展覧会見てある記 名古屋市美術館「コレクションの20世紀」  

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.05.22 投稿

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「コレクションの20世紀」(以下「本展」)の会期末は6月4日。「終了前に見ておかねば」と、出かけて来ました。企画展と常設展、全てが市美のコレクションという展覧会は、なかなか見る機会がありません。しかも、本展は1900年代から1990年代までの10グループに区切って、年代順に並べるという展示。年代順に見ることで、美術の流れを感じることが出来たような気がします。当日の入場者は若い世代の方が多く、自分も若返ったようで、爽快な気分になりました。

◆ 1900年代

 1900年は明治33年。1900年代は、明治末期に当たります。展示室に入って目にしたのは、鈴木不知《冬瓜》(1900-30)と野崎華年《老女》(1903)。野崎華年の作品は、愛知県美術館で開催中の「近代明治の視覚開化 明治」展にも展示されていました(いくつかは、名古屋市美術館蔵)。静物画、肖像画という違いはありますが、目で見たリアルな姿をキャンバスに描きたいという意欲が伝わってきます。

次は、マリー・ローランサン《横たわる裸婦》(1908)。いわゆる「ローランサン風の絵」ではなく、別人が描いたのかと思える作品です。キュビスムの洗礼を受けた後の平面的な表現で、《冬瓜》《老女》を見た後では「ぶっ飛んだ作品」に見えます。日本の画家が「リアルさ」を追求していた頃、フランスの若者たち(当時、ローランサンは25歳)は「その先」を目指していたのです。

◆ 1910年代

1912年は大正元年。1910年は、ほぼ大正時代です。主な出来事は、第一次世界大戦(1914-18)。村山槐多《房州風景》(1917)は、ルオーのような色使いの作品。一方、大澤鉦一郎《老人》(1917)は、こってりとしたリアルな作品で、岸田劉生の影響がみられます。同じ年に描かれたものとは見えません。

◆ エコール・ド・パリ(1910年代~20年代)

エコール・ド・パリの作品が、ずらりと並んでいる様子は、本展のみどころです。1910-20年代に活躍した作家たちなので、キスリング《ルネ・キスリング夫人の肖像》(1920)、アメデオ・モディリアーニ《おさげ髪の少女》(1918)からマルク・シャガール《二重肖像》(1924)、藤田嗣治《自画像》(1929)などの作品が、1910年代・20年代の区別なく、並んでいました。

エコール・ド・パリの作品は、地下1階の常設展でも展示。本展を見た時には、常設展もお忘れなく。

◆ 1930年代

みどころは、シュールレアリスムの作品。フリーダ・カーロ(シュールレアリスムの作家に分類)《死の仮面を被った少女》(1938)は言うに及ばず、三岸好太郎《海と射光》(1934)を始めとする日本の作家も見逃せません。淵上白陽[停車場 朝霞](1932-41頃)など、旧満州国の写真も見ものです。

碧南市藤井達吉現代美術館のリニューアル展で、迫力のある筧忠治《男の顔》(1930)を見ましたが、本展の《自画像》(1935)にも迫力があります。

◆ 1940年代

主な出来事は、第二次世界大戦(1939-45)です。ベン・シャーン《リデェツェ》(1942)は、面倒だったので英文は読まず、絵を見ただけでした。それでは何を描いたのか、よくわかりません。解説を読んで、ようやく「ナチス・ドイツがチェコの町を爆撃し、340人が犠牲になった事件をテーマにした作品」だと分かりました。北川民次《焼け跡》(1945)も戦争をテーマにしています。

戦争中、シュールレアリスムの作家は迫害を受けましたが、戦後は眞島健三《題不詳(樹)》(1948)、堀尾実《作品B(1)》81948)など、シュールレアリスムの作品が数多く発表された、と分かりました。

◆ 1950年代

目を引いたのが、奈良原一高の写真。《[緑なき軍艦島]地下道(『人間の土地』より)(1954)》などの、新しい写真表現を切り開いた作品を見ると、「今でもカッコいい」と感じます。

