お知らせ

2026年3月3日

2026年協力会イベント情報

現在、申し込みを受け付けているイベントはありません。

 

これまでに制作された協力会オリジナルカレンダーのまとめページを作りました。右側サイドメニューの「オリジナルカレンダー」からご覧ください。

事務局

展覧会見てある記 サンセット/サンライズ 豊田市美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

協力会のホームページに「サンセット/サンライズ展のミニツアーは中止」と書かれていたので、ミニツアーへの参加はあきらめて、一人で豊田市美術館(以下「豊田市美」)に出かけました。中学生くらいの子どもを始め、若い人が目立ちます。入り口で [ギャラリーガイド] をもらって、展覧会を鑑賞しました。

サンセット/サンライズ とは( [ギャラリーガイド] による)

[ギャラリーガイド] は次のように書いています。〈「サンセット(日没、夕暮れ)」と「サンライズ(日の出、夜明け)」(略)「サンセット/サンライズ」の豊かさは、眠りと目覚め、終わりと始まり、死と生、闇と光など、さまざまな象徴や解釈の可能性を差し出してくれるところにあります。こうした、生きる人間の儚さと強さ、相反する価値観やそのあわいなどをも表す意味の広がりは、まさしく芸術家たちの創造の問いかけと重なりあうものです。(略)本展は、こうした「サンセット/サンライズ」から派生する多様なイメージを手がかりに、豊田市美術館のコレクションを紹介する試みです。さらに招待作家として、愛知県にゆかりのある小林孝亘氏を迎え、静けさと強い存在感をもつその数々の作品を案内役に展覧会を構成します。〉(引用終り)

「愛知県にゆかりのある小林孝亘氏」と言われても、全く知識がなかったので、家に帰って「小林孝亘(たかのぶ)オフィシャルウェブサイト」を開くと、次のような略歴を掲載していました。

1960年 東京生まれ、1986年 愛知県立芸術大学美術学部油画科卒業、1999年 バンコクにアトリエを移す、2002年 東京にもアトリエを設ける、2011年までバンコクと東京を行き来しながら制作を続ける、2012年からは神奈川県在住(注:中日新聞の記事によると「逗子市」のようです)

展示室5では〈小林考亘 新作展「真昼」〉も開催していました。ガラスケースには豊田市美の所蔵作品も展示。新作展について小林考亘氏は [ギャラリーガイド] に、こう書いています。〈海の近くで暮らすようになって10年になる。(略)「真昼」は「サンセット/サンライズ」の章立てを引き継ぎ、夜が明けて朝になり、そして昼になるというあたりまえの時間の流れと、新作が昼間の海岸の風景ということで付けている。(略)選んだ所蔵作品は基本的に好きな作家の作品だが、アレギエロ・ボエッティノの揺らぎや変化、城戸保の鮮やかな光、徳岡神泉のたおやかさ、ペーター・ベーレンスのグラスの輝きと脆さ、荒木経惟の死生観など、少なからず展覧会のテーマを含んでいると感じている。〉(引用終り)展示された豊田市美の所蔵作品は、小林考亘氏が選んだのですね。

1F:展示室8

展示室に入って正面の作品は、コンスタンティン・ブランクーシ《眠る幼児》(1907年 1960/62年鋳造)。頭部だけのブロンズ像です。[ギャラリーガイド] によると「眠り/目覚め」の章の作品です。わざわざ「サンセット/サンライズ」(以下「本展」)の最初に展示するのは、何か意味があるのでしょうね。本展では、他に二つの「頭部だけの像」を出品しています。

・マジックアワー

[ギャラリーガイド] は〈マジックアワーとは撮影用語で、日没と日の出の前後に現れる薄明の神秘的な時間帯を指すものです。(略)この章では、まさに夢を見ているかのような謎めいた瞬間を浮かび上がらせた作品を紹介します〉と、書いています。

この章は小林考亘《Home》(2022)から始まります。日が暮れたばかりの風景で、大木の前に建っている小屋の窓から漏れる暖かそうな光が、周りを照らしています。久門剛史《crossfades#4 air》(2020)は、同じ図柄の色違いの3点で構成された作品。左から「夕焼け」「夜の月」「朝日」と変化しているように見えます。丸山直文《path4》(2005)は、畦道?を走るランナーを描いた作品。豊田市美のホームページに掲載され、チラシにも使われています。燕を描いた村瀬恭子《Swallows 2》(2009) と《Swallows 3》(2009)は、黒い背景の(2)と青空を背景にした(3)が並んでいます。

反対側の壁に展示の小林考亘《Corpse Candle》(2015)は、ズバリ「人魂」。しかし、青白い光ではなくオレンジ色に光っているので、恐怖心は少し和らぎます。隣の杉本博司《AEGEAN SEA, PILION》(1990)は、「海景シリーズ」の1点で、山本糾《暗い水-白山Ⅳ》(1993)は、2枚の写真をつなげた大画面の作品です。白い空の下に、黒い地面と水面が写っています。夕方なのか、夜明けなのか迷いましたが、「海景シリーズ」と並んでいますから、たぶん、明け方の景色なのでしょうね。沈む軍艦の艦橋に亡霊が出現している浜田知明の版画《よみがえる亡霊》(1956)は戦争の記憶を描いたのでしょう。マジックアワーは亡霊が出没する時間でもあります。

・眠り/目覚め

頭の上に耳のある白い顔。イケムラケイコ《きつねヘッド》(2010) は頭部だけの彫刻です。入口にあった、ブランクーシ《眠る幼児》を連想しました。両手のこぶしに顎をのせ、まどろんでいる女性を描いた小林考亘《Portrait – resting cheeks in hands》(2010)は、豊田市美のホームページにも掲載されています。眠る女性の上を飛ぶ虫を描いた村瀬恭子《Guru – guru》(2002) 《Nap(L)》(2003)は悪夢を描いたのかもしれませんね。

次のコーナーに展示の奈良美智の作品はローソクが印象的です。《Romantic Catastrophe》(1988)は右手がローソク。《Dream Time》(1988)は右手でつかんだ棒の先がローソクになっています。イケムラケイコ《黒に浮かぶ》(1998-99)は、空中に浮かぶ胎児のように見えます。また、《黒の中に横臥して》(1998-99)は、ハイハイする幼児に見えました。

・死/生

展覧会の看板に使われている小林考亘《Pillow》(2021)は、ベッドと枕だけを描いた作品。「死/生」という章に展示されているので、「故人が使っていた枕?」と考えてしまいました。川内倫子《Untitledシリーズ「SEMEAR」より》(2007)は、足の骨と皮だけになった動物の写真。胴体の骨・筋肉・内臓を抜き取られた「抜け殻」が写っています。最初見たときは何を写したのか分からず、二度見してしまいました。小林考亘《Sleeping bag》(2010)は、そのものズバリのタイトルですが、イモムシの死体にも見えました。

フロアに展示の福永恵美《greenhide》(2005-06)は真っ白い造花で、花びらは蝋細工。茎は細い木材で、白く脱色した菊の葉が張り付いています。とても奇麗なのですが「白い造花」なので「お葬式」を連想してしまいました。向こうの壁には河原温の「Todayシリーズ」が7点。「死と生」を同時に見た感じです。

次のコーナーでは、親子3人を描いた加藤泉《無題》(2006)と福田美蘭《涅槃図》(2012)を展示。《無題》は不気味。《涅槃図》には金太郎や桃太郎、三匹の子ブタなど、昔話の登場人物が描かれています。クリスチャン・ボルタンスキー《聖遺物箱(プリーム祭)》(1990)の前では、たくさんの人が立ち止まっていました。マックス・クリンガー《ミューズの頭部》(1890年以前)は、「眠り/目覚め」の章の作品ですが、何故かボルタンスキーの作品の近くに展示されていました。これが、三つ目の「頭部だけの彫刻」です。

