展覧会見てある記 碧南市藤井達吉現代美術館「須田国太郎の芸術」  2023.11.25 投稿

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碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「須田国太郎の芸術 三つのまなざし 絵画・スペイン・能狂言」(以下「本展」)を見てきました。本展には「碧南市制75周年記念事業 開館15周年記念 生誕130年 没後60年を越えて」という長い副題もついています。

1階のエントランスホールでは、TVモニターで1932(昭和7)年に銀座・資生堂本店で開催された須田国太郎(以下「作家」)の第一回個展を再現した映像(資生堂制作)が上映され、作家が収集した「グリコのおまけ」を、4つのグループに分けて展示していました。(写真撮影可です。写真は「のりもの(飛行機・電車・車・船)」の展示)

本展の入口は2階で、第1章から第3章までを展示。第4章は1階・展示室4に展示、藤井達吉の作品は展示室3に展示されていました。個々の作品に関する解説は会場入り口で配布の「鑑賞ガイド」に書いてあるので、助かりました。

◆第1章 画業の歩み(2階・展示室1)

初期から絶筆までの代表的な作品30点を展示しています。なかでも目を引いたのが、エル・グレコが描いたような作品でした。タイトルを見たら《複写 グレコ「復活」》(1921)。鑑賞ガイドによれば作家は、京都帝国大学及び大学院で美学・美術史を学び、その芸術理論の実証確認のため渡欧して、スペイン・マドリードを拠点に調査・研究につとめ、ブラド美術館で模写に励んだようです。

鑑賞ガイドは、電柱の間から見える京都・八坂の塔を描いた《法観寺塔婆》(1932)についても触れ「画家としての契機となった初の個展(1932)の出品作です」と解説。印象的な作品です。第1章の最後は、《めろんと西瓜(絶筆)》(1961)でした。

なお、鑑賞ガイドは触れていませんが、丸山公園の祇園枝垂桜を描いたと思われる《夜桜》(1941)は、春の公園にたたずんでいるような気持ちにさせる作品でした。

◆第2章 旅でのまなざし(2階・展示室2)

鑑賞ガイドは、渡欧中に作家が撮影した写真と、それに関係する油彩画に加え、帰国後に旅をして描いた油彩画を展示と解説。確かに、写真主体の展示のように思えました。往路に立ち寄ったと思われる、インドのタージ・マハルの写真(1919)を始め、作家が撮影した数多くの写真に見入ってしまいました。

写真・絵画だけでなく、作家が愛用したカメラ、トランク、絵具箱、イーゼルなどの用具も展示しています。出品リストには、カメラは手持ち撮影用のNo.3オートグラフィック・コダックスペシャル(1915頃)と三脚に載せて撮影するレヒテック・プリマ―(1920頃)と書いてありましたが、コダックスペシャルは見逃してしまいました。残念なことをしました。

◆第3章 幽玄へのまなざし(2階・展示室2/多目的室A)

第3章は、全て能楽を題とした作品です。第3章の解説文には、作家は1910年「第三高等学校に入学した頃から、金剛流シテ方の高岡鵜三郎に師事して謡曲を始めた」とあり、作家が能舞台で地謡をつとめている写真も展示されていました。

鑑賞ガイドが取り上げていたのは、20歳の頃の素描《能画帳「尾崎正作翁三十三回忌追善能」》(1913)と油絵で描いた能画《大原御幸(おおはらごこう)》(1942)・《野宮(ののみや)》(1945)。鑑賞ガイドは、《大原御幸》について「無常観が最もよく表現された作品」と、《野宮》については「演者が六道(注:地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界)に輪廻する迷いの場面を描いた作品」としています。《大原御幸》は「平家物語」に、《野宮》は「源氏物語」に関連したものだという覚えはあったのですが、あらすじは覚束ないまま。家に帰って調べると《大原御幸》は、出家して大原・寂光院に住む建礼門院を後白河法皇が訪問。二人は語り合ったのちに分かれるというあらすじ、《野宮》は嵯峨野の野宮旧跡にやって来た旅の僧の前に里の女が現われ、六条御息所の物語を語り始めるというあらすじでした。

◆第4章 真理へのまなざし(1階・展示室4)

