2025秋のアートツアー

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12月14日の日曜日に、名古屋市美術館協力会秋のツアーが行われ、総勢28名が参加しました。行き先は京都の對龍山荘と泉屋博古館です。当日は午前中あいにくの雨でしたが、午後からは晴れ、まずまずの天気でした。

最初の訪問先、對龍山荘では国の名勝に指定されている庭園と近代和風建築のすばらしさを体感することができました。蔵には柿右衛門の壺、楽旦入の茶碗があり、座敷には横山大観の絵画など数寄者を喜ばせる数多くの名品があり、その建物の歴史を感じることができました。また聚遠亭には裏千家11代玄々斎の掛け軸、ゆかしき茶室もあり、茶道をたしなむ人たちにとって興味深い場所であると思います。

對龍山荘にて

庭園については見事というほかありません。今までに京都で数多くの庭を見てきましたが、スケール感、設計における随所でのこだわりは半端ありません。それから池の錦鯉の圧倒的な数の多さ。これらの建物と庭を維持するのは大変なことだと思います。これからの長きにわたって文化遺産として保存されることを強く願います。

對龍山荘庭園

昼食は南禅寺山門前の順正で湯豆腐をいただきました。ひさびさに食べました。おいしかったです。

午後から泉屋博古館に移動して「鹿子木孟郎 不倒の油画道」、常設展「中国青銅器の時代」を鑑賞しました。鹿子木は、フランス留学をしている人で、落ち着いたリアリズムのなかに品のよさを感じさせる作品がありました。青銅器については見る機会もあまりないので、新鮮な気持ちをもって楽しむことができました。動物をかたどった文様など、貴重なコレクションを数多く見ることができました。随分前に東京の泉屋博古館に茶道具を見に行ったことがありますが、住友財閥系は数多くの名品を所有していると改めて認識しました。

泉屋博古館

 今回のツアーほぼ日程表どうり、存分に京都を楽しみました。同行の学芸員の竹葉さんには、いろいろな美術情報を教えていただきありがとうございました。また役員の皆さん、いろいろとお気遣いいただき感謝申し上げます。

谷口 信一

秋のアートツアー(京都)

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はじめに

協力会の秋のアートツアーで、京都の對龍山荘と泉屋博古館を訪問した。ツアー当日は、前日からの雨も止み、庭園の散策と展覧会を満喫した。

對龍山荘

對龍山荘の書

對龍山荘の庭園は、東山の眺めを背景に、約1800坪の広大な敷地に池や流れ、芝生広場などを配置している。国の名勝にも指定され、近代日本庭園の先駆者と称えられる七代目小川治兵衛が改修を手掛けた。座敷からの眺めも、庭に降りての眺めも、とても印象的な体験だった。

對龍山荘の庭園の眺め

お昼は、南禅寺界隈の湯豆腐のお店へ。暖かいものを食べ、体中がホカホカになった。

昼食のテーブル

泉屋博古館

「生誕151年目の鹿子木孟郎-写実絵画の精髄-」と、コレクション展の「中国青銅器の時代」を見た。

鹿子木の作品を見て、名古屋市美術館のコレクション展で見かける郷土の作家の中にも、よく似た作風の作家がいることに気がついた。同じ時代に活躍し、写実的な表現を試みた京都の作家と名古屋の作家の作品が、はからずも似ていることが面白かった。

会場入口

中国青銅器展では、青銅器の鋳造過程を模型と映像で解説しているコーナーがあった。いくつもの土の型を組み合わせ、とても複雑な形状の器ができる様子は、思わず映像の最後まで見てしまうほどの面白さだった。

展示風景

泉屋博古館で記念撮影。

美術館入口にて

杉山 博之

アートツアー アンゼルム・キーファー:ソラリス(京都)

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名古屋市美術館協力会のアートツアーで、京都・元離宮二条城で開催されている「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展(以下、ソラリス展)と、京都国立近代美術館で開催されている「若きポーランド」展(以下、ポーランド展)を訪問しました。以下で簡単に、「ソラリス展」の様子をご紹介します。

会場入口

アンゼルム・キーファーは、名古屋市美術館の名品コレクション展(常設展)でも、毎回、彼の作品が展示されるので、とても親近感のある作家です。特に、今回の「ソラリス展」は、世界遺産である元離宮二条城を会場とし、スケールの大きな作品が野外にも展示されます。また、主催者であるファーガス・マカフリーのスタッフによる本アートツアーのための作品解説もあり、とても楽しみにしていました。

