読書ノート番外編・ヘレーネの功績について

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◆今回取り上げたDVD、雑誌、ネット記事

A:DVD「ゴッホとヘレーネの森 クレラー=ミュラー美術館の至宝」

B:AERA mook「ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント 完全ガイドブック」

2021.9.30発行

C:「サンエイムック 時空旅人 別冊」孤高の画家 ゴッホ 2021.10.14発行

Ⅾ:美術展ナビ 2021.09.24 【レビュー】「ゴッホ展-響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」

URL: https://artexhibition.jp/topics/news/20210924-AEJ516945/

◆ヘレーネ・クレラー=ミュラーの功績

上記Aでは、冒頭でナビゲーターが次のように語ります。〈ファン・ゴッホは(略)オーヴェル=シュル=オワーズで死ぬ数週間前、教会の絵を描いた。しかし、この絵も本人も、彼の作品と共に忘れ去られるところだった。ところが、1人の女性が現われ、ファン・ゴッホに捧げた。(略)オランダの富豪ヘレーネ・クレラー=ミュラー(以下「ヘレーネ」)は、妻か修道女のようにファン・ゴッホに生涯を捧げた。早くから作品を評価し、保護に尽力している。ファン・ゴッホのために美術館も建てた(略)〉

 映画は、ヘレーネの功績をとても高く評価しています。

◆東京都美術館のゴッホ展では、ヘレーネが収集したゴッホ作品と価格を掲示

 東京都美術館で開催中の「ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(以下「ゴッホ展」)のレビュー記事=上記Ⅾは、ヘレーネについて〈東京都美術館学芸員の大橋菜都子さんは、彼女には評価が高まる前に「収集」を始め、自分が楽しむだけでなく広く「公開」し、さらに美術館開館に尽くして後世にゴッホの作品を「継承」した三つの功績があると話す〉と書き、ヘレーネ・クレラー=ミュラーが収集したゴッホの絵のリストと購入額を示した図の一部を撮影した写真を掲載しています。彼女が収集を始めた1908年の点数と購入金額は3点で4,924ギルダー(6,838,619円)。そのうち《枯れた4本のヒマワリ》が最も高価で4,800ギルダーです。購入金額6,838,619円の大部分は《枯れた4本のヒマワリ》の値段ということですね。億円単位で売買される現在の評価とは比べ物になりませんが、「評価が低かった」といっても、油絵なら670万円近くしているのですから、当時でも、ある程度は評価されていたのです。 

◆「収集」について、名古屋市美術館の森本陽香学芸員がインタヴューに答える

上記Bのインタヴュー記事で、名古屋市美術館の森本陽香学芸員(以下「森本さん」)は、ヘレーネがゴッホ作品を大量に購入したことの意義について、次のように答えています。〈ゴッホは生前はあまり評価されませんが、亡くなった直後からいろんな回顧展が開かれるようになっていました。オランダ、ベルギー、フランスでは特に注目が集まっています。そういうタイミングで、ヘレーネがまとまった数を一気に購入したので、ゴッホ作品の市場価値の上昇という点で、果たした役割は大きかったといわれています〉(p.55)

◆ゴッホ作品の「公開」が、ゴッホの評価を高めた

上記Bは、ゴッホ作品を公開したヘレーネの功績を次のように書いています。〈1927(昭和2)年には、コレクションの中のゴッホ作品がヨーロッパ各地を巡回し、1935(昭和10)年からは、60点のゴッホ作品が海を渡りアメリカのニューヨーク近代美術館(MoMA)で展示されました。このゴッホ展は大変な評判を呼び、アメリカ諸都市を巡回し50万人を動員。ゴッホの世界的な評価は大きく変わりました。このように作品を外国の展覧会のために貸し出すということは、今日では当たり前のことですが、20世紀初頭では、大変珍しいことだったのです。作品への取り扱いも今日ほど徹底されておらず、貸し出しは大きなリスクを伴うものでした〉(p.42)

