お知らせ

2025年8月18日

2025年協力会イベント情報

現在、下記のイベントの申し込みを受け付けています。

1.近代名古屋の日本画界(常設企画展) 協力会向け解説会 名古屋市美術館 令和7年1026

参加希望の会員の方は、ファックスか電話でお申し込みください。ホームページからの申し込みも可能です。

なお、次回特別展の「藤田嗣治 絵画と写真」の解説会は、アンケートを実施しています。ファックスまたは、下記のアンケートサイトから希望時間帯をお知らせください。後日、開催日をお知らせします。

最新の情報につきましては随時ホームページにアップしますので、ご確認ください。また、くれぐれも体調にはご留意ください。

10月からギャラリートークの形式が変更になりますので、会員の皆様の参加希望をアンケートさせていただきます。アンケートはこちら(受付期間:8月10日~9月10日まで)

これまでに制作された協力会オリジナルカレンダーのまとめページを作りました。右側サイドメニューの「オリジナルカレンダー」からご覧ください。

事務局

作石大河 ≪橙 Light from behind≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members

名古屋造形大学卒展・修了展にて

作石大河 ≪橙 Light from behind≫

薄暗い展示室の中に、大きな祭壇のような作品が置かれている。天井には、星明りを模した青いライトが小さく光っている。作品の天井部からは、何本も吊り輪がぶら下がり、オレンジ色に光る窓の下側には長いベンチがある。

暗さに目が慣れると、壁沿いの棚に多くの石膏像が並んでいることがわかる。おそらく、普段はデッサンの授業で使用する場所らしい。

展示風景

作品に近づき、窓の中を眺めると、観覧車の看板、黒猫、吊り橋、海、大きな入道雲、傾いた自動車、巨大なビル群などが見える。窓の中の景色は、まるで廃墟のように埃か砂にうずもれている。ベンチの上には、ゲームが始まったばかりのチェス盤と、観覧車の模型の右半分が置かれている。ベンチに座ると、ふかふかでとても柔らかい。このベンチには、どのような人々が座っていたのだろうか。

≪橙 Light from behind≫(部分)

作石によると、≪橙 Light from behind≫は、「新たな出会いと別れを繰り返し、私を実らせる。そんな時間をテーマにした。」作品らしい。とすれば、窓から見える風景の廃墟感やノスタルジックな照明の色調は、もろもろの思い出との距離感の表れか。

よく見ると、作品は列車の客室の一部を再現しているようだ。さて、この列車は、これからどのような人々を乗せ、どこに向かうのか。卒業にあたり、その期待感と不安感がよく表れた作品になっている。

杉山

若林凜 ≪苦し紛れのParadise!≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members

名古屋芸術大学卒業・修了制作展にて (その1)

若林凜 ≪苦し紛れのParadise!≫

名古屋芸術大学の卒業・修了制作展で、若林の≪苦し紛れのParadise!≫を見たとき、まず画面の密度の高さに驚いた。画面には、おそらく相当な樹齢を重ねた大木の切り株が描かれている。切り株の中央にはスタジアムがあり、観客席は来場者で埋まり、グラウンドは紅白に分かれて「玉入れ」の真っ最中だ。その他にも、ラッシュアワーの電車内で押しつぶされる人々、密集する高層ビル、ミニトマトが植えられた畑、塔の連なる建物などが描かれている。切り株から地中につながる根の表面は無数の描線で埋まり、同じような描線は画面右にも広がっている。

≪苦し紛れのParadise!≫

画面右下を見ると、椅子に腰かけ、開いた本を両手に抱えた人物が、上を向いて涙を流している。椅子の右には、台車に載せた荷物を運ぶ引っ越しの一団と、つかみ合いをしている人物、階段の下の道路にはパトカーがいる。

まるで収拾のつかない画面を見て、困惑しながら作品タイトルを見ると≪苦し紛れのParadise!≫とある。描かれた場面が「Paradise!」かどうかは別として、確かに「苦しい」、「悲しい」という気持ちは伝わってくる。

左から ≪苦し紛れのParadise!≫、≪枯山水≫

≪苦し紛れのParadise!≫は、連作ではなく独立した作品だが、その右に掛けられた≪枯山水≫と関連があると思う。≪枯山水≫で描かれるのは、苔の生えた岩々の間を流れる小川と、その水を湛える池だ。ここで表現されるのは「静けさ」、「穏やかさ」、「癒し」のような感覚であり、「騒がしさ」、「激しさ」、「疲れ」を満載した≪苦し紛れのParadise!≫とは正反対の画面になっている。

