碧南市藤井達吉現代美術館 「碧い海の宝石箱」展 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

2023.05.14 14:00~15:00

碧南市藤井達吉現代美術館(以下「碧南市美」)で開催中の「碧い海の宝石箱」(以下「本展」)のミニツアーに参加しました。参加者は7人。碧南市美が開催するギャラリートークを他の入場者と一緒に聞く、というミニツアーでした。

ギャラリートークを担当されたのは3人。特任学芸員の大野さんと学芸員の大長さん、豆田さんです。大長さんが第1章、第2章、第3章part 1と第4章、大野さんが第3章part2、豆田さんが第5章を担当。本展の名称「碧い海の宝石箱」について、大長さんは「碧い海というのは、碧海郡(今の碧南市を含む、昔の行政区画の名前)を象徴しています。宝箱は地域の宝箱である碧南市美のことです」と解説され、「本展の出品は70作家・112件」と付け加えました。

◆ 第1章 藤井達吉がいた時代 大正~昭和初期の美術から

大長さんは先ず、毛利教武《手》(1919)について解説。「毛利教武はフュウザン会の作家。フュウザン会は大正元(1912)年に岸田劉生らが結成した芸術家集団。表現主義的作風を強調したが、活動期間は半年ほど。藤井達吉もフュウザン会に所属しています。そのため、第1章では木村荘八《樹の風景》(1913)、岸田劉生《童女飾髪之図》(1921)萬鉄五郎《冬の海》(1922)など、フュウザン会の作家の作品を6点出品。なお、萬鉄五郎は洋画家ですが《冬の海》は南画風の日本画です」との解説もありました。

毛利教武《手》(1919)

バーナード・リーチについては「彼は横浜市で陶芸をしていましたが、藤井達吉が横浜市の上野桜木町に住んでいた頃に、達吉と知り合った」とのことでした。小茂田青樹《城》(大正後期)については「この頃には日本画でも新風が吹き、小茂田青樹の属した赤耀会などが結成されたが、赤耀会の活動期間は2年と短かった」と解説。小川芋銭《河童図》については「再興院展に出品」との解説がありました。

◆ 第2章 藤井達吉の精神

大長さんによれば「第2章では、藤井達吉と造形思想を共にする作家を紹介」とのことで、先ず、藤井達吉の姉・藤井篠(すず)《芍薬文鳥毛屏風》(1931)の解説がありました。「絵の具ではなく、鳥の羽毛を刺繍して制作した屏風」という解説を聞くと、参加者は作品に近寄って、羽毛が刺繍されていることを確かめていました。

藤井篠(すず)《芍薬文鳥毛屏風》(1931)

香月泰男については「第二次世界大戦後、シベリアに抑留された経験を持つ作家。作品には宇宙に対する視線を感じる。《洗濯帰り》(1963)に描かれた三角形の窓には、藤井達吉《大和路》(1957)の三角形に切り取られた空との共通性を感じる」との解説があり、和田三造《花鳥図屏風》については「文展で最高賞を得た《南風》で知られる作家だが、装飾的な作品も手掛けている。大正後期の作品ではないか」と解説。地元作家である杉本健吉の作品についても紹介されました。

和田三造《花鳥図屏風》

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち 

part1:地域の美術振興に足跡を残した作家たち

地元ゆかりの作家の作品を紹介する章です。加藤潮光《比島観音像》(1971)について、西尾市の三ヶ根山にある観音像の模型と下図などを展示しており、大長さんは、碧南市の出身などと解説していました。

なお、伊藤廉《柘榴・無花果》(1935)以降は大野さんにバトンタッチ(と記憶しています)。伊藤廉は「愛知県立芸術大学の創設に尽力、初代の美術学部長に就任」。久田治男《夢魔の晦(2)》(1979/2005)については「加藤潮光と同様に碧南市出身。1970~80年代の愛知の現代美術を代表する作家の一人」とのことでした。

久田治男《夢魔の晦(2)》(1979/2005)

