展覧会見てある記「幻の愛知県博物館」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.07.10 投稿

現在、愛知県美術館で開催中の「幻の愛知県博物館」(以下「本展」)に行ってきました。以下は本展の概要で、〈  〉と〈補足〉は、私の補足、感想等です。

◆出迎えは、金シャチ

本展の入口は、いつもとは違い、エントランスホールの先。本展の入口とコレクション展入口の分岐点となる小ホールで、1体の金シャチがお出迎え。「床がもたないのでは?」と危ぶみましたが〈雄は約1.3t、雌は約1.2t、金板0.15mm、金量(18K) 雄44.69kg、雌43.39kg出典 注1〉、実は発砲スチロール製なので心配ご無用。とはいえ、人の2倍近い高さ〈本物は約2.6m、出典 注1〉ですから、圧倒されます。

注1:金鯱 | 観覧ガイド | 名古屋城公式ウェブサイト (city.nagoya.jp)

◆第1章 旅する金鯱

第1章には、明治時代になって名古屋城の金鯱が天守閣から降ろされ、雄は日本国中を巡回、雌はウィーンの万国博覧会に出品されたことを示す当時の錦絵や絵葉書を始め、名古屋城・金鯱に関連する品を展示しています。

中でも、目を引いたのは「名古屋防空演習」のポスター(1936)や鴨居令《昭和20年5月14日Nagoya(天守閣の燃えた日)》(1985)、《金鯱鱗》(江戸時代前期)、《市旗竿頭》《丸八文様鯱環付真形釜》でした。

〈補足〉

1 ポスターについて 

ポスターの描かれた演習参加者は防毒マスクをしています。恐ろしいことですが、当時は毒ガスで攻撃されるかもしれないと思っていたのですね。

2 鴨居令の思い出

鴨居令は、協力会のツアーで石川県立美術館を見学した時に多くの作品を見ました。破滅型の作家で、作品は一度見たら忘れられなくなる迫力があります。確か、鴨居令の没年は出品作を描いた年と同じ1985年です。

3 金鯱鱗について

本展で見た金鯱鱗は金板を銅板に貼り付けたものでした。「ラジチューブ」(注2)によりますと、約2万両の金でできた貨幣を溶かしたもので、純金の重さでいえば215.3kg。金鯱の中身は木造。その表面に金鱗を貼っています。100年も経つと下地の木が傷むので下地から作り直しになりますが、その時に金板を当初の18Kから14Kに改鋳し、尾張藩の収入にしたことが何度かあった、とのことです。

注2:実は5代目!名古屋城の金シャチ、初代とはココが違う | RadiChubu-ラジチューブ-

4 名古屋城が焼失した際の金の行方

これも「ラジチューブ」によりますが、名古屋城が空襲で焼失した後に残った金は、進駐軍が接収。その後、20kgの金が返還され、《市旗竿頭》《丸八文様鯱環付真形釜》を大阪造幣局で造ったとのことでした。

5 現在の金シャチが地上に降ろされたのは、過去3回

第1章には、明治時代に金鯱が地上に降ろされた話が書かれていましたが、「Kyo-ta」さんのブログ(注3)によれば、現在の金鯱が地上に降ろされたのは過去3回とのことです。

1回目は1984年 名古屋城再建25周年の時

2回目は2005年 愛知万博「愛・地球博」の時

3回目は2021年 東日本大震災10周年の時

注3:名古屋城「金シャチ(金鯱)」の地上展示は2021年7月まで開催! (osanpo-jog.com)

 なお、1959年に再建された金鯱は、天守閣まで届く足場を組み、斜面を伝って運んだとのことですが、金鯱を降ろした時は、3回とも天守閣の所に足場を組んで取り外し、ヘリコプターで吊って運搬しています。

◆第2章 幻の愛知県博物館

 1878年に愛知県が大須(本町通と裏門前町通の間のエリア)開館した愛知県博物館(のちに愛知県商品陳列館)を紹介しています。目を引いたのは「Ⅱ-3 美術館が欲しい!――美術家たちの居場所」という展示です。名古屋市美術館の常設展「郷土の美術:サンサシオン100年 若き情熱ほとばしる名古屋」で展示している作家と重なるので、本展を見たら名古屋市美術館の常設展の作品もご覧ください。

◆第3章 ものづくり愛知の力

 「愛知県が歴史博物館・自然史博物館を開館したらどんな展示をするか」という視点の展示です。目を引いたのは「Ⅲ-4 売れ陶磁器に学ぶ――産総研のドイツ参考品」です。主に、ドイツのデパートで買い付けた「軽くて丈夫でおしゃれでおしゃれ」な製品を展示していますが、国立陶磁器試験所瀬戸試験場《喫煙具(灰皿)》(1935)は、灰皿と言いながら見た目は「お人形さん」で可愛く、「これなら売れるだろう」と思いました。

Ron.