・見えない/見える

展示室8では最後の章。ソフィ・カル《盲目の人々》(1986)と小林考亘《Hard Shell》(1992)の二作品を展示しています。《盲目の人々》では、目の見えない人が「海」などをどのように捉えているかをインタビューしたときの回答と、回答した人の写真、インタビューのテーマとした「海の写真」などを展示していました。

2F:展示室1 「黒/白」

大きな空間なので、村上友晴《無題》(1989-90)、李禹煥《風と共に》(1987)、小林考亘《Water Fountain》(1994)、草間彌生《No. AB.》(1959)などの大作が並んでいます。なかでも目を引いたのは、画面に無数の釘を打ち込んだ、ギュンター・ユッカー《変動する白の場》(1965)です。ユッカーは、ゲルハルト・リヒターをモデルにした映画「ある画家の数奇な運命」に登場していました。

3F:展示室2 「黒/白」(つづき)

森村泰昌の映像作品《なにものかへのレクイエム(創造の劇場/動くウォーホル》(20210)を上映していました。画面は2つで、向かって左の画面には黒ずくめのウォーホルに扮した森村が、右の画面では白いシャツを着たモデルが写っています。もちろん、モデルも森村が扮しています。 映像はウォーホルがモデルを2回撮影する様子を撮ったものです。森村の扮したウォーホルが使用した撮影機材は、最初がストロボ付きのコンパクトカメラ、2回目がSonar Focusが付いたPOLAROID SX-70 LAND CAMERAでした。

3F:通路・展示室3 「黒/白」(つづき)

通路には小林考亘のリトグラフと横山奈美《ラブと私のメモリーズ》(2019)を展示。展示室3には高さ2.4m・幅18mの大作、篠原有司男(うしお)《ボクシングペインティング》(2007)を展示しています。展示室いっぱいに広がった《ボクシングペインティング》の大きさには、びっくりしました。

3F:展示室4 「終わり/始まり」

クリムト、エゴン・シーレ、フランシス・ベーコン等と並んで、小林考亘の作品も展示していました。

2F:展示室5 小林考亘 新作展「真昼」

湘南海岸と思われる浜辺をテーマにした作品をはじめとする新作を展示しています。小林考亘が言及していた荒木経惟の写真は3点。新婚旅行を撮影した「センチメンタルな旅」と妻・陽子さんの死を主題にした「冬の旅」が並んでいるので、私も「荒木経惟の死生観」を感じました。

最後に

美術館全部を使った展覧会なので見ごたえがあります。観覧料は700円。会期は5月8日まで。

Ron.

協力会のホームページに「サンセット/サンライズ展のミニツアーは中止」と書かれていたので、ミニツアーへの参加はあきらめて、一人で豊田市美術館(以下「豊田市美」)に出かけました。中学生くらいの子どもを始め、若い人が目立ちます。入り口で [ギャラリーガイド] をもらって、展覧会を鑑賞しました。

サンセット/サンライズ とは( [ギャラリーガイド] による)

[ギャラリーガイド] は次のように書いています。〈「サンセット(日没、夕暮れ)」と「サンライズ(日の出、夜明け)」(略)「サンセット/サンライズ」の豊かさは、眠りと目覚め、終わりと始まり、死と生、闇と光など、さまざまな象徴や解釈の可能性を差し出してくれるところにあります。こうした、生きる人間の儚さと強さ、相反する価値観やそのあわいなどをも表す意味の広がりは、まさしく芸術家たちの創造の問いかけと重なりあうものです。(略)本展は、こうした「サンセット/サンライズ」から派生する多様なイメージを手がかりに、豊田市美術館のコレクションを紹介する試みです。さらに招待作家として、愛知県にゆかりのある小林孝亘氏を迎え、静けさと強い存在感をもつその数々の作品を案内役に展覧会を構成します。〉(引用終り)

「愛知県にゆかりのある小林孝亘氏」と言われても、全く知識がなかったので、家に帰って「小林孝亘(たかのぶ)オフィシャルウェブサイト」を開くと、次のような略歴を掲載していました。

1960年 東京生まれ、1986年 愛知県立芸術大学美術学部油画科卒業、1999年 バンコクにアトリエを移す、2002年 東京にもアトリエを設ける、2011年までバンコクと東京を行き来しながら制作を続ける、2012年からは神奈川県在住(注:中日新聞の記事によると「逗子市」のようです)

展示室5では〈小林考亘 新作展「真昼」〉も開催していました。ガラスケースには豊田市美の所蔵作品も展示。新作展について小林考亘氏は [ギャラリーガイド] に、こう書いています。〈海の近くで暮らすようになって10年になる。(略)「真昼」は「サンセット/サンライズ」の章立てを引き継ぎ、夜が明けて朝になり、そして昼になるというあたりまえの時間の流れと、新作が昼間の海岸の風景ということで付けている。(略)選んだ所蔵作品は基本的に好きな作家の作品だが、アレギエロ・ボエッティノの揺らぎや変化、城戸保の鮮やかな光、徳岡神泉のたおやかさ、ペーター・ベーレンスのグラスの輝きと脆さ、荒木経惟の死生観など、少なからず展覧会のテーマを含んでいると感じている。〉(引用終り)展示された豊田市美の所蔵作品は、小林考亘氏が選んだのですね。

1F:展示室8

展示室に入って正面の作品は、コンスタンティン・ブランクーシ《眠る幼児》(1907年 1960/62年鋳造)。頭部だけのブロンズ像です。[ギャラリーガイド] によると「眠り/目覚め」の章の作品です。わざわざ「サンセット/サンライズ」(以下「本展」)の最初に展示するのは、何か意味があるのでしょうね。本展では、他に二つの「頭部だけの像」を出品しています。

・マジックアワー

[ギャラリーガイド] は〈マジックアワーとは撮影用語で、日没と日の出の前後に現れる薄明の神秘的な時間帯を指すものです。(略)この章では、まさに夢を見ているかのような謎めいた瞬間を浮かび上がらせた作品を紹介します〉と、書いています。

この章は小林考亘《Home》(2022)から始まります。日が暮れたばかりの風景で、大木の前に建っている小屋の窓から漏れる暖かそうな光が、周りを照らしています。久門剛史《crossfades#4 air》(2020)は、同じ図柄の色違いの3点で構成された作品。左から「夕焼け」「夜の月」「朝日」と変化しているように見えます。丸山直文《path4》(2005)は、畦道?を走るランナーを描いた作品。豊田市美のホームページに掲載され、チラシにも使われています。燕を描いた村瀬恭子《Swallows 2》(2009) と《Swallows 3》(2009)は、黒い背景の(2)と青空を背景にした(3)が並んでいます。

反対側の壁に展示の小林考亘《Corpse Candle》(2015)は、ズバリ「人魂」。しかし、青白い光ではなくオレンジ色に光っているので、恐怖心は少し和らぎます。隣の杉本博司《AEGEAN SEA, PILION》(1990)は、「海景シリーズ」の1点で、山本糾《暗い水-白山Ⅳ》(1993)は、2枚の写真をつなげた大画面の作品です。白い空の下に、黒い地面と水面が写っています。夕方なのか、夜明けなのか迷いましたが、「海景シリーズ」と並んでいますから、たぶん、明け方の景色なのでしょうね。沈む軍艦の艦橋に亡霊が出現している浜田知明の版画《よみがえる亡霊》(1956)は戦争の記憶を描いたのでしょう。マジックアワーは亡霊が出没する時間でもあります。