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち 

part2:新たな表現を希求した作家たち

大野さんによれば「ジャンルを超えた作家たちの作品を紹介した章」とのこと。中村正義《(「男と女」シリーズより)》(1963)については、「日展のホープだったが、脱退。その後、黄色、赤色、緑色など、あまり絵に使わない原色や蛍光塗料などを使った作品を発表」と解説。星野眞吾《何処へ》(1980)については「中村正義と同じ『从会(ひとひとかい)』に所属。日本画の画材を使って、洋画風の表現をする作家。展示作品は『人拓』。作家の体で拓本を取ったもの」と解説していました。近藤文雄《婿の朝夢(イ)》《婿の朝夢(ロ)》(いずれも1979)については「『婿シリーズ』のペン画です。作家は、自分の描いた妖怪を漫画家の水木しげる盗作した、と自慢していた」と解説がありました。

庄司達《白い布による空間 ’68-7 ミニ No.2》(2007)については「重力を可視化した作品」。野田哲也《Diary : Sept. 1st ’74》(1974)については「版画で、子どもの写真と子どもが描いた絵を重ねたもの」。八島正明《通学電車》(1977)については「真っ黒に塗った画面を細い針で削って白い線を描いた、根気の要る作品」との解説がありました。

八島正明《通学電車》(1977)

〇 増築した「多目的室」

第3章part2は、今回増築した「多目的室」に続きます。大野さんの説明によれば、多目的室の奥(西側)壁際の上部は吹き抜けで、外光を取り入れることが出来るそうです。壁に寄って真上を見ると、天井付近に窓がありました。奥の壁は、左右とも曲面。大野さんによれば「奥の壁は、左右とつながっているように見えるので、部屋が広く感じます」とのことでした。増築された多目的室ですが、現代アートの展示には最適の部屋だと感じました。

◆ 第4章 近代の藤井達吉

第4章から1階に移動。第4章は全て、藤井達吉作品の展示です。再び大長さんが登場。1階奥の展示室4(藤井達吉記念室)入口横の壁に展示の 《蜻蛉図壁掛》(1912)について「図柄は刺繍したもの。トンボの眼は七宝、翅は竹の皮」との解説がありました。展示室の入り口近くに、三幅の掛け軸が展示されています。右から《日光(朝)》《日光(昼)》《日光(夜)》(いずれも1925)。大長さんは「院展に、三幅対として出品したのですが、いずれも落選だった」との解説。《立葵》(1928)については「花は、絵具に漆を混ぜて着色」と解説した後、「鈴木其一の作品に似ている」と感想を述べていました。

《蜻蛉図壁掛》(1912)

展示室4ですが、今回のリニューアルで、床より少し高い畳の間が出来ました。そこに、二曲一双の《大島風物図屏風》(1916)が展示されているので、楽な姿勢で鑑賞できます。屏風の図柄は、右隻が桜、左隻が椿。春と秋の風物を描いています。

《大島風物図屏風》(1916)

ケース内に展示の図案集には葵が描かれていますが、大長さんから「この葵を元に、碧南市美西側の外壁にレリーフを設置しました」との宣伝がありました。

◆ 第5章 石川三碧コレクション 地域の文化・歴史のなかで育まれた宝物

第5章は、豆田さんの担当。展示しているのは、九重味醂の石川八郎右衛門当主から9年前に寄贈を受けた「石川三碧コレクション」の作品です。なお、石川三碧は、現当主の四代前の当主とのことでした。

豆田さんは、入口近くに展示されている三幅の掛け軸について解説。「文人画家・儒学者の富岡鉄斎が米寿を迎えた明治22(1923)年、鉄斎が三碧宅に宿泊した際に贈られたもので、三碧80歳、夫人70歳も祝っている」とのことでした。その外には、藤原定家の1212年3月9日と推定される「明月記断簡」の解説もありました。「これまで、本物は残っていないとされた日付の日記だったので専門家の鑑定を受けたところ、新発見の本物と鑑定された」とのことでした。作者不明の絵巻物「てこくま物語」(下)(1566)については「東京国立博物館所蔵の写しが知られていましたが、近年の研究により、これが親本であることが明らかにされた」そうです。また、「神戸女学院図書館が所蔵する『おかべのよー物語』が『てこくま物語』の上巻にあたる」とのことでした。

◆ 最後に

 今回、展示室の外で見た作品が3点ありました。一つ目は、1階ロビーの壁に展示されていたのが桑山真《鋼鉄による作品 # 252》(1974)。碧南市美によれば「本展開催中の展示」とのこと。二つ目は、階段で2階に上がり切る手前に、右側壁面に展示されている山本富章《Double Rings》(2020)。本展終了後も、しばらくの間は展示されるようです。最後は、喫茶コーナーの天井から吊り下げられている新宮晋《光のこだま》(2008)。少なくとも今後数年間は、今の場所で見ることができるようです。

山本富章《Double Rings》(2020)
新宮晋《光のこだま》(2008)

Ron.

