「みんなのミュシャ」関連の番組・書籍など

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

◆「みんなのミュシャ」名古屋展のチラシに印刷された少女

 あいちトリエンナーレで賑わっている名古屋市美術館に「みんなのミュシャ」(2020.4.25~6.28)のチラシが置いてありました。会期などが印刷されたチラシの表面には、衣装をなびかせる少女が、裏面には夢見るような表情の少女が描かれています。表面の作品はアルフォンス・ミュシャ《舞踏―連作(四芸術)より》(部分)、裏面は《モナコ・モンテカルロ》(部分)。どちらもピンナップしたくなる作品です。

◆「新美の巨人たち」(2019.9.7)「今日の一枚」は《モナコ・モンテカルロ》でした

9月7日放送のテレビ愛知「新美の巨人たち」、「今日の一枚」はアルフォンス・ミュシャが制作した鉄道会社のポスター《モナコ・モンテカルロ》(1897)でした。当日朝刊のテレビ欄には「鉄道のポスターなのに列車を描かない深い訳」という説明が付いていました。

番組で旅人・要潤さんが向かったのは、東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム。美術館に向かう途中「要潤さんは、ミュシャの《黄道十二宮》(1896)を持っています」と紹介され、「ミュシャの作品とは知らず、きれいだったから買いました」と答えていました。

《モナコ・モンテカルロ》は展示の後半にあり、「ミュシャの黄金期、37歳の時の作品。モナコ公国の中心地モンテカルロを紹介するPLM鉄道のポスターで右下には小さく、往復チケット、周遊チケット、家族旅行チケット、16時間の豪華鉄道旅行、と印刷されています」「また、この絵には仕掛けがあり、第一は美女を囲む花輪で、それはキリストの光輪。人物を円で囲むことで、その人物に格調の高さと神々しさが生まれる」との解説がありました。第二の仕掛けは緻密な描きこみで、「ミュシャと同時代のロートレックはポスターを芸術の域に引き上げた画家で、単純化した構図を少ない色数で描いています。それに対し、ミュシャが描いたポスターの克明な描写は、当時としては異例の表現でした」との解説。第三の仕掛けは「視線の誘導」で「《モナコ・モンテカルロ》では左下の花輪から延びる茎で少女の顔へ、次に少女が見ている ”MONACO・MONTE-CARLO” という文字に視線が導かれます」と、解説がありました。

番組では、この「ミュシャのスタイル」を借りて、作家の「べつやくれい」さんが《うどんを祝福する要潤》(2019)を制作するというシーンもあります。出来上がった作品は、番組のホームページが紹介しているとおり、格調高く神々しいものです。べつやくれいさんは「ミュシャの描きこみはすごい」と話していました。

 また、広告の専門家・箭内道彦さん(東京芸術大学)が登場して「少女の背景にコート・ダジュールの海岸線とカジノが描かれているが、よく見ないと分からない。ミュシャは、直接的な描写ではなく、暗喩で『気分』を描いた。『そうだ 京都 行こう』を先取りしたポスターとも言える。花輪は汽車の車輪、茎は鉄道線路で、鉄道旅行の楽しさを伝えているという説明が一般的だが、花輪はルーレットなのでは等、いろんな読み方ができる。ミュシャの真似はできそうで、できなさそうで、できる」という解説がありました。

 以上のほか「黒田清輝が日本にミュシャを紹介。その教えを受けて三越呉服店のポスターを描いた杉浦非水(すぎうら・ひすい)を始めとして、日本のグラフィック・デザインはミュシャの影響を受けてきた」という説明もありました。番組のURLは、下記のとおりです。 https://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/backnumber/index.html?trgt=20190907

◆「みんなのミュシャ Special」(カドカワエンタメムック)2019.7.29 株式会社KADOKAWA発行 現在、書店の店頭には数種類の「みんなのミュシャ」関連書籍が並んでおり、たまたま手に取ったのが、この本です。「ぶらぶら美術・博物館 プレミアムアートブック/特別編集」という副題のとおり、山田五郎が「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ-線の魔術」を解説した本です。おぎやはぎも登場します。展覧会の構成に合わせた作品紹介に加えて「展覧会に展示されるマンガ家プロフィール」「ミュシャと世界・美術のヒストリー」「ミュシャにまつわるキーワード」「山田五郎×みうらじゅん対談」など、肩の凝らない記事ばかりです。表紙が《ヒヤシンス姫》、表紙裏の広告が《黄道十二宮》、中表紙が《ジスモンダ》、見開きページが《舞踏―連作(四芸術)より》(部分)と《モナコ・モンテカルロ》(部分)という構成。ミュシャのポスター・装飾パネルというと、この5作が代表作ということなのでしょうか。

なお、「ミュシャと世界・美術のヒストリー」を読むと、ミュシャは1928年、68歳の時にプラハ市に移り、《スラブ叙事詩》全20点をプラハ市に寄贈することを発表。1939年、78歳の時にドイツがチェコスロバキア共和国に侵攻した際、ゲシュタポに拘束され、5日間の尋問ののち釈放されるが健康状態が悪化し、7月14日、プラハで死去(注1)、ということが分かります。

