お知らせ

2025年9月11日

2025年協力会イベント情報

現在、下記のイベントの申し込みを受け付けています。

1.近代名古屋の日本画界(常設企画展) 協力会向け解説会 名古屋市美術館 令和7年1026

2.国際芸術祭あいち2025 鑑賞ミニツアー 愛知県陶磁美術館 令和7年11月15日(土)14:00~)

参加希望の会員の方は、ファックスか電話でお申し込みください。ホームページからの申し込みも可能です。

令和7年度秋の旅行、行先決定しました!

令和7年度の協力会秋の旅行の行先は、京都方面。ニトリホールディングス所有の對龍山荘を見学し、昼食をとり、午後は泉屋博古館にて鹿子木孟郎の展覧会等を観覧します。会員の皆さまには参加者募集の案内をお送りします。詳しくは、そちらをご覧ください。

最新の情報につきましては随時ホームページにアップしますので、ご確認ください。また、くれぐれも体調にはご留意ください。

これまでに制作された協力会オリジナルカレンダーのまとめページを作りました。右側サイドメニューの「オリジナルカレンダー」からご覧ください。

事務局

読書ノート「ガウディの伝言」外尾悦郎 著(光文社新書264)

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.07.17 投稿

7月8日付の日本経済新聞で外尾悦郎氏に興味を持ち、本書を手に入れました。著者は、1978年以来、サグラダ・ファミリア贖罪聖堂の彫刻を担当。東京国立近代美術館で開催中の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」(以下「本展」)に出品の彫刻「歌う天使たち」も制作しています。

以下は、本書の中で私が興味を持った箇所の抜き書きです。

◆双曲線面は自然光を最大限に取り入れられる形

本書は、本展に模型が展示されている鼓のような形の双曲線面について、次のように書いています。

〈一見複雑に見えますが、ご覧の通り、すべて直線です。(略)サグラダ・ファミリアでは、この双曲線面が、聖堂の側壁にある大窓や天井窓など、主に採光部分に駆使されています。自然光というのは、太陽の動きに伴って、多方面から入射してくる。しかし、その進み方は常に直線です。ガウディはその自然光を最大限に取り入れられる形として、双曲線面の有効性を活用しました〉(本書 p.45~46)

自然光を取り入れるための合理的で美しい形状なので、ガウディが双曲線面を駆使したというのです。

◆双曲放物線面は自然光を取り入れる形

また、本展に模型が展示されている双曲放物線面についても、次のように書いています。

〈一見複雑に見えますが、曲線は一つもありません。(略)放物線面は、接合部分の角度をなめらかにし、荷重の流れをスムーズにすることから、ガウディはサグラダ・ファミリアの柱が枝分かれする部分や、天井と柱が接する部分など、構造体が大きく変化する部分にこの形を多用しています〉(本書 p.46~47)

建物の筋交いに当たる部材を合理的な形状にしている、ということだと理解しました。

◆サグラダ・ファミリア幼稚園屋根

私が「摩訶不思議な曲面」だと思った「サグラダ・ファミリア幼稚園屋根」について、本書は〈サグラダ・ファミリアの建設現場で働く職人たちの子弟のためにガウディが私財を投じて建設した聖堂付属小学校です〉(本書 p.48)と書き、次のような説明を加えています。よく分かりました。

〈ガウディはこの構造を、経済的な理由があって考えました。というのも、ガウディは大金持ちだった人ではありません。私財を投じてと言っても限度があります。そこで薄い煉瓦を使って、できるだけ安くつくり、しかも頑丈な建物にしたかったわけです。(略)薄いものというのは、そのままでは立ちません。しかし、アコーディオンのように折り曲げればしっかりと立ちます。屋根も波打たせれば、雨が降っても水が自然と流れ落ち、薄い煉瓦でも雨漏りする心配がありません〉(本書 p.48~49)

〈余談になりますが、後にこの建物を見て驚愕した人物がいます。現代建築の巨匠の一人、フランスのル・コルビュジェです。1928年にスペインを旅行した当時41歳のコルビュジェは、サグラダ・ファミリア付属小学校を目の当たりにして強い衝撃をうけ、克明なスケッチを残しました〉(本書 p.50)

◆逆さ吊り実験の成果により、建物を補強するための厚い壁が不要になった

 本書には、次の記述もあります。

〈逆さ吊り実験がもたらした大きな成果の一つは、建物を補強するための厚い壁が不要になったことにあります。過去につくられた大聖堂は(略)外側に倒れようとする壁を支えるために、つっかえ棒の役割を果たすフライング・バットレス(控え壁)を必要としていました。(略)厚い壁やフライング・バットレスをなくし、採光部分を大きく取ることができるようになった聖堂の内部には、双曲線面の窓から太陽の光が降り注ぎます〉(本書 p.85~86)

 カテナリーアーチによる合理的な構造を取り入れたことで、補強のための壁が不要になり、太陽の光が降り注ぐ、スッキリとした聖堂が実現した、というのです。「サグラダ・ファミリアは聖堂建築に進化をもたらした」と思いました。

◆最後に

 外尾悦郎氏については本書の外に、次のようなYouTube動画やテレビ番組もあるのでご紹介します。

Ron.