展覧会見てある記 碧南市藤井達吉現代美術館「リニューアル展」 2023.05.04 投稿

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

碧南市藤井達吉現代美術館(以下「碧南市美」)で開催中の「碧い海の宝石箱」(以下「本展」)に行ってきました。碧南市美に行くのは、2020年1月の「“GO WEST”野村佐紀子写真展本展」以来です。約3年4カ月ぶりの碧南市美は、増築されて、2階の南西側が少し張り出していました。1階のエントランスホールは以前のままですが、壁に久野真《鋼鉄による作品 #252》(1974)を展示しています。

会場の入り口は2階。階段を上り、踊り場に足を踏み入れると、巨大なチラシが目に飛び込みました。本展の見どころと思われる作品が八つ並んでいます。番号順に作者名を並べると、① 藤井達吉、② 村井正誠、③ 毛利武士郎、④ 和田三造、⑤ 藤井達吉、⑥ 毛利教武、⑦ 伊藤廉、⑧ 富岡鉄斎、となります(以下、チラシの図版を示すときは、丸数字を使用)。

踊り場から1階を覗くと、黄色の四角形が20枚近くも空中に漂っています(作品リストによれば、新宮晋《光のこだま》(2008))。本展の展示は、展示室に入る前から始まっているのです。

2階の受付に行くと、作品リストと本展のチラシに加え、「プレゼントです」と絵ハガキもくれました。ハガキの図柄は、⑤。スイレンとトンボが描かれていました。

細かい話ですが、渡されたチラシと巨大なチラシ、図柄は同じですが、番号が違います。違いは、現物でお確かめください。

◆ 第1章 藤井達吉がいた時代。大正~昭和初期の美術から

 展示室の入り口には、③ 毛利武士郎《手の中の眼》(1957)。「戦後の作品が何故、ここに?」と思ったら、近くに ⑥ 毛利教武《手》(1919)も展示。1919年は大正8年なのでOK。毛利教武と毛利武士郎は実の親子なので、ペアで展示したのでしょうね。岸田劉生《童女飾髪之図》(1921)と萬鉄五郎《冬の海》(1922)にも目が留まりました。いずれも、墨絵。なお、岸田劉生の作品のモデルは麗子。油絵とは全く違う画風です。萬鉄五郎の作品は、太く、くねくねとした線で描かれた、仙厓の絵のような「味のある」作品です。この外、黒田古郷《叭々鳥(ははちょう)》を見て、岡田美術館所蔵の伊藤若冲《月に叭々鳥》を思い出しました。親子の河童を描いたと思われる、小川芋銭《河童図》も面白い作品です。

◆ 第2章 藤井達吉の精神

 藤井達吉の姉・藤井篠の《芍薬文鳥毛屏風》は二曲一隻の屏風。何と刺繍で描かれています。説明文には「芍薬の文様は、様々な鳥の羽毛を用いて描かれている」と書いてありました。香月泰男の《洗濯帰り》(1963)と《星を見る者》(1964)ですが、絵の前で立ち止まり「四角いのは、人間か?細長いのは、望遠鏡か?」などと自問自答を繰り返していました。迫力があったのは、筧忠治の《男の顔》(1930)と、猫を描いた《ボニー》(1990)。名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「コレクションの20世紀」(以下「20世紀展」)にも、筧忠治の作品がありましたね(《自画像》(1935))。④ 和田三造《花鳥図屏風》もあります。「ナマズ」と思われる魚は、向かって右の屏風(右隻)一番右(一扇)の下部にありました。ケイトウやキジ、サルなども描かれていますが、いずれも肩の力が抜けたイラスト風のもの。親しみを感じました。

