新聞を読む 日本経済新聞『美の粋』2021.10.17

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◆「写真の都」名古屋 ― 雑誌と専門店が出現 アマ写真家が台頭

2021年10月17日付日本経済新聞「美の粋」に見覚えのある写真が載っていました。見開き2面にわたる記事には「前衛写真と都市(中)名古屋」という見出しが付き、次のように始まります。

〈戦前の名古屋には、全国でもまれにみる「写真の都」が現出していた――。1920~30年代を中心戦後の70年代まで同地における写真運動をたどる展覧会が名古屋市美術館で開かれたのは2021年2~3月のことだ。およそ半年後の9月下旬、美術館がある中区栄の隣町、大須を訪れた。(略)20年代から30年代の半ばごろにかけて、大須を中心に名古屋市内には写真館が40軒以上、写真の材料を扱う店が60軒以上営業していた(竹葉丈編著「『写真の都』物語 名古屋写真運動史 1991-1972」)(略)36年に創刊されたアマチュア向け写真雑誌「カメラマン」の第3号。表紙に勇ましい言葉が印刷されている。「……名古屋二十萬のカメラマン諸氏の御後援を得て、日に増し、成長して行く……」。(略)「当時の人口160万人ほどに対して20万人はありえない。それでもアマ写真家の旺盛な需要が雑誌の存続を支えたことは間違いない」と竹葉さんは言う〉(引用終り)

 記事を執筆したのは東京編集局文化部の窪田直子・美術記者(2019年4月から論説委員兼務。以下「窪田氏」)です。窪田氏が今年の9月に名古屋を訪れ、名古屋市美術館の竹葉丈学芸員に取材して書いたものだと分かりました。

◆記事が取り上げた名古屋の写真家

窪田氏が取り上げた名古屋の写真家は4人。作品(下郷羊雄は油彩)の図版も掲載されています。なお、以下の説明は窪田氏によるものです。

・後藤敬一郎

ういろうで有名な老舗、青柳総本家の社長を務めつつ、戦後の名古屋で精力的に写真を撮った

・坂田稔(1902~74)

「前衛写真」の中心人物。現在の刈谷市生まれ。20年代半ば、毎日新聞大阪本社に勤務、「浪華写真倶楽部」に加わる。写真材料店を名古屋市内に開き「なごや・ふぉと・ぐるっぺ」を結成。「ナゴヤ・フォトアヴァンガルド」へと発展させる。目の前のあらゆる物象を幾何学的秩序をもってとらえ、批評する写真を「造形写真」と名付けて自らの理想とした

・下郷羊雄(しもざとよしお)

「ナゴヤ・フォトアヴァンガルド」のメンバー。超現実主義の画家。自然の造形に「オブジェ」を見出す着眼は、後に、植物のサボテンをクローズアップで妖しく神秘的に撮影した「メセム属」に結実

・山本悍右(かんすけ、本名・勘助)

「ナゴヤ・フォトアヴァンガルド」のメンバー。詩人で写真家。38年にシュルレアリスム詩誌「夜の噴水」を苦心の末、出版。戦後まもない時期に後藤らと写真家集団「VIVI社」を結成、日本を代表するシュルレアリスム作家となる

◆異なる理想 アバンギャルドを二分

30年代末以降、シュルレアリスム的表現を追求しつづける山本らと、坂田との考え方の相違が次第に深まって行き、記事は次のように終わります。

〈「写真による革新と民族主義の交合」を説く坂田の方針に山本らが納得できず、かつてのナゴヤ・フォトアヴァンガルドのメンバーは袂を分かつ。坂田と山本の作品は時流に対する思想の違いをありありと見せつつも、重苦しい時代に写真表現の意味を考え続けた真摯な態度を醸し出している〉(引用終り)

◆最後に

今回取り上げた記事は、本年2月~3月に名古屋市美術館で開催された「『写真の都』物語 名古屋写真運動史 1991-1972」のうち、前衛写真に関連するものです。「ベテランの美術記者は、分かりやすくコンパクトにまとめるものだ」と感心したので、ご紹介いたしました。

 Ron.

