「アドルフ・ヴェルフリ展」ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「アドルフ・ヴェルフリ展」のギャラリートークに参加しました。担当は笠木日南子学芸員(以下「笠木さん」)、参加者は34人でした。

◆アドルフ・ヴェルフリ(以下「ヴェルフリ」)って、どんな人?
笠木さんによると「ヴェルフリ(1864-1930)は、日本でいえば江戸時代(幕末)生れの人。父は石工で、彼は7人兄弟の末子。家は貧しく、ヴェルフリが8歳の時に一家離散。ヴェルフリは里子に出されて里親の下で働かされた後、各地を転々とし、1885年、31歳の時に精神病院に収容された。今回の展示は、病院の中で描かれた作品。」とのことでした。
ヴェルフリは、とても悲惨な境遇の人だったのですね。
◆第1章 初期の作品
笠木さんによると「ヴェルフリは、自分を作曲家だと思っており、作品を楽譜と呼んだ。ただし、楽譜は五線譜ではなく六線譜で、初期の作品には音符がなかった。ヴェルフリの特徴は、初期から晩年までスタイルが不変であること。」とのことでした。
確かに、画面を隙間なく直線や曲線、人の顔、丸、ナメクジのような形、文字、数字などで埋め尽くすというスタイルはどの作品にも共通していますね。それにしても、下書き無しで大画面を破綻なく描き切るヴェルフリの才能は大したものだと思います。
◆第2章 揺りかごから墓場まで(1908-1912)
 笠木さんによると「第2章の作品が最も色鮮やか。1908年に研修医のモルゲンターラーが赴任して、ヴェルフリの作品を価値あるものと認め、色鉛筆を与えたことによりカラフルな作品が生まれた。ヴェルフリは色彩感覚に優れており、描いているうちに色鉛筆がどんどん短くなって使える色鉛筆が減っていっても、残った色をうまく使い、色彩のバランスが崩れない。”揺りかごから墓場まで“は、世界各地を旅して、お金を稼ぎ、自分の領地を広げるという冒険物語。ただし、文章と絵の内容は一致していない。また、稼いだお金の1973年から2000年までの利息を計算した表もある。」とのことでした。
 「物語を書いて、絵も描く。」という行為は、想像の世界に羽ばたき、ヴェルフリの過酷な境遇を忘れさせるもので、彼の生活に欠かせないものであったと分かりました。
◆第3章 地理と代数の書(1912-1916)
笠木さんによると「第3章でヴェルフリは、自分が得た資本財産の利子計算をして、画面を膨大な桁数の数字で埋め尽くすとともに、多くの楽譜を描いている。楽譜のもとになっているのは、教会で聞いた音楽や、教会で見た楽譜、軍隊で聞いた音楽、フォークダンスの曲など。」とのことでした。
たとえ、机上の計算であっても、自分の資産がどんどん増えていくことは楽しいものです。膨大な桁数の数字を書き続けることは、ヴェルフリの生き甲斐だったのでしょう。
◆第4章 歌と舞曲の書(1917-1922)、歌と行進のアルバム(1928-1924)
笠木さんによると「第4章では、絵が減ってコラージュが増えていく。また、神の名の頭文字のアルファベットを装飾的に描き、人の顔や丸、曲線などのモチーフで埋め尽くした作品もある。」とのことでした。
笠木さんは、芸者の写真のコラージュやキャンベル・スープの缶詰のイラストのコラージュがある作品などについて解説。ヴェルフリの美的センスを実感しました。
◆第5章 葬送行進曲(1928-1930)
笠木さんによると「第5章は、言葉と数字の繰り返しで、“16.シェアー.1.ヴィーガ,16.シェアー:1.ギーイガ.16.シェアー:1.シュティーガ,16.シェアー.1.シーイガ,……”というように、ヴィーガ(Wiiiga:方言で「揺りかご」)を、韻を踏んで少しずつ変形させながら、ラップのように繰り返し書いている。」とのことでした。
ヴェルフリは、語呂合わせ等の言葉遊びが好きな人だったのですね。
◆第6章 ブロートクンスト―日々の糧のための作品(1916-1930)
笠木さんによると「“揺りかごから墓場まで”等は自分のための作品で売りに出すことは無かったが、当時、ヴェルフリは売れっ子で、作品を買う人がいた。ブロートクンストは販売用のもので、色鮮やかで分かりやすく、画用紙に描いた作品。額装のような装飾が施され、作家のリルケや精神科医のユングも所蔵していた。」とのことでした。
自分の作品が売れて小遣い稼ぎができたことで、ヴェルフリは大きな自信を得たことでしょう。今見ても、ブロートクンストは可愛いと思います。
◆アドルフ・ヴェルフリの再評価
笠木さんによると「ヴェルフリの死後、1945年にジャン・デュビュッフェが病院を訪れて、ヴェルフリの作品を発見し、Art Brut (アール・ブリュット=生の/未加工の芸術)と名付けて高く評価した。1950年代には、シュルレアリストのアンドレ・ブルトンもヴェルフリを評価。1970年代には、スイス出身のキュレーターのハラルト・ゼーマンがベネチア・ビエンナーレやドクメンタで紹介。ヴェルフリの作品はモダン・アートのアーティストたちを刺激した。」とのことでした。「モルゲンターラーが赴任するまで、ヴェルフリの作品は「価値がない」として捨てられていた。」との解説もありました。
現在、日本経済新聞に、伊藤若冲をはじめとする江戸美術の収集家、ジョー・プライスが「私の履歴書」を書いています。連載の第1回は、若い頃に一目見て思わず買った絵が若冲の作品だったという話でした。江戸美術の収集を進めるうちに、辻惟雄や小林忠といった研究者と知り合い、コレクションの輸送費や保険料をプライスが負担して、江戸美術の展覧会開催に協力したという話もありました。ヴェルフリや若冲の例を見ると、芸術作品が評価されるには審美眼を持った人物との出会いが必要なのだな、と思いますね。
◆最後に
 この展覧会が始まるまで、アドルフ・ヴェルフリという人の名前すら知らなかったので、ギャラリートークも参加者は少ないだろうと思っていたのですが、意外に人数が多かったのでびっくりです。ギャラリートークでは、不思議な魅力のある作品を数多く見ることが出来ました。

