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事務局
2022年
7月8日
6月25日付日本経済新聞文化欄で岩本文枝記者による「ゲルハルト・リヒター展」の展覧会評を読んだ翌日、名古屋市美術館に出かけると、ミュージアムショップに「ゲルハルト・リヒター展」を特集した「美術手帖」が何冊も並んでいました。巡回先は豊田市美術館ですが「名古屋市美術館のショップとしても無視できない」ということですね。また、youtubeを検索すると、数多くの「ゲルハルト・リヒター展」関連の動画がアップされています。展示風景を見ることや、展覧会の感想を語り合う声、2020年に公開された映画「ある芸術家の数奇な運命」の感想などを聞くことも出来ます。2022.06.30には「美術展ナビ」の「ゲルハルト・リヒター展」の特集も掲載され、家にいながら展覧会情報を得ることができました。以下は、検索した中で、気になった記事です。
◆『美術展ナビ』 「ゲルハルト・リヒター展」絵画の可能性とものを認識する原理を追求 2022.06.30
URL: https://artexhibition.jp/topics/news/20220630-AEJ863199/
・鏡を生かした展示
展示室の写真と文章を交えながらのレポート。最初の写真は《ビルケナウ》の展示室。向かって右が《ビルケナウ》2014、左が《ビルケナウ(写真バージョン)》2014、正面は《グレイの鏡》2019。《グレイの鏡》は灰色に塗った鏡で、左右の作品だけでなく、観客と《ビルケナウ》の元になった4枚の写真も写り込んでいます。『美術展ナビ』は「リヒター自身が日本側と直接ディスカッションを行い、構成を考えた」と書いています。《ビルケナウ》が鏡の写り込みを生かした展示構成になっているのも、リヒター自身のアイデアに基づくものなのでしょう。なお、《鏡》1968の写真にも《4009の色彩》2007が写り込んでいました。
・《ビルケナウ》について
高さ2.6m、幅2mの巨大な4点の油彩画《ビルケナウ》については「この絵の下には、収容所内で密かに撮影された写真のイメージが描かれています。鑑賞者は直接そのイメージを目にすることはできません。よって自ずと知識や記憶、想像力を働かせ、絵具の下に隠れたイメージを思い描くことになります」と書いています。何か肩透かしを食らった気分になりますが、日本経済新聞は「リヒターは1960年代以降、ホロコーストという主題に何度か取り組もうとし、その深刻さゆえに断念してきた。ようやく到達した本作によって芸術的課題から『自由になった』と語る」と書き、この作品の手法を認めているようです。
・フォト・ペインティング
『美術展ナビ』は「リヒターの代名詞ともいえるフォト・ペインティングやアブストラクト・ペインティングから、肖像画やオイル・オン・フォト、そして最新のドローイングまで、その画業を通覧するにふさわしい内容となっています」と書き、フォト・ペインティングとして赤ちゃんを描いた《モーリッツ》と、ピンクのセーター女の子を描いた《エラ》(本展のチラシに使用)の写真を掲載しています。
写真を絵画に写し取った作品が、ボケやブレなどを書き加えているとはいえ、なぜ高い価格で買われるのか不思議ですが「リヒターがフォト・ペインティングで作家としての評価を得た」ことは事実です。
残念ながら知識不足のため、これ以上掘り下げることはできませんでした。「IMA LIVING WITH RHOTOGRAPHY」というサイトに「東京国立近代美術館 『ゲルハルト・リヒター展』より 写真と絵画、どちらが客観か主観か」という、東京国立近代美術館主任研究員・桝田倫広さんへのインタビュー記事(URL: https://imaonline.jp/articles/archive/20220527gerhard-richter/#page-1)が掲載されていますので、ご覧ください。
◆「ゲルハルト・リヒター展」の動画
検索ワードを「youtube ゲルハルト・リヒター展 / Gerhard Richter – 東京国立近代美術館」と打ち込んで検索したところ、3分51秒の動画と2分12秒の動画がヒットしました。いずれも開幕早々に撮影した動画のようで、短い時間で展覧会の雰囲気をつかむことができます。
Ron.