ガウディが見ていた理想の社会 | ETSURO SOTOO | TEDxNihonbashi

 3年前に行われた外尾悦郎氏の講演。写真の投影もあり、分かりやすい内容です。

URL https://www.youtube.com/watch?v=zHf0I0m6lqY

・NHK・Eテレ NHKアカデミア 外尾悦郎 

NHK・Eテレ 前編:7.26(水)PM10:00~10:30  後編:8.2(水)PM10:00~10:30

URL 「ガウディとサグラダ・ファミリア展」関連番組・イベントの紹介  |NHK_PR|NHKオンライン

新聞を読む「黒のモード十選(10)」服飾史家 徳井 淑子

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.07.11 投稿

日本経済新聞「文化」欄「黒のモード十選」(服飾史家・徳井淑子)は、〈野暮と洗練、清貧と贅沢――。両端イメージを併せ持つ黒い服の流行を、中世から20世紀までたどる〉連載記事ですが、最終回(7.11付)で取り上げたのはガブリエル・シャネル「リトル・ブラック・ドレス」でした。現在、名古屋市美術館で開催中の「マリー・ローランサンとモード」(以下「ローランサン展」)でも『ヴォーグ誌』(アメリカ版)1926年10月1日号掲載の記事を展示。関連がありますので、記事の内容をご紹介します。

◆7.11付け日本経済新聞「黒のモード十選(10)」の抜き書き

20世紀の黒を語るにはシャネルのデザインを欠かすわけにいかない。女性の社会進出が本格化した1926年、女性がどのような機会にも着られる略装として、アメリカで最初に発表、簡素ながら優雅なドレスとして絶賛されたのがリトル・ブラック・ドレスである。作品はその一つである。

黒いドレスは当時「シャネル・フォード」と呼ばれ、フォード車にたとえられた。(略)

機能性と合理性を求めた時代のモダニズムに合致したという点で期するところは同じである。リトル・ブラック・ドレスにも、フォードの大衆車と同様に量産でき、類似こそが品質を保証するという大衆市場を前提にした戦略があった。禁欲的な黒はミニマリズムとして、その後を生きる。

*記事の全文と写真は、日本経済新聞電子版>文化>美の十選、と検索することでご覧になれます。(「無料記事」なので、電子版の会員でなくてもOK)

◆「ローランサン展」の展示など

『ヴォーグ誌』の記事は2階に展示されています。イラストは有名ですが、記事は細かい字の英語なので内容はよくわかりません。シャネルのモードがどんなものであったのかは、1階で上映しているスライドショーを見ると良いでしょう。

名古屋市美術館・勝田学芸員の解説によれば、当時の社交界の女性たちや前衛画家を庇護する女性たちのステイタスは、〈ローランサンに肖像画を描いてもらうこと、シャネルの服を着て、マン・レイに写真を撮ってもらうこと、の二つだった〉とのことですが、スライドショーは「シャネルの服を着たセレブの女性たちをマン・レイが撮影したもの」です。女優や王女、侯爵夫人などが次々に写されます。

「モード十選(10)」が書いたように「リトル・ブラック・ドレス」は、大量の安価なコピーが氾濫し、誰でも一着は持っているアイテムになりましたが、そのことでオリジナルの価値は半比例して、上昇したのですね。

なお、映画「ティファニーで朝食を」のオードリー・ヘプバーンは、黒いドレスが印象的ですが、これはジバンシーのデザインです。

Ron.

展覧会見てある記「幻の愛知県博物館」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.07.10 投稿

現在、愛知県美術館で開催中の「幻の愛知県博物館」(以下「本展」)に行ってきました。以下は本展の概要で、〈  〉と〈補足〉は、私の補足、感想等です。

◆出迎えは、金シャチ

本展の入口は、いつもとは違い、エントランスホールの先。本展の入口とコレクション展入口の分岐点となる小ホールで、1体の金シャチがお出迎え。「床がもたないのでは?」と危ぶみましたが〈雄は約1.3t、雌は約1.2t、金板0.15mm、金量(18K) 雄44.69kg、雌43.39kg出典 注1〉、実は発砲スチロール製なので心配ご無用。とはいえ、人の2倍近い高さ〈本物は約2.6m、出典 注1〉ですから、圧倒されます。

注1:金鯱 | 観覧ガイド | 名古屋城公式ウェブサイト (city.nagoya.jp)

◆第1章 旅する金鯱

第1章には、明治時代になって名古屋城の金鯱が天守閣から降ろされ、雄は日本国中を巡回、雌はウィーンの万国博覧会に出品されたことを示す当時の錦絵や絵葉書を始め、名古屋城・金鯱に関連する品を展示しています。

中でも、目を引いたのは「名古屋防空演習」のポスター(1936)や鴨居令《昭和20年5月14日Nagoya(天守閣の燃えた日)》(1985)、《金鯱鱗》(江戸時代前期)、《市旗竿頭》《丸八文様鯱環付真形釜》でした。