・眠り/目覚め

頭の上に耳のある白い顔。イケムラケイコ《きつねヘッド》(2010) は頭部だけの彫刻です。入口にあった、ブランクーシ《眠る幼児》を連想しました。両手のこぶしに顎をのせ、まどろんでいる女性を描いた小林考亘《Portrait – resting cheeks in hands》(2010)は、豊田市美のホームページにも掲載されています。眠る女性の上を飛ぶ虫を描いた村瀬恭子《Guru – guru》(2002) 《Nap(L)》(2003)は悪夢を描いたのかもしれませんね。

次のコーナーに展示の奈良美智の作品はローソクが印象的です。《Romantic Catastrophe》(1988)は右手がローソク。《Dream Time》(1988)は右手でつかんだ棒の先がローソクになっています。イケムラケイコ《黒に浮かぶ》(1998-99)は、空中に浮かぶ胎児のように見えます。また、《黒の中に横臥して》(1998-99)は、ハイハイする幼児に見えました。

・死/生

展覧会の看板に使われている小林考亘《Pillow》(2021)は、ベッドと枕だけを描いた作品。「死/生」という章に展示されているので、「故人が使っていた枕?」と考えてしまいました。川内倫子《Untitledシリーズ「SEMEAR」より》(2007)は、足の骨と皮だけになった動物の写真。胴体の骨・筋肉・内臓を抜き取られた「抜け殻」が写っています。最初見たときは何を写したのか分からず、二度見してしまいました。小林考亘《Sleeping bag》(2010)は、そのものズバリのタイトルですが、イモムシの死体にも見えました。

フロアに展示の福永恵美《greenhide》(2005-06)は真っ白い造花で、花びらは蝋細工。茎は細い木材で、白く脱色した菊の葉が張り付いています。とても奇麗なのですが「白い造花」なので「お葬式」を連想してしまいました。向こうの壁には河原温の「Todayシリーズ」が7点。「死と生」を同時に見た感じです。

次のコーナーでは、親子3人を描いた加藤泉《無題》(2006)と福田美蘭《涅槃図》(2012)を展示。《無題》は不気味。《涅槃図》には金太郎や桃太郎、三匹の子ブタなど、昔話の登場人物が描かれています。クリスチャン・ボルタンスキー《聖遺物箱(プリーム祭)》(1990)の前では、たくさんの人が立ち止まっていました。マックス・クリンガー《ミューズの頭部》(1890年以前)は、「眠り/目覚め」の章の作品ですが、何故かボルタンスキーの作品の近くに展示されていました。これが、三つ目の「頭部だけの彫刻」です。

・見えない/見える

展示室8では最後の章。ソフィ・カル《盲目の人々》(1986)と小林考亘《Hard Shell》(1992)の二作品を展示しています。《盲目の人々》では、目の見えない人が「海」などをどのように捉えているかをインタビューしたときの回答と、回答した人の写真、インタビューのテーマとした「海の写真」などを展示していました。

2F:展示室1 「黒/白」

大きな空間なので、村上友晴《無題》(1989-90)、李禹煥《風と共に》(1987)、小林考亘《Water Fountain》(1994)、草間彌生《No. AB.》(1959)などの大作が並んでいます。なかでも目を引いたのは、画面に無数の釘を打ち込んだ、ギュンター・ユッカー《変動する白の場》(1965)です。ユッカーは、ゲルハルト・リヒターをモデルにした映画「ある画家の数奇な運命」に登場していました。

3F:展示室2 「黒/白」(つづき)

森村泰昌の映像作品《なにものかへのレクイエム(創造の劇場/動くウォーホル》(20210)を上映していました。画面は2つで、向かって左の画面には黒ずくめのウォーホルに扮した森村が、右の画面では白いシャツを着たモデルが写っています。もちろん、モデルも森村が扮しています。 映像はウォーホルがモデルを2回撮影する様子を撮ったものです。森村の扮したウォーホルが使用した撮影機材は、最初がストロボ付きのコンパクトカメラ、2回目がSonar Focusが付いたPOLAROID SX-70 LAND CAMERAでした。

3F:通路・展示室3 「黒/白」(つづき)

通路には小林考亘のリトグラフと横山奈美《ラブと私のメモリーズ》(2019)を展示。展示室3には高さ2.4m・幅18mの大作、篠原有司男(うしお)《ボクシングペインティング》(2007)を展示しています。展示室いっぱいに広がった《ボクシングペインティング》の大きさには、びっくりしました。

3F:展示室4 「終わり/始まり」

クリムト、エゴン・シーレ、フランシス・ベーコン等と並んで、小林考亘の作品も展示していました。

2F:展示室5 小林考亘 新作展「真昼」

湘南海岸と思われる浜辺をテーマにした作品をはじめとする新作を展示しています。小林考亘が言及していた荒木経惟の写真は3点。新婚旅行を撮影した「センチメンタルな旅」と妻・陽子さんの死を主題にした「冬の旅」が並んでいるので、私も「荒木経惟の死生観」を感じました。

最後に

美術館全部を使った展覧会なので見ごたえがあります。観覧料は700円。会期は5月8日まで。

Ron.

「ゴッホ展」 会員向け解説会(B日程)

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開幕した「ゴッホ展 ― 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(以下「本展」)の名古屋市美術館協力会・会員向け解説会(B日程)に参加しました。気温の変化が激しいためか、6人の欠席があり、参加者は30人。2階講堂で森本陽香学芸員(以下「森本さん」)の解説を聴き、その後、自由観覧・自由解散となりました。

◆2階講堂・森本さんの解説(16:30~17:20)の概要 

メモと記憶で書いていますので、不正確な点はご容赦ください。

・「ヘレーネ」とは?

 本展のサブタイトルは「響きあう魂 へレートフィンセント」。皆さんご存じの通り「フィンセント」はフィンセント・ファン・ゴッホのことですが、「ヘレーネ」は、ヘレーネ・クレラー=ミュラー(以下「ヘレーネ」)。彼女は、今回出展のクレラー=ミュラー美術館の基礎を築きました。今回、オランダ・アムステルダムのファン・ゴッホ美術館からも4点出展。ファン・ゴッホ美術館はファン・ゴッホ家のコレクションを元にしており、クレラー=ミュラー美術館はヘレーネが収集したコレクションを元にしています。いずれのコレクションも、重要性が高く、規模の大きいものです。

・ヘレーネが結婚するまで

 ヘレーネはドイツ人で1869年に、ドイツ中西部・エッセン郊外のホルストで生まれました。まじめで勉強熱心な少女で、父親は鉄鉱石と石炭を扱うミュラー社を設立し、海運業にも進出します。少女時代の名前はクレラー・ミュラー。「教師になりたい」と思っていましたが、19歳の時、アントン・クレラー(以下「アントン」)と結婚し、ヘレーネ・クレラー=ミュラーとなります。「クレラー=ミュラー」は、夫妻の名字を合わせたもので「二重名字」と呼ばれ、ヨーロッパでは良くあることです。

少女の頃、ヘレーネはレッシング、ゲーテ、シラーの著作を熱心に読みました。また、哲学者スピノザの汎神論に興味を示し、教会に対する疑いを抱きました。「宗教によって救われることはありえない」として、心のよりどころを他のものに追い求め、美術作品が心の支えとなりました。

 アントンはミュラー社の社員で、いわば「婿養子」です。会社の都合でヘレーネ夫妻はオランダに引っ越します。父親が死亡するとアントンはミュラー社の取締役となり、彼の商才で会社を成功させます。

・美術教師ブレマーとの出会い、ヘレーネの審美眼

 ヘレーネは、美術教師のヘンドリクス・ペトルス・ブレマー(以下「ブレマー」)と出会い、美術に対する興味を増します。裕福な家庭では、専門家を家庭教師とすることがあり、ヘレーネも1927年、38歳の頃からブレマーのレクチャーを受け始めます。ブレマーは主に図版を使って、美術教育をしましたが、可能な場合には本物の作品を使い、「作品の収集が一番の勉強」とも教えました。ヘレーネの審美眼は、ブレマーから教わったものです。ヘレーネが作品を収集するとき、ブレマーの助言は受けたものの、最後は自分で「これは良い」と思ったものをコレクションする、という姿勢を貫きました。

