名古屋市博物館 「大雅と蕪村 文人画の大成者」 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

名古屋市博物館で開催中の「大雅と蕪村 文人画の大成者」(以下、「本展」)鑑賞の協力会ミニツアーに参加しました。参加者は24名。1階展示説明室で横尾拓真学芸員(以下「横尾さん」)の解説を聴いた後、自由観覧・自由解散となりました。

◆横尾さんの解説(10:00~30)の要旨(注は、筆者の補足です)

・本展のポイント

本展ポイントは、①大雅と蕪村を比べながら鑑賞できる、②大雅・蕪村と尾張との関係が分かる、という2点です。蕪村の展覧会は開催されるものの、大雅と蕪村の作品を比べながら鑑賞できる機会はあまりありません。大雅・蕪村と尾張との関係については、重要なつながりがひとつあります。それは、国宝『十便十宜図』で、大雅と蕪村の合作です。川端康成が所蔵し、現在は公益財団法人川端康成記念会の所蔵です。『十便十宜図』は、中国の文人・李漁が自分の住いの「十便」(十の便利なところ)と「十宜」(十のよろしいところ)について詠んだ七言絶句の漢詩「十便十宜詩」を絵にしたもので、大雅49歳、蕪村56歳の時の作品です。尾張との関係は、この作品が鳴海宿の豪商・下郷学海(しもさとがっかい)が所蔵していたもので、彼が注文主だと考えられているという点です。本展では、「本当に下郷学海が注文したものなのか」という点を掘り下げました。その結果「下郷学海が注文した」と考えられます。

・本展の構成

プロローグ 文人画とは?

第1章 文人画の先駆者―彭城百川(さかきひゃくせん)

彭城百川は名古屋ゆかりの画家なので、第1章で紹介しています。

第2章 早熟の天才絵師―池大雅

 池大雅は、文字どおり早熟の天才絵師で、20代から30代の作品を紹介しています。

第3章 芭蕉を慕う旅人―与謝蕪村

 池大雅と違って、与謝蕪村は大器晩成型の画家で、若い頃といっても40代から50代の作品を紹介しています。

第4章 『十便十宜図』の誕生

 長い前置きがあります。本なので、一度にお見せできるのは1ページだけです。他のページについては、お配りする『十便十宜図』をご覧いただくか、図録をご覧ください。(注:名古屋市博物館敷地内の北側通路にも、『十便十宜図』のパネル展示があります)

第5章 蕪村の俳諧―尾張俳壇と蕪村

与謝蕪村は名古屋の俳人と交流が深く、蕉風の同志として交流とともに、蕪村の「俳画」を紹介しています。

第6章 かがやく大雅 ほのめく蕪村――ふたりが描く理想の世界

 池大雅と与謝蕪村の代表作を並べています。心ゆくまで楽しんでください。

第7章 尾張の文人画―丹羽嘉言

 付けたりです。尾張の画家を紹介しています。

エピローグ  両雄並び立つ-歴史となった大雅と蕪村

・本展のみどころ

〇張月樵《大雅・蕪村肖像》(プロローグ)

 名古屋の画家なので紹介します。三幅対の肖像画ですが、スクリーンに映しているのは、大雅と蕪村の肖像です。二人を描いた肖像画を元に、滑稽味を加えて描いたものです。

〇池大雅《前後赤壁図屏風》(第2章)

 大雅27歳の時の作品で、彼の魅力が凝縮されています。山水画を「わび・さび」の世界ではなくデザイン的に描いたものです。同じような形の松を繰り返し描き、墨の濃淡で概念的な奥行きを出しています。樹木の葉も楕円形で、抽象的な表現です。楕円をいっぱい並べて、グラデーションをつけています。自然を写実的に描く、というより、形の面白さを表しています。中国で出版された、木版による文人画のお手本のスタイルを取り入れたと思われます。私(注:横尾さん)は琳派の影響があったのではないかと考えています。デザイン的な描き方なので、中国の文人画とは違うものです。

 文人画には、詩・書・画の一致が求められました。大雅は書もうまく、《前後赤壁図屏風》に大きく書かれた「前赤壁」「後赤壁」という篆書は、墨のかすれも計算に入れて書いたもので、画一的にならないよう工夫しています。

〇与謝蕪村《倣銭貢山水画》(第3章)

 蕪村51歳の時の作品で、中国の文人画を写し、お手本の絵と並び立つほどの出来になっています。文人画には決められたスタイルがあります。それは、細い線と点をうまく組み合わせて、山・岩・土の凹凸を表し、親しみやすい空間を描くというものです。