◆美術館の建設は、多難を極める

美術館の建設について上記Aでは、ナビゲーターが次のように語ります。〈ヘレーネは、複数の建築家に声をかけた。(略)でも、不運が襲う。第一次世界大戦の末期、夫アントンがチリの鉱山で投資に失敗し、クレラー=ミュラー家の財政は悪化。1922年には、資金不足が原因で建築現場が閉鎖された。ヘレーネも意気消沈したけれど、夢は諦めなかった。結局、美術館は規模を縮小して国が建設した。(略)公共の美術館にするとの条件だった。美術館開館の翌年、1939年にヘレーネは亡くなる〉

国が美術館を建設するに至った経緯について、上記Bは、もう少し詳しく〈何度も頓挫しながらも、オランダ政府に掛け合い、美術館建設と引き換えに、夫妻の死後、国家にコレクションが寄贈されることが決定しました。オランダ国家の資金不足もあり予定より小規模な建物になったものの、1938(昭和13)年、ついに美術館が完成〉(p.43)と書いています。

一方、上記Cの記述は〈1935年には、クレラー=ミュラー家が所持していたフェルウェの森の広大な土地をホーヘ・フェルウェ国立公園財団に買い取らせると、さらにはクレラー=ミュラー財団がもつコレクションをオランダ政府に譲渡〉(p.35)というものでした。ここで気になったのは「国は広大な土地をいくらで買ったのか?」です。森林なので地価は低かったと思いますが、総額はいくらだったのでしょう?国相手に、高値で吹っ掛けたとは思えませんが……

◆美術館の展示方法について、森本さんがインタヴューに答える

上記Bのインタヴュー記事で、森本さんは、美術館の展示方法に対するヘレーネの考えについて、次のように答えています。〈まず第一に作品と作品の間隔を十分にとること、第二に作品の高さを見るひとの目線に合わせること。この2点が重要だと言っています。現代の私たちの感覚では、当たり前のことだと感じますけど、見やすく展示するという意識はあまりなかったんです。〉(p.55)

 これは初耳でした。ヘレーネは美術鑑賞に関して高い見識を持っていたのですね。

◆ヘレーネが美術館設立にかけた夢について、森本さんが公開講座で語ります

以上の引用に度々登場する森本さんですが、何と「イーブルなごや」(名古屋市男女平等参画推進センター・女性会館)の公開講座【名古屋市美術館共催】特別展にみる女性たち2021 「ヘレーネ・クレラー=ミュラー 美術館設立にかけた夢」に講師として生出演するそうです。大いに期待できますね。今から楽しみです。

日時は令和4年1月15日(土)14:00~15:30。会場は、イーブルなごや ホール(定員:160人)(名古屋市中区大井町7-25 地下鉄名城線「東別院」下車1番出口から東へ徒歩3分)。「事前申込不要、当日先着順」なので、受付に並んだ順に番号札が渡され、番号札が「160」になった時点で「受付終了」ということでしょう。

詳細はチラシ『 E-9 (e-able-nagoya.jp) 』をご覧ください。

 Ron.

「フランソワ・ポンポン展」 会員向け解説会

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エントランス 大きなシロクマと記念撮影できます

名古屋市美術館で開催中の「フランソワ・ポンポン展 動物を愛した彫刻家」(以下「本展」)名古屋市美術館協力会・会員向け解説会に参加しました。参加者は42人。2階講堂で星子桃子学芸員(以下「星子さん」)の解説を聴き、その後は自由観覧・自由解散となりました。なお、星子さんは本年4月に、名古屋市博物館から異動。専門は、明治以降の書家と豊臣秀吉の花押の研究、とのことでした。

◆2階講堂・星子さんの解説(16:00~16:45)の概要   なお、(注)は、私の補足です。

・フランソワ・ポンポン(1855~1933)は、どんな彫刻家?

 フランソワ・ポンポン(1855-1933、以下「ポンポン」)はフランス人。ブルゴーニュ地方の生まれで、父は木工家具の職人。彫刻家のスタッフとして働き、その後、動物彫刻家として有名になった人です。

 ポンポンの動物彫刻が人気を得た理由は、次の3点です。

1 アール・デコ様式  単純で幾何学的な形の作品で、異国趣味もあります。(注:有機的で流麗・装飾的なアール・ヌーヴォーに対し、アール・デコは機能的でシンプルな形、ということでしょうか?)