新聞を読む「ガウディとサグラダ・ファミリア展」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

7月8日(土)付日本経済新聞「文化」欄に、東京国立近代美術館で開催中の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」(以下「本展」)の記事が載っていました。名古屋市美術館も巡回先(会期は、2023.12.19~2024.3.10)なので、とても気になります。記事の内容だけでなく、ネットで見つけた情報もプラスしてブログを書いてみました。

◆7.8付け日本経済新聞「文化」欄の概要と感想

・「未完の聖堂」といわれてきたサグラダ・ファミリアの完成が近づいてきた

サグラダ・ファミリアについて、記事は〈ガウディ没後100年の2026年に完成する予定だった。新型コロナウイルスの感染拡大で遅れる見通しだが、21年に「マリアの塔」が完成するなど全体像が見えてきている〉と書き、「イエスの塔」を建設中の写真(2023年1月撮影)を掲載しています。外国の建物ですが、完成が待ち遠しいですね。

・本展では「逆さ吊り実験」の模型を展示

記事に掲載された写真は全部で3枚。2枚目の写真が「コロニア・グエル教会の模型と『逆さ吊り実験』の復元模型」というもの。「逆さ吊り実験って、何?」と思ったのですが、記事によれば、ガウディはこの実験でノウハウを蓄積して、サグラダ・ファミリアなどの建設に取り入れた、というのです。

記事によれば、〈上部に両端を留めた何十本ものヒモそれぞれに、屋根や天井に相当する重りをぶら下げる。重りに応じて、ヒモはU字(略)を描く。ひっくり返すと一本一本のヒモが教会の骨格を示す模型になる〉というのです。ヒモが描く曲線は「懸垂線(カテナリー:Catenary)」。名古屋市科学館のホームページ(注1)は「材質が持つ強さを最大限に引き出せるため建築や橋などに使われています」としていますが、記事は〈施工が難しく、ほとんど使用されてこなかった〉〈ガウディは理想的な形が出来上がるまで、ヒモや重りの位置の調整を繰り返し、10年も実験を続けたという〉と書いています。

本展の展示内容を発信するYouTube動画(注2)で「サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型」を見ると、床から伸びた柱が上部で枝分かれして、更に上部でアーチを形成するという、軽やかで美しくスッキリした構造が見えます。「これが、逆さ吊り実験で見つけた構造なのか」と思いながら見ると、感動しますね。

注1:出典のURLは、次のとおり

名古屋市科学館 | 科学館を利用する | 展示ガイド | フロアマップ | 物理現象に見る数学 (city.nagoya.jp)

放物線(parabola)と懸垂線(Catenary)を比較した図もあるので、勉強になりました。

注2:URLは次のとおり。

(10) 【ガウディとサグラダ・ファミリア展】/IN MUSEUM/近代国立美術館 – YouTube

 展示室の中を動きながら、次々に展示品を撮影・紹介する動画です。音声は、バックグラウンド・ミュージックのみ。解説が必要な展示品は、展示品の横の「解説板」も撮影しますが、数秒しか映らないので、動画を止めないと解説文を読むのは困難です。

・本展ではサグラダ・ファミリア「降誕の正面」に設置されていた石こう像も展示

記事は、サグラダ・ファミリアの彫刻について、〈最初にスケッチを描き、次に針金や骸骨の模型で検討し、モデルを三面鏡の前に立たせてポーズをとらせる。写真を撮り、型を取って2分の1サイズの粘土像に移して石こうで固める。それを4分の1の粘土像にコピーして検討し、実物大の粘土像、石こう像を作る。実際に設置した時を想定して調整し、最終段階の石像に転換していく。(略)1978年から聖堂の彫刻を手掛ける外尾悦郎による「歌う天使たち」の石こう像は、実際に石像が完成するまで聖堂の「降誕の正面」に設置されていたものだ〉と書いています。

なお、3枚目の写真は「外尾悦郎「サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:歌う天使たち」(作家蔵)でした。

◆NHK・Eテレが本展の関連番組を放送

NHK(本展主催団体)の本展関連番組の放送予定は下記のとおり。URLは(注3)です。

・日曜美術館「“神の建築家” アントニ・ガウディ ~サグラダ・ファミリアへの軌跡~(仮)」

NHK・Eテレ 7.23(日)AM9:00~9:45

・NHKアカデミア 外尾悦郎 

NHK・Eテレ 前編:7.26(水)PM10:00~10:30  後編:8.2(水)PM10:00~10:30

注3:「ガウディとサグラダ・ファミリア展」関連番組・イベントの紹介  |NHK_PR|NHKオンライン

このページでは、NHKが2023年5月に撮影した、ドローン撮影を含むサグラダ・ファミリアの動画(5分17秒)も視聴できます。とても綺麗ですよ。

◆上記のほか、下記のブログも面白かったですよ

・工学的思考(左脳)がしびれる!「ガウディとサグラダ・ファミリア展」

工学的思考(左脳)がしびれる!「ガウディとサグラダ・ファミリア展」@東京国立近代美術館、図録もすごい | BUNGA NET

 投稿者は理系の人と思われます。なので「逆さ吊り実験」の模型は言うに及ばず、「双曲放物線面:Hyperbolic Paraboloid」「回転放物面:Hyperboloid of Revolution」「コノイド曲面:Conoid Surface」の模型のいずれも撮影・発信。しかも、解説を添えています。