・所蔵作品の展示

 クレラー=ミュラー美術館本館の展示室は、ヘレーネが館長の頃と変わっていません。しかし、開館後、増築され、野外彫刻も充実しました。開館当時との大きな違いは、作品の展示の仕方です。ヘレーネは作品と作品の間隔を空け、目線の位置に合わせて展示しましたが、展示室の中に家具や椅子も置いています。現在、家具などは置いていません。なお、当時は、二段掛け、三段掛けで天井近くまで使い、壁一面に作品を並べる展示方法が一般的でした。一方、現代の美術館では、ホワイトキューブ(白くて四角い建物)の中に、横一列に間隔を空けて展示するのが一般的です。

・ヘレーネが収集した作品

 ヘレーネが収集した第一号の作品は、パウル・ヨセフ・コンスタンティン・ハブリエル《それは遠くからやって来る》(1887)です。作者は、オランダの印象派と言われるハーグ派の画家。フランスとオランダとでは、光が違います。オランダは、グレイがかった灰色の光が多いのです。コレクション第一号なので、堅実な作品を選んでいます。

 また、最初期に集めたゴッホの作品は《森のはずれ》(1883)です。彼がハーグ派やバルビゾン派にあこがれていた頃の作品で、後期のゴッホらしい作品とは趣が異なります。《レモンの籠・瓶》(1885)は、アルル時代の作品です。1909年に購入したもので、レモンが「じゃがいも」のように見えますが、力強い、生命力のある作品です。ゴッホはこの作品で、色彩の使い方、補色の対比を研究しています。激しい色使いではありませんが、黄色いモチーフに赤い輪郭線を描くことで画面を引き締めています。補色関係というと、青と黄色の対比がイメージされますが、この作品ではレモンの黄色とテーブルクロスの黄色という類似色の使い方についても研究しています。ヘレーネは、この作品気に入り、手元に置いて、この作品に対する思いを手紙に残しています。ヘレーネの手紙〈ゴッホが描いたレモンを理解しようとするとき、私は頭の中で数個のレモンをゴッホのレモンの隣に並べてみます。そして、現実のレモンと、ゴッホのレモンがどれほど異なっているかを感じるのです〉(1909.03.26)

この手紙の内容を解釈すると、この作品は「果物としてのレモン」ではなく、「レモンの持っている存在感」を現わしている。現実以上のものを表現していることが大きい、ということだと思います。ヘレーネは「その作品に精神性のようなものを感じられるか」を収集の判断基準にしていました。

・収集した作品の保管場所

収集した作品が増えると自宅では収まらず、ハーグにあったミュラー社の隣のビルを作品の保管場所にしました。1階ホールの写真を見ると、キャビネットの上にも作品が並んでいます。真ん中に写っているのは、今回出展の素描《コーヒーを飲む老人》(1882)です。オランダ時代の油彩を保管している部屋の写真を見ると、二段掛け、三段掛けは当たり前で、作品が壁一面に並んでいます。当初、保管場所は「鑑賞の場」ではありませんでした。収蔵作品を一般に公開するのは1913年以降のことです。

ゴッホの作品を一般公開した当時、ゴッホを常設展示する場所はありませんでした。ヘレーネが一般公開したコレクションは「ゴッホの作品をまとめて見ることができる場所」として重宝されました。

・「展示方法」に対するヘレーネのこだわり

写真をご覧ください。6点の作品を3点ずつ二段掛けで並べています。上段、下段とも中央が縦長の作品、両脇が横長の作品です。上段の左右はどんな作品か判別できませんが、中央は今回出展の《夕暮れの松の木》(1889)、下段中央は《夜のプロヴァンスの田舎道》(1890)です。下段、向かって右は今回出展の《麦束のある月の出の風景》(1889)、向かって左は日の出を描いた作品です。縦長の樹木の絵2点を中央に置き、下段は左右に日の出と月の出を対比して配置するなど、ヘレーネは「どんなふうに見せるか」という点にもこだわりを持っていました。

・クレラー=ミュラー美術館の建設

クレラー=ミュラー美術館はオランダの東南部、オッテルローの町はずれの広大な農地の中にあります。ヘレーネが「美術館は自然豊かなところにあるのが望ましい」と考えたからです。

美術館建設の最初の案は宮殿のようなものでした。しかし、ヘレーネは却下。「シンプルで機能的なものがよい」というヘレーネの考えに基づいてアンリ・ヴァン・ド・ヴェルドが設計したシンプルな案を採用して建設が始まったのですが、1921年に会社が財政危機に陥り、全ての事業がストップしてしまいました。

 アンリ・ヴァン・ド・ヴェルドはベルギー出身の、アール・ヌーボー調の建物を設計した建築家です。美術館を設計したのは彼の晩年に当たります。彼が設計した美術館は装飾が少なく、シンプルなものです。また、彼は絵も描き、今回出展の《黄昏》(1889)は、点描による彼の作品です。

 財政破綻の危機に陥ると、多くの場合「コレクションを売却して危機を乗り越える」ということになりますが、ヘレーネはコレクションを売却せず、クレラー=ミュラー財団に移管して作品を守りました。それだけでなく、コレクションの価値を国にアピールし、文部大臣と交渉。その結果、オランダ政府が美術館建設を認めたのですが、1929年に世界恐慌が起きます。紆余曲折を経て、1930年代に、国がクレラー=ミュラー財団のコレクションを元にした美術館の建設を決定。1938年になってクレラー=ミュラー美術館が開館し、ヘレーネは初代館長に就任します。

・ゴッホ作品の評価向上に対するヘレーネの貢献

 1930年代になると生前に比べて、ゴッホの評価はかなり上がりました。収集家の力で、作品の評価が上がったのです。ゴッホの死後、展覧会を開いて徐々に評価が上がり、多額の資金を使った収集によって、ゴッホ作品に世間の関心が集まりました。ヘレーネ以外にもコレクターがいました。また、ファン・ゴッホンの遺族の努力で書簡集が発行されたこともあり、1930年代にはゴッホの評価が確立したのです。

・主なゴッホ作品について

《悲しむ老人(「永遠の門にて」)》(1890)

このモチーフは、オランダ時代にゴッホがリトグラフで制作したものです。当時、このような姿勢は、よく制作されたモチーフです。この作品はサン・レミ時代に、リトグラフを油彩でコピーしたものです。補色関係の黄色と青の対比が目を引きます。かつて制作したリトグラフと同じモチーフを描いたのは、当時、精神疾患でつらい生活をしていたためです。

 この作品は、夫のアントンが結婚25年の記念として、ヘレーネにプレゼントしたものです。アンリ・ファンタン=ラトゥールの女性像《エヴァ・カリマキ=カタルジの肖像》(1881)と一緒に贈られました。ヘレーネは、アントン宛の手紙(1913.5.17)に〈大きくて、高価な真珠のネックレスをもらったとしても、これほど喜ぶことはなかったでしょう〉と書いています。なお、今回出展作の中に、アンリ・ファンタン=ラトゥール《静物(プリムローズ、洋梨、ザクロ》(1966)があります。ヘレーネはファン・ゴッホと同じくらい、この作家を評価していました。

《種まく人》(1888)

 ヘレーネは、サン・レミ時代の作品から収集を始め、その後、他の時代の作品も収集するようになります。《種まく人》はアルル時代の作品で、今回の目玉の一つです。ミレーの絵を元にして、色彩豊かに、大きなサイズで現代風に描いたものです。この作品では「太陽」が大きな意味を持っています。ゴッホは、パリ・アルル時代から「教会」のイメージを太陽に置き換えています。オランダ時代にも教会を描いていましたが、パリ・アルル時代から、太陽(自然)を教会(宗教)に置き換えることを意図しています。ヘレーネがどこまで理解していたかは分かりませんが、自分の考えとの親和性を感じていたと思います。

