展覧会見てある記「マリー・ローランサンとモード」

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

2023.06.30 投稿

名古屋市美術館で開幕したばかりの「マリー・ローランサンとモード」(以下「本展」)。2023.06.25(日)17:00~18:30に開催された協力会向け解説会(以下「解説会」)に参加しましたので、その概要とともに、本展の感想などを<補足>として書き足しました。

解説会の講師は、勝田琴絵学芸員(以下「勝田さん」)。今回の解説会は、4年ぶりにギャラリートーク(講堂ではなく、展示室で行う解説)となりました。久しぶりの「目の前に作品がある」解説会なので、参加者はもちろんのこと、勝田さんも気分が高まったようで、予定の1時間を越え、1時間半近くの解説会となりました。

◆本展の成り立ち等について(エントランスホールにて)

勝田さんによれば、本展は企画会社が持ち込んだもの。マリー・ローランサンの作品については、名古屋市美術館の深谷参与が担当。シャネルのドレスなど「モード」に関しては他の企画者が担当という分業制で、展覧会全体の構成については名古屋市美術館が中心になって担当、とのことでした。

◆Ⅰ レザネ・フォルのパリ (Paris of Les Années folles)

勝田さんによれば、第1章では「狂騒の時代=レザネ・フォル : Les Années folles」と呼ばれた1920年代のマリー・ローランサン(以下「ローランサン」)とガブリエル・シャネル(以下「シャネル」)の活躍を示す作品、写真などを展示。当時、社交界の女性たちや前衛画家を庇護する女性たちのステイタスは、①ローランサンに肖像画を描いてもらうこと、②シャネルの服を着て、マン・レイに写真を撮ってもらうこと、の二つだったそうです。

〇《わたしの肖像》(1924)(注:特に説明の無い作品は、ローランサンが描いたもの。以下、同じ)

ローランサンが自信をもって描いた自画像。彼女は短髪で、モダンガールのような装い、との解説でした。

〇《マドモアゼル・シャネルの肖像》(1923)

シャネルがローランサンに依頼した肖像画。しかし、シャネルは気に入らず、ローランサンに描き直しを要求。シャネルは女性の社会進出を推し進めていたので、このように装飾的な肖像画は不満だったと思われます。一方、ローランサンは描き直しを拒否。シャネルを「田舎者」と見下していたのでしょう。シャネルも対抗して作品の買い取りを拒否。物別れとなり、現在、オランジェリー美術館が作品を所蔵している、との解説でした。

<補足>

 この作品は、特製の枠に囲まれています。ローランサンが描いたシャネル、本展の主役二人に関係する作品ですから、特別扱いも納得。「本展を象徴する作品」という感じがします。

シャネルについて知るため、YouTubeの「シャネル ファッション・デザイナーへの道」という動画(以下「YouTube」 URLは、下記(*)に記載) を見ると、シャネルがネクタイを締め、男物のシャツと乗馬ズボンをはいた姿を撮影した写真が出てきました。* URL : https://www.youtube.com/watch?v=Z49X-pjFR64

『もっと知りたい シャネルと20世紀モード』 朝倉三枝 著 発行所 株式会社東京美術 2022.10.25発行(以下『シャネルと20世紀モード』)p.7にも、同じ写真が載っています。シャネルを象徴する写真ですね。

YouTubeでは、シャネルを主人公にした映画の「シャネルが男用の乗馬姿に着替える」という場面も紹介。シャネルは、当時の女性の装飾過剰なファッションを嫌い、機能的な男性の服装が気に入っていたようですね。YouTubeは更に、上流社会の社交場であった競馬場にシャネルが男物のコートを着て行った時の写真も紹介しています。肖像画も男性的な服装なら、シャネルからOKが出たかもしれませんが、当時の常識を外れた肖像画では、ローランサンの方が描くことを拒否したでしょう。(写真撮影の年代は不明ですが、肖像画の制作と年代が離れているのは確か。なので、的外れの想像になるかも)

〇《テティエンヌ・ド・ボーモン伯爵夫人の空想的肖像画》(1928)

本人の子どもの頃を想像して描いた大型の肖像画。隣には、この作品の前に座った夫人の写真も展示。ローランサンは、夫のボーモン伯爵が開催した夜会「ソワレ・ド・パリ」のポスターも描いた、との解説でした。