2022年
7月1日
◆ 豊田市美術館で見たシャネルのドレスと同じようなドレスを「美術展ナビ」で発見
豊田市美術館「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」で見た、ガブリエル・シャネル(1883-1971)《イヴニング・ドレス》(1927年頃)が気になり、ネットで検索したところ「美術展ナビ」で同じようなドレスを発見しました。記事は、「ガブリエル・シャネル展」(三菱一号館美術館)の特集(URL: https://artexhibition.jp/topics/news/20220627-AEJ858090/)で、ドレスの説明は《イヴニング・ドレス》(1920年代後半)というもの。「美術展ナビ」の記事には「1920年代から30年代にかけて、ツーピースのスーツや単色のドレスが登場。過剰な飾り気がなく、柔らかでシンプルな造形は『リトル・ブラック・ドレス』など、シャネルの『マニュフェスト』の重要な要素として定着していきます」と書かれていました。
◆ 「リトル・ブラック・ドレス」とは何か? その革新性は?
リトル・ブラック・ドレス(Little black dress)については「ココ・シャネルの歴史的な業績とは何か」に分かりやすい説明がありました。(URL: https://histori-ai.net/archives/1522)
記事の要点は、以下のとおりです
・1926年、アメリカのファッション誌「VOGUE」で紹介されて、一躍世界中に広まった
現在の目で見ると「女性用の普通の黒いワンピース」だが、以下の革新性があった
・コルセットをしていない
コルセットの着用によって多くのヨーロッパの貴婦人は行動の自由を制限された生活を送った。そんな中で、シャネルはコルセット不要なドレスを発表して社会に受け入れられた
・黒一色のみ
当時、黒一色の服は「喪服」か「黒の組織」のメンバーの一員を意味した。その様な中でシャネルは黒一色のドレスを発表。このドレスの爆発的な普及により黒を喪服以外での通常のファッションカラーとして世間一般に認知させることに成功した
・スカートの丈が膝丈
当時は、裾が床に触れるほど長く、レースやフリルがついたドレスが一般的。シャネルは簡素で筒状の「裾が膝丈まで」という非常にシンプルなデザインで新しい女性像を提案。女性が歩きやすい、動きやすい、活動しやすいことを前提としたデザインされたドレスだった
◆ ネット記事「実は『新』定番だった リトル・ブラック・ドレスの歴史」 より
URL:http://www.fragmentsmag.com/2015/10/little-black-dress-history/
見出しのネット記事には「1929年に米国に起こった大恐慌の頃は、質素倹約の時代。それが逆に追い風になり、リトル・ブラック・ドレスは定着。女性の「定番」となっていくのです」と書かれていました。
また、1961年に公開された「ティファニーで朝食を」で、黒のシックなドレスを身にまとったオードリー・ヘップバーンと、そのドレスをデザインしたユベール・ド・ジバンシィが「リトル・ブラック・ドレスを1960年代のファッションアイコンに育てた」とも書いています。
◆最後に
「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」に展示されていたガブリエル・シャネルの《イヴニング・ドレス》。気になった訳は「歴史的な作品だったから」でした。
Ron.