最後の「まなざし」では、油彩画だけでなく水墨画や若い頃の同人誌や著作物も展示しています。

なかでも、本展のチラシに使用されている《鵜》(1952)は、真っ黒な鵜と明るい背景のコントラストが印象的な作品です。鑑賞ガイドは水墨画の《老松》(1951)について「勢いのある運筆で、一気呵成に描き上げた迫力ある作品」と、《ある建築家の肖像》(1956)については「アントニオ・ガウディを題材にした作品です。スペインに訪れ再度研究に没頭したいという須田の願いが伝わってくるようです」と書いています。《ある建築家の肖像》は画面右にガウディらしき顔と ”A.GAVDI” という文字が描かれています。白い絵の具で塔のようなものが描かれていますが、形は定かではありません。作家の記憶の中にあるサグラダ・ファミリアでしょうか?作家がスペインに滞在していた1920年代の初め頃のサグラダ・ファミリアは地下聖堂と後陣ぐらいしか完成してなかったと思いますが、訪欧後に完成した建物も含めて描いているのでしょうか?

◆最後に

本展の最後にガウディの肖像を見て、「サグラダ・ファミリアに4つ『福音史家の塔』が完成!というニュースにシンクロしている」と感じました。ニュースのURLは下記のとおりです。

ついに! サグラダ・ファミリア、4つの「福音史家の塔」が完成 – ネット「未完も魅力」「完成形が観たい」 | マイナビニュース (mynavi.jp)

12月19日から、名古屋市美術館で「ガウディとサグラダ・ファミリア展」が始まります。今から楽しみですね。

Ron.

読書ノート 2006年発行の『Casa BRUTUS』から

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

   2023.11.22投稿

ミニツアーの後もフランク・ロイド・ライトについて調べていたら、2006年11月10日発行の『Casa BRUTUS 特別編集』「新改訂 誰にでもわかる20世紀建築の3大巨匠+バウハウス」(以下「本書」)に、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと並んでフランク・ロイド・ライトの記事が載っていることを知り、Amazonで取り寄せました。今回は、その中からプライス・タワー、テキスタイル・ブロック・システムで建設した住宅及びマリン郡庁舎についてご紹介します。

◆プライス・タワー Price Tower 1956(本書p.142~143)

記事の見出しは「あのプライス・タワーに泊まれちゃいます」で、2003年にプライス・タワーが全21室のホテルに生まれ変わったという内容。ホテルの名称は、”Inn at Price Tower”。料金はスタンダードが145ドル、タワースィート(ロフト型)が245ドル(当時)。なお、タワー・スィート(ロフト型)というのは、室内階段で上の階と繋がっている部屋のことだと思われます。

同じ建物にはホテルに2年先立って開館した建築&現代美術ミュージアム”Price Tower Arts Center Gallery”もあり、ライトのレンダリングや図面、写真、テキスタイル、家具などを収蔵・展示とのことで、16階にはレストランがあるようです。

このほか「施主は石油パイプライン事業で巨万の財を成したハロルド・プライス。(略)施主はその最上階に当たる3フロアを自らの住処として暮らした。(略)プライス財団からビルを丸ごと寄付された形で公共のものとなった現在のプライス・タワー」とも書いており、再現された社長室の写真(写真下:豊田市美術館で開催中の「ライト展」の写真とは反対の方向から撮影したもの)も掲載されていました。

◆テキスタイル・ブロック・システムで建設した住宅  Millard House 1923 etc.(本書p.148~151)

 ユカタン半島のマヤ遺跡の写真と1920年代のロサンゼルスに建設されたミラード邸、ストーラー邸始め4邸の写真が掲載され「ライトが帝国ホテルで用いた素材は大谷石。(略)1個1個加工を施すコストと時間がかさんだことから、設計者の地位を解雇されるという憂き目を見ている。もっと安上がりに、もっと効率よく石細工を取り入れる方法を模索した末にライトが見出したのが、金型を使って大量生産できるテキスタイル・ブロックだった。(略)かねてから憧れていた原始アメリカ建築のモチーフを鋳込むことで、これを高価な石に代わる、カスタムメイドの仕上げ材となすことに成功したのだ」という文章が添えられています。

 豊田市美術館で開催中の「ライト展」第5章の「テキスタイル・ブロック・システムの創設」でも、ミラード邸、ストーラー邸を紹介しています。ミニツアーで見た時「帝国ホテルで使った大谷石の彫刻の大量生産モデルかな?」と思ったのですが、その通りでした。また、マヤ遺跡のモチーフを鋳込んだ、という指摘にも納得です。

◆マリン郡庁舎 Marin County Civic Cener 1962(本書p.132~133、p.158)

 豊田市美術館で開催中の「ライト展」には展示されていませんが、カリフォルニア州のマリン郡庁舎の写真と記事も面白いものでした。1957年設計で、ライトの死後、弟子たちによって完成されたものです。事務室だけでなく、図書館などの公共施設も含んだ巨大な建物で、「美の巨人たち」でも紹介がありましたね。

「美の巨人たち」のURLはこちらhttps://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin_old/backnumber/120526/index.html Ron

プライス・タワーの構造は?