注1:ゲシュタポが拘束したのは「ムハ(注2:ミュシャはフランス語の読み方。チェコ語ではムハ)の絵画は退廃的で、チェコの民族自決を促す危険なものというのが理由だった。そのため、ナチスの占領中は、彼の作品を展示することがいっさい禁止された」(「図説 プラハ 塔と黄金と革命の都市」ふくろうの本 2011年1月30日発行 著者 片野 優・須貝典子 発行所 河出書房新社 より)

◆Bunkamuraザ・ミュージアムのホームページ

内容は、PR動画のほかに「みどころ」「章解説」などです。

「みどころ」では、「みどころ3 こんなところにもミュシャの影響が?」のアルフォンス・ミュシャ《ジョブ》(1896)と、その色を変えたロック・コンサートのポスター(1966)の比較や、「みどころ4 文芸誌のデザインからマンガまで――日本で生き続ける“ミュシャ”」のアルフォンス・ミュシャ《黄道十二宮》(1896)と藤島武二『みだれ髪』(与謝野晶子)の表紙との比較が面白いと思いました。

「章解説」は、Section1からSection5までの各章ごとの解説です。なお、《モナコ・モンテカルロ》の図版はSection5で紹介しています。Section5には、また「ミュシャは近代の女性たちの内面と身体を表現するアイコンとして、この国の文化史の中にある」という文がありました。展覧会ホームページのURLは、下記のとおりです。 https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_mucha/

◆最後に 「みんなのミュシャ」が名古屋市美術館に巡回するのは、2020年4月25日(土)~6月28日(日)と半年以上も先のことですが、東京展開催中ということもあり、展覧会の情報は書籍やインターネット等であふれていますので御紹介いたしました。

なお、BS日テレ「ぶらぶら美術・博物館」では、去る8月13日(火)にBunkamuraザ・ミュージアムの「みんなのミュシャ」を紹介ずみです。とはいえ、できれば来年の名古屋展開催時には名古屋地区で「ぶらぶら美術・博物館」の再放送を実現していただきたいですね。

Ron.

あいちトリエンナーレ2019の新聞記事について

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

先日の合同鑑賞会で学芸員さんから「トリエンナーレについて、肝心の作品の話はどこかに行ってしまいました」という嘆き節を聞きましたが、ようやく「作品の話」を書いた新聞記事を二つ見ることが出来ました。

一つ目の新聞記事は、8月29日(木)から31日(土)まで中日新聞朝刊「Culture」欄に連載された「見る歩く あいちトリエンナーレ」の上(以下「C上」)、中(以下「C中」)、下(以下「C下」)です。C上は作家・高山羽根子さんが登場する谷口大河記者の署名記事、C中は元名古屋ボストン美術館館長・馬場駿吉さんが登場する栗山真寛記者の署名記事、C下は評論家・藤田直哉さんが登場する中村陽子記者の署名記事。二つ目は、8月31日(土)日本経済新聞「文化」欄の窪田直子・編集委員による署名記事(以下「日経」)です。 項目別に、二つの記事をまとめてみました。

◆ジェンダーバランス(トリエンナーレ参加アーティストの男女比率)について

 ジェンダーバランスについては合同鑑賞会でも話がありましたが、日経では「今回、芸術祭の芸術監督を務めたジャーナリストの津田大介氏の強い意向で、参加アーティストの男女比率が同数になった。美術館長などの主要職、大型芸術祭の出品作家の多くをいまだ男性が占める状況に一石を投じたといえる」と、好評価でした。C上でも「『一つの試みとして興味深い』と高山さん。美大で日本画を学んでいたころを振り返り『結婚や出産、育児で創作を離れる人、キャリアが中断される人はいるが、芸術分野に限らず、それを経験したからこそできる仕事もあるはず。(男性偏重を解消する)ジェンダーバランスは、そういった人も能力を評価されるチャンス』と話す」と、今回の対応に賛同しています。  確かに、合同鑑賞会で見たN01 碓井ゆう(注:アルファベットと数字は公式ガイドマップの通し番号。以下同じ)やN07 青木美紅の作品は女性ならではのものです。また、女性作家が多いことで「多様性が増している」と感じました。合同鑑賞会に参加した人は誰でも、同じような感想を持ったのではないかと思います。

◆「表現の不自由展・その後」の中止について

 日経では「芸術祭のテーマは『情の時代』。『情報によってあおられた“感情”に翻弄された人々が世界中で分断を起こしている』との危機感から津田氏が選んだ。『表現の不自由展・その後』の中止は、図らずもその分断の深さを露呈してしまった。テロ予告や脅迫ともとれるファクスや電話が殺到し『不自由展』が打ち切られたことに対して、芸術祭の出品作家72人(注:正しくは、声明発表時12人。その後、田中功起氏が加わり13人)が声明を発表した。一部の作家は自作の展示を中止、あるいは内容を変更して抗議の意思を表明。自主運営スペースを開設して公開ディスカッションなどを企画する動きもある。他者への共感をもって排外主義にあらがう作品のメッセージは、この一件を契機にかえって強固になったように感じる」と、多くのスペースを割き、「共生・分断 世相映す芸術祭」という大見出しに加え「『不自由展』中止の余波続く」という小見出しをつけています。