展覧会見てある記「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」豊橋市美術博物館

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豊橋市美術博物館で開催中の「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」(以下「本展」)を見てきました。月岡芳年(以下「芳年」)の作品を見るのは約二年半ぶり。2019年の協力会ミニツアー=名古屋市博物館「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」以来です。

ミニツアーでは、名古屋市博物館の神谷浩副館長(現・徳川美術館副館長兼学芸部長、以下「神谷さん」)が「最後の浮世絵師で最初の近代日本画家」と芳年を評していましたが、本展第四章の《演劇改良 吉野拾遺 四條縄手楠正行討死之図》(1886)を見て「神谷さんの指摘どおり」だと思いました。顔は浮世絵風ですが、ポーズや背景の描き方は近代日本画を思わせます。芳年の門からは水野年方、鏑木清方(水野年方の弟子)が出ており、「新版画」の伊東深水、川瀬巴水は鏑木清方の弟子。まさに、近代日本画の源流の一つです。

本展では浮世絵だけでなく肉筆画、画稿などの芳年の作品260点余が、ところ狭しと並んでいます。芳年のデビューから晩年までを見通すことができる贅沢な展覧会でした。

第一章 国芳ゆずりのスペクタクル、江戸のケレン  嘉永6年~慶応元年(1853~65)

 展示室を入った所に、芳年の没後に出された追善絵《大蘇芳年像 金木年景画》(1892)が掲げられ、15歳のデビュー作、三枚続《文治元年平家の一門亡海中落入る図》(1853)に続きます。国芳ゆずりの武者絵が多く、役者絵などもあります。《正札附俳優手遊》(1861)や《狂画将棋尽》(1859)などは、国芳ゆずりのユーモアに満ちた作品でした。

第二章 葛藤するリアリズム  慶応2年~明治5年(1866~72)

 幕末から明治初期にかけての作品。武者絵だけでなく、錦の御旗を掲げて朝廷の行列が行進する《東海道名所図会 鞠子 名物とろろ汁》(1868)や函館戦争を描く《諸国武者八景 函館港》(1872)、鉄道開通を描く《東京名勝高輪 蒸気車鉄道之全図》(1871)など、次代を切り取った作品も展示されています。

・ 血みどろ絵 

 入口を布で仕切った奥の部屋には、歌舞伎や講談を元にした、兄弟子の落合芳幾との共作《英名二十八衆句》(1866-67)のほか、戊辰戦争に取材した《魁題百撰相》シリーズ等、「血みどろ絵」が一堂に会しています。刺激が強い作品ばかりなので「見ると気持ちが悪くなる作品もあります」という旨の注意書きが貼ってありました。

 歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」を元にした《英名二十八衆句 福岡貢》(1867)には様式美を感じました。《魁題百撰相 会津黄門景勝》(1868)は表向き、徳川家康による1600年の会津攻めが題材ですが、戊辰戦争の会津をダブらせていました。

第三章 転生・降臨-“大蘇”蘇りの時代  明治6年~明治14年(1873~81)

 解説によれば、明治の初め、取り巻く環境が劇的に変化。浮世絵の売れ行きも落ち、芳年は強度の神経衰弱に陥りますが、明治6年には立ち直り、画号を“大蘇芳年”に変えて意欲的に作品を制作するようになったとのことです。

 歴史画が目立ちますが、なかでも弁慶と義経の出会いを描いた三枚続《義経記五條橋之図》(1881)はダイナミックな構図の作品でした。義経が体を鞠のように丸めて右に跳び、対する弁慶は、画面左で上半身を90度に前傾して右に捻って踏ん張り、義経が投げた扇を薙刀の柄で受けとめています。迫力のある作品で、大きく引き伸ばしたものが美術館の玄関先に置かれ、入場者を出迎えていました。

 明治10年に起きた西南戦争を描いた作品や大正天皇の生母(柳原白蓮の叔母)を描いた《美人百陽華 正五位柳原愛子》(1878)なども出品されています。

第四章 “静”と“動”のドラマ  明治15年~明治25年(1882~92)

 盗賊の袴垂が衣を奪おうとしたが恐ろしくて手が出なかったという説話を描いた《藤原保昌月下弄笛図》(1883)や能の『隅田川』に由来する《東名所墨田川梅若之古事》(1883)、明治政府より発禁処分となった、縦長の二枚続《奥州安達がはらひとつ家の図》(1885)の外、「月百姿(つきひゃくし)」シリーズやユーモラスな「風俗三十二相」シリーズなどが出品され、まさに「全盛期の芳年」を鑑賞することができました。