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.11.15 投稿

展示室でプライス・タワーの模型を見て、あまりにも不思議な形なので気になり、インターネットで図面や写真を探してみました。見つかったのは、次の三つです。

① 標準的な階の平面図

URL:https://www.pinterest.jp/pin/79727855888910972/

② 上空から撮影した写真

URL: https://www.pinterest.jp/pin/8233211821257477/

③ 立面図と三種類の平面図

URL: URL:https://www.pinterest.jp/pin/520095456941023919/

◆標準的な階の平面図から分かったこと

 中央部に4つのエレベーターが設置され、各エレベーター室から水平方向に梁が出て、床を支えているようにみえます。豊田市美術館「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」のミニツアーで、千葉学芸員が解説したジョンソンワックス・研究タワーと同様に、中央の柱で建物を支える構造のようです。

標準的な階は4つに仕切られています。3つはOffice(事務所)、1つはDwelling(住宅)。住宅のLiving room(居間)は、ほぼ正方形で水平に30度傾いています。30度というのは、ヨドコウ迎賓館の傾きと同じ角度ですね。台所とトイレはエレベーターから伸びた梁で支えられた場所にあり、上の階につながる室内階段も見えます。上の階の床面は点線で描かれています。水平30度の傾きは無く、床面の一部は外壁から飛び出ています。標準的な階と上の階の間は吹き抜けになっていると思われます。

◆上空から撮影した写真から分かったこと

上空から撮影した写真を見ると、低層の基部と高層のタワーで構成された建物だと分かります。千葉学芸員が解説した「垂直と水平の広がり」ですね。最上階の19階は塔屋で、屋上庭園が見えます。縦長の掃き出し窓があるので、室内から屋上庭園に出ることが出来るようです。

 また、17階・18階は住宅と共通部分だけで出来ているようで、18階にキッチンは無いと思われます。

 住宅の、外壁から飛び出た三角形の部分は銅製の手すりと床面のようで、縦長の掃き出し窓がついていますが、飾り的な要素が強いと思われます。

◆立体図と三種類の平面図から分かったこと

立体図を見ると、1階・2階と3階~16階、17階~19階の構造の違いが分かります。

平面図の一番上は19階。18階の陸屋根が19階の屋上庭園になっていることがわかります。

中央は偶数階の平面図。偶数階の平面図を見ると、どの階も同じ形の部屋になっています。また、住宅の外壁から飛び出した部分と居住部分との間には、縦長の窓が描かれています。

一番下は奇数階の平面図。標準的な階の平面図と同じ内容です。

◆NIKKEI The STYLE 2023.10.29 円い邸宅の謎 フランク・ロイド・ライトの面影に導かれ

 日本経済新聞にも、プライス・タワーに関する記事があり、プライス・タワーの外観とハロルド・プライス(プライス・タワーのオーナー、日本美術の収集家=ジョー・プライスの父親)のオフィスの写真が掲載されていました。

 オフィスの写真は、豊田市美術館「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」に展示の「19階エグゼクティブフロアのオフィスと居室内観」と同じ場所を撮影したものです。壁画も家具もフランク・ロイド・ライトが設計したもの、とのことでした。詳細は、下記URLをご覧ください。日経電子版の有料記事ですが、無料会員として閲覧することは可能と思われます。

URL: https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN020AN0S3A001C2000000/

Ron.

ミニツアー 豊田市美術館「フランク・ロイド・ライト展 世界を結ぶ建築」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.11.12(日)14:00~15:10

豊田市美術館(以下「豊田市美」)で開催中の「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」(以下「本展」)のミニツアーに参加しました。参加者は21名。豊田市美の1階講堂で千葉真知子学芸員(以下「千葉さん」)のレクチャーを聴講した後、自由観覧となりました。

当日、豊田市美の駐車場は満車状態で、車で来た参加者の中には「駐車場に入れなくて困った」と話す人もいました。駐車場だけでなく、豊田市美・講堂前のチケット売り場でも長い列。当日券を買うのにも時間がかかりました。レクチャーをするため千葉さんが講堂に来たので話を聞くと、駐車場が混み合っているのは市民茶会と重なったため、チケット売り場の列は「本展を見に来る人の数が多いから」という説明でした。確かに他の美術展に比べ、並んでいる人の年齢層が広いと感じました。