朝鮮戦争(1952-53)が勃発した時代なので、河原温《カム・オン・マイ・ハウス》(1955)など、人間と社会の闇を描いた作品が、何枚も展示されていました。

◆ 1960年代

ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験による死の灰を、遠洋マグロ漁船・第五福竜丸が浴びた「第五福竜丸事件」は、1954年に起きました。この事件は、映画では「ゴジラ」(1954)、絵画では岡本太郎《明日の神話》(1968)制作の動機になりました。本展の《明日の神話》は、愛知県美術館の「展覧会 岡本太郎」でも展示されていましたね。

赤瀬川原平と言えば、「千円札事件」が有名。実物大の千円札を印刷し、裏に個展の案内を印刷して関係者に送った行為が「ニセ札事件」として起訴されたものです。《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》(1963)は「千円札事件」ゆかりの作品。必見です。河原温の「Todayシリーズ」も展示されています。

◆ 1970年代

主な出来事は、ベトナム戦争の終結(1975)です。ポップ・アートの時代でもあります。

斎藤吾郎《原生林のおばさん》(1976)、描かれている人物は普通ですが、真っ赤な背景というありえない世界を描いています。本展で初めて見ました。インパクトが強すぎて、展示の機会が無かったのかな?

三木富雄《耳》(1972)もインパクトがあります。杉本博司が「私の履歴書⑫」(2020.07.12)に書いた1970年代半ばのニューヨークで出会ったオノ・ヨーコや河原温など日本人の中に三木富雄が出てきます。

<私の履歴書⑫「NYの日本人」の抜粋>

私が一番親しくなったのは三木富雄だった。私よりひと回りも年上なのだが、妙に馬が合った。三木富雄は「耳の三木」と呼ばれ、耳の彫刻をアルミで作っていた。(略)

◆ 1980年代

主な出来事は、チェルノブイリ(ウクライナ語はチョルノービリ)原発事故(1986)。名古屋が現代美術の最前線だった時代です。

岸清子《Erotical Girls – クリスマス・ローズ》(1983)は、ぶっ飛んだ作品。豊田市美術館「ねこのほそ道」(05.21に終了)でも作品を展示していましたね。

つまらない話ですが、小清水漸《夢の浮橋 – 赤い舟》(1987)に溜まっている水は、何度も換えるうちに水が蒸発して、中のミネラル分が濃くなり、白い粉のようになっていました。

◆ 1990年代

主な出来事は第一次湾岸戦争(1990-91)と阪神淡路大震災(1995)、地下鉄サリン事件(1995)。

森山泰昌《兄弟(虐殺)》(1991)は、ゴヤの戦争画のコピー。見ると、ウクライナ戦争を想起します。福田美蘭《陶器(スルバランによる)》(1992)が展示されているのは、今年、「福田美蘭展」が開催されるからでしょうか。「福田美蘭展」を紹介する美術雑誌には、ゼレンスキー大統領の肖像画が掲載されていました。ご本人は展覧会よりも一足早く、G7サミットに出席するため、先日、来日しましたね。

草間彌生《ピンク・ボート》(1992)は、久しぶりに登場。作品の前に来た多くの人は男女を問わず、スマホをかざして撮影していました。絶好の撮影ポイントなのでしょう。目立ちますからね。

村上友晴《十字架》(1998)は、赤と黒の混じった作品。いろいろな美術館で村上友晴の作品を見ますが、黒一色のものが多く、赤と黒という配色は、確認したわけではありませんが。珍しいのでは?

◆最後に

・ 現代アートが多いのですが、明治末期の作品から順番に眺めていると、あまり違和感はなく、すんなりと鑑賞できました。肩の凝らない展覧会だと思います。

・ 地下1階の常設展は、エコール・ド・パリ以外でも本展を意識した展示になっているので、本展だけでなく、常設展もご覧になることをお勧めします。

・ 最後に、先日参加した碧南市藤井達吉現代美術館のミニツアーで見た作品に、本展展示の作家と重なるものが二つありました。三尾公三と星野眞吾の作品です。本展を見たら、碧南市藤井達吉現代美術館「碧い海の宝石箱」にも足を伸ばすと良いですよ。何といっても「入場無料」ですから。

Ron.

