「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」(以下「本展」)のギャラリートークに参加しました。担当は中村暁子学芸員(以下「中村さん」)。「建築家」の展覧会にも拘わらず(?)参加者は予想を上回って70人になりました。参加人数は多いのですが会場がゆったりしているため、先の「ベストコレクションのギャラリートーク」と同様に全員が一緒に動きました。以下は、中村さんによるギャラリートークの概要で、(注)は私の補足です。

◆エントランスにて
アルヴァ・アアルト(以下「アアルト」)はフィンランドの建築家。木・レンガといった自然の素材を活かしながら周囲の環境と調和した建物を設計しました。本展はドイツのヴィトラ(Vitra)・デザイン・ミュージアムが企画し、ドイツ、スペイン、デンマーク、フィンランド、フランスと欧州五カ国を巡回後、神奈川県立美術館葉山、名古屋市美術館、東京ステーションギャラリー、青森県立美術館の順で開催される国際巡回展です。(注:ヴィトラは、アアルトがデザインした椅子の生産・販売会社であるアルテック(Artek)を傘下に置くドイツの企業です)
アアルトは建築家ですが、家具、ガラス器、照明器具のデザインまで手掛けました。アアルトの本格的な回顧展は東京のセゾン美術館で開催されて以来、20年ぶりの開催です。
(注:以上のトークを聴いた後、1階展示室に移動しました)

◆1階展示室にて
◎初期に手掛けた教会建築
 皆さん方から見て左の展示は、アアルトが初期に設計した教会建築です。ムーラメの教会では家具を始め椅子のデザインまで手掛けています。この時にデザインした革の椅子を見ると脚はスチールパイプ製ですが、その形は「後の『曲げ木』につながるのでは」というのが私の個人的感想です。また、トイヴァッカの教会で設計した燭台は有機的曲線で構成されています。アアルトのデザインには曲線がよく使われていますね。トイヴァッカの教会ではステンドグラスや窓のデザインも手掛けています。

◎舞台装置や博覧会、新聞社のデザインも
 壁に映写しているのは善と悪をテーマにした「SOS」という演劇の舞台装置のスライドショーです。スライドショーの左は「トゥルク市700周年記念 第3回フィンランド博覧会」の広告塔と広告館の透視図です。社交的なアアルトは企業と連携して広告塔や広告館をデザインしました。トゥルク市はヘルシンキの前にフィンランドの首都だった街で、日本なら差し詰め「京都」です。トゥルン・サノマット新聞社のデザインを見ると、初期のアアルトは四角い建物を設計したことがわかります。

◎パイミオのサナトリウム
大きな画面の動画はドイツの写真家アルミン・リンケが撮影したもので、パイオミのサナトリウム周辺の風景です。上下するエレベーターの中から撮影しているのが面白いですね。動画の裏側にパイオミのサナトリウムの病室を再現しているのでご覧ください。壁、天井などは全て、優しい薄緑色を使っています。再現ルームで使用しているベッドなどの家具や照明器具はサナトリウムで使用されていたものです。全てをアアルトが、患者の立場に立ってデザインしました。洗面台は水音が静かになるよう、照明器具は患者がまぶしくないよう配慮しています。クローゼットの形が面白いですね。ベッドは「体格の大きなフィンランド人用にしては幅が狭いのでは」と感じます。アルミン・リンケはパイオミのサナトリウムも撮影しているので、ご覧ください。写真を見ると、実際の病室は再現ルームよりも広いですね。(注:再現ルームでは窓際の部分が省略されているようです)

◎ヴィープリの図書館
ヴィープリの図書館は現在、ロシア領に建っています。第2次世界大戦の結果、当時のソ連領に併合されました。講堂の天井の波形が特色で、これは音響効果を考えたものです。閲覧室の天井には数多くの天窓があるため、室内が明るくなっています。アアルトが描いた音響効果のスケッチも展示しているのでご覧ください。(注:スケッチを見ると、講演者の声が講堂の後ろの方まで届くように波形を配置していることがわかります)
アルミン・リンケの写真をご覧ください。図書館の閲覧室は2階建てで、中央の大きな階段が特色です。アルミン・リンケの写真は建物の細部を切り取るように撮影していて面白いのですが、建物の全体像は分かりにくいですね。ヴィープリの図書館の動画もあるので、ご覧ください。ただ、動画の調子は今一つです。動きがぎこちないのは我慢してください。
(注:展覧会図録p.81~83に掲載の「ヴィーボルク市立図書館(ヴィープリの図書館)の歴史」によれば、①1935年に完成した図書館は1990年代末には修復が必要な状態だった。②1991年に修復委員会が発足したものの資金不足で修復工事は進まず、2009年の段階では完成までに半世紀を要すると考えられていた。③2010年にタルヤ・ハロネン=フィンランド大統領とウラジーミル・プーチン=ロシア連邦首相が合意して650万ユーロの資金が準備され、2011年に図書館を閉鎖して修復工事を開始。④2013年11月23日に図書館再開、とのことです。ネットの記事には、最終的な修復工事費は800万ユーロ(最近の為替レート・1ユーロ=128円で換算して10億2400万円)と書いてありました。フィンランド・ロシア両国に「この図書館は歴史的建造物だ」という認識があったのでしょうね。なお、アルミン・リンケの撮影は2014年。図書館再開の翌年でした)

◎マイ・レア邸
次の写真は「マイ・レア邸」です。マイ・レアはアアルトのお友達で、松林の中に自宅を建てました。アアルトは松林との調和を考えて設計しており、階段室を木の柱で取り囲むなど、木をいっぱい使っています。階段の手すりの曲線も美しいですね。