 なかでも《月百姿 信仰の三日月幸盛》(1886)は、デフォルメすると2014年の名古屋市美術館「マインドフルネス展」で見た山口晃の《五武人圖》(2003)になるな、と感じる作品です。《風俗三十二相 かゆさう 嘉永年間 かこゐものの風ぞく》(1888)は、艶めかしく、《風俗三十二相 遊歩がしたさう 明治年間 妻君之風俗》(1888)は、浮世絵としては珍しい洋装の美女でした。

 いずれも三枚続の《弁慶 九代目市川団十郎》(1890)や《雪月花の内 花 御所五郎蔵 市川左団次》(1890)などの役者絵は「近代的、装飾的でスマートな写楽」という雰囲気があり、しばらく見入ってしまいました。

別 章 肉筆画・下図類など

 浮世絵だけでなく《富士山》(1885)、《鍾馗》(1890)などの肉筆画もあります。《西洋婦人》は、藤田嗣治の素描を思わせます。芳年の筆運びがはっきりと分かる素描や画稿を見て「筆でこれだけ描けるのか」と、芳年の画力に感心しました。

コレクション展

 美術館2階では、コレクション展(入場無料)も開催。注目したのは「芳年が描いた東海道」と「野田弘志」「草土社の作家たち」の三つ。写実作家・野田弘志の作品は着物の女性を正面から描いた《きもの》(1974)やリトグラフの《女》(1987)など、展示室の作品のほかに「テーマ展示コーナー」にも3点、貝殻、骨などを配した「TOKIJIKU(非時)」の連作が展示されていました。「草土社の作家たち」では、2020年の名古屋市美術館「岸田劉生展」以来、約一年半ぶりに岸田劉生《高須光治君之像》(1915)を見ることができました。椿貞雄《砂利の敷いてある道》(1916)は劉生の影響を感じました。

 コレクション展も、お見逃しなく。

◆最後に

本展で、浮世絵は明治になっても人気があったということを知りました。赤や青の発色は明治時代のほうが鮮やかです。三枚続の大画面が多く、とても楽しめる展覧会です。

Ron.

名古屋市博物館「ムーミンコミックス展」ミニツアー(予習のすすめ)

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名古屋市美術館協力会からミニツアーの通知が届きました。見学先は名古屋市博物館「ムーミンコミックス展」(以下「本展」)、期日は10月31日(日)。当日は、今年3月まで名古屋市美術館にいらっしゃった清家学芸員による解説の後、自由観覧・解散とのことです。ミニツアーまで時間的余裕があるので今から予習しておくと、より理解が深まると思います。本展では「ムーミン公式サイト」(以下「公式サイト」)(ムーミン公式サイト – Moomin Characters Official Website)が強力な情報源です。「ムーミンコミックス展」の外、「トーベ・ヤンソンについて」「ムーミンの歴史」「TOVE」など、色々なコーナーがあります。一度、チェックしてみましょう。

◆トーベ・ヤンソンについて(トーベ・ヤンソンについて – ムーミン公式サイト (moomin.co.jp)) 

 「ムーミンコミックス」が果たした役割について書いているのは「トーベ・ヤンソンについて」中の「イギリスへ、そして世界へ」という章です。冒頭に「MOOMIN」と書いた看板を天井に着けた車両がずらりと並んでいる写真が掲載され、「ムーミンコミックスの連載開始を伝える『イブニングニュース』の宣伝車」というキャプションが添えられています。

本文には〈1954年に始まった、当時世界最大の発行部数を誇ったロンドンの夕刊紙 「イブニングニュース」での漫画連載が、ムーミンの人気を決定づけました。イギリスにとどまらず、その年のうちに早くもスウェーデン、デンマーク、そして母国フィンランドの新聞に、さらに最盛期には40カ国、120紙に転載されたほどでした〉と書かれています。

宣伝車の写真を見れば、ムーミンコミックスの連載に対する「イブニングニュース」紙の期待の高さが一目瞭然です。また、ムーミンコミックスは、期待に十分応えたということでもあります。

弟のラルス・ヤンソンにムーミンコミックスの連載を任せた後の、トーベ・ヤンソンの活躍についても書いてあります。本展の解説を補完するためにも、今から読んでおきたい情報です。

◆キャラクター(キャラクター – ムーミン公式サイト (moomin.co.jp)) 

本展の冒頭に、キャラクター設定のドローイングが出品されていますが、スウェーデン語で書いてあるので名前がよく分かりません。公式サイトの「キャラクター」をチェックすると日本語表記や設定などの情報が示されています。奇妙な生き物「ニョロニョロ (Hattifatteners)」についても詳しい説明があるので、「ムーミンコミックス展」を見て、びっくりすることはないでしょう。