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち part1

地域の美術復興に足跡を残した作家たち

最初に展示の、加藤潮光《比島観音像》(1971)には図面も付いています。解説によると、三ヶ根山の「比島観音像」(第二次世界大戦中、フィリピンの激戦で亡くなった50万人余の慰霊のため、1977(昭和52)年に安置されたブロンズ像。所在地は西尾市)に先立って制作されたマケット(maquette : 模型)でした。

⑦ 伊藤廉《柘榴・無花果》(1935)もあります。横長の画面の下半分に十数個の柘榴と無花果を描いた、赤が印象的な作品で、離れていても目立ちました。隣の、真っ暗な背景から浮かび出る、色白の女性の顔と白い仮面を描いたモノクロームの作品(久田治男《悪夢の晦(2)》(1979))にも、しばらくの間、見入ってしまいました。荻須高徳、三岸節子、鬼頭鍋三郎など、名古屋市美術館の常設展でもなじみの作家の作品が並ぶ中、二人の裸婦を描いた、佐々木豊《十字架の構図》(1991)の「赤」が強烈でした。

この外、ステンレス板を中央で折って、左をハイヒールの脚に、右をローヒールの脚に切り抜いた彫刻に目が留まりました。福田繁雄《健康都市碧南(ヘルシーゲート)》(1988)で、市制40周年のモニュメントの原型とのことでした。そういえば、9月23日から市美で「福田美蘭-美術ってなに?」が開幕しますが、福田繁雄さんは福田美蘭さんのお父さんでしたよね。

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち part2

新たな表現を希求した作家たち

いつ見ても、中村正義の「男と女」シリーズはインパクトのある作品ですが、碧南市美でも見ることができました。日常風景なのに、この世のものとは思われない雰囲気を漂わせる作品もありました。八島正明《通学電車》(1977)です。絵の解説には「原爆記念資料館の石段に焼き付いた人間の影に衝撃を受け」と書いてあります。その外、庄司達《白い布による空間 ’68-7 ミニ No.2》は、おしゃれな作品です。

展示室を奥まで行くと、以前なら行き止まりでロビーに出るしかないのですが、増築したので、その先にも部屋(多目的室A)があります。中に入ると、正面には中西夏之の《4ツの始まり-2001-Ⅲ》(2001)と《4ツの始まり-2001-Ⅳ》(2001)を展示。20世紀展でも中西夏之の作品が展示されていますね。左の壁には、② 村井正誠《人々》(1979)を展示。右の壁の展示は三尾公三《夢幻の風景》(1989)なので、抽象絵画と具象絵画が向かい合わせになっていました。

2階の展示は、以上で終わりです。2階ロビーに戻って、1階に移動。

◆ 第4章 近代の藤井達吉

1階の奥まった部屋が第4章の会場(藤井達吉記念室)です。入口横の壁に、 ⑤《蜻蛉図壁掛》(1912)がありました。図柄は刺繍したもの。トンボの眼は七宝、翅は竹の皮とのことです。① 《大島風物図》(1916)もあります。図柄は刺繍したものですが、屏風の裏にも絵があり、こちらは絵の具で描いたものです。

絵や刺繍だけでなく、七宝や漆絵なども展示されており、藤井達吉の多才ぶりに、目を見張りました。

◆ 第5章 石川三碧コレクション 地域の文化・歴史の中で育まれた宝物

大浜地区で三河みりんの製造を続けている石川八郎右衛門家に伝来した作品を展示。石川三碧は同家の25代目で、文人画家・儒学者の富岡鉄斎と交流があったようです。最初の展示は、入って右の三幅対の掛け軸。富岡鉄斎が米寿を迎えた1923年に贈られたもので、右が《西王母図》、中央が《瀛州仙境図》、左が ⑧《福禄寿図》でした。富岡鉄斎からは多くの掛け軸が贈られたようで、《和合万福図》など、縁起の良い主題の掛け軸を見ることができました。藤原定家の《明月記断簡》(本物)も展示されています。必見ですよ。

◆最後に

 碧南市美では、これまでも藤井達吉に関する展示を見てきたと思うのですが「何をした人なのかな?」と、もやもやした印象でした。しかし、本展では絵だけでなく、陶芸、七宝、漆芸、刺繍、文書棚や銘々盆など様々なものを見たおかげで、藤井達吉の業績の幅の広さを改めて認識できました。5月14日(日)の協力会ミニツアーは「予約不要」のギャラリートークに参加する形で行うようですが、今から楽しみです。

Ron.