2 動物をモチーフにした芸術  ポンポンは、ブロンズの複製を多数制作しました。

3 活気ある動物園  欧米列強は植民地から珍獣を持ってきて動物園で陳列。ポンポンは、動物園で観察を繰り返しました。

 以下、主な出来事を年代順に説明します。

1885.5.9 二卵性双生児の一人として、ソーリュー(パリの北)に生まれる

1886年 31歳 サロンに出品

1888年 33歳 ビクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル」の登場人物が主題の《コゼット》(石膏)を発表

1890年 35歳 彫刻家ロダンの工房に入り、人物彫刻を手掛ける

1894年 39歳 《コゼット》の買い上げを国に要請するが、拒否される

1895年 40歳 ロダンの下を離れる

1902年 47歳 キュイ・サン・フィアルクで家畜や家禽をモデルに粘土で造形するようになる

1906年 51歳 サロンに《カイエンヌの雌鶏》(ブロンズ)を出品

1908年 53歳 石の《モグラ》が芸術雑誌に取り上げられる

1918年 63歳 エブラール鋳造所に《ほろほろ鳥》を含む3点を売却

1926年 71歳 飼っていた鳩をモデルにした《鳩ニコラ》を制作

1930年 75歳 ボストンテリア《トーイ》を制作。《クマの頭部》を制作しショールームのドアに取り付け

1931年 76歳 亡くなる前年まで、ライオンを制作

1932年 77歳 死亡

・ポンポンの作品を所蔵している美術館など

 オルセー美術館 石で彫られた大型の《シロクマ》のほか、ブロンズの《ワシミミズク》を所蔵

解説してくださった星子さん、ありがとうごさいました

◆展示室・自由観覧(17:00~18:00)概要 

 国立自然史博物館 附属図書館に大型石膏の《カバ》を展示

 エントランスホールには大型の《シロクマ》が置かれ、自由に撮影できます。星子さんに「大理石ですか?」と聞いたら「樹脂製です」との回答。当然、そうですよね。ばかばかしい質問でした。

こちらが本物のシロクマです

 展示されているのは、屋外用の全長2メートルを超すような大型作品ではなく、主に室内に飾るための作品です。室内装飾用の動物ノベルティといえばマイセン磁器が有名ですが、ブロンズ彫刻などの需要も大きかったということですね。作品点数は90点と多いのですが、ゆったりと鑑賞できます。同じ作品でも、石膏、ブロンズ、銀合金、無釉硬質磁器、白色大理石と、素材は様々。石膏、ブロンズといっても着色しているので一つひとつの印象が違い、飽きることがありません。展示室内の撮影は禁止ですが、2階展示室の最後にある白色大理石の《シロクマ》だけは撮影可。皆さん、スマホで撮影していました。今回は主催者の好意で“特設ショップ”も営業時間を延長。私は「マスクケース」を買いました

最後は三々五々と、五月雨式に解散。参加者の皆さんは、満足そうな様子でした。

Ron

読書ノート 「週刊文春」(2021年9月23日号)ほか

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◆「週刊文春」 名画レントゲン(21) 秋田麻早子  情念の色味・配色・筆致を味わう

フィンセント・ファン・ゴッホ「夜のプロヴァンスの田舎道」(1890)

 名古屋市美術館に巡回予定の「ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(2022.2.23-4.10)(以下「ゴッホ展」)出品作品の解説です。秋田麻早子はこう書いています。

〈この短くうねる筆触で埋め尽くされた画面は、ゴッホらしさそのもの。(略)この特徴的なスタイルを確立したのは最後の数年のこと。(略)この絵が描かれたのは、療養のために1889年から1年ほど過ごしたサン=レミ時代も終わりに近い最晩年。(略)絵の解釈についても(略〉詩を読むようなイメージの広がりを見出すでしょう。この構図は現実の風景そのままではなく、ゴッホが再構成したものだけに一層そう感じられます。糸杉は単なる木ではなく、古来より生と死の両方を象徴してきたもので、この絵を見る人に約2か月後のゴッホの死をどうしても連想させます。(略))(引用終り)