◎ニューヨーク万国博覧会・フィンランド館
次のコーナーは「ニューヨーク万国博覧会・フィンランド館」(1939)です。フィンランド館の外観はホワイト・キューブ=白くて四角い建物ですが、内部はオーロラのように波打つ、高さ12メートルの壁面です。壁にフィンランドの写真を展示し、その下にフィンランドの産品を陳列しました。このコーナーで映写しているのは「スオミ・コーリング=フィンランドが呼んでいる」という映像作品でシベリウスが音楽を担当。フィンランド館で上映していました。

◎アアルトのアートワーク
1階展示室出口の横に展示しているのはアアルトが制作したレリーフで、彼と親交のあった作家ジャン・アルプの影響を受けています。また、レリーフの前に展示しているのは形が自由に変わる衝立《フォールディングスクリーン 100》です。
(注:この解説を聴いた後、2階に移動しました。なお、1階と2階のエレベーターホールにはアアルトがデザインした《スツール60》を始めとする椅子が置かれており、椅子に座ることや写真撮影をすることができます)

◆2階展示室にて
◎アアルトがデザインした椅子《スツール60》
2階展示室はアアルトがデザインした椅子のコーナーで始まります。この中で代表的なものは3本脚の丸椅子《スツール60》です。《スツール60》は丸椅子のルーツで、「曲げ木」による「L-レッグ」という脚が特徴です。「L-レッグ」は一つの木材にスリットを入れ、そこに薄い板を挟んで曲げた脚です。
また、《スツール60》の隣に展示している椅子の脚は「L-レッグ」開発以前のもので、二つの木材を「組み継ぎ」で直角に接合しています。なお、「L-レッグ」は特許を取っています。
《スツール60》は座面と脚をネジで接合しているので簡単に分解できます。座面と脚、ネジを分けて梱包し、購入者が自分で組み立てるという販売方式を取りました。今では、コム・デ・ギャルソン等とコラボした《スツール60》も生産・販売しています。
アアルトは、自分がデザインした椅子の製造・販売会社アルテックを、友人とともに4人で立ち上げました。アルテック社はアルテック・ギャラリーを設けてフェルナン・レジェとアレクサンダー・カルダーの展覧会やポール・ゴーギャンの展覧会などを開催し、作家とのネットワークを作りました。展覧会の招待状も展示しています。正面の壁は《スツール60》を作っている様子と「曲げ木」を作っている様子を撮影した写真です。(注:このコーナーでは《スツール60》の製造工程を撮影した動画も見ることができます)

◎アアルトがデザインした椅子《アームチェア41 パイミオ》
 《アームチェア41 パイミオ》は「パイミオチェア」とも呼ばれる椅子で、パイミオのサナトリウムのためにデザインしたものです。この椅子の背もたれは、結核患者が楽に呼吸できる角度になっています。また、椅子の座面は合板製で、曲線を上手く使っています。

◎アアルトがデザインした椅子《リクライニングチェア 39》
 このリクライニングチェアの脚は「カンチレバー」(cantilever=片持ち梁)という構造で、U字型の脚です。前方の部材だけで重さを支えているので弾力性があります。後ろに支えるものがないので「大丈夫か」とも思いますが、ちゃんと計算して作っているので、安心して座ることにしましょう。

◎アアルトがデザインした照明器具
 壁際に並んでいるのは、アアルトがデザインした照明器具です。照明器具を吊るしている板をご覧ください。最初に持ち込まれた板は厚さが15センチもあり、とても重かったので別の板を用意して展示しました。

素敵な照明器具のもとで

素敵な照明器具のもとで


◎アアルトがデザインしたガラス器
 ここに展示されているのは《サヴォイベースの型》で、フィンランドの湖の曲線をイメージした花瓶を作るための型です。溶けたガラスに息を吹き込んで膨らませ、この型に入れて成型したのです。現在、イッタラ(iittala)でサヴォイベースを販売しています。
 隣に展示しているのは、アアルトの最初の妻アイノ・アアルトがデザインしたタンブラーです。アイノに先立たれたアアルトは、エリッサと結婚しました。

◎アアルトが設計した建物の模型、図面、写真と建築部材
 この写真は「アアルトの夏の家」で、エリッサと一緒に過ごした別荘です。「実験住宅」という名のように様々なタイルやレンガをモザイクのように組み合わせて使用し、部材がフィンランドの気候に耐えるかどうかを実験しました。建築部材が並んだ棚には「L-レッグ」、「Y-レッグ(2つのL-レッグを組み合わせたもの)」、「ドアハンドル」「棒状のタイル」「赤いレンガ」など、アアルトがデザインした建築部材を展示しています。
「サウナッツァロのタウンホール」では、議会ホール天井の梁の模型をご覧ください。「マルチビーム・バタフライ・トラス」という構造で、放射状に配置された沢山(たくさん)の梁で屋根を支えています。
(注:このほか、「ヴォクセンニスカの三つ十字の教会」「国民年金局」「フィンランディア・ホール」「スニラ・パルプ工場と住宅地区」「文化の家」などについて解説がありました。なお、建築模型の展示台には図面を収納した引き出しがあり、自由に閲覧することができました)

建築模型をのぞきながら

建築模型をのぞきながら


◆影の主役はアルミン・リンケ
本展は「ゆったりとした配置のおしゃれな展示」が印象的で、特に2階の椅子と照明器具の展示空間は気持ちよかったですね。また、アルミン・リンケが撮影した大画面の写真が数多く展示されており、建物の雰囲気を味わうことができました。確かに中村さんが指摘したように「建物の全体は分かりにくい」ものの、「建物の細部を切り取るように撮影」していて臨場感があります。表向きは「アルヴァ・アアルト展」ですが、影の主役はアルミン・リンケでした。

◆最後に
ギャラリートークが終わっても、参加者はなかなか美術館を後にしません。2階出口のショップで《スツール60》などのグッズを眺めている人が多かったのです。販売員が帰ってしまい、グッズ購入はできないのですが可愛い品物が沢山あって見飽きません。また、2階のロビー西側にはパイミオチェアなど数種類のアームチェアに座ることができるコーナーもあり、歩き疲れた参加者が交代で休んでいました。なお、「板張りのパイミオチェアよりも、ふかふかのアームチェアのほうが体は楽だ」というのが、大方の参加者の感想でした。
Ron.