ミニツアー参加者に聞くと「本展は、豊田市美のホームページにアクセスすると団体料金(大人1,400円→1,200円)でオンラインチケット購入可。チケット売り場に並ばなくてもよい」とのことでした。

◆千葉さんのレクチャー(あらまし)

千葉さんによれば、本展は東京のパナソニック汐留ミュージアムと青森県立美術館に巡回しますが、展示点数は豊田市美が最大で会場も広く、「ユーソニアン住宅」の模型は他の美術館の2倍の大きさ。「鑑賞するなら豊田市美の条件が一番良い」とのことでした。

〇帝国ホテル二代目本館100周年とは

本展の副題は「帝国ホテル二代目本館100周年」。千葉さんによれば、帝国ホテルの正式開館は1932年9月1日。関東大震災が起きた1932年9月1日は、開館式典の当日。震災に遭遇しながらも、帝国ホテル建物は生き残り、周囲の大使館や新聞社は帝国ホテルに避難して仕事を続けた、とのことです。

〇本展開催のきっかけ

千葉さんによれば、2012年にフランク・ロイド・ライト財団からニューヨーク近代美術館(MoMA)とコロンビア大学に移管された5万点を超える図面などの資料が提供され、この資料の調査研究により、2017年にMoMAで「フランク・ロイド・ライト生誕150周年:紐解かれるアーカイブ」開催されています。本展は、2017年開催の展覧会に参画したワシントン大学教授のダン・タダシ・オオシマ氏とフランク・ロイド・ライト副代表でタリーセン・インスティチュートディレクターのジェニファー・グレイ氏が計画。そのため本展には、2017年以降の調査研究の成果も盛り込まれている、とのことでした。

〇展覧会の構成

千葉さんによれば、展覧会は時代順やプロジェクト別の構成が多いのですが、本展は7つの視点を更に50くらいに分け、自由に見られるようになっているとのこと。レクチャーは、第1章から第7章の順に説明がありました。

〇第1章 モダン誕生 シカゴ―東京、浮世絵的世界観

最初に投影されたのは、1924年当時のフランク・ロイド・ライト(以下「ライト」)の写真。「背後に写っているのは、日本美術のコレクション」「ライトが生まれたのは、シカゴ(イリノイ州)の北東、ウィスコンシン州のマディソン。田舎で、母方は農業。ライト自身は、早い時期から建築家を目指していましたが、ウィスコンシン州立大学には建築科が無かったため土木科に入学」という解説がありました。

1871年のシカゴ大火の後、「シカゴ派」と呼ばれる建築家により、シカゴに摩天楼が建てられます。ライトは1888年、アドラー・サリヴァン(以下「サリヴァン」)の事務所に就職、という解説もありました。

ライトが描いた装飾モチーフ、シカゴ万国博覧会(1893)交通館のアーチ型の門、ウィンズロー邸(1893-94)の画像が投影され、「モダニズム建築は装飾を排除したが、サリヴァン、ライトは共に“装飾は機能に従う”と思っていた」という説明がありました。

+ シカゴ万博

1893年開催のシカゴ万博に日本が出展した、宇治の平等院を模した鳳凰殿が投影され「鳳凰堂は、平安時代中期(藤原)、室町時代(足利)、江戸時代(徳川)の各時代を表現した三棟を造って廊下で繋げた建物。鳳凰殿はライトにも影響を与えた」という解説がありました。

次の写真は、コンクリート造のユニティ・テンプル(1908竣工)。「2つの建物を廊下で繋ぐ構造ですが、日光東照宮も同様に、拝殿と本殿を廊下で繋ぐ構造」との解説がありました。

+ 1905年に初来日

1905年の初来日時に、ライトが撮影した写真が何点も投影され「ライトは、91年の生涯で7回来日」という解説がありました。日本好きだったのですね。

+ 浮世絵的視覚と建築ドローイング

歌川広重の「名所江戸百景」とライトが描いた「ウィンズロー邸(1894竣工)のドローイング」が投影され、「ライトは、広重の作品を収集・紹介。近景と遠景を巧みに組み合わせる広重の風景画と、ウィンズロー邸のドローイングには共通するものがある」「ライトは1914年、シカゴ建築展で帝国ホテルの第一案と浮世絵を展示」という解説や、「ライトは、正規の教育を受けた訳ではないが、周りに優秀な人がいて、彼らとのコラボレーションにより良い仕事をすることが出来た」という解説がありました。