 なお、上記の「コノイド曲線模型」は「サグラダ・ファミリア幼稚園屋根」の動画とワンセットになっているようです。幼稚園の屋根は、蒲鉾(半円)を並べたような屋根を変形させたもの。違いは、①屋根は、蒲鉾が並ぶのではなく、サインカーブに沿って滑らかに上下する。②建物のこちら側と反対側で、サインカーブを半周期ずらす。つまり、こちら側が上がる時は、向こう側は下がり、こちら側が下がり始めると、向こう側は上がる、という具合です。

魔訶不思議な曲面ですが、屋根を支えるのは全て直線の棒なので、工事監督が適切な指示をすれば、難工事になることはないと思われます。それにしても、見飽きない模型です。

・直線がつくる曲面

名古屋市科学館 | 科学館を利用する | 展示ガイド | キーワード検索 | 「そ」ではじまるキーワード |キーワード【双曲放物面】 | 直線がつくる曲面 (city.nagoya.jp)

 本展で展示している「双曲放物線面」と「回転放物面」の模型と同じものを展示・解説しています。解説があるので、本展の展示物(模型)を理解する際に助かりました。

Ron.

「マリー・ローランサンとモード」第3章の「バイアスカット」について

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 先日開催された「マリー・ローランサンとモード」の協力会向け解説会で解説された勝田学芸員から「バイアスカット」という言葉が出てきました。その場で質問すればよかったのですが、気後れして質問を回避。以下は、「バイアスカット」について、ネット等で調べた内容です。ただし、正確さは保証の限りではありません。

1 マドレーヌ・ヴィオネについて

マドレーヌ・ヴィオネ (Madeleine Vionnet:1876 – 1975)は、シャネルと同様、第一次世界大戦後に活躍したデザイナー。マドレーヌ・ヴィオネは立体裁断の技法を追求し、バイアスカットやサーキュラーカットなど、新しいパターンの衣服を提案。彼女の衣服は、のちのデザイナーたちに強い影響を与えたとのことです。

出典:『世界服飾史のすべてがわかる本』能澤慧子 監修 発行所 株式会社ナツメ社 2012.03.12初版発行

2 バイアスカット (Bias Cut) について

1920年代に確立されていった、洋裁での生地の使い方のひとつ。生地の縦と横の地の目に対して斜め方向を利用したカッティングのこと。伸縮性が生まれると同時に動きが出せるので、フィット感があり、きれいなドレープを形作ることができる、とのことです。

出典のURL

https://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%88

3 立体裁断 (Draping) について

洋裁での制作過程のひとつ。トルソー(人台)に布を当てて、立体的に型紙(パターン)を作ること。マドレーヌ・ヴィオネは、1/2の縮小サイズのトルソーを用いた立体裁断で、バイアスカットを生かしたドレスを作っている、とのことです。

出典のURL

https://artscape.jp/artword/index.php/%E7%AB%8B%E4%BD%93%E8%A3%81%E6%96%AD

4 山崎豊子が描写した「立体裁断」(『女の勲章』より)

 マドレーヌ・ヴィオネが追求した「立体裁断」の技法ですが、山崎豊子が1961年に発表した小説『女の勲章』に、その様子を描写した箇所があります。それは、主人公の大庭式子(服飾デザイナー・聖和服飾学院長)が、ドレスの型紙を手に入れる交渉をするため、フランスの著名なデザイナー・ランベール(モデルはクリスチャン・ディオール:Christian Dior、1905 – 1957)を訪ね、「立体裁断」の実技を見学する場面。作業の様子が目に浮かぶ文章なので、以下に引用します。

 ランベールは(略)仮縫室の前へ来ると(略)仮縫室にいるマヌカンの体に、トワール(実物の布地で服をつくる前に木綿や麻で作る実物見本)を巻きつけ、マヌカンの体の上で大胆に鋏とピンを使ってドレープの多いブラウスの形を作り出した。まるで頭の中にある布地の彫刻を創るような奔放さで、人間の体の上で自由自在に布地を操り、自分のイメージに合うシルエットになると、トワールを解いて、それを製図用紙の上へ平らに広げて、トワールから型紙を創り出した。細かく鉛筆を動かしながらランベールは、式子の方へ強い語調で話しかけた。