わかりやすく解説してくださった中村学芸員、ありがとうございました!

わかりやすく解説してくださった中村学芸員、ありがとうございました!

モネ それからの100年 記念講演会 と 作家を囲む会

カテゴリ:作家を囲む会 投稿者:editor


5月20日(日)午後2時から名古屋市美術館で「モネ それからの100年 記念講演会」が開催され、「モネ それからの100年」展(以下「本展」)出品作家の松本陽子さん(以下、「松本さん」)が講演されました。また、当日の午後5時からは、松本さんを招待して、名古屋市美術館協力会主催の「作家を囲む会」が名古屋市美術館のスギウラ・コーヒーで開催されました。

◆松本さんの記念講演会=タイトルは「モネの色彩と光」
講演開始の午後2時、会場の名古屋市美術館2階講堂はほぼ満席。深谷副館長の紹介で「モネの色彩と光」をタイトルにした、松本さんの講演が始まりました。以下、一部順序を変えて要点をご紹介します。なお、「注」や(   )書きの文字は、私の補足です。

◎ニューヨーク近代美術館展示の睡蓮の壁画を見て、モネに対する見方が変わった
私は、1967年に訪米し、ニューヨーク近代美術館(以下、「MOMA」)に展示されているモネの睡蓮の壁画(以下、「MOMAの睡蓮」)を見て、モネに対する見方が変わった。モネ、マティス、セザンヌ、そして俵屋宗達の4人は美術の天才だと思う。

◎私のことについて
私は1936年の生まれで、5月22日に82歳になる。私の横にいるのは、山本みすずさん。画廊(注:東京・八丁堀ヒノギャラリー)の娘さんで、パソコンの操作をして下さいます。
スクリーンに投影したのは《光は荒野の中に輝いているⅡ》で、私の代表作。
私の画歴は58年。「どっかで見た絵は描かない。」ということで58年経ってしまったが、あと10年は描きたい。
私は、30数年間ピンクの絵を描いてきた。世界中でピンクの絵を描いている画家は一人もいない。ピンクがきれいな油絵の具は無い。アクリル絵の具にきれいなピンクがあったので、アクリル絵の具で作品を描いてきた。その後、肉体的な問題で、グリーンの油絵の具で絵を描くようになった。
2000年代までは床にカンバスを置き、その周りを動いて絵を描いていた。床にカンバスを置くと、腰を踏ん張って中腰の姿勢で絵を描かなければならない。最近は、それが肉体的に難しくなったので、イーゼルや壁にカンバスを立てかけて絵を描くようになった。緑や青はアクリル絵の具に良い色が無い、そのため、きれいな緑や青がある油絵の具による制作に戻った。
東京芸術大学在学中に、小磯良平先生から「君は僕みたいな絵を描くな。抽象画を描くようにしなさい」と言われ、今もその教えに従って絵を描いている。

◎モネの話
先日、国立西洋美術館(のプラド美術館展)でベラスケス展を見た後ミュージアムショップに寄ったら、お客は皆、モネの《ポプラ並木》と《睡蓮》のポストカードを買い求めていた。その光景を見て「なぜ、モネはこんなに愛されているのか」と、改めて思った。
また、本展を見て私は「こんなに国内に作品があるのか」と、日本国内にあるモネの作品の多さに驚いた。本展の展示作品では《柳》(1897-98頃)が好きだ。

◎MOMAの睡蓮について(その1)
講演の始めで言ったとおり、私は1967年から68年にかけてアメリカに行き、MOMAに展示されている高さ200㎝、横1276㎝のモネの睡蓮に衝撃を受けた。MOMAが睡蓮を収集した経緯については、名古屋市美術館副館長の深谷さんが本展の図録に詳しく書いているので、よく読んで下さい。(注:図録は定価2,400円で発売中)
MOMAの睡蓮は、白がきれい。モネは色彩に対する感覚が鋭い。絵を描くときは白と黒が魔物。白と黒で成功すれば、絵はうまく描ける。モネは白の使い方が上手だった。白を他の色と混ぜない、濁らせない。
モネのグレーにも引き寄せられる。モネのグレーは白と黒を混ぜた色ではない。透明感を持ったグレーで、絵の具の上に色をそっと置いている。モネは丸筆しか使っていない。塗るのではなく、タッチを重ねて色面を作っている。モネは丸筆を使い、縦のタッチが多い。画面から離れるとグレーだが、画面のそばに行くと(様々な色の)筆触が際立って見える。
モネの《睡蓮》は花を描いているように見えるが、そうではない。モネは自分のイメージに自然を合わせている。(注:目の前にある睡蓮を写生しているように見えるが、そうではない。目の前にある睡蓮のイメージを頭の中で再構成してカンバスに描いたという意味か?)
MOMAの睡蓮を見て、私は「アクリル絵の具を使って、水墨画のような形で絵を描く」と決心した。
モネを好いている人は多いが、モネは通俗的ではない。モネは人に媚びていない。セザンヌも通俗的ではない。ピカソは、少し通俗的なところがある。

◎MOMAの睡蓮について(その2)
(注:講演の後半で話された内容ですが、順序を変えてご紹介します)
図録に書かれた、MOMAの学芸員が館長に送った手紙を朗読します。(注:図録の14ページ)
(松本さんが朗読した内容)
その作品は純粋に美しく、またこれ以上ないほど私たちの目的に適(かな)っていると思います。何度も重ね塗りして、絵具を盛り上げ、その上で絵具を描き落としたような作品が何点もあるのですが、その作品はそれらと比べてより自由で、奔放な筆遣いで描かれています。
 (注:これは、ジヴェルニーのアトリエに残されたモネ晩年の大作について書いた手紙。なお、先日のギャラリートークの事前解説で深谷さんは「ポロックなどの抽象美術はアメリカ独自の表現として誕生したが、これを世界にアピールするためには、『突然変異ではなく、ヨーロッパ絵画の伝統とつながっている』という正統性が必要だった。モネにつなげることで、アメリカ抽象芸術の正統性を強調したのである」と、話していました。)