〈補足〉

1 ポスターについて 

ポスターの描かれた演習参加者は防毒マスクをしています。恐ろしいことですが、当時は毒ガスで攻撃されるかもしれないと思っていたのですね。

2 鴨居令の思い出

鴨居令は、協力会のツアーで石川県立美術館を見学した時に多くの作品を見ました。破滅型の作家で、作品は一度見たら忘れられなくなる迫力があります。確か、鴨居令の没年は出品作を描いた年と同じ1985年です。

3 金鯱鱗について

本展で見た金鯱鱗は金板を銅板に貼り付けたものでした。「ラジチューブ」(注2)によりますと、約2万両の金でできた貨幣を溶かしたもので、純金の重さでいえば215.3kg。金鯱の中身は木造。その表面に金鱗を貼っています。100年も経つと下地の木が傷むので下地から作り直しになりますが、その時に金板を当初の18Kから14Kに改鋳し、尾張藩の収入にしたことが何度かあった、とのことです。

注2:実は5代目!名古屋城の金シャチ、初代とはココが違う | RadiChubu-ラジチューブ-

4 名古屋城が焼失した際の金の行方

これも「ラジチューブ」によりますが、名古屋城が空襲で焼失した後に残った金は、進駐軍が接収。その後、20kgの金が返還され、《市旗竿頭》《丸八文様鯱環付真形釜》を大阪造幣局で造ったとのことでした。

5 現在の金シャチが地上に降ろされたのは、過去3回

第1章には、明治時代に金鯱が地上に降ろされた話が書かれていましたが、「Kyo-ta」さんのブログ(注3)によれば、現在の金鯱が地上に降ろされたのは過去3回とのことです。

1回目は1984年 名古屋城再建25周年の時

2回目は2005年 愛知万博「愛・地球博」の時

3回目は2021年 東日本大震災10周年の時

注3:名古屋城「金シャチ(金鯱)」の地上展示は2021年7月まで開催! (osanpo-jog.com)

 なお、1959年に再建された金鯱は、天守閣まで届く足場を組み、斜面を伝って運んだとのことですが、金鯱を降ろした時は、3回とも天守閣の所に足場を組んで取り外し、ヘリコプターで吊って運搬しています。

◆第2章 幻の愛知県博物館

 1878年に愛知県が大須(本町通と裏門前町通の間のエリア)開館した愛知県博物館(のちに愛知県商品陳列館)を紹介しています。目を引いたのは「Ⅱ-3 美術館が欲しい!――美術家たちの居場所」という展示です。名古屋市美術館の常設展「郷土の美術:サンサシオン100年 若き情熱ほとばしる名古屋」で展示している作家と重なるので、本展を見たら名古屋市美術館の常設展の作品もご覧ください。

◆第3章 ものづくり愛知の力

 「愛知県が歴史博物館・自然史博物館を開館したらどんな展示をするか」という視点の展示です。目を引いたのは「Ⅲ-4 売れ陶磁器に学ぶ――産総研のドイツ参考品」です。主に、ドイツのデパートで買い付けた「軽くて丈夫でおしゃれでおしゃれ」な製品を展示していますが、国立陶磁器試験所瀬戸試験場《喫煙具(灰皿)》(1935)は、灰皿と言いながら見た目は「お人形さん」で可愛く、「これなら売れるだろう」と思いました。

Ron.

新聞を読む「ガウディとサグラダ・ファミリア展」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

7月8日(土)付日本経済新聞「文化」欄に、東京国立近代美術館で開催中の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」(以下「本展」)の記事が載っていました。名古屋市美術館も巡回先(会期は、2023.12.19~2024.3.10)なので、とても気になります。記事の内容だけでなく、ネットで見つけた情報もプラスしてブログを書いてみました。

◆7.8付け日本経済新聞「文化」欄の概要と感想

・「未完の聖堂」といわれてきたサグラダ・ファミリアの完成が近づいてきた

サグラダ・ファミリアについて、記事は〈ガウディ没後100年の2026年に完成する予定だった。新型コロナウイルスの感染拡大で遅れる見通しだが、21年に「マリアの塔」が完成するなど全体像が見えてきている〉と書き、「イエスの塔」を建設中の写真(2023年1月撮影)を掲載しています。外国の建物ですが、完成が待ち遠しいですね。

・本展では「逆さ吊り実験」の模型を展示

記事に掲載された写真は全部で3枚。2枚目の写真が「コロニア・グエル教会の模型と『逆さ吊り実験』の復元模型」というもの。「逆さ吊り実験って、何?」と思ったのですが、記事によれば、ガウディはこの実験でノウハウを蓄積して、サグラダ・ファミリアなどの建設に取り入れた、というのです。