新聞を読む 愛知県美術館「近代明治の視覚開化 明治」展 関連記事

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

2023.05.21

愛知県美術館で開催中の「近代明治の視覚開化 明治」展(以下「明治展」)関連の記事が2023年5月20日付の日本経済新聞「文化」欄と週刊文春5月25日号に掲載されました。また、日本経済新聞「文化」欄で連載中の「写真と絵のはざまで 十選」でも明治展で紹介された五姓田芳柳と横山松三郎を取り上げているので、ご紹介します。

〇日本経済新聞 2023年5月20日(土)「近代日本の視覚開化 明治」展(執筆:客員編集員 宮川匡司)

 「混沌とした時代情勢の中で生まれ育った明治の美術、再発見の試みを見つめてみよう。」という前書きに続き、「教科書的な明治の美術史とはずいぶん趣が異なる。(略)重点を置くのは、従来の美術史が見過ごしがちだった明治初期から中期の、すそ野の広い技術や造形の姿である」と、明治展を紹介。

図版は、高橋由一《甲冑図》(1877)、橋本雅邦《水雷命中之図》(明治時代)、「大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖」より《菊に尾長鳥》(明治10年代)の三点。記事では《甲冑図》を「新時代の西洋画法による、傷つき敗れ去る者の魂を鎮めるような入魂の描写は、江戸と明治という二つの時代を生きた由一ならではだろう」と評し、図版はありませんが、近年新しく発見された五姓田義松の《鮭》についても触れています。《水雷命中之図》については「まぎれもない油彩画である」と、《菊に尾長鳥》については「絵師は不明だが、深い紅色を背景にして菊や桔梗、鳥や蝶を配した濃密な画面に目を奪われる」と、評しています。

最後に、展覧会の構成を「出品は約300点。教科書、雑誌、愛知の陶磁器や写真館にまで対象を広げ、名品ばかりの美術展とは対照的な構成だ」と書いています。記事のとおり、企画者の意気込みが伝わる展覧会です。

〇 週刊文春 2023年5月25日号 その他の世界㉕(執筆:静岡県立美術館館長 木下直之)

 記事は、明治展と東京静嘉堂@三の丸で開催中の「特別展 明治美術狂想曲」に関するもの。明治展の印象は「オモチャ箱をぶちまけたような展覧会」というもの。複数の写真を重ねて焼き付ける技法で特許を取った、名古屋の写真家・宮下守雄の「ハテナ写真」について「嘆き悲しむ男の背後に、女の姿がすーっと立っている。いや、足がないから浮かんでいる(略)深刻ぶってはいても、演出過剰で笑える」と書き、「混沌とした明治の美術にふれる意義は大いにある」と締めくくっています。明治展に注目していることは、確かです。

〇 日本経済新聞 2023年5月16日(火) 写真と絵のはざまで 十選(5)

(執筆:江戸東京博物館学芸員 岡塚章子 (7)(8)も同じ)

 写真と絵画の関係について書いた記事で、期せずして明治展と重なっています。(5)で取り上げたのは五姓田芳柳《牧口義規矩十歳》。明治19(1886)年4月8日に撮影した写真を元に製作した絵。慶応技術への入学記念として絹地に描いた西洋風の肖像画で、明治展に並んでいた絹本著作の肖像画と同種のものです。「見栄えのする彩色された大きな肖像画には、依頼者の思いが込められている」と、記事は書いていました。

〇 日本経済新聞 2023年5月18日(木) 写真と絵のはざまで 十選(7)

 明治展で展示している旧江戸城写真を撮影した横山松三郎が制作した「写真油絵」に関する記事です。「写真油絵は、撮影した写真の表面の画像だけを残して裏紙を削り取り、裏から油絵の具で着色する技法である」と書いています。明治展でも、名古屋の宮下写真館が制作した「写真油絵」を展示していましたね。

 

〇 日本経済新聞 2023年5月19日(金) 写真と絵のはざまで 十選(8)

 横山松三郎が没した翌年の明治18(1985)年、横山の弟子・小豆澤亮一と同門で画家の亀井至一との間で起きた、「写真油絵」を巡る訴えに関する記事です。この訴えは「特許審決第1号となった」とのことでした。

◆最後に

 日本経済新聞(2023.5.20)と週刊文春(2023年5月25日号)の内容が重なるのは分かりますが、「写真と絵のはざまで 十選」までも重なっているので、ブログを書いた次第です。

Ron.