私は、スランプに陥って絵が描けない時代、MOMAの睡蓮を見て私は「油絵の具の伝統には付いて行けない。日本人には水墨画が合っている」と考え、アクリル水彩絵の具に救われた。

◎積みわらの連作がモネの転機
モネの連作には、ポプラ並木、積みわら、ルーアン大聖堂などがあるが、一番は睡蓮。積みわらの連作は「こんなに面白くないモチーフは無い」と思っていたが「積みわらの色彩が睡蓮を生み出した」と思う。モネは積みわらで発明・発見したような色彩を(睡蓮で?)使っている。積みわらには、(モネが)自分で自分を驚かせた色彩が潜んでいる。(その色彩が)睡蓮の大作につながった。
私は《傘をさす女》や《ポプラ並木》が好きで、積みわらは好きではなかった。しかし、今、積みわらは(モネが)作家として面白い色彩の発明・発見をした作品だと思う。
色彩と光ということでは、積みわらがいちばん光を、その季節による変化、時間経過による変化、外気による変化をとらえているような気がする。
積みわらは、空と大地を意識して描いているが、睡蓮になると描かれているのは水面と睡蓮のみ。空が無いのが、睡蓮の特色。

◎白と黒は魔物
モネのグレーは、ブルーがかったグレー。白が一番よく表れている。白の上に白を塗り重ねている。
絵は、白と黒で失敗する。明るいところは白、影は黒と考えている人が多いが、それが絵を面白く無くする原因。モネは油絵をよく知っていたので、白をうまく使っている。《アルジャントゥイユのカササギ》の絵は、白の変化が、白の上に白を重ねるのがうまい。「白と他の色がまじりあって濁る」ということが無いのがすごい。白は透明感の無くなる色だが、モネは白で透明感を出すのがすごい。
また、線で物を描こうとしないのが偉い。モネは色面で物を描くのがうまい。横山大観も若い頃は朦朧体で始まったが、晩年は線で形を描いた。
モネは頭の中にイメージ・理想を描き、それを、自然を、自分に引き寄せるのがうまい。自然をわしづかみにして、自然に挑みかかった。
モネの絵は、そばに行ってみると筆のタッチだけ。引いてみると、それが色面・色の塊になって見えてくる。とにかく、白が強い。
2009年に《陰鬱な荒野》(東京ステーションギャラリー蔵)を制作して国立新美術館に出品した時、モネが脳裏に刻まれていると感じた。
白には神経を使うが、効果は高い。白はモネが、黒はマネがうまく使った。マネは人物のバックなどの色面に黒を使った。それが新しい。
私は仕事に行き詰まると、佐倉市のDIC川村記念美術館か上野の国立西洋美術館に行ってモネを見る。1972年にオランジュリー美術館に行ってモネの睡蓮の部屋に入った時には、絵が自分に迫ってくるように感じた。3、4年前にオランジュリー美術館に行ったときは、空間が変わっていた。明るすぎると感じた。

◎モネの《睡蓮》、セザンヌの《大水浴図》、マティスの《ダンス》
現代の絵画の一つの頂点はモネの睡蓮の壁画とセザンヌの《大水浴図》、マティスの《ダンス》。この3つが頂点だと思う。マティス《ダンス》のグリーンとブルーはモネの白を受け継いでいる。3人の巨匠の作品は、どれもブルー、白、黒がうまい。
モネは柳と睡蓮で、自然への恐れに対して、自然を光、大気などを媒介として作品を描いている。自然に対する取り組み方が違う。自然を脚色している。
セザンヌは自然を練り直している。セザンヌは自然に恐れをなして練り直す。セザンヌは自然に対してベールをかけた作品。
モネは、水、光、大気、空間、季節など、変化していくものを媒介にした、そういうものをテーマにした作品を描いた。
モネは色彩(が素晴らしい)。(それに対し、)現代アートは色彩を蔑ろ(ないがしろ)にしているような気がする。色彩に対する取り組みがオズオズしていて、臆病。色彩を前に出さない。色彩をバチッと出してくる現代美術が見たい。色彩に対して貪欲に、作品に色彩を出して欲しい。

◎私の制作、今までとこれから
私は、アクリル絵の具で作品を描くときは、午前9時から午後4時までかけて一日で1点描いていた。2017年の《振動する風景的画面》では描き込んだため、完成までに2カ月かかった。この時は、新しい光が自分の前に出てきたような気がした。
モネも積みわらの色彩を描き上げたとき「これが新しい自分なんだ。これで自分は生きられるんだ」という経験があったという。それが、ジヴェルニーの睡蓮、水面、日本の橋を30年間描き続けるきっかけ。
モネは「印象派のモネ」だが、印象派からこれほど離れた作家も珍しい。モネは「モネ以外の何物でもない」という印象を強くした。
私は、あと10点くらい大きな作品を描きたい。もう一歩、理想に近づきたい。より高みから描けるようになったら、それが筆を置くとき。それまでは丸筆で頑張りたい。「絵は塗るものじゃない、描くものだ。丸筆を使いなさい」と、小学校5年生の時に絵画教室の先生から言われたことを、私は今も守っている。

◆講演後のQ&A
Q:本展の出品作品2点のタイトルは、どちらも《振動する風景的画面》。同じタイトルにした理由は何ですか。
A:《振動する風景的画面》は、私の好きなタイトル。「松本さんの絵は、毎日違って見える。揺れ動いているように見える。」と、言ってくれるコレクターがいる。「風景的画面」、それが私の自然。作家は自然に学ぶしかない。深く考えないで、素直に見てほしい。