2022年
6月21日

豊田市美術館で開催中の「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」に出かけました。同時開催のコレクション展「色、いろいろ」と常設展も見てきましたので、簡単にレポートします。
◆「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」(1階 展示室8+展示室6・7)
展示されているのは、1900年代から1930年代にかけて制作されたイヴニング・ドレスやコート、帽子などのファッションと机や椅子、食器、家具などのインテリア、テキスタイル(服飾、インテリアに用いる布地・織物)です。展示室に入ると「クリムト展」に出品されたコロマン・モーザー《アームチェア》(1903頃)を始めとする、ウィーン工房の資料・製品が並んでいました。以下は、印象に残った展示内容です。
○ モダンな柄の浴衣と朱色の机・椅子(日本における生活改善運動)

展覧会の主な出品作は西欧のもの。その中に、日本の浴衣や朱色の机・椅子の展示があったのでびっくり。浴衣と浴衣の染見本は、ドイツ留学の経験があるデザイナー・斎藤佳三(さいとう・かぞう 1877-1956)《表現浴衣》と《表現浴衣染見本》です。展示されている浴衣は、現在市販されているものよりも小さく見えました。朱色の家具は、ロンドン王立美術学校等で学んだ経験のある家具デザイナー・森谷延雄(もりや・のぶお 1893-1927)「朱の食堂」の3点=《茶卓子》《食卓》《肘掛椅子》でした。「朱」といってもピンクに近い色で、家具や長椅子の写ったパネルも展示されていました。いずれも「昭和モダン」を感じさせる展示品です。

○ ドレスの展示コーナーが二か所(戦後フランスファッションの展開、ファッションのモダニズム)

「戦後フランスファッションの展開」は第一次世界大戦後のドレスなどを展示。ポール・ポワレ(1879-1944)《デイ・ドレス「ブルトンヌ」》(1921年)は「脱コルセット」のスタイルで、中国風のゆったりした襞のあるドレス。隣の区画の「ファッションのモダニズム」では、ガブリエル・シャネル(1883-1971)《イヴニング・ドレス》(1927年頃)を展示。シンプルで直線的なスタイルです。流行の中心が、ポール・ポワレに代表されるアール・デコから、シャネルに代表されるモダニズムのファッションへ移っていったことが分かります。

○ 抽象画とテキスタイルの相性は抜群(初期バウハウス)
パウルクレー(1879-1940)《花開く木をめぐる抽象》(1925年:豊田市美術館のホームページに図版)の周りには、BH(バウハウスの)グンテ・シュテルツル《テキスタイルのデザイン》(1927年)を始め、幾何学模様などの抽象的な作品が並んでいました。抽象画だと少し腰が引けますが、抽象画のような幾何学模様のテキスタイルは、モダンで受け入れやすい作品でした。「抽象画とテキスタイルの相性は抜群」だと思います。
○ 机と椅子の名品(デッサウ以降のバウハウス)

豊田市美術館の家具コレクションから出品された、世界的なモダニズム建築家BHルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)設計の《アームチェア MR534》(1927/1932年)と《テーブル》(1933年)を見ることが出来ました。《アームチェア》は、クロームメッキのスティール管を曲げたカンチレバー(コの字型の片持ち梁)の脚を持つ斬新なデザインの椅子。ガラスの丸い天板を持つ《テーブル》もおしゃれです。
◆コレクション展「色、いろいろ」
○ モノクローム(単色) 2階 展示室1
山口啓介《原子力発電所6》(1995年)=茶色、ジョゼッペ・ペレーノ《黒鉛の皮膚-方鉛鉱の影》(2007年)=黒、を始め大型の作品が並んでいます。天井が高くて広い空間なので、迫力がありました。
○ ポリクローム(多彩) 3階 展示室2
クリムト《オイゲニア・プリマフェージの肖像》(1913/14年)は、いつもとは違い展示室2に展示。トニー・クラーグ《無題(棚に置いた5本のボトル)》(1982年)なども展示しています。
○ 素材の色 3階 展示室3
展示室に入ると目に飛び込んで来るのは、真っ黒な鉄で出来た青木野枝《Untitled》(1995年)です。この外に、木の色そのままの李禹煥《刻みより》(1973年)など、素材の色を生かした作品が並んでいます。
○ B/W(白黒)+ 色で/を表現する 3階 展示室4
「B/W(白黒)」では、山本糾の大型写真《落下する水-那智滝》(1991年)と《暗い水-立山Ⅰ》(1991年)に目を奪われます。「色で/を表現する」には、高松次郎《板の単体(赤)》(1970年)や真っ青なイヴ・クライン《モノクロームIKB65》(1960年)など、色彩を前面に出した作品が並んでいます。
◆常設展(2階・展示室5)
奈良美智の作品が7点、圧巻です。岸田劉生《自画像》(1913年)、藤田嗣治《美しいスペイン女》(1949年)、ジャコメッティ《ディエゴの肖像》(1954年)なども並んでいて、ほっとしました。
◆最後に
ファッションやインテリア、テキスタイルに興味のある方にお勧めの展覧会です。 Ron.