碧南市藤井達吉現代美術館 「碧い海の宝石箱」展 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

2023.05.14 14:00~15:00

碧南市藤井達吉現代美術館(以下「碧南市美」)で開催中の「碧い海の宝石箱」(以下「本展」)のミニツアーに参加しました。参加者は7人。碧南市美が開催するギャラリートークを他の入場者と一緒に聞く、というミニツアーでした。

ギャラリートークを担当されたのは3人。特任学芸員の大野さんと学芸員の大長さん、豆田さんです。大長さんが第1章、第2章、第3章part 1と第4章、大野さんが第3章part2、豆田さんが第5章を担当。本展の名称「碧い海の宝石箱」について、大長さんは「碧い海というのは、碧海郡(今の碧南市を含む、昔の行政区画の名前)を象徴しています。宝箱は地域の宝箱である碧南市美のことです」と解説され、「本展の出品は70作家・112件」と付け加えました。

◆ 第1章 藤井達吉がいた時代 大正~昭和初期の美術から

大長さんは先ず、毛利教武《手》(1919)について解説。「毛利教武はフュウザン会の作家。フュウザン会は大正元(1912)年に岸田劉生らが結成した芸術家集団。表現主義的作風を強調したが、活動期間は半年ほど。藤井達吉もフュウザン会に所属しています。そのため、第1章では木村荘八《樹の風景》(1913)、岸田劉生《童女飾髪之図》(1921)萬鉄五郎《冬の海》(1922)など、フュウザン会の作家の作品を6点出品。なお、萬鉄五郎は洋画家ですが《冬の海》は南画風の日本画です」との解説もありました。

毛利教武《手》(1919)

バーナード・リーチについては「彼は横浜市で陶芸をしていましたが、藤井達吉が横浜市の上野桜木町に住んでいた頃に、達吉と知り合った」とのことでした。小茂田青樹《城》(大正後期)については「この頃には日本画でも新風が吹き、小茂田青樹の属した赤耀会などが結成されたが、赤耀会の活動期間は2年と短かった」と解説。小川芋銭《河童図》については「再興院展に出品」との解説がありました。

◆ 第2章 藤井達吉の精神

大長さんによれば「第2章では、藤井達吉と造形思想を共にする作家を紹介」とのことで、先ず、藤井達吉の姉・藤井篠(すず)《芍薬文鳥毛屏風》(1931)の解説がありました。「絵の具ではなく、鳥の羽毛を刺繍して制作した屏風」という解説を聞くと、参加者は作品に近寄って、羽毛が刺繍されていることを確かめていました。

藤井篠(すず)《芍薬文鳥毛屏風》(1931)

香月泰男については「第二次世界大戦後、シベリアに抑留された経験を持つ作家。作品には宇宙に対する視線を感じる。《洗濯帰り》(1963)に描かれた三角形の窓には、藤井達吉《大和路》(1957)の三角形に切り取られた空との共通性を感じる」との解説があり、和田三造《花鳥図屏風》については「文展で最高賞を得た《南風》で知られる作家だが、装飾的な作品も手掛けている。大正後期の作品ではないか」と解説。地元作家である杉本健吉の作品についても紹介されました。

和田三造《花鳥図屏風》

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち 

part1:地域の美術振興に足跡を残した作家たち

地元ゆかりの作家の作品を紹介する章です。加藤潮光《比島観音像》(1971)について、西尾市の三ヶ根山にある観音像の模型と下図などを展示しており、大長さんは、碧南市の出身などと解説していました。

なお、伊藤廉《柘榴・無花果》(1935)以降は大野さんにバトンタッチ(と記憶しています)。伊藤廉は「愛知県立芸術大学の創設に尽力、初代の美術学部長に就任」。久田治男《夢魔の晦(2)》(1979/2005)については「加藤潮光と同様に碧南市出身。1970~80年代の愛知の現代美術を代表する作家の一人」とのことでした。

久田治男《夢魔の晦(2)》(1979/2005)