「優れた服は、尺度(メジャー)とコンパスでひかれた型紙を基にして、いきなり美しい布地を裁断し、縫製するのではありません、最初に服の形をデッサンし、デザイン画が出来上がると、それをトワールにして十分、シルエットの検討をするのです。このトワールによる検討は、美しい色や材質に惑わされず、シルエットそのものの検討が出来るから、これでシルエットの基礎を決め、それから流行の色や柄を取り上げることです、どんなに目新しい色や柄を駆使しても、美しいシルエットが出ていなければ、それは良く出来た衣装の白粉(おしろい)の役を果たすだけで、ほんとうに完成された服ではありません。私は美しいシルエットを出すために、一着の服を作り上げるのにも、何度もトワールで服のシルエットを検討し、納得してから初めて、それを製図用紙の上に写すのです、だから私の型紙は紙の上に、尺(さし)とコンパスで安易に引かれた平面製図ではなく、トワールから割り出された立体製図なのです」(略)

新潮文庫『女の勲章』下巻 p.189-191

<補足>

 1961年に京マチ子主演の映画『女の勲章』が制作され、最近では、2017年に松嶋菜々子主演のテレビドラマが放送されました。(1962年、1976年にもテレビドラマの放送があります)

5 FASHION PRESS  『ディオール「バー」ジャケットの歴史』

これは、ネット上に掲載された記事で、クリスチャン・ディオールが新しいドレスのデザイン画を描いてから、ドレスを制作し、ファッションショーで発表するまでを記録した動画を収録しています。動画では、『女の勲章』の描写のとおり、ディオール本人がマヌカンの体にトワールを巻きつけ、自分のイメージに合ったシルエットになるまでトワールに手を加える、という様子を見ることが出来ます。

YouTubeのURLなど

URL: ディオール「バー」ジャケットの歴史、ニュールック誕生から最新作まで進化するメゾンのアイコン – ファッションプレス (fashion-press.net)

収録している動画の題名:The world of Monsieur Dior in his own words

Ron.

展覧会見てある記 瀬戸市美術館「北川民次コレクション 全員集合!」ほか 2023.06.21 投稿

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

瀬戸市美術館(以下「瀬戸市美」)で開催中の「北川民次コレクション 全員集合!」(以下「本展」)に行ってきました。瀬戸市美に行くのは、2021年11月の「池袋モンパルナス展」以来。名鉄瀬戸線の尾張瀬戸で下車。約1キロの坂道を歩くと、瀬戸市文化センターに到着。大階段を上ると、瀬戸市美の入り口です。

入館料は、一般500円、高校・大学生300円ですが、65歳以上の高齢者は無料(運転免許証、保険証など年齢を証明するものが必要ですが、証明書が無くても、提示された書類に必要事項を記入すればOK)。

本展は、瀬戸市美1階・2階の全展示室(4室)を使った大規模なもので、瀬戸市美の北川民次コレクション(油彩・水彩・スケッチ・版画・陶画)の全てを展示しているとのことでした。(本展URLを参照)

 ※本展URL:公益財団法人 瀬戸市文化振興財団 (seto-cul.jp)

・1階 展示室1

展示室の年表によれば、北川民次は1894(明治27)年、静岡県金谷町で生まれ、1914(大正3)年に渡米。1925(大正14)年頃に、オロスコ、リベラ、シケイロス、タマヨらと交友。1936(昭和11)年にメキシコから帰国。1937(昭和12)年に、妻の実家のある瀬戸市に引っ越しています。

作品の展示は概ね制作年順で、1937年制作の作品から始まります。主に、瀬戸の風景と、メキシコの風景・人物を描いたものが並んでいます。《ひばりが丘》(1950)は、岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》を想起させる作品。《ある村の教会のファサード》(1967)は、本展のチラシ表(本展URLを参照)のメインビジュアルです。《母と娘》(1957)は女の子が可愛く、太い線で描かれた《子どもをだいた二人の女》(1958)は、フェルナン・レジェのような作風でした。

・1階 展示室2

《陶壁 陶器を作る人々 原画》(1959)の3点は、尾張瀬戸近くの「瀬戸蔵」東側陶壁の原画。本展のチラシ裏(本展URLを参照)に載っていますが、太い線で描かれた力強いものです。メキシコの壁画運動に参加した作家なので、分かりやすい作品です。本展のチラシ表(本展URLを参照)に掲載の《静物》81965)は、ここに展示されていました。

・2階 展示室3

母子像と花の絵、サボテン売りなどが目立つ部屋です。ここでも、本展のチラシ裏(本展URLを参照)に載っている《知識の勝利》(1970)を始め、瀬戸市図書館の壁画の原画3点を展示。