 C上では「(注:高山さんは)小説家として『表現の不自由展・その後』の中止の問題も考えずにはいられない。『賛否のどちらが正解で、もう一方が不正解とは簡単に言えない。間で困惑する人の目線も絶えず考えていきたい』(略)人の心のグラデーションを表現した書き手として『どちらか一方ではなく、間で踏みとどまって、その上で考えるのが大切だと思う』と語った」と書いています。また、C下ではトリエンナーレに対する評価について「藤田さんは『とりわけジャーナリスティックな方向で特色を出し、成功してきた印象がありますね』と語る。現代社会で起きている問題を映し出す作品が、一番の見どころだったとの指摘だ」とした上で、不自由展の中止について「藤田さんは『世界の芸術祭を見れば、政治色の強い、議論を巻き起こすアートも、珍しくありません』と解説する。(略)『不自由展の企画は、その後の経緯を含めて、社会の分断を可視化する作品と見ることもできます。ただ個人的には、その一歩先、対立を超える知恵も、表現してもらいたかったなぁ』」と書いていました。

 いずれの記事も「間で踏みとどまって」(C上)、「対立を超える知恵」(C下)など、その言葉からは「共生」(日経の見出し)を望んでいる姿勢が感じられました。ただ、9月1日(日)中日新聞の記事は「とはいえ再開には、困難もつきまとう。このままの状態では、政治家や匿名の抗議の再燃は避けられない。電話対応や警備体制の変更など、新たな工夫が必要になる」と、厳しい見方をしています。

◆ジェンダー(社会的、文化的に形成される男女の差異)をテーマにした作品について

◎N04 モニカ・メイヤー「The Clothesline」

 日経では、「現在は、内容を変更して展示中」という説明文の写真を付け、「『痴漢被害を父に相談したらジョークで返されショックを受けた』『小2の時、女はサッカーをやるなと男子に蹴られた』メキシコのモニカ・メイヤーによる観客参加型のプロジェクトを展示する一室では、こんな体験が書かれたメモ用紙に鑑賞者たちが見入っていた」と紹介していました。

◎S08 キュンチョメ

 四間道・円頓寺会場の幸円ビルに展示している作品で、C下は「藤田さんは『ぜひ見ておきたい』と、男女二組ユニット『キュンチョメ』が出品するビルに足を向けた。性同一性障害の当事者へのインタビューを中心にした映像作品。『性別の境界を超えることの難しさを分かりやすく伝える快作ですね』と満足そうだ」と紹介していました。日経でも、多くのスペースを割いて紹介しています。

◆国籍や文化の差異をテーマにした作品について

◎N03 藤井 光

 日経では写真付きで「展示室内では、ふんどし・鉢巻き姿で水につかって身を清め、整列行進する男たちが映るモノクロ映像と、彼らの動作をまねる外国人の集団のカラー映像が流れる。戦前の日本が統治下の台湾に設置した『国民道場』に着想した新作だ。(略)外国人労働者の受け入れが今後拡大する日本では、文化の異なる他者との共生は大きな課題だ。日本社会への同調を強いるのではなく、多様な存在を包容できるか。同じ動作を繰り返す無表情の外国人男女の映像は、そんな問いを突きつける」と、多くのスペースを割いて紹介していました。C下でも「この人が出しているなら行ってみよう」という作家として紹介しています。

◎A11 田中 功起

 日経では「(略)映像に登場するのはボリビア、朝鮮半島、バングラディシュ、ブラジル出身の親を持つ4人の男女。(略)わずかな外見上の違いなどから好奇の目にさらされたりした生い立ちを淡々と語り合う。『日本には、日本人は単一民族であるという幻想がある』と田中は作品の解説に記す。日本人像が多様化している現実に。社会は追いついていないのである」と紹介していました。C下でも「この人が出しているなら行ってみよう」という作家として紹介しています。

◎A04 レジーナ・ホセ・ガリンド

 日経の記事は「県内のラテン系の労働者たちと映像を撮った」と短めですが、文化の異なる他者を扱った作品の最初に紹介されています。「共生・分断」という切り口に合致した作品、という評価でしょうか。

◎S03 梁志和・黄志恆

 C下では「展示作品の手前に、祖国(注:香港)のデモ弾圧に対する声明を張り出している」と説明し、「中部地域は、製造業に従事する外国人も多く、世界の都市と、移民や差別の問題で通じ合える可能性がある。そこに芸術で迫るという方向性は、間違っていないように思いますよ」という藤田さんの意見を掲載していました。

◆豊田市駅周辺の作品について

◎T02 小田原のどか「→(1923-1951)」

 C上では新豊田駅近くの作品を、「空白の台座 気づき促す」と、大見出しを付け「造形物は、屋外彫刻の台座を模している。戦前、同じ形の台座が、東京・三宅坂にあり、馬に乗った軍人の像が飾られていた。だが、この作品には、本来なら彫刻が置かれているはずの部分に何もない。(略)戦後、日本では、あちこちにあった軍人の像に代わって、『平和』と冠した裸婦像の彫刻が増えた。三宅坂の台座には『平和の群像』と題し、三人の裸婦像が飾られた。これが全国の裸婦像の先駆けとされる。彫刻とはいえ、女性の裸が街頭に乱立していった歴史を鋭く見つめているのだ。高山さんは『背景を知るといろんなことを考える。例えば少年漫画雑誌の表紙を飾る水着の女性、女性の体をほめる「曲線美」という言葉。否定的な違和感ではないが、なぜだろうという気づきがある』と話す。台座は空白だからこそ『多くの人に気づきを促すはず』」と、台座の写真も付けて紹介しています。  私がこの作品を見て分かったことは「戦後、裸婦像が軍人の像と入れ替わった」という事実だけでした。高山さんの言葉によって「背景を知って、いろんなことを考える必要があるのだ」と気づかされました。