〇第2章 「輝ける眉」からの眺望

千葉さんは、ウィスコンシン州の田舎に作ったライトの新しい家とスタジオ、「タリアンセン」について解説。タリアンセンとは、ウェールズ語で「輝ける眉」。プレーリー・スタイルの確立した時期と説明。

プレーリー・スタイルとは、風景の中に建築を一体化させた、軒が深く、連続窓を使用。寄棟構造、水平方向へのひろがりのある様式とのことでした。ダーウィン・マーティン邸の写真が投影され「四季に花が絶えないように在来種(固有種)と外来種(東アジア)の植物を寄せ植え」という解説がありました。

また、ウィスコンシン州は寒いので、冬の寒い時期の事務所として、1938年にタリアセン・ウエスト(アリゾナ州)を開設したとの話もありました。

+ 地形と建築

ヨドコウ迎賓館の写真と図面が投影され、「建物が途中で、水平方向に30度傾いている。これは、山の形に合わせたもの。ライトは、日本の職人が使っていた“仕方がない”という言葉を気に入り、自然や地形に抗うのではなく“仕方がない”という中で折り合うという考え方を持っていた」との解説がありました。

〇第3章 進歩主義教育の環境をつくる

最初に投影されたのは、教育用積み木「フレーベル恩物」。次いで、ライトのおばさんたちが教育に携わった「ヒルサイド・ホーム・スクール」、ライトが設計した「自由学園 明日館」の1920年頃の写真、ライトが作った学校「タリアーセン・フェローシップ」が紹介され、「ライトは、建築家というだけでなく教育家でもあった」という解説がありました。

〇第4章 交錯する世界に建つ帝国ホテル

投影された写真は、古代のマヤ文明の遺跡、ジャワ島・ボロブドゥール遺跡、古代ローマの円形劇場コロッセウム。「ごつごつとした石の表現などにより、帝国ホテルのインスピレーションを得た。帝国ホテルは、ライトが10年考えた大きなプロジェクトで、関心があるもの全てをつぎ込んだ。ホテルには、客室だけでなく、ショッピング、演芸場、食堂、映画館もあった。帝国ホテルの柱は、照明器具でもあり、鉄筋コンクリート、大谷石、スダレ煉瓦が一体化していた」という解説がありました。

〇第5章 ミクロ/マクロのダイナミックな振幅

ドヘニー・ランチ宅地計画案のドローイングが投影され「モチーフをくみ上げると面白いものができる。初期のドローイングは、手前に木、奥に建物だったが、後期は建物と樹々が混然一体となっている」という解説がありました。

+ らせん状建築

 グッゲンハイム美術館については「ライトが死亡した1959年に完成。生前に、ライトが完成を見届けることは出来なかった」と解説。

+ ユーソニアン住宅

ユーソニアン住宅については「規格が決まっている住宅で、自由に拡張できる。本展に展示している原寸大のユーソニアン住宅のモデルは、入口が狭く、中に入ると広い空間が広がっている。自由に入れるので住み心地を体験してください」との解説がありました。

〇第6章 上昇する建築と環境の向上

ラーキン・ビルの内部、吹き抜けの写真が投影され「早い時期(1903年竣工)の設計。よりよい環境で仕事ができるように配慮。太い柱は換気に利用」という解説がありました。

ジョンソン・ワックスビル(1939年竣工)については「細い柱が上に向かって広くなるので、広々とした空間を実現している。荷重実験の結果、荷重が60tになった時点で崩れる動画・写真も見もの」という解説。ジョンソ・ワックス・研究タワー(1950年竣工)については「タップルート構造で、真ん中に太い柱があり、四隅に柱がないので軽快な外観」という解説。マイル・ハイ・イリノイ計画については「1.6㎞の高さで計画されたが、実現はしていない」という解説でした。

プライス・タワー(19階・1956年竣工)については「ライトの考えでは、高層ビルは1、2棟あればよく、林立させる必要はない、というもの。水平方向への広がりと垂直方向への広がりを使い分けるのが、ライトの思想」という解説がありました。

〇第7章 多様な文化との邂逅

千葉さんによれば「ライトはネイティブ・アメリカンの文化の文化に関心を持ち、実現はしなかったがバグダッドの都市計画にも取り組んだ。イタリアの建築はライトの重要なモチーフとなった。リヴィング・シティ構想はライトが思い描いた未来都市で、小型飛行機やテレコミュニケーションで遠隔地と結ぶというもの。ライトは91歳まで生きた。年齢を重ねるにつれ若々しくなった」とのことでした。

◆Q&A

Q1  NHKが放送した「フランク・ロイド・ライトを騙した男」に、帝国ホテルで使用された「黄色い煉瓦」が出てきますが、どのような苦労があったのですか?