Q:2017年制作の《振動する風景的画面》は2カ月間描いて、どこで「やめる」という決断をしたのですか。
A:山本さんに励まされて描き続けた。「ここなんだ!」というのは、感覚的なもの。ある日、突然に終わりがやってくる。
ピンクの絵をアクリル絵の具で描いていたときは、強引に中断した。アクリル絵の具で制作しているときは、描き始めたら休めない。

Q:モネの場合、「描きすぎて失敗した」という話はありますか。
A:モネは、しつこい人で粘着質だったと思う。しかし、晩年の睡蓮は思い切りがいい。あそこで人が変わったのではないか。スーとした感覚の人に変わっていった。

◆作家を囲む会
 午後5時から、松本さん、山本さん、名古屋市美術館の関係者を招待して、会員20人の参加で作家を囲む会を開催。軽食とお酒、ソフトドリンクをテーブル並べ、午後7時まで歓談しました。途中、サプライズ企画として、松本さんの誕生日をささやかなバースデー・ケーキと「ハッピー・バースデー」の合唱で祝いました。お開きの前に松本さんから「来年10月から、東京・八丁堀のヒノギャラリー(東京都中央区入船2-4-3 マスダビル1階)で個展を開催する。白い作品に挑戦したい。」というお話がありました。

松本陽子さん、バースデーケーキと

松本陽子さん、バースデーケーキと


お酒とお料理に会員たちもゴキゲンです

お酒とお料理に会員たちもゴキゲンです



松本さんの図録をひろげて…

松本さんの図録をひろげて…

間近で見る松本さんは、82歳とはとても思えないエネルギッシュな方で、目力(めぢから)の強さにも圧倒されました。この精神力・体力があるからこそ、あれだけの大作が描けるのだと納得しました。                                   
Ron.

山田純嗣さんを招いた「作家を囲む会」

カテゴリ:作家を囲む会 投稿者:editor

会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます!

会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます!


2018年版の名古屋市美術館協力会カレンダーを制作された山田純嗣さん(以下、「山田さん」)をお招きした「作家を囲む会」(以下、「囲む会」)が、3月25日(日)に名古屋市美術館1階の ”Sugiura Coffee” で開催されました。
山田さんは2012年に開催された「ポジション展」時の囲む会以来、6年ぶりの参加です。今回のゲストは山田さんと名古屋市美術館の保崎学芸係長(以下、「保崎さん」)、協力会の会員は23名、計25名の参加でした。
お料理にお酒で盛り上がる会員たち

お料理にお酒で盛り上がる会員たち


当日はシャンパーニュの差し入れもあって大いに盛り上がり、あっという間に二時間が過ぎてしまいました。
山田さん、保崎さん、ご出席ありがとうございました。
作家の山田純嗣さんと美女たち

作家の山田純嗣さんと美女たち


学芸員の保崎さんも、山田さんを熱く語ってくださいました

学芸員の保崎さんも、山田さんを熱く語ってくださいました


以下、囲む会での話題を二つご紹介します。
◆「めがねと旅する美術展」
囲む会では、山田さんから「めがねと旅する美術展」に作品を出品するとのお話がありました。会場・会期は、①青森県立美術館 H30.7.20(金)~9.2(日)、②島根県立石見美術館 H30.9.15(土)~11.12(日)、③静岡県立美術館 H30.11.23(金・祝)~H31.1.27(日)です。
静岡県立美術館なら見に行けそうですね。
◆高校生の時に見た《赤いチョッキの少年》
 また、囲む会では2018年版名古屋市美術館協力会カレンダー(以下「カレンダー」)制作の裏話が披露されました。
 会員の皆様はご存じのとおり、カレンダーはセザンヌ《赤いチョッキの少年》をモチーフにしたもので、「少年」の画像は輪郭線を残して白抜きになっており、背景には植物や昆虫、鳥、ケモノが丹念に描きこまれています。
 この《赤いチョッキの少年》ですが、山田さんが高校生の時に展覧会で見て感動した作品だというのです。思い出の作品だったのですね。
なお、《赤いチョッキの少年》は、名古屋市美術館においてH30.7.28(金)から9.24(月・祝)までの会期で開催される「ビュールレ・コレクション展」で展示されるとのことでした。
           Ron.

真島直子 地ごく楽

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor


 3月10日土曜日、日中は少し暖かいのですがまだ朝晩は冷えるなか、名古屋市美術館での『真島直子 地ごく楽』展のギャラリートークが開催されました。37名がトークに参加し、担当学芸員角田美奈子さんの解説に熱心に聞き入り、真島さんの色美しくも少しグロテスクな印象も否めない、なんとも興味深い作品を鑑賞。しかし見終わった際には、参加者はすがすがしい思いに包まれました。
 白い大きなキャンバスに鉛筆の黒のみで細かなドローイングをびっしり書き込んだ作品や、木工用ボンドで様々な色の布や紐を固めて作られた立体作品など。点数は決して多いわけではありませんが、1つ1つの作品が強いインパクトを放っていて、作品を観る一人ひとりに何か訴えているようでした。
 そして忘れてはならないのは、2階展示の最後の方、いわば展覧会クライマックスの位置に、名古屋市美術館協力会で美術館の開館25周年を記念して購入、寄付した真島さんの作品が飾られています。協力会の会員みなさま、ありがとうございました。またこのような素晴らしい作品を寄付できるよう、がんばりましょう。

解説を聞きながら

解説を聞きながら


 さらに、今回は地下の常設展示室に名古屋のシュルレアリズムと題して、名古屋で活躍した作家さんのシュルレアリズム絵画が紹介されています。名古屋市美術館所蔵の作品が展示されているのですが、こちらもとても力強い作品が多く、名古屋画壇もこんな素晴らしい作家さんたちを輩出していたんだ!と驚きました。真島直子さんの父親である眞島建三さんの作品も展示されています。真島直子さんの展覧会にいらっしゃったなら必見です(その他、北脇昇さん、吉川三伸さん、三岸好太郎さんなど)
お話してくださった角田美奈子学芸員、ありがとうございました!