◎T03 和田 唯奈(しんかぞく)「レンタルあかちゃん」

 これもC上です。「赤ちゃんが描かれた絵を手に、物語性の高い絵が飾られた『レンタルあかちゃん』の会場を巡る」という説明文の写真を付け、「会場内の手紙などから、子に込めた願いを知る仕掛けになっており、女性の体と切り離せない出産、役割とされてきた育児について考えさせられる。体験した高山さんは『ポップさとの対比が面白いですね。物語を自分の手で完成させた感じがした。赤ちゃんの絵も複数の種類があり、誰かと一緒に回ると楽しい作品』と笑った」と紹介しています。  この作品、私が豊田市に行ったときは時間切れでパス。記事を読み、その時パスしたことが悔やまれました。

◆パフォーミングアーツについて

◎A01ab、N11 ドラ・ガルシア 「THE ROMEOS」

 C中では「ガルシアさんは壇上に並んだ九人のロミオたちに質問を投げかけていく(略)馬場さんは『自己と他者の境界をあいまいにするような作品。かつて寺山修司が劇場から街へ出ていったよう』と思い起こす」と紹介していました。また、不自由展の中止については「ガルシアさんは抗議の意思として、展示を一時中止したが、ロミオたちは継続して活動している」と書いています。

◎A63 劇団うりんこ+三浦 基+クワクボリョウタ「幸福はだれにくる」

 C中では「トリエンナーレは国際的であると同時に、愛知で開催する意味合いを考える上で、地元の劇団がこのような作品を上演したことを(注:馬場さんは)喜ぶ」と書いていました。

Ron.

セルビアとその隣国の公用語など

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 先日開催された「あいちトリエンナーレ2019合同鑑賞会」の名古屋市美術館会場で、セルビア人作家・カタリーナ・ズィディエーラーの作品《Shaum》の解説を聞いていたら、最近読んだ本の一節を思い出しました。それは「フランス革命に端を発して、ヨーロッパで国民国家が主流になると、オスマン帝国からの分離運動が発生した。ところが言語や歴史から「国民」を分けることはバルカン半島では困難だった。(略)現在でもこの地域における第一外国語はドイツ語であり、共通言語でもあった。バルカン半島は、正教徒、カトリック、イスラム混住地域であり、言語地図も複雑であった。そのうち正教徒でありセルボ・クロアチア語を喋るセルビア人は、最有力人口ブロックであった。」(文春新書「第一次世界大戦はなぜ始まったのか」 別宮 暖朗 著 2014年7月20日発行 p.89)という所です。このうち「第一外国語はドイツ語であり、共通言語でもあった」という部分を読んで「本当?」と疑っていたのですが、作品の解説を聞き「書いてあったことは、嘘ではない」と信じることにしました。

◆セルビアの国名と公用語

Wikipediaで調べるとセルビアの国名と公用語は以下の通りです。文末に地図を添付しておきます。

◎セルビア共和国(セルビア・モンテネグロの解体により 2006年6月5日独立)  セルビア語では、Република Србија(キリル文字) Republika Srbija(ラテン文字) (Serbia は英語の表記。セルビア語では、Србија(キリル文字)又は、Srbija(ラテン文字) 公用語:セルビア語

◎ヴォイヴォディナ自治州(旧自治州設置 1945年9月1日、現行自治憲法施行 2010年1月1日 ) セルビア語では、Autonomna Pokrajina Vojvodina(ラテン文字) 公用語:セルビア語、ハンガリー語、スロバキア語、パンノニア・ルシン語、ルーマニア語、クロアチア語 (ヴォイヴォディナは多民族混住の地であり、26を超える少数民族が居住しています)

◎コソボ共和国(2008年2月17日独立宣言。セルビア、ロシア、中国などは独立を承認していません) アルバニア語では、Republika e Kosovës セルビア語では、Република Косово(キリル文字) 公用語:アルバニア語、セルビア語 独立に至る経緯:1995年にボスニア紛争が終了すると、セルビア共和国内のコソボ自治州で多数を占めるアルバニア人が武装闘争を開始。1998年、セルビアはコソボに大部隊を展開。1999年、NATO軍がユーゴスラビアへ空爆を行う。2000年、コソボからセルビア軍が撤退すると、NATO軍主体の部隊と国連暫定統治機構がコソボに駐留を始める。(この項の出典は、「プロの添乗員と行く クロアチア・スロベニア世界遺産と歴史の旅」武村洋子著 発行所 株式会社 彩図社 2015年8月11日発行 p.95~96)

◆セルビアの主な隣国と公用語

◎クロアチア共和国(1991年6月25日 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立) クロアチア語では、Republika Hrvatska(クロアチア語はラテン文字を使用) (Croatia は英語の表記。クロアチア語では、Hrvatska) 公用語:クロアチア語(セルビア語とほぼ同じ。両者を「セルボ・クロアチア語」と分類する場合もあります)

◎モンテネグロ(セルビア・モンテネグロの解体により 2006年6月5日独立) モンテネグロ語では、Црна Гора(キリル文字) Crna Gora(ラテン文字) (Montegegro はヴェネト語=イタリアのヴェネツィア等で話されている言語。Crna Gora、Montenegro のいずれも、意味は「黒い山」です) 公用語:モンテネグロ語(セルビア語の方言)、アルバニア語、セルビア語、ボスニア語、クロアチア語