《夜のプロヴァンスの田舎道》(1890)

 ゴーギャンの影響を受け、目の前の景色を見たまま描くのではなく、記憶を再構成して描いています。ベックリン《死の島》に糸杉が描かれているように、糸杉は「死」のイメージを持っています。また、糸杉は南フランスに特徴的なもので、オランダを代表する樹木は柳です。オリーブの樹も南フランスを代表するものです。糸杉はエネルギッシュで、力強いものでもあります。この作品は、世界中で好まれています。

《黄色い家》(1888)

 テオの妻ヨーが尽力して守ったコレクションを所蔵するファン・ゴッホ美術館から出展されました。描かれているのはゴーギャンと共同生活をするために借りた家です。ゴッホとその弟テオも素晴らしいですが、彼らの死後に奔走したヘレーネとヨーの功績も素晴らしいと思います。これまで、さまざまに語られたゴッホの作品ですが、新しい切り口は残っています。

◆最後に

 森本さんは「フィンセント」だけでなく、「ヘレーネ」についても時間を割いて解説してくださいました。クレラー=ミュラー美術館の設計者が点描の画家だったことや、美術館の建設に立ちはだかった様々な障害など、興味深い話をいくつも聞くことができました。森本さん、

ありがとうございました。

Ron

展覧会見てある記 豊橋市美術博物館「絵画コレクション名品展」など

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

現在、豊橋市美術博物館(以下「美術館」)では「プレイバック! 絵画コレクション展」(以下「本展」)を開催しています。本展のチラシには〈当館は2022年6月から翌年9月まで改修整備工事のため休館します。開館後最も長期にわたる休館を前に、当館コレクションの核となる名品の数々をぜひご覧ください〉と書いてあったので「当館コレクションの核となる名品」に興味が沸き、美術館まで出かけてきました。1階でも「第3期特別展示室コレクション展 Face to Face ― 面(つら)つき合わせて」を開催しており、本展は2階常設展示室(全5室)での開催。いずれも会期は3月27日(日)までです。

◆2階 プレイバック! 絵画コレクション展

 2階の受付で観覧料400円を支払い展示室に進むと、通路左側の「テーマ展示コーナー」で、チラシにも使われた、京都市北区・地蔵院の椿を描いた平川敏夫《椿樹》(1970)が出迎えてくれました。紅白の椿を描いた作品ですが、椿の樹が赤と黒で塗り分けられているので「華やかさ」とは違う「力強さ」を感じます。

第1展示室は、幕末から明治期の画人たちの作品を展示。目を引いたのは渡辺小華(1835-1887)の《蔬果図》(1874)と《画帖》(1879)です。解説によれば、渡辺小華は渡辺崋山の次男で、幕末・明治期に田原藩の家老を務め、廃藩置県後は画家として生計を立てたとのことです。

第2展示室は、近代の日本画を展示。和服の若い女性が、おかっぱの女の子が乗った乳母車を押す、高柳淳彦《半蔵御門の朝》(1934)や和服の着付けをしている女性を描いた、遠山唯一《支度》(昭和前期)など、これまでのコレクション展で「これは!」と思った作品がいくつも展示されています。

第3展示室は近代の洋画。岸田劉生《卓上林檎葡萄之図》(1918)、椿貞雄《鶏頭持てる村の婦》(1920)、高須光治《下北沢風景》(1928—35)等を展示しています。解説によれば、椿貞雄・高須光治は岸田劉生の草土社に参加した画家です。

第4展示室は戦後の日本画。中村正義の《花図》(1968)《うしろの人》(1977)を始め、人拓によって描いた星野眞吾《終曲》(1975)、平松礼二《路・波の国から》(1992)など、地元ゆかりの作家の作品が並びます。

第5展示室は「表現の多様化」と題し、写実画、抽象画を展示。スーパーリアリズムの野田弘志《やませみ》(1971),上田薫《玉子にスプーンA》(1986)などと、ミニマル・コンセプショナルの荒川修作《S.A.方程式》(1962)や飯田善國《LOVE-KOI》(1994)などが並んでいるのは壮観です。

◆1階 第3期特別展示室コレクション展  Face to Face ― 面(つら)つき合わせて

 1階のコレクション展は入場無料。展示されているのは「顔」を描いた作品です。

 展示の最初は、筧忠治の《自画像》6点と《母の像》(1927)。仁王様のような自画像が並ぶ中、1947年制作の《自画像》は、レンブラントのようです。中村正義の作品も多く、《顔》5点とユーモラスな《頭でっかちの自画像》(1961)、テラコッタの《顔》30点を展示しています。

 石黒鏘二《もう語るのをやめた》(1972)は、頭にかぶったスカーフだけを表現したブロンズ像。「顔」の部分が空白なので、最初は何を表現しているのかわかりませんでした。

Ron.

読書ノート「最後の浮世絵師 月岡芳年」神谷浩(監修) 株式会社青幻舎 2021.04.26発行

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

「神谷浩(監修)」という文字に引かれ、近所の図書館で借りてきました。神谷浩さんは2019年3月24日に開催した協力会主催の名古屋市博物館「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」ミニツアーで、展覧会の解説をしてくださいました。当時は名古屋市博物館副館長でしたが、現在は徳川美術館副館長です。

◆本書の成り立ち

「はじめに」と「凡例」によると、本書は〈名古屋テレビ株式会社所蔵の浮世絵コレクションから作品を選定〉したもので〈2021年から開催される「月岡芳年展」の図録を兼ねている〉とのことです。

また、芳年の作品については〈もとの蒐集家の好みを反映してか「英名二十八衆句」などの「血みどろ絵」こそ含まれないものの、重要作品がほぼ網羅されており、芳年コレクションとして質、量ともに手応えのあるものとなっています〉と書かれています。

◆本書の構成など

本書は、「第1章 芳年の壮」武者絵、「第2章 芳年の想」歴史画、「第3章 芳年の壮」横三枚続と竪二枚継の大作、「第4章 芳年の妖と艶」美人画、「第5章 報道」新聞の錦絵、「第6章 月百姿」という構成になっています。「英名二十八衆句」などの「血みどろ絵」はありませんが、妊婦が逆さに吊るされた竪二枚継の「奥州安達がはらひとつ家の図」や、里見八犬伝の一場面を描いた「芳流閣両雄動」などの重要作品が網羅されています。重要作品かどうかは不明ですが、面白いと思ったのは「鎌倉殿の13人」に登場する北条時政が江ノ島に参籠した時に弁才天が姿を現した場面を描いた武者絵「芳年武者无類 遠江守北條時政 明治十六年(1883)」と名古屋の娘を描いた美人画「風俗三十二相 にくらしそう 安政年間名古屋嬢の風俗 明治二十一年(1888)」です。「名古屋嬢の風俗」の説明には「どこが名古屋風なのかは不明だが、着物や髪型は京阪風である」と書かれています。

◆「商業美術家の逆襲」との接点

山下裕二著「商業美術家の逆襲 もうひとつの日本美術史」は、月岡芳年について〈維新後は歴史画を多く手がけていますが、その作品には渡辺省亭の師・菊池容斎が著した『前賢故実』の影響が色濃く見てとれます〉と書いています。第6章「月百姿」の中の「垣間見の月 かほよ 明治十九年(1886)」は、菊池容斎『前賢故実』巻第10「塩谷高貞妻」明治一年(1868)を元にしたことが分かる作品で「かほよ」の容姿がよく似ていますね。作品解説には〈優雅な美女が着替えをしているのを、生垣の隙間から男が好色な目でのぞいている。「かほよ」とは塩谷判官高貞の妻、顔世で、のぞき込むのは顔世に横恋慕した高師直である〉と書かれています。渡辺省亭も塩谷判官の妻を描いた作品を何点も描いていますが、容斎と省亭が描く顔世は右向きで他の登場人物は侍女のみ。一方、芳年が描く顔世は左向きで、草むらに潜む高師直も描いている点が違います。(「渡辺省亭 ―欧米を魅了した花鳥画―」株式会社小学館 2021.3.30発行 参照)

◆名古屋テレビ株式会社所蔵の浮世絵コレクションとは?