〇映像 マン・レイ《シャネルの服を着た社交界の女性たち》

マン・レイに写真を撮ってもらうことは、社交界の女性のステイタス。「今回は時間がないので、次の機会にじっくりご覧ください」との解説でした。

<補足>

 上映されているポートレイトは、1924年~1930年に撮影されたもの。100年近く前の写真なので、写っているのは知らない人ばかりですが、princess(王女)、duchess(公爵夫人)という肩書や本人の容姿、装身具から推察すると、身分の高い人やお金持ち、女優などと思われます。パールのロングネックレスを着けたシャネルもモデルになっています。次回は勝田さんのアドバイスに従って、じっくりと見たい映像です。

◆Ⅱ 越境するアート (Cross-border Art)

〇《牝鹿と二人の女性》(1923)/ 限定書籍『セルゲイ・ディアギレフ劇場「牝鹿」』1,2巻(1924)

勝田さんによれば、ローランサンは作曲家・プーランクの推薦で、セルゲイ・ディアギレフが率いるロシア・バレエのバレエ団=バレエ・リュスの「牝鹿」の衣装と舞台装置のデザインを手掛けたとのこと。バレエの振り付けは、舞踊家ニジンスキーの妹ニジンスカヤ。衣装については、ローランサンのデザイン画が分かりにくかったため作り直しが多く、制作現場は大混乱だった、との解説でした。

〇映像 NBAバレエ団「牝鹿」の日本公演(2009)

勝田さんによれば、ピンクの羽飾りの帽子を被り、ピンクの衣装を着た乙女たちが踊っているところに、美青年が来て乙女たちを誘うが、乙女たちは見向きもしない、というストーリーとのことです。

<補足>

 女性はひざ下丈のゆったりしたワンピース、男性はランニングシャツにショートパンツという姿。モダンダンスのように見えます。とはいえ、バレエは軽快で、思わず見入ってしまいました。

〇《アポリネールの娘》(1924)

 勝田さんによれば、アポリネールの死後に描かれた作品。「ローランサンとアポリネールとの間に娘がいたら」と空想して描いたそうです。

〇《優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踊》(1913)

勝田さんによれば、キュビスムの頃と円熟期の境の時期に描かれた、ローランサンの代表作の一つ。平面的な描写ですが、キュビスム的な手法の作品、とのことでした。

〇映像 「青列車」 ピカソとダンス「青列車」「三角帽子」(DVD)より(1993年12月収録)

勝田さんによれば、シャネルはバレエ・リュス「春の祭典」を資金援助。「青列車」もバレエ・リュスの作品で、幕はピカソ、衣装はシャネルが担当。更衣室から出てくる女性のテニス・チャンピオンはシャネルのワンピースと、イミテーションパールのイヤリングを身に着けている、とのことです。

<補足>

「青列車」の登場人物が身に着けているのは、当時のリゾート・ウエア。男女とも、水着はワンピース(ノースリーブで、下はシュートパンツ)。当時の藤田嗣治の水着写真も、ワンピースでしたね。

イミテーションパールですが、前出『シャネルと20世紀モード』のp.36は、シャネルは「高価な宝石がそれを身に着ける女性を豊かにするわけではない。……ジュエリーはあくまで装飾品であり、楽しみのひとつであるべきだ」という考えのもと、あえて本物と偽物のジュエリーをまとい、1924年頃、イミテーションを扱うコスチューム・ジュエリー部門を開設した、と書いています。積極的にイミテーションを販売したのですね。

バレエは、「牝鹿」と同様の軽快な動き。先に登場した女性のテニス・チャンピオンと後から登場する男性ゴルファーの掛け合いがユーモラスで、見飽きません。男性ゴルファーの服装は、ニッカーボッカーズでした。

〇《アンドレ・グルー夫人(ニコル・ポワレ)》(1913)・《アンドレ・グルー夫人(ニコル・ポワレ)》(1937)

 画面が楕円形の作品です。勝田さんによれば、楕円形の画面は寝室を飾るため、とのこと。装飾家アンドレ・グレーの夫人は、「モードの帝王」と呼ばれたポール・ポワレの妹・ニコル。ローランサンとニコルは生涯にわたって深い親交を結んだ、との解説でした。