◎ボスニア・ヘルツェゴビナ(1991年に内戦が始まり、1995年12月14日に3勢力妥協・内戦終結) ボスニア語・クロアチア語では、Bosna i Hercegovina セルビア語では、Босна и Херцеговина 公用語:ボスニア語、セルビア語、クロアチア語 ボスニア・ヘルツェゴビナは、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国で構成する連邦国家です。

・ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦 Federacija Bosne i Hercegovine(ボスニア語・クロアチア語)Федерација Босне и Херцеговине(セルビア語) 公用語:ボスニア語、クロアチア語、セルビア語 ボスニア・ヘルツェゴビナの主要3民族のうち、ボシュニャク人(イスラム教に改宗した南スラブ人)とクロア  チア人を主体とする共和国です。

・スルプスカ共和国 Република Српска(セルビア語) Српска は、ラテン文字では Srpska で「セルビア人」という意味。直訳すると「セルビア人共和国」です。 公用語:セルビア語、クロアチア語、ボスニア語 ボスニア・ヘルツェゴビナの主要3民族のうち、セルビア人を主体とする共和国です。

◆多言語・多民族混住世界での共存ということ

旧ユーゴスラビアを表現する「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」という言葉があります。この中で「4つの言語」は、スロヴェニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語。「5つの民族」は、スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人です。しかし、セルビアとその隣国の公用語だけでもボスニア語、アルバニア語などが加わって4つではおさまらず、民族にはボシュニャク人やアルバニア人、ハンガリー人、ルーマニア人などが加わります。旧ユーゴスラビアは、日本人には想像できないほどの多言語・多民族混住の国家でした。

この文の最初で引用した「第一次世界大戦はなぜ始まったのか」には、「フランス革命に端を発して、ヨーロッパで国民国家が主流になると、オスマン帝国からの分離運動が発生した。言語や歴史から「国民」を分けることはバルカン半島では困難だった」という箇所があります。「国民国家」という考え方がバルカン半島における争いを生んだ、というのです。第一次世界大戦は、ボスニア・ヘルツェゴビナで起きたサラエボ事件が引き金になって、オーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに侵攻したことで始まりましたし、1990年代になると旧ユーゴスラビアでは、「民族主義」を掲げたボスニア紛争やコソボ紛争が起きました。 20万人以上の犠牲者を出したボスニア紛争について、「戦火のサラエボ100年史『民族浄化』もう一つの真実」 著者 梅原季哉 発行所 朝日新聞出版 2015年8月25日発行)には「それまでチトーの強烈な指導力の下で抑えつけられていた、民族主義感情が頭をもたげ始め(p.115)」たことが、その伏線にあると書かれていました。

また、同書の著者は「終章」263ページから265ページにかけて、次のとおり意見を述べています。 民族の違いを理由に、敵味方の線を引き、敵対する者を排除しようという考え方は、確かに20世紀のボスニアで何度も繰り返された悲劇の原点だ。90年代の内戦ですっかり用語として定着してしまった「民族浄化」(エスニック・クレンジング)の動きはまさにその典型といえる。その背後では、ほかの民族を標的として憎悪や恐怖心をあおる民族主義思想を、集団幻想としてばらまき、その憎悪をもとに自分たちの権勢を築き上げようとした政治家たちの存在があった。(略)ボスニアの歴史、特にサラエボの人々が積み重ねてきた系譜の中では、そうした民族の違いよりも、人間性という普遍に目を向け、文化や宗教が異なる人々との共存をはかってきた寛容の伝統も受け継がれてきたのだ。そのことを軽視してはならない。(引用終わり)

 ここに書かれた「文化や宗教が異なる人々との共存をはかってきた寛容の伝統」というのは、セルビアから遠く離れた日本に住む、現在の我々にとっても大事なことだと思います。

Ron.

セルビア共和国とその隣国

あいちトリエンナーレ2019 合同鑑賞会 レポート

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

2016年に引き続き、あいちトリエンナーレ2019(以下「トリエンナーレ」)でも名古屋市美術館協力会と愛知県美術館友の会の合同鑑賞会が開催されました。午前の部は名古屋市美術館会場、午後の部は愛知県美術館会場で開催され、午前の部の参加者総数は約60名、午後の部は午前の部より参加者が増えていたように思います。 名古屋市美術館会場(10:30~11:30)

名古屋市美術館での解説の様子

 名古屋市美術館会場の案内は竹葉丈学芸員(以下「竹葉さん」)でした。展示室に向かう途中、竹葉さんは美術館のロビーとエントランスホールを繋ぐ橋の上で立ち止まり、「皆さん、ここからサンクンガーデンを見てください。あそこに置かれているゴミ袋も作品です」と言われました。

◆N12 バルテレミ・トグォ(カメルーンの作家)  それは、国旗が印刷された白いビニール袋でした。竹葉さんの解説は「印刷されているのは19世紀から20世紀にかけてヨーロッパの植民地になっていた国の国旗です。毎日、美術館を取り巻くように設置し、午後4時半に回収されます。当時の宗主国と植民地の関係を象徴するインスタレーションです。今回、メインストリームの作家の出品はありませんが、現代美術が身近になっていると感じられます」というものでした。