A1 「フランク・ロイド・ライトを騙した男」は見ていませんが、煉瓦の色といえば普通は赤色。黄色い煉瓦は珍しいものです。ライトが黄色にこだわったので、大量生産には多大な苦労がありました。

Q2 プライス・タワーの模型に2023年制作と表示がありました。この模型は本展のために制作したのですか?

A2 フランク・ロイド・ライトについて研究している兵庫県立大学の水上研究室にお願いして、本展のために制作してもらいました。ヨドコウ迎賓館の模型制作も水上教室にお願いしたのですが、ヨドコウ迎賓館の方が大変だったと聞いています。プライス・タワーは通常どおり、下から上に向かって作ればよいのですが、ヨドコウ迎賓館の模型では上から下に向かっての制作が必要だったので苦労した、とのことです。

◆自由観覧

 プレーリー・スタイルの住宅の写真を見ながら、ある参加者が「ライトの住宅はほとんど間仕切りが無いけど、冬は大丈夫?寒くない?」とうつぶやいたところ、別の参加者が「冷暖房完備なので、大丈夫」と答えていました。このやり取りを聞いて「広い空間の空調を始め、住宅の維持にお金がかかって大変そうだけど、お金持ち向けの住宅なら、まあいいか」と、妙に納得した次第です。

◆おまけを二つ

〇NHKドラマ「フランク・ロイド・ライトを騙した男」について

『黄色い煉瓦〜フランク・ロイド・ライトを騙した男〜』という題名で、2019.11.27(水曜)22:00から59分版がNHK BSプレミアムで放送。更にスペシャルドラマとして2020.03.13(金曜)22:00から73分版が放送NHK総合でされています。詳細は、下記のURLを検索してください。

URL: 黄色い煉瓦〜フランク・ロイド・ライトを騙した男〜 – Wikiwand

また、ライトが求めるスダレ煉瓦をつくるのに使われたのは、常滑から20㎞ほど南の粘土山から採れる青みを帯びた内海粘土(うつみねんど)で、その焼成温度は1190℃、焼成方法は「酸化焼成」といって、窯の中に大量の空気を入れて焼くのだそうです。詳細は、下記のURLを検索してください。

URL: https://www.meijimura.com/meiji-note/post/scratch-brick/

「帝国ホテル煉瓦製作所」については、下記のURLを検索してください。

URL: https://livingculture.lixil.com/story/story1/

〇【対談】五十嵐太郎×大木裕之

「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」展(豊田市美術館)に見た、巨匠ライトの実像と夢

2023.11.13付けのWeb記事Tokyo Art Beatに、上記の見出しの対談が載っていたので、ご紹介します。

記事を書いたのは美術ライターの永田晶子さん。見出しの二人に加え、豊田市美術館の千葉真知子さんも対談に参加。冒頭で五十嵐太郎さんが「まず来場者が多いことに感心しました。もちろんライトの人気のためだと思いますが、やはり住環境に関する展示は関心が高いのだなと。(略)ライトのまとまった展示は本当にひさしぶりで、そのことにも驚きました」と語っているのが印象的でした。ヨドコウ迎賓館の模型、プライス・タワーの模型など、撮影禁止の展示品の写真も掲載されていますよ。詳細は、下記のURLを検索してください。

 URL: https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/frank-lloyd-wright-and-the-world-interview-202311

Ron.

読書ノート「若冲になったアメリカ人」ほか

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.10.31 投稿

豊田市美術館で開催中の「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」(以下「本展」)で展示のプライス・タワーについて、「若冲になったアメリカ人 ジョー・D・プライス物語」ジョー・D・プライス  インタビューアー 山下裕二 発行所 株式会社 小学館 2007.06.18 発行(以下「若冲になったアメリカ人」)を始めとする書籍、Web記事等についてご紹介します。

◆「若冲になったアメリカ人」

 「若冲になったアメリカ人」は、有名な日本美術コレクター=ジョー・プライスに美術家・山下裕二がインタビューした内容をまとめた書籍ですが、今回はプライス・タワー建設に関係するエピソードに絞って、ご紹介します。