〇アール・デコ展(現代産業装飾芸術国際博覧会)1925年のパネル

勝田さんによれば、名古屋展のために製作したパネル、とのこと。パネルには、ポール・ポワレが、衣服だけでなく室内装飾までも展示した三艘の遊覧船をセーヌ川を浮かべ、毎夜のように客を招いて豪華な夕食会を開催したが、結果は大赤字。1929年には、自分のメゾン(店)を畳むことになった、と書かれています。

<補足>

大きなパネルで、博覧会の会場地図だけでなく、セーヌ川に浮かぶ遊覧船や、遊覧船内の展示風景の写真も貼ってあります。製作は大変だったと思いますが「優れもの」のパネルです。

◆Ⅲ モダンガールの登場 (Rise of The Modern Girl)

第3章からの会場は2階に写ります。広い空間の中央に4体のドレス(ただし、うち1体は撮影禁止です)が置かれ、周囲の壁に作品や写真などが展示されていました。

〇シャネル《帽子》1910年代

勝田さんによれば、シャネルは帽子の制作・販売からファッションの仕事を始めた、とのことです。

<補足>

《帽子》の隣には、1900年代~1910年代の帽子のイラストが、次々と投影されていました。すぐにイラストが変わるので、文字がうまく読み取れませんが、辛うじて Paul Poilet(ポール・ポワレ)、Jeanne Lanvin(ジャンヌ・ランバン)、Gabrielle Cannel(ガブリエル・シャネル)という名前は読み取れました。名前の読み取りは難しいですが、このイラストも見逃せませんよ。展示室では、イラストの投影だけでなく、帽子を描いたローランサンの作品も展示しています。

〇ジャン・コクトー《ポワレが去り、シャネルが来る》(オリジナル:1928)アートプリント

 勝田さんによれば、ポール・ポワレが第一線を退き、シャネルが流行を牽引するようになったことを象徴するイラストなので展示した、とのことでした。

〇ポール・ポワレ《カフタン・コート「イスファハン」》(1908)

写真撮影スポットを示す印の正面に展示されているコート。勝田さんによれば、コートの向かい側の壁に展示の『ポール・ポワレのドレス』のイラストに、展示されているコートと同じものがある。材質は絹、模様は金糸で刺繍したもの、とのことでした。1920年代は「シャネル旋風」が巻き起こりますが、1930年代の流行はスカート丈が長くウエストを絞った、女性的なスタイルに回帰。バイアスカットの技法で縫製し、体の線に沿ったマドレーヌ・ヴィオネやジャンヌ・ランバンがデザインしたドレスが流行、との解説でした。

 <補足>

中央が《カフタン・コート「イスファハン」》。写真では分かりにくいですが、かなり薄手の生地。スカートのピンク色も鮮やか。100年以上前のものとは思えません。向かって右はシャネル《イブニング・ドレス》(1920-21)、左がジャンヌ・ランバン《ドレス》(1936)で、バイアスカットの技法で縫製しています。壁に展示されているのは、帽子をかぶった女性の肖像画です。(作品を撮っている女性もドレスの陰に写っています)

なお、「バイアスカット」について書くと長くなるので、別のブログ原稿に書くことにします。

また、「シャネル旋風」についての解説があったと思うのですが、帽子のイラストやローランサンの作品等に夢中で、聞き漏らしてしまいました。残念。

〇《シャネル N°5 の広告》(1936)

 勝田さんによれば、皆さんご存じのとおり、シャネル・ブランドで1921年に発売した香水。シンプルなデザインのボトルは斬新で、大いに売れた、とのことでした。

<補足>

「シャネルの5番」について、『シャネルの真実』 山口昌子 著 新潮文庫(以下『シャネルの真実』)は、 p.221 に<シャネルの名を不朽のものにすると同時に、莫大な財政的成功をもたらし、経済的にも自立した20世紀の解放された女性の代表の地位を与える結果となった>と書いています。大成功だったのですね。

◆エピローグ:蘇るモード (Fashion Reborn )

〇カール・ラガーフェルド《ピンクのツィードのスリーピース・スーツ》(2011)

 勝田さんによれば、シャネルのデザイナー=カール・ラガーフェルドは、2011年にローランサンのピンク色に発想を得た、ツィードのシャネル・スールを発表。このことにより、ローランサンとシャネルは和解に至った、とのことでした。