作品解説の様子

作品保護と展示室内の導線を残すため、作品解説は途中から2つのグループに分かれました。会員からは、「作品タイトルを見ると女神の名前が多いが、男神の名前の作品はあるのか」、「重そうな作品だが、どうやって展示したのか」、「作品の表面に張り付けられた材料はなにか」など、活発な質問が出ました。

作品解説の様子

作品解説では、第二次世界大戦で敗戦国となったドイツと日本の共通性、フランスにあるアンゼルム・キーファーのアトリエの様子、元離宮二条城で展示する意義についても、話題が出ていました。おもしろかったのは、江戸時代のものと思われる「落書き」が残されていたことです。「落書き」した本人は、まさか2025年の「ソラリス展」で、大勢の観客に見られるとは、思ってもいなかったことでしょう。

作品解説の様子

中庭に面した展示室では、麦のような作品の穂先が窓からの光で金色に輝いていました。これらは、もちろん本物の植物ではありません。ここでも、「作品タイトルのモーゲンソー計画とは」、「砂の上にどうやって植えているのか」、「通路のほうに斜めに傾けているのはなぜか」、「砂の上に置かれた蛇や陶器の破片の意図は」、「麦の種類はなにか」など、活発な質問が出ました。

作品解説の様子

前日からの雨も上がり、前庭の≪ラー≫を背景に記念撮影をしました。中庭にも、鉛で作られた多くの作品が並んでいました。

元離宮二条城 台所前庭にて
元離宮二条城 御清所中庭にて
元離宮二条城 御清所中庭にて

アンゼルム・キーファーの作品には、大量の鉛が使用されています。古代から中世にかけて、盛んに研究された錬金術は、卑金属の鉛から貴金属の金を精錬できませんでしたが、現代アートの世界では鉛の作品から、とても貴重な、金にも勝る鑑賞体験をすることができました。

杉山 博之

元離宮二条城でキーファーを見る

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

5月10日(土曜日)、名古屋市美術館協力会の春のバスツアーに参加しました。午前中は二条城の二の丸御殿台所、御清所で開催されている「アンゼルム・キーファー ソラリス」展を鑑賞。昼食は智積院茶寮で貸し切りの部屋で料理を堪能。午後は京都国立近代美術館で「若きポーランド 色彩と魂の詩1890-1918」展を鑑賞するツアーです。

展示風景 《オクタビオ・パスのために》

名古屋市美術館に収蔵されている作品の中でヴィジュアルにおいて最もインパクトのあるものはキーファーの≪シベリアの王女≫だと個人的には思っているので、二条城でキーファー展があると聞いたときはそんなところで展覧会が開催されるのか正直疑問に思っていました。現代美術と伝統文化である二条城とマッチするはずがないと思っていました。

しかし実際に二条城に入り最初に《オクタビオ・パスのために》を眼にしたときに心の中でなるほどと妙に納得する感情を覚えました。二条城の大屋根のとてつもなく太い梁にも負けない重量感ある力強いキーファーの作品とのコラボ。こころの中で全く違和感がない、お互いが完全に調和し親和性を創り出している。驚きだった。違和感がない。これがまさしく現代美術のひとつの面白さだとおもいます。現代美術においては作品とその題名とそれに対しての作者の思想を読み解く面白さにあると思うのだがこの展示は神話、哲学、戦争などいろいろな方向へと私たちを引き込む力があると強く感じました。

展示風景 中庭にて

そんな展示空間のなかで主催者のファーガス・マカフリーの担当者からの企画、制作、開催までの詳細な解説、《モーゲンソー計画》の作品の砂をどのように部屋の中へ入れ、建物を傷めないように砂をボンドなどで固めて作品を完成させた苦労話など興味深い説明を受けました。また協力会の会員の様々な質問で大いに盛り上がりあっという間の2時間でした。ヨーゼフ・ヴォイスとキーファーとの関係なども話題に。個人的には大分まえにベルリンかミュンヘンか忘れてしまったけれどヴォイスのジャケットの作品を見たなあと思い出したりもしました。

展示室入口

「若きポーランド」展はなじみのない画家の作品ばかりでヨーロッパの美術館でよくみられるレヴェルの作品が多くあるように思いました。フランスの画家たちが浮世絵の影響を受けているのは広く知られていることだがポーランド絵画が浮世絵の影響を受けているということは知りませんでした。歌川広重の《名所雪月花より》《神奈川八景》《名所江戸百景》などの浮世絵を見て改めて浮世絵のよさを発見。また常設展では好きなマティスのリズム感ある《ジャズ》の作品、東松照明の鮮やかなコントラストが際立つ《京まんだら:智積院》、楽直入のアヴァンギャルドな茶碗など見ごたえのある作品を鑑賞することができました。