◆N01 碓井ゆい(うすい・ゆい) エントランスホールの屋根から透明な丸い皿と蓋が吊り下げられています。蓋には ”TOKYO PETRI SHALE”の文字。皿にはオーガンジーに刺繍したモチーフ(乳母車を押しているウサギ、ヒツジ、イヌ、ネコ、カエルや子供服、揺りかご等)が置かれています。竹葉さんの解説は「作者は今年、出産されました。モチーフはマタニティ・グッズです。ほとんどはペアで、染色体を表わしています。しかし、ペアになっていないモチーフもあります。それは染色体異常、重い内容を含んだ作品です。なお、毎週金曜日の夜間開館時はライトアップされます。きれいですから、一度ご覧ください」というものでした。

◆N02 今津景(いまづ・けい) 1階の吹き抜け部分に進むと、屋根から大型のパネルとバナーが吊り下げられ、バナーに向かって右側の壁の上部には赤いオランウータンの動画、壁の下に立てかけられたパネルにも動画が投影されています。竹葉さんの解説は「作者はインドネシアに移住した女性。壁の上部にあるのは中国製の回転するプロペラ、動画はプロペラの裏からが投影されています。下の動画は、メイキング映像。インドネシアでは絶滅危惧種のコモドドラゴンが密猟されるなど自然破壊が進んでおり、それに警鐘を鳴らす作品です。大型のパネルとバナーは、インターネットで集めた素材をもとに制作。名古屋市美術館の常設展に展示しているフランク・ステラの作品と同じように、平面だけど奥行きを感じさせる作品です」というものでした。

◆N03 藤井光(ふじい・ひかる) 次の展示室は真っ暗。戦前のモノクロ動画と最新のカラー動画が映写されていました。竹葉さんの解説は「モノクロ動画は、1942年から43年にかけて、台湾に開設された国民道場で行われた現地青年に対する日本人教育の様子を描いたものです。カラー動画は2019年制作。国民道場を再現した作品で、モノクロ動画とシンクロしています。出演者は日本で働いているベトナム人の若者です。戦前も現在も、外国人の助けを必要としているという点では同じ。また、日本でグローバル化が進んでいることも感じます」というものでした。

◆N04 モニカ・メイヤー(メキシコ人、フェミニスト・アートのパイオニア) 展示室の床にはカードが散らばり、カードがクリップで留められていた仕切り板には「表現の自由を守る」という声明。声明は8月25日に豊田市美術館で見たものと同じですが、署名者に「田中功起」が追加されていました。竹葉さんの解説は「この作品は “The Clothesline” という運動の一環。主催者が用意した「質問」を書いたカードに参加者が「答え」を書いて展示するものです。壁に貼ってあるのは、今年6月に名古屋大学で開催したシンポジウムの記録です。8月14日までは参加者が記入したカードが展示されていましたが、現在は全て回収・保管されています。散らばっているのは未記入のカードです。表現の不自由展が再開すれば、展示は元に戻ります」というものでした。

◆N05 桝本佳子(ますもと・けいこ) N04の隣には、陶磁器の雁が壺を通り抜ける様子と漁船がカジキマグロを釣る様子を表現した二つのインスタレーションのほか、器と動物が融合した作品など多数の陶磁器が展示されています。竹葉さんの解説は「これらの作品は、幕末・明治期の超絶技巧をポップにしたものです。個人的には《イカ/壺》(2018)が面白い。磁器で光沢があります。また、《鷺/壺/鷺》(2010)は豊田市美術館の所蔵品です」というものでした。 美術館1階・2階の間にある階段室

◆N11 ドゥラ・ガルシア 壁の「THE ROMEOS」と書いたポスターに「表現の自由を守る」という声明が貼られていました。竹葉さんによると「声明は貼っていますが、ROMEOの人は活動しています」とのことでした。 美術館2階

◆N06 パスカレハンドロ(男女のユニット) 竹葉さんの解説は「パスカレハンドロというのは、映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーと画家パスカル・モンタンドン=ホドロフスキー夫婦のユニット。ホドロフスキーはパリのカフェで集団治療を行い、そのお礼はアレハンドロ宛てに手紙を出すことでした。壁に貼ってあるのは、その手紙です。今回は10通の手紙を選び日本語に翻訳して冊子を制作しました。冊子は持ち帰り自由です。奥の部屋で上映している映像作品は集団治療の様子です。話は変わりますが、今回のトリエンナーレは多様性が感じられて楽しかった」というものでした。

◆N07 青木美紅(あおき・みく) 展示室の真ん中に部屋が置かれ、壁には巨大な壁新聞と牧場の風景が貼られています。竹葉さんの解説は「作家は22歳で現役の美大生。18歳の時に母親から人工授精で生まれたことを知らされ、将来、妊娠して子どもが産めるか心配だったそうです。《1996》という表題は作家の生まれた年というだけでなく、クローン羊のドリーが生まれた年でもあり、旧優生保護法による不妊手術を拒否した女性が『札幌いちごの会』を立ち上げた年でもあります。中央に置かれた部屋は12角形。周囲の壁に貼ってあるのは、ドリーが生まれた牧場の写真と『札幌いちごの会』の記事で、全面にラメ糸の刺繍があります。女性らしい作品です」というものでした。

