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事務局
2019年
7月26日
「クリムト展 ウィーンと日本1900」(以下「本展」)が開幕したので、JRと愛知環状鉄道(以下「愛環鉄道」)を乗り継いで豊田市美術館まで出かけました。今回、気持ち良かったのは愛環鉄道でも交通系ICカード(MANACA、TOICA等)が使えるようになったことです。切符を買う手間が不要なので、スムーズな乗り換えができました。
美術館に近づくと、平日の午前中というのに満車に近い状態の駐車場が見えてきました。そして、美術館のエントランス通路には巨大なテント。長い行列ができるのを見越して設置したのですね。当日、行列はありませんでしたが展示室の中には多くの人がいて、本展の人気の高さを実感しました。ただ「人が多い」といっても身動きが取れないほどではないため、作品に近づいてじっくり鑑賞することはできました。
◆展覧会の構成と見どころなど 本展は「Chapter1.クリムトとその家族」から「Chapter8.生命の円環」までの8章で構成されています。
◎Chapter1.クリムトとその家族 ボヘミア出身の金工氏師・エルンストの長男としてクリムトが生まれたということから、Chapter1には弟ゲオルクと合作による彫金のレリーフが出品されていました。また、弟エルンストの娘を描いた《ヘレーネ・クリムトの肖像》は、額縁に梅花の枝や様々な植物が描かれています。まさにジャポニスム。
◎Chapter2.修業時代と劇場装飾 男性のヌードが3点。クリムトは「女性を描く作家」として知られていますが、修業時代には男性ヌードも描いたのですね。アカデミックな画風を叩きこまれたことが分かります。《音楽の寓意のための下絵(オルガン奏者)》は、顔が描かれていないのが面白かったです。下絵なので、省略したのでしょう。《紫色のスカーフの婦人》には「古い写真を使って制作したのだろう」という解説が付いていました。
◎Chapter3.私生活 何といっても「14人の子どもがいた」ことにびっくり。また、弟エルンストの妻の姉エミーリエ・フレーゲとの関係について、解説には「プラトニックなものとされてきたが、近年発見された手紙から二人がある時期深い関係にあったことが推測されている」と書いてありました。
◎Chapter4.ウィーンと日本1900 東洋美術に関するクリムトの蔵書が出品されています。『日本の春画三十六選 菱川師宣、鈴木晴信、喜多川歌麿』の展示では、喜多川歌麿「歌まくら」のうち第8図、第10図のモノクローム図版も見ることができました。クリムトは、この絵から「肝心なところが見えそうで見えない」という描写を学んだのでしょうか。《赤子(ゆりかご)》には「遊女や武士が色鮮やかな着物姿で生き生きと描かれた歌川豊国の影響(略)」という解説が付いていました。
◎Chapter5.ウィーン分離派 この章の見どころは《ユディトⅠ》《ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実》と《ベートーヴェン・フリーズ(原寸大複製)》。6月9日放送のNHK・Eテレ「日曜美術館」と6月22日放送のテレビ愛知「美の巨人たち」の両番組とも「《ユディトⅠ》のモデルはアデーレ・ブロッホ=バウアー」と解説していました。また、この章に出品されていたクリムトの赤いスケッチブックには《ヌーダ・ヴェリタス》のデッサンが描かれていました。