・2階 展示室4

最後の部屋では、陶画や水彩を中心に展示。陶磁器の絵皿などが多いのは、「やきもの」のまち・瀬戸らしいですね。

・1階 エントランス

エントランスには、2021年開催の「池袋モンパルナス展」関連のグッズを多数、展示していました。北川民次は1937(昭和12)年8月に上京、1943(昭和18)年に瀬戸市に疎開するまで、豊島区に住んでいたので「池袋モンパルナス」ゆかりの作家になるのですね。

◆瀬戸信用金庫アートギャラリー企画展

 瀬戸市東茨城町の瀬戸信用金庫アートギャラリー(以下「アートギャラリー」)でも、本展と同時開催の企画展として「瀬戸信用金庫所蔵 北川民次コレクション」を開催しています。(アートギャラリーURLを参照)

※アートギャラリーURL: 瀬戸信用金庫アートギャラリー | 地域密着について | 瀬戸信用金庫 (setoshin.co.jp)

 瀬戸市美でもらった案内図によれば、瀬戸市美から尾張瀬戸に向かう途中、「西茨町」の信号で右折。歯科医院と動物病院の間の細い道を進み、バス通りに出た所で右折。アートギャラリーは、名鉄バスの「陶栄町のりば」に隣接していました。残念ながら、当日は、アートギャラリーの休館日(毎週 月曜日・火曜日)だったので、見学できませんでしたが「入場無料」ということは、分かりました。

◆瀬戸蔵(瀬戸市蔵所町)

最後の目的地は「瀬戸蔵」。瀬戸市美に原画があった《陶壁 陶器を作る人々》を見たくなったからです。アートギャラリーを出発して、尾張瀬戸の方向にバス通りを歩くと、目的の壁画がありました。なお、右の写真は、瀬戸市のホームページに掲載されているものです。

※URL:No.716 文化財の活用 | 瀬戸市 (city.seto.aichi.jp)

 瀬戸蔵は、江戸時代に尾張藩が設置した「御蔵会所(おくらかいしょ)」という役所の跡地に建てられた施設で、ホール、ミュージアム、ショップ、喫茶コーナーなどを備えています。2階と3階がミュージアムで、昭和30-40年代を再現したコーナーや瀬戸焼の歩みなどの展示があります(入館料:一般520円、高校・大学生、65歳以上310円)。興味を引いたのは、江戸時代後期に磁器生産の技術を瀬戸に伝え「磁祖」と呼ばれた「初代・加藤民吉」のマンガと「瀬戸ノベルティ」(やきもので出来た人形や動物などの置物=下の写真)でした。※URL:瀬戸蔵ミュージアム – 瀬戸蔵 (setogura-museum.jp)

◆最後に

 瀬戸市美の年間計画では、10/7~11/26の会期で「瀬戸ノベルティの至高 -Made in MARUYAMA-」という、瀬戸ノベルティの代表的メーカー・丸山陶器が制作したノベルティを一堂に展示する初めての展覧会を開催するようです。今から楽しみですね。

Ron.

展覧会見てある記 名古屋市美術館「コレクションの20世紀」  

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.05.22 投稿

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「コレクションの20世紀」(以下「本展」)の会期末は6月4日。「終了前に見ておかねば」と、出かけて来ました。企画展と常設展、全てが市美のコレクションという展覧会は、なかなか見る機会がありません。しかも、本展は1900年代から1990年代までの10グループに区切って、年代順に並べるという展示。年代順に見ることで、美術の流れを感じることが出来たような気がします。当日の入場者は若い世代の方が多く、自分も若返ったようで、爽快な気分になりました。

◆ 1900年代

 1900年は明治33年。1900年代は、明治末期に当たります。展示室に入って目にしたのは、鈴木不知《冬瓜》(1900-30)と野崎華年《老女》(1903)。野崎華年の作品は、愛知県美術館で開催中の「近代明治の視覚開化 明治」展にも展示されていました(いくつかは、名古屋市美術館蔵)。静物画、肖像画という違いはありますが、目で見たリアルな姿をキャンバスに描きたいという意欲が伝わってきます。

次は、マリー・ローランサン《横たわる裸婦》(1908)。いわゆる「ローランサン風の絵」ではなく、別人が描いたのかと思える作品です。キュビスムの洗礼を受けた後の平面的な表現で、《冬瓜》《老女》を見た後では「ぶっ飛んだ作品」に見えます。日本の画家が「リアルさ」を追求していた頃、フランスの若者たち(当時、ローランサンは25歳)は「その先」を目指していたのです。

◆ 1910年代

1912年は大正元年。1910年は、ほぼ大正時代です。主な出来事は、第一次世界大戦(1914-18)。村山槐多《房州風景》(1917)は、ルオーのような色使いの作品。一方、大澤鉦一郎《老人》(1917)は、こってりとしたリアルな作品で、岸田劉生の影響がみられます。同じ年に描かれたものとは見えません。

◆ エコール・ド・パリ(1910年代~20年代)