◆N08 タニア・ペレス・コルドヴァ 白い台の上に、大理石の円柱や陶器の壺などが一列に並んでいます。竹葉さんの解説は「メキシコの女性作家の作品で、大理石の円柱の上にはコンタクトレンズの片方が置かれています。花柄の花瓶やドル・ペソ硬貨の複製もあります。作者によれば『円柱状のコンタクトレンズと対のレンズをつけた女性や花瓶と同じ柄の服を着た女性が、作品の近くを通り過ぎるかもしれない』ということですが、今のところそのような女性はいません。この作品、私としては、自分の部屋に帰ってきた女性がコンタクトレンズを外し、服を脱いで化粧も落としシャンプーするという流れを表現しているように思えます」というものでした。

◆N09 Sholim 壁にスマホやタブレットが壁に貼られ、短い動画を繰り返し再生しています。竹葉さんの解説は「作者はセルビア人。どれも、シュールレアリズムのような動画です。一番左は小津安二郎監督の映画『東京物語』もとにした作品。その右にあるのはメイキング映像です」というものでした。

◆N10 カタリーナ・ズィディエーラー 音楽を聴いて、その歌詞を筆記している動画です。竹葉さんの解説は「この動画の作者もセルビア人です。18984年のヒット曲『Shout』の英語の歌詞をセルビア人男性が文字にしている様子を撮影したものです。歌はShoutと発音しているのに、文字はShoum(注:動画では「Sh」ではなく「S」の上に記号「-」を付けた文字を書いています)になってしまいます。セルビアを含む旧ユーゴスラビアは多言語国家でした。自分の知らない言葉は、聞き取るだけでも難しいことを表現しています」というものでした。 名古屋市美術館地下1階 常設展示室3の入口に、N04で見たようなカードをクリップで留めた仕切り板があります。竹葉さんの解説は「地下のカードは『子どもとして、嫌だな、と感じたことはありますか? それは何ですか?』という質問に対する答えを書いたものです。時間があれば読んでください」というものでした。 一旦解散 午前の部は、以上で終了。「午後の部は午後1時から開始します。開始の10分前までに愛知県美術館10階入口付近に集合してください」という案内があり、合同鑑賞会は一旦解散しました。 愛知県美術館会場(13:00~14:17) 午後の部の開始に当たり、愛知県美術館の学芸員さんから「新聞等で報道された通り『表現の不自由展・その後』(以下、「不自由展」)は作品の撤去要請があっただけでなくテロ予告や脅迫ともとれる抗議があり、安全な運営が危ぶまれるために中止しました。不自由展中止後は中止したことに抗議するための出品辞退や展示中止があり、現在、トリエンナーレ事務局は混乱しています。トリエンナーレには66組が参加していますが、展示中止以外の作品の影が薄くなりました。また、トリエンナーレに対する関心・話題では、肝心の作品の話はどこかに行ってしまいました。合同鑑賞会に参加された皆さんには『トリエンナーレを楽しんで欲しい』という気持ちで一杯です。午後の部では10階を中心に、ポイントを絞って解説させていただきます」と挨拶がありました。

解説してくださった竹葉学芸員、ありがとうございました

◆A02 エキソニモ 《The Kiss》 愛知県美術館10階の入口広場の中央にある作品の解説は「スマホに見えるモニター2台に目をつむった人の顔が映っている作品の題名は “The Kiss” です。モニターが向かい合っているので、キッスしているように見えます。モニターを持っている手は3Ⅾプリンターで制作したものです。大型の作品を作るのは技術的に難しいため、継目が見えます。ひょっとしたら、将来、2019年代の技術水準を示す産業遺産になるかもしれません」というものでした。解説を聞いているとき、隣から「キッスの時は誰でも目をつむるの?」「あたりまえでしょう」という会話が聞こえました。家に帰ってからネットで調べると「ほとんどの女性は目をつむるが、男性の3割は目を開いている。理由は可愛いから見ていたい」という記事がありました。それから、昔、喜劇映画で見たような覚えがあるのですが、この作品、目をつむっている男性が突然目を開けて「お前、なに見てるんだよ」と怒鳴ったとしたら、作品を見ていた人はびっくりするでしょうね。ただ、美術作品としてはいただけませんが……

◆A03 アマンダ・マルティネス アクリル樹脂製で、同じパターンを繰り返す手法を使った立体作品です。《夜明けまでジャズ、なんて》など、意味深な題名がついていました。解説は「この作品は女性作家のものです。作家の選定について『トリエンナーレは女性作家に下駄をはかせるのか?』という意見もありました。現在は女性作家の人数が多いので、結果的に50対50になったのです」というものでした。

◆A04 レジーナ・ホセ・ガリンド 展示室の照明は消され、床には“Latinos in Japan” と書いた紙。解説は「豊田市・保見団地の映像が上映されていましたが、今は中止。作家は『多文化共生といっても日本人のルールの中で生きるというのは抑圧ではないか』という疑問を抱いて保見団地を取材しました。そこには複雑な問題があり、最終的にパーティーの映像を上映することになりました。不自由展の中止に対する中南米と韓国の作家の反応は大きいものでした。表現の自由が目に見える形で制限されている地域と欧米や日本とでは、表現の自由に対する考え方が違います。不自由展中止に対し『安全性という名目の検閲があるのではないか』という意見もあります」というものでした。