お話してくださった角田美奈子学芸員、ありがとうございました!


協力会

シャガール展 ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「シャガール展」(以下「本展」)のギャラリートークに参加しました。担当は深谷克典副館長(以下「深谷さん」)、参加者は58人。以下、深谷さんのトークを要約しました。

まずはエントランスホールでの解説

まずはエントランスホールでの解説


◆エントランスホールで展覧会の概要を解説。こぼれ話も披露
名古屋市美術館で開催するシャガール展は、本展が2回目。前回開催は、開館2年目の1990年。前回はシャガールの回顧展で、ロシアのトレチャコフ美術館・ロシア美術館の所蔵品を中心に、個人蔵も併せて150点を展示。本展の展示作品は173点、うち陶器・彫刻が62点。シャガールが制作した陶器・彫刻は300点だが、売り物では無かったので、大半をシャガールの遺族が所有。そのため、シャガールの陶器・彫刻が多数展示される機会は稀。3年前に愛知県美術館で開催されたシャガール展では十数点の立体作品を展示。ヨーロッパでも47点を展示したのが最高。本展の62点という立体作品数は世界一。
エントランス正面に掲げている大きな写真は1924年の撮影。シャガール本人と妻のベラ、娘のイデが写っている。シャガールは、写真撮影の前年に革命後のソ連からドイツ経由でフランスに戻っている。この頃が作家としても家庭的にも一番充実していた時期。
写真では壁に《誕生日》が写っている。なお、本展で展示の《誕生日》(1923)は、オリジナルの《誕生日》(1911)をシャガール本人がコピーしたもの。写真には有名な《私と村》も写っている。この作品もオリジナルは1911年制作、1923~24年にシャガール本人がコピー。
何故、自分の作品をコピーしたのか。それは、シャガールが20代から30代前半にかけて描いた絵が全て、彼の手元から失われたから。1911年から1914年にかけて描いた作品は、ドイツで個展を開催した後、画商が勝手に売却。1914年から1921年にかけて描いた作品は、トレチャコフ美術館・ロシア美術館の所蔵品となった。そのため、フランスに戻ってから、オリジナルの作品をシャガール本人がコピーして自分の手元に置いた。

◆第1章 絵画から彫刻へ ~ 《誕生日》をめぐって
本展は、5章立て。テーマ別なので、展示作品の制作年代は入り乱れている。
第1章のテーマは「絵画から彫刻へ」。シャガールが立体作品の制作を始めたのは、米国への亡命(1941~1948)からフランスに戻った翌年の1949年。陶芸・彫刻のテーマ・モチーフは絵画で表現したものを、そのまま使用。
第1章に展示の彫刻《誕生日》(1968)も、絵画の《誕生日》と同じモチーフの作品。しかし、「絵画の焼き直し」ではなく、新たな表現になっている。絵画についても「後年のシャガールは代り映えせず、マンネリでは?」と思われるかもしれないが、晩年の作品は色彩が綺麗で、進化し深みが増している。「同じモチーフでも表現がこれほど違うのか。」という体験を楽しんでもらうのが、本展の趣旨

◆第2章 空間への意識 ~ アヴァンギャルドの影響
 絵画《座る赤い裸婦》(1909)はゴーギャンの影響がみられる作品。19010年頃のロシアではゴッホ・ゴーギャンの影響が強かった。シャガールはシチューキンやモロゾフの絵画コレクションを見ていたかもしれない。
 シャガールがパリに出てきた1911年頃、最先端の潮流はキュビスム。第2章ではキュビスムの影響を受けた作品を展示。パリに出て来てから半年から1年という短い期間で自分の様式に到達していることは注目に値する。

◆第3章 穿たれた形 ~ 陶器における探求
 陶器の作品は1949年から制作を開始。その彫刻は2年後から彫刻も始めた。立体作品の制作は、1950年代から1960年代初めに集中。陶器《把手のついた壺》(1953)は壺の一部が上に広がり、女性の顔が描かれている。形がユニーク。シャガールは、下絵を描いてから陶芸作品を制作している。《把手のついた壺》のための下絵を見ると、マグカップから立ち昇る湯気が髪の毛になり、そして女性の顔になったのではないかと、想像される。
 シャガールは自己流で陶器を制作。それが作品の魅力になっている。先生に付いて指導を受けていたら、ここまで自由な造形は無かった。「売り物」ではなく「自分の楽しみ」として制作していることが自由さにつながっている。

◆第4章 平面と立体の境界 ~ 聖なる主題
 第4章に展示のレリーフや絵画は、旧約聖書を主題にした宗教的なテーマの作品。
エコール・ド・パリの作家のほとんどはユダヤ人だが、宗教的なテーマを取り上げているのはシャガールだけではないかと思われる。
1910年代のフランスには、ユダヤ人に対する偏見が残っていた。そのため、シャガール以外の画家はユダヤ教をテーマにすることを回避したと思われる。シャガールがユダヤ教をテーマとした理由はよくわからないが、有力な画商にはユダヤ系が多いので、ユダヤ・コネクションに乗るために宗教的なテーマの作品を制作したのであろうか?
ユダヤ教をテーマにした作品を残すことにより、シャガールは独自の位置を占めている。

◆第4章 平面と立体の境界 ~ 素材とヴォリューム
 シャガールの彫刻は大理石以外にも、ヴァンスの石など様々な素材を使用。シャガールの彫刻は、①本人が下絵を描き、②下絵をもとに専門の石工が石を彫り、③本人が最終的な仕上げをする、という流れで制作している。陶器については、①本人が土を練って造形、②専門家が焼成、という流れ。また、版画は本人が彫っている。
 シャガールの発想は自由で、版画《野蛮人のように》で使ったブーツの版木を、《時の流れに〈逆さブーツのマントを着た男〉》では、上下を逆にして使っている。
絵画《アルルカン》は色鮮やかな作品だが、その下絵では色鮮やかな端切れをコラージュしている。本展では、赤や青など鮮やかな色彩を楽しんでほしい。

