名古屋市博物館「ムーミンコミックス展」ミニツアー(予習のすすめ)

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名古屋市美術館協力会からミニツアーの通知が届きました。見学先は名古屋市博物館「ムーミンコミックス展」(以下「本展」)、期日は10月31日(日)。当日は、今年3月まで名古屋市美術館にいらっしゃった清家学芸員による解説の後、自由観覧・解散とのことです。ミニツアーまで時間的余裕があるので今から予習しておくと、より理解が深まると思います。本展では「ムーミン公式サイト」(以下「公式サイト」)(ムーミン公式サイト – Moomin Characters Official Website)が強力な情報源です。「ムーミンコミックス展」の外、「トーベ・ヤンソンについて」「ムーミンの歴史」「TOVE」など、色々なコーナーがあります。一度、チェックしてみましょう。

◆トーベ・ヤンソンについて(トーベ・ヤンソンについて – ムーミン公式サイト (moomin.co.jp)) 

 「ムーミンコミックス」が果たした役割について書いているのは「トーベ・ヤンソンについて」中の「イギリスへ、そして世界へ」という章です。冒頭に「MOOMIN」と書いた看板を天井に着けた車両がずらりと並んでいる写真が掲載され、「ムーミンコミックスの連載開始を伝える『イブニングニュース』の宣伝車」というキャプションが添えられています。

本文には〈1954年に始まった、当時世界最大の発行部数を誇ったロンドンの夕刊紙 「イブニングニュース」での漫画連載が、ムーミンの人気を決定づけました。イギリスにとどまらず、その年のうちに早くもスウェーデン、デンマーク、そして母国フィンランドの新聞に、さらに最盛期には40カ国、120紙に転載されたほどでした〉と書かれています。

宣伝車の写真を見れば、ムーミンコミックスの連載に対する「イブニングニュース」紙の期待の高さが一目瞭然です。また、ムーミンコミックスは、期待に十分応えたということでもあります。

弟のラルス・ヤンソンにムーミンコミックスの連載を任せた後の、トーベ・ヤンソンの活躍についても書いてあります。本展の解説を補完するためにも、今から読んでおきたい情報です。

◆キャラクター(キャラクター – ムーミン公式サイト (moomin.co.jp)) 

本展の冒頭に、キャラクター設定のドローイングが出品されていますが、スウェーデン語で書いてあるので名前がよく分かりません。公式サイトの「キャラクター」をチェックすると日本語表記や設定などの情報が示されています。奇妙な生き物「ニョロニョロ (Hattifatteners)」についても詳しい説明があるので、「ムーミンコミックス展」を見て、びっくりすることはないでしょう。

◆映画「TOVE」(映画『TOVE/トーベ』をもっと楽しむために – ムーミン公式サイト (moomin.co.jp)) 

上記の「トーベ・ヤンソンについて」だと、30代の初めからムーミンコミックスの連載を始めるまでの経緯については、簡単な記載しかありません。30代から40代初めのトーベ・ヤンソンについて知るには、映画「TOVE/トーベ」を見るのが一番ですが、公式サイトのブログも参考になります。画像がふんだんに載っているので、映画を見たような気分も味わえます。

◆TVアニメ「ムーミン谷のなかまたち」(TVアニメ「ムーミン谷のなかまたち」地上波(Eテレ)での放送が決定! | ムーミン谷のなかまたち | アニメ公式サイト (moomin.co.jp)) 

 公式サイトには、フィンランドとイギリスの共同制作によるフルCGアニメーション「ムーミン谷のなかまたち」(2019年4月にNHKのBS4Kで放送)が、2021年11月6日(土)午後10時30分からNHK・Eテレで放送開始決定、というニュースも載っていました。

Ron.