◆映画「TOVE」(映画『TOVE/トーベ』をもっと楽しむために – ムーミン公式サイト (moomin.co.jp)) 

上記の「トーベ・ヤンソンについて」だと、30代の初めからムーミンコミックスの連載を始めるまでの経緯については、簡単な記載しかありません。30代から40代初めのトーベ・ヤンソンについて知るには、映画「TOVE/トーベ」を見るのが一番ですが、公式サイトのブログも参考になります。画像がふんだんに載っているので、映画を見たような気分も味わえます。

◆TVアニメ「ムーミン谷のなかまたち」(TVアニメ「ムーミン谷のなかまたち」地上波(Eテレ)での放送が決定! | ムーミン谷のなかまたち | アニメ公式サイト (moomin.co.jp)) 

 公式サイトには、フィンランドとイギリスの共同制作によるフルCGアニメーション「ムーミン谷のなかまたち」(2019年4月にNHKのBS4Kで放送)が、2021年11月6日(土)午後10時30分からNHK・Eテレで放送開始決定、というニュースも載っていました。

Ron.

若冲と蕪村、秋のツアー箱根2016を振り返ってみる

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澤田瞳子著「若冲」のブログ原稿を書いて、名古屋市美術館協力会秋のツアー(2016.09.24~25)で岡田美術館の「生誕300年を祝う 若冲と蕪村 - 江戸時代の画家たち」展(以下「展覧会」)を見ていた、と思い出しました。ただ、展覧会では極彩色の《孔雀鳳凰図》(岡田美術館蔵、東京都美術館「若冲展」に出品)の記憶だけが鮮明で、若冲の水墨画や蕪村の作品の記憶は靄に包まれています。5年ぶりに図録を開くと、静嘉堂文庫美術館長の河野元昭氏(以下「河野氏」)、岡田美術館館長の小林忠氏(以下「小林氏」)と同館副館長の寺元晴一郎氏(以下「寺元氏」)の鼎談が掲載されているではありませんか。以下は、鼎談の抜き書きです。

なお、若冲と蕪村は、どちらも1716年生まれなので、2016年は生誕300年にあたります。ただし、若冲の没年は1800年(85歳)。一方、蕪村は1783年(68歳)。蕪村は、天明の大火よりも前に死去しています。

○ 若冲の評判と蕪村の評判

鼎談の冒頭で、小林氏が「ちょっと前までは蕪村のほうが有名でしたよね」と水を向けると、河野氏が「この展覧会も(略)すこし前なら「蕪村と若冲」と、蕪村のほうが先に出て来たんじゃないかなあと思います」と受けていました。小林氏が「美術市場でも、ちょっと前までは蕪村のほうが上でした?」と聞くと、寺元氏が「上でしたね」と答えています。澤田瞳子が「若冲」で蕪村を無視しなかった理由が分かります。

○ 若冲の水墨画

小林氏が「若冲は、墨絵に対する評価をいただけると嬉しいですね」と話すと、寺元氏が「《動植綵絵》でこういう風な極彩色の、緊張感を崩さない描き方をする人が、水墨になってくると肩の力を抜いてユーモアたっぷりで、その両面を感じますよね。逆に言ったら、同じ人が描いたのかとつい思っちゃうんですよね。墨になってくると」と返していました。確かに、晩年の《三十六歌仙図屏風》(1779)は、ユーモアたっぷりです。

○ 与謝蕪村という画家の魅力

小林氏が「蕪村について、どういう印象をおもちですか」と聞くと、河野氏が「蕪村というと必ず池大雅(1723~76)ということになりますね。当時の文人画の双璧です。トップツーですよね。それで昔から蕪村好きと大雅好きがいて、よく論争のようなものがあったんです」と答えていました。澤田瞳子「若冲」の中で「蕪村は大雅を嫌っている」と書いたのも「蕪村好きと大雅好きとの論争」が反映されているのでしょうか。