展示風景

最後に名古屋市美術館の学芸員の竹葉さんに鑑賞の手引きとなる数多くの資料準備、またバスの車内でのキーファー展の解説、現在のアメリカ、ヨーロッパなどの美術館の動向、キュレーターたちの動き、日本の美術館の今後の方向性等、幅広い興味ある貴重な話をしていただきました。他にもいろいろな細かな心遣いなどしていただくなど大変お世話になりました。本当にありがとうございました。感謝申し上げます。

谷口 信一

名古屋市美術館協力会  秋のツアー2024(岐阜) 

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

 2024.11.09開催 



119日に名古屋市美術館協力会秋のツアー(以下「ツアー」)が開催されました。目的地は岐阜県現代陶磁美術館(岐阜県多治見市:以下「陶磁美術館」)とせきがはら人間村生活美術館(岐阜県関ケ原町:以下「生活美術館」)です。目的地はいずれも岐阜県で近いため、集合時刻は午前815分でした。予定時刻に同行も含めた参加者23名が名古屋駅太閤口広場に集合したので、予定時刻2分前の828分にバスは発車しました。



ツアーの添乗員はJR東海ツアーズの服部さん、ツアー同行は山田諭さん(以下「山田さん」)です。山田さんの同行は2016年「秋のツアー箱根」以来。8年ぶりです。当時は名古屋市美術館学芸課長。翌年、京都市美術館に異動。京都市美術館を退職後、現在は県内にお住まいなので同行を引き受けて下さいました。



往路:渋滞したものの、到着時刻はほぼ予定通り



 往路は名古屋都市高速道路、東名高速道路、中央自動車道を通過し、多治見ICから陶磁美術館に向かうという経路。早く着きすぎるため内津峠PA20分休憩したのですが、何と多治見IC2km前から渋滞。「陶磁美術館の開館時刻(午前10時)に間に合わないのでは」と、大いに焦りましたが、なんとか10時ギリギリに入館できました。運転手さんの話では「イオンモール土岐に向かう車が多いのが渋滞の主因」とのことです。



岐阜県現代陶芸美術館「生誕130年 荒川豊蔵展」10001100



陶芸美術館のバス停から陶芸美術館までは、シデコブシの群生地を跨ぐ橋とトンネルを歩きました。山田さんは「陶芸美術館は、アプローチが素晴らしい」と話していましたが、山田さんが言われたとおり、異郷に向かっている感じのアプローチです。トンネルを抜けると、眼前には美濃の山並みが広がっていました。



陶磁美術館は、地上3階・地下1階の複合施設セラミックパークMINO(以下「セラミックパーク」)の2階。セラミックパーク3階のエントランスホールからエスカレーターで降りると、陶磁美術館の岡田学芸員(以下「岡田さん」がお出迎え。「生誕130年 荒川豊蔵展」(以下「本展」)のギャラリートークが始まりました。岡田さんによれば、荒川豊蔵は抹茶茶碗のスーパースター、安土桃山期が黄金時代で、明治以降には廃れてしまった志野・瀬戸黒を復興した作陶家とのこと。本展では美濃焼の展示に加え、荒川豊蔵の絵(絵描きを目指しており、絵が上手だった)と人間的な全体像を紹介、との解説でした。



〇Ⅰ.プロローグ 人間国宝 荒川豊蔵



最初の部屋は、荒川豊蔵の代表作を展示しています。岡田さんは、白い円筒状の《志野山の絵水指》や真っ黒で指跡の付いた《瀬戸黒茶垸(ちゃわん)》などの代表作を紹介し、荒川豊蔵は志野と瀬戸黒で人間国宝(注:正式には「重要無形文化財技術保持者」)に指定された、と解説。また、灰色の地に白い鶴が描かれた《志野鶴絵茶垸》については「鉄釉を掛けてから、鶴の絵を掻き落とした鼠志野」と話されました。



なお、解説はありませんでしたが、茶釜型でピンク色の《志野山の絵水指》は可愛いやきものでした。



〇Ⅱ.東山窯と星岡窯 やきものに優美なのがあるのを知る



通路には、初期作品の展示がありました。岡田さんは「荒川豊蔵は絵が得意だったので、宮永東山窯(みやながとうざん)と北大路魯山人の下で磁器の絵付けもした」と解説。京都・深草の宮永東山窯や北大路魯山人が鎌倉に築いた星岡窯(ほしがおかがま)で焼成した磁器を見ることが出来ました。