若冲と蕪村、秋のツアー箱根2016を振り返ってみる

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澤田瞳子著「若冲」のブログ原稿を書いて、名古屋市美術館協力会秋のツアー(2016.09.24~25)で岡田美術館の「生誕300年を祝う 若冲と蕪村 - 江戸時代の画家たち」展(以下「展覧会」)を見ていた、と思い出しました。ただ、展覧会では極彩色の《孔雀鳳凰図》(岡田美術館蔵、東京都美術館「若冲展」に出品)の記憶だけが鮮明で、若冲の水墨画や蕪村の作品の記憶は靄に包まれています。5年ぶりに図録を開くと、静嘉堂文庫美術館長の河野元昭氏(以下「河野氏」)、岡田美術館館長の小林忠氏(以下「小林氏」)と同館副館長の寺元晴一郎氏(以下「寺元氏」)の鼎談が掲載されているではありませんか。以下は、鼎談の抜き書きです。

なお、若冲と蕪村は、どちらも1716年生まれなので、2016年は生誕300年にあたります。ただし、若冲の没年は1800年(85歳)。一方、蕪村は1783年(68歳)。蕪村は、天明の大火よりも前に死去しています。

○ 若冲の評判と蕪村の評判

鼎談の冒頭で、小林氏が「ちょっと前までは蕪村のほうが有名でしたよね」と水を向けると、河野氏が「この展覧会も(略)すこし前なら「蕪村と若冲」と、蕪村のほうが先に出て来たんじゃないかなあと思います」と受けていました。小林氏が「美術市場でも、ちょっと前までは蕪村のほうが上でした?」と聞くと、寺元氏が「上でしたね」と答えています。澤田瞳子が「若冲」で蕪村を無視しなかった理由が分かります。

○ 若冲の水墨画

小林氏が「若冲は、墨絵に対する評価をいただけると嬉しいですね」と話すと、寺元氏が「《動植綵絵》でこういう風な極彩色の、緊張感を崩さない描き方をする人が、水墨になってくると肩の力を抜いてユーモアたっぷりで、その両面を感じますよね。逆に言ったら、同じ人が描いたのかとつい思っちゃうんですよね。墨になってくると」と返していました。確かに、晩年の《三十六歌仙図屏風》(1779)は、ユーモアたっぷりです。

○ 与謝蕪村という画家の魅力

小林氏が「蕪村について、どういう印象をおもちですか」と聞くと、河野氏が「蕪村というと必ず池大雅(1723~76)ということになりますね。当時の文人画の双璧です。トップツーですよね。それで昔から蕪村好きと大雅好きがいて、よく論争のようなものがあったんです」と答えていました。澤田瞳子「若冲」の中で「蕪村は大雅を嫌っている」と書いたのも「蕪村好きと大雅好きとの論争」が反映されているのでしょうか。

河野氏は更に「蕪村でよく知られているのは、三大横物と呼ばれる「富岳列松図」(重要文化財、愛知県美術館蔵(木村定三コレクション))、「峨嵋露頂図巻」(重要文化財、個人蔵)、「夜色楼台図」(国宝、個人蔵)でしょう。みんな微光感覚の傑作ですよ。微妙な光に満ちている絵だと思うんです。大雅の陽光も本当に素晴らしいと思います。だけれども、私自身がちょっとウエットな人間でしょ。だからやっぱりどうしても、蕪村の方に惹かれちゃうんですよ」と続けています。なお、名古屋市博物館「大雅と蕪村」のチラシには「富岳列松図」の展示期間は2021.12.14~2022.01.16、「夜色楼台図」の展示期間は2022.01.18~01.30と書いてあります。

○ 大雅と蕪村

大雅と蕪村について、河野氏は「田能村竹山(1777~1835)に「正譎論(せいけつろん)」という有名な比較論があって、「大雅は正にして譎ならず、蕪村は譎にして正ならず」と述べている。竹田の有名な画論『山中人饒舌』に書いてあるんだけど」と話すと、小林氏が「儒学者の荻生徂徠(1666~1728)がおもしろいこと言ってるんだよね(略)「譎」はね、奇襲戦法だって言うんだよね。(略)いろんな方面からアタックする。(略)竹田が何を言おうとしたのか。決して非難しているわけじゃないんだよね。大雅のほうはまっとうな南宗画に迫ろうとしているけど、蕪村は奇襲戦法で、奇襲の一つにはその俳画もあるって」と補足していました。