河野氏は更に「蕪村でよく知られているのは、三大横物と呼ばれる「富岳列松図」(重要文化財、愛知県美術館蔵(木村定三コレクション))、「峨嵋露頂図巻」(重要文化財、個人蔵)、「夜色楼台図」(国宝、個人蔵)でしょう。みんな微光感覚の傑作ですよ。微妙な光に満ちている絵だと思うんです。大雅の陽光も本当に素晴らしいと思います。だけれども、私自身がちょっとウエットな人間でしょ。だからやっぱりどうしても、蕪村の方に惹かれちゃうんですよ」と続けています。なお、名古屋市博物館「大雅と蕪村」のチラシには「富岳列松図」の展示期間は2021.12.14~2022.01.16、「夜色楼台図」の展示期間は2022.01.18~01.30と書いてあります。

○ 大雅と蕪村

大雅と蕪村について、河野氏は「田能村竹山(1777~1835)に「正譎論(せいけつろん)」という有名な比較論があって、「大雅は正にして譎ならず、蕪村は譎にして正ならず」と述べている。竹田の有名な画論『山中人饒舌』に書いてあるんだけど」と話すと、小林氏が「儒学者の荻生徂徠(1666~1728)がおもしろいこと言ってるんだよね(略)「譎」はね、奇襲戦法だって言うんだよね。(略)いろんな方面からアタックする。(略)竹田が何を言おうとしたのか。決して非難しているわけじゃないんだよね。大雅のほうはまっとうな南宗画に迫ろうとしているけど、蕪村は奇襲戦法で、奇襲の一つにはその俳画もあるって」と補足していました。

○ 若冲と蕪村の墨絵には、区別がつかないほど似ているものがある

若冲と蕪村の交流について、寺元氏は「若冲も最初の頃は中国の水墨じゃないですけど、そういうものを描いてますよね。で、蕪村もそうですよね。(略)でも合作みたいなものとか、交流というものはぜんぜん見られないんですね」と話します。小林氏は、2015年にサントリー美術館で開催された「若冲と蕪村」展について「墨絵など区別つかないような印象をずいぶん受けましたね。若者たちは若冲を見たいってんで、キャプションを見ては若冲だから見てる。蕪村だとほとんど通過しちゃった。そういう光景を見ましたけど、非常によく似ている。辻惟雄さんも内覧会の挨拶では『私が見ても区別がつかないような墨絵がある』なんてね。やっぱり同時代的な、同じ年、同じ土地で活躍した二人には似たような点が探せますね」としていました。寺元氏も「絵具だとか顔料だとか、道具屋さんに出入りするわけですよね。ですからどこかで会ったり、ご挨拶したりということぐらいは、あってもおかしくないような気がします」と、二人の交流を完全には否定しませんでした。澤田瞳子が「若冲」で蕪村と若冲が出会う場面を書いたのも納得です。何としても二人の交流を書きたかったんですね。

    Ron.

読書ノート 「若冲」澤田瞳子 株式会社文芸春秋 2015.04.25 第1刷

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◆ 小説家デビュー後、第五作目の作品。直木賞候補となり、翌年には親鸞賞を受賞

作者は「星落ちて、なお」で直木賞を受賞しますが、本作は、その6年前に直木賞候補となった作品。作者は「星落ちて、なお」の受賞インタヴューに「絵師そのものについては『若冲』で描き切ったと考えている」と答えているので、本作は「渾身の作」の一つといえるでしょう。直木賞の受賞は逃しましたが、親鸞賞を受賞しています。

◆ フィクションと事実を取り混ぜたエンタテイメント作品

若冲に寄り添い、狂言回しのような役割を果す妹や「若冲の暗黒面」とも言うべき義弟など、架空の人物が登場してびっくりしますが、事実の部分はしっかりと押さえているので「大河ドラマと同じエンタテイメント作品」と割り切れば、ハラハラ・ドキドキや、涙があふれる場面を楽しむことができます。

特に、若冲が町年寄「桝屋茂右衛門」として画業を封印し、高倉市塲の営業差し止めを回避する「つくも神」は「半沢直樹」を見ているような感じです。ちくまプリマー新書「伊藤若冲」にも載っている話ですが、小説だと人物が生き生きと描かれていて面白い、と思いました。

◆ 池大雅や与謝蕪村なども登場

表紙カバーには「本書に登場した画人たち」として若冲のほか、池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭の名が挙がっています。画人の中では若冲の朋友・池大雅の天真爛漫ぶりと池大雅に対しライバル心をむき出しにする与謝蕪村が印象に残りました。

なかでも「雨月」の半分は、与謝蕪村を描いた話です。若冲とは交流がなかったとされる蕪村ですが、蕪村が若冲の画室を訪れて身の上話をする場面は、読んでいて涙が出ました。作者も小説の表舞台に出て来て、大雅と蕪村が共作した国宝《十便十宜図》について説明しています。「何としても与謝蕪村について書きたかったのだろうな」と思いました。