〇Ⅲ.荒川豊蔵の陶芸



次の部屋には荒川豊蔵が描いた大画面の《古志野発見端緒の図》《古志野陶片発見の図・月照陶片歓触の図》が展示されています。岡田さんは、その絵の前で「志野・瀬戸黒は、桃山期の作品は残っているものの、明治には作られていない。尾張の港から積み出されたので「瀬戸で制作」と思われていたが、昭和9年(1934)に大事件が起きる。荒川豊蔵が美濃・大萱(おおがや:現在の可児市大萱)で志野の陶片を発見し、志野は美濃で焼かれていたことが判明した。荒川豊蔵は志野の復活に取り組むが、手がかりは陶片だけなので、志野が焼成できるようになるまで数年を要した。荒川豊蔵の作品は、伝統の復活に作家の個性、創意も加えた芸術的なスタイル持っている。また、地元からは荒川豊蔵の後を追って多くの陶芸家が育った(補足:陶芸美術館は「人間国宝 加藤孝造 追悼展」(11/302025/03/16)「卒寿記念 人間国宝 鈴木蔵の志野展」(2025/03/2906/10)を開催予定)」と解説。



岡田さんは荒川豊蔵の作品を「オリジナル+クリエイティブ」と評しましたが、焼成中に裂けた《黄瀬戸破竹花入》は、まさに意表を突く作品です。「裂けた花入れでは水が漏れるのに、どうやって花を生けたのでしょうか」と山田さんに尋ねたら「竹筒を使う」との答え。竹籠を使って花を生ける時と同じ方法でした。



岡田さんに「織部が見当たりませんね」と尋ねたら、「織部は簡単だからやらない」との答え。「志野は水が漏れやすい、瀬戸黒は焼成中に窯から取り出して水で急冷させて黒色にする。ゆっくり冷やすと黒くならず茶色になってしまう。急冷するので割れることが多い。釉薬に異変がなくても中にヒビが入っていて、使用中に割れることもある。萩焼も焼きがあまくて水漏れしやすいが、水が滲みて器の表情が変わるのを『かせ』と呼んで珍重する。志野は薪を使う窯でないと焼成できないが、薪を使う窯以外で志野を焼成したのが鈴木蔵(おさむ)。彼は天才だよ」と、話が続きました。



〇Ⅳ.暮らしとともに 水月窯と大萱窯



岡田さんによれば、荒川豊蔵は戦後、一般向けのやきものを焼成するため、多治見市虎渓山町に連房式の新たな窯・水月窯(すいげつがま)を築く。可児市の大萱窯は薪を使う大窯で量産はできない。水月窯は量産が可能で、一般向けの磁器も焼成できた。一時休止したが孫弟子の水野繁樹さんが継いでいる、とのことでした。



水月窯の製品では、《染付扇面詩文山水画向付》や《梅花文汲出》が目を引きました(補足:汲出(くみだし)は和菓子を食べるときや来客時に茶托とセットで使う半球形の煎茶用茶器。湯呑は円筒形のものを指します)。



水月窯については次のURLをご覧ください。URL Home |
suigetugama
URL
suigetutoyozopamp.pdf (tajimi.lg.jp)



〇Ⅵ.交友 芸術家との共作、五窯歴遊



萩焼、信楽焼、丹波焼、肩津焼、備前焼の窯元を訪ねて焼成した作品を展示しています。岡田さんは「Ⅲ章の展示ですが、荒川豊蔵は萩焼の第10代三輪休雪(隠居後は、休和)備前焼の金重陶陽、陶芸家・実業家の川喜多半泥子の4人で“乾比根(からひね)会”を結成して交友を深めた。萩焼・備前焼とは焼成方法や作風が違うものの、“古典の復興“という共通点があったため、交友を深めた」と、解説がありました。



〇自由鑑賞1035-1100



 ギャラリートークの時間が30分近くになったため、Ⅵ章で岡田さんの解説は終了。参加者各人の自由鑑賞となりました。岡田さんが「Ⅲ章の展示」と話していたのでⅢ章に戻ると、《半泥子宛書簡(千歳山訪問の礼状》《師匠友誼図》を展示。《師匠友誼図》の解説には「三重県津市千歳山の川喜多半泥子宅で作陶連盟乾比根会を結成」と書かれていました。その後、陶芸美術館のギャラリーⅡで開催中の「美濃のラーメンどんぶり展
The Art of RAMEN Bowl」(内容は、下記URLのとおり)を見ていたら、1050分を過ぎたので駐車場のバス停まで駆け足で戻り、何とかバス発車の11時に間に合いました。「美濃のラーメンどんぶり展」のURLは、以下の通り。