○ 若冲と蕪村の墨絵には、区別がつかないほど似ているものがある

若冲と蕪村の交流について、寺元氏は「若冲も最初の頃は中国の水墨じゃないですけど、そういうものを描いてますよね。で、蕪村もそうですよね。(略)でも合作みたいなものとか、交流というものはぜんぜん見られないんですね」と話します。小林氏は、2015年にサントリー美術館で開催された「若冲と蕪村」展について「墨絵など区別つかないような印象をずいぶん受けましたね。若者たちは若冲を見たいってんで、キャプションを見ては若冲だから見てる。蕪村だとほとんど通過しちゃった。そういう光景を見ましたけど、非常によく似ている。辻惟雄さんも内覧会の挨拶では『私が見ても区別がつかないような墨絵がある』なんてね。やっぱり同時代的な、同じ年、同じ土地で活躍した二人には似たような点が探せますね」としていました。寺元氏も「絵具だとか顔料だとか、道具屋さんに出入りするわけですよね。ですからどこかで会ったり、ご挨拶したりということぐらいは、あってもおかしくないような気がします」と、二人の交流を完全には否定しませんでした。澤田瞳子が「若冲」で蕪村と若冲が出会う場面を書いたのも納得です。何としても二人の交流を書きたかったんですね。

    Ron.

映画「TOVE /トーベ」

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現在、ミッドランドスクエアシネマ2で上映中の映画「TOVE/トーベ」(以下「映画」)を見てきました。ムーミントロールの原作者として有名なトーベ・ヤンソンの30歳代から40歳代を描いた伝記映画ですが、「ドキュメンタリー」ではなく「劇映画」です。家族との関係やラブロマンスを中心にして描き、その中にトーベの作品が出てきます。

◆ 映画のあらすじ

最初に出てくるのが父親との衝突と潤滑油のような母親。愛した男性は、政治家、哲学者のアトス・ヴィルタネン。スナフキンのモデルで、スウェーデン語系新聞に子ども向け漫画を連載してほしいと、トーベに依頼する場面もあります。一方、愛した女性は舞台演出家のヴィヴィカ・バンドラー。ブルジョアの既婚女性で、父親はヘルシンキ市長。「ムーミン谷の彗星」をトーベの脚本・舞台美術・衣装で上演し、トーベに自信を与えます。二人は、ムーミントロールの物語に、二人の間だけでしか通じない言葉を話すトフスラン・ビフスランの双子として登場。映画の中では、トーベたちも暗号で話し合っています。

トーベを取り巻く状況が大きく変わるのが、1952年。イギリスのイブニング・ニューズ紙と契約する場面で、男性がトーベに「心変わりのきっかけは」と聞くと、「芸術家として失敗したから。月給が入れば生活も安定する」と答えるトーベ。男性は「報酬は週給。7年間、週6回掲載すること」と、契約条件を伝えます。

連載でトーベは裕福になりますが、多忙のため弟に手伝ってもらうことに。久しぶりに会ったヴィヴィカに「漫画、演劇、小説、絵画、何が天職か分からない」とトーベが愚痴ると、「全部やればいいじゃない」というヴィヴィカ。トーベが吹っ切れた瞬間です。

1958年、父親が死去した後、母親がトーベに見せたのは、父のファイル。そこには、ムーミンの演劇や小説、ムーミンコミックスが綴られていたのです。10年前にはトーベを頭から否定していた父ですが、娘の仕事ぶりを克明に記録していました。

その後、ムーミンの主要キャラクター「おしゃまさん(トゥーティッキ)」にそっくりなアーティスト=トゥーリッキ・ピエティラがトーベのアトリエを訪ねて来る場面があります。トゥーリッキが「何を描いているの」と聞くと、トーベは「新たな旅立ち」答えます。トーベ・ヤンソン本人が踊る8ミリ映像に切り替わり「トーベは、その後もアトス、ヴィヴィカと交流を続けた。ヴィヴィカは『トーベの愛が眩しすぎた』と語った」という字幕が出て、映画は終わります。

◆ 映画の中に出てくる絵画、キャラクターなど

最初に出てくるのは、ムーミントロール。ただし、お馴染みの可愛らしいキャラクターではなく、長い鼻をした少し醜い姿です。アトスに出会った後、紙に描いたのはスナフキン。モデルはアトスだと暗示していますね。トーベのアトリエで描いていたのは《自画像、煙草を吸う娘》。2015年発行の「ムーミンとトーベ・ヤンソン(日本語版)」によると1940年制作ですから、映画の設定とは少しずれます。ヴィヴィカと出会った後、紙に描いたのはトフスランとビフスラン。トーベのToとヴィヴィカのViを使った名前です。ヴィヴィカがトーベのアトリエに来た時、ヴィヴィカがトーベに「これは?」と見せるキャラクターはモラン。トーベは「通った所を凍らせてしまう」と説明、二人の関係を脅かすものの象徴でもあります。市庁舎の地下に描いたフレスコ画は、前掲書によれば《祭典》(1947)。パーティーの様子を描いた作品です。映画では良く分かりませんが、画面中央はヴィヴィカ夫妻、その手前に座って煙草を吸っているのはトーベ。テーブル上のワイングラス横には、ムーミントロールの姿もあります。トーベがフレスコ画を制作する様子も映画の見どころです。