エコール・ド・パリの作品が、ずらりと並んでいる様子は、本展のみどころです。1910-20年代に活躍した作家たちなので、キスリング《ルネ・キスリング夫人の肖像》(1920)、アメデオ・モディリアーニ《おさげ髪の少女》(1918)からマルク・シャガール《二重肖像》(1924)、藤田嗣治《自画像》(1929)などの作品が、1910年代・20年代の区別なく、並んでいました。

エコール・ド・パリの作品は、地下1階の常設展でも展示。本展を見た時には、常設展もお忘れなく。

◆ 1930年代

みどころは、シュールレアリスムの作品。フリーダ・カーロ(シュールレアリスムの作家に分類)《死の仮面を被った少女》(1938)は言うに及ばず、三岸好太郎《海と射光》(1934)を始めとする日本の作家も見逃せません。淵上白陽[停車場 朝霞](1932-41頃)など、旧満州国の写真も見ものです。

碧南市藤井達吉現代美術館のリニューアル展で、迫力のある筧忠治《男の顔》(1930)を見ましたが、本展の《自画像》(1935)にも迫力があります。

◆ 1940年代

主な出来事は、第二次世界大戦(1939-45)です。ベン・シャーン《リデェツェ》(1942)は、面倒だったので英文は読まず、絵を見ただけでした。それでは何を描いたのか、よくわかりません。解説を読んで、ようやく「ナチス・ドイツがチェコの町を爆撃し、340人が犠牲になった事件をテーマにした作品」だと分かりました。北川民次《焼け跡》(1945)も戦争をテーマにしています。

戦争中、シュールレアリスムの作家は迫害を受けましたが、戦後は眞島健三《題不詳(樹)》(1948)、堀尾実《作品B(1)》81948)など、シュールレアリスムの作品が数多く発表された、と分かりました。

◆ 1950年代

目を引いたのが、奈良原一高の写真。《[緑なき軍艦島]地下道(『人間の土地』より)(1954)》などの、新しい写真表現を切り開いた作品を見ると、「今でもカッコいい」と感じます。

朝鮮戦争(1952-53)が勃発した時代なので、河原温《カム・オン・マイ・ハウス》(1955)など、人間と社会の闇を描いた作品が、何枚も展示されていました。

◆ 1960年代

ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験による死の灰を、遠洋マグロ漁船・第五福竜丸が浴びた「第五福竜丸事件」は、1954年に起きました。この事件は、映画では「ゴジラ」(1954)、絵画では岡本太郎《明日の神話》(1968)制作の動機になりました。本展の《明日の神話》は、愛知県美術館の「展覧会 岡本太郎」でも展示されていましたね。

赤瀬川原平と言えば、「千円札事件」が有名。実物大の千円札を印刷し、裏に個展の案内を印刷して関係者に送った行為が「ニセ札事件」として起訴されたものです。《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》(1963)は「千円札事件」ゆかりの作品。必見です。河原温の「Todayシリーズ」も展示されています。

◆ 1970年代

主な出来事は、ベトナム戦争の終結(1975)です。ポップ・アートの時代でもあります。

斎藤吾郎《原生林のおばさん》(1976)、描かれている人物は普通ですが、真っ赤な背景というありえない世界を描いています。本展で初めて見ました。インパクトが強すぎて、展示の機会が無かったのかな?

三木富雄《耳》(1972)もインパクトがあります。杉本博司が「私の履歴書⑫」(2020.07.12)に書いた1970年代半ばのニューヨークで出会ったオノ・ヨーコや河原温など日本人の中に三木富雄が出てきます。

<私の履歴書⑫「NYの日本人」の抜粋>

私が一番親しくなったのは三木富雄だった。私よりひと回りも年上なのだが、妙に馬が合った。三木富雄は「耳の三木」と呼ばれ、耳の彫刻をアルミで作っていた。(略)

◆ 1980年代

主な出来事は、チェルノブイリ(ウクライナ語はチョルノービリ)原発事故(1986)。名古屋が現代美術の最前線だった時代です。

岸清子《Erotical Girls – クリスマス・ローズ》(1983)は、ぶっ飛んだ作品。豊田市美術館「ねこのほそ道」(05.21に終了)でも作品を展示していましたね。

つまらない話ですが、小清水漸《夢の浮橋 – 赤い舟》(1987)に溜まっている水は、何度も換えるうちに水が蒸発して、中のミネラル分が濃くなり、白い粉のようになっていました。

◆ 1990年代

主な出来事は第一次湾岸戦争(1990-91)と阪神淡路大震災(1995)、地下鉄サリン事件(1995)。

森山泰昌《兄弟(虐殺)》(1991)は、ゴヤの戦争画のコピー。見ると、ウクライナ戦争を想起します。福田美蘭《陶器(スルバランによる)》(1992)が展示されているのは、今年、「福田美蘭展」が開催されるからでしょうか。「福田美蘭展」を紹介する美術雑誌には、ゼレンスキー大統領の肖像画が掲載されていました。ご本人は展覧会よりも一足早く、G7サミットに出席するため、先日、来日しましたね。