◎Chapter6.風景画 東京で本展を見た協力会会員のMさんが「クリムトの風景画が素晴らしかった」と絶賛していたのでワクワクしながら見ましたが、その通りでした。壁一面にクリムトの風景画を2点だけという、特別待遇の展示です。 《アッター湖畔のカンマー城Ⅲ》の解説には「おそらく望遠鏡を用いて描かれた(略)」と書いてありました。写真で言うところの「望遠レンズの圧縮効果」を利用して、奥行きを縮めた作品ですね。この作品、「奪われたクリムト」(エリザベート・ザントマン著、永井潤子・浜田和子訳、梨の木舎発行)によれば、1910年にアデーレ・ブロッホ=バウアーが夫フェルディナントと共同で購入。アデーレの死後、1936年に夫がオーストリア国立絵画館に寄贈。その後、ナチスが強奪した《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ》をオーストリア国立絵画館が引き取る見返りとして、クリムトとマリア・ウチッカーとの間の子どもで映画監督のグスタフ・ウチッカーに「グスタフの死後はオーストリア国立絵画館に寄贈する」という条件で渡った、とのことです。
◎Chapter7.肖像画 《オイゲニア・プリマフェージ》と、その習作が並んでいます。習作の段階では、少し右を向いていたのですね。《白い服の女》は未完成ですが、「このままでもすばらしい」と思える作品でした。
◎Chapter8.生命の円環 生後わずか81日で急死した息子を描いた《亡き息子オットー・ツィンマーマンの肖像》には胸が痛みました。見どころは《女の三世代》ですが、デッサンも見逃せません。ただ、《横たわる恋人たち》《右を向く恋人たち》は上の方に展示されているため、何が描いてあるか、よくわかりませんでした。(図録を買って納得しましたが……)
◆クリムトが生きた時代(「ハプスブルク帝国」岩﨑周一著 講談社現代新書2442 から抜粋) P.314~316
(略)1873年に来墺した岩倉使節団の記録書『米欧回覧実記』には、「人民ノ品位ニヨリテ、接遇ノ異ナルコト、我明治以来ノ光景ニ異ナラズ」と記されている。また、世紀転換期にオーストリア=ハンガリー駐在大使を務めた牧野伸顕(大久保利通の次男。内相、宮相、外相などを歴任)の叙述によれば、「すべてが宮廷中心に出来ているウィーンの社会は、フランス革命後に取り残された欧州の貴族階級によって維持され、従ってウィーンという都会には、或る特殊な雰囲気があった」。
こうした大貴族に加え、中小の貴族と有産市民が工業化の進展によって台頭したことは、消費文化の進展を促した(「ミナ貴族豪家ノ奢侈ヲ競フヲ以テ、製作ミナ精微ヲ極メタル」〈『米欧回覧実記』〉。成功した有産市民―クリムトによる夫人アデーレの肖像画が有名な製糖業者フェルディナント・ブロッホ=バウアー、哲学者ルートヴィヒとピアニストのパウルを息子にもった鉄鋼業者カール・ヴィトゲンシュタインなどの実業家たち―は、貴族の行動・生活様式(召使の雇用、芸術活動の後援、フランス語の習得など)を模倣して、「顕示的消費」(ソーステイン・ヴェブレン)に走った(カフカや詩人トラークルはこのような事情から、少年期にフランス語を学ばされている。)また彼らは、ホーフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスが(時代設定こそマリア・テレジア期だが)楽劇『ばらの騎士』で活写したように、差異化を意識し打算を絡めながらも貴族と交流し、結びつきを強めた。
富裕層の要求に応えるべく、主要都市には貴族の邸宅を模して、ネオ・ルネサンスもしくはネオ・バロック様式の瀟洒な高級アパートメントが多数建てられた。ウィーンのリングシュトラーセ沿いに林立するアパートメント群はその好例で、ここに居住した富裕層は「リングシュトラーセ男爵」と呼ばれた。まさしくこの呼び名が示す通り、このアパート群は、「ブルジョワと貴族の和解」(カール・ショースキー)の象徴であった。(抜粋、終わり) クリムトの活躍は、ブルジョワの台頭を背景にしていたのですね。
◆最後に
本展は、この夏お勧めの展覧会です。 ただし、当日、2時間ほど展示室の中にいたら体が冷えて困りました。外気温が高いので、どうしても薄着になります。その上に汗をかいて美術館に入ると、冷気に襲われること確実です。羽織るものを用意するなど、冷房対策をお忘れなく。また、土日に来場する方は、長い行列ができる可能性もあるので熱中症対策も必要です。 Ron.