おそらく「Paradise!」で描かれたのは「現世」、その事後譚として描かれたのが≪枯山水≫ではないだろうか。

作家に制作時のポイントを聞いてみた。心掛けているのは「(作品は)カオスから生まれる」ということだそうだ。気象図に台風が1個の時、等圧線は比較的単純な楕円になるが、台風が2個、3個と増えると、相当に複雑な曲線が現れる。作品に溢れるほどの要素を詰め込み、驚くような画面を生み出す若林は「もっと大きな作品を作りたい」と言う。「カオスから生まれる」これからの作品に期待したい。

杉山

新保あさひ ≪a small world≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members

名古屋芸術大学卒業・修了制作展にて (その2)

新保あさひ ≪a small world≫

展示室には、児童公園にある遊具に似た「ブランコ」、「シーソー」、「砂場」が並んでいる。公園で見かける遊具は、赤、青、黄など、はっきりした色で塗られているが、作品はいずれも、薄い灰色で塗られている。

≪pendulums(振り子たち)≫を見ると、横並びではなく、縦並びになっている。2人で遊ぶと、ぶつかってしまいそうだ。

左から ≪pendulums(振り子たち)≫、≪see/saw(見る/見えた)≫、≪a small world(小さな世界)≫

≪a small world(小さな世界)≫を見ると、中に小石のようなものが散らばり、小さな砂山もある。小石のようなものは、床のあちこちにも散らばっている。しかし、砂遊びに使う小さなスコップやバケツのようなものはない。

左 ≪a small world(小さな世界)≫、手前 ≪see/saw(見る/見えた)≫、奥 ≪pendulums(振り子たち)≫

≪see/saw(見る/見えた)≫は、一方が上がれば他方は下がり、お互いに見える景色は異なる。この「シーソー」には、持ち手がなく、片足の壊れた平均台のようだ。

これらの遊具は、どうやって遊ぶのだろう。どれを見ても、公園で聞こえてくる子供たちの歓声が聞こえそうな気配はない。

作家によれば、これらの作品は遊具の模型ではなく、「他者の存在」、「視点や立場の相違」、「無意識からの気づき」のメタファーになっている。ぶつかりそうなブランコから「他者の存在」を知り、持ち手のないシーソーから「視点や立場の相違」を知り、砂だけの砂場から「無意識からの気づき」を得る。

また、あいまいな色使いも「自分には薄い灰色に見えるが、他者には薄い水色(紫色)に見える」ことへの気づきを導くための仕掛けだそうだ。子供の遊具のような見た目とは異なり、とても思索的な作品だった。

杉山

吉田一真 ≪道を横断する≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members
京都の岡崎公園で展覧会を見た後、京都駅近くに移転した京都市立芸術大学の作品展に立ち寄った。驚いたことに、この大学では卒業予定者だけでなく、全学生が作品展示を行うようだ。終了時間に追われながら、多くの展示を見た中で印象に残った作品を紹介する。

京都市立芸術大学作品展にて(その1)

吉田一真 ≪道を横断する≫

展示会場の方向から「ガラガラ」と大きな音が聞こえてくる。近所で工事中かと思うほどの音量だ。その音を道案内にして、建物の間を奥へ奥へと進む。

作品は、人間が入れる大きさの黒い回し車(超大型のハムスターホイール)。響き渡っていたのは、作家がハムスターのように回し車を回転させる音だ。

≪道を横断する≫

回し車の横のモニターをみると、地図アプリのストリートビューが映し出されている。その中央あたりに赤色と灰色に塗られたホイールがあり、作家がランニングをすると画面のホイールも回転し、地図がスクロールされてゆく。表示されているエリアは、琵琶湖の東側あたり。テレビゲームの勇者のパーティーが行進するように、ホイールは滋賀県の中を進んでいく。時折、作家がランニングを中断し、回し車の奥のパソコンに向かい、何か作業をしている姿が気になった。なにかしら作品の調整だろうか。

≪道を横断する≫(部分)

