展覧会見てある記 瀬戸市美術館「池袋モンパルナス展」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

瀬戸市美術館で開催中の「池袋モンパルナス ―画家たちの交差点―」(以下「本展」)ですが、会期末(11月14日)が迫ったので慌てて見てきました。名鉄瀬戸線の終点・尾張瀬戸駅の改札口を出ると、左に大きな交差点があります。道路の案内標識によれば、矢印の方向に0.8km進むと美術館に到着とのこと。「10分ほどの行程か」と思い、交差点を渡って歩き始めたのですが、坂道の勾配がきついので、足を大きく持ち上げないと前進できません。息を切らせながら15分近くかけて、ようやく到着できました。

美術館は南公園の中。建物は緑に囲まれています。玄関を入ると、壁に大きく引き伸ばされた「長崎アトリエ村模型」(注:長崎は東京都豊島区の地名)の写真が貼られ、撮影スポットになっていました。

アトリエ村再現

◆ 池袋モンパルナスとは?

 本展のチラシは「池袋モンパルナス」について、次のように書いています。

〈1920年代以降、池袋界隈には芸術家向けの安価なアトリエ付き住宅が建ち並び、そこには日本各地から上京した芸術家たちが集い、いくつかの「アトリエ村」と呼ばれる一画が形成されていきました。この地域では、芸術家同士の交流も盛んで、新たなアートシーンを生み出しました。その様子は、パリの芸術家の街になぞらえて「池袋モンパルナス」と呼ばれています〉(引用終り)

 ロビーに置いてあった1941年頃の「池袋モンパルナス」のマップを見ると、アトリエ村の住居は「外光を取り入れる北向きの天窓と作品を出し入れする大きな窓や細長い扉が特徴」で「池袋モンパルナス」の区域には、熊谷守一、北川民次、麻生三郎、山下菊二、靉光らが住んだとのことです。本展には「仙人」と呼ばれた画家・熊谷守一や、たびたびアトリエ村に立ち寄った長谷川利行の作品も出品されています。

◆ 第1章 池袋モンパルナスと小熊秀雄(1階)

 小熊秀雄(おぐまひでお)は北海道出身の詩人・画家。12歳年下の隣人・寺田政明(俳優・寺田農の父)から絵の手ほどきを受け「池袋モンパルナス」の名付け親になります。展示室の入口には、作品リスト、作家解説と並んで「池袋モンパルナス」の由来となった小熊秀雄の詩(『サンデー毎日』第17年 第37号1938年に掲載)を印刷した紙が置いてあります。詩の内容は、次のとおりです。( / は、行替え)

 池袋モンパルナスに夜が来た/学生、無頼漢、芸術家が街に/出る/彼女のために、神経をつかへ/

 あまり太くもなく、細くもない/ありあはせの神経を―――。(引用終り)

第1章に展示されているのは、2点の油彩《夕陽の立教大学》(1935)と《すみれ》(1930年代)及び素描9点です。《夕陽の立教大学》は、空や建物だけでなく、道路まで真っ赤。強烈な印象を与える作品です。素描にも、立教大学を描いたものがありました。近所なので、何度も通ってスケッチしたのでしょう。

◆ 第2章 画家たちが描いた肖像画・風景画(1階)

 本展チラシにも使われている、赤色で陰影を描いた麻生三郎《自画像》(1934)は、こちらを見つめる目に引き込まれそうなります。長谷川利行《靉光像》(1928)は、2018年に碧南市藤井達吉現代美術館で開催された「長谷川利行展」(以下「利行展」)で出会った作品だと、直ぐ分かりました。吉井忠《長谷川利行》(1968)には「新明町車庫近く市電内で」という文字。長谷川利行と池袋モンパルナスの画家との交流を物語る作品だと感じました。

肖像画の次は、風景画の部屋です。アトリエ村の一つ「さくらが丘パルテノン」を描いた斎藤求《パルテノンへの道》(1971)や田中佐一郎《建物のある風景》(1935年頃)など、戦前のアトリエ村を描いた作品が多い中、春日部たすく《池袋駅池前豊島師範通り》(1928)は、東京府豊島師範学校(現東京学芸大学の前身校の一つ)の正面を描いた作品です。鶴田吾郎《池袋への道》(1946)は、焼け跡の風景。建物はわずかしか残っていません。絵を見て「池袋モンパルナスの画家たちが住むアトリエの多くも戦災で焼失したのだろう」と思いました。カラフルな榑松正利《アトリエ村》(1960)は、心象風景でしょうね。