2019年
7月3日
2019年も半ばを過ぎてしまいましたね。今後、名古屋周辺で開催予定の美術展の中から「気になる展覧会」を会期の近いものから順番に書いてみました。
◆キスリング展 エコール・ド・パリの夢 岡崎市美術博物館 2019.7.27~9.16 2019年6月23日放送のNHK・Eテレ「日曜美術館」アートシーンで、東京都庭園美術館で開催中の展覧会(7月7日まで)を紹介していました。2007年以来、12年ぶりに開催される個展とのことです。キスリングといえば、名古屋市美術館所蔵の《マルセル・シャンタルの肖像》が頭に浮かびますが、東京都庭園美術館のホームページ(注1)のイチ押しはフランスの女性小説家コレットの娘を描いた《ベル=ガズー(コレット・ド・ジュヴネル)》で、静物画も出品されるようです。滞米時代の作品を含む約60点の作品が出品されるので、見逃せませんよ。
注1 キスリング展のURL=https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/
◆空間に線を引く 彫刻とデッサン展 碧南市藤井達吉現代美術館 2019.8.10~9.23 2019年6月30日放送のNHK・Eテレ「日曜美術館」アートシーンで、足利市立美術館で開催中の展覧会(7月28日まで)を紹介していました。足利市立美術館のホームページ(注2)には、「彫刻家は(略)描くことがすなわち触れることであり(略)画家のデッサンにはない様々な要素が見出せる」と書いてあります。アートシーンでは柳原義達、青木野枝、大森博之のデッサンと彫刻を紹介していましたが、読売新聞のベテランアート記者・高野清見氏のコラム【きよみのつぶやき】第16回(注3)では舟越直木(1953-2017:舟越保武の三男)の作品紹介にページを割いています。【きよみのつぶやき】第16回によれば、本展を企画したのは「リアル(写実)のゆくえ展」(2017年)等を手がけてきたベテラン学芸員のコンビとのことです。「リアルのゆくえ展」はとても面白かったので、本展も大いに期待できると思います。
注2 足利市立美術館・彫刻とデッサン展のURL=http://www.watv.ne.jp/~ashi-bi/
注3 【きよみのつぶやき】第16回のURL =https://artexhibition.jp/topics/features/20190604-AEJ83154/
◆シャルル=フランソワ・ドービニー展 三重県立美術館 2019.9.10~11.4
これは、協力会・2018秋のツアーのトークで名古屋市美術館の保崎学芸係長(以下「保崎さん」)が「お勧めの展覧会」として紹介していたものです。保崎さんが紹介したのは山梨県立美術館で開催中の展覧会でしたが、本年9月に三重県立美術館へ巡回してきます。
巡回先のひとつ・東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館(本展は6月30日終了)のホームページ(注4)によればドービニーの作品約60点の外、コロー、クールベなどドービニー周辺の画家たちの作品約20点も出品されるとのことです。ホームページには作品リストの外、約6分の動画もアップされていますので、一見の価値があります。
なお、【きよみのつぶやき】第6回(注5)は「ゴッホが敬愛した画家」と副題をつけて本展を紹介しています。山梨県立美術館での展示風景画像もありますよ。
注4 ホームページのURL=https://www.sjnk-museum.org/program/current/5750.html
注5 【きよみのつぶやき】第6回のURL https://artexhibition.jp/topics/features/20181203-AEJ51978/
Ron.
2019年
6月19日
6月16日、愛知県美術館リニューアル・オープン記念「アイチアートクロニクル展1919-2019」のミニツアーに参加した。参加者は21名いたが、愛知県美術館の石崎学芸員より50分程、展示室内の作品の前で、解説を聞かせていただくことができた。 展示室に入る前に、ロビーで展覧会の概要を聞く。1年半近くの大規模改修工事を終えた後の今回の展覧会。1919年の愛美社第1回展を起点に、今までの100年間の愛知のアートシーンを揺り動かしてきたムーブメントをたどるものになっている。全館を使って9章立ての展示。ボリュームがあり、期待が高まる。