展覧会見てある記 愛知県美術館「近代日本の視覚開化 明治」 2023.05.01 投稿

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

愛知県美術館(以下「県美」)で開催中の「近代日本の視覚開化 明治」(以下「明治展」)に行ってきました。展示室には300点を越える品物が犇(ひし)めき合い、駆け足で見ても1時間半近くかかりました。明治展は品数の多さと、展示品が持つ迫力に圧倒されて疲れます。疲れないように鑑賞するコツは、ズバリ「見たいものを見る」ということです。

ただし、体力に自信のある方は「何でも見てやろう」と駆け回ってください。何時間見ても、飽きることがありません。それは、明治展が「展示物が持つ迫力を、サーフィンするように楽しむ」展覧会だからです。以下、展示品のなかから幾つかをご紹介します。

◆第1章 伝統技術と新技術

 見ものは、先ず「五姓田派」(ごせだは:横浜を拠点とした絵師の集団)の作品が「これでもか」と、並んでいることです。渡辺崋山の国宝《鷹見泉石像》へのオマージュが並んでいるような感覚を覚えました。《鷹見泉石像》は、西洋絵画と同じ技法・テーマを目指した幕末の肖像画、五姓田派の肖像画は日本の伝統技法を土台にした油絵への挑戦ですから、気持ちが通って当然。「幕末と明治は、一続きのものだ」と感じました。

次に、東京国立近代美術館で開催中の「重要文化財の秘密」では高橋由一の《鮭》を展示していますが、県美でも小さな作品ながら「鮭」を鑑賞できます。それは、五姓田義松の油絵です。池田亀太郎の《川鱒図》も見もの。ただ、作者の説明を見落としたのは残念。

最後に、明治展では、名古屋市美術館で開催中の「コレクションの20世紀」(以下「20世紀展」)と同じ画家の作品が鑑賞できました。画家の名前は野崎華年。20世紀展の出品は1点ですが、明治展は3点。しかも、明治展のうち1点は名古屋市美術館蔵でした。

◆第2章 学校と図画教育

 思わず立ち止まったのは、小栗令裕の石膏像《欧州婦人アリアンヌ半身》と寺内信一《裸婦像》です。しかも、《裸婦像》は「陶」つまり「せともの」なのです。

◆第3章 印刷技術と出版

 きれいな地図や昔の写真がたくさん並んでいる中で、岡田三郎助《ゆびわ》に目が留まりました。岡田三郎助の原画を元に、多色石版の技術で印刷したもの。雑誌の付録として印刷されたものですが、明治の終わりごろの印刷技術の高さに感心しました。

◆第4章 博覧会と輸出工芸

 何といっても高度な技術を凝らした陶磁器や七宝、錦絵が目を引きます。でも、個人的には寄木細工の「チェステーブル」に注目。用途はチェスですが、寄木細工の柄は日本調。面白いと思ったのは、二つの工夫です。一つは、折りたたみ式の天板。折りたたむとチェス盤、広げるとテーブルに早変わりします。もう一つは、引出しの一番下の板。引き出すと、飲み物などが置ける棚になるのです。この「折りたたみ式の天板」と「引き出せる棚」、二つともジェイアール名古屋タカシマヤで開催された「北欧デザイン展」で見ました。食器棚で「引き出せる棚」を、テーブルで「折りたたみ式の天板」を取り入れていました。いずれの工夫についても「日本の箪笥の影響を受けている」との説明がありました。

Ron.

「コレクションの20世紀」展 協力会会員向け解説会

カテゴリ:協力会事務局 投稿者:editor

 名古屋市美術館は、改修工事のために約4か月間休館し、4月の15日よりリニューアルオープンしました。再開第1回目の特別展は「コレクションの20世紀」と題され、名古屋市美術館の所蔵傑作を年代別に紹介しています。

 会場は、年代ごとに区切られており、時間の経過と芸術活動の関係が解説されています。20世紀は歴史的にも激動の時代で、各年代で、どのような歴史的出来事が起こり、それに影響されて作家たちがどのような意図をもってどのような作品を残してきたか、がわかりやすく解説されています。会場にも解説パネルは準備されていますが、協力会向けの解説会では、各年代の担当学芸員が直接話してくださったため、より深い理解が得られたと感じました。