URL: 岐阜県現代陶芸美術館 | 美濃のラーメンどんぶり展 The Art of
RAMEN Bowl



食事会場までの車内では11001200



 出発後、国道19号に入ると、反対車線は依然として渋滞。イオンモール土岐の集客力には驚きました。



 多治見ICから中央自動車道に入ると、山田さんのトークが始まりました。山田さんは、今夏に陶芸美術館で開催された「リサ・ラーソン展」を見たとのこと。陶芸美術館の岡田さんについては同年齢で、岡田さんが岐阜県立美術館の学芸員だった時「荒川修作研究会」を立ち上げ、月1回ペースで意見を交わした仲だったとのことです。「展覧会の名前は違うけれど、同じ“荒川”つながりで、旧交を温めることが出来た」と喜んでいました。



 ツアー参加者から「陶磁美術館では、もう少し自由鑑賞の時間が欲しかった」との声もありましたが、食事会場の予約時刻や移動時間を考慮すると、陶磁美術館の滞在時間は10001100がギリギリだったようです。



昼食:関ケ原ウォーランド・Sekigahara 花伊吹12001320



 「昼食会場までの所要時間は80分ほど」の予定でしたが、バスの運行が極めて順調だったため、予定時刻より20分早い1200に到着。「近江牛・飛騨牛食べ比べ」のすき焼きを楽しみました。すき焼きを食べ始めた時は、協力会しか居ませんでしたが、食べ始めると次々に団体客が入り、たちまち満席になりました。ツアーを企画したMさんの話では「食事会場の選択肢が、他に無い」とのことでした。



 予定より20分も早く昼食が始まりましたが、次の見学先・生活美術館の受け入れ態勢が整うのが1330なので、ツアー参加者は1320までSekigahara 花伊吹の売店での買い物などを楽しんで過ごしました。



◆生活美術館13301600



昼食会場から向かったのは生活美術館ではなく「関ケ原製作所」の駐車場です。バスが停車すると、生活美術館のスタッフが出迎えて下さいました。「関ケ原製作所って、何の会社?」という疑問や「何故、関ケ原製作所の駐車場に生活美術館のスタッフが?」という疑問を抱えたまま、徒歩で生活美術館に向かいました。



〇せきがはら人間村財団理事長のレクチャーと紹介ビデオ13401410



関ケ原製作所を出て国道365号を北に向い、関ケ原製作所の敷地北東の生活道路を西に進み、向かって左(道路の南)にある民家の切れ目を左に曲がると人間塾の建物が見え、その周囲がニイヅマガーデンでした。



ツアー参加者が案内されたのは、人間塾の2階。講義室のような部屋です。生活美術館の側はせきがはら人間村財団(以下「財団」)の福本武彦理事長(以下「理事長」)と「せきがはらゼネラルサービス」の山口さん、松原さんの3名が出席されました。理事長のレクチャーと紹介ビデオの内容によれば、生活美術館の母体は関ケ原製作所。関ケ原製作所の創業者は「矢橋(やばし)大理石株式会社」の創業者一族である矢橋五郎(やばしごろう)で、1946年に「関ケ原産業株式会社」の名称で日本国有鉄道向けの軌道用機器生産を開始したのが始まりで、現在は、油圧機器、商船機器、鉄道機器など7つの事業部門があるとのことです。



財団設立のきっかけは、3度の危機。1978年の石油ショック、1988年の円高不況、1996年のバブル崩壊です。二代目の社長矢橋昭三郎は「不況は仕方ないが、せめて明るく愉しい生活を送ろう」と、1988年にフランスの彫刻家ピエール・セーカリーに彫刻の制作を依頼。以来、2000年に平和の杜、2005年に人間塾、2018年に未来食堂、2021年にCafé Mirai 等、施設を充実させてきた、とのことです。



〇せきがはら人間村の散策14151600



・蔵ミュージアム



山口さんの先導でニイズマガーデンを抜けて「蔵ミュージアム」に向かいました。「蔵ミュージアム」は中で左右に分かれており、入口を入ると渡り廊下に近持イオリの彫刻《水の家》、向かって右の部屋は全体が若林奮のインスタレーション《胡桃の葉Ⅱ》。渡り廊下に戻り、次の部屋に入ると、若林奮の彫刻に加えて、スペインの彫刻家エドゥアルド・チリーダの彫刻と李禹煥の絵画。奥の部屋の床には大理石を彫った古郡弘の《Banco 盤古》。壁に取り付けられた250kgの重さの古郡弘《Ermafroid 両性具有》は向かって左が女性、右が男性とのこと。庭に出ると新妻実の彫刻《地平線》。素材はインド産御影石で「触ってもよい」とのことでした。