記事によれば、〈上部に両端を留めた何十本ものヒモそれぞれに、屋根や天井に相当する重りをぶら下げる。重りに応じて、ヒモはU字(略)を描く。ひっくり返すと一本一本のヒモが教会の骨格を示す模型になる〉というのです。ヒモが描く曲線は「懸垂線(カテナリー:Catenary)」。名古屋市科学館のホームページ(注1)は「材質が持つ強さを最大限に引き出せるため建築や橋などに使われています」としていますが、記事は〈施工が難しく、ほとんど使用されてこなかった〉〈ガウディは理想的な形が出来上がるまで、ヒモや重りの位置の調整を繰り返し、10年も実験を続けたという〉と書いています。

本展の展示内容を発信するYouTube動画(注2)で「サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型」を見ると、床から伸びた柱が上部で枝分かれして、更に上部でアーチを形成するという、軽やかで美しくスッキリした構造が見えます。「これが、逆さ吊り実験で見つけた構造なのか」と思いながら見ると、感動しますね。

注1:出典のURLは、次のとおり

名古屋市科学館 | 科学館を利用する | 展示ガイド | フロアマップ | 物理現象に見る数学 (city.nagoya.jp)

放物線(parabola)と懸垂線(Catenary)を比較した図もあるので、勉強になりました。

注2:URLは次のとおり。

(10) 【ガウディとサグラダ・ファミリア展】/IN MUSEUM/近代国立美術館 – YouTube

 展示室の中を動きながら、次々に展示品を撮影・紹介する動画です。音声は、バックグラウンド・ミュージックのみ。解説が必要な展示品は、展示品の横の「解説板」も撮影しますが、数秒しか映らないので、動画を止めないと解説文を読むのは困難です。

・本展ではサグラダ・ファミリア「降誕の正面」に設置されていた石こう像も展示

記事は、サグラダ・ファミリアの彫刻について、〈最初にスケッチを描き、次に針金や骸骨の模型で検討し、モデルを三面鏡の前に立たせてポーズをとらせる。写真を撮り、型を取って2分の1サイズの粘土像に移して石こうで固める。それを4分の1の粘土像にコピーして検討し、実物大の粘土像、石こう像を作る。実際に設置した時を想定して調整し、最終段階の石像に転換していく。(略)1978年から聖堂の彫刻を手掛ける外尾悦郎による「歌う天使たち」の石こう像は、実際に石像が完成するまで聖堂の「降誕の正面」に設置されていたものだ〉と書いています。

なお、3枚目の写真は「外尾悦郎「サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:歌う天使たち」(作家蔵)でした。

◆NHK・Eテレが本展の関連番組を放送

NHK(本展主催団体)の本展関連番組の放送予定は下記のとおり。URLは(注3)です。

・日曜美術館「“神の建築家” アントニ・ガウディ ~サグラダ・ファミリアへの軌跡~(仮)」

NHK・Eテレ 7.23(日)AM9:00~9:45

・NHKアカデミア 外尾悦郎 

NHK・Eテレ 前編:7.26(水)PM10:00~10:30  後編:8.2(水)PM10:00~10:30

注3:「ガウディとサグラダ・ファミリア展」関連番組・イベントの紹介  |NHK_PR|NHKオンライン

このページでは、NHKが2023年5月に撮影した、ドローン撮影を含むサグラダ・ファミリアの動画(5分17秒)も視聴できます。とても綺麗ですよ。

◆上記のほか、下記のブログも面白かったですよ

・工学的思考(左脳)がしびれる!「ガウディとサグラダ・ファミリア展」

工学的思考(左脳)がしびれる!「ガウディとサグラダ・ファミリア展」@東京国立近代美術館、図録もすごい | BUNGA NET

 投稿者は理系の人と思われます。なので「逆さ吊り実験」の模型は言うに及ばず、「双曲放物線面:Hyperbolic Paraboloid」「回転放物面:Hyperboloid of Revolution」「コノイド曲面:Conoid Surface」の模型のいずれも撮影・発信。しかも、解説を添えています。

 なお、上記の「コノイド曲線模型」は「サグラダ・ファミリア幼稚園屋根」の動画とワンセットになっているようです。幼稚園の屋根は、蒲鉾(半円)を並べたような屋根を変形させたもの。違いは、①屋根は、蒲鉾が並ぶのではなく、サインカーブに沿って滑らかに上下する。②建物のこちら側と反対側で、サインカーブを半周期ずらす。つまり、こちら側が上がる時は、向こう側は下がり、こちら側が下がり始めると、向こう側は上がる、という具合です。

魔訶不思議な曲面ですが、屋根を支えるのは全て直線の棒なので、工事監督が適切な指示をすれば、難工事になることはないと思われます。それにしても、見飽きない模型です。

・直線がつくる曲面

名古屋市科学館 | 科学館を利用する | 展示ガイド | キーワード検索 | 「そ」ではじまるキーワード |キーワード【双曲放物面】 | 直線がつくる曲面 (city.nagoya.jp)

 本展で展示している「双曲放物線面」と「回転放物面」の模型と同じものを展示・解説しています。解説があるので、本展の展示物(模型)を理解する際に助かりました。

Ron.