解説してくださった笠木学芸員、ありがとうございました!

解説してくださった笠木学芸員、ありがとうございました!


Ron.

「永青文庫展」後期展示作品のギャラリー・トーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor


名古屋市美術館で開催中の「永青文庫 日本画の名品」が2月7日から後期展示になったので、名古屋市美術館の保崎学芸員(以下「保崎さん」)に無理なお願いをして、後期展示作品のギャラリー・トークも開催されることとなりました。急遽の決定で周知期間が短かったにも関わらず、参加者は47名。1月15日のギャラリー・トークの参加者48人に迫る人数でした。
午後2時からの解説会に引き続いてのダブルヘッダーでしたが保崎さんは元気で、トークにも熱が入っていました。90分にわたって楽しく解説を聴いた後、参加者一同による保崎さんに対する感謝の拍手で、ギャラリー・トークは「お開き」。
◆後期展示の作品
 後期の展示となったのは10作品。解説のあった順に並べると、以下の通りです。
寺崎廣業(てらさき・こうぎょう)《月夜山水(げつやさんすい)》、横山大観《野の花》《柿紅葉(かきもみじ)》《山窓無月(さんそうむげつ)》、菱田春草《六歌仙(ろっかせん)》《黒き猫》、小林古径《髪》、堅山南風(かたやま・なんぷう)《霜月頃(しもつきころ)》、上村松園《月影(つきかげ)》、松岡映丘(まつおか・えいきゅう)《室君(むろぎみ)》
◆後期の主役は《黒き猫》………
保崎さんによれば、「前期の主役は菱田春草の《落葉》、後期の主役は同じ作者の《黒き猫》。それを念頭に置いて作品の配置を考えました。前期は《落葉》の枯れ葉と被らないよう、横山大観《柿紅葉》を後期に回し、同じ作者の《雲去来(くもきょらい)》を展示。紅葉つながりで、堅山南風《霜月頃》も後期展示となりました。その結果、『紅葉があるので、後期の方が華やか』という声が聞かれます。意図した訳ではありませんが、確かに声のとおりですね。」とのことでした。
後期の主役《黒猫》。一幅の掛け軸ですから、六曲一双の屏風《落葉》に比べると遥かにちっちゃいですが、迫力は十分。黒のぼかしだけで猫の身体つきがわかるという描写は、さすがです。
保崎さんは「焼き芋屋からネコを借りてきて、五日間で描いた。ネコがじっとしていないので苦労したようだ。展覧会で評判となり、注文に応じて何点も黒猫の絵を描いている。それらの作品を見ると、このネコは柏の木から地面に跳び降り、逃げて行ったらしい。」とも解説。
◆クールな描写の《髪》
《黒猫》の隣は、同じく重要文化財の小林古径《髪》。保崎さんによれば「線描中心のクールな描き方をしている、線描の美しさに目が行くようになった昭和初期の日本画を代表する作品。左側の半裸の女性は伝統的な女性美、腰巻の青緑色が爽やか。右の女性は妹とも女中ともいわれるが当世風のキリッとした姿。川端龍子は、この作品を『隙がない』と評価。また、落款が無いので『未完成では?』という声もあるが、落款が無いのは『落款に失敗して作品を台無しにすることを恐れたのではないか』という声もある。」とのことでした。
◆上村松園と鏑木清方、美人画の競演
上村松園《月影》とは2013年の「上村松園展」以来、四年ぶりの再会。保崎さんも懐かしそうに解説してくれました。2階に展示の鏑木清方《花吹雪》と同じ文化文政頃の風俗、母・若い娘・幼女という組み合わせも同じであり、《花吹雪》についての解説もありました。
◆最後に
今回のように会期の途中で主要作品の入れ替えがあるときは、名古屋市美術館には世話を掛けますが、後期にもギャラリー・トークがあると良いですね。 Ron.