<補足>

女性参加者の多くは、ピンク色のシャネル・スーツを見て、大統領夫人のジャクリーヌ・ケネディを想起したようです。このことについて、前出の『シャネルと20世紀モード』p.69は、<夫人のスーツは、シャネルの1961年秋冬コレクションで発表されたモデルで、パリの本店から送られて来た素材を使い仕立てられていた。ジャクリーヌのスーツは2003年に、当時のままアメリカ国立公文書館に寄贈されたが、家族の意向で100年間、公にせず保管されることとなっている>と書いています。

〇映像 カール・ラガーフェルド《2011年春夏 オートクチュール コレクションより》(2011)

 勝田さんから「この映像で本展の解説会は終了です。展示室を閉めるまで、もう少し時間がありますので、自由に、ご鑑賞ください」という挨拶があり、解説会は終了。自由解散となりました。

<補足>

最後の映像も、見ごたえ十分です。解説会の締めくくりとなる展示なので、大勢の会員が立ち見をしていました。女性会員は、カール・ラガーフェルドをよくご存じでしたが、恥ずかしながら私は “Karl Who ?” という状態。日本語のYouTubeを探して、「シャネルを復活させたドイツ人デザイナー」「サングラスとポニーテールが目印」という人物像を知ることが出来ました。視聴したYouTubeは、下記のとおりです。

【カール・ラガーフェルド】モード界を牽引してきた帝王 ★40枚の写真で振り返るレジェンドの軌跡

URL: https://www.youtube.com/watch?v=JVLkXy-80zI&t=782s

実は、前出『シャネルの真実』p.279 -281 でも、カール・ラガーフェルドについて書いていました。

また、本展公式ホームページによれば、『シャネルの真実』の著者・山口昌子さんによる本展の特別解説会「ココ・シャネルの真実」が7月29日(土)14:00から名古屋市美術館2階講堂で開催されるようです。当日は先着順、30分前に開場し定員(180名)になり次第締め切りとのことですから、どうしても講演を聴きたいという方は早めに並ぶことをお勧めします。

<参考> 2022年6月 豊田市美術館 交歓するモダン

 2022年6月に、豊田市美術館「交歓するモダン」に行きました。その時、ポール・ポワレ、ジャンヌ・ランバン、マドレーヌ・ヴィオネ、ガブリエル・シャネルの展示作品を撮影。ブログに掲載しましたので、興味のある方は下記のURL で検索してください。

URL: 6月 « 2022 « 名古屋市美術館協力会ブログ (members-artmuse-city-758.info)

Ron

マリー・ローランサンとモード展ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

                                     令和5年6月25日開催

 令和5年度の名古屋市美術館協力会総会のあと、午後5時から、協力会の会員限定のギャラリートークが開催されました。担当学芸員による解説を聞きながら、展示室内でゆっくり絵画を鑑賞でき、会員たちも満足の様子でした。

ローランサンの絵画の色調に合わせたピンクの壁など、展示も工夫されていて、見ごたえもあり、ローランサンやシャネルの活躍したころのフランスにタイム・トリップできますよ。

令和5年度 名古屋市美術館協力会総会

カテゴリ:協力会事務局 投稿者:editor

                                     令和5年6月25日開催

 令和5年6月25日日曜日、まだ梅雨も明けぬ蒸し暑さのなか、名古屋市美術館2階講堂にて、協力会の総会が開催されました。会場には、協力会の役員のほか美術館職員らからなる事務局関係者、会員有志らが出席し、令和4年度の事業報告や、収支決算についての報告および審議を行いました。

 まだまだコロナウイルス感染症の影響でいくつかの活動は再開されておらず、少しずつ元の活動に近い形で運営していくことを目指していくことが確認されました。

中馬事務局長から開会のあいさつ
総会の様子
会長はじめ役員

 

展覧会見てある記 瀬戸市美術館「北川民次コレクション 全員集合!」ほか 2023.06.21 投稿

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

瀬戸市美術館(以下「瀬戸市美」)で開催中の「北川民次コレクション 全員集合!」(以下「本展」)に行ってきました。瀬戸市美に行くのは、2021年11月の「池袋モンパルナス展」以来。名鉄瀬戸線の尾張瀬戸で下車。約1キロの坂道を歩くと、瀬戸市文化センターに到着。大階段を上ると、瀬戸市美の入り口です。

入館料は、一般500円、高校・大学生300円ですが、65歳以上の高齢者は無料(運転免許証、保険証など年齢を証明するものが必要ですが、証明書が無くても、提示された書類に必要事項を記入すればOK)。