「マリー・ローランサンとモード」第3章の「バイアスカット」について

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 先日開催された「マリー・ローランサンとモード」の協力会向け解説会で解説された勝田学芸員から「バイアスカット」という言葉が出てきました。その場で質問すればよかったのですが、気後れして質問を回避。以下は、「バイアスカット」について、ネット等で調べた内容です。ただし、正確さは保証の限りではありません。

1 マドレーヌ・ヴィオネについて

マドレーヌ・ヴィオネ (Madeleine Vionnet:1876 – 1975)は、シャネルと同様、第一次世界大戦後に活躍したデザイナー。マドレーヌ・ヴィオネは立体裁断の技法を追求し、バイアスカットやサーキュラーカットなど、新しいパターンの衣服を提案。彼女の衣服は、のちのデザイナーたちに強い影響を与えたとのことです。

出典:『世界服飾史のすべてがわかる本』能澤慧子 監修 発行所 株式会社ナツメ社 2012.03.12初版発行

2 バイアスカット (Bias Cut) について

1920年代に確立されていった、洋裁での生地の使い方のひとつ。生地の縦と横の地の目に対して斜め方向を利用したカッティングのこと。伸縮性が生まれると同時に動きが出せるので、フィット感があり、きれいなドレープを形作ることができる、とのことです。

出典のURL

https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%88

3 立体裁断 (Draping) について

洋裁での制作過程のひとつ。トルソー(人台)に布を当てて、立体的に型紙(パターン)を作ること。マドレーヌ・ヴィオネは、1/2の縮小サイズのトルソーを用いた立体裁断で、バイアスカットを生かしたドレスを作っている、とのことです。

出典のURL

https://artscape.jp/artword/index.php/%E7%AB%8B%E4%BD%93%E8%A3%81%E6%96%AD

4 山崎豊子が描写した「立体裁断」(『女の勲章』より)

 マドレーヌ・ヴィオネが追求した「立体裁断」の技法ですが、山崎豊子が1961年に発表した小説『女の勲章』に、その様子を描写した箇所があります。それは、主人公の大庭式子(服飾デザイナー・聖和服飾学院長)が、ドレスの型紙を手に入れる交渉をするため、フランスの著名なデザイナー・ランベール(モデルはクリスチャン・ディオール:Christian Dior、1905 – 1957)を訪ね、「立体裁断」の実技を見学する場面。作業の様子が目に浮かぶ文章なので、以下に引用します。

 ランベールは(略)仮縫室の前へ来ると(略)仮縫室にいるマヌカンの体に、トワール(実物の布地で服をつくる前に木綿や麻で作る実物見本)を巻きつけ、マヌカンの体の上で大胆に鋏とピンを使ってドレープの多いブラウスの形を作り出した。まるで頭の中にある布地の彫刻を創るような奔放さで、人間の体の上で自由自在に布地を操り、自分のイメージに合うシルエットになると、トワールを解いて、それを製図用紙の上へ平らに広げて、トワールから型紙を創り出した。細かく鉛筆を動かしながらランベールは、式子の方へ強い語調で話しかけた。

「優れた服は、尺度(メジャー)とコンパスでひかれた型紙を基にして、いきなり美しい布地を裁断し、縫製するのではありません、最初に服の形をデッサンし、デザイン画が出来上がると、それをトワールにして十分、シルエットの検討をするのです。このトワールによる検討は、美しい色や材質に惑わされず、シルエットそのものの検討が出来るから、これでシルエットの基礎を決め、それから流行の色や柄を取り上げることです、どんなに目新しい色や柄を駆使しても、美しいシルエットが出ていなければ、それは良く出来た衣装の白粉(おしろい)の役を果たすだけで、ほんとうに完成された服ではありません。私は美しいシルエットを出すために、一着の服を作り上げるのにも、何度もトワールで服のシルエットを検討し、納得してから初めて、それを製図用紙の上に写すのです、だから私の型紙は紙の上に、尺(さし)とコンパスで安易に引かれた平面製図ではなく、トワールから割り出された立体製図なのです」(略)

新潮文庫『女の勲章』下巻 p.189-191

<補足>

 1961年に京マチ子主演の映画『女の勲章』が制作され、最近では、2017年に松嶋菜々子主演のテレビドラマが放送されました。(1962年、1976年にもテレビドラマの放送があります)

5 FASHION PRESS  『ディオール「バー」ジャケットの歴史』

これは、ネット上に掲載された記事で、クリスチャン・ディオールが新しいドレスのデザイン画を描いてから、ドレスを制作し、ファッションショーで発表するまでを記録した動画を収録しています。動画では、『女の勲章』の描写のとおり、ディオール本人がマヌカンの体にトワールを巻きつけ、自分のイメージに合ったシルエットになるまでトワールに手を加える、という様子を見ることが出来ます。

YouTubeのURLなど

URL: ディオール「バー」ジャケットの歴史、ニュールック誕生から最新作まで進化するメゾンのアイコン – ファッションプレス (fashion-press.net)

収録している動画の題名:The world of Monsieur Dior in his own words

Ron.