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち 

part2:新たな表現を希求した作家たち

大野さんによれば「ジャンルを超えた作家たちの作品を紹介した章」とのこと。中村正義《(「男と女」シリーズより)》(1963)については、「日展のホープだったが、脱退。その後、黄色、赤色、緑色など、あまり絵に使わない原色や蛍光塗料などを使った作品を発表」と解説。星野眞吾《何処へ》(1980)については「中村正義と同じ『从会(ひとひとかい)』に所属。日本画の画材を使って、洋画風の表現をする作家。展示作品は『人拓』。作家の体で拓本を取ったもの」と解説していました。近藤文雄《婿の朝夢(イ)》《婿の朝夢(ロ)》(いずれも1979)については「『婿シリーズ』のペン画です。作家は、自分の描いた妖怪を漫画家の水木しげる盗作した、と自慢していた」と解説がありました。

庄司達《白い布による空間 ’68-7 ミニ No.2》(2007)については「重力を可視化した作品」。野田哲也《Diary : Sept. 1st ’74》(1974)については「版画で、子どもの写真と子どもが描いた絵を重ねたもの」。八島正明《通学電車》(1977)については「真っ黒に塗った画面を細い針で削って白い線を描いた、根気の要る作品」との解説がありました。

八島正明《通学電車》(1977)

〇 増築した「多目的室」

第3章part2は、今回増築した「多目的室」に続きます。大野さんの説明によれば、多目的室の奥(西側)壁際の上部は吹き抜けで、外光を取り入れることが出来るそうです。壁に寄って真上を見ると、天井付近に窓がありました。奥の壁は、左右とも曲面。大野さんによれば「奥の壁は、左右とつながっているように見えるので、部屋が広く感じます」とのことでした。増築された多目的室ですが、現代アートの展示には最適の部屋だと感じました。

◆ 第4章 近代の藤井達吉

第4章から1階に移動。第4章は全て、藤井達吉作品の展示です。再び大長さんが登場。1階奥の展示室4(藤井達吉記念室)入口横の壁に展示の 《蜻蛉図壁掛》(1912)について「図柄は刺繍したもの。トンボの眼は七宝、翅は竹の皮」との解説がありました。展示室の入り口近くに、三幅の掛け軸が展示されています。右から《日光(朝)》《日光(昼)》《日光(夜)》(いずれも1925)。大長さんは「院展に、三幅対として出品したのですが、いずれも落選だった」との解説。《立葵》(1928)については「花は、絵具に漆を混ぜて着色」と解説した後、「鈴木其一の作品に似ている」と感想を述べていました。

《蜻蛉図壁掛》(1912)

展示室4ですが、今回のリニューアルで、床より少し高い畳の間が出来ました。そこに、二曲一双の《大島風物図屏風》(1916)が展示されているので、楽な姿勢で鑑賞できます。屏風の図柄は、右隻が桜、左隻が椿。春と秋の風物を描いています。

《大島風物図屏風》(1916)

ケース内に展示の図案集には葵が描かれていますが、大長さんから「この葵を元に、碧南市美西側の外壁にレリーフを設置しました」との宣伝がありました。

◆ 第5章 石川三碧コレクション 地域の文化・歴史のなかで育まれた宝物

第5章は、豆田さんの担当。展示しているのは、九重味醂の石川八郎右衛門当主から9年前に寄贈を受けた「石川三碧コレクション」の作品です。なお、石川三碧は、現当主の四代前の当主とのことでした。

豆田さんは、入口近くに展示されている三幅の掛け軸について解説。「文人画家・儒学者の富岡鉄斎が米寿を迎えた明治22(1923)年、鉄斎が三碧宅に宿泊した際に贈られたもので、三碧80歳、夫人70歳も祝っている」とのことでした。その外には、藤原定家の1212年3月9日と推定される「明月記断簡」の解説もありました。「これまで、本物は残っていないとされた日付の日記だったので専門家の鑑定を受けたところ、新発見の本物と鑑定された」とのことでした。作者不明の絵巻物「てこくま物語」(下)(1566)については「東京国立博物館所蔵の写しが知られていましたが、近年の研究により、これが親本であることが明らかにされた」そうです。また、「神戸女学院図書館が所蔵する『おかべのよー物語』が『てこくま物語』の上巻にあたる」とのことでした。