保崎学芸員、2度の講演ありがとうございました!

保崎学芸員、2度の講演ありがとうございました!

「永青文庫展」ギャラリー・トーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「永青文庫 日本画の名品」(以下「本展」)のギャラリー・トークに参加しました。前日からの大雪で欠席者が続出したものの48名が参加。展覧会への期待の高さが伺えました。JR東海道線の運行停止で、保崎学芸員(以下「保崎さん」)が開始時刻に間に合わず、代わりに角田学芸員(以下「角田さん」)のレクチャーでスタート、中盤から保崎さんへバトンタッチとなり、「二人から話が聞けて、お得なギャラリー・トーク」となりました。

◆本展について
 角田さんによれば、「永青文庫は、熊本藩の藩主・細川家の家宝を所蔵する財団。明治維新、敗戦という二つの危機で多くの藩主がお宝を散逸させた中、細川家は財産を持ちこたえた稀有な存在。特に、永青文庫の現理事長である細川護熙氏(元総理大臣)の祖父、細川護立氏は「美術の殿様」と呼ばれるほどの審美眼があり、永青文庫のコレクションを充実。本展は、護立氏による収集作品のなかから、近代日本画の名品と江戸時代の禅画を展示。近代日本画は、作家が画壇で認められるきっかけとなった見どころの多い作品ばかりなので、じっくりと鑑賞して欲しい。白隠、仙厓の禅画は、今でこそ人気だが、つい先ごろまでは「知る人ぞ知る」見向きもされないものだった。それを、護立氏は白隠・約千点、仙厓・約百点所蔵。見る目の確かさが窺えます。本展では、日本画の技法を解説したパネルも用意したので、是非、見てください。照明にも凝っており、全て、外注。」とのこと。会場に入ってみると、その言葉どおりでした。
■第一部 近代の日本画
◆日本美術院の大家たち
展示の冒頭は、岡倉天心が日本美術院を茨城県五浦海岸へ移したときに同行した画家の作品。
角田さんによれば、「下村観山は「うまい」作家で、《女》は「技巧の極致」。帯にナデシコの花と「やまと」の文字。これで「大和撫子」を暗示。木村武山《祇王妓女》は平家物語のエピソードを絵にしたもので、やまと絵と狩野派の統合を図っている。横山大観《山路》は修復を終えており、復活した鮮やかな色彩を見てほしい。熊本県美所蔵の三幅対《焚火》は、禅画の画題として好まれた「寒山・拾得」を描いたもの。巻物を手にしているのが寒山、箒を持つのが拾得で、煩悩の塊である落ち葉を燃やしている図。《老子》は、先生である岡倉天心へのオマージュ。下村観山・横山大観合作の《寒山拾得》は観山が寒山を、大観が拾得を描いている。個性豊かな二人なのに調子を合わせて描いているのが面白い。なお、観山は「寒山」のもじり。菱田春草の《平重盛》は、清盛が上皇を討とうとするのを、息子の重盛が諫めようと駆け付けた場面を描いたもの。有職故実をしっかりと押さえて描いている。また、とても早描き。重要文化財の《落葉》は、日本画の技法「ぼかし」「たらしこみ」をうまく使って描いている。横に広がる「無限感」がこの絵の魅力。落ちる木の葉で時間を表現している。」とのことでした。
◆再興日本美術院展の画家たち
午後6時少し前に、ようやく保崎さんが到着。大観たちの次の世代、再興日本美術院展の作家から保崎さんの解説になりました。保崎さんによれば、「今村紅紫の三幅対《三蔵・悟空・八戒》は、南画風の自由奔放な作品。小林古径の二曲一双《鶴と七面鳥》は、琳派の《風神雷神》を意識している。川端龍子は、当初洋画を描いていたが日本画に転向し、再興日本美術院展で入賞。その後、「会場芸術」としての日本画を主張して青龍社を旗揚げした作家。本展では三面の《霊泉由来》を展示している。」とのことでした。