展覧会見てある記「マリー・ローランサンとモード」

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

2023.06.30 投稿

名古屋市美術館で開幕したばかりの「マリー・ローランサンとモード」(以下「本展」)。2023.06.25(日)17:00~18:30に開催された協力会向け解説会(以下「解説会」)に参加しましたので、その概要とともに、本展の感想などを<補足>として書き足しました。

解説会の講師は、勝田琴絵学芸員(以下「勝田さん」)。今回の解説会は、4年ぶりにギャラリートーク(講堂ではなく、展示室で行う解説)となりました。久しぶりの「目の前に作品がある」解説会なので、参加者はもちろんのこと、勝田さんも気分が高まったようで、予定の1時間を越え、1時間半近くの解説会となりました。

◆本展の成り立ち等について(エントランスホールにて)

勝田さんによれば、本展は企画会社が持ち込んだもの。マリー・ローランサンの作品については、名古屋市美術館の深谷参与が担当。シャネルのドレスなど「モード」に関しては他の企画者が担当という分業制で、展覧会全体の構成については名古屋市美術館が中心になって担当、とのことでした。

◆Ⅰ レザネ・フォルのパリ (Paris of Les Années folles)

勝田さんによれば、第1章では「狂騒の時代=レザネ・フォル : Les Années folles」と呼ばれた1920年代のマリー・ローランサン(以下「ローランサン」)とガブリエル・シャネル(以下「シャネル」)の活躍を示す作品、写真などを展示。当時、社交界の女性たちや前衛画家を庇護する女性たちのステイタスは、①ローランサンに肖像画を描いてもらうこと、②シャネルの服を着て、マン・レイに写真を撮ってもらうこと、の二つだったそうです。

〇《わたしの肖像》(1924)(注:特に説明の無い作品は、ローランサンが描いたもの。以下、同じ)

ローランサンが自信をもって描いた自画像。彼女は短髪で、モダンガールのような装い、との解説でした。

〇《マドモアゼル・シャネルの肖像》(1923)

シャネルがローランサンに依頼した肖像画。しかし、シャネルは気に入らず、ローランサンに描き直しを要求。シャネルは女性の社会進出を推し進めていたので、このように装飾的な肖像画は不満だったと思われます。一方、ローランサンは描き直しを拒否。シャネルを「田舎者」と見下していたのでしょう。シャネルも対抗して作品の買い取りを拒否。物別れとなり、現在、オランジェリー美術館が作品を所蔵している、との解説でした。

<補足>

 この作品は、特製の枠に囲まれています。ローランサンが描いたシャネル、本展の主役二人に関係する作品ですから、特別扱いも納得。「本展を象徴する作品」という感じがします。

シャネルについて知るため、YouTubeの「シャネル ファッション・デザイナーへの道」という動画(以下「YouTube」 URLは、下記(*)に記載) を見ると、シャネルがネクタイを締め、男物のシャツと乗馬ズボンをはいた姿を撮影した写真が出てきました。* URL : https://www.youtube.com/watch?v=Z49X-pjFR64

『もっと知りたい シャネルと20世紀モード』 朝倉三枝 著 発行所 株式会社東京美術 2022.10.25発行(以下『シャネルと20世紀モード』)p.7にも、同じ写真が載っています。シャネルを象徴する写真ですね。

YouTubeでは、シャネルを主人公にした映画の「シャネルが男用の乗馬姿に着替える」という場面も紹介。シャネルは、当時の女性の装飾過剰なファッションを嫌い、機能的な男性の服装が気に入っていたようですね。YouTubeは更に、上流社会の社交場であった競馬場にシャネルが男物のコートを着て行った時の写真も紹介しています。肖像画も男性的な服装なら、シャネルからOKが出たかもしれませんが、当時の常識を外れた肖像画では、ローランサンの方が描くことを拒否したでしょう。(写真撮影の年代は不明ですが、肖像画の制作と年代が離れているのは確か。なので、的外れの想像になるかも)

〇《テティエンヌ・ド・ボーモン伯爵夫人の空想的肖像画》(1928)

本人の子どもの頃を想像して描いた大型の肖像画。隣には、この作品の前に座った夫人の写真も展示。ローランサンは、夫のボーモン伯爵が開催した夜会「ソワレ・ド・パリ」のポスターも描いた、との解説でした。

〇映像 マン・レイ《シャネルの服を着た社交界の女性たち》

マン・レイに写真を撮ってもらうことは、社交界の女性のステイタス。「今回は時間がないので、次の機会にじっくりご覧ください」との解説でした。

<補足>

 上映されているポートレイトは、1924年~1930年に撮影されたもの。100年近く前の写真なので、写っているのは知らない人ばかりですが、princess(王女)、duchess(公爵夫人)という肩書や本人の容姿、装身具から推察すると、身分の高い人やお金持ち、女優などと思われます。パールのロングネックレスを着けたシャネルもモデルになっています。次回は勝田さんのアドバイスに従って、じっくりと見たい映像です。

◆Ⅱ 越境するアート (Cross-border Art)

〇《牝鹿と二人の女性》(1923)/ 限定書籍『セルゲイ・ディアギレフ劇場「牝鹿」』1,2巻(1924)