〇 プライス・タワーの設計をフランク・ロイド・ライトに依頼するまで

 ジョー・プライス(以下「ジョー」)は、石油パイプラインの建設で財をなしたハロルド・プライス(以下「父」)の次男。父が自社ビルの設計を思い立った時、ジョーは母校(オクラホマ大学)のブルース・ゴフ氏に設計を依頼しました。すると彼から「その仕事はたいへんやりたいけど、ほんとうに最高の建築家を探しているのなら、迷わずにフランク・ロイド・ライト氏(以下「ライト氏」)を訪ねるべきだ」と助言を受け、1952年に一家(父母と長男・次男の4人)そろってDC3に乗り、ライト氏に会いに行くことになりました。

自社ビルについて、父は低層のビルを考えていたのですが、ライト氏と二人きりで話し合った結果、19階建てのビルにすると決まったとのこと。父の計画を聞いたライト氏は高層の建物を提案。景観との調和や、社屋として必要な機能などをつめていき、いっさい妥協することなく新しいものをつくるには、 19階建てが必要という結論にいたったというのです。ライト氏の言葉は「このビルは周囲の森から一本の樹が抜け出して、町の真ん中に立つようなものです」というもので、ジョーも「まさにそのとおりだ」と思ったそうです。(p.53~60)

〇 プライス・タワーの建設が決まって、伊藤若冲《葡萄図》に出会う

プライス・タワーの計画が決まり、ジョーはエンジニアとして父とライト氏の仲介役になり、週給100ドルで働いていました。当時、ライト氏はニューヨーク五番街のグッゲンハイム美術館の仕事もしており、セントラル・パークに面したプラザ・ホテルに住んでいたので、たびたびニューヨークヘ飛んでいます。

 ある日、メトロポリタン美術館か、ホイットニー美術館を訪ねた帰りに、ライト氏をプラザ・ホテルまで送り届けようとしていたとき、ライト氏は、マデイソン街65丁目の瀬尾商店(Seo Store)に、すっと入っていきました。仕方なくジョーも、ライト氏について店に入り、店の中を見回るうちに伊藤若冲《葡萄図》と遭遇。「ただ欲しくてたまらなくなったのです。それでライト氏をホテルまで送ったあと、すぐに店まで引き返しました。その間にも、あの絵が買われたらどうしよう、と気が気でならなかった。」とジョーは語っています。1953年のことでした。(p.60~65)

◆建築ガイドブック「フランク・ロイド・ライト」

建築ガイドブック『フランク・ロイド・ライト』 Arlene Sanderson著 水上優 訳 発行所 丸善株式会社 平成20年2月15日発行に掲載された「プライス・タワー」に関し、『若冲になったアメリカ人』と重複しない内容をご紹介します。

プライス・タワーの所在地は、オクラホマ州バートルズビル(Bartlesville)。建設は1953年終盤に始まり、1956年に完成。構造的な先例は、1925年のセントマークス教区のアパートメント・タワー計画案(補足:実現せず。本展では1927-29年の鳥瞰透視図を展示)。プライス・タワーのコンクリート製の床スラブは、屋内にある鉄筋コンクリート製の4本の垂直な支持体から伸びる技のような片持ち式。荷重支持の役割から自由にされて、外壁は装飾的なスクリーンとなっている。角度によって変わるタワーの表情は、窓の表面に陰影をつくる20インチの銅製ルーバー、形押しされた銅板、そして金色に染められたガラスによって構成された。

 補足:型押された銅板は、ヨドコウ迎賓館の金属板に使われている銅板と同じ発想のもののようです。

◆プライス・タワーのフロアプラン

ネットで入手したプライス・タワーのフロア・プラン(URLは下記のとおり)を見てみましょう。

URL:https://www.pinterest.jp/pin/493214596692589235/visual-search/?x=16&y=16&w=532&h=534&cropSource=6

建物の構造は「建築ガイドブック」のとおりですが、「住宅」と書かれた部屋と「婦人科医」「外科医」「歯科医」と書かれた部屋とでは、床の形が違います。住宅は、ほぼ方形で窓にはルーバーが設置されています。特徴的なのは、部屋が建物に対し時計回りに30度回転していることです。そのため、住宅の角は壁面から飛び出した格好になっています。本展に展示の鳥瞰透視図でも住宅の角は飛び出ているように見えますから、同じアイデアで設計したものと思われます。

住宅が30度回転しているため、他の部屋はそのあおりを食らって、エレベーターホール近くの幅は広いのですが、奥に行くに従い狭くなる、という変則的な間取りになっています。本展に展示の「1956年 オフィス内観」の写真(撮影:ジョー・プライス)を見ても、奥に行くに従って狭くなっているのが分かります。