 映画「ゴッホとヘレーネの森」でも、キュレーターが〈1890年4月20日の夜は、水星と金星が重なり合い、三日月に接近していた。彼は、このイメージを心に刻み、1カ月後、月と星を対照的に描いた。プロバンス滞在時の要素を詰め込んだ、一種の集大成だ〉と解説していました。

 傑作の呼び声が高い作品です。こんな記事を読むとゴッホ展が待ち遠しくなります。

◆AERA mook「ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント 完全ガイドブック」2021.9.30  INTERVIEW  ヘレーネ・クレラー=ミュラーって どんな女性ですか?

 上記のインタヴューの中で「ヘレーネはゴッホのどこに惹かれたのでしょうか」という質問に対し、名古屋市美術館学芸員・森本陽香さん(以下「森本さん」)は「ヘレーネは最初、アルルやサン=レミ時代の、力強い作品に惹かれたんですね」と答えていました。また、「イチオシ来日作品Best3」として、①《夜のプロヴァンスの田舎道》、②《悲しむ老人「永遠の門にて」》、③《レモンの籠と瓶》の3点を挙げています。《夜のプロヴァンスの田舎道》は、森本さんも「イチオシ」です。

森本さん「イチオシ」のNo.3=《レモンの籠と瓶》については、映画「ゴッホとヘレーネの森」の中でナビゲーターが、次のように話していました。「ヘレーネも、彼の絵で無限の世界に浸った。“レモンの静物画”(注:《レモンの籠と瓶》のことです)を何時間も眺め、手紙に書いた。『絵から万物の完全性を見て取った』『神聖な原則があるの』と」

なお、「名古屋市美術館の巡回展の見どころは」という質問もあり、森本さんは「ヘレーネの美術館に入っていくワクワク感を演出したいです。(略)ヘレーネの理想を再現したいと計画中です」と答えています。展覧会では、どんな風にワクワク感が演出されるのか?楽しみですね。

◆蛇足

ゴッホ展は「サンエイムック 時空旅人 別冊」2021.10.14発行 にも、特集記事があります。

なお、AERA mook の記事ですが、p.52の《麦束のある月の出の風景》と、p.53の《サン=レミの療養院の庭》の説明に「※本展には出品されません」と書かれていますが、ゴッホ展の出品リスト(https://www.tobikan.jp/media/pdf/2021/vangogh_worklist.pdf)には、出品作として掲載されています。ご注意ください。

 Ron.

読書ノート 「星落ちて、なお」澤田瞳子 株式会社文芸春秋 2021.07.20 第2刷

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◆ 河鍋暁斎ではなく、その娘「とよ」の人生を6つの短編で描く

本作は、直木三十五賞の受賞作品。作者は河鍋暁斎を「大好き」なのですが、主人公は暁斎ではなく、その娘「とよ(画号は暁翠)」。冒頭は、暁斎の葬儀の場面。強烈な個性を持つ異母兄・周三郎(画号は暁雲)に、とよが振り回される様が描かれます。

幕末から明治初期にかけて大活躍した暁斎。しかし、死後その作風は次第に時代遅れのものとみなされるようになっていきます。そんな風潮に反発し、絵師・暁翠として生活するとよですが、自分の画力が父はもとより兄にも遠く及ばないことに、絶えず思い悩みます。また、兄弟たちとの関係にも苦労します。

本作は、そんな暁翠=とよが、明治・大正という二つの時代を通して、自分の役割を見出すまでを、年代別の6つの短編で描いています。

◆ 明治・大正の日本史・日本美術史も描く

「とよの一代記」というだけなら平板なお話になってしまうところですが、本作では戦争や震災などの時代背景もしっかり描き、話に厚みを持たせています。特に、日本美術史については、寺崎広業、橋本雅邦、栗原あや子(玉葉)、北村直次郎(四海)などが次々に登場するので、飽きることがありません。竹久夢二の恋人として有名な笠井彦乃も、ほんの一瞬ですが登場します。作者が厖大な資料を読み込みながら、「この画家を、どうやってストーリーに絡ませようか」と構想を練っていた様子が目に浮かびますね。

◆ 陰の主人公は、「写真大尽」鹿島清兵衛?

