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事務局
2021年
10月15日
名古屋市美術館協力会からミニツアーの通知が届きました。見学先は名古屋市博物館「ムーミンコミックス展」(以下「本展」)、期日は10月31日(日)。当日は、今年3月まで名古屋市美術館にいらっしゃった清家学芸員による解説の後、自由観覧・解散とのことです。ミニツアーまで時間的余裕があるので今から予習しておくと、より理解が深まると思います。本展では「ムーミン公式サイト」(以下「公式サイト」)(ムーミン公式サイト – Moomin Characters Official Website)が強力な情報源です。「ムーミンコミックス展」の外、「トーベ・ヤンソンについて」「ムーミンの歴史」「TOVE」など、色々なコーナーがあります。一度、チェックしてみましょう。
◆トーベ・ヤンソンについて(トーベ・ヤンソンについて – ムーミン公式サイト (moomin.co.jp))
「ムーミンコミックス」が果たした役割について書いているのは「トーベ・ヤンソンについて」中の「イギリスへ、そして世界へ」という章です。冒頭に「MOOMIN」と書いた看板を天井に着けた車両がずらりと並んでいる写真が掲載され、「ムーミンコミックスの連載開始を伝える『イブニングニュース』の宣伝車」というキャプションが添えられています。
本文には〈1954年に始まった、当時世界最大の発行部数を誇ったロンドンの夕刊紙 「イブニングニュース」での漫画連載が、ムーミンの人気を決定づけました。イギリスにとどまらず、その年のうちに早くもスウェーデン、デンマーク、そして母国フィンランドの新聞に、さらに最盛期には40カ国、120紙に転載されたほどでした〉と書かれています。
宣伝車の写真を見れば、ムーミンコミックスの連載に対する「イブニングニュース」紙の期待の高さが一目瞭然です。また、ムーミンコミックスは、期待に十分応えたということでもあります。
弟のラルス・ヤンソンにムーミンコミックスの連載を任せた後の、トーベ・ヤンソンの活躍についても書いてあります。本展の解説を補完するためにも、今から読んでおきたい情報です。
◆キャラクター(キャラクター – ムーミン公式サイト (moomin.co.jp))
本展の冒頭に、キャラクター設定のドローイングが出品されていますが、スウェーデン語で書いてあるので名前がよく分かりません。公式サイトの「キャラクター」をチェックすると日本語表記や設定などの情報が示されています。奇妙な生き物「ニョロニョロ (Hattifatteners)」についても詳しい説明があるので、「ムーミンコミックス展」を見て、びっくりすることはないでしょう。
◆映画「TOVE」(映画『TOVE/トーベ』をもっと楽しむために – ムーミン公式サイト (moomin.co.jp))
上記の「トーベ・ヤンソンについて」だと、30代の初めからムーミンコミックスの連載を始めるまでの経緯については、簡単な記載しかありません。30代から40代初めのトーベ・ヤンソンについて知るには、映画「TOVE/トーベ」を見るのが一番ですが、公式サイトのブログも参考になります。画像がふんだんに載っているので、映画を見たような気分も味わえます。
◆TVアニメ「ムーミン谷のなかまたち」(TVアニメ「ムーミン谷のなかまたち」地上波(Eテレ)での放送が決定! | ムーミン谷のなかまたち | アニメ公式サイト (moomin.co.jp))
公式サイトには、フィンランドとイギリスの共同制作によるフルCGアニメーション「ムーミン谷のなかまたち」(2019年4月にNHKのBS4Kで放送)が、2021年11月6日(土)午後10時30分からNHK・Eテレで放送開始決定、というニュースも載っていました。
Ron.
