展覧会見てある記 碧南市藤井達吉現代美術館「須田国太郎の芸術」  2023.11.25 投稿

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「須田国太郎の芸術 三つのまなざし 絵画・スペイン・能狂言」(以下「本展」)を見てきました。本展には「碧南市制75周年記念事業 開館15周年記念 生誕130年 没後60年を越えて」という長い副題もついています。

1階のエントランスホールでは、TVモニターで1932(昭和7)年に銀座・資生堂本店で開催された須田国太郎(以下「作家」)の第一回個展を再現した映像(資生堂制作)が上映され、作家が収集した「グリコのおまけ」を、4つのグループに分けて展示していました。(写真撮影可です。写真は「のりもの(飛行機・電車・車・船)」の展示)

本展の入口は2階で、第1章から第3章までを展示。第4章は1階・展示室4に展示、藤井達吉の作品は展示室3に展示されていました。個々の作品に関する解説は会場入り口で配布の「鑑賞ガイド」に書いてあるので、助かりました。

◆第1章 画業の歩み(2階・展示室1)

初期から絶筆までの代表的な作品30点を展示しています。なかでも目を引いたのが、エル・グレコが描いたような作品でした。タイトルを見たら《複写 グレコ「復活」》(1921)。鑑賞ガイドによれば作家は、京都帝国大学及び大学院で美学・美術史を学び、その芸術理論の実証確認のため渡欧して、スペイン・マドリードを拠点に調査・研究につとめ、ブラド美術館で模写に励んだようです。

鑑賞ガイドは、電柱の間から見える京都・八坂の塔を描いた《法観寺塔婆》(1932)についても触れ「画家としての契機となった初の個展(1932)の出品作です」と解説。印象的な作品です。第1章の最後は、《めろんと西瓜(絶筆)》(1961)でした。

なお、鑑賞ガイドは触れていませんが、丸山公園の祇園枝垂桜を描いたと思われる《夜桜》(1941)は、春の公園にたたずんでいるような気持ちにさせる作品でした。

◆第2章 旅でのまなざし(2階・展示室2)

鑑賞ガイドは、渡欧中に作家が撮影した写真と、それに関係する油彩画に加え、帰国後に旅をして描いた油彩画を展示と解説。確かに、写真主体の展示のように思えました。往路に立ち寄ったと思われる、インドのタージ・マハルの写真(1919)を始め、作家が撮影した数多くの写真に見入ってしまいました。

写真・絵画だけでなく、作家が愛用したカメラ、トランク、絵具箱、イーゼルなどの用具も展示しています。出品リストには、カメラは手持ち撮影用のNo.3オートグラフィック・コダックスペシャル(1915頃)と三脚に載せて撮影するレヒテック・プリマ―(1920頃)と書いてありましたが、コダックスペシャルは見逃してしまいました。残念なことをしました。

◆第3章 幽玄へのまなざし(2階・展示室2/多目的室A)

第3章は、全て能楽を題とした作品です。第3章の解説文には、作家は1910年「第三高等学校に入学した頃から、金剛流シテ方の高岡鵜三郎に師事して謡曲を始めた」とあり、作家が能舞台で地謡をつとめている写真も展示されていました。

鑑賞ガイドが取り上げていたのは、20歳の頃の素描《能画帳「尾崎正作翁三十三回忌追善能」》(1913)と油絵で描いた能画《大原御幸(おおはらごこう)》(1942)・《野宮(ののみや)》(1945)。鑑賞ガイドは、《大原御幸》について「無常観が最もよく表現された作品」と、《野宮》については「演者が六道(注:地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界)に輪廻する迷いの場面を描いた作品」としています。《大原御幸》は「平家物語」に、《野宮》は「源氏物語」に関連したものだという覚えはあったのですが、あらすじは覚束ないまま。家に帰って調べると《大原御幸》は、出家して大原・寂光院に住む建礼門院を後白河法皇が訪問。二人は語り合ったのちに分かれるというあらすじ、《野宮》は嵯峨野の野宮旧跡にやって来た旅の僧の前に里の女が現われ、六条御息所の物語を語り始めるというあらすじでした。

◆第4章 真理へのまなざし(1階・展示室4)

最後の「まなざし」では、油彩画だけでなく水墨画や若い頃の同人誌や著作物も展示しています。

なかでも、本展のチラシに使用されている《鵜》(1952)は、真っ黒な鵜と明るい背景のコントラストが印象的な作品です。鑑賞ガイドは水墨画の《老松》(1951)について「勢いのある運筆で、一気呵成に描き上げた迫力ある作品」と、《ある建築家の肖像》(1956)については「アントニオ・ガウディを題材にした作品です。スペインに訪れ再度研究に没頭したいという須田の願いが伝わってくるようです」と書いています。《ある建築家の肖像》は画面右にガウディらしき顔と ”A.GAVDI” という文字が描かれています。白い絵の具で塔のようなものが描かれていますが、形は定かではありません。作家の記憶の中にあるサグラダ・ファミリアでしょうか?作家がスペインに滞在していた1920年代の初め頃のサグラダ・ファミリアは地下聖堂と後陣ぐらいしか完成してなかったと思いますが、訪欧後に完成した建物も含めて描いているのでしょうか?

◆最後に

本展の最後にガウディの肖像を見て、「サグラダ・ファミリアに4つ『福音史家の塔』が完成!というニュースにシンクロしている」と感じました。ニュースのURLは下記のとおりです。

ついに! サグラダ・ファミリア、4つの「福音史家の塔」が完成 – ネット「未完も魅力」「完成形が観たい」 | マイナビニュース (mynavi.jp)

12月19日から、名古屋市美術館で「ガウディとサグラダ・ファミリア展」が始まります。今から楽しみですね。

Ron.

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