作家に教えてもらい、モニターの下側のQRコードをスマホで読み込んだ。すると、スマホの画面にも地図アプリが表示され、その場所の風景にちなんで詠まれた俳句が添えられていた。とても風流な仕掛けになっている。

昔、東北を巡り、有名な「おくのほそ道」を残した俳人は、紙に筆で俳句をしたため、徒歩で移動した。一方、現代の俳人は、パソコンで俳句をしたため、デジタル地図で移動する。それぞれの「横断」の対比が、とてもユーモラスに表現されている。

杉山

立花光 ≪無人配達≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members

京都市立芸術大学作品展にて (その2)

立花光 ≪無人配達≫

白い台に乗せられた茶色の段ボール箱が、展示室にまばらに置かれている。箱の大きさは大小様々。中央あたりに直径3cmくらいの穴が開けられていて、その穴から箱の中をのぞく仕掛けになっている。

部屋の中ほどにある大きめの箱の中をのぞいてみると、既視感のある、不思議な世界が垣間見えた。順番に他の箱の中も見て回ると、見える景色はそれぞれ異なるが、どれもどこかで見たような光景だった。

展示風景

箱の中の入っているのは、エレベーターや倉庫、階段など、私たちが日常的に通り過ぎる場所をリアルに再現したミニチュア模型だ。模型のサイズが小さいので、とても遠くから眺めているような距離感がある。なかには、作家が通う大学内の施設の模型もあるそうだ。

箱の外側には、いわゆる宅配荷物に貼る荷札が残っている。また、段ボールの表面にも配達中の汚れや、つぶれた跡があるので、てっきり自分あてに届いた荷物の箱を再利用しているのかと思ったが、箱も立派な作品。真新しい段ボールから、ミニチュア模型の大きさにあわせて切り出し、新規に制作しているそうだ。汚れや、つぶれた跡も再現されたものと聞くと、そのリアルさに驚く。

左から ≪無人配達_エレベーター#01≫、≪無人配達_通路#01≫、≪無人配達_通路#03≫

≪無人配達≫というタイトルに込めた制作の意図を作家に聞いたところ、「違和感」という答えがあった。普段、何もないドアの前や、宅配ボックスの中に、突然、段ボール箱が届くことで景色が違って見える感覚を表現しているそうだ。

その答えを聞き、それまで感じていたモヤモヤがすっきりした。箱の中をのぞいた時の驚き、箱の外の汚れを手作りしていると知った時の驚き、どちらも「違和感」そのものだった。

杉山

大西珠江 ≪ワタシヲ流ルル君≫、≪時を集めて≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members

京都市立芸術大学作品展にて (その3)

大西珠江 ≪ワタシヲ流ルル君≫、≪時を集めて≫

展示室の床に、表面がデコボコで、白い楕円形の筒と、割れたお椀の欠片のようなものが置かれている。奥の壁面には、同じような素材の端切れのようなものが掛けられている。

手前の筒は、作品名を≪ワタシヲ流ルル君≫という。これを見て、不思議に思ったのは、陶の地肌から横に伸びた氷柱のような透明な部分。その形状から、持ち手ではないし、装飾としても一体感がない。いったい、作家の制作の興味、問題意識はどの辺にあるのだろうか。

手前 ≪ワタシヲ流ルル君≫

奥側の横に寝かせた筒の作品名は、≪時を集めて≫という。この筒にも、細くて透明な棘のような部分がある。開いた筒の口の前に立つと、長い棘が触手のように思われ、深海魚が大きく口を開け、触手で獲物をおびき寄せている場面を連想した。

≪時を集めて≫

作家によれば、作品は陶とガラスで作られていて、焼成は2度行う。陶の部分は釉薬をかけずに焼成し、2度目の焼成で陶の内側に置いたガラスが溶け、ひび割れから垂れてくると、氷柱や触手のようになる。この制作方法は、焼成を止めるタイミングが難しく、何度も実験を重ねたそうだ。

この作家は、陶芸作品で釉薬として使われるガラスを、まるで異なる扱い方で土と組み合わせる。そうすることで、土は土、ガラスはガラスとして存在を主張する作品ができる。

作家のテーマは、ガラスと土の素材としての関わり方を、どのように作品として見せるか、というあたりにあるらしい。伸びた氷柱や触手の先に、どのような新しい展開があり、次回はどのような作品を見せてくれるか、とても楽しみだ。

杉山

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