2021年
10月12日
澤田瞳子著「若冲」のブログ原稿を書いて、名古屋市美術館協力会秋のツアー(2016.09.24~25)で岡田美術館の「生誕300年を祝う 若冲と蕪村 - 江戸時代の画家たち」展(以下「展覧会」)を見ていた、と思い出しました。ただ、展覧会では極彩色の《孔雀鳳凰図》(岡田美術館蔵、東京都美術館「若冲展」に出品)の記憶だけが鮮明で、若冲の水墨画や蕪村の作品の記憶は靄に包まれています。5年ぶりに図録を開くと、静嘉堂文庫美術館長の河野元昭氏(以下「河野氏」)、岡田美術館館長の小林忠氏(以下「小林氏」)と同館副館長の寺元晴一郎氏(以下「寺元氏」)の鼎談が掲載されているではありませんか。以下は、鼎談の抜き書きです。
なお、若冲と蕪村は、どちらも1716年生まれなので、2016年は生誕300年にあたります。ただし、若冲の没年は1800年(85歳)。一方、蕪村は1783年(68歳)。蕪村は、天明の大火よりも前に死去しています。
○ 若冲の評判と蕪村の評判
鼎談の冒頭で、小林氏が「ちょっと前までは蕪村のほうが有名でしたよね」と水を向けると、河野氏が「この展覧会も(略)すこし前なら「蕪村と若冲」と、蕪村のほうが先に出て来たんじゃないかなあと思います」と受けていました。小林氏が「美術市場でも、ちょっと前までは蕪村のほうが上でした?」と聞くと、寺元氏が「上でしたね」と答えています。澤田瞳子が「若冲」で蕪村を無視しなかった理由が分かります。
○ 若冲の水墨画
小林氏が「若冲は、墨絵に対する評価をいただけると嬉しいですね」と話すと、寺元氏が「《動植綵絵》でこういう風な極彩色の、緊張感を崩さない描き方をする人が、水墨になってくると肩の力を抜いてユーモアたっぷりで、その両面を感じますよね。逆に言ったら、同じ人が描いたのかとつい思っちゃうんですよね。墨になってくると」と返していました。確かに、晩年の《三十六歌仙図屏風》(1779)は、ユーモアたっぷりです。
○ 与謝蕪村という画家の魅力
小林氏が「蕪村について、どういう印象をおもちですか」と聞くと、河野氏が「蕪村というと必ず池大雅(1723~76)ということになりますね。当時の文人画の双璧です。トップツーですよね。それで昔から蕪村好きと大雅好きがいて、よく論争のようなものがあったんです」と答えていました。澤田瞳子「若冲」の中で「蕪村は大雅を嫌っている」と書いたのも「蕪村好きと大雅好きとの論争」が反映されているのでしょうか。
河野氏は更に「蕪村でよく知られているのは、三大横物と呼ばれる「富岳列松図」(重要文化財、愛知県美術館蔵(木村定三コレクション))、「峨嵋露頂図巻」(重要文化財、個人蔵)、「夜色楼台図」(国宝、個人蔵)でしょう。みんな微光感覚の傑作ですよ。微妙な光に満ちている絵だと思うんです。大雅の陽光も本当に素晴らしいと思います。だけれども、私自身がちょっとウエットな人間でしょ。だからやっぱりどうしても、蕪村の方に惹かれちゃうんですよ」と続けています。なお、名古屋市博物館「大雅と蕪村」のチラシには「富岳列松図」の展示期間は2021.12.14~2022.01.16、「夜色楼台図」の展示期間は2022.01.18~01.30と書いてあります。
○ 大雅と蕪村
大雅と蕪村について、河野氏は「田能村竹山(1777~1835)に「正譎論(せいけつろん)」という有名な比較論があって、「大雅は正にして譎ならず、蕪村は譎にして正ならず」と述べている。竹田の有名な画論『山中人饒舌』に書いてあるんだけど」と話すと、小林氏が「儒学者の荻生徂徠(1666~1728)がおもしろいこと言ってるんだよね(略)「譎」はね、奇襲戦法だって言うんだよね。(略)いろんな方面からアタックする。(略)竹田が何を言おうとしたのか。決して非難しているわけじゃないんだよね。大雅のほうはまっとうな南宗画に迫ろうとしているけど、蕪村は奇襲戦法で、奇襲の一つにはその俳画もあるって」と補足していました。
○ 若冲と蕪村の墨絵には、区別がつかないほど似ているものがある
若冲と蕪村の交流について、寺元氏は「若冲も最初の頃は中国の水墨じゃないですけど、そういうものを描いてますよね。で、蕪村もそうですよね。(略)でも合作みたいなものとか、交流というものはぜんぜん見られないんですね」と話します。小林氏は、2015年にサントリー美術館で開催された「若冲と蕪村」展について「墨絵など区別つかないような印象をずいぶん受けましたね。若者たちは若冲を見たいってんで、キャプションを見ては若冲だから見てる。蕪村だとほとんど通過しちゃった。そういう光景を見ましたけど、非常によく似ている。辻惟雄さんも内覧会の挨拶では『私が見ても区別がつかないような墨絵がある』なんてね。やっぱり同時代的な、同じ年、同じ土地で活躍した二人には似たような点が探せますね」としていました。寺元氏も「絵具だとか顔料だとか、道具屋さんに出入りするわけですよね。ですからどこかで会ったり、ご挨拶したりということぐらいは、あってもおかしくないような気がします」と、二人の交流を完全には否定しませんでした。澤田瞳子が「若冲」で蕪村と若冲が出会う場面を書いたのも納得です。何としても二人の交流を書きたかったんですね。
Ron.