「名古屋テレビ 浮世絵美術館 URL=https://www.nagoyatv.com/ukiyoe/museum 」というサイトには〈もとは朝日新聞社の常務矢島八洲夫氏が長い年月を費やして収集されたものですが、矢島氏がそのコレクションを「こどもの国」協会の基金づくりのために手放すことになり、関係団体に声をかけた結果、当時の名古屋放送代表取締役故川手泰二の判断で名古屋テレビのみが名乗りをあげ、一括購入をして現在に至るものです〉と書かれています。「名古屋テレビ 浮世絵美術館」には作家別の「バーチャルミュージアム」もあり、葛飾北斎、歌川国貞・国芳、歌川広重(その一)、歌川広重(その二)、月岡芳年という5つのコーナーを見ることができます。なお、月岡芳年のコーナーは、美人画ばかり20点を掲載しています。

◆2021年から開催される「月岡芳年展」とは?

ネットで調べると、2021.4.24~5.23の会期で、金沢21世紀美術館市民ギャラリーAを会場に「最後の浮世絵師 月岡芳年」展が開催されていました。途中の巡回先は不明ですが2022.4.8~6.5の会期で、八王子市美術館に巡回する予定です。

 なお、協力会ミニツアーで鑑賞した「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」は2022.2.26~4.10の会期で、京都文化博物館に巡回中。豊橋市美術博物館(会期は2021.10.9~11.23)を最後に巡回が終了した「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」は、島根県立石見美術館(会期は2016.12.23~2017.2.13)から巡回が始まっています。TV愛知「新美の巨人たち」でも月岡芳年「大日本名将鑑」を取り上げていました(2022.02.12 22:00~22:30放送)。「今、月岡芳年が注目されている」ということですね。

Ron.

「ゴッホ展」 会員向け解説会(A日程)

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor
解説会に際し、会長さんからあいさつ

名古屋市美術館で開幕した「ゴッホ展 ― 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(以下「本展」)の名古屋市美術館協力会・会員向け解説会(A日程)に参加しました。参加者は往復ハガキで申し込んだ50人。解説会の定員は90人で、申し込んだ全員が当選しています。2階講堂で深谷克典・名古屋市美術館参与(以下「深谷さん」)の解説を聴き、その後は自由観覧・自由解散となりました。

なお、本展では特別に、会員向け解説会を2回開催。次回(B日程)は、森本陽学芸員の解説。3月13日(日)16:30~18:30開催の予定です。こちらも、申し込んだ全員が当選しています。

◆2階講堂・深谷さんの解説(16:30~17:15)の概要   なお、(注)は、私の補足です。

・美術館に来る時の注意点

 本展の休館日は3月7日(月)・28日(月)の2回だけです。会期は2月23日から4月10日までの約一月半。会期がとても短いので、混雑を緩和するため、休館日を2回にとどめました。「月曜日は全部休み」と思っている方が多いので、ゆったり鑑賞するなら「3月7日・28日以外の月曜日」がお薦めです。

 本展は日時指定の予約制です。入場時刻は、最初が9時30分、次が10時30分と、1時間おきです。入場時刻が9時30分だと、9時30分から10時20分までが入場時間帯ですが、多くの人が9時30分よりも前から並ぶため、開館時刻には100人から150人の行列が出来て、入場に20分から30分かかります。10時ごろには行列がなくなるので「並ばずに見たい」という方は10時ごろにお出でください。他の時間帯でも11時ちょうど、12時ちょうど等「毎正時」だと「並ばずに見る」ことができると思います。

・ヘレーネ・クレラー=ミュラーとフィンセント・ファン・ゴッホの関係

 本展には「響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」というサブタイトルがついています。このサブタイトル、実は私が考えたものです。ヘレーネは、本展の出展作品のコレクターですが、ゴッホと直接の面識はありませんでした。彼女はドイツ人で、結婚してオランダに移ってから、人生に物足りなさを感じた時に出会ったのがゴッホの作品でした。本展に関係のある、もう一人の人物がH.P.ブレマーです。彼は、絵描き・美術評論家・コレクションのアドバイザーなど多くの肩書を持っています。早くからゴッホの真価を認め、ヘレーネに「是非コレクションすると良い」と勧めた人物です。

・クレラー=ミュラー美術館について

 ゴッホが亡くなったのは1890年。ヘレーネはゴッホの死後、1908年から20年間にわたって、270点のゴッホ作品を収集しました。本展には、その一部が出展されます。

 オランダの黄金時代は17世紀です。国が繫栄し、美術ではレンブラントやフェルメール等が活躍しました。しかし、その後は低迷が続きます。そして、19世紀になって登場したのが、ゴッホです。

 ヘレーネのコレクションを所蔵するクレラー=ミュラー美術館は、1938年に開館しました。ヘレーネは初代館長を務め、開館の翌年、1939年に亡くなりました。

 クレラー=ミュラー美術館は、広大な国立公園の中にあります。公園の中には何もありません。私は45年前の学生時代、アムステルダムからバスに乗り美術館に行ったことがあります。バス停から2時間余り歩き続けてようやく着きましたが、道中、周りはずっと森ばかりでした。

・出展作品の搬送と展示

 本展は、昨年9月から12月まで東京都美術館で開催されました。いつもなら、出展作品の搬送には作品を所蔵している美術館からクーリエが付き添って来ます。しかし、今回はコロナ禍による外国人の入国制限でクーリエが来日できないため、本展の関係者がオランダに出向いて作品を受け取って来ました。昨年9月のことで、私も同行しました。

 美術館のあるオッテルロー近くのホテルに宿泊し、クレラー=ミュラー美術館に行きました。国立公園の入口から、無料の貸自転車で美術館まで、5㎞の道を走ったのですが、止まろうと思ったら自転車のハンドルにブレーキ・レバーが見当たりません。焦りましたね。試行錯誤の末、自転車のペダルを後ろに戻したら、ようやく止まりました。ペダルを戻すと止まる仕組み(フット・ブレーキ)の自転車でした。

 出展作品は、ご覧のとおり「TURTLE」というロゴと亀のイラストが描かれた緑色の箱に、一点ずつ入れて搬送します。ロゴとイラストは「亀のように固い甲羅で守っています」という意味のようです。乗客の場合と違い、荷物は飛行機の出発の4時間から5時間前には空港に届けなければならないため、朝早く、暗いうちに美術館を出発しました。

 ご覧いただいているのは、名古屋市美術館での展示風景です。いつもならクレラー=ミュラー美術館のクーリエが日本のスタッフの横にいて、様々な指示を出します。しかし、今回、クーリエは来日していないため、パソコンでオランダと繋ぎ、画像を転送してクーリエの指示を仰ぎました。この日の展示作業は16時(オランダ時間:8時)から21時(オランダ時間:13時)まで行いました。

・ゴッホと彼の家族

 ご覧いただいているのは、ゴッホの弟テオです。ゴッホには2人の弟と3人の妹がいました。男の兄弟、ゴッホと弟2人はいずれも30代で死亡。男たちはみんな「若死に」でした。一方、妹3人は長生きです。