本展は、瀬戸市美1階・2階の全展示室(4室)を使った大規模なもので、瀬戸市美の北川民次コレクション(油彩・水彩・スケッチ・版画・陶画)の全てを展示しているとのことでした。(本展URLを参照)

 ※本展URL:公益財団法人 瀬戸市文化振興財団 (seto-cul.jp)

・1階 展示室1

展示室の年表によれば、北川民次は1894(明治27)年、静岡県金谷町で生まれ、1914(大正3)年に渡米。1925(大正14)年頃に、オロスコ、リベラ、シケイロス、タマヨらと交友。1936(昭和11)年にメキシコから帰国。1937(昭和12)年に、妻の実家のある瀬戸市に引っ越しています。

作品の展示は概ね制作年順で、1937年制作の作品から始まります。主に、瀬戸の風景と、メキシコの風景・人物を描いたものが並んでいます。《ひばりが丘》(1950)は、岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》を想起させる作品。《ある村の教会のファサード》(1967)は、本展のチラシ表(本展URLを参照)のメインビジュアルです。《母と娘》(1957)は女の子が可愛く、太い線で描かれた《子どもをだいた二人の女》(1958)は、フェルナン・レジェのような作風でした。

・1階 展示室2

《陶壁 陶器を作る人々 原画》(1959)の3点は、尾張瀬戸近くの「瀬戸蔵」東側陶壁の原画。本展のチラシ裏(本展URLを参照)に載っていますが、太い線で描かれた力強いものです。メキシコの壁画運動に参加した作家なので、分かりやすい作品です。本展のチラシ表(本展URLを参照)に掲載の《静物》81965)は、ここに展示されていました。

・2階 展示室3

母子像と花の絵、サボテン売りなどが目立つ部屋です。ここでも、本展のチラシ裏(本展URLを参照)に載っている《知識の勝利》(1970)を始め、瀬戸市図書館の壁画の原画3点を展示。

・2階 展示室4

最後の部屋では、陶画や水彩を中心に展示。陶磁器の絵皿などが多いのは、「やきもの」のまち・瀬戸らしいですね。

・1階 エントランス

エントランスには、2021年開催の「池袋モンパルナス展」関連のグッズを多数、展示していました。北川民次は1937(昭和12)年8月に上京、1943(昭和18)年に瀬戸市に疎開するまで、豊島区に住んでいたので「池袋モンパルナス」ゆかりの作家になるのですね。

◆瀬戸信用金庫アートギャラリー企画展

 瀬戸市東茨城町の瀬戸信用金庫アートギャラリー(以下「アートギャラリー」)でも、本展と同時開催の企画展として「瀬戸信用金庫所蔵 北川民次コレクション」を開催しています。(アートギャラリーURLを参照)

※アートギャラリーURL: 瀬戸信用金庫アートギャラリー | 地域密着について | 瀬戸信用金庫 (setoshin.co.jp)

 瀬戸市美でもらった案内図によれば、瀬戸市美から尾張瀬戸に向かう途中、「西茨町」の信号で右折。歯科医院と動物病院の間の細い道を進み、バス通りに出た所で右折。アートギャラリーは、名鉄バスの「陶栄町のりば」に隣接していました。残念ながら、当日は、アートギャラリーの休館日(毎週 月曜日・火曜日)だったので、見学できませんでしたが「入場無料」ということは、分かりました。

◆瀬戸蔵(瀬戸市蔵所町)

最後の目的地は「瀬戸蔵」。瀬戸市美に原画があった《陶壁 陶器を作る人々》を見たくなったからです。アートギャラリーを出発して、尾張瀬戸の方向にバス通りを歩くと、目的の壁画がありました。なお、右の写真は、瀬戸市のホームページに掲載されているものです。

※URL:No.716 文化財の活用 | 瀬戸市 (city.seto.aichi.jp)

 瀬戸蔵は、江戸時代に尾張藩が設置した「御蔵会所(おくらかいしょ)」という役所の跡地に建てられた施設で、ホール、ミュージアム、ショップ、喫茶コーナーなどを備えています。2階と3階がミュージアムで、昭和30-40年代を再現したコーナーや瀬戸焼の歩みなどの展示があります(入館料:一般520円、高校・大学生、65歳以上310円)。興味を引いたのは、江戸時代後期に磁器生産の技術を瀬戸に伝え「磁祖」と呼ばれた「初代・加藤民吉」のマンガと「瀬戸ノベルティ」(やきもので出来た人形や動物などの置物=下の写真)でした。※URL:瀬戸蔵ミュージアム – 瀬戸蔵 (setogura-museum.jp)

◆最後に

 瀬戸市美の年間計画では、10/7~11/26の会期で「瀬戸ノベルティの至高 -Made in MARUYAMA-」という、瀬戸ノベルティの代表的メーカー・丸山陶器が制作したノベルティを一堂に展示する初めての展覧会を開催するようです。今から楽しみですね。

Ron.