勝田さんによれば、ローランサンは作曲家・プーランクの推薦で、セルゲイ・ディアギレフが率いるロシア・バレエのバレエ団=バレエ・リュスの「牝鹿」の衣装と舞台装置のデザインを手掛けたとのこと。バレエの振り付けは、舞踊家ニジンスキーの妹ニジンスカヤ。衣装については、ローランサンのデザイン画が分かりにくかったため作り直しが多く、制作現場は大混乱だった、との解説でした。

〇映像 NBAバレエ団「牝鹿」の日本公演(2009)

勝田さんによれば、ピンクの羽飾りの帽子を被り、ピンクの衣装を着た乙女たちが踊っているところに、美青年が来て乙女たちを誘うが、乙女たちは見向きもしない、というストーリーとのことです。

<補足>

 女性はひざ下丈のゆったりしたワンピース、男性はランニングシャツにショートパンツという姿。モダンダンスのように見えます。とはいえ、バレエは軽快で、思わず見入ってしまいました。

〇《アポリネールの娘》(1924)

 勝田さんによれば、アポリネールの死後に描かれた作品。「ローランサンとアポリネールとの間に娘がいたら」と空想して描いたそうです。

〇《優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踊》(1913)

勝田さんによれば、キュビスムの頃と円熟期の境の時期に描かれた、ローランサンの代表作の一つ。平面的な描写ですが、キュビスム的な手法の作品、とのことでした。

〇映像 「青列車」 ピカソとダンス「青列車」「三角帽子」(DVD)より(1993年12月収録)

勝田さんによれば、シャネルはバレエ・リュス「春の祭典」を資金援助。「青列車」もバレエ・リュスの作品で、幕はピカソ、衣装はシャネルが担当。更衣室から出てくる女性のテニス・チャンピオンはシャネルのワンピースと、イミテーションパールのイヤリングを身に着けている、とのことです。

<補足>

「青列車」の登場人物が身に着けているのは、当時のリゾート・ウエア。男女とも、水着はワンピース(ノースリーブで、下はシュートパンツ)。当時の藤田嗣治の水着写真も、ワンピースでしたね。

イミテーションパールですが、前出『シャネルと20世紀モード』のp.36は、シャネルは「高価な宝石がそれを身に着ける女性を豊かにするわけではない。……ジュエリーはあくまで装飾品であり、楽しみのひとつであるべきだ」という考えのもと、あえて本物と偽物のジュエリーをまとい、1924年頃、イミテーションを扱うコスチューム・ジュエリー部門を開設した、と書いています。積極的にイミテーションを販売したのですね。

バレエは、「牝鹿」と同様の軽快な動き。先に登場した女性のテニス・チャンピオンと後から登場する男性ゴルファーの掛け合いがユーモラスで、見飽きません。男性ゴルファーの服装は、ニッカーボッカーズでした。

〇《アンドレ・グルー夫人(ニコル・ポワレ)》(1913)・《アンドレ・グルー夫人(ニコル・ポワレ)》(1937)

 画面が楕円形の作品です。勝田さんによれば、楕円形の画面は寝室を飾るため、とのこと。装飾家アンドレ・グレーの夫人は、「モードの帝王」と呼ばれたポール・ポワレの妹・ニコル。ローランサンとニコルは生涯にわたって深い親交を結んだ、との解説でした。

〇アール・デコ展(現代産業装飾芸術国際博覧会)1925年のパネル

勝田さんによれば、名古屋展のために製作したパネル、とのこと。パネルには、ポール・ポワレが、衣服だけでなく室内装飾までも展示した三艘の遊覧船をセーヌ川を浮かべ、毎夜のように客を招いて豪華な夕食会を開催したが、結果は大赤字。1929年には、自分のメゾン(店)を畳むことになった、と書かれています。

<補足>

大きなパネルで、博覧会の会場地図だけでなく、セーヌ川に浮かぶ遊覧船や、遊覧船内の展示風景の写真も貼ってあります。製作は大変だったと思いますが「優れもの」のパネルです。

◆Ⅲ モダンガールの登場 (Rise of The Modern Girl)

第3章からの会場は2階に写ります。広い空間の中央に4体のドレス(ただし、うち1体は撮影禁止です)が置かれ、周囲の壁に作品や写真などが展示されていました。

〇シャネル《帽子》1910年代

勝田さんによれば、シャネルは帽子の制作・販売からファッションの仕事を始めた、とのことです。

<補足>

《帽子》の隣には、1900年代~1910年代の帽子のイラストが、次々と投影されていました。すぐにイラストが変わるので、文字がうまく読み取れませんが、辛うじて Paul Poilet(ポール・ポワレ)、Jeanne Lanvin(ジャンヌ・ランバン)、Gabrielle Cannel(ガブリエル・シャネル)という名前は読み取れました。名前の読み取りは難しいですが、このイラストも見逃せませんよ。展示室では、イラストの投影だけでなく、帽子を描いたローランサンの作品も展示しています。

