碧南市藤井達吉現代美術館 「リアル(写実)のゆくえ」 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor


碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「リアル(写実)のゆくえ」(以下、「本展」)鑑賞の名古屋市美術館協力会ミニツアーに参加しました。参加者は16名。当日は土生(はぶ)和彦学芸員(以下「土生さん」)のギャラリートークが予定されていたので、一般の方に交じって14:45まで土生さんのギャラリートークを聴き、その後は自由観覧・自由解散でした。

ギャラリートーク会場は満員

ギャラリートーク会場は満員


◆「鮭」の絵が、4点も
 集合時間の午後2時にはギャラリートークを待つ40~50人程の参加者で2階ロビーは満員。最初の展示は、高橋由一の《鮭》と磯江毅《鮭-高橋由一へのオマージュ》。土生さんは「高橋由一の《鮭》は、日本の写実画の出発点。磯江はスペインで写実画を学び、日本に帰国した時に、『日本人の写実画とは何か』を考えたうえで、描いたのが鮭の絵。2つの鮭の間には150年の歳月がある。磯江は、板に麻紐で縛られた鮭を描いているが、板の割れ目や木目は磯江が描いたもの。画面の荒縄や麻紐の端には本物の藁や麻を張り付け、『だまし絵』のようになっている。また、高橋由一の《鮭》は、今回展示の《鮭》山形美術館寄託の外に、東京芸術大学と(公財)笠間日動画廊も所蔵しているが、皆さんお馴染みの、美術の教科書の挿絵や切手の図柄になっているものは東京芸大所蔵の《鮭》(重要文化財)。本展で借りようとしたが、東京芸大の展覧会に展示するということで断られた。」と、残念そうに話されていました。
当日の午後8時からEテレ「日曜美術館」で、平塚市美術館「リアルのゆくえ」展特集が再放送され、磯江毅の奥さんの話もありました。それによれば、「鮭を描くんだ」と張り切って上物を探してきたのですが腐り始めたために、形が崩れないよう麻紐で固定したそうです。
なお、東京芸術大学の《鮭》は左側に目があり、切り取られている鮭の身は全体の4割足らずで少な目。笠間日動画廊の《鮭》は、ほぼ半身の状態。したがって、磯江の《鮭》に一番近いのは、今回展示の《鮭》山形美術館寄託。結果として、この組み合わせで良かったと思われます。
 なお、2階展示室の最後にも鮭。木下晋《鮭》と三浦明範《鮭図-2001》の2点。鮭は写実画の原点なのですね。
どれもクオリティの高い作品ばかりです

どれもクオリティの高い作品ばかりです


◆黎明期の写実画が「気味が悪く見える」わけは?
 展示は年代順で、「第Ⅰ章 写実の導入 < 明治の黎明>」、「第Ⅱ章 写実の導入 < 明治中期以降>」、「第Ⅲ章 写実の展開 < 大正>」、「第Ⅳ章 昭和 < 戦前・戦後>」「第Ⅴ章 現代の写実」の5章。
 第Ⅰ章には、4月に参加した三重県立美術館のミニツアーで見た岩橋教章《鴨の静物》をはじめ、黎明期の写実画が展示されています。土生さんは「この時期の写実画は、どの部分も同じように力を込めて描いているため、逆に、絵の中心になるものがはっきりしない。田村宗立《加代の像》のモデルは桂小五郎の愛人だった女性で、美人の評判が高かったのだが、この絵はオバケのように見える。西洋の人物画はモデルの特徴をとらえるだけでなく、同時に理想化も施して美しく見えるように描いている。しかし、この頃の写実画は理想化とは無縁で、顔のシワなども克明に描いたため、やりすぎて気味悪く見える。これが、五姓田義松《井田磐楠像》の頃になると、進化して自然に見えるようになった。やがて明治中期になると、黒田清輝の叙情的で明るい外光派と呼ばれる作風が写実画の主流となる。第Ⅱ章では、高橋由一の流れを汲む「旧派」「脂派」と呼ばれた『非主流派』の作家による、西洋画の手法で東洋的な主題を描いた作品を展示。本多錦吉郎《羽衣天女》は、富士山と三保の松原を背景に描いた日本的題材だが、天女には西洋の天使のような羽根がある。櫻井忠剛《能面、貝合わせなど》は、黒漆の扁額に油彩で描いたもの。」と話されていました。