第1章は「博覧会・博物館 愛知洋画のはじまり1871~」。交通の便が発達していなかった当時、中央と地方の隔たりは非常に大きなものがあった。そんな中、高橋由一より洋画を学んだ河野次郎や、その門下の野崎華年が名古屋に洋画をもたらす。野崎華年の《武具》(1895)という作品がおもしろい。油彩画だが、欄間に掛けられるように横長のサイズ。しかもモチーフは和の武具。日本家屋に合うように工夫されている。
第2章は「愛美社とサンサシオン」。1917年、岸田劉生らによる草土社の展覧会が名古屋に巡回。その写実性に感銘を受けた大澤鉦一郎が中心となり、愛美社が結成された。緻密に描かれた愛美社の作品は、名古屋市美術館でも馴染み深い。官展志向のグループ、サンサシオンの作品も並ぶ。サンサシオンの創設メンバーで、後年まで中部洋画壇を牽引した鬼頭鍋三郎の《手をかざす女》(1934)が出ている。これは名古屋市美術館のコレクションのひとつ。他館で見ると、いつもと少し違った表情をみせてくれる気がする。安藤邦衛は19年もの間海外で学び、帰国後、画塾を開く。この画塾から、次章で紹介されている名古屋のシュルレアリスムの作家も出ているそうだ。ボリュームのある裸婦像が目を引く太田三郎は、画家としてだけではなく、愛知県文化会館の初代美術科長(実質的な美術館長)として活躍。幅広い人脈を活かし、芸術行政に貢献したとのこと。他の章で愛知県文化会館講堂のガラス扉が展示してあり、とても懐かしい。ここのロゴマークのデザインを手がけたのは宮脇晴と知り、驚く。
第3章「シュルレアリスムの名古屋」。戦前の名古屋は、日本のシュルレアリスムの中心地の一つだった。名古屋のシュルレアリスムのコレクションが充実しているのは、もちろん名古屋市美術館。市美収蔵の絵画と写真が多数並んでいる。わが子の活躍を見るようで、嬉しい。シュルレアリスム絵画のモチーフには、よく地平線が出てくる。これには、あの地平線、あの海の向こうには何があるのだろうと想像させる働きがあるとのこと。牛もまた、よく描かれている。牛は大陸と結びつき、左翼的傾向のシュルレアリストたちの、中国大陸に近い心情が牛を描かせていたのかもしれないとの考察を伺い、興味深かった。
第4章の「非常時・愛知」。戦時中は絵具やキャンパスを取り寄せるにも許可が必要で、政府が認める活動にのみ絵具が配給された。鬼頭鍋三郎の戦争画の習作がある。女性像を常に描いていた画家が兵隊を描く。制作が戦争と結びつかざるを得ない時代だ。
第5章「日本画と前衛」。東松照明の出発点、伊勢湾台風の災厄と被災者の暮らしを撮った写真が並ぶ。5000人を超える犠牲者を出したこの台風は、美術にも影響を与えたとのこと。東日本大震災がアーティストに与えた影響の大きさを思い起こす。
第6章「桜画廊とその周辺」。1960年代を過ぎると、徐々に愛知と中央の距離感が近くなっていく。水谷勇夫は東京の美術メディアからも評価され、久野真はNYの展覧会で紹介されたりする。こういうことが増えていくにつれ、地元の自信につながり、活動が活発になっていったそうだ。久野真《鋼鉄による作品#272》(1975)は、ステンレスの表面が鈍い光を反射し、かっこいい作品だ。
第7章「美術家たちの集団行動」。1960年代以降、美術家によるグループ活動が全国的に広がっていく。愛知からも「ゼロ次元」や「ぷろだくしょん我S」という個性的なグループが出てくる。彼らは日常空間でハプニングをして、世の中を茶化したり街の人々を驚かす。栄の歩道を這いずって進む男がいたら、誰だってぎょっとする。こうしたパフォーマンスは、美術を見ない人に、出向いて行って無理やり美術を見せるという、行為による表現とのこと。当時を知らないので、その熱量は正直よくわからないが、今モニターで見るだけでも面白い。「ぷろだくしょん我S」の《人形参院選》(1974年)は名古屋市美術館の収蔵作品。服を着た空気人形のとぼけた表情が、思わず笑いを誘う。 石崎学芸員による解説はこの章まで。この先は自由鑑賞となる。
第8章「現代美術の名古屋」。1980年代と1990年代の名古屋には現代美術を扱うギャラリーが数多く存在し、優れたコレクターもいて、現代美術の名古屋と言われていたらしい。久野利博や山本富章、櫃田伸也など、協力会のカレンダーを制作して頂いた作家の作品もある。
第9章「美術館の内と外」では、あいちトリエンナーレやあいちトリエンナーレのプレイベント「放課後のはらっぱ」展、名古屋市美術館の「ポジション」展でみた作家の作品などが並んでいる。多彩な表現が見ていて飽きない。栗木義夫の《glove stand》(2008)の陶器と鉄を使った造形が面白い。油絵と組み合わせたインスタレーションになっている。この作家の父親は木村定三コレクションで展示してある、陶芸家の栗木枝茶夫。同じく陶芸家、加藤華仙の息子、加藤昭男の彫刻作品が、12階の屋上庭園にある。 父子で美術に携わり、その作品が同じ館内に展示されている。これは解説を聞かないと気が付かない。
