展覧会見てある記 碧南市藤井達吉現代美術館「リニューアル展」 2023.05.04 投稿

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

碧南市藤井達吉現代美術館(以下「碧南市美」)で開催中の「碧い海の宝石箱」(以下「本展」)に行ってきました。碧南市美に行くのは、2020年1月の「“GO WEST”野村佐紀子写真展本展」以来です。約3年4カ月ぶりの碧南市美は、増築されて、2階の南西側が少し張り出していました。1階のエントランスホールは以前のままですが、壁に久野真《鋼鉄による作品 #252》(1974)を展示しています。

会場の入り口は2階。階段を上り、踊り場に足を踏み入れると、巨大なチラシが目に飛び込みました。本展の見どころと思われる作品が八つ並んでいます。番号順に作者名を並べると、① 藤井達吉、② 村井正誠、③ 毛利武士郎、④ 和田三造、⑤ 藤井達吉、⑥ 毛利教武、⑦ 伊藤廉、⑧ 富岡鉄斎、となります(以下、チラシの図版を示すときは、丸数字を使用)。

踊り場から1階を覗くと、黄色の四角形が20枚近くも空中に漂っています(作品リストによれば、新宮晋《光のこだま》(2008))。本展の展示は、展示室に入る前から始まっているのです。

2階の受付に行くと、作品リストと本展のチラシに加え、「プレゼントです」と絵ハガキもくれました。ハガキの図柄は、⑤。スイレンとトンボが描かれていました。

細かい話ですが、渡されたチラシと巨大なチラシ、図柄は同じですが、番号が違います。違いは、現物でお確かめください。

◆ 第1章 藤井達吉がいた時代。大正~昭和初期の美術から

 展示室の入り口には、③ 毛利武士郎《手の中の眼》(1957)。「戦後の作品が何故、ここに?」と思ったら、近くに ⑥ 毛利教武《手》(1919)も展示。1919年は大正8年なのでOK。毛利教武と毛利武士郎は実の親子なので、ペアで展示したのでしょうね。岸田劉生《童女飾髪之図》(1921)と萬鉄五郎《冬の海》(1922)にも目が留まりました。いずれも、墨絵。なお、岸田劉生の作品のモデルは麗子。油絵とは全く違う画風です。萬鉄五郎の作品は、太く、くねくねとした線で描かれた、仙厓の絵のような「味のある」作品です。この外、黒田古郷《叭々鳥(ははちょう)》を見て、岡田美術館所蔵の伊藤若冲《月に叭々鳥》を思い出しました。親子の河童を描いたと思われる、小川芋銭《河童図》も面白い作品です。

◆ 第2章 藤井達吉の精神

 藤井達吉の姉・藤井篠の《芍薬文鳥毛屏風》は二曲一隻の屏風。何と刺繍で描かれています。説明文には「芍薬の文様は、様々な鳥の羽毛を用いて描かれている」と書いてありました。香月泰男の《洗濯帰り》(1963)と《星を見る者》(1964)ですが、絵の前で立ち止まり「四角いのは、人間か?細長いのは、望遠鏡か?」などと自問自答を繰り返していました。迫力があったのは、筧忠治の《男の顔》(1930)と、猫を描いた《ボニー》(1990)。名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「コレクションの20世紀」(以下「20世紀展」)にも、筧忠治の作品がありましたね(《自画像》(1935))。④ 和田三造《花鳥図屏風》もあります。「ナマズ」と思われる魚は、向かって右の屏風(右隻)一番右(一扇)の下部にありました。ケイトウやキジ、サルなども描かれていますが、いずれも肩の力が抜けたイラスト風のもの。親しみを感じました。

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち part1

地域の美術復興に足跡を残した作家たち

最初に展示の、加藤潮光《比島観音像》(1971)には図面も付いています。解説によると、三ヶ根山の「比島観音像」(第二次世界大戦中、フィリピンの激戦で亡くなった50万人余の慰霊のため、1977(昭和52)年に安置されたブロンズ像。所在地は西尾市)に先立って制作されたマケット(maquette : 模型)でした。