 展示作品には、誰もが知る横山大観、前田青邨、村山槐多、モディリアーニなどの作品もあれば、郷土の画家の知られざる傑作もあり、見ごたえのある展覧会だと感じました。

                                     事務局

展覧会見てある記「北欧デザイン展」ジェイアール名古屋タカシマヤ

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

織田憲嗣さんのギャラリートーク

・シーン1(コージーコーナーにて)

4月20日からジェイアール名古屋タカシマヤ10階催事場のコーナーで始まった「ていねいに美しく暮らす北欧デザイン展」(以下「本展」)に行ったところ、「間もなく、織田憲嗣さん(注:本展に出品の“織田コレクション”を収集された方です)のギャラリートークが始まります」というアナウンスがあり、指定された場所で待っていると、織田憲嗣さん(以下「織田さん」)が登場されました。

織田さんの話では、我々が見ているのは「コージーコーナー」の展示。コージーコーナーというのは「居心地の良いコーナー」という意味で、家のなかに必要な場所。必要なのは、先ず専用の椅子。それも質の良いもの。安楽椅子なら30万円から50万円。無理することで、慎重に品物を選び、長く使えるそうです。次は、小さなカーペット・小さなコーヒーテーブル・部分的に照らす小さな灯り。観葉植物や写真・絵画を飾って自分の居場所を作るには、一畳ほどでOK。ただし、クオリティは統一。同じグレードのものをそろえないと、駄目だそうです。デンマークでは、初任給で自分の椅子を買うという習慣、結婚〇〇周年や退職祝いなどに椅子を贈る習慣があり、ダイヤの婚約指輪の代わりに自分用の椅子をもらった花嫁もいるとのこと。ハンスJ・ウェグナー (Hans Jørgensen Wegner) やフィン・ユール(Finn Juhl)の椅子なら、値上がりはあっても値下がりは無いそうです。

・シーン2(フィン・ユールのコーナー)

次に、フィン・ユールのコーナーまで移動。フィン・ユールは、本展で紹介する10人のデザイナーの一人で、織田さんとは6年間交流があったそうです。「1989年5月9日の夕方、デンマークの彼の自宅を訪ねると『その日の正午に亡くなった』と、伝えられた」と話されました。

織田さんが紹介したのは、革張りの古びた椅子。フィン・ユールがデザインした《チーフティンチェア》(1949)で、最初に製作された5脚の一つ。ワシントン条約により、現在では使うことのできないブラジリアン・ローズウッド製。オークションにかければ、1脚1億円以上の値がつくとのことでした。

織田さんもオークションで手に入れたそうですが、手ごわい競争相手がいたので見る見るうちに値段が高騰。落札価格は手持ち資金を超え、急遽、借金して支払い、ローンを組んで借金を返済したそうです。

なお、フィン・ユールは建築家なので、椅子の製作は家具職人に依頼。現在は、4代目の職人が製作していますが、織田さんは4世代にわたる《チーフティンチェア》をそろえている、とのこと。

ハンスJ・ウェグナーなど、椅子デザイナーの多くは家具職人の修行を経て、マイスターの資格を得てからデザイナーになるのですが、フィン・ユールは家具職人ではなく、自らのアイデアあふれる構造により、デンマーク家具のデザインに広がりをつくった人物です。手前にある、カラフルな引出しの《グローブチェスト》(1961)は、折りたためる構造。「ワン・コレクション社」が復刻していますが、復刻に当たり、織田さんがコレクションを貸して、復刻に協力したそうです。肘掛けに穴の開いた真鍮の金具が付いた《ウィスキーチェア》(1948)は、丸い穴でグラスを固定できます。ヒョウタンのような天板の《バタフライテーブル》(1949)も天板が折りたためる構造で、遊び心があります。ワン・コレクション社では16~17のモデルを復刻していますが、そのすべてにコレクションを貸したとのこと。

・シーン3(心の居場所)

最後は「第3章 心の居場所」。夜明けから、真昼、日没、深夜までの、北欧のリビングルームの明るさの変化を再現したコーナーです。窓から見える景色や室内照明の移り変わりを、10分ほど時間に短縮していました。