◆A05 アンナ・ヴィット 《60分の笑顔》という題名の、作り笑いを続ける動画です。解説は「60分間笑い続けるというのは大変です。緊張を強いられ笑顔が途切れる瞬間もあります。その様子を楽しむ作品です」というものでした。参加者からの「60分の始まりと終わりは分かりますか」という質問には「はい、分かりますよ」という回答がありました。

◆A06 ウーゴ・ロンディーネ 《孤独のボキャブラリー》 公式ガイドマップの表紙になっている作品です。解説は「45体のピエロが表現しているのは、一人でいる時の表情です。ピエロはそれぞれ「佇む」「呼吸する」「あくびする」等の表情を表現しています。ポーズしているモデルを3Ⅾスキャンして発泡スチロールで作った体の上から、衣装を着せています。大柄なピエロは男性の、小柄なピエロは女性のモデルをスキャンしたものです。リラックスした状況をつくるため、展示室のカーペットを明るいリノリウムに取り替えました。ピエロに存在感があるので、気味が悪い時があります」というものでした。確かに、照明を変えれば「お化け屋敷」になりますね。

◆A07 クラウディア・アルティネス・ガライ 照明を消された部屋に展示物があります。動画を上映していた部屋に入ることは出来ません。解説は「作者はペルーのアーティストで、モチーフはペルーの歴史です。ペルーは複雑な歴史を持ち、様々な国から侵略を受けました。動画は1200年前のペルーの男性をモチーフにして制作したものです」というものでした。

◆A08 永田孝祐(ながた・こうすけ) 写真と料理作り動画の組み合わせです。解説は「写真を見ると、ボウルに100%、水差しには64.28%などの表示があります。これは、ボウルの画像に対しコンピュータは100%の確かさでボウルだと認識したが、水差しの画像に対する認識は64.28%の確かさだったということです。左隣の写真は、もう少し広い範囲を撮影したものです。この写真だとコンピュータは机を認識しますが、ボウルや水差しを撮影した写真だと机の存在を認識できません。反対側の壁に展示された写真では実物と印刷物が混じっています。一目では、実物と印刷物を区別できません。動画は料理の手順を外国語に翻訳した作品です。『おでん』を翻訳すると『ポトフ』になるように、翻訳によって失われていくものがあることが分かります」というものでした。

◆A09 石場文子(いしば・あやこ) 撮った写真に輪郭線を書き加えた写真と何の変哲もない写真が展示されていました。解説は「輪郭線を書き加えたように見える写真ですが、実は写真には何の加工も加えていません。被写体の一部を黒く塗り、輪郭線を書き加えたように見える位置から撮影した作品です。別の三点は、タオルや洗濯物を撮影したように見えますが、吊るしているのは全て印刷物です」というものでした。「だまし絵」みたいな作品ですね。

◆A10 村山悟郎(むらやま・ごろう) 変顔の写真とドローイングが展示されていました。解説は「変顔の写真とドローイングのそれぞれに、+と-の記号が付いています。+はコンピュータが『人の顔』と認識したもの、-は認識しなかったものです。マティスの作品は逆さにしても『人の顔』と認識しています。次の部屋は歩くロボットと、コンピュータによる『人の歩行パターン』の認識を試した作品です」というものでした。「人の歩行パターン認識」は、テレビ番組「科捜研の女」で犯人を特定するために使っていますね。

◆A11 田中功起(たなか・こうき) 絵具を塗りたくった布のほか、動画も上映しています。解説は「4人の人物が家族を演じるという作品で、展示されている布は、演じた家族が描いた絵です。日本人は様々なルーツを持った人々で構成されていますが、家族を演じた4人は全員が混血です。なお、9月3日から作品が変更されて入れなくなります。そして、毎週土曜日だけ、この部屋で集会が開かれます。知事は『テロに対する安全の確保のために不自由展を中止する』と説明しましたが、作家は『外国人に対する差別が覆い隠されているのではないか』と考えて、抗議しています」というものでした。このことは、2019.08.24付の中日新聞朝刊に掲載されていましたね。

◆A13 ヘザー・デューイ=ハグボーク 愛知県美術館10階出口に通じる廊下の壁に人の顔などが展示され、モニターでは動画を上映しています。解説は「人の顔は、タバコの吸い殻などのDNAサンプルに基づいて、3Dプリンタされた肖像です。別のケースにはDNAデータを消す薬品も展示しています。動画で、そのプロセスを説明しています。ただ、制作した肖像が、DNAの持ち主にどこまで似ているかは、分かりません」というものでした。この時点で終了予定時刻の午後2時を15分以上超過していたため、A12 伊藤ガビン A14 dividual Inc. A15 シール・フロイヤー A16 文谷有佳里については、残念ながら紹介だけとなり、合同鑑賞会は終了しました。

愛知県美術館での鑑賞会の様子

◆合同鑑賞会・その後 合同鑑賞会の終わり頃、ROMEOSの人に遭遇しました。「手ぶらだし、観客らしくないので、見ればわかる」と言われていましたが、その通りでした。ラッキー! また、N06で竹葉さんが「多様性が感じられて楽しかった」と言われましたが、A03で解説のあった「女性作家が50%」ということが多様性を生んだように思います。ジェンダーの問題は、2019.08.29付中日新聞朝刊「Culture」欄でも取り上げていましたね。 最後になりましたが、名古屋市美術館と愛知県美術館の皆さん、ありがとうございました。                

Ron.