◆第Ⅲ章の主役は岸田劉生
第Ⅲ章では、岸田劉生の麗子像と静物画と、劉生の影響を受けた作家の作品を展示。岸田劉生《麗子肖像(麗子五歳の図》は正に写実画ですが、《野童女》になると崩れた気持ちの悪い絵になって来ます。土生さんによれば「この変化は、本質に迫ろうとして写実を越えたことによる」とのこと。なお、図書館で借りた「別冊太陽 154」によると、劉生の《壺》と《壺の上に林檎が載って在る》は、どちらもバーナードリーチ作の水差しを描いているようです。
第Ⅲ章は参加者と、「名古屋市美術館前学芸課長の山田さんがお得意の分野だなあ。山田さんが一緒に来ていたら、いろいろな話が聞けただろうな。」と、小声でおしゃべりしながら鑑賞。映画監督・俳優の伊丹十三(本名:池内義豊)の父、伊丹万作の絵が2点ありました。

◆第Ⅳ章は、具象画が低く見られた時代の作品
 土生さんによれば「昭和の戦前・戦後は、写真とは違う表現を追究した絵画が主流となり、写実的な具象画は低く見られた時代だが、第Ⅳ章ではそのような風潮の中でも写実に取り組んだ作家を紹介している。」とのこと。高島野十郎や中原實などの作品は「写実画」ではあるものの、何か現実離れした雰囲気を持っています。特に、牧野邦夫《食卓にいる姉の肖像》《武装する自画像》は、いずれも画面の一部だけがリアルであるため、いっそう非現実感が漂う作品です。

◆写実画が注目されている現代の作品
2階展示室の最後は現代の作品。上田薫《なま玉子》、リンゴとパンジーを組み合わせた野田弘《パンジー 其の参》、河野通紀《淋しい水》など、何れの作品も写実を追求していますが、やりすぎ感のある高橋由一《鯛図》等と違い、現代的で洗練されています。「本物そっくり」だけではない魅力が、どの作品からも感じられ「本展に来てよかった」と思いました。

◆1階展示室は、本展の締めくくり
 1階展示室は、礒江毅《深い眠り》から始まります。木下晋《休息》、安藤正子《Light》、吉村芳生《コスモス》など大型の作品が並んでいますが、犬塚勉《梅雨の晴れ間》、水野暁《The Volcano –大地と距離について/-浅間山》(以下《浅間山》)の前では、しばらく動けませんでした。
《梅雨の晴れ間》について、「美の巨人たち」では「人を描かずに、人の存在を表現している」と紹介していましたが、絵の世界に引き込まれそうです。土生さんは、水野暁《浅間山》について「浅間山が正面に見える場所にキャンバスを持って行き、4年間かけて何度も描いては消し描いては消しを繰り返して出来た作品」と紹介していましたが、絵の存在感に圧倒されます。Eテレ「日曜美術館」でも、この作品を描いたプロセスを紹介していました。

◆ミニツアー参加者への「おまけ」
ギャラリートーク終了後、土生さんはミニツアー参加者からのリクエストに応え、2つの作品について解説してくれました。ひとつは第Ⅱ章の石川寅治《浜辺に立つ少女たち》。「海岸の風景だと思うが、砂漠のように見えるし、背景に積み藁が見えるのも変。」という質問に対し、「画面右奥には山並みが見えるので海岸の風景。積み藁に見えるのは浜辺の小屋かもしれない。」との答え。
もう一つは、同じく第Ⅱ章の寺松国太郎《サロメ》(1918)。「モローやビアズリーの《サロメ》は立っている姿だが、この絵のサロメは横になっている。なぜ、横になっているか分からない。」という質問に対し、「当時、松井須磨子主演のサロメが上演されている。舞台では、横になる演出があったのかも。」との答え。家に帰ってネットで検索すると、松井須磨子主演の「サロメ」は大正3年(1913)12月に帝国劇場で上演。また、横になっているサロメの画像もありました。 
     Ron.

解説してくださった土生学芸員。ありがとうございました

解説してくださった土生学芸員。ありがとうございました

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