◆京都画壇の作家
解説は続きます。「円山応挙の系譜に連なる竹内栖鳳は、写実と筆の技術に西洋風の色使いや写真の構図も取り入れた作家。三幅対《松竹梅》のなかの《梅》は、モネの睡蓮に近い描写が見られる。西村五雲の六曲一双《林泉群鶴図》は、非常にうまい。堂本印象《調鞠図》は彼の出世作。」とのことです。鍋鶴と丹頂鶴を描いた《林泉群鶴図》は、まさに「酉年のお正月」の絵です。
本展では向かい側に作品が無く、ただの壁になっているという展示が多いと感じました。おかげで、大きな作品を見るために後ろへ下がっても支障がなく、ガラス面の写り込みも目立ちません。とても快適です。保崎さんも「展示方法には、こだわった。」と言っていました。
◆2階には
2階にも近代日本画の展示が続きます。保崎さんは鏑木清方の双幅《花吹雪・落葉時雨》について、「この作品は、文展に対抗して開催された国画玉成会主催の展覧会で三等賞第三席を受賞。因みに一等賞、二等賞は該当作がなく、三等賞は、外に前田青邨、今村紫紅が受賞。また、上村松園が文展で三等賞を受賞。なお、描かれた女性の衣装は文化文政頃のもので、花吹雪は京都、落葉時雨は江戸の風俗。」と解説。平福百穂《「豫譲(よじょう)》については「『史記列伝』の『刺客列伝』に登場する人物を題材にしたもの。文展で特選となり、千五百円の値が付きました。ただ、現在に換算した値段は見当がつきません。」という話になり、角田さんが「家が一軒建つ値段です。」と補足してくれました。
■第二部 白隠と仙厓の禅画
◆白隠
 保崎さんの解説では「護立氏は若い頃、大病を患ったときに知人の阿部無仏氏から白隠の「夜船閑話」を読むよう勧められ、その教えを実践して回復。それがきっかけとなり、十代の頃から白隠の禅画収集を開始。当時は、禅画を収集する人は少なく、比較的容易に収集できたようだ。白隠は沼津の禅僧で絵はアマチュア、禅の教えを広めるための手段として禅画を描き、人々に与えた。絵と画賛(絵に添えられた文章、詩句)を、ともに味わうのが禅画の楽しみ方。」とのことでした。
◆仙厓
保崎さんの解説では「仙厓は岐阜県関市の生まれで、博多の聖福寺(しょうふくじ)の住職の住職を務めている。《寒山拾得》のような伝統的な禅画も描いているが、最近は「ゆるキャラ」というか子どもが描いたようなユーモラスな絵が人気。《朧月夜》は画賛に「切れ縄に口ハなけれど朧月」とあり『暗いところでは縄を蛇と勘違いすることがある、先入感を捨て真実をとらえる必要がある』という教えを説いている。《絶筆》は、あまりに絵の注文が多いので「今後、絵は描きません。」と知らせるもの。ただ、この《絶筆》、実は何枚も描いている。」とのことでした。
◆最後に
見て回った点数は多くないのに、終わってみればタップリ2時間あまり。角田さん、保崎さんの展覧会にかける意気込みが伝わりました。ありがとうございます。参加者一同、大満足でした。
近代日本画はお殿様の収集品らしく、大広間で見たくなる豪華なものが多くて、お正月らしい展覧会です。一方、禅画は、絵はへたウマでも画賛は禅の教えに裏打ちされており、味わい深いものばかりです。どちらも、もう一度、じっくり鑑賞する必要がありますね。
後期のみの展示が菱田春草《黒き猫》や上村松園《月影》な十点もあるので、後期(2月7日(火)~26日(日))も見逃せませんね。
Ron.