展覧会見てある記 名古屋市美術館「コレクションの20世紀」  

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.05.22 投稿

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「コレクションの20世紀」(以下「本展」)の会期末は6月4日。「終了前に見ておかねば」と、出かけて来ました。企画展と常設展、全てが市美のコレクションという展覧会は、なかなか見る機会がありません。しかも、本展は1900年代から1990年代までの10グループに区切って、年代順に並べるという展示。年代順に見ることで、美術の流れを感じることが出来たような気がします。当日の入場者は若い世代の方が多く、自分も若返ったようで、爽快な気分になりました。

◆ 1900年代

 1900年は明治33年。1900年代は、明治末期に当たります。展示室に入って目にしたのは、鈴木不知《冬瓜》(1900-30)と野崎華年《老女》(1903)。野崎華年の作品は、愛知県美術館で開催中の「近代明治の視覚開化 明治」展にも展示されていました(いくつかは、名古屋市美術館蔵)。静物画、肖像画という違いはありますが、目で見たリアルな姿をキャンバスに描きたいという意欲が伝わってきます。

次は、マリー・ローランサン《横たわる裸婦》(1908)。いわゆる「ローランサン風の絵」ではなく、別人が描いたのかと思える作品です。キュビスムの洗礼を受けた後の平面的な表現で、《冬瓜》《老女》を見た後では「ぶっ飛んだ作品」に見えます。日本の画家が「リアルさ」を追求していた頃、フランスの若者たち(当時、ローランサンは25歳)は「その先」を目指していたのです。

◆ 1910年代

1912年は大正元年。1910年は、ほぼ大正時代です。主な出来事は、第一次世界大戦(1914-18)。村山槐多《房州風景》(1917)は、ルオーのような色使いの作品。一方、大澤鉦一郎《老人》(1917)は、こってりとしたリアルな作品で、岸田劉生の影響がみられます。同じ年に描かれたものとは見えません。

◆ エコール・ド・パリ(1910年代~20年代)

エコール・ド・パリの作品が、ずらりと並んでいる様子は、本展のみどころです。1910-20年代に活躍した作家たちなので、キスリング《ルネ・キスリング夫人の肖像》(1920)、アメデオ・モディリアーニ《おさげ髪の少女》(1918)からマルク・シャガール《二重肖像》(1924)、藤田嗣治《自画像》(1929)などの作品が、1910年代・20年代の区別なく、並んでいました。

エコール・ド・パリの作品は、地下1階の常設展でも展示。本展を見た時には、常設展もお忘れなく。

◆ 1930年代

みどころは、シュールレアリスムの作品。フリーダ・カーロ(シュールレアリスムの作家に分類)《死の仮面を被った少女》(1938)は言うに及ばず、三岸好太郎《海と射光》(1934)を始めとする日本の作家も見逃せません。淵上白陽[停車場 朝霞](1932-41頃)など、旧満州国の写真も見ものです。

碧南市藤井達吉現代美術館のリニューアル展で、迫力のある筧忠治《男の顔》(1930)を見ましたが、本展の《自画像》(1935)にも迫力があります。

◆ 1940年代

主な出来事は、第二次世界大戦(1939-45)です。ベン・シャーン《リデェツェ》(1942)は、面倒だったので英文は読まず、絵を見ただけでした。それでは何を描いたのか、よくわかりません。解説を読んで、ようやく「ナチス・ドイツがチェコの町を爆撃し、340人が犠牲になった事件をテーマにした作品」だと分かりました。北川民次《焼け跡》(1945)も戦争をテーマにしています。

戦争中、シュールレアリスムの作家は迫害を受けましたが、戦後は眞島健三《題不詳(樹)》(1948)、堀尾実《作品B(1)》81948)など、シュールレアリスムの作品が数多く発表された、と分かりました。