2022年
6月10日
愛知県美術館(以下「県美」)で開催中の「ミロ展 日本を夢みて」(以下、「本展」)の協力会ミニツアーに参加しました。参加者は22名、県美12階のアートスペースAで県美の副田一穂主任学芸員(以下「副田さん」)の解説を聴いた後、自由観覧・自由解散となりました。
◆ 副田さんの解説(10:00~45)の概要
〇「庄司達展」の二館同時期開催について
解説の冒頭、副田さんから、県美コレクション展の「庄司達/新聞」と名古屋市美術館(以下「市美」)の「庄司達 布の庭にあそぶ」について、「同時開催を協議していた訳ではないけれど、二館をあわせて鑑賞してください。愛知芸術文化センターの情報誌AAC(2022年6月号)に「庄司達/新聞」関連の記事を掲載しているので、是非お読みください」との話がありました。家に帰って、パソコンでAAC vol.112│情報誌AAC ウェブマガジン (pref.aichi.jp)を検索すると庄司達さんへのインタビューが掲載されていました。《白い布による空間》の翌年制作の《赤い布による空間》の写真もあり、読み応えのある記事でした。
〇ミロ展の企画・開催は、副田さんの夢だった
副田さんの卒業論文のテーマは「ミロ」とのこと。「ミロの展覧会を企画したいという夢を持っていた。しかし、県美では2002年にミロの回顧展を開催しているのであきらめていたところ、今回、開催することになった」と、本展に対する意気込みを語ってくれました。本展に関する雑誌記事は、どれにも副田さんが登場。テレビ愛知「新美の巨人たち」にも登場していましたね。
〇“Joan Miró”は、ジュアン・ミロ? ホアン・ミロ?
次の話題はJoan Miró(1893-1983)の読み方。中学生の時「ホアン・ミロ」と読んだ覚えがありますが、本展では「ジュアン・ミロ」。副田さんから「スペインの国語は、カスティーリャ語・ガリシア語・バスク語・カタルーニャ語の四つ。スペイン語という場合は、カスティーリャ語を指す。ミロはバルセロナ生まれのカタルニア人。綴りは同じでも、ホアンはカスティーリャ語。カタルーニャ語だとジュアン。Київが、ロシア語のキエフからウクライナ語のキーウになったのと同じ」との解説がありました。
〇ミロは、抽象画家ではない
副田さんの話で面白かったのは「ミロは抽象画家ではない」というもの。軟体動物のようなグニャグニャの姿でも、具体的な物を描いているそうです。また、文字(単語)と画像を区別せず、「鳥」「蜂」という単語の綴りを画面に書くことで、「鳥」「蜂」の姿を描いたことにする、というのもミロの作風、という話も楽しかったですね。
〇ピカソが《ゲルニカ》を発表したパリ万博のスペイン館に、ミロも壁画を発表
「1937年に開催されたパリ万博のスペイン館と言えば、ピカソ《ゲルニカ》が有名ですが、ミロも壁画《刈り入れ人》を発表。しかし、《刈り入れ人》はスペインに戻すときに行方不明になった」という話にも興味を惹かれました。スペイン館の吹き曝しの場所にゲルニカが無造作に展示されている写真には、びっくり。とはいえ、当時のスペイン政府は内戦中なので、若手画家の作品がぞんざいな扱いになったのも無理はない、と思い直しました。
〇フランコ政権下のミロ
「第二次世界大戦時、多くのシュルレアリストはアメリカに逃げたが、ミロはスペインに戻り、地中海のスペイン領マジョルカ島で暮らした」とのことです。ミロは反フランコ派だったため、フランコ政権下のスペインでは完全に無視され、新作はパリ、ニューヨークで発表。代表作の《星座》シリーズは、小さな紙の作品。画材、用具が不足していたため、大きなキャンバスに描くことができなかった、という話を聞いて「現在はスペインを代表する作家だけれど、ミロの人生は順風満帆という訳ではなかった」ということが、よくわかりました。
〇本展のテーマ「日本とのつながり」について