永青文庫展ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

 1月15日日曜日、昨日から全国的に大雪に見舞われるなか、名古屋市美術館では協力会の会員限定ギャラリートークが開催されました。当日解説してくださる予定だった保崎学芸員が公共交通機関のトラブルに巻き込まれ開始時間に間に合わず、急遽副担当の角田美奈子学芸員による助っ人解説がはじまりました。

急遽解説してくださった角田学芸員

急遽解説してくださった角田学芸員


 永青文庫のコレクションは、大名細川家に伝来した文化財、そして、かつて総理大臣をされた細川護熙さんのおじいさんに当たる細川護立さんが蒐集した膨大な美術工芸品によって成り立っています。護立さんは優れた目利きとして知られ、後に日本美術の発展に大きく貢献することになる横山大観、下村観山、菱田春草などの、当時まだ評価の定まっていない作品なども蒐集しています。近年大変な人気の白隠や仙厓の書画も多数展示されており、今回の展覧会では、日本画の優品に加え、これらの禅画も楽しむことが出来ます。
保崎学芸員到着!ここで交代です

保崎学芸員到着!ここで交代です


 話を聴いているうちに保崎学芸員が到着!6時からの約1時間は、各作品についてのエピソードなどを話してくださいました。その間も角田学芸員も解説を加えてくださり、当日集まった会員は二人の学芸員からの解説にご満悦でした。
 展覧会は前期後期で作品の入れ替えあり。後期には春草の黒き猫も展示されます。必見です。

「マヌエル・アルバレス・ブラボ写真展」ギャラリー・トーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor


名古屋市美術館で開催中の「マヌエル・アルバレス・ブラボ写真展」(以下「本展」)のギャラリー・トークに参加しました。参加者は44名と、写真展にしては多め。2階講堂に集合した後、1階展示室へ移動。山田学芸課長(以下「山田さん」)のトークが始まりました。
◆本展について
 山田さんによれば「本展は国内初の本格的かつ最大規模の回顧展、と言いたいのですが、20年前に清里フォトアートミュージアムでブラボ展が開催されているので、残念ながら2回目の回顧展。しかし、192点という規模は国内最大。世界でも4番目。展示は年代別の4部構成。写真の並びは、ほぼ撮影年代順だがテーマによっては時代的に前後するものもある。」とのこと。
◆ブラボの魅力
ギャラリー・トークの冒頭、参加者はブラボの言葉(下記の通り)を記したパネルの前に集合。
 私にとって写真とは、見る技法です。ほぼそれに尽きるといえます。
 見えるものを撮り、絵画と違って、ほとんど改変もしない。
 こうした姿勢でいると、写真家は予期せぬものを、実に上手に活かせるのです。 1970.4.4
この言葉について、山田さんは「ブラボの写真は、基本的に見えるものをそのまま撮ったストレート写真。刺激的なものは無く、どれも一歩引いて撮った静かな写真。しかし、被写体の周りのものも含めて撮っているので、新しい発見ができる。それがブラボの魅力。」と解説。
当日は盛りだくさんの内容だったので、以下は、その一部を抜粋して紹介します。
■第1部:革命後のメキシコ―1920-30年代
◆第1章:モダニズムへ
1920年代のブラボは、006《カボチャとカタツムリ》(数字はカタログ番号。以下同じ)や007《小便をする子供》のように、造形の面白さに着目して写真を撮っている。基本はストレート写真だけれど、写真にすると現実とは違ってしまう。それが、この写真の魅力。
◆第2章:ざわめく街の一隅で
022《理髪師》、パッと見は「道端で何かやってるな」という印象しかない。しかし、よく見ると町の床屋だと分かる。その発見が、この写真の面白さ。ブラボが撮った街角の写真はフランスの写真家アジェの影響を受けているが、違いもある。アジェの被写体はカメラ目線で大きく写っているが、ブラボの被写体は小さい。撮られていると気づかれないうちにサッと撮っている。
ブラボは街中の看板も好んで撮影。027《二組の脚》は、タイトルどおり男女の脚だけが描かれた壁面の写真。「何だろう」と思って見ると、上にライトが二つ。看板から、店は電気設備屋であり、夜には二組の脚にスポットライトが当たると分かる。照明された脚も想像させる写真。
■第2部:写真家の眼―1930-40年代
◆第1章:見えるもの/見えないもの
044《鳥を見る少女》の少女は上の方を見ている。しかし、この写真を見ている我々に、少女が見ているはずの鳥は見えない。写っていないものを想像したくなる写真。049《舞踊家たちの娘》や059《夢想》も、被写体がカメラ目線ではないので、いろいろなことを想像してしまう。
◆第2章:生と死のあいだ
 メキシコは死が生と近い国。日本と違い、死を隠そうとしない。11月1日~2日が「死者の日」、日本のお盆に近い位置づけだが、お盆と違い明るく楽しく祝う。062《死者の日》の少女が持っているのは、砂糖菓子の髑髏。065《梯子の中の梯子》の画面右上は、看板がわりの子供用棺桶。建物の中には、天井まで棺桶が積まれ、梯子のように見える。071《人々の魂》は、新しいお墓を撮ったもの。一番左のロウソクには、まだ火がついており、さっきまで墓参りをしていたことがわかる。
◆第3章:時代の肖像
 この章の展示は、雑誌“Mexican Folkways”のために、仕事として撮ったポートレート。093《セルゲイ・エイゼンシュテイン》は、ソ連の映画監督。メキシコに来て、監督、助監督、カメラマンの3人で「メキシコ万歳」を撮影したものの、完成することなく帰国。

熱心に話を聴く会員たち

熱心に話を聴く会員たち


■第3部:原野へ/路上へ―1940-60年代
◆第1章:原野の歴史
 1940年代になって、ブラボは新しいジャンルである「風景写真」を撮り始める。この頃、メキシコ政府が国家事業として遺跡の記録写真を撮影することとなり、ブラボも写真家として事業に参加した。それが風景写真を撮るきっかけ。
風景写真といっても、102《頭蓋骨、遺跡、トゥルム》や106《ヒナギク》などを見ると、造形的な面白さに惹かれているのがわかる。また、111《アンガウアのレオン》112《トゥルムのマヤ人の少年》113《ボナンパクのマルガリータ》は、記録写真として撮影しため、他の時代の写真とと違い、カメラ目線になっている。
◆第2章:路上の小さなドラマ
 この章の写真のテーマも街中の様子だが、以前よりも更に下がって撮影しているところが違う。ブラボは同じテーマを繰り返しながら撮っていった写真家。
128《世間は何と狭いことか》は、見ず知らずの男女がすれ違うところを撮ったもの。文学的なタイトルがドラマを想起させる。129《大いなる悔悟者》は寝そべっている酔っ払いを撮った写真だが、5体の天使が写っているので、天使に向かって自分のしたことを悔やんでいるように見える。131《正午15分前》には動きがある。大急ぎで家に帰ろうとしている様子が微笑ましい。
■第4部:静かなる光と時―1970-90年代
◆第1章:あまねく降る光
ブラボは1920年代から光と影を主題にした写真を撮っているが、70年代以降、光と影を主題にしたものが多くなる。また、165《シペ、ケンタウルス》や166《黒い布》などの裸婦像も、ブラボが一貫して撮り続けたテーマ。
◆第2章:写真家の庭
180《自写像》は、カメラと自分の間に窓の格子が写っている。世界から離れてみた自分自身を象徴的に撮ったもの。
また、181から184までの《シリーズ< 小さな空間に>より》は、ブラボが何度も撮ってきた「シーツ」をモチーフにした写真。187から192までの《シリーズ< 内なる庭>より》も、ブラボが何度も撮ってきた「光と影」。メキシコの光は強烈。コントラストが強くなりすぎて写真撮影には不利。しかし、壁に映った木の影を撮ると、コントラストを弱めた柔らかな写真になる。
◆最後に
「各章とも二、三枚の写真を取り上げて、駆け足で解説します。」という前置きで始まったギャラリー・トークでしたが、終わってみればタップリ1時間半。内容豊富で、参加者は大満足。山田さん、ありがとうございました。
最後まで熱く語ってくださった山田学芸課長さん、ありがとうございました!