草間彌生《ピンク・ボート》(1992)は、久しぶりに登場。作品の前に来た多くの人は男女を問わず、スマホをかざして撮影していました。絶好の撮影ポイントなのでしょう。目立ちますからね。

村上友晴《十字架》(1998)は、赤と黒の混じった作品。いろいろな美術館で村上友晴の作品を見ますが、黒一色のものが多く、赤と黒という配色は、確認したわけではありませんが。珍しいのでは?

◆最後に

・ 現代アートが多いのですが、明治末期の作品から順番に眺めていると、あまり違和感はなく、すんなりと鑑賞できました。肩の凝らない展覧会だと思います。

・ 地下1階の常設展は、エコール・ド・パリ以外でも本展を意識した展示になっているので、本展だけでなく、常設展もご覧になることをお勧めします。

・ 最後に、先日参加した碧南市藤井達吉現代美術館のミニツアーで見た作品に、本展展示の作家と重なるものが二つありました。三尾公三と星野眞吾の作品です。本展を見たら、碧南市藤井達吉現代美術館「碧い海の宝石箱」にも足を伸ばすと良いですよ。何といっても「入場無料」ですから。

Ron.

展覧会見てある記 碧南市藤井達吉現代美術館「リニューアル展」 2023.05.04 投稿

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

碧南市藤井達吉現代美術館(以下「碧南市美」)で開催中の「碧い海の宝石箱」(以下「本展」)に行ってきました。碧南市美に行くのは、2020年1月の「“GO WEST”野村佐紀子写真展本展」以来です。約3年4カ月ぶりの碧南市美は、増築されて、2階の南西側が少し張り出していました。1階のエントランスホールは以前のままですが、壁に久野真《鋼鉄による作品 #252》(1974)を展示しています。

会場の入り口は2階。階段を上り、踊り場に足を踏み入れると、巨大なチラシが目に飛び込みました。本展の見どころと思われる作品が八つ並んでいます。番号順に作者名を並べると、① 藤井達吉、② 村井正誠、③ 毛利武士郎、④ 和田三造、⑤ 藤井達吉、⑥ 毛利教武、⑦ 伊藤廉、⑧ 富岡鉄斎、となります(以下、チラシの図版を示すときは、丸数字を使用)。

踊り場から1階を覗くと、黄色の四角形が20枚近くも空中に漂っています(作品リストによれば、新宮晋《光のこだま》(2008))。本展の展示は、展示室に入る前から始まっているのです。

2階の受付に行くと、作品リストと本展のチラシに加え、「プレゼントです」と絵ハガキもくれました。ハガキの図柄は、⑤。スイレンとトンボが描かれていました。

細かい話ですが、渡されたチラシと巨大なチラシ、図柄は同じですが、番号が違います。違いは、現物でお確かめください。

◆ 第1章 藤井達吉がいた時代。大正~昭和初期の美術から

 展示室の入り口には、③ 毛利武士郎《手の中の眼》(1957)。「戦後の作品が何故、ここに?」と思ったら、近くに ⑥ 毛利教武《手》(1919)も展示。1919年は大正8年なのでOK。毛利教武と毛利武士郎は実の親子なので、ペアで展示したのでしょうね。岸田劉生《童女飾髪之図》(1921)と萬鉄五郎《冬の海》(1922)にも目が留まりました。いずれも、墨絵。なお、岸田劉生の作品のモデルは麗子。油絵とは全く違う画風です。萬鉄五郎の作品は、太く、くねくねとした線で描かれた、仙厓の絵のような「味のある」作品です。この外、黒田古郷《叭々鳥(ははちょう)》を見て、岡田美術館所蔵の伊藤若冲《月に叭々鳥》を思い出しました。親子の河童を描いたと思われる、小川芋銭《河童図》も面白い作品です。

◆ 第2章 藤井達吉の精神

 藤井達吉の姉・藤井篠の《芍薬文鳥毛屏風》は二曲一隻の屏風。何と刺繍で描かれています。説明文には「芍薬の文様は、様々な鳥の羽毛を用いて描かれている」と書いてありました。香月泰男の《洗濯帰り》(1963)と《星を見る者》(1964)ですが、絵の前で立ち止まり「四角いのは、人間か?細長いのは、望遠鏡か?」などと自問自答を繰り返していました。迫力があったのは、筧忠治の《男の顔》(1930)と、猫を描いた《ボニー》(1990)。名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「コレクションの20世紀」(以下「20世紀展」)にも、筧忠治の作品がありましたね(《自画像》(1935))。④ 和田三造《花鳥図屏風》もあります。「ナマズ」と思われる魚は、向かって右の屏風(右隻)一番右(一扇)の下部にありました。ケイトウやキジ、サルなども描かれていますが、いずれも肩の力が抜けたイラスト風のもの。親しみを感じました。