・生活美術館本館エリア



次に向かったのは「生活美術館本館エリア」。最初に目に入ったのは、庭に置かれた若林奮のブロンズ作品《自分の方へ向かう犬I》でした。生活美術館本館では「Homage to MINORU NIIZUMA」を開催中で、新妻実の彫刻の外、高松次郎、関根伸夫、若林奮、李禹煥の作品を展示でした。解説はありませんでしたが、何れも抽象美術なので、ツアー参加者は各人の感性に従って、作品を楽しんでいました。



 生活美術館本館を出ると、前面に観音開きのガラス製扉がある立方体の建物があります。名称は「地蔵堂」で、中には若林奮の彫刻《近い縁Ⅰ》が置かれています。丁度、矢橋昭三郎氏がツアー参加者の様子を見に来られたので、矢橋昭三郎氏を交えて「地蔵堂」の前で記念写真を撮影。最後、生活美術館本館エリアを出るところで見たピエール・セーカリー《Dragon family》は苔むし、草も生えています。設置以来の歳月を感じました。



・創業者邸



「生活美術館本館エリア」から少し歩き、細い道を横断するとcafe mirai と「創業者邸」があります。芝生の上にあったのは李禹煥《関係項-応答》。自然石と分厚い鉄板が向かい合っている作品で「石と鉄が対話しているので設置した」とのことです。石材会社と鉄鋼会社を興した創業者=八橋五郎の姿と作品が重なりますね。



・古戦場を歩き、平和の杜へ



創業者邸から南に道があります。向かって左は「せきがはら人間村」の敷地ですが、右は「島津義弘陣跡」と神明神社の杜があります。しばらく歩くと、世界平和を祈るモニュメント、ピエール・セーカリー《関ケ原》が現れました。鎧武者の頭部を思わせる彫刻が10個。通常は下から4個、3個、2個、1個の順で4段に積み上げるのでしょうが、4段目に彫刻は無く、1段目が5個となっています。ツアー参加者のHさんが「4段に積み上げると一番上の1個が全体を支配する姿になる。1番上の1個が無いのは、10個が協調して平和を守る形になるから、と聞いたことがあります」と話すと、山口さんから「その通りです」と、お誉めの言葉がありました。



 南に向かう道を更に進むと左右をススキに覆われ、まさに「一本道」になります。右側のススキの向こうには「関ケ原古戦場開戦地」と書かれた幟(のぼり)。赤い井筒(「井」の字)を染め抜いた井伊家の幟も見えました。



・散策のゴールへ



 一本道を左に曲がると「未来食堂」が見えてきます。せきがはら人間村の敷地に戻り、北へ向かうとピエール・セーカリーの彫刻《ムッシュライオン & マダムライオン》がお出迎え。芝生広場の向こうには、インド・ネパール・日本の彫刻家が制作した《アジアの苑》。そして、散策のゴールは李禹煥《関係項-アーチ・関ケ原》。自家用車で来ると《関係項-アーチ・関ケ原》が入口になるようです。なので、芝生広場に向かって、《関係項-アーチ・関ケ原》を背に、記念写真を撮影しました。山田さんからは《関係項-アーチ・関ケ原》について「鉄のテンションを石が受け止めている形。石と鉄は押し合っている」との解説がありました。



なお、せきがはら人間村関係のURLは次のとおりです。URL: 人間村について|せきがはら人間村



名古屋駅までの車内では16001710



 予定では1530の出発でしたが、ツール参加者が熱心に鑑賞するので山口さんのテンションも上がり、予定時刻を30分オーバー。でも、楽しく過ごせたのでOK。山田さんもトークで「スタッフが楽しんで案内しているのが素晴らしかった。」と絶賛していました。山田さんは、年明け後に見るべき展覧会として、豊橋市美術博物館の「生誕100
中村正義展」(2.223.30)を挙げていました。協力会のミニツアーで行けると良いですね。



 帰路は、関ケ原ICから名神高速道、小牧ICで名古屋都市高速道路に入り、黒川出口から一般道という経路。行楽帰りの車両の影響で速度が少し落ちましたが、名古屋駅太閤通口着は1710。発車時の30分遅れを20分縮めました。



最後に



天候に恵まれ、事故もなく、バスの車内では山田さんのトークを8年ぶりに聴くことが出来ました。旅行を企画した松本さま、添乗員・ドライバーさま、参加された皆さま、ありがとうございました。



Ron.