2021年
10月5日
◆ 小説家デビュー後、第五作目の作品。直木賞候補となり、翌年には親鸞賞を受賞
作者は「星落ちて、なお」で直木賞を受賞しますが、本作は、その6年前に直木賞候補となった作品。作者は「星落ちて、なお」の受賞インタヴューに「絵師そのものについては『若冲』で描き切ったと考えている」と答えているので、本作は「渾身の作」の一つといえるでしょう。直木賞の受賞は逃しましたが、親鸞賞を受賞しています。
◆ フィクションと事実を取り混ぜたエンタテイメント作品
若冲に寄り添い、狂言回しのような役割を果す妹や「若冲の暗黒面」とも言うべき義弟など、架空の人物が登場してびっくりしますが、事実の部分はしっかりと押さえているので「大河ドラマと同じエンタテイメント作品」と割り切れば、ハラハラ・ドキドキや、涙があふれる場面を楽しむことができます。
特に、若冲が町年寄「桝屋茂右衛門」として画業を封印し、高倉市塲の営業差し止めを回避する「つくも神」は「半沢直樹」を見ているような感じです。ちくまプリマー新書「伊藤若冲」にも載っている話ですが、小説だと人物が生き生きと描かれていて面白い、と思いました。
◆ 池大雅や与謝蕪村なども登場
表紙カバーには「本書に登場した画人たち」として若冲のほか、池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁、市川君圭の名が挙がっています。画人の中では若冲の朋友・池大雅の天真爛漫ぶりと池大雅に対しライバル心をむき出しにする与謝蕪村が印象に残りました。
なかでも「雨月」の半分は、与謝蕪村を描いた話です。若冲とは交流がなかったとされる蕪村ですが、蕪村が若冲の画室を訪れて身の上話をする場面は、読んでいて涙が出ました。作者も小説の表舞台に出て来て、大雅と蕪村が共作した国宝《十便十宜図》について説明しています。「何としても与謝蕪村について書きたかったのだろうな」と思いました。
◆ それぞれの話に、主題となる絵がある
本作は「鳴鶴」から「日隠れ」まで、八つの話で構成されていますが、「鳴鶴」には《鳴鶴図》、「日隠れ」には《石灯籠図屏風》と、それぞれの話に主題となる絵があります。私は、ちくまプリマー新書「伊藤若冲」を時々眺めながら、読みました。特に「鳥獣楽土」は《樹花鳥獣図屏風》《鳥獣花木図屏風》の成立について小説らしい大胆な推理を加えています。読み応えがありました。
◆ 年末には、名古屋市博物館で「大雅と蕪村」が始まる(2021.12.4~2022.1.30)
展覧会のチラシを見ると、「若冲」で作者が取り上げた国宝《十便十宜図》(川端康成記念館蔵)が出品されるとのことです。楽しみですね。
Ron.
