展覧会解説会「マリー・ローランサンとモード」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.07.31 投稿

「マリー・ローランサンとモード」(以下「本展」)の「展覧会解説会」(以下「解説会」)を聞いてきました。日時は7月23日(日)14:00~15:25、会場は名古屋市美術館2階講堂、講師は深谷克典・名古屋市美術館参与(以下「深谷さん」)でした。以下は解説会の概要です。

◆マリー・ローランサンについて

深谷さんによれば、マリー・ローランサン(以下「ローランサン」)は、日本で人気のある作家。「マリー・ローランサン美術館」(現在は作品を保管・貸出するだけ)があるほどです。ローランサンを日本へ最初に紹介したのは、詩人の堀口大學。彼は1915年にスペイン・マドリードでローランサンと出会っています。ローランサンはドイツ人貴族と結婚したばかりでしたが、第一次世界大戦勃発のためスペインに亡命中でした。堀口大學も父(外交官)の赴任先・スペインにいました。堀口大學はアポリネールの詩も紹介しています。

◆本展の特色

深谷さんによればローランサンの展覧会は、①本人の個展、②エコール・ド・パリの展覧会という二つのパターンが多いのですが、本展は少し視点が違い「ローランサンが一番活躍した1920年代に同時代の作家・モード(流行・ファッション)と、どう関わったのか」がテーマとのことでした。

◆19世紀後半の西洋美術の主流はアカデミックな絵画

深谷さんによれば、19世紀後半(70年代~90年代)西洋美術の主流は、印象派やポスト印象派ではなく、カバネルなどのアカデミックな絵画。そこに写真が登場して「芸術は、目に見えないものを表現すべきだ」という考え方が出てきた、とのことです。

◆第一次世界大戦の衝撃は大きかった

深谷さんによればフランスの戦死者数は、普仏戦争(1870-71)が28万人、第一次世界大戦(1914-18)は170万人、第二次世界大戦(1939-45)は55万人。フランスに限ると、第一次世界大戦の方がインパクトが大きかったとのことです。また、「第二次世界大戦における日本人全体の死亡者数は260‐310万人」とも解説。

普仏戦争の後にはベル・エポック(良き時代)が、第一次世界大戦の後にはレザネ・フォル(“ Les Années folles” 狂騒の時代、英語だと”roaring twenty”)が続きます。

第一次世界大戦の衝撃は、それまで進んでいた西洋美術の「急激な前衛化」を止め、「古典に戻る時代」になりましたが、その一方で、ダダなどの過激な人物が登場、「失われた世代 ”Lost generation”」という言葉も生まれた、とのことでした。

◆本展の構成

深谷さんによれば、本展はローランサンとガブリエル・シャネル(以下「シャネル」)の作品で構成。シャネルが生きたのは1883-1971、ローランサンは1883-1950、二人は同じ年の生まれです。しかし1910年代には、シャネルは帽子屋を始めたばかり、ローランサンは既に有名人になっていました。本展では、1920年代の二人の大活躍をフォーカスします。

◆二人の肖像

深谷さんは二人の肖像を比較。シャネルは1935年撮影の写真。49歳の彼女は「男まさり」の印象を与えますが、1920年撮影のローランサンのスナップショットは少女的、女性的な印象。全く対照的な二人です。

◆Ⅰ レザネ・フォルのパリ (Paris of Les Années folles)

深谷さんが投影したのは《マドモアゼル・シャネルの肖像》(1923)の画像。続いて、まったく印象の異なるカッサンドル《ガブリエル・シャネルの肖像》(1942)(注)も投影。シャネルが《マドモアゼル・シャネルの肖像》を突き返したことについて「ローランサンに肖像画を頼んだらどうなるかわかっているはずなのに、なぜ頼んだのか不思議」と話してから、アール・デコの女性画家タマラ・ド・レンピッカ《緑の服の女》(1930)の画像を投影、「これなら、気に入っただろう」と付け加えていました。深谷さんは、ガートルード・シュタインが買い上げたローランサンの《アポリネールと仲間たち(第1バージョン)》(1908)も紹介しました。

(注)シャネルの公式サイト(シャネルの創業者、ガブリエル シャネル | CHANEL シャネル)を下にスクロールし「アーティストとココ」で「詳細」をクリックすると、ローランサンとカッサンドルの肖像画、マン・レイの写真など、シャネルの肖像11点を見ることができます。

◆Ⅱ 越境するアート (Cross-border Art)

深谷さんはセルゲイ・ディアギレフとストラビンスキーの写真を投影。「1920年代のパリには、世界中から色々な人が集まった。ディアギレフのロシア・バレエ団は1909-1929に活動したが、ロシアでの公演はない。ロシア・ブームは1909年から始まり、1920年代のフランスではアメリカのジャズや混血の女優ジョセフィン・ベイカーのダンスが流行。ローランサン、ピカソといった画家が舞台美術を手掛け、シャネルも舞台衣装をデザインした」等の解説がありました。

◆Ⅲ モダンガールの登場 (Rise of The Modern Girl)

深谷さんによれば、ポール・ポワレが19世紀末から1910年代に東洋趣味の服をデザイン。「コルセットを取り去った人」としても知られるが、1920年代はシャネルの時代となる。ドーヴィルで撮影された写真が投影され、「シャネルの最初のブティック」との解説がありました。

◆IV エピローグ:蘇るモード (Fashion Reborn )

深谷さんによれば、シャネルが1971年に死去してからメゾンは低迷。それを立て直したのが、1983年にシャネルのデザイナーとなったカール・ラガーフェルド。最後のコーナーでは彼がデザインした2011年のコレクションの作品と映像を展示。1922年にローランサンが描いた《ニコル・グルーと二人の娘、ブノワットとマリオン》のピンクとグレーをシャネルのデザインに取り入れ、ローランサンとシャネルは和解に至った、との説明でした。

◆最後に

深谷さんの講演は、とても面白かったのですが、話に聞き入るとメモを書く手が止まってしまい、断片的な言葉しか残っていません。1時間半の内容豊かな講演だったのですが、面白みのないブログになってしまいました。

Ron

おまけ=失われた世代 (Lost generation)について

深谷さんが「失われた世代」について何か言ったことは記憶にあるのですが、メモしたのは「失われた世代」という言葉だけ。文庫本を漁ると、ヘミングウェイ『日はまた昇る』(ハヤカワepi文庫)に〈「あなた方はあてどない世代ね」 ガートルード・スタインの言葉〉というエピグラム(警句)があり、同著者の『移動祝祭日』には、次の一節がありました(新潮文庫 p.48)。

〈「あなたたちがそれなのよね。みんなそうなんだわ、あなたたちは」ミス・スタインは言った。「こんどの戦争に従軍したあなたたち若者はね。あなたたちはみんな自堕落な世代(ロスト・ジェネレーション)なのよ」

「そうですかね?」私は訊いた。

「ええ、そうじゃないの」彼女は言いつのった。「あなたたちは何に対しても敬意を持ち合わせていない。お酒を飲めば死ぬほど酔っぱらうし……」(略)〉

 「あてどない世代」だったり「自堕落な世代」だったり、翻訳の難しい言葉なのですね。

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