織田さんが指差したのは、ポール・ヘニングセン(Poul Heningsen)が1958年にデザインした《PH アーティチョーク》(注:6枚のシェードを12段に重ねた、とても高価な照明器具)です。織田さんが言うには「日本では、戦後、蛍光灯の普及で天井に取り付ける“シーリングライト”が一気に広まったが、北欧に、シーリングライトは無いそうです。北欧は多灯主義で、必要なところに照明を置きます。部屋の隅々に照明を置くことで、部屋に奥行きが出るそうです。今、日本で流行りのダウンライトは、光が目に入って眩しいけれど、《アーティチョーク》は光源が目に入らない」とのことでした。

デンマークの食器棚については「食器棚から引き出せる棚板がありグラス等が置ける。棚板の持ち手は日本の箪笥を真似たもの。食器棚に脚がついているので床掃除が楽」と解説。更に「北欧の家具は日本の箪笥に影響を受けておりデザインはジャポニスムの影響が色濃い。以前、” Learning from Japan” という展覧会が2年間の会期で開催されたが、人気が出て会期が3年間に延長された」という話がありました。(注:現在、愛知県美術館で開催中の「近代日本の視覚開化 明治」第4章は、とても参考になります)

・シーン3のQ&A

Q1 展示されている椅子は3本脚ですが、なぜですか?

A1 北欧の居間の床は石畳のことが多く、4本脚では1本が宙に浮いて不安定になりやすい。そのため、3本脚の机・椅子にしています。なお、3本脚の椅子はポール・ケアホルム(Poul Kjæholm)の《ダイニングチェアPK9》(1960)。椅子の座面は、奥さんのお尻で型を取ったそうです。

Q2 車輪が付いた、テーブルのようなものは何ですか?

A2 紅茶などを運ぶときに使うワゴンです。我が家では、50年以上使っています。車輪が付いているので運ぶのが楽。後部は板状の脚なので、安定が良いです。

(注:このワゴンは、2018年に名古屋市美術館で開催された「アルヴァ・アアルト展」に出品されていた《900ティートロリー》。名古屋市美では「作品」なので何も載っていませんでしたが、本展は「居間の再現」。家具は「生活の場」に展示し、グラスなどが置いてあると親しみが湧きますね。

以上で、織田さんのギャラリートークは終了。会場の入り口に戻って、展示品を見直しました。

印象に残った展示内容

・コージーコーナー

最初のコージーコーナーの安楽椅子は、ブルーノ・マットソン(スウェーデン)の《シェーズロング》(1933)、《コーヒーテーブル》(1936)もブルーノ・マットソンのデザイン。照明はエリック・ハンセン(デンマーク)の《ブラケットモデル332》でした。コージーコーナーは、この外、2カ所にあります。

・ハンスJ・ウェグナーのコーナー

本展に興味を持ったのが、テレビ愛知「新美の巨人たち」で取り上げた、ハンスJ・ウェグナーの《ザ・チェア》ですから、このコーナーは見逃せませんでした。《ザ・チェア》の試作品だけでなく、その後のモデル3脚とカット・モデルも展示。製造法を説明する動画もありました。《ザ・チェア》のルーツである、《チャイニーズ・チェア》、《ザ・チェア》と同時期にデザインされた《Yチェア》も展示。《ウィンザーチェア》《ピーコックチェア》の展示もあります。

《ザ・チェア》の試作品
《ザ・チェア》のモデル3種類
サヴォイベース、椅子、家具など
サヴォイベースの吹き型、木製工具など

・「座れる椅子」のコーナー

 「第3章 心の居場所」には「座れる椅子」8脚を展示しています。休憩場所を兼ねているので、座れるタイミングはなかなか来ませんでしたが、なんとか、Yチェア(ハンスJ・ウェグナー)と69チェア(アルヴァ・アアルト)の二つには、座って休憩することができました。

・映像コーナー

会場の最後には、北欧の暮らしを映像で紹介するコーナーがあります。椅子は、全てアルヴァ・アアルトの《スツール60》でした。

映像コーナーのスツール60

最後に

 スツール60を提供するなど、Artek社の気前が良いので「何かあるのでは?」と思っていたら、会場を出たところで、映画「アアルト AALT」のチラシとArtek社を紹介する新聞サイスの広告を配っていました。映画のキャッチ・コピーは「アルヴァの隣には、アイノがいた」。アルヴァ・アアルトと最初の妻アイノ・アアルト(アルヴァを残して病死)の関係を描くもので、2023年10月に全国ロードショー。名古屋では、伏見ミリオン座で上映予定です。

 グッズ売り場では、スツール60やムーミングッズのほか、北欧の製品を多数、販売していました。

Ron.