・クレラー=ミュラー美術館が所蔵するゴッホ作品など

 クレラー=ミュラー美術館が所蔵するゴッホ作品は油絵90点、素描180点。ヘレーネは1908年から1929年までの20年間、現在の日本円に換算して総額6億円を費やし、作品を収集しました。現在と違って、当時、ゴッホ作品の値段はそれほど高くありませんでした。

 ゴッホ作品を一番多く所蔵しているのはゴッホ美術館で、油絵200点、素描500点を所蔵しています。クレラー=ミュラー美術館の所蔵数は二番目。他には、オルセー美術館が油絵24点、版画15点を、メトロポリタン美術館が油絵19点、水彩・素描5点、版画4点を所蔵しています。

・本展の出展作品

 本展の出展作品は、ゴッホの素描20点、ゴッホの油絵32点(うち、4点がゴッホ美術館所蔵)、ゴッホ以外の油絵20点です。

 ご覧いただいているのは、走る機関車を描いた、ハブリエル《それは遠くからやってくる》(1887)で、ヘレーネが1907年に初めて収集した作品です。次の《森のはずれ》(1883)と《枯れた4本のひまわり》(1887)は、ヘレーネが1908年に初めて収集したゴッホの作品です。なお、《枯れた4本のヒマワリ》は本展に出展していません。

 オランダ時代の作品は《織機と職工》(1884)、《女の顔》(1884)、《じゃがいもを食べる人》(1885)。《じゃがいもを食べる人》は油絵と版画を描いていますが、本展に出展しているのは版画です。

 ゴッホは、画家としては10年間ぐらいしか活動していません。初期は基本に従って、下絵を描いてから油絵を仕上げていますが、後になるほど描くスピードが速くなり、2~3日で1点を仕上げています。パリ・アルル時代からは、下絵なしでキャンバスに向って描いています。

 パリ時代の作品は《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》(1886)と《レストランの内部》(1887)。《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》にはオランダ時代の名残がありますが、《レストランの内部》になると作風が大きく変わります。ゴッホは1886年に開かれた第8回印象派展でスーラの作品(注:たぶん、《グランド・ジャネット島の日曜日の午後》)を見て衝撃を受け、この作品を点描で描きました。

 これは脱線ですが、ゴッホが弟のテオ宛てに「パリのルーブル美術館に迎えに来い」と書いて送った手紙が残っています。「本当に、投函した手紙が翌日に届いていたのか?」と疑問を抱いていたのですが、調べると、当時、オランダで出した手紙は、翌日パリに配達されていました。以前、藤田嗣治展でフジタがユキに送った手紙を調査したところ、フジタは一日2、3通の手紙を書き、翌日にはユキに届いていました。

 《糸杉に囲まれた果樹園》は1888年4月に描いた作品です。その2か月後に描いたのが《種まく人》(1888)ですが、ゴッホはミレーを尊敬し、《種まく人》を元にした作品を何点も制作しています。

・《黄色い家》と「耳切り事件」

 《黄色い家》は1888年9月に描いた作品です。この家は2階が寝室で、1階は食堂とアトリエです。ゴッホは、この家を画家たちの共同生活の場にすることを夢見て、画家仲間を誘ったのですが誰も来ませんでした。ゴッホの弟・テオから頼まれ、テオの顔を立てるため、「黄色い家」にやってきたのがゴーギャン。同年10月下旬のことです。しかし、共同生活は2か月で破綻。12月23日に有名な「耳切り事件」が起き、ゴーギャンはパリに帰ります。

 「耳切り事件」は「ゴッホがゴーギャンの背後から剃刀を手に持って追いかけて来た。ゴーギャンが振り向いてゴッホを睨むと、ゴッホは引き返した」という話ですが、これは事件から10年ほど後にゴーギャンが自伝に書いたことを元にしています。しかし、これが少しあやしいのです。事件の数カ月後、ゴーギャンはフェルミ―ル・ベルナールに事件について語っています。フェルミ―ル・ベルナールは別の作家に手紙を書いていますが「ゴッホが剃刀を持って、ゴーギャンを追いかけた」ということは書いてありません。(注:ゴッホが自分の耳を切ったことは確かですが、「彼がゴーギャンを追いかけた」という部分は「盛った話」かもしれない、ということですね)

・本展の出展作品(つづき)

 《善きサマリア人》(1890)は、ドラクロア《善きサマリア人》(1849-50)の版画を模写したものです。《夜のプロヴァンスの田舎道》(1890年5月)は、1996年に名古屋市美術館で開催した「ゴッホ展」でも出展されました。ゴッホが亡くなる2か月前、サン・レミで描いた作品です。

 ゴッホは、アルルで多くの「ヒマワリ」を描いています。そして、サン・レミでは「糸杉」をたくさん描いています。ヒマワリは、生命・信仰の象徴ですが、糸杉は見るからに禍々しく、死の象徴とされています。十字架も糸杉を素材にして作られています。ゴッホの中に「死に向っていく意識があった」と言われています。

「生と死」を表すとき、太陽と月を同じ画面に描くことがあります。《夜のプロヴァンスの田舎道》には金星と月が描かれているとされますが、私は、画面の左側に描かれているのは「金星」ではなく、「太陽」ではないかと思っています。この作品は実際に見た風景ではなく、想像力を使って描いた作品です。

 糸杉はベックリン《死の島》(1880)に描かれ、ダ・ヴィンチ《受胎告知》(1472-5)にも描かれています。《死の島》の糸杉は「死の象徴」ですが、《受胎告知》の糸杉は「生命の誕生を告げる樹木」です。つまり、糸杉は「生のイメージ」と「死のイメージ」の二つの象徴です。私はゴッホが「生と死の間を揺れ動いていたのではないか」と思います。ゴッホは1889年から1890年までの間、繰り返し糸杉を描きました。

・ゴッホ以外の出展作品

 本展にはルノワール《カフェにて》(1877)、モンドリアン《グリッドのあるコンポジション5》(1919)など、良い作品がいっぱい出展されています。ヘレーネは、ゴッホ以外の作家についても質の高いコレクションを作り上げていました。

◆自由観覧(17:15~18:30)の概要

・オランダ時代の作品など(1階)

 最初の部屋に展示されているのは《ヘレーネ・クレラー=ミュラーの肖像》と《H.P.ブレマーの肖像》。出展された作品に関係の深い二人に敬意を表するために展示しているのでしょう。

 次の部屋に入り左に曲がると、オランダ時代の暗い色調の油絵が並んでいます。油絵の次は、ゴッホ時代の素描。深谷さんは「ヘレーネが収集したゴッホ作品は、油絵90点、素描180点」と解説していましたが、出展された素描を見て「ヘレーネがゴッホの素描を高く評価していた」と感じました。深谷さんも「ゴッホの素描はうまい」と話しています。ゴッホが素描に力を注いていたことが分かりました。

 作品を鑑賞していると、参加者から「油絵の額縁と素描の額縁、作品の種類別に同じデザインの額縁を使っている」という声が上がりました。深谷さんは「おっしゃる通りです」と回答。「クレラー=ミュラー美術館開館時の写真を見ると、当時からこの額縁を使っている」という説明が続きました。

・ゴッホ以外の作品(1階)

 点描の作品が5点並んでいました。見覚えのある作品があったので家に帰って調べると、少なくともスーラ《ポール=アンベッサンの日曜日》(1888)、シニャック《ポルトリューの灯台、作品183》(1888)、アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド《黄昏》(1889)は、2014年に愛知県美術館で開催された「点描の画家たち」(以下「点描の画家たち」)に出展されていました。そういえば「点描の画家たち」もクレラー=ミュラー美術館の所蔵品からの出展でしたね。