◆ 最後に

 今回、展示室の外で見た作品が3点ありました。一つ目は、1階ロビーの壁に展示されていたのが桑山真《鋼鉄による作品 # 252》(1974)。碧南市美によれば「本展開催中の展示」とのこと。二つ目は、階段で2階に上がり切る手前に、右側壁面に展示されている山本富章《Double Rings》(2020)。本展終了後も、しばらくの間は展示されるようです。最後は、喫茶コーナーの天井から吊り下げられている新宮晋《光のこだま》(2008)。少なくとも今後数年間は、今の場所で見ることができるようです。

山本富章《Double Rings》(2020)
新宮晋《光のこだま》(2008)

Ron.

展覧会見てある記 碧南市藤井達吉現代美術館「リニューアル展」 2023.05.04 投稿

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

碧南市藤井達吉現代美術館(以下「碧南市美」)で開催中の「碧い海の宝石箱」(以下「本展」)に行ってきました。碧南市美に行くのは、2020年1月の「“GO WEST”野村佐紀子写真展本展」以来です。約3年4カ月ぶりの碧南市美は、増築されて、2階の南西側が少し張り出していました。1階のエントランスホールは以前のままですが、壁に久野真《鋼鉄による作品 #252》(1974)を展示しています。

会場の入り口は2階。階段を上り、踊り場に足を踏み入れると、巨大なチラシが目に飛び込みました。本展の見どころと思われる作品が八つ並んでいます。番号順に作者名を並べると、① 藤井達吉、② 村井正誠、③ 毛利武士郎、④ 和田三造、⑤ 藤井達吉、⑥ 毛利教武、⑦ 伊藤廉、⑧ 富岡鉄斎、となります(以下、チラシの図版を示すときは、丸数字を使用)。

踊り場から1階を覗くと、黄色の四角形が20枚近くも空中に漂っています(作品リストによれば、新宮晋《光のこだま》(2008))。本展の展示は、展示室に入る前から始まっているのです。

2階の受付に行くと、作品リストと本展のチラシに加え、「プレゼントです」と絵ハガキもくれました。ハガキの図柄は、⑤。スイレンとトンボが描かれていました。

細かい話ですが、渡されたチラシと巨大なチラシ、図柄は同じですが、番号が違います。違いは、現物でお確かめください。

◆ 第1章 藤井達吉がいた時代。大正~昭和初期の美術から

 展示室の入り口には、③ 毛利武士郎《手の中の眼》(1957)。「戦後の作品が何故、ここに?」と思ったら、近くに ⑥ 毛利教武《手》(1919)も展示。1919年は大正8年なのでOK。毛利教武と毛利武士郎は実の親子なので、ペアで展示したのでしょうね。岸田劉生《童女飾髪之図》(1921)と萬鉄五郎《冬の海》(1922)にも目が留まりました。いずれも、墨絵。なお、岸田劉生の作品のモデルは麗子。油絵とは全く違う画風です。萬鉄五郎の作品は、太く、くねくねとした線で描かれた、仙厓の絵のような「味のある」作品です。この外、黒田古郷《叭々鳥(ははちょう)》を見て、岡田美術館所蔵の伊藤若冲《月に叭々鳥》を思い出しました。親子の河童を描いたと思われる、小川芋銭《河童図》も面白い作品です。

◆ 第2章 藤井達吉の精神

 藤井達吉の姉・藤井篠の《芍薬文鳥毛屏風》は二曲一隻の屏風。何と刺繍で描かれています。説明文には「芍薬の文様は、様々な鳥の羽毛を用いて描かれている」と書いてありました。香月泰男の《洗濯帰り》(1963)と《星を見る者》(1964)ですが、絵の前で立ち止まり「四角いのは、人間か?細長いのは、望遠鏡か?」などと自問自答を繰り返していました。迫力があったのは、筧忠治の《男の顔》(1930)と、猫を描いた《ボニー》(1990)。名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「コレクションの20世紀」(以下「20世紀展」)にも、筧忠治の作品がありましたね(《自画像》(1935))。④ 和田三造《花鳥図屏風》もあります。「ナマズ」と思われる魚は、向かって右の屏風(右隻)一番右(一扇)の下部にありました。ケイトウやキジ、サルなども描かれていますが、いずれも肩の力が抜けたイラスト風のもの。親しみを感じました。