 なお、作品名は「銭貢に倣った山水画」という意味で、明の蘇州の職業画家・銭貢の山水画に倣って描いたものです。自然の中で自由に暮らす様子を描いています。池大雅の絵は圧倒的にうまいですが、中国の文人画風のものは描きません。一方、与謝蕪村の若い頃の絵はぎこちないものです。中国の文人画を丁寧に模写して、それをしっかりと再現するように修練し、それを土台にしてその後の作品を描きました。

〇池大雅《漁楽図》(第6章)

 大雅の代表作です。点描の雨嵐で、中国の文人画にもない表現です。明るく、伸び伸びと文人の理想を表現した大雅らしい作品です。

〇池大雅《蘭亭曲水・龍山勝会図屏風》(第6章)

 大雅41歳の時の作品で、明るく、優しく、伸びやか、朗らかで、登場する文人たちも楽しそうです。

〇与謝蕪村《新緑杜鵑図》(第6章)

 蕪村63歳以降のラフな表現の作品ですが、見る者の想像力を喚起します。余白をうまく使っており、モヤがかかった風景に合う、ぼんやりした表現です。中国風のかっちりとして緻密な表現を、意図的にラフなタッチに崩しています。詩的で情緒的な作品です。

〇与謝蕪村《奥の細道図巻》(第5章)

 蕪村63歳の時の俳画です。一見すると、誰でも描けそうですが、なかなか描けない絵です。いくつかの線を省略していますが、足の向きなどはちゃんとわかります。

◆自由鑑賞

〇彭城百川《十二ケ月押絵貼屏風》(第1章)

会員のNさんたちに評判が良かったのが、八月の天橋立図でした。墨の濃淡が綺麗です。ただ、その場にいた誰も「押絵貼」の意味が分からず、スマホで「押絵」を検索したら羽子板の「押絵」の画像が出て来て途方に暮れました。家に帰って調べたら伊藤若冲《鶏図押絵貼屏風》の画像が出てきて「独立した図を貼る押絵貼屏風という形式をとり」という文章が出て「押絵貼屏風」の意味が分かりました。

〇彭城百川《梅図屏風》(第1章)

 金屏風に墨で描いた、渋いけれど豪華な屏風です。墨で右隻の紅梅と左隻の白梅を描き分けているところに、会員のNさんたちは感心していました。

〇池大雅《前後赤壁図屏風》(第2章)

 横尾さんが「見どころ」として解説された作品ですが、篆書も楷書も良かったですね。

〇与謝蕪村《晩秋飛鴉図屏風》(第3章)

 濃い墨で描いた鴉と、薄い墨で描いた背景の対比にも、会員のNさんたちは感心していました。

〇横井金谷《蕪村筆奥細道図巻模本》(第5章)

 横尾さんが「見どころ」として解説された蕪村《奥の細道図巻》のコピーが展示してあったので、「何故だろう」と思ったところ、解説に「原本である『奥の細道図巻』が、当時の名古屋にあったことの傍証となるのである」と書いてありました。そのために展示しているのですね。

 「来てよかった」「来年の展示替えも見に来る」などの声も聞こえてきました。お勧めですよ。

     Ron.

「現代美術のポジション 2021-2022」 会員向け解説会

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「現代美術のポジション 2021-2022」(以下「本展」)の協力会・会員向け解説会に参加しました。2階講堂で森本陽香学芸員(以下「森本さん」)から、本展の概要を聴き、その後は2つのグループに分かれてギャラリートーク・自由観覧・自由解散となりました。森本さんが担当するグループは1階の展示から、もう一つのグループは2階の展示から見ることになりました。私が参加したのは後者で、担当は久保田舞美(くぼた・まみ)学芸員(以下「久保田さん」)です。ギャラリートークの冒頭で、「今年の4月に学校を卒業し、市美に採用されたばかりの新人です」と自己紹介がありました。

◆2階講堂・森本さんの解説(16:00~16:10)の概要

 「現代美術のポジション」は1994年に始まり、前回開催は2016年、本展は6回目の開催となります。本展では、名古屋市や愛知県を拠点として活動している作家、名古屋市や愛知県で学び巣立っていった9名の作家を紹介します。ジャンルは偏らないようにしました。男女比をみると、奇数なので同数は無理ですが、男性5名、女性4名。期せずして、ほぼ半分。女性のうち母親が2名というのも、時代を反映しています。これも、自然とそういう形になったものです。年齢は、全員が20代後半から30代後半の若い作家で、ステップアップに期待できる人たちです。美術系大学の講師も、複数いらっしゃいます。

◆久保田さんのギャラリートーク(16:10~17:15)の概要

(注)久保田さんが担当するグループのギャラリートークは2階から始まりましたが、以下の文章は、展示の順番に従って、1階の作品解説から書かせていただきました。なお、(mm)は久保田さんのギャラリートークの概要、(Ron)は私の「つぶやき」です。

1