2021年
10月5日

名古屋市博物館の「ムーミンコミックス展」を見てきました。「ムーミン」といっても、子ども向けアニメではなく、イギリスの夕刊紙に連載された大人向けマンガです。前半は、トーベ・ヤンソン(Tove・Jansson:1914-2001、以下「トーベ」)と弟ラルス・ヤンソン(Lars・Jansson:1926-2000、以下「ラルス」)との共作(1954-1959)による作品が、後半は、ラルスが連載を引き継いだ後、単独で制作(1960-1975)した作品が並んでいます。
◆前半
展示しているのは、キャラクターを設定するためのドローイング、連載マンガの鉛筆スケッチ(下書き)、新聞に掲載された印刷見本です。さらに、作品表示の横には、日本語版コミックスの断片が貼ってありました。日本の新聞連載マンガは見開き2面の左上。縦方向に4コマ並んでいますが、イギリスの夕刊紙では見開き2面の右下。横方向に4コマ並びます。4コマといっても、トーベはストーリーに応じて、4コマ分を3つに割ったり2つに割ったりしていました。
ムーミンコミックスは日本の新聞連載マンガと違い、ストーリー・マンガです。一枚のスケッチが3日分、スケッチ全体では相当の枚数になります。絵は、もちろんトーベが描いています。セリフなどはトーベがスウェーデン語で書き(トーベは、国民の5.5%を占める、スウェーデン語を母語とするフィンランド人)、ラルフは英語訳をコマの下・欄外に書き足していました。
トーベが40歳を過ぎてからの作品ですから、絵は上手。大人向けマンガなので社会風刺が効いて面白いです。「自分はマイノリティー」という、トーベの意識も反映されていると思います。
◆後半
ムーミンブームが到来してトーベが多忙になると、コミックはラルフが引き継ぎます。後半では、ストーリーのあらすじと印刷見本が展示され、一話ごとに、ストーリーの全体を眺めることができます。印刷見本は英語ですが、最初に「あらすじ」の掲示があり、分かりにくい所には日本語訳も書いてあるので、ストーリーは十分把握できます。第71話「ムーミンたちの戦争と平和」など、ラルフの作品はトーベ以上に社会風刺が効いていました。
◆記念撮影コーナーと記念グッズ売り場
展示室内は撮影禁止ですが、最後に記念撮影コーナーがあり、撮影の順番を待つ来場者の列ができることもあります。記念グッズ売り場も人気があります。レジには大勢の人が並んでいました。
◆名古屋市美術館「フランソワ・ポンポン展」とのコラボ企画があります
観覧券売り場で、名古屋市美術館で開催中の「フランソワ・ポンポン展」の観覧券(半券でも可)を提示すると100円引き(一般1300円→1200円)になります。また、「ツルツル?モフモフ?クイズラリー」も実施中。博物館、美術館の二館を巡り、それぞれの館で出題されているクイズの答えの両方を一枚の応募用紙に記入した上で、会場の応募箱に投函すると、抽選で賞品がプレゼントされます。ただし、応募期間は10月24日までです。お忘れの無いように。
◆最後に
小さな画面が多いので、4倍の拡大鏡のお世話になりました。4倍ぐらいだと、一コマ全体が視野に入るので快適に鑑賞することができます。拡大鏡をお持ちの方は、是非ご持参ください。
Ron.
2021年
10月1日
◆今回取り上げたDVD、雑誌、ネット記事
A:DVD「ゴッホとヘレーネの森 クレラー=ミュラー美術館の至宝」
B:AERA mook「ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント 完全ガイドブック」
2021.9.30発行
C:「サンエイムック 時空旅人 別冊」孤高の画家 ゴッホ 2021.10.14発行
Ⅾ:美術展ナビ 2021.09.24 【レビュー】「ゴッホ展-響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」
URL: https://artexhibition.jp/topics/news/20210924-AEJ516945/
◆ヘレーネ・クレラー=ミュラーの功績
上記Aでは、冒頭でナビゲーターが次のように語ります。〈ファン・ゴッホは(略)オーヴェル=シュル=オワーズで死ぬ数週間前、教会の絵を描いた。しかし、この絵も本人も、彼の作品と共に忘れ去られるところだった。ところが、1人の女性が現われ、ファン・ゴッホに捧げた。(略)オランダの富豪ヘレーネ・クレラー=ミュラー(以下「ヘレーネ」)は、妻か修道女のようにファン・ゴッホに生涯を捧げた。早くから作品を評価し、保護に尽力している。ファン・ゴッホのために美術館も建てた(略)〉
映画は、ヘレーネの功績をとても高く評価しています。
◆東京都美術館のゴッホ展では、ヘレーネが収集したゴッホ作品と価格を掲示