 ゴッホ以外の作品の最後は、《グリッドのあるコンポジション5》とバート・ファン・デル・レック《種まく人》(1921)です。2021年に豊田市美術館で開催された「モンドリアン展」(以下「モンドリアン展」)の最後の部屋に出展されていた作品の数々を思い出しました。当時最先端だった抽象画も収集していたことに、ヘレーネの「目の付け所の良さ」を感じます。なお、「点描の画家たち」でも最後の章にはモンドリアンの作品を出展していました。

・クレラー=ミュラー夫妻が購入したファン・ゴッホ作品(1階)

 1階の最後は、壁一面を使った「クレラー=ミュラー夫妻が購入したファン・ゴッホ作品」の一覧表です。購入年、作品名だけでなく、現在の円に換算した金額も示されているので「開運!なんでも鑑定団」を見ているような気がしました。興味深かったのは、本展の目玉《夜のプロヴァンスの田舎町》の購入価格が10,000ギルダー(925万円余)で、17,500ギルダー(1619万円余)で購入した《善きサマリア人》よりも安かったということです。それから、1928年には131点の素描を「まとめ買い」していました。クレラー=ミュラー美術館が所蔵しているゴッホの素描は180点ですから「素描の約七割はこの年に購入したもの」ということになります。

・ゴッホ美術館の所蔵品(2階)

 2階に移動して、最初に目に入るのはゴッホ美術館の所蔵品4点です。なかでも《黄色い家》は、別格扱いでした。

・パリ時代の作品(2階)

 最初に展示されている《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》は、「モンドリアン展」で見たハーグ派の作風で描いた初期モンドリアンの作品を思わせる暗い色調の絵でした。この作品以外は、印象派の影響を受けた色鮮やかな絵ばかりなので、パリでゴッホの作風に大きな変化が起きたことがよく分かります。

・アルル時代の作品(2階)

 《夕暮れの刈り込まれた柳》(1888)は、1階に展示されていた素描《刈り込んだ柳のある道》(1881)と同じような樹形の柳を描いた作品です。「モンドリアン展」でも、同じような樹形の柳を描いた作品が数点あったことを思い出しました。《種をまく人》は「日暮れ時に種を蒔いている」ことが良くわかる作品です。ただ、まだ明るく、しかも鴉が何羽も周りにいるので「種を蒔いても、鴉が次から次へと食べてしまうのではないか」と要らぬ心配をしてしまいました。

・サン=レミとオーヴェル=シュル=オワーズ(2階)

 《夕暮れの松の木》(1889)は、何故か日本的な感じのする作品でした。ただ、そのように感じる理由については、良く分かりません。本展の目玉《夜のプロヴァンスの道》は、最後に一点だけの特別席に鎮座。沢山の人が作品を取り囲んで見ることができるよう、絵の周りに広い空間を確保していました。

・「点描の画家たち」で見たゴッホ作品

 2階にも、見覚えのある作品がありました。家に帰って調べると、少なくとも《レストランの内部》、《種まく人》、《麦束のある月の出の風景》(1889)は「点描の画家たち」に出展されていました。なかでも《種まく人》は、ポスターかチラシに使われていた記憶があります。

解説くださった深谷参与、マスク姿でありがとうございました!

◆最後に

 本展を鑑賞するため、午後2時30分に並んだことがあります。その時の待ち時間は5分ほどでした。ただ、展示室に入ると「すし詰め」とは言いませんが、①最前列に並んで、人の流れに逆らわず、ゆったりと作品を鑑賞するか、②並んでいる人の後ろに立って、人と人の隙間から覗くようにして作品を鑑賞し、自分のペースで移動するか、二者択一の判断を迫られるほどの「混み具合」でした。その時は、時間の余裕がなかったので止む無く、②を選択しましたが、じっくりと鑑賞できなかったのは、少し残念でした。

 これに対し、今回の自由鑑賞は「50人の貸し切り」ですから、じっくりと、しかも自分のペースで鑑賞しました。「贅沢な時間」を満喫することができたので、大満足です。

 解説会が始まる前、スクリーンに動画が映されていたので、家に帰り〈「ゴッホ展」展覧会公式サイト〉にアクセスして「スペシャル」を選択すると、〈「ゴッホ展がよく分かる!」こどもも大人も楽しめるジュニアガイド〉という動画を見ることができました。確かに「こどもも大人も楽しめる」ガイドです。

◆蛇足ながら

協力会の活動が再開したのは、2021.02.07に開催の「写真の都」物語-名古屋写真運動史の「会員向け解説会」でした。ようやく、一年が経過。これからも協力会の活動が続くことを願ってやみません。

Ron

マンガ家・つげ義春さんが日本芸術院の新会員に

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2月23日付けの新聞に、日本芸術院が22日に芸術活動で優れた功績があったとしてマンガ家・つげ義春さんを新会員に選出したという記事が載っていました。概要は、以下のとおりです。

◆新会員選出の経緯

各紙の報道をまとめると、これまで芸術院の新会員は会員のみの推薦と投票で選出していましたが、幅広く人選できるように、今回から文化庁が選んだ有識者が候補の推薦と絞り込みに加わり、投票は会員のみで実施という方式に見直し。対象となる芸術分野も硬直化していたことから、対象分野に「写真・映像」「デザイン」「マンガ」「映画」を追加したとのことです。

その結果、新たに対象となった「写真・映像」「デザイン」「映画」では新会員候補が決まりませんでしたが、「マンガ」では、ちばてつやさんとつげ義春さんが選出されました。

なお、「朝日新聞デジタル」によると〈今回の選考では2人が辞退したが、芸術院は辞退者が特定される可能性があるとして分野は公表していない〉そうです。

◆新会員の業績

中日新聞・日本経済新聞ともに、ちばてつやさんの業績を〈「あしたのジョー」は戦後漫画の金字塔の一つ。後進の育成にも努める。14年文化功労者〉。つげ義春さんの業績を〈文学的な表現で高い評価を得る。20年アングレーム国際漫画祭特別栄誉賞〉と書いています。

さらに、「コミックナタリー」の記事は〈つげの推薦理由では、「その生き方がトータルに注目される唯一無二の存在となっている。今日もなお文庫や全集の形で作品が読まれ続け、海外からも高い評価を得ている、まさに「芸術」としてのマンガ表現において日本を代表する作家である」と述べられた〉と書き、芸術院が発表した推薦理由の全文も掲載していました。

◆「商業美術家の逆襲」では、つげ義春さんを「至高の芸術家」と評する

つげ義春さんといえば、山下裕二さんがNHK出版新書「商業美術家の逆襲」で〈将来的には、マンガの原画が国の重要文化財や国宝に指定される日が来るでしょう。その筆頭候補は、何と言っても「ねじ式」です。文化財候補マンガの中でも、この作品は「絵」として最も素晴らしい。私にとって、つげ義春は至高の芸術家であり、その作品は最高の「ファインアート」です〉と書いています。山下裕二さんだけでなく、日本芸術院もつげ義春さんの功績を認めたということですね。

◆最後に

新聞記事を読んだ後、ネット検索で「芸術新潮」2020年4月号につげ義春さんの記事があると分かり、本棚を探すと「つげ義春、フランスへ行く」という12ページにわたる特集を掲載していました。特集は、アングレーム国際漫画祭特別栄誉賞の授賞式への同行記、長男・正助さんへの取材記事、つげ義春さん・正助さんへのインタビューで構成。アングレーム国際漫画祭は、1982年に手塚治虫も参加した歴史あるイベントで、2000年代に入ってフランスでも本格的に日本のマンガの翻訳出版が始まると、水木しげる、大友克洋、高橋留美子などが受賞しているとのことでした。アングレーム美術館では「つげ義春展」が開催され、英語版・フランス語版のつげ義春全集が出版されていることも、初めて知りました。2年前「芸術新潮」を買ったにもかかわらず、12ページにもわたる特集をスルーしたことに、我ながら呆れてしまいました。一体、何をみていたのでしょうか。

Ron.

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