◆第5章 立体への志向
《二重の横顔》は羊の骨を拾って来て、片面に目、鼻を描き、もう一方の面に女性の上半身を描いた作品。シャガールは「素材に対して素直でなければならない。」と言っており、素材に寄り添うように作っている。新しいおもちゃを手に入れたような気持ちで作品を制作したのだろう。
 
◆自由鑑賞
 作品解説後の自由鑑賞では、絵画の《通りの魚》(1950)、《魚のある静物》(1969)について「二匹のニシンの横に描かれている物体は、ジャガイモなのか、パンなのか、ローストチキンなのか」ということが話題になりました。色や形はジャガイモみたいだけれど、ジャガイモにしてはサイズが大きすぎる等、議論百出。深谷さんに尋ねると「シャガール本人は何を描いたのか残していない。パンという説が有力だが、本人が何も言っていないので、決め手はない。」と解説。どうでもよい話題でその場が盛り上がりましたが、それもギャラリートークならではのことですね。
 彫刻の中には、少しこすっただけでも表面が削れてしまいそうな堆積岩を素材にしたものもあり、設置には気を使ったとのこと。また、柱状の彫刻は転倒防止の金具でしっかり固定されています。立体作品の展示は大変ですね。
 また、深谷さんから解説があった通り、晩年の作品は色彩が綺麗でした。
 会期は、来年の2月18日(日)まで。
Ron.

ギャラリートークは大盛況でした

ギャラリートークは大盛況でした

ランス美術館展 ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「ランス美術館展」のギャラリートークに参加しました。担当は深谷克典副館長(以下「深谷さん」)と保崎裕徳学芸係長(以下「保崎さん」)、参加者は71人。参加人数が多かったので、1階から始めるグループと2階から始めるグループに分かれて開始。1階の担当は深谷さん、2階の担当は保崎さんでした。

◆「ランス美術館展」が7館も巡回する理由など(深谷さん談)
ランス美術館展は、ランス市と名古屋市の姉妹都市提携(調印式は2017.10.20)を記念する展覧会。ただ、ランス美術館展そのものは、名古屋市が動き出す前から開催準備が進んでおり、名古屋市は割り込む形で参加。巡回の最終・7番目の会場となりました。
なお、姉妹都市提携を考慮し、ランス美術館は名古屋市美術館だけの特別出品として、ドラクロア、コラン、ブーダンの作品を貸出。2階・企画展示室2の展示です。

◆ランス市のこと、ランス美術館のこと(深谷さん談)
ランス市はパリの東、特急で40~50分の距離=日帰り圏の人口20万人弱の都市。歴代フランス王の戴冠式が行われたノートルダム大聖堂(ランス大聖堂)が有名です。
現在のランス美術館は、修道院の建物を改築して1913年に開館したもの。収蔵品は1800年から公開していますが、当初は市庁舎内に展示。建物老朽化のため別の場所に移転し、2018年リニューアルオープンという計画が進んでいましたが、現市長の判断で中止。今は、現建物を改築する計画が2020年着工予定で進んでいます。
ランス美術館は、絵画だけでなく、工芸品のコレクションも豊富。シャンパーニュ地方の中心都市なので、シャンパン会社社長からの寄贈により収蔵品の総点数は5万点超。

◆第1章~第3章のみどころ(深谷さん談)
 1階の展示は、年代順に第1章から第3章まで。
第1章は17世紀からフランス革命前の時代の絵画。マールテン・ブーレマ・デ・ストンメ《レモンのある静物》は、今回唯一のオランダ絵画。単に、レモン、食器、クルミ、貝殻を描いた絵だと思ったら大間違い。ヨーロッパでは意味のない絵画は描けないので、描いているものは五感の象徴。「メメントモリ=世の儚さ」が、絵の主題です。
ランス美術館のコレクションは19世紀以降のものが充実。それは、19世紀以降に寄贈された作品が多く、制作時期も同時代=19世紀以降のものが多いためです。
第2章は、フランス革命期から印象派前の絵画。ダヴィッド(および工房)《マラーの死》のオリジナルはベルギー・ブリュッセルの王立美術館が所蔵。評判が良く、ダヴィッドの工房は3~4枚のコピーを作成。展示されている作品は、そのうちの一つ。マラーはジャコバン党(急進派)に属するフランス革命の指導者。ダヴィッドはマラーの友人で、入浴中にナイフで刺されて暗殺されたマラーの死を悼んで制作したのが、傑作《マラーの死》。惨たらしいはずの殺人現場をキリストのように描くことで、マラーを殉教者・救済者に見せている。画面の上半分を真っ黒に塗ることでマラーの姿が浮き出ており、ドラマチックな効果を与えています。ダヴィッドは「新古典派」に属する画家で革命期に活躍しましたが、ナポレオンの死とともに表舞台を去り、その後、ドラクロワなどのロマン派が台頭。
カミーユ・コロー《川辺の木陰で読む女》は、一見、同じトーンの画面構成ですが、女の髪飾りの赤がアクセントを与えています。これは、コローの絵の特徴。ランス美術館はコローの作品を27点所蔵、ルーブル美術館に次ぐ作品点数です。
エドゥアール・デュブッフ《ルイ・ポメリー夫人》、右手に手袋を持っている理由をランス美術館の学芸員に尋ねたところ、「急な来客と握手をするために手袋を外し、待っている姿」との回答でした。
第3章は、印象派以降の絵画。印象派ではシスレー《カーディフの河岸》、ピサロ《オペラ座通り、テアトル・フランセ広場》を展示。《オペラ座通り》は、ホテルの窓から見た風景を描いた7~8枚の連作の一つ。連作の中では、今回展示作品の出来が一番。影や服装を見ると、描かれた季節や時刻が分かります。因みに、答えは寒い時期の早朝。
ゴーギャン《バラと彫像》、テーブルの上の花瓶を描いただけに見えますが、彫像の頭に花を重ねるなど、絵にした時の効果を狙い画面構成や色彩に工夫を凝らした作品です。