〇ジャン・コクトー《ポワレが去り、シャネルが来る》(オリジナル:1928)アートプリント

 勝田さんによれば、ポール・ポワレが第一線を退き、シャネルが流行を牽引するようになったことを象徴するイラストなので展示した、とのことでした。

〇ポール・ポワレ《カフタン・コート「イスファハン」》(1908)

写真撮影スポットを示す印の正面に展示されているコート。勝田さんによれば、コートの向かい側の壁に展示の『ポール・ポワレのドレス』のイラストに、展示されているコートと同じものがある。材質は絹、模様は金糸で刺繍したもの、とのことでした。1920年代は「シャネル旋風」が巻き起こりますが、1930年代の流行はスカート丈が長くウエストを絞った、女性的なスタイルに回帰。バイアスカットの技法で縫製し、体の線に沿ったマドレーヌ・ヴィオネやジャンヌ・ランバンがデザインしたドレスが流行、との解説でした。

 <補足>

中央が《カフタン・コート「イスファハン」》。写真では分かりにくいですが、かなり薄手の生地。スカートのピンク色も鮮やか。100年以上前のものとは思えません。向かって右はシャネル《イブニング・ドレス》(1920-21)、左がジャンヌ・ランバン《ドレス》(1936)で、バイアスカットの技法で縫製しています。壁に展示されているのは、帽子をかぶった女性の肖像画です。(作品を撮っている女性もドレスの陰に写っています)

なお、「バイアスカット」について書くと長くなるので、別のブログ原稿に書くことにします。

また、「シャネル旋風」についての解説があったと思うのですが、帽子のイラストやローランサンの作品等に夢中で、聞き漏らしてしまいました。残念。

〇《シャネル N°5 の広告》(1936)

 勝田さんによれば、皆さんご存じのとおり、シャネル・ブランドで1921年に発売した香水。シンプルなデザインのボトルは斬新で、大いに売れた、とのことでした。

<補足>

「シャネルの5番」について、『シャネルの真実』 山口昌子 著 新潮文庫(以下『シャネルの真実』)は、 p.221 に<シャネルの名を不朽のものにすると同時に、莫大な財政的成功をもたらし、経済的にも自立した20世紀の解放された女性の代表の地位を与える結果となった>と書いています。大成功だったのですね。

◆エピローグ:蘇るモード (Fashion Reborn )

〇カール・ラガーフェルド《ピンクのツィードのスリーピース・スーツ》(2011)

 勝田さんによれば、シャネルのデザイナー=カール・ラガーフェルドは、2011年にローランサンのピンク色に発想を得た、ツィードのシャネル・スールを発表。このことにより、ローランサンとシャネルは和解に至った、とのことでした。

<補足>

女性参加者の多くは、ピンク色のシャネル・スーツを見て、大統領夫人のジャクリーヌ・ケネディを想起したようです。このことについて、前出の『シャネルと20世紀モード』p.69は、<夫人のスーツは、シャネルの1961年秋冬コレクションで発表されたモデルで、パリの本店から送られて来た素材を使い仕立てられていた。ジャクリーヌのスーツは2003年に、当時のままアメリカ国立公文書館に寄贈されたが、家族の意向で100年間、公にせず保管されることとなっている>と書いています。

〇映像 カール・ラガーフェルド《2011年春夏 オートクチュール コレクションより》(2011)

 勝田さんから「この映像で本展の解説会は終了です。展示室を閉めるまで、もう少し時間がありますので、自由に、ご鑑賞ください」という挨拶があり、解説会は終了。自由解散となりました。

<補足>

最後の映像も、見ごたえ十分です。解説会の締めくくりとなる展示なので、大勢の会員が立ち見をしていました。女性会員は、カール・ラガーフェルドをよくご存じでしたが、恥ずかしながら私は “Karl Who ?” という状態。日本語のYouTubeを探して、「シャネルを復活させたドイツ人デザイナー」「サングラスとポニーテールが目印」という人物像を知ることが出来ました。視聴したYouTubeは、下記のとおりです。

【カール・ラガーフェルド】モード界を牽引してきた帝王 ★40枚の写真で振り返るレジェンドの軌跡

URL: https://www.youtube.com/watch?v=JVLkXy-80zI&t=782s

実は、前出『シャネルの真実』p.279 -281 でも、カール・ラガーフェルドについて書いていました。

また、本展公式ホームページによれば、『シャネルの真実』の著者・山口昌子さんによる本展の特別解説会「ココ・シャネルの真実」が7月29日(土)14:00から名古屋市美術館2階講堂で開催されるようです。当日は先着順、30分前に開場し定員(180名)になり次第締め切りとのことですから、どうしても講演を聴きたいという方は早めに並ぶことをお勧めします。

<参考> 2022年6月 豊田市美術館 交歓するモダン

 2022年6月に、豊田市美術館「交歓するモダン」に行きました。その時、ポール・ポワレ、ジャンヌ・ランバン、マドレーヌ・ヴィオネ、ガブリエル・シャネルの展示作品を撮影。ブログに掲載しましたので、興味のある方は下記のURL で検索してください。

URL: 6月 « 2022 « 名古屋市美術館協力会ブログ (members-artmuse-city-758.info)

Ron

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