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち part1

地域の美術復興に足跡を残した作家たち

最初に展示の、加藤潮光《比島観音像》(1971)には図面も付いています。解説によると、三ヶ根山の「比島観音像」(第二次世界大戦中、フィリピンの激戦で亡くなった50万人余の慰霊のため、1977(昭和52)年に安置されたブロンズ像。所在地は西尾市)に先立って制作されたマケット(maquette : 模型)でした。

⑦ 伊藤廉《柘榴・無花果》(1935)もあります。横長の画面の下半分に十数個の柘榴と無花果を描いた、赤が印象的な作品で、離れていても目立ちました。隣の、真っ暗な背景から浮かび出る、色白の女性の顔と白い仮面を描いたモノクロームの作品(久田治男《悪夢の晦(2)》(1979))にも、しばらくの間、見入ってしまいました。荻須高徳、三岸節子、鬼頭鍋三郎など、名古屋市美術館の常設展でもなじみの作家の作品が並ぶ中、二人の裸婦を描いた、佐々木豊《十字架の構図》(1991)の「赤」が強烈でした。

この外、ステンレス板を中央で折って、左をハイヒールの脚に、右をローヒールの脚に切り抜いた彫刻に目が留まりました。福田繁雄《健康都市碧南(ヘルシーゲート)》(1988)で、市制40周年のモニュメントの原型とのことでした。そういえば、9月23日から市美で「福田美蘭-美術ってなに?」が開幕しますが、福田繁雄さんは福田美蘭さんのお父さんでしたよね。

◆ 第3章 藤井達吉がいた場所から、時代を彩った作家たち part2

新たな表現を希求した作家たち

いつ見ても、中村正義の「男と女」シリーズはインパクトのある作品ですが、碧南市美でも見ることができました。日常風景なのに、この世のものとは思われない雰囲気を漂わせる作品もありました。八島正明《通学電車》(1977)です。絵の解説には「原爆記念資料館の石段に焼き付いた人間の影に衝撃を受け」と書いてあります。その外、庄司達《白い布による空間 ’68-7 ミニ No.2》は、おしゃれな作品です。

展示室を奥まで行くと、以前なら行き止まりでロビーに出るしかないのですが、増築したので、その先にも部屋(多目的室A)があります。中に入ると、正面には中西夏之の《4ツの始まり-2001-Ⅲ》(2001)と《4ツの始まり-2001-Ⅳ》(2001)を展示。20世紀展でも中西夏之の作品が展示されていますね。左の壁には、② 村井正誠《人々》(1979)を展示。右の壁の展示は三尾公三《夢幻の風景》(1989)なので、抽象絵画と具象絵画が向かい合わせになっていました。

2階の展示は、以上で終わりです。2階ロビーに戻って、1階に移動。

◆ 第4章 近代の藤井達吉

1階の奥まった部屋が第4章の会場(藤井達吉記念室)です。入口横の壁に、 ⑤《蜻蛉図壁掛》(1912)がありました。図柄は刺繍したもの。トンボの眼は七宝、翅は竹の皮とのことです。① 《大島風物図》(1916)もあります。図柄は刺繍したものですが、屏風の裏にも絵があり、こちらは絵の具で描いたものです。

絵や刺繍だけでなく、七宝や漆絵なども展示されており、藤井達吉の多才ぶりに、目を見張りました。

◆ 第5章 石川三碧コレクション 地域の文化・歴史の中で育まれた宝物

大浜地区で三河みりんの製造を続けている石川八郎右衛門家に伝来した作品を展示。石川三碧は同家の25代目で、文人画家・儒学者の富岡鉄斎と交流があったようです。最初の展示は、入って右の三幅対の掛け軸。富岡鉄斎が米寿を迎えた1923年に贈られたもので、右が《西王母図》、中央が《瀛州仙境図》、左が ⑧《福禄寿図》でした。富岡鉄斎からは多くの掛け軸が贈られたようで、《和合万福図》など、縁起の良い主題の掛け軸を見ることができました。藤原定家の《明月記断簡》(本物)も展示されています。必見ですよ。

◆最後に

 碧南市美では、これまでも藤井達吉に関する展示を見てきたと思うのですが「何をした人なのかな?」と、もやもやした印象でした。しかし、本展では絵だけでなく、陶芸、七宝、漆芸、刺繍、文書棚や銘々盆など様々なものを見たおかげで、藤井達吉の業績の幅の広さを改めて認識できました。5月14日(日)の協力会ミニツアーは「予約不要」のギャラリートークに参加する形で行うようですが、今から楽しみです。

Ron.

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