最後まで熱く語ってくださった山田学芸課長さん、ありがとうございました!


Ron.

佐藤克久さんを招いての「囲む会」

カテゴリ:作家を囲む会 投稿者:editor

「あいちトリエンナーレ2016」名古屋市美術館会場の出品作家、佐藤克久さんを招いた「作家を囲む会」が10月9日(日)午後5時10分から、名古屋市美術館1階 ”Sugiura Coffee” で開催されました。当日のゲストは佐藤さんの外、作家の森北伸さん(県芸文センターB2、名駅 JPタワー名古屋2F貫通通路に出品)、アーキテクトの栗本さん、市美の山田学芸課長の4名。協力会の会員は18名。和気あいあいのうちに「囲む会」は終了。ゲストの皆様、会員からの様々な質問に対し気軽に受け答えをいただき誠にありがとうございました。以下、その一部を紹介させていただきます。

◆「題名が先か」「作品が先か」
歓談の途中、市美の山田さんからクイズが出題されました。「佐藤さんの創作スタイルは、①題名を決めてから作品を創る、②作品が出来てから題名を考える、のどっちでしょう。」という問題。挙手は①7名、②11名。佐藤さんの答えは「状況による。どっちもありだけど、②の方が多いかな。」でした。ならば、選択肢にない「両方」が正解?それとも、②が11①が7なので「会員全体で正解」?

山田さんのクイズに考え込む参加者たち

山田さんのクイズに考え込む参加者たち


◆奈良美智と二人で、自分の合格発表を見た
 森北さんは、愛知県立芸術大学入学時のエピソード。高校時代の先生が、あの奈良美智。一緒に合格発表を見に行ってくれただけでなく、「合格」と分かったら、その足で大学の教官の所まで行って一緒に挨拶してくれたそうです。
ごちそうを前に話が弾む会員たち

ごちそうを前に話が弾む会員たち


◆今回のトリエンナーレで大変だったこと
 アーキテクト(トリエンナーレ会場の設営、動線計画などを担当する人)の栗本さんは建築畑の人。今回苦労したのは長者町会場、展示場所となる複数の建物が取り壊し予定で、取り壊しスケジュールと展示スケジュールとのすり合わせが大変だったそうです。当日は「これから打ち合わせがある。」ため、途中退席。

◆展覧会を見るだけでなく、作品の購入も
 市美の山田さんからは、「展覧会に行くだけでなく、作家の作品で気に入ったものがあれば、是非、買い上げてください。」と、会員へのお願いがありました。
◆なお、「囲む会」では、以上のほか2件の「お知らせ」がありました。
○佐藤克久さんの個展
場所:See Saw gallery + hibit (名古屋市瑞穂区蜜柑山2-29) 日時:10/29まで
○Sugiura Coffee 「おいしいコーヒーの淹れ方」ワークショップ
日時:11/20 PM4:00 から  場所:名古屋市美術館1階 Sugiura coffee
会費:1,000円 (二杯分のコーヒー豆とケーキが付きます)
申込:Sugiura coffee  (協力会会員は、事務局への連絡でも可)
           Ron.

error: Content is protected !!