⑦ 伊藤廉《柘榴・無花果》(1935)もあります。横長の画面の下半分に十数個の柘榴と無花果を描いた、赤が印象的な作品で、離れていても目立ちました。隣の、真っ暗な背景から浮かび出る、色白の女性の顔と白い仮面を描いたモノクロームの作品(久田治男《悪夢の晦(2)》(1979))にも、しばらくの間、見入ってしまいました。荻須高徳、三岸節子、鬼頭鍋三郎など、名古屋市美術館の常設展でもなじみの作家の作品が並ぶ中、二人の裸婦を描いた、佐々木豊《十字架の構図》(1991)の「赤」が強烈でした。

この外、ステンレス板を中央で折って、左をハイヒールの脚に、右をローヒールの脚に切り抜いた彫刻に目が留まりました。福田繁雄《健康都市碧南(ヘルシーゲート)》(1988)で、市制40周年のモニュメントの原型とのことでした。そういえば、9月23日から市美で「福田美蘭-美術ってなに?」が開幕しますが、福田繁雄さんは福田美蘭さんのお父さんでしたよね。

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち part2

新たな表現を希求した作家たち

いつ見ても、中村正義の「男と女」シリーズはインパクトのある作品ですが、碧南市美でも見ることができました。日常風景なのに、この世のものとは思われない雰囲気を漂わせる作品もありました。八島正明《通学電車》(1977)です。絵の解説には「原爆記念資料館の石段に焼き付いた人間の影に衝撃を受け」と書いてあります。その外、庄司達《白い布による空間 ’68-7 ミニ No.2》は、おしゃれな作品です。

展示室を奥まで行くと、以前なら行き止まりでロビーに出るしかないのですが、増築したので、その先にも部屋(多目的室A)があります。中に入ると、正面には中西夏之の《4ツの始まり-2001-Ⅲ》(2001)と《4ツの始まり-2001-Ⅳ》(2001)を展示。20世紀展でも中西夏之の作品が展示されていますね。左の壁には、② 村井正誠《人々》(1979)を展示。右の壁の展示は三尾公三《夢幻の風景》(1989)なので、抽象絵画と具象絵画が向かい合わせになっていました。

2階の展示は、以上で終わりです。2階ロビーに戻って、1階に移動。

◆ 第4章 近代の藤井達吉

1階の奥まった部屋が第4章の会場(藤井達吉記念室)です。入口横の壁に、 ⑤《蜻蛉図壁掛》(1912)がありました。図柄は刺繍したもの。トンボの眼は七宝、翅は竹の皮とのことです。① 《大島風物図》(1916)もあります。図柄は刺繍したものですが、屏風の裏にも絵があり、こちらは絵の具で描いたものです。

絵や刺繍だけでなく、七宝や漆絵なども展示されており、藤井達吉の多才ぶりに、目を見張りました。

◆ 第5章 石川三碧コレクション 地域の文化・歴史の中で育まれた宝物

大浜地区で三河みりんの製造を続けている石川八郎右衛門家に伝来した作品を展示。石川三碧は同家の25代目で、文人画家・儒学者の富岡鉄斎と交流があったようです。最初の展示は、入って右の三幅対の掛け軸。富岡鉄斎が米寿を迎えた1923年に贈られたもので、右が《西王母図》、中央が《瀛州仙境図》、左が ⑧《福禄寿図》でした。富岡鉄斎からは多くの掛け軸が贈られたようで、《和合万福図》など、縁起の良い主題の掛け軸を見ることができました。藤原定家の《明月記断簡》(本物)も展示されています。必見ですよ。

◆最後に

 碧南市美では、これまでも藤井達吉に関する展示を見てきたと思うのですが「何をした人なのかな?」と、もやもやした印象でした。しかし、本展では絵だけでなく、陶芸、七宝、漆芸、刺繍、文書棚や銘々盆など様々なものを見たおかげで、藤井達吉の業績の幅の広さを改めて認識できました。5月14日(日)の協力会ミニツアーは「予約不要」のギャラリートークに参加する形で行うようですが、今から楽しみです。

Ron.

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