「日本を夢みて」という副題で示される「日本とのつながり」は初耳でした。「バルセロナはフランスに近く、ミロの生まれる5年前からジャポニスムが流入していた。1888年開催のバルセロナ万博・日本館では陶磁器、浮世絵を展示。1918.02.16~3.3にミロが個展を開催したダルマオ・ギャラリーでは、同時に浮世絵展、鍔展も開催」という話を聞いて、「ミロの身近に日本があった」ということが分かりました。
1950年にバルセロナで開催された「日本民藝展」では、戦前から神戸に滞在していたスペイン人のエルダウ・セラが収集した大津絵やゴミスの収集した「古作こけし」(戦前に制作した希少品)が展示された、という話や日本の陶芸を研究し、柳宗悦・濱田庄司と交流のあった陶芸作家・アルティガス親子を通して「やきもの」にものめり込んだ、仙厓の《〇△□》もお気に入りで、《無題》(1972)にも「〇△□」が登場する、という話も興味深いものでした。
〇「書」のようで、「書」ではない?作品
副田さんは、書と抽象美術のクロスオーバーのようなミロの作品にも言及しました。ただ、「書」として見た場合のミロの作品に対する書家の評価は高くない。「実に汚いような、ドタバタしたような」とか「下書きしてから書く人はいない」「筆勢、かすれ分かっていない」「習字ではタブーとされている、一度書いた線にもう一度筆を加えている」という話は意外でした。
「実物をみないとわからない」という言葉で、副田さんの解説は終了。ミロの作品の価値を実物と向き合って感じてください、という趣旨の言葉を受けて、自由観覧となりました。
◆ カスティーリャという名前について(おまけ)
ミニツアーに向かう途中に読んでいた、佐藤賢一「王の綽名 『勇敢王』カスティーリャ王アルフォンソ6世」という2022.06.04付日本経済新聞の記事に「カスティーリャ」という名前の由来が書かれていましたので、その抜粋をご紹介します。
カスティーリャ王アルフォンソ6世(在位1072-1109年)は「勇敢王」の綽名で歴史に残る。スペイン語で「エル・ブラボー」、つまりは英語の「ザ・ブレイヴ」(略)カスティーリャは全体どこの国なのか。スペインだが、地名としては古代フェニキア人がイベリア半島を「イシャファニム」と呼び、それを聞いたギリシャ人、ついでローマ人が「ヒスパニア」と発音し、これがスペイン語の「エスパーニャ」、英語の「スペイン」になった。定着したのは、古代ローマ帝国の「属州ヒスパニア」が長かったからだが、5世紀にゲルマン民族大移動が起こると、その一派である西ゴート族が定着して、この地に西ゴート王国を建てた。(略)
8世紀には今度は北アフリカからイスラム教徒が攻め上ってきた。侵攻開始が711年で、その年には西ゴート王国が事実上倒壊。半島はあっという間に征服されてしまった。(略)
西ゴート王国の貴族(略)ペラヨが今のアストゥリアス地方に逃れ(略)キリスト教徒の小さな王国を残すことに成功していた。(略)10世紀初頭以降はレオン王国と呼ばれる。さらに東に拡げた領土に建てられたのがカスティーリャ伯領だが、これが王国から独立を試みたり、隣国ナバラに奪われたり。そのナバラの王子としてカスティーリャ伯領をもらい、妃の相続権でレオン王国も手に入れて、レオンとカスティーリャの再統一に成功した王がフェルナンド1世で、その息子がアルフォンソ6世なのだ。
以後そこはカスティーリャ王国と呼ばれる(略)領土を拡げてきたといったが(略)自らの国スペインで、イスラム教徒の土地を征服していった。スペイン史にいう「国土再征服(レコンキスタ)」である。カスティーリャにせよ、見方を変えれば対イスラム戦の最前線であり、「カスティーリョ(城砦:じょうさい)」ばかりだったのでその名がある。ナバラ、アラゴン、ポルトガルなど他の国々も然りだが、スペインの王というのは国土再征服の戦争を宿命づけられていた。(略)
カスティーリャという名は城砦に由来するのですね。また、世界地図と世界史資料を照合すると、ガリシア≒レオン王国、バスク≒ナバラ王国、カタルーニャ≒アラゴン王国という図式になりそうです。
Ron.