数ある登場人物の中でも、特に目を引いたのが「写真大尽」として有名な、鹿島清兵衛です。冒頭の葬儀の場面では、多額の香典を出すだけでなく、葬儀を取り仕切り、残されたとよたちに住まいを提供する、という献身ぶりが描かれます。清兵衛の愛人・ぽん太がとよの家に乗り込んでくる場面にも引き込まれます。最後の短編で、とよが自分の役割を自覚する場面にも清兵衛が登場します。

清兵衛は、森鴎外が「百物語」という短編に登場(飾磨屋勝兵衛=鹿島清兵衛、太郎=ぽん太)させたほどの有名人。ネットで検索すると清兵衛は男前で、ぽん太は超美人。とよの陰に隠れてはいますが、本作は鹿島清兵衛のお話でもある、と思いました。

◆ 小説が終わった所から、河鍋暁斎の話が始まる

ネタバレになってしまいますが、本作は河鍋暁斎の伝記を書くために村松梢風という作家が取材に来て、とよが父の生涯について語り始めるという場面で終わります。

最初に読んだ時は「えっ、これで終わり?オチになってないじゃない」と思ったのですが、読み返してみて「ここから、河鍋暁斎の物語が始まる」と思い直しました。

実は、本作に影響を受けて、河鍋暁斎関係の本を買ってしまったのです。

 Ron.

「ゴッホ展 ― 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」への期待

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 先日「ゴッホ展 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(以下「ゴッホ展」)の特設サイト(https://gogh-2021.jp/comp.html)が更新され、ゴッホ展の構成や出品される作品の一部が公開されました。そして、DVDで見た映画「ヘレーネとゴッホの森 クレラー=ミュラー美術館の至宝」(以下「映画」)の記憶が甦って来ました。

1 ヘレーネ・クレラー=ミュラーに光が当たる

映画は、ゴッホ作品の収集家でクレラー=ミュラー美術館の創立者ヘレーネ・クレラー=ミュラー(以下「ヘレーネ」)に光を当てていましたが、ゴッホ展でも独立した「章」があるとのことです。映画だと、資金不足で美術館の建築現場が閉鎖された後の話は「結局、公共の美術館にするという条件で規模を縮小して国が建設した」という簡単なもので、モヤモヤが残りました。ゴッホ展ではヘレーネについてどんな展示があるのか、楽しみです。ヘレーネについて、もっと知ることができるのではないかと期待しています。

2 モンドリアンの作品も出品される

映画では、ヘレーネのコレクションについて「ファン・ゴッホのほか、モンドリアン、ピカソ、レジェなど、多数ある」と言っていましたが、ゴッホ展ではモンドリアン《グリッドのあるコンポジション5:菱形、色彩のコンポジション》が出品されるとのことです。「菱形の作品」というのは珍しいですね。他にも、ルノワールやスーラなどの作品が出品されるようです。

3 オランダ時代の素描が多数出品される

映画では、「ファン・ゴッホの手紙」の編集者が、ゴッホについて「彼は2人分の芸術家なんだ。優れた画家で、天才的な素描家でもあった」と言っていたのが印象的でした。ゴッホ展では「素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代」という独立した「章」があります。素描は20点ほど出品されるとのことなので、楽しみです。

4 映画で紹介された作品も多数出品される

特設サイトを見て甦った映画の記憶は、何といっても《レストランの内部》や《夜のプロヴァンスの田舎道》などについて熱く語っていたマルコ・ゴルディン(イタリアで開催された ”Van Gogh – Tra il grano e il Cielo”=「ファン・ゴッホ 小麦と空の間」展のキュレーター)の姿です。「本物が見たい」と、強く思いました。来年になれば、それらの作品が名古屋市美術館に来るのです。今からワクワクします。

最後に

ゴッホ展では《黄色い家(通り)》を始めとしたファン・ゴッホ美術館のコレクションも、4点出品されるとのことなので、こちらも楽しみです。

Ron.