東京都美術館で開催中の「ゴッホ展―響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(以下「ゴッホ展」)のレビュー記事=上記Ⅾは、ヘレーネについて〈東京都美術館学芸員の大橋菜都子さんは、彼女には評価が高まる前に「収集」を始め、自分が楽しむだけでなく広く「公開」し、さらに美術館開館に尽くして後世にゴッホの作品を「継承」した三つの功績があると話す〉と書き、ヘレーネ・クレラー=ミュラーが収集したゴッホの絵のリストと購入額を示した図の一部を撮影した写真を掲載しています。彼女が収集を始めた1908年の点数と購入金額は3点で4,924ギルダー(6,838,619円)。そのうち《枯れた4本のヒマワリ》が最も高価で4,800ギルダーです。購入金額6,838,619円の大部分は《枯れた4本のヒマワリ》の値段ということですね。億円単位で売買される現在の評価とは比べ物になりませんが、「評価が低かった」といっても、油絵なら670万円近くしているのですから、当時でも、ある程度は評価されていたのです。
◆「収集」について、名古屋市美術館の森本陽香学芸員がインタヴューに答える
上記Bのインタヴュー記事で、名古屋市美術館の森本陽香学芸員(以下「森本さん」)は、ヘレーネがゴッホ作品を大量に購入したことの意義について、次のように答えています。〈ゴッホは生前はあまり評価されませんが、亡くなった直後からいろんな回顧展が開かれるようになっていました。オランダ、ベルギー、フランスでは特に注目が集まっています。そういうタイミングで、ヘレーネがまとまった数を一気に購入したので、ゴッホ作品の市場価値の上昇という点で、果たした役割は大きかったといわれています〉(p.55)
◆ゴッホ作品の「公開」が、ゴッホの評価を高めた
上記Bは、ゴッホ作品を公開したヘレーネの功績を次のように書いています。〈1927(昭和2)年には、コレクションの中のゴッホ作品がヨーロッパ各地を巡回し、1935(昭和10)年からは、60点のゴッホ作品が海を渡りアメリカのニューヨーク近代美術館(MoMA)で展示されました。このゴッホ展は大変な評判を呼び、アメリカ諸都市を巡回し50万人を動員。ゴッホの世界的な評価は大きく変わりました。このように作品を外国の展覧会のために貸し出すということは、今日では当たり前のことですが、20世紀初頭では、大変珍しいことだったのです。作品への取り扱いも今日ほど徹底されておらず、貸し出しは大きなリスクを伴うものでした〉(p.42)
◆美術館の建設は、多難を極める
美術館の建設について上記Aでは、ナビゲーターが次のように語ります。〈ヘレーネは、複数の建築家に声をかけた。(略)でも、不運が襲う。第一次世界大戦の末期、夫アントンがチリの鉱山で投資に失敗し、クレラー=ミュラー家の財政は悪化。1922年には、資金不足が原因で建築現場が閉鎖された。ヘレーネも意気消沈したけれど、夢は諦めなかった。結局、美術館は規模を縮小して国が建設した。(略)公共の美術館にするとの条件だった。美術館開館の翌年、1939年にヘレーネは亡くなる〉
国が美術館を建設するに至った経緯について、上記Bは、もう少し詳しく〈何度も頓挫しながらも、オランダ政府に掛け合い、美術館建設と引き換えに、夫妻の死後、国家にコレクションが寄贈されることが決定しました。オランダ国家の資金不足もあり予定より小規模な建物になったものの、1938(昭和13)年、ついに美術館が完成〉(p.43)と書いています。
一方、上記Cの記述は〈1935年には、クレラー=ミュラー家が所持していたフェルウェの森の広大な土地をホーヘ・フェルウェ国立公園財団に買い取らせると、さらにはクレラー=ミュラー財団がもつコレクションをオランダ政府に譲渡〉(p.35)というものでした。ここで気になったのは「国は広大な土地をいくらで買ったのか?」です。森林なので地価は低かったと思いますが、総額はいくらだったのでしょう?国相手に、高値で吹っ掛けたとは思えませんが……
◆美術館の展示方法について、森本さんがインタヴューに答える
上記Bのインタヴュー記事で、森本さんは、美術館の展示方法に対するヘレーネの考えについて、次のように答えています。〈まず第一に作品と作品の間隔を十分にとること、第二に作品の高さを見るひとの目線に合わせること。この2点が重要だと言っています。現代の私たちの感覚では、当たり前のことだと感じますけど、見やすく展示するという意識はあまりなかったんです。〉(p.55)
これは初耳でした。ヘレーネは美術鑑賞に関して高い見識を持っていたのですね。
◆ヘレーネが美術館設立にかけた夢について、森本さんが公開講座で語ります
以上の引用に度々登場する森本さんですが、何と「イーブルなごや」(名古屋市男女平等参画推進センター・女性会館)の公開講座【名古屋市美術館共催】特別展にみる女性たち2021 「ヘレーネ・クレラー=ミュラー 美術館設立にかけた夢」に講師として生出演するそうです。大いに期待できますね。今から楽しみです。
日時は令和4年1月15日(土)14:00~15:30。会場は、イーブルなごや ホール(定員:160人)(名古屋市中区大井町7-25 地下鉄名城線「東別院」下車1番出口から東へ徒歩3分)。「事前申込不要、当日先着順」なので、受付に並んだ順に番号札が渡され、番号札が「160」になった時点で「受付終了」ということでしょう。
詳細はチラシ『 E-9 (e-able-nagoya.jp) 』をご覧ください。
Ron.