2022年
5月31日

5月15日日曜日、4月29日から名古屋市美術館にて開催されている「布の庭にあそぶ 庄司達展」の協力会会員向け解説会が行われました。当日は2時間ほど前に作家自身によるアーティスト・トークも開催され、大勢の観客が訪れており、その余韻残るなかで解説会が始まりました。
今回展示は2階の展示室から始まっています。まずは作品のマケット(模型)が並んでいるところから。今回作品が展示されているものもありますが、マケットのみで実際の作品はまだ制作されていないものもありました。
今回、2階の展示室は移動壁を一枚も出していないそうです。そのような使い方をしてみると、2階展示スペースが非常に明るく、インスタレーション作品向けであると実感されたとのこと。なるほど、かなり前ですが、トリエンナーレでインスタレーション作品が展示されたときも、非常に面白い展示になっていたなと思い出しました。
庄司さんの作品は、体を使って体感するものが多く、作品の中に人が入ることが、作品にとって非常に大切であるとのこと。後に展示室でそれを十分に実感しました。
簡単なレクチャを聞いたあとに展示室をゆっくり堪能。会員は、作品の間を抜けて移動したり、なかには作品のなかで寝転んだりしてこの時間を楽しんでいました。実際に布を触ってみることが出来る作品もあり、触ったり、作品の中に迷い込んだり、それぞれが思い思いの楽しみ方をして過ごしました。
2022年
5月31日
名古屋市美術館で開催中の「布の庭にあそぶ 庄司達」(以下「本展」)関連催事の「アーティスト・トーク」を聞いてきました。開場前には美術館の地下1階まで行列が続き、アーティスト・トークの会場(2階講堂)は満席。会場は熱気で満たされ、集まった人達は最後まで話に聞き入っていました。アーティスト・トーク終了後も名残惜しいのか、立ち話をしているグループをいくつもありました。
◆《白い布による空間》シリーズ制作のきっかけは
アーティスト・トークは、本展担当学芸員の森本陽香さんの質問に答える形式で庄司さんが進行。2階に展示の《白い布による空間》シリーズについては、以下のような話がありました。
以上の話のなかでは、③の「同僚が庄司さんの背中を押した」というところが大事で、それが無かったら今、《白い布による空間》シリーズを見ることは出来なかったかもしれないですね。
◆《白い布による空間68-1》《白い布による空間68-7》について
《白い布による空間》シリーズのなかで、人が作品の中に入れるのは68-1だけです。その理由は「画廊に展示した時、出入口を確保する必要があった。作品の真ん中を通れるようにしないと、人が出入りできなかったから」というもの。庄司さんは臨機応変に作品を制作できる柔軟な発想の持ち主だと思いました。
森本さんが庄司さんに、《白い布による空間68-7》を気に入っている理由を聞いたときの「ストイックなところが良い。下に行くにしたがって重さがかかって来る。上に行くにしたがって軽くなる。地球と太陽の関係のようでもある。19枚の布が張ってあるだけだが、空気の重さと軽さの変化が作品に潜んでいる」という答えは、芸術家というよりも科学者の言葉のように聞こえて、印象的でした。
◆《Navigation》シリーズについて
1階に展示の《Navigation Arch No.11》について、庄司さんは「《Navigation Arch》を展示すると日本人は作品の中を通り抜けるだけだが、外国人は上を見上げている。この作品では、布の幻想的な形や陰影を伝えたい。上を見上げることもして欲しい」と、作品の鑑賞ポイントを教えてくれました。
《Navigation Flight No.6》については「建築のトラスのように、三角形の構造をつくって、ロープに刺した木材で布を支えている。使っているのは、甘撚りのロープ。普通のロープでは木材が刺さらないので、作品を制作できない。ロープは直接に壁の金具へ固定せず、金具を通して下に垂らしてから固定している。ロープに木材を刺すとロープの撚りが強くなるので、垂れ下がった部分で撚りを戻す。この作業は正に神業で、苦労した」と、作品の構造や作品設置の苦労話を聞かせてくださいました。苦労話と言えば《Navigation Level》では「あらかじめ設計図を作り、その通りに木材を設置しようとしたのだが、うまく行かない。布の状態を見て、試行錯誤で最適な位置を探りながら、木材を突き立てて設置した」という建築家のような話も聞けました。
◆最後に
《Navigation Flight》シリーズについては、『アートペーパー第116号』(名古屋市美術館ホームページに掲載)に、森本さんが寄稿した特集記事があります。ご一読をお勧めします。
Ron