◆ 1950年代

目を引いたのが、奈良原一高の写真。《[緑なき軍艦島]地下道(『人間の土地』より)(1954)》などの、新しい写真表現を切り開いた作品を見ると、「今でもカッコいい」と感じます。

朝鮮戦争(1952-53)が勃発した時代なので、河原温《カム・オン・マイ・ハウス》(1955)など、人間と社会の闇を描いた作品が、何枚も展示されていました。

◆ 1960年代

ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験による死の灰を、遠洋マグロ漁船・第五福竜丸が浴びた「第五福竜丸事件」は、1954年に起きました。この事件は、映画では「ゴジラ」(1954)、絵画では岡本太郎《明日の神話》(1968)制作の動機になりました。本展の《明日の神話》は、愛知県美術館の「展覧会 岡本太郎」でも展示されていましたね。

赤瀬川原平と言えば、「千円札事件」が有名。実物大の千円札を印刷し、裏に個展の案内を印刷して関係者に送った行為が「ニセ札事件」として起訴されたものです。《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》(1963)は「千円札事件」ゆかりの作品。必見です。河原温の「Todayシリーズ」も展示されています。

◆ 1970年代

主な出来事は、ベトナム戦争の終結(1975)です。ポップ・アートの時代でもあります。

斎藤吾郎《原生林のおばさん》(1976)、描かれている人物は普通ですが、真っ赤な背景というありえない世界を描いています。本展で初めて見ました。インパクトが強すぎて、展示の機会が無かったのかな?

三木富雄《耳》(1972)もインパクトがあります。杉本博司が「私の履歴書⑫」(2020.07.12)に書いた1970年代半ばのニューヨークで出会ったオノ・ヨーコや河原温など日本人の中に三木富雄が出てきます。

<私の履歴書⑫「NYの日本人」の抜粋>

私が一番親しくなったのは三木富雄だった。私よりひと回りも年上なのだが、妙に馬が合った。三木富雄は「耳の三木」と呼ばれ、耳の彫刻をアルミで作っていた。(略)

◆ 1980年代

主な出来事は、チェルノブイリ(ウクライナ語はチョルノービリ)原発事故(1986)。名古屋が現代美術の最前線だった時代です。

岸清子《Erotical Girls – クリスマス・ローズ》(1983)は、ぶっ飛んだ作品。豊田市美術館「ねこのほそ道」(05.21に終了)でも作品を展示していましたね。

つまらない話ですが、小清水漸《夢の浮橋 – 赤い舟》(1987)に溜まっている水は、何度も換えるうちに水が蒸発して、中のミネラル分が濃くなり、白い粉のようになっていました。

◆ 1990年代

主な出来事は第一次湾岸戦争(1990-91)と阪神淡路大震災(1995)、地下鉄サリン事件(1995)。

森山泰昌《兄弟(虐殺)》(1991)は、ゴヤの戦争画のコピー。見ると、ウクライナ戦争を想起します。福田美蘭《陶器(スルバランによる)》(1992)が展示されているのは、今年、「福田美蘭展」が開催されるからでしょうか。「福田美蘭展」を紹介する美術雑誌には、ゼレンスキー大統領の肖像画が掲載されていました。ご本人は展覧会よりも一足早く、G7サミットに出席するため、先日、来日しましたね。

草間彌生《ピンク・ボート》(1992)は、久しぶりに登場。作品の前に来た多くの人は男女を問わず、スマホをかざして撮影していました。絶好の撮影ポイントなのでしょう。目立ちますからね。

村上友晴《十字架》(1998)は、赤と黒の混じった作品。いろいろな美術館で村上友晴の作品を見ますが、黒一色のものが多く、赤と黒という配色は、確認したわけではありませんが。珍しいのでは?

◆最後に

・ 現代アートが多いのですが、明治末期の作品から順番に眺めていると、あまり違和感はなく、すんなりと鑑賞できました。肩の凝らない展覧会だと思います。

・ 地下1階の常設展は、エコール・ド・パリ以外でも本展を意識した展示になっているので、本展だけでなく、常設展もご覧になることをお勧めします。

・ 最後に、先日参加した碧南市藤井達吉現代美術館のミニツアーで見た作品に、本展展示の作家と重なるものが二つありました。三尾公三と星野眞吾の作品です。本展を見たら、碧南市藤井達吉現代美術館「碧い海の宝石箱」にも足を伸ばすと良いですよ。何といっても「入場無料」ですから。

Ron.