◆ライトの高層建築「プライスタワー」2017年4月10日のブログ(URLは、下記のとおりです)

ライトの高層建築「プライスタワー」 | デザイン性の高い注文住宅 | オーガニックハウス 滋賀湖南店 | デザイン性の高い注文住宅 | オーガニックハウス 滋賀湖南店 (e-hlc.net)

このブログによると、プライス・タワーは2003年から、全21室のミュージアム&ホテルとして生まれ変わり、建築&現代美術ミュージアム「プライス・タワー・アーツ・センター・ギャラリー」ではライトの図面や写真、家具などが展示されているとのことです。

◆ミカオ建築館 2022.03.15XML

 「ライトによる実現されたプライス・タワー」と題し、イラストを使ってプライス・タワーについて解説しています。URLは、下記のとおりです。

https://plaza.rakuten.co.jp/mikao/diary/202203150001/

◆日本経済新聞 2023.10.29 The STYLE “A journey to Uncover the Beauty of the Circular House” より

2023.10.29付け日本経済新聞 The STYLE に掲載された「円形住宅」を訪ねる特集ですが、最後で取り上げたのは、円形住宅ではなくプライス・タワーでした。

記事の中では特に、「実はこのタワーはもともとニューヨークのマンハッタンのダウンタウン、セントマークスに建てるためにデザインされた(略)ライトが1935年に発表し、都市デザイン関係者の間で脚光を浴びた未来都市構想『ブロードエーカーシティ』の中心に据えられた建物だった。景気低迷などの影響でこの計画は頓挫するが、時と場所を変えてオクラホマで日の目を見た」という下りが、印象的でした。

Ron.

読書ノート「帝国ホテル・ライト館の謎」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.10.31 投稿

今回は、「帝国ホテル・ライト館の謎」――天才建築家と日本人たち  山口由美 著(集英社新書0054G)について、「帝国ホテルは関東大震災の被害をどのように防いだのか」という観点に絞って書きました。

ライト館には、取り壊されるときまで、一度も本来の目的には使われなかった施設がある

一読して衝撃だったのはp.109の「帝国ホテル・ライト館には、取り壊されるときまで、一度も本来の目的には使われなかった施設がある。それが、地下のスイミングブールだ」という下りです。「この場所は、ワインなどを貯蔵する倉庫として使われていた」とのこと。「柱が折れて、壁にいくつもの亀裂が入った地下のスイミングブールは被害が大きかった」から「本来の目的に一度も使われることがなかった」(p.110)というのです。

確かにライト館は「無傷」ではありませんでしたが、被害は「概して軽微」で「震災後、罹災した大使館、新聞社、通信社などに客室を提供して」おり、「外観を見る限りでは、何の損傷もなく威風堂々とした姿をそのままにとどめていた」(p.111)ことから、ライトが自伝に書いた「大地震にあってもライト館は倒れなかった」という内容は、必ずしも事実に反するとは言い切れないと、著者は述べています。

それでも生き残ったライト館

著者は書き進めるなかで「生き残った、という意味で言えば、大丸徹三支配人をはじめとする帝国ホテルの従業員が、身を挺してライト館を火災から守ったことのほうが、評価されるべきかもしれない」(p.117)と、意見を述べています。

著者は、余震がやって来る直前、這うようにしてメインスイッチにたどり着き、これを切った電気技師の森田伝治について、「彼が、いち早く動力室から逃げ出していたならば、どんなにライトの耐震設計が優れていたとしても、ライト館はどうなっていたかわからない」(p.118)と、その勇気をたたえています。

更に「ライト館には、次々と周囲の火災が襲いかかった。『帝国ホテル百年史』によれば、類焼しそうになる危機が全部で四回あったという。そのたびに、従業員が壁や屋根によじ登り、あるいは、宿泊客も加わったバケツリレーで、降りかかる火の粉を防いだのである。道路一本隔てて隣接する愛国生命ビル(現在の日本生命ビル)に火がついたときには、接客係の生田富三郎ら数人の従業員がビルまで走り、消火にあたった。火を消し、窓を開じて帰ってきた彼らを帝国ホテルでは、歓呼の声と拍手で迎えたという」(p.118)とも書き「まずは、完全ではなかったとはいえ、耐震設計が考えられていたことが、あつただろう。だが、身を挺してライト館を守った人々の存在がなければ、激震に耐えた「天才の記念碑」は灰になっていたかもしれないのだ」(p.119)と締めくくっていました。

Ron.

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