◆ それぞれの話に、主題となる絵がある

本作は「鳴鶴」から「日隠れ」まで、八つの話で構成されていますが、「鳴鶴」には《鳴鶴図》、「日隠れ」には《石灯籠図屏風》と、それぞれの話に主題となる絵があります。私は、ちくまプリマー新書「伊藤若冲」を時々眺めながら、読みました。特に「鳥獣楽土」は《樹花鳥獣図屏風》《鳥獣花木図屏風》の成立について小説らしい大胆な推理を加えています。読み応えがありました。

◆ 年末には、名古屋市博物館で「大雅と蕪村」が始まる(2021.12.4~2022.1.30)

展覧会のチラシを見ると、「若冲」で作者が取り上げた国宝《十便十宜図》(川端康成記念館蔵)が出品されるとのことです。楽しみですね。

 Ron.

展覧会見てある記 名古屋市博物館「ムーミンコミックス展」

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撮影コーナーの様子

名古屋市博物館の「ムーミンコミックス展」を見てきました。「ムーミン」といっても、子ども向けアニメではなく、イギリスの夕刊紙に連載された大人向けマンガです。前半は、トーベ・ヤンソン(Tove・Jansson:1914-2001、以下「トーベ」)と弟ラルス・ヤンソン(Lars・Jansson:1926-2000、以下「ラルス」)との共作(1954-1959)による作品が、後半は、ラルスが連載を引き継いだ後、単独で制作(1960-1975)した作品が並んでいます。

◆前半 

 展示しているのは、キャラクターを設定するためのドローイング、連載マンガの鉛筆スケッチ(下書き)、新聞に掲載された印刷見本です。さらに、作品表示の横には、日本語版コミックスの断片が貼ってありました。日本の新聞連載マンガは見開き2面の左上。縦方向に4コマ並んでいますが、イギリスの夕刊紙では見開き2面の右下。横方向に4コマ並びます。4コマといっても、トーベはストーリーに応じて、4コマ分を3つに割ったり2つに割ったりしていました。

ムーミンコミックスは日本の新聞連載マンガと違い、ストーリー・マンガです。一枚のスケッチが3日分、スケッチ全体では相当の枚数になります。絵は、もちろんトーベが描いています。セリフなどはトーベがスウェーデン語で書き(トーベは、国民の5.5%を占める、スウェーデン語を母語とするフィンランド人)、ラルフは英語訳をコマの下・欄外に書き足していました。

トーベが40歳を過ぎてからの作品ですから、絵は上手。大人向けマンガなので社会風刺が効いて面白いです。「自分はマイノリティー」という、トーベの意識も反映されていると思います。

◆後半 

ムーミンブームが到来してトーベが多忙になると、コミックはラルフが引き継ぎます。後半では、ストーリーのあらすじと印刷見本が展示され、一話ごとに、ストーリーの全体を眺めることができます。印刷見本は英語ですが、最初に「あらすじ」の掲示があり、分かりにくい所には日本語訳も書いてあるので、ストーリーは十分把握できます。第71話「ムーミンたちの戦争と平和」など、ラルフの作品はトーベ以上に社会風刺が効いていました。

◆記念撮影コーナーと記念グッズ売り場

展示室内は撮影禁止ですが、最後に記念撮影コーナーがあり、撮影の順番を待つ来場者の列ができることもあります。記念グッズ売り場も人気があります。レジには大勢の人が並んでいました。

◆名古屋市美術館「フランソワ・ポンポン展」とのコラボ企画があります

観覧券売り場で、名古屋市美術館で開催中の「フランソワ・ポンポン展」の観覧券(半券でも可)を提示すると100円引き(一般1300円→1200円)になります。また、「ツルツル?モフモフ?クイズラリー」も実施中。博物館、美術館の二館を巡り、それぞれの館で出題されているクイズの答えの両方を一枚の応募用紙に記入した上で、会場の応募箱に投函すると、抽選で賞品がプレゼントされます。ただし、応募期間は10月24日までです。お忘れの無いように。

◆最後に

小さな画面が多いので、4倍の拡大鏡のお世話になりました。4倍ぐらいだと、一コマ全体が視野に入るので快適に鑑賞することができます。拡大鏡をお持ちの方は、是非ご持参ください。

Ron.

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