当日、解説してくださった深谷副館長

当日、解説してくださった深谷副館長


◆自由観覧
深谷さんのトーク後は、15分間の自由観覧。元々が自宅などを飾るための個人コレクションだったためか、ゆったりと鑑賞できる作品が多いと感じました。訪問先の応接間に案内され、壁の絵を眺めているといった感覚でしょうか。
自由観覧後は2階に上がり、もう一つのグループと場所を交替しました。

◆フジタとランスの関係(保崎さん談)
 藤田嗣治の略歴ですが、東京美術学校卒業後、1913年に渡仏。エコール・ド・パリの画家と交流する中、1920年代に自分のスタイルを確立。白い下地に細い線で描いた裸婦によってパリの寵児となる。1929年に日本へ帰国後、南米・米国を旅行し、一時日本に滞在して渡仏。1940年、戦火を避けるように帰国。第2次世界大戦後は、居辛くなった日本を脱出し米国経由でフランスに定住。1955年にフランス国籍を取得。1959年にはランス大聖堂で洗礼を受けカトリックに改宗。洗礼名はレオナール・フランソワ・ルネ。洗礼名の「ルネ」はランスのシャンパン会社GHマム社会長・ルネ・ラルー(以下「ルネ」)に因る。
ルネとフジタの交流は、1956年にパリの画廊で開催されたフジタの個展をルネが見て、感銘を受けたことから始まる。ルネの依頼により、フジタはシャンパン(ロゼ)用のバラの絵を描いた。この時のバラの絵は今も使われている。改宗の半年前、フジタはルネの招きでランス市を訪問。サン・レミ修道院を訪れた時、「改宗せよ」との啓示を受けた。
平和の聖母・礼拝堂(通称、フジタ・チャペル)の建設資金と土地を提供したのもルネ。フジタは、1966年6~8月の3カ月で、礼拝堂内部の壁画を一人で描き切った。

◆第4章のみどころ(保崎さん談)
 ランス美術館のフジタ・コレクションは絵画800点、資料も合わせると2300点。その多くは、戦後、フランスに定住してからの作品。1920年代の作品としては、熊本県立美術館所蔵の《ヴァイオリンを持つ少年》、ひろしま美術館所蔵の《十字架降下》を展示。
 《フジタ、7歳》は戦争画を描いていた時代の作品。《マンゴー》は南米を旅行中、ブラジル・リオで描いた作品で、1920年代と打って変わった土着的・土俗的な作風。《猫》の中央上部に描かれた猫は名古屋市美術館所蔵の《自画像》の猫にそっくり。なお、額縁の左には「1949」という数字が彫られており、縦長用だったものを横に寝かせて使用したと思われる。額縁上部に釣竿を持った少年、下部に虫取り網を持った少年の彫刻がある。
 《十字架降下》は日本画のスタイルで描かれた1927年の作品。改宗後に描いた左右の聖母と対比すると面白い。向かって右の《マドンナ》は、映画「黒いオルフェ」に出演したマルペッサ・ドーンがモデル。周囲の天使も黒人。
フジタ・チャペルの壁画は、下絵のほうが素晴らしい。80歳とは思えない迫力を感じる。また、よく見ると、壁に転写した時に素描の線をなぞった跡が見られる。

◆特別出品の3点(保崎さん談)
 ドラクロアは、ご存じ「ロマン派」の画家。ブーダンはモネの師匠で、印象派に先駆けて移り変わる光と大気を描写した画家。ラファエル・コランは黒田清輝の先生。アカデミスムの画家で、本国では忘れられつつあるが、白馬会の久米桂一郎、岡田三郎助、和田英作の先生でもあり、「西洋画と日本を繋いだ画家」として展示。

◆自由観覧
 《十字架降下》を見て、深谷さんが《マラーの死》について語った「マラーをキリストのように描いている」ということの意味が分かりました。フジタの描くキリスト、表情・ポーズ・胸の傷の位置、どれも《マラーの死》のマラーを思い起こさせますね。
《父なる神》は両手両足を広げた、歌舞伎の「見得」のポーズ。私の隣の参加者は、これを見て「《風神雷神図》みたい。」と、話していました。
フジタは、壁画を一人で描き切った後に体調を崩し、1968年1月にスイス・チューリッヒで逝去されました。80歳という高齢の身で、過労死ラインの重労働を成し遂げた後での死去。最後の仕事に命を注ぎ込んだのだと思うと、作品を見る目が変わりました。
最後、コラン《思春期》を見てポーラ美術館の黒田清輝《野辺》を思い出しました。

◆マラーになりきる
 グッズ売り場向かいの奥まったスペースに「なりきりマラー」のコーナーがありました。《マラーの死》に出て来るナイフや羽根ペン、帽子などの小道具があり、マラーに扮して《マラーの死》の再現写真が撮影できるコーナーです。ギャラリートーク参加者も「マラーになりきる」挑戦をしていました。果たして、出来栄えやいかに。

会員ジョニーさんの協力で

会員ジョニーさんの協力で


◆最後に
 フランス・ブラジル・イタリア合作、1959年公開の映画「黒いオルフェ」は見たことがありませんでしたが、Youtubeの動画(10:32)を見て粗筋がつかめました。映画の主題歌「カーニバルの朝」はボサノヴァの名曲で、様々な演奏家・歌手がカバーしています。
Ron.

error: Content is protected !!