読書ノート番外編・ヘレーネの功績について

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

◆今回取り上げたDVD、雑誌、ネット記事

A:DVD「ゴッホとヘレーネの森 クレラー=ミュラー美術館の至宝」

B:AERA mook「ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント 完全ガイドブック」

2021.9.30発行

C:「サンエイムック 時空旅人 別冊」孤高の画家 ゴッホ 2021.10.14発行

Ⅾ:美術展ナビ 2021.09.24 【レビュー】「ゴッホ展-響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」

URL: https://artexhibition.jp/topics/news/20210924-AEJ516945/

◆ヘレーネ・クレラー=ミュラーの功績

上記Aでは、冒頭でナビゲーターが次のように語ります。〈ファン・ゴッホは(略)オーヴェル=シュル=オワーズで死ぬ数週間前、教会の絵を描いた。しかし、この絵も本人も、彼の作品と共に忘れ去られるところだった。ところが、1人の女性が現われ、ファン・ゴッホに捧げた。(略)オランダの富豪ヘレーネ・クレラー=ミュラー(以下「ヘレーネ」)は、妻か修道女のようにファン・ゴッホに生涯を捧げた。早くから作品を評価し、保護に尽力している。ファン・ゴッホのために美術館も建てた(略)〉

 映画は、ヘレーネの功績をとても高く評価しています。

◆東京都美術館のゴッホ展では、ヘレーネが収集したゴッホ作品と価格を掲示

 東京都美術館で開催中の「ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(以下「ゴッホ展」)のレビュー記事=上記Ⅾは、ヘレーネについて〈東京都美術館学芸員の大橋菜都子さんは、彼女には評価が高まる前に「収集」を始め、自分が楽しむだけでなく広く「公開」し、さらに美術館開館に尽くして後世にゴッホの作品を「継承」した三つの功績があると話す〉と書き、ヘレーネ・クレラー=ミュラーが収集したゴッホの絵のリストと購入額を示した図の一部を撮影した写真を掲載しています。彼女が収集を始めた1908年の点数と購入金額は3点で4,924ギルダー(6,838,619円)。そのうち《枯れた4本のヒマワリ》が最も高価で4,800ギルダーです。購入金額6,838,619円の大部分は《枯れた4本のヒマワリ》の値段ということですね。億円単位で売買される現在の評価とは比べ物になりませんが、「評価が低かった」といっても、油絵なら670万円近くしているのですから、当時でも、ある程度は評価されていたのです。 

◆「収集」について、名古屋市美術館の森本陽香学芸員がインタヴューに答える

上記Bのインタヴュー記事で、名古屋市美術館の森本陽香学芸員(以下「森本さん」)は、ヘレーネがゴッホ作品を大量に購入したことの意義について、次のように答えています。〈ゴッホは生前はあまり評価されませんが、亡くなった直後からいろんな回顧展が開かれるようになっていました。オランダ、ベルギー、フランスでは特に注目が集まっています。そういうタイミングで、ヘレーネがまとまった数を一気に購入したので、ゴッホ作品の市場価値の上昇という点で、果たした役割は大きかったといわれています〉(p.55)

◆ゴッホ作品の「公開」が、ゴッホの評価を高めた

上記Bは、ゴッホ作品を公開したヘレーネの功績を次のように書いています。〈1927(昭和2)年には、コレクションの中のゴッホ作品がヨーロッパ各地を巡回し、1935(昭和10)年からは、60点のゴッホ作品が海を渡りアメリカのニューヨーク近代美術館(MoMA)で展示されました。このゴッホ展は大変な評判を呼び、アメリカ諸都市を巡回し50万人を動員。ゴッホの世界的な評価は大きく変わりました。このように作品を外国の展覧会のために貸し出すということは、今日では当たり前のことですが、20世紀初頭では、大変珍しいことだったのです。作品への取り扱いも今日ほど徹底されておらず、貸し出しは大きなリスクを伴うものでした〉(p.42)

◆美術館の建設は、多難を極める

美術館の建設について上記Aでは、ナビゲーターが次のように語ります。〈ヘレーネは、複数の建築家に声をかけた。(略)でも、不運が襲う。第一次世界大戦の末期、夫アントンがチリの鉱山で投資に失敗し、クレラー=ミュラー家の財政は悪化。1922年には、資金不足が原因で建築現場が閉鎖された。ヘレーネも意気消沈したけれど、夢は諦めなかった。結局、美術館は規模を縮小して国が建設した。(略)公共の美術館にするとの条件だった。美術館開館の翌年、1939年にヘレーネは亡くなる〉

国が美術館を建設するに至った経緯について、上記Bは、もう少し詳しく〈何度も頓挫しながらも、オランダ政府に掛け合い、美術館建設と引き換えに、夫妻の死後、国家にコレクションが寄贈されることが決定しました。オランダ国家の資金不足もあり予定より小規模な建物になったものの、1938(昭和13)年、ついに美術館が完成〉(p.43)と書いています。

一方、上記Cの記述は〈1935年には、クレラー=ミュラー家が所持していたフェルウェの森の広大な土地をホーヘ・フェルウェ国立公園財団に買い取らせると、さらにはクレラー=ミュラー財団がもつコレクションをオランダ政府に譲渡〉(p.35)というものでした。ここで気になったのは「国は広大な土地をいくらで買ったのか?」です。森林なので地価は低かったと思いますが、総額はいくらだったのでしょう?国相手に、高値で吹っ掛けたとは思えませんが……

◆美術館の展示方法について、森本さんがインタヴューに答える

上記Bのインタヴュー記事で、森本さんは、美術館の展示方法に対するヘレーネの考えについて、次のように答えています。〈まず第一に作品と作品の間隔を十分にとること、第二に作品の高さを見るひとの目線に合わせること。この2点が重要だと言っています。現代の私たちの感覚では、当たり前のことだと感じますけど、見やすく展示するという意識はあまりなかったんです。〉(p.55)

 これは初耳でした。ヘレーネは美術鑑賞に関して高い見識を持っていたのですね。

◆ヘレーネが美術館設立にかけた夢について、森本さんが公開講座で語ります

以上の引用に度々登場する森本さんですが、何と「イーブルなごや」(名古屋市男女平等参画推進センター・女性会館)の公開講座【名古屋市美術館共催】特別展にみる女性たち2021 「ヘレーネ・クレラー=ミュラー 美術館設立にかけた夢」に講師として生出演するそうです。大いに期待できますね。今から楽しみです。

日時は令和4年1月15日(土)14:00~15:30。会場は、イーブルなごや ホール(定員:160人)(名古屋市中区大井町7-25 地下鉄名城線「東別院」下車1番出口から東へ徒歩3分)。「事前申込不要、当日先着順」なので、受付に並んだ順に番号札が渡され、番号札が「160」になった時点で「受付終了」ということでしょう。

詳細はチラシ『 E-9 (e-able-nagoya.jp) 』をご覧ください。

 Ron.

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