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カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

2023.05.21

愛知県美術館で開催中の「近代明治の視覚開化 明治」展(以下「明治展」)関連の記事が2023年5月20日付の日本経済新聞「文化」欄と週刊文春5月25日号に掲載されました。また、日本経済新聞「文化」欄で連載中の「写真と絵のはざまで 十選」でも明治展で紹介された五姓田芳柳と横山松三郎を取り上げているので、ご紹介します。

〇日本経済新聞 2023年5月20日(土)「近代日本の視覚開化 明治」展(執筆:客員編集員 宮川匡司)

 「混沌とした時代情勢の中で生まれ育った明治の美術、再発見の試みを見つめてみよう。」という前書きに続き、「教科書的な明治の美術史とはずいぶん趣が異なる。(略)重点を置くのは、従来の美術史が見過ごしがちだった明治初期から中期の、すそ野の広い技術や造形の姿である」と、明治展を紹介。

図版は、高橋由一《甲冑図》(1877)、橋本雅邦《水雷命中之図》(明治時代)、「大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖」より《菊に尾長鳥》(明治10年代)の三点。記事では《甲冑図》を「新時代の西洋画法による、傷つき敗れ去る者の魂を鎮めるような入魂の描写は、江戸と明治という二つの時代を生きた由一ならではだろう」と評し、図版はありませんが、近年新しく発見された五姓田義松の《鮭》についても触れています。《水雷命中之図》については「まぎれもない油彩画である」と、《菊に尾長鳥》については「絵師は不明だが、深い紅色を背景にして菊や桔梗、鳥や蝶を配した濃密な画面に目を奪われる」と、評しています。

最後に、展覧会の構成を「出品は約300点。教科書、雑誌、愛知の陶磁器や写真館にまで対象を広げ、名品ばかりの美術展とは対照的な構成だ」と書いています。記事のとおり、企画者の意気込みが伝わる展覧会です。

〇 週刊文春 2023年5月25日号 その他の世界㉕(執筆:静岡県立美術館館長 木下直之)

 記事は、明治展と東京静嘉堂@三の丸で開催中の「特別展 明治美術狂想曲」に関するもの。明治展の印象は「オモチャ箱をぶちまけたような展覧会」というもの。複数の写真を重ねて焼き付ける技法で特許を取った、名古屋の写真家・宮下守雄の「ハテナ写真」について「嘆き悲しむ男の背後に、女の姿がすーっと立っている。いや、足がないから浮かんでいる(略)深刻ぶってはいても、演出過剰で笑える」と書き、「混沌とした明治の美術にふれる意義は大いにある」と締めくくっています。明治展に注目していることは、確かです。

〇 日本経済新聞 2023年5月16日(火) 写真と絵のはざまで 十選(5)

(執筆:江戸東京博物館学芸員 岡塚章子 (7)(8)も同じ)

 写真と絵画の関係について書いた記事で、期せずして明治展と重なっています。(5)で取り上げたのは五姓田芳柳《牧口義規矩十歳》。明治19(1886)年4月8日に撮影した写真を元に製作した絵。慶応技術への入学記念として絹地に描いた西洋風の肖像画で、明治展に並んでいた絹本著作の肖像画と同種のものです。「見栄えのする彩色された大きな肖像画には、依頼者の思いが込められている」と、記事は書いていました。

〇 日本経済新聞 2023年5月18日(木) 写真と絵のはざまで 十選(7)

 明治展で展示している旧江戸城写真を撮影した横山松三郎が制作した「写真油絵」に関する記事です。「写真油絵は、撮影した写真の表面の画像だけを残して裏紙を削り取り、裏から油絵の具で着色する技法である」と書いています。明治展でも、名古屋の宮下写真館が制作した「写真油絵」を展示していましたね。

 

〇 日本経済新聞 2023年5月19日(金) 写真と絵のはざまで 十選(8)

 横山松三郎が没した翌年の明治18(1985)年、横山の弟子・小豆澤亮一と同門で画家の亀井至一との間で起きた、「写真油絵」を巡る訴えに関する記事です。この訴えは「特許審決第1号となった」とのことでした。

◆最後に

 日本経済新聞(2023.5.20)と週刊文春(2023年5月25日号)の内容が重なるのは分かりますが、「写真と絵のはざまで 十選」までも重なっているので、ブログを書いた次第です。

Ron.

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