2021年
9月28日

名古屋市美術館で開催中の「フランソワ・ポンポン展 動物を愛した彫刻家」(以下「本展」)名古屋市美術館協力会・会員向け解説会に参加しました。参加者は42人。2階講堂で星子桃子学芸員(以下「星子さん」)の解説を聴き、その後は自由観覧・自由解散となりました。なお、星子さんは本年4月に、名古屋市博物館から異動。専門は、明治以降の書家と豊臣秀吉の花押の研究、とのことでした。
◆2階講堂・星子さんの解説(16:00~16:45)の概要 なお、(注)は、私の補足です。
・フランソワ・ポンポン(1855~1933)は、どんな彫刻家?
フランソワ・ポンポン(1855-1933、以下「ポンポン」)はフランス人。ブルゴーニュ地方の生まれで、父は木工家具の職人。彫刻家のスタッフとして働き、その後、動物彫刻家として有名になった人です。
ポンポンの動物彫刻が人気を得た理由は、次の3点です。
1 アール・デコ様式 単純で幾何学的な形の作品で、異国趣味もあります。(注:有機的で流麗・装飾的なアール・ヌーヴォーに対し、アール・デコは機能的でシンプルな形、ということでしょうか?)
2 動物をモチーフにした芸術 ポンポンは、ブロンズの複製を多数制作しました。
3 活気ある動物園 欧米列強は植民地から珍獣を持ってきて動物園で陳列。ポンポンは、動物園で観察を繰り返しました。
以下、主な出来事を年代順に説明します。
1885.5.9 二卵性双生児の一人として、ソーリュー(パリの北)に生まれる
1886年 31歳 サロンに出品
1888年 33歳 ビクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル」の登場人物が主題の《コゼット》(石膏)を発表
1890年 35歳 彫刻家ロダンの工房に入り、人物彫刻を手掛ける
1894年 39歳 《コゼット》の買い上げを国に要請するが、拒否される
1895年 40歳 ロダンの下を離れる
1902年 47歳 キュイ・サン・フィアルクで家畜や家禽をモデルに粘土で造形するようになる
1906年 51歳 サロンに《カイエンヌの雌鶏》(ブロンズ)を出品
1908年 53歳 石の《モグラ》が芸術雑誌に取り上げられる
1918年 63歳 エブラール鋳造所に《ほろほろ鳥》を含む3点を売却
1926年 71歳 飼っていた鳩をモデルにした《鳩ニコラ》を制作
1930年 75歳 ボストンテリア《トーイ》を制作。《クマの頭部》を制作しショールームのドアに取り付け
1931年 76歳 亡くなる前年まで、ライオンを制作
1932年 77歳 死亡
・ポンポンの作品を所蔵している美術館など
オルセー美術館 石で彫られた大型の《シロクマ》のほか、ブロンズの《ワシミミズク》を所蔵

◆展示室・自由観覧(17:00~18:00)概要
国立自然史博物館 附属図書館に大型石膏の《カバ》を展示
エントランスホールには大型の《シロクマ》が置かれ、自由に撮影できます。星子さんに「大理石ですか?」と聞いたら「樹脂製です」との回答。当然、そうですよね。ばかばかしい質問でした。

展示されているのは、屋外用の全長2メートルを超すような大型作品ではなく、主に室内に飾るための作品です。室内装飾用の動物ノベルティといえばマイセン磁器が有名ですが、ブロンズ彫刻などの需要も大きかったということですね。作品点数は90点と多いのですが、ゆったりと鑑賞できます。同じ作品でも、石膏、ブロンズ、銀合金、無釉硬質磁器、白色大理石と、素材は様々。石膏、ブロンズといっても着色しているので一つひとつの印象が違い、飽きることがありません。展示室内の撮影は禁止ですが、2階展示室の最後にある白色大理石の《シロクマ》だけは撮影可。皆さん、スマホで撮影していました。今回は主催者の好意で“特設ショップ”も営業時間を延長。私は「マスクケース」を買いました
最後は三々五々と、五月雨式に解散。参加者の皆さんは、満足そうな様子でした。
Ron