展覧会を見終わると、2時間半が過ぎていた。この地域の美術の歴史の検証を、200点程の作品でたっぷりと体感することができ、見応えのある展覧会だった。図録を買って帰る。
最後に、当初の予定を大幅に延長して、詳しく解説してくださった石崎学芸員には、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。 MaT
2019年
6月19日

令和元年6月9日日曜日、例年のとおり、名古屋市美術館講堂にて、名古屋市美術館協力会の総会が行われました。協力会会員28名が出席し、美術館の深谷副館長のあいさつに続いて協力会の佐々木剛志会長が進行を務め、昨年度の決算や事業報告などが行われました。
途中、出席した会員からは、協力会のイベントについて、活発な意見や質問、提案がなされ、協力会役員からもそれらに対する丁寧な回答が聞かれました。全ての提案をそのまま実施することは不可能でしたが、それらの貴重なご意見をこれからの活動に出来るだけ反映すべく、検討していくことが確認されました。

総会終了後は、そのまま講堂にて、深谷副館長による常設企画展の解説が始まりました。現在名古屋市美術館の地下常設展示室にて開催されている『新たなる木彫表現を求めて』にとりあげられて展示されている、平櫛田中、舟越桂、薮内佐斗司らについて、画像をスクリーンに映しながら解説していただきました。
その後は、実際に作品の展示されている地下会場に移動して更に鑑賞し、約1時間のギャラリートークは終了しました。深谷副館長さん、ありがとうございました。
2019年
6月7日
5月26日、早朝。前日からのアートツアーの疲労もあり、夜通し開館していた森美術館で「六本木クロッシング2019展:つないでみる」を見ながら、空が白むのを見ていた。
館内には、他にも大勢の観客がおり、窓辺で静かに景色を眺める人、テンション高めでじゃれている人、スマホで誰かと話している人など様々だった。
午前5時30分過ぎ、アリーナに降りた。今回のアートナイトで一番驚いた「ラジオ体操」が始まろうとしていた。

これから始まるのは「クラシックなラジオ体操」(日本フィルハーモニー交響楽団xインビジブル)。そう、夏休みの朝に公園とかで見かける、あれ。ただし、日本フィルの生演奏付き。中央では正装の演奏者らが準備中。参加者の皆さんは音楽が始まるのを待ち構えている。
ちなみに、真夜中には同じ場所で「六本木夜舞場 (真夜中の盆踊り)」で盛り上がっていたらしい。残念ながら、こちらは見学できず。

午前5時50分頃。ここ数年、六本木アートナイトの恒例行事らしく、元気で楽しそうなラジオ体操が始まった。ご近所の方たちと思われる、親子連れもちらほら見かけた。聞いていた話が目の前で再現されるのだが、残念なことに疲労感が強く、ただ見ているだけで精いっぱいだった。
ラジオ体操のあと、近くにいた観客と、残りのプログラムや、国内各地の芸術祭のことについて、簡単な意見交換ができた。
「あいちトリエンナーレ」にも行きたい、という意見もあった。ともあれ、六本木アートナイトは想像以上にハードなアート体験だった。
杉山 博之
2019年
6月7日
六本木アートナイトでは、より多くの来場者にアート散策を楽しんでもらうため、様々なプログラムを用意している。
例えば、バリアフリーツアー(車椅子・ベビーカー等の利用者向け)、外国語ガイドレクチャー(英語、中国語、韓国語に対応)など。
今回は「六本木アートナイトをもっと楽しむガイドツアー」に参加することにした。

集合場所の西公園にも作品が設置されている。昼間は太陽光が強く、発光する作品とは思わなかったが、ずいぶん見やすくなっていた。
最終のツアーは午後11時に出発。所要時間は約1時間なので、解散するのは午前零時過ぎ。先日、エルメスで鑑賞した「ピアニスト」みたいだ。

カラフルなライトボックスの表面は黒い塗料で覆われており、観客が長い串のようなもので塗料をこすり落とすと、だんだん明るくなってゆく。観客参加型の作品で、とても賑わっていた。

周辺の民家の就寝を妨げないよう、静かに進むツアーの途中、ふと振り返ると、窓に照明のともった六本木ヒルズ。皆さん、まだ仕事中?
美術作品ではないけれど、とてもシュールな光景にツアー参加者から軽いどよめきが上がった。
ここ数年、毎年来ているという参加者もいて、夜のプログラムの充実ぶりに拍手。延長営業する飲食店(手ごろな価格の居酒屋など)もあり、休憩場所にも困らない。
(その3)へ
杉山 博之