加者と、「名古屋市美術館前学芸課長の山田さんがお得意の分野だなあ。山田さんが一緒に来ていたら、いろいろな話が聞けただろうな。」と、小声でおしゃべりしながら鑑賞。映画監督・俳優の伊丹十三(本名:池内義豊)の父、伊丹万作の絵が2点ありました。

◆第Ⅳ章は、具象画が低く見られた時代の作品
 土生さんによれば「昭和の戦前・戦後は、写真とは違う表現を追究した絵画が主流となり、写実的な具象画は低く見られた時代だが、第Ⅳ章ではそのような風潮の中でも写実に取り組んだ作家を紹介している。」とのこと。高島野十郎や中原實などの作品は「写実画」ではあるものの、何か現実離れした雰囲気を持っています。特に、牧野邦夫《食卓にいる姉の肖像》《武装する自画像》は、いずれも画面の一部だけがリアルであるため、いっそう非現実感が漂う作品です。

◆写実画が注目されている現代の作品
2階展示室の最後は現代の作品。上田薫《なま玉子》、リンゴとパンジーを組み合わせた野田弘《パンジー 其の参》、河野通紀《淋しい水》など、何れの作品も写実を追求していますが、やりすぎ感のある高橋由一《鯛図》等と違い、現代的で洗練されています。「本物そっくり」だけではない魅力が、どの作品からも感じられ「本展に来てよかった」と思いました。

◆1階展示室は、本展の締めくくり
 1階展示室は、礒江毅《深い眠り》から始まります。木下晋《休息》、安藤正子《Light》、吉村芳生《コスモス》など大型の作品が並んでいますが、犬塚勉《梅雨の晴れ間》、水野暁《The Volcano –大地と距離について/-浅間山》(以下《浅間山》)の前では、しばらく動けませんでした。
《梅雨の晴れ間》について、「美の巨人たち」では「人を描かずに、人の存在を表現している」と紹介していましたが、絵の世界に引き込まれそうです。土生さんは、水野暁《浅間山》について「浅間山が正面に見える場所にキャンバスを持って行き、4年間かけて何度も描いては消し描いては消しを繰り返して出来た作品」と紹介していましたが、絵の存在感に圧倒されます。Eテレ「日曜美術館」でも、この作品を描いたプロセスを紹介していました。

◆ミニツアー参加者への「おまけ」
ギャラリートーク終了後、土生さんはミニツアー参加者からのリクエストに応え、2つの作品について解説してくれました。ひとつは第Ⅱ章の石川寅治《浜辺に立つ少女たち》。「海岸の風景だと思うが、砂漠のように見えるし、背景に積み藁が見えるのも変。」という質問に対し、「画面右奥には山並みが見えるので海岸の風景。積み藁に見えるのは浜辺の小屋かもしれない。」との答え。
もう一つは、同じく第Ⅱ章の寺松国太郎《サロメ》(1918)。「モローやビアズリーの《サロメ》は立っている姿だが、この絵のサロメは横になっている。なぜ、横になっているか分からない。」という質問に対し、「当時、松井須磨子主演のサロメが上演されている。舞台では、横になる演出があったのかも。」との答え。家に帰ってネットで検索すると、松井須磨子主演の「サロメ」は大正3年(1913)12月に帝国劇場で上演。また、横になっているサロメの画像もありました。 
     Ron.

解説してくださった土生学芸員。ありがとうございました

解説してくださった土生学芸員。ありがとうございました