なお、映画の最後に出てくる8ミリ映像は、トゥーリッキ・ピエティラが撮影したものです。

◆ 映画と名古屋市博物館「ムーミンコミックス展」との関係

先日、博物館に行ったときは全く理解できなかったのですが、映画を見て「イブニング・ニューズ紙に連載マンガを載せる」ということの威力が分かりました。映画の最初に出てきたトーベのアトリエはボロボロで、「ちゃんと直すには、とても費用が掛かる」と言われていたのですが、映画の最後に登場したアトリエはピカピカ。お金持ちになったことが、はっきりと目に見えました。また、イブニング・ニューズ社との7年契約が切れた年に、トーベがムーミンコミックスから手を引き、執筆と絵画の生活に戻った気持ちも理解できるようになりました。映画ではトーベとラルスの共同作業も、ほんの一瞬ですが、描かれています。映画を見ると「ムーミンコミックス展」の理解も深まると思いますよ。

Ron.

読書ノート 「若冲」澤田瞳子 株式会社文芸春秋 2015.04.25 第1刷

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◆ 小説家デビュー後、第五作目の作品。直木賞候補となり、翌年には親鸞賞を受賞

作者は「星落ちて、なお」で直木賞を受賞しますが、本作は、その6年前に直木賞候補となった作品。作者は「星落ちて、なお」の受賞インタヴューに「絵師そのものについては『若冲』で描き切ったと考えている」と答えているので、本作は「渾身の作」の一つといえるでしょう。直木賞の受賞は逃しましたが、親鸞賞を受賞しています。

◆ フィクションと事実を取り混ぜたエンタテイメント作品

若冲に寄り添い、狂言回しのような役割を果す妹や「若冲の暗黒面」とも言うべき義弟など、架空の人物が登場してびっくりしますが、事実の部分はしっかりと押さえているので「大河ドラマと同じエンタテイメント作品」と割り切れば、ハラハラ・ドキドキや、涙があふれる場面を楽しむことができます。

特に、若冲が町年寄「桝屋茂右衛門」として画業を封印し、高倉市塲の営業差し止めを回避する「つくも神」は「半沢直樹」を見ているような感じです。ちくまプリマー新書「伊藤若冲」にも載っている話ですが、小説だと人物が生き生きと描かれていて面白い、と思いました。

◆ 池大雅や与謝蕪村なども登場

表紙カバーには「本書に登場した画人たち」として若冲のほか、池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭の名が挙がっています。画人の中では若冲の朋友・池大雅の天真爛漫ぶりと池大雅に対しライバル心をむき出しにする与謝蕪村が印象に残りました。

なかでも「雨月」の半分は、与謝蕪村を描いた話です。若冲とは交流がなかったとされる蕪村ですが、蕪村が若冲の画室を訪れて身の上話をする場面は、読んでいて涙が出ました。作者も小説の表舞台に出て来て、大雅と蕪村が共作した国宝《十便十宜図》について説明しています。「何としても与謝蕪村について書きたかったのだろうな」と思いました。

◆ それぞれの話に、主題となる絵がある

本作は「鳴鶴」から「日隠れ」まで、八つの話で構成されていますが、「鳴鶴」には《鳴鶴図》、「日隠れ」には《石灯籠図屏風》と、それぞれの話に主題となる絵があります。私は、ちくまプリマー新書「伊藤若冲」を時々眺めながら、読みました。特に「鳥獣楽土」は《樹花鳥獣図屏風》《鳥獣花木図屏風》の成立について小説らしい大胆な推理を加えています。読み応えがありました。

◆ 年末には、名古屋市博物館で「大雅と蕪村」が始まる(2021.12.4~2022.1.30)

展覧会のチラシを見ると、「若冲」で作者が取り上げた国宝《十便十宜図》(川端康成記念館蔵)が出品されるとのことです。楽しみですね。

 Ron.