豊田市美術館 「モンドリアン展」 ミニツアー

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豊田市美術館で開催中の「生誕150年記念 モンドリアン展 純粋な絵画を求めて」(以下、「本展」)鑑賞の協力会ミニツアーに参加しました。熱中症警戒アラートが発令されていたことなどから参加者は申し込みを下回り、11名でした。講堂で石田大祐学芸員(以下「石田さん」)の解説を聴いた後、自由観覧・自由解散となりました。豊田市美術館の年間パスポートを持っている会員がいたので年間パスポートを持っていない参加者に「同伴者割引」が適用され、観覧券は団体料金(1400円→1200円)。このことは警備スタッフにも連絡が届いており、開館後速やかに対応できました。豊田市美術館の皆さま、ありがとうございます。

◆石田さんの解説(10:10~50)の要旨(注は、筆者の補足です)

・ハーグ派の風景画

 モンドリアンは、世界で初めて抽象画を描き始めた画家の一人。オランダ中部の地方都市アメスフォルト(アムステルダムの郊外)に生まれています。スライドはシモン・マリスの絵。自転車のハンドルに絵具箱を取り付け、どこでもスケッチできるように改造しています。モンドリアンは自転車で移動してスケッチを行い、アトリエに帰ってから風景画を描くというやり方で「標準的な絵」を描いていました。

 モンドリアンは、叔父のフリッツ・モンドリアンから絵を習いました。作風はバルビゾン派の影響を受けたハーグ派のもので、リアリズムの絵画です。ハーグ派は、小さなコミュニティーの中でよく似た作品を描いています。しかし、モンドリアンの絵は少し変わっていました。スライドは《田舎道と家並み》(1898-99年頃、No.3=注:作品名のNo.は作品リストの番号。以下同じ)。家が画面の上の方に描かれているので、手で画面の上半分を隠して下半分だけにすると、何が描いてあるかよく分かりません。(注:確かに、下半分だけだと抽象画のように見えます)

・点描の風景画

 スライドは《砂丘Ⅲ》(1908、No.34)。オランダの南の保養地(リゾート)ドンブルグで描いた作品です。次のスライドは《ウエストカペレの灯台》(1909、No.37)。ドンブルグにある灯台を描いたものです。その次は《オランダカイウ(カラー);青い花》(1908-09、No.37)。普通、カラーの花は白又はピンクですが、この作品の花は青色。照明を落とした状態で描いたものです。オレンジ色(注:中心の棒状の部分=小さな花が密集したものです)青色(注:花びらに見えるロート状の部分=苞、つまり小型の葉です)は補色関係なので、目がチカチカする描き方です。

 ドンブルグには点描の画家=ヤン・トーロップのコミュニティーがあり、ジョルジュ・スーラもいました。ヤン・トーロップの描いた農夫の絵を見ると、農夫は正面向きで窓の外には教会の高い塔が克明に描かれています。なお、モンドリアンの灯台や教会の絵も、下絵を見ると建物の外壁や窓を克明に描いています。

 この頃、モンドリアンは神智学に熱中しています。神智学はロシア出身のヘレナ・ブラヴァツキーがギリシャ哲学や仏教、バラモン教などの幅広い宗教や思想を参照しながら、宇宙や生命の神秘にたどり着こうとしたもので、オカルトブームの元祖です。ヤン・トーロップやモンドリアンは、神智学の説く崇高な力の象徴として、灯台や教会などの高い塔を描きました。

・キュビスムの風景画

1911年、モンドリアンはピカソやブラックとともにオランダでキュビスム風の展覧会を開催しました。スライドは《色面の楕円コンポジション2》(1914、No.43)。下絵には「KUB」と書かれた看板のある建物が描かれています。そして、この作品の画面右下にも「KUB」という文字が読み取れます。といっても「K」は一部が欠けていますが……。次のスライド《コンポジション 木々2》(1912-13、No.42)は、何を描いたのかよく分からないと思いますが、下絵を見ると二本の樹木を描いたものです。