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち part1

地域の美術復興に足跡を残した作家たち

最初に展示の、加藤潮光《比島観音像》(1971)には図面も付いています。解説によると、三ヶ根山の「比島観音像」(第二次世界大戦中、フィリピンの激戦で亡くなった50万人余の慰霊のため、1977(昭和52)年に安置されたブロンズ像。所在地は西尾市)に先立って制作されたマケット(maquette : 模型)でした。

⑦ 伊藤廉《柘榴・無花果》(1935)もあります。横長の画面の下半分に十数個の柘榴と無花果を描いた、赤が印象的な作品で、離れていても目立ちました。隣の、真っ暗な背景から浮かび出る、色白の女性の顔と白い仮面を描いたモノクロームの作品(久田治男《悪夢の晦(2)》(1979))にも、しばらくの間、見入ってしまいました。荻須高徳、三岸節子、鬼頭鍋三郎など、名古屋市美術館の常設展でもなじみの作家の作品が並ぶ中、二人の裸婦を描いた、佐々木豊《十字架の構図》(1991)の「赤」が強烈でした。

この外、ステンレス板を中央で折って、左をハイヒールの脚に、右をローヒールの脚に切り抜いた彫刻に目が留まりました。福田繁雄《健康都市碧南(ヘルシーゲート)》(1988)で、市制40周年のモニュメントの原型とのことでした。そういえば、9月23日から市美で「福田美蘭-美術ってなに?」が開幕しますが、福田繁雄さんは福田美蘭さんのお父さんでしたよね。

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち part2

新たな表現を希求した作家たち

いつ見ても、中村正義の「男と女」シリーズはインパクトのある作品ですが、碧南市美でも見ることができました。日常風景なのに、この世のものとは思われない雰囲気を漂わせる作品もありました。八島正明《通学電車》(1977)です。絵の解説には「原爆記念資料館の石段に焼き付いた人間の影に衝撃を受け」と書いてあります。その外、庄司達《白い布による空間 ’68-7 ミニ No.2》は、おしゃれな作品です。

展示室を奥まで行くと、以前なら行き止まりでロビーに出るしかないのですが、増築したので、その先にも部屋(多目的室A)があります。中に入ると、正面には中西夏之の《4ツの始まり-2001-Ⅲ》(2001)と《4ツの始まり-2001-Ⅳ》(2001)を展示。20世紀展でも中西夏之の作品が展示されていますね。左の壁には、② 村井正誠《人々》(1979)を展示。右の壁の展示は三尾公三《夢幻の風景》(1989)なので、抽象絵画と具象絵画が向かい合わせになっていました。

2階の展示は、以上で終わりです。2階ロビーに戻って、1階に移動。

◆ 第4章 近代の藤井達吉

1階の奥まった部屋が第4章の会場(藤井達吉記念室)です。入口横の壁に、 ⑤《蜻蛉図壁掛》(1912)がありました。図柄は刺繍したもの。トンボの眼は七宝、翅は竹の皮とのことです。① 《大島風物図》(1916)もあります。図柄は刺繍したものですが、屏風の裏にも絵があり、こちらは絵の具で描いたものです。

絵や刺繍だけでなく、七宝や漆絵なども展示されており、藤井達吉の多才ぶりに、目を見張りました。

◆ 第5章 石川三碧コレクション 地域の文化・歴史の中で育まれた宝物

大浜地区で三河みりんの製造を続けている石川八郎右衛門家に伝来した作品を展示。石川三碧は同家の25代目で、文人画家・儒学者の富岡鉄斎と交流があったようです。最初の展示は、入って右の三幅対の掛け軸。富岡鉄斎が米寿を迎えた1923年に贈られたもので、右が《西王母図》、中央が《瀛州仙境図》、左が ⑧《福禄寿図》でした。富岡鉄斎からは多くの掛け軸が贈られたようで、《和合万福図》など、縁起の良い主題の掛け軸を見ることができました。藤原定家の《明月記断簡》(本物)も展示されています。必見ですよ。