春のツアー2023 長野・軽井沢(後編)

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◆軽井沢千住博美術館『チキュウ・ウチュウノキセキ』

〇出発まで

 宿泊したコテージは中央に大きなテーブルがあったので、夜遅くまでカードゲームやおしゃべりを楽しむことができました。翌朝5:30にコテージから出て、スマホを見ると軽井沢の気温は15度。耳を澄ますと、薄い朝靄に包まれた青紅葉やメタセコイヤの間から、微かですが小鳥のさえずりが聞こえます。リゾート地に居ることを実感しました。ぶらぶら歩きをすると、テニスコートや結婚式場、ゴルフ場に囲まれていることがわかります。1時間ほど歩いて「これは道に迷ったかな?」と思った瞬間、同じコテージに泊まったツアー参加者から声をかけられ、一緒に朝食会場へと向かいました。ラッキーでしたね。朝食の開始は7:00。たっぷり1時間かけて朝食を済ませ、コテージに戻って荷物をまとめ、指定場所に再集合。バスは予定通り9:15に発車しました。

〇深谷さんの事前レク

深谷さんによれば、軽井沢千住博美術館の開館は2011年。建物を設計したのは金沢21世紀美術館を手掛けた西沢立衛(にしざわ りゅうえ)。樹々に囲まれるだけではなく、総ガラス張りの建物には4カ所のガラス張りの吹き抜けがあり、その中にも樹木があります。床は土地の起伏のままで、緩やかに傾斜しているとのことでした。

〇自由鑑賞

美術館には発車10分後には到着していましたが、開館時刻は9:30。開館時刻まで待機となりました。ツアー参加者以外で待機している人々の多くは外国人。うち半数はアジア系です。「ここは、観光スポットなのだ」と思いました。添乗員の石井さんから「20分おきに約7分間の映像作品が上映される」という情報が入り、ツアー参加者は「The Fall room」へ向かいました。そのため、定員20名の部屋はツアー参加者だけで満席(ただし、立ち見も可)となりました。「その後、10:00からの上映も見た」という参加者が多数いました。その他の展示は「waterfall」シリーズから始まり、初期のビルを描いたものから、Flatwaterシリーズや絵本「星降る夜に」の原画、浅間山を描いた2023年の作品まであります。

軽井沢千住博美術館前にて

入場券を見せれば「再入場可」なので、周辺の散策もできました。駐車場の横にはミュージアムショップとベーカリーカフェ浅野屋があるので、お土産を買い込んでいる参加者が多数いましたね。

◆軽井沢安東美術館『藤田嗣治 エコール・ド・パリの時代』

〇深谷さんの事前レク

深谷さんによれば、軽井沢安東美術館(以下「安東美術館」)は、投資ファンドの経営者である安東泰志氏(以下「安東氏」)の個人コレクションを展示する「藤田嗣治だけの美術館」として2022年10月に開館した美術館、とのこと。安藤氏は、安東美術館を開館する前は自宅の壁に多数の藤田作品を飾っており、安東美術館を開館するにあたっても「自宅のような美術館」をコンセプトにしており、作品は制作年代順にならべられ、展示室ごとに壁の色が違っているとのことでした。深谷さんは安東美術館の開館レセプションに招かれたそうで、来賓は小池百合子東京都知事を始め、長野県知事、文化庁長官など、錚々たる顔ぶれだったとのことです。

〇自由鑑賞

安東美術館は、前日に見学した軽井沢ニューミュージアムの少し東に建っていました。安東美術館に駐車場は無いので、バスは町営駐車場に駐車。北に向かって歩くと道路を隔てて西に軽井沢大賀ホール(注)がありました。

(注)ソニー名誉会長で声楽家でもある大賀典雄が寄贈した16億円の資金等によって建設され、2005年4月29日に開館。詳細は、軽井沢大賀ホール – Wikipediaを検索してください。