◆ 第3章 池袋モンパルナスの画家たち(1階)

 最初に展示されているのは、長谷川利行の作品3点と里見勝蔵《職工》(1917)。長谷川利行の作品のうち《水泳場》(1932)は、利行展で見て画面右上のダイビングする人物にびっくりした記憶があります。残念ながら、《四人裸婦》(1935)と《支那之白服》(1939)は、記憶にありません。《職工》はフォーヴィスム風で、モディリアーニ風にも見える作品でした。

 上記以外の作品は、画家の団体ごとにまとめて展示していました。

・池袋美術家クラブの結成

池袋美術家クラブは、池袋モンパルナスに集った画家たちで結成された団体です。田中佐一郎《黄衣の少女》(1931)は、シャガール風の作品。竹中三郎《裸婦》(1934)は、ピカソを想起させます。難波田龍起(なんばだ・たつおき)の作品3点は、いずれもシュールレアリスム風、寺田政明《夜(眠れる丘)》(1938)は、マックス・エルンストみたいで、桑原実《雲湧く山》(1938)はドイツ表現主義のようでした。

1階の展示は、この作品まで。次の作品は、2階に展示されていました。

◆ 第3章 池袋モンパルナスの画家たち(つづき:2階)

・様々な団体の作家たち

灰色の背景の中で裸の父親が立ち、子どもを背中におんぶしている姿を描いていた福沢一郎《父と子》(1937)やバイオリン・ベース・ピアノの三重奏を描いた井上長三郎《トリオ》(1943)など、シュールレアリスムの作品が並んでいます。アンリ・ルソーを思わせる榑松正利《夢》(1940)も出品されていました。

・新人画会

新人画会は、松本俊介の自宅を事務所とした団体です。松本俊介《鉄橋近く》(1943)は、鉛筆、木炭、墨で描いた風景。同《りんご》(1944)は、リンゴを持つ子どもを描いた可愛い作品です。寺田政明《たけのこ》(1943)は、彫刻のような雰囲気を持つ作品でした。

・戦後の池袋モンパルナス

第3章の最後は、戦後も池袋モンパルナスに集って制作を続けた作家の作品です。大塚睦、入江比呂、山下菊二、高山良策、桂川寛の5人の作品が展示されていました。いずれも、社会問題に対する批判を込めたものです。

◆ 第4章 池袋モンパルナスと瀬戸市美術館ゆかりの画家(2階)

 最後の章では、瀬戸市美術館ゆかり画家・北川民次の作品を展示していました。なかでも、瀬戸市図書館陶壁の原画《知恵の勝利》、《無知と英知》、《勉学》(全て1970)の3点は、オロスコ、リベラ、シケイロスらのメキシコ壁画運動の流れを汲むものです。バッタの絵柄の磁器や陶器も出品。解説には「バッタは個体では弱くても、特定の目的を持って集団になると、その全体は凶暴なものとなる」と書いてありました。

◆ 最後に

出品点数は107点。瀬戸市美術館の4つの展示室を全て使用する展覧会です。数多の作家の作品を鑑賞することができました。「池袋モンパルナス」のことは全く知らなかったのですが、本展で様々な知識が得られました。なお、本展の観覧料は大人500円ですが、65歳以上の高齢者は無料です。

Ron.

◆ おまけ:愛知県美術館「2021年度第2期コレクション展」でも「池袋モンパルナス」に出会えました

愛知県美術館で開催中の「2021年度第2期コレクション展」を見たら、展示室5に松本俊介《ニコライ堂》(1941)、熊谷守一《麥畑》(1939)、長谷川利行《霊岸島の倉庫》(1937)の3点が、横一列に展示されていました。なかでも《ニコライ堂》は「池袋モンパルナス展」に展示の《鉄橋近く》に似たモノクロームの風景画で、《霊岸島の倉庫》は利行展で見た記憶のある作品でした。

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