◆最後に

 碧南市美では、これまでも藤井達吉に関する展示を見てきたと思うのですが「何をした人なのかな?」と、もやもやした印象でした。しかし、本展では絵だけでなく、陶芸、七宝、漆芸、刺繍、文書棚や銘々盆など様々なものを見たおかげで、藤井達吉の業績の幅の広さを改めて認識できました。5月14日(日)の協力会ミニツアーは「予約不要」のギャラリートークに参加する形で行うようですが、今から楽しみです。

Ron.

展覧会見てある記 愛知県美術館「近代日本の視覚開化 明治」 2023.05.01 投稿

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

愛知県美術館(以下「県美」)で開催中の「近代日本の視覚開化 明治」(以下「明治展」)に行ってきました。展示室には300点を越える品物が犇(ひし)めき合い、駆け足で見ても1時間半近くかかりました。明治展は品数の多さと、展示品が持つ迫力に圧倒されて疲れます。疲れないように鑑賞するコツは、ズバリ「見たいものを見る」ということです。

ただし、体力に自信のある方は「何でも見てやろう」と駆け回ってください。何時間見ても、飽きることがありません。それは、明治展が「展示物が持つ迫力を、サーフィンするように楽しむ」展覧会だからです。以下、展示品のなかから幾つかをご紹介します。

◆第1章 伝統技術と新技術

 見ものは、先ず「五姓田派」(ごせだは:横浜を拠点とした絵師の集団)の作品が「これでもか」と、並んでいることです。渡辺崋山の国宝《鷹見泉石像》へのオマージュが並んでいるような感覚を覚えました。《鷹見泉石像》は、西洋絵画と同じ技法・テーマを目指した幕末の肖像画、五姓田派の肖像画は日本の伝統技法を土台にした油絵への挑戦ですから、気持ちが通って当然。「幕末と明治は、一続きのものだ」と感じました。

次に、東京国立近代美術館で開催中の「重要文化財の秘密」では高橋由一の《鮭》を展示していますが、県美でも小さな作品ながら「鮭」を鑑賞できます。それは、五姓田義松の油絵です。池田亀太郎の《川鱒図》も見もの。ただ、作者の説明を見落としたのは残念。

最後に、明治展では、名古屋市美術館で開催中の「コレクションの20世紀」(以下「20世紀展」)と同じ画家の作品が鑑賞できました。画家の名前は野崎華年。20世紀展の出品は1点ですが、明治展は3点。しかも、明治展のうち1点は名古屋市美術館蔵でした。

◆第2章 学校と図画教育

 思わず立ち止まったのは、小栗令裕の石膏像《欧州婦人アリアンヌ半身》と寺内信一《裸婦像》です。しかも、《裸婦像》は「陶」つまり「せともの」なのです。

◆第3章 印刷技術と出版

 きれいな地図や昔の写真がたくさん並んでいる中で、岡田三郎助《ゆびわ》に目が留まりました。岡田三郎助の原画を元に、多色石版の技術で印刷したもの。雑誌の付録として印刷されたものですが、明治の終わりごろの印刷技術の高さに感心しました。

◆第4章 博覧会と輸出工芸

 何といっても高度な技術を凝らした陶磁器や七宝、錦絵が目を引きます。でも、個人的には寄木細工の「チェステーブル」に注目。用途はチェスですが、寄木細工の柄は日本調。面白いと思ったのは、二つの工夫です。一つは、折りたたみ式の天板。折りたたむとチェス盤、広げるとテーブルに早変わりします。もう一つは、引出しの一番下の板。引き出すと、飲み物などが置ける棚になるのです。この「折りたたみ式の天板」と「引き出せる棚」、二つともジェイアール名古屋タカシマヤで開催された「北欧デザイン展」で見ました。食器棚で「引き出せる棚」を、テーブルで「折りたたみ式の天板」を取り入れていました。いずれの工夫についても「日本の箪笥の影響を受けている」との説明がありました。

Ron.

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