軽井沢安東美術館前にて

安東美術館に着くと、館長の水野昌美さん(以下「水野さん」)がツアー参加者を出迎えてくださっただけでなく、館内を案内してくださいました。これも、深谷さんが同行して下さったおかげです。展示は2階の展示室2(壁は濃緑)「渡仏―スタイルの模索から乳白色の下地へ」から始まります。《二人の少女》(1918)は、安東美術館の入口でもらったチラシの表(おもて)面に使われている作品。深谷さんによれば「向かって右の少女は、モディリアーニ《おさげ髪の少女》(1918)と共通点がある」とのことでした。《壺を持つ女性》(1920)を見て、「ピカソの作品の影響があるかも」と指摘する参加者もいました。1920年代初期の藤田嗣治はモディリアーニやピカソとの交流があったので、影響も受けたのでしょうね。《カーニュ、シェロンへの手紙》(1918)について、水野さんは「画面左で洗濯物を干しているのは妻のフェルナンド、部屋の中で絵を描いているのが藤田嗣治。画面右で脚を投げ出しているのはモディリアーニ」と解説してくださいました。当時の写真も多数展示されており、「藤田嗣治と写真をテーマにした展覧会を計画中」という話も聞こえてきました。

展示室3(壁は黄色)のテーマは「旅する画家―中南米、日本、ニューヨーク」。《メキシコの男》(1933)は、中南米を旅しているときの作品。また、水野さんは《犬と遊ぶ子どもたち》(1924)について「絹本に描いていますが、使っているのは油絵具」と解説。日本画のような雰囲気がありました。リトグラフの《夢》(1957)を見て、「この作品、どこかで見たことがある」とツアー参加者が思わず声を出すと、深谷さんが「名古屋市美術館の所蔵作品を版画にしたのですから、似ているのは当然です」とフォロー。

ギャラリートークの様子

展示室4(壁は濃紺)のテーマは「ふたたびパリへ―信仰への道」。細長い部屋の突き当りに《金地の聖母》(1960)がありました。金地の背景に描かれた十字と円を組合せた装飾模様は、日本の紋所を想起させました。1952年制作のガラス絵《除悪魔 精進行》からは、藤田嗣治の叫びが聞こえてくるようです。

展示室5(壁は臙脂)のテーマは「少女と猫の世界」。水野さんによれば「他の展示室との違いはキャプションもスポットライトも無いこと。その理由は、安東家のリビングを再現した部屋というコンセプトに従ったため」とのことでした。安東美術館から撮影許可が出たので《猫の教室》(1949)の前でツアーの記念写真を撮影しました。

展示室にて

最後は、「特別展示室」と「屋根裏展示室」。特別展示室では、オッフェンバックの詩集のための挿絵『エロスの愉しみ』よりを展示。屋根裏展示室では藤田嗣治が1930年に制作したテーブルなどを展示しており、寄木細工のテーブルに描かれた封筒やペン、トランプなどは、絵具で描いたのではなく、木を薄く削って貼り付けたものでした。藤田嗣治は手先が器用で、職人としても一流だったのだな、と感心した次第です。

展示風景

〇安東美術館からのサービスとプレゼント

安東美術館の入場券に印刷されたQRコードを1階の「Salon Le Damier」の入口にある機械にかざすと、フリードリンクが飲めます。飲み物は、紅茶、コーヒー、チョコレートドリンクの3種でした。

安東美術館の見学が終わった時、ツアー参加者全員に「猫のシール」のサプライズ・プレゼントがありました。水野さん、お気遣い、ありがとうございました。

◆昼食

昼食の会場は、北佐久郡軽井沢町長倉のホテル「そよかぜ」に併設の「ビストロプロヴァンス軽井沢」。安東美術館からは西に向かってバスで30分ほどの距離。山道に入ると、ヘルメットをかぶって自転車で山道を登る人の姿を多く見かけました。「傾斜が急な山道を自転車で登るのは並みの筋肉では無理」と思いましたが、ツアー参加者のMさんは「筋肉は貯金できない。一度自転車で山登りをする快感を味わうと、走る習慣を止めることはできないの」と解説してくれました。料理は、フレンチ。たっぷり1時間かけて腹ごしらえが出来ました。

◆復路でも中央道リニューアル工事の影響を受け、予定を1時間ほど超過

中央道リニューアル工事に伴う渋滞はありましたが、ツアー参加者は全員無事に帰還できました。ツアーを企画したMさん、同行の深谷さん、道中適切に状況を判断して、最小限の遅れにとどめてくださった、添乗員さんと運転手さん始め、今回のツアーに参加された皆さま方全員に感謝します。ありがとうございました。

最後になりますが、ツアー終了の翌日から、台風の影響で雨が続いています。晴れ女・晴れ男が誰だったのか、私には分かりませんが「我こそは、晴れ女・晴れ男だ」と思っている皆様方、今後とも、よろしくお願い申し上げます。

Ron.

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