読書ノート 『図解 はじめての絵画』小学館の図鑑 NEOアート

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 近所の書店で分厚い図鑑が平積みになっていました。「見本」を開くと、何と名古屋市美術館・常設展の写真が載っています!「いつでも楽しい常設展」というページで、「地下にある常設展示室。モディリアーニ《おさげ髪の少女》や、カーロ《死の仮面を被った少女》など、貴重な作品に出会える」と、説明がありました。最後のページの「協力」欄には「名古屋市美術館」という名前があります。すべての漢字が「ふりがな付き」で、あきらかに「子ども向けの図鑑」でしたが、思わず買ってしまいました。

図鑑の名前は「小学館の図鑑 NEOアート 図解 はじめての絵画」(以下「本書」)。2023年2月11日初版第1刷発行の新刊書ですが、私が買ったのは「4月1日発行」の第2刷。2カ月で増刷というのは、ベストセラーなのでしょうね。Amazonを検索すると、値下げした中古本を「送料無料」で販売中。監修は映画「テルマエ・ロマエ」を監修しただけでなく、国立西洋美術館館長、文化庁長官も歴任した青柳正規氏です。本書は、ナスカの地上絵から、浮世絵、現代アートまで、世界の名画を約360点も掲載。じっくり読んでみたところ、「オトナの図鑑」としても使える「優れもの」でした。

○ どこが「優れもの」なのか?

美術書というと、美術史などについて書いているものが多いのですが、本書の目的は「絵画の見方を、楽しく解説する」ことです。表紙カバーには、こう書かれていました。

<この本では、絵画を始めて見る子どもたちに向けて、絵画の見方を5章に分けてわかりやすく、楽しく解説します。

第1章 何が描かれているのか

1枚の絵に何が描かれているかじっくり鑑賞したり、同じものが描かれている絵を見比べたりします。

第2章 どう表現しているのか

 絵には、人や物が実際とは異なる姿で描かれていることがあります。どんなふうに描かれているのか探っていきましょう。

第3章 絵画をもっとよく知ろう

 長い歴史のなかで生まれた、絵を描くときや見るときの約束事をわかりやすく伝えます。

第4章 素材と技法

 絵を描くための道具、用いられる素材や技法を写真やイラストで紹介します。

第5章 美術館に行こう

 絵のあらゆることがわかる場所、美術館を探検してみましょう。> 引用終わり

○ 本書の第5章で、美術館を探検する

 特に第5章には、「美術館の図解」がたっぷり詰まっています。その、主なものをご紹介します。

① 美術館へようこそ!

美術館に行っても、荷下ろし場や学芸員室を見る機会は滅多にないので、本書のイラストは貴重です。

② 展覧会ができるまで

以前に雑誌で「展覧会ができるまで」を紹介した記事がありましたが、本書で見ると分かりやすいですね。

③ 絵を見せるための工夫がいっぱい!

昨年の「布の庭にあそぶ 庄司達」や「クマのプーさん」展は、作品を見せるための工夫がいっぱいありましたが、本書のイラストを見るとどんな作業をしているのか、よくわかります。

④ いつでも楽しい常設展

 本書では、名古屋市美術館のほかに、4館の常設展を紹介しています。

⑤ どれだけ知ってる?絵に関わる仕事

 本書を読むと、画家、版画家、写真家だけでなく、学芸員、キュレーター、美術輸送業、展示施工業など様々な仕事をする人たちが関わっていることが分かります。

○ 最後に

 「美術教育」というと「作品を制作する」ことが中心で、「作品を鑑賞する」ことはなおざりにされて来たような気がします。協力会の解説会やミニツアーは「作品鑑賞」の又とない機会です。ご参加をお待ちしています。

Ron.

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