キュビスムの作品は、人物画や静物画が多いのですが、モンドリアンは街の風景をキュビスムで描いています。「もともと、風景画家だったから」でしょうか。

このスライド《コンポジション(プラスとマイナスのための習作)》(1916頃、No.45)になると、斜めの線が無くなります。建物の正面を描いたものと思われます。

・補色の対比で画面を構成

《色面のコンポジションNo.3》(1917、No.46)は、白地に青・赤・黄の四角形を描いたものです。モンドリアンは、白地と四角形、補色関係の四角形といった対立関係にあるものは混ぜないで描いています。モンドリアンは「それぞれの色は対等であることが必要」と考えて、作品を制作しています。

《格子のコンポジション8-暗色のチェッカー盤コンポジション》は、格子で囲まれた中を青・赤・オレンジで塗り分けたもので、モンドリアンは「特定の何かを描く」ことを避けて制作しています。

 《大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション》(1921、No.51)の黒い線は十字形がつながっているもので、画面を縦横に区切る線ではありません。それぞれの色面は隣の色面とのバランスを考えて色を塗っています。この作品では灰色が重要で、灰色の色面を見つめた後、隣の色面に目を移すと、その色が鮮やかに見えるような仕掛けを施しています。

・デ・ステイル

モンドリアンは、絵画だけでなく音楽や建築など、生活・芸術全般に関心があり、デ・ステイル(様式)というグループを立ち上げます。展示の最後にはデ・ステイルに参加した画家の作品や建築家ヘリット・トーマス・リートフェルトの作品も展示しています。写真撮影可能なエリアもありますので、お楽しみください。(以上で、解説の要約は終了)

◆自由観覧

石田さんの解説を聴いた後、展示室に入ると、日曜日ということで人出が多く、若い人が目立ちました。とはいえ、展示空間が広いので「密」という感じはありません。石田さんから「本展では展示空間を広く取りました」という説明がありました。どの入館者もマスクをして、お互いの距離を空け、静かに鑑賞しているので、安心して作品を楽しむことができます。ただ、「参加者で小さなグループを作り、小声の会話の楽しみながら鑑賞する」という「以前の鑑賞スタイル」ができないことは、少し寂しいですね。

帰り際、1階と2階をつなぐ大階段で、にぎやかに撮影会?をしている若者のグループがいました。

◆愛知県美術館「点描の画家たち」ミニツアー(2014.03.21)の思い出

石田さんの「補色関係」という言葉を聴いて、2014年3月21日開催の愛知県美術館「点描の画家たち」鑑賞の協力会ミニツアーを思い出しました。「点描の画家たち」はクレラー=ミュラー美術館のコレクションによる展覧会で、愛知県美術館・中西学芸員の解説では、オリジナルコンセプトは「点描」「新印象派」ではなく「分割主義」。分割主義は「色を純粋色に分割して並置する」ということであり、明るく鮮やかな色彩とするため「絵の具を混ぜるのではなく、カンバスの上に並べて、網膜上で一つの色と認識させる」というもので「補色の組み合わせで色彩の鮮やかさを強める手法」とのことでした。

展覧会名は英文表示で ”DIVISIONISM FROM VON GOGH AND SEURAT TO MONDRIAN” =「分割主義 ゴッホ スーラからモンドリアンまで」。「分割主義」の原理で制作されたゴッホやフォーヴィズム、モンドリアンの作品までを5部構成で展示していました。そのうち、第4部はベルギーとオランダの画家の作品。初めて目にするものばかりでした。メモによればヤン・トーロップの作品も見たはずなのですが、記憶にございません。第5部がモンドリアンの作品。ハーグ派の風景画、キュビスムの風景画、白地に四角形を配置した作品、グリッドで囲まれたコンポジションの4点が出品され、後半の2作品は「色を純粋色に分割して並置する」という分割主義の方法に従った作品でした。当時のメモには「モンドリアンの作品は額まで一体となっているので、大きな額の中に額に入った絵があって面白い」と書いてあります。本展でも、《大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション》について、ミニツアーの参加者から「大きな額の中に、額に入った絵がある」と指摘され、「なるほど」とその着眼点に感心しました。それは良いのですが、当時のメモに記した発見が、記憶からすっぽりと抜け落ちていたことにガックリした次第です。

     Ron.

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