愛知県美術館「アイチアートクロニクル」展ミニツアーに参加して

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

6月16日、愛知県美術館リニューアル・オープン記念「アイチアートクロニクル展1919-2019」のミニツアーに参加した。参加者は21名いたが、愛知県美術館の石崎学芸員より50分程、展示室内の作品の前で、解説を聞かせていただくことができた。 展示室に入る前に、ロビーで展覧会の概要を聞く。1年半近くの大規模改修工事を終えた後の今回の展覧会。1919年の愛美社第1回展を起点に、今までの100年間の愛知のアートシーンを揺り動かしてきたムーブメントをたどるものになっている。全館を使って9章立ての展示。ボリュームがあり、期待が高まる。

第1章は「博覧会・博物館 愛知洋画のはじまり1871~」。交通の便が発達していなかった当時、中央と地方の隔たりは非常に大きなものがあった。そんな中、高橋由一より洋画を学んだ河野次郎や、その門下の野崎華年が名古屋に洋画をもたらす。野崎華年の《武具》(1895)という作品がおもしろい。油彩画だが、欄間に掛けられるように横長のサイズ。しかもモチーフは和の武具。日本家屋に合うように工夫されている。

第2章は「愛美社とサンサシオン」。1917年、岸田劉生らによる草土社の展覧会が名古屋に巡回。その写実性に感銘を受けた大澤鉦一郎が中心となり、愛美社が結成された。緻密に描かれた愛美社の作品は、名古屋市美術館でも馴染み深い。官展志向のグループ、サンサシオンの作品も並ぶ。サンサシオンの創設メンバーで、後年まで中部洋画壇を牽引した鬼頭鍋三郎の《手をかざす女》(1934)が出ている。これは名古屋市美術館のコレクションのひとつ。他館で見ると、いつもと少し違った表情をみせてくれる気がする。安藤邦衛は19年もの間海外で学び、帰国後、画塾を開く。この画塾から、次章で紹介されている名古屋のシュルレアリスムの作家も出ているそうだ。ボリュームのある裸婦像が目を引く太田三郎は、画家としてだけではなく、愛知県文化会館の初代美術科長(実質的な美術館長)として活躍。幅広い人脈を活かし、芸術行政に貢献したとのこと。他の章で愛知県文化会館講堂のガラス扉が展示してあり、とても懐かしい。ここのロゴマークのデザインを手がけたのは宮脇晴と知り、驚く。

第3章「シュルレアリスムの名古屋」。戦前の名古屋は、日本のシュルレアリスムの中心地の一つだった。名古屋のシュルレアリスムのコレクションが充実しているのは、もちろん名古屋市美術館。市美収蔵の絵画と写真が多数並んでいる。わが子の活躍を見るようで、嬉しい。シュルレアリスム絵画のモチーフには、よく地平線が出てくる。これには、あの地平線、あの海の向こうには何があるのだろうと想像させる働きがあるとのこと。牛もまた、よく描かれている。牛は大陸と結びつき、左翼的傾向のシュルレアリストたちの、中国大陸に近い心情が牛を描かせていたのかもしれないとの考察を伺い、興味深かった。

第4章の「非常時・愛知」。戦時中は絵具やキャンパスを取り寄せるにも許可が必要で、政府が認める活動にのみ絵具が配給された。鬼頭鍋三郎の戦争画の習作がある。女性像を常に描いていた画家が兵隊を描く。制作が戦争と結びつかざるを得ない時代だ。

第5章「日本画と前衛」。東松照明の出発点、伊勢湾台風の災厄と被災者の暮らしを撮った写真が並ぶ。5000人を超える犠牲者を出したこの台風は、美術にも影響を与えたとのこと。東日本大震災がアーティストに与えた影響の大きさを思い起こす。

第6章「桜画廊とその周辺」。1960年代を過ぎると、徐々に愛知と中央の距離感が近くなっていく。水谷勇夫は東京の美術メディアからも評価され、久野真はNYの展覧会で紹介されたりする。こういうことが増えていくにつれ、地元の自信につながり、活動が活発になっていったそうだ。久野真《鋼鉄による作品#272》(1975)は、ステンレスの表面が鈍い光を反射し、かっこいい作品だ。

第7章「美術家たちの集団行動」。1960年代以降、美術家によるグループ活動が全国的に広がっていく。愛知からも「ゼロ次元」や「ぷろだくしょん我S」という個性的なグループが出てくる。彼らは日常空間でハプニングをして、世の中を茶化したり街の人々を驚かす。栄の歩道を這いずって進む男がいたら、誰だってぎょっとする。こうしたパフォーマンスは、美術を見ない人に、出向いて行って無理やり美術を見せるという、行為による表現とのこと。当時を知らないので、その熱量は正直よくわからないが、今モニターで見るだけでも面白い。「ぷろだくしょん我S」の《人形参院選》(1974年)は名古屋市美術館の収蔵作品。服を着た空気人形のとぼけた表情が、思わず笑いを誘う。 石崎学芸員による解説はこの章まで。この先は自由鑑賞となる。

第8章「現代美術の名古屋」。1980年代と1990年代の名古屋には現代美術を扱うギャラリーが数多く存在し、優れたコレクターもいて、現代美術の名古屋と言われていたらしい。久野利博や山本富章、櫃田伸也など、協力会のカレンダーを制作して頂いた作家の作品もある。

第9章「美術館の内と外」では、あいちトリエンナーレやあいちトリエンナーレのプレイベント「放課後のはらっぱ」展、名古屋市美術館の「ポジション」展でみた作家の作品などが並んでいる。多彩な表現が見ていて飽きない。栗木義夫の《glove stand》(2008)の陶器と鉄を使った造形が面白い。油絵と組み合わせたインスタレーションになっている。この作家の父親は木村定三コレクションで展示してある、陶芸家の栗木枝茶夫。同じく陶芸家、加藤華仙の息子、加藤昭男の彫刻作品が、12階の屋上庭園にある。 父子で美術に携わり、その作品が同じ館内に展示されている。これは解説を聞かないと気が付かない。

展覧会を見終わると、2時間半が過ぎていた。この地域の美術の歴史の検証を、200点程の作品でたっぷりと体感することができ、見応えのある展覧会だった。図録を買って帰る。

最後に、当初の予定を大幅に延長して、詳しく解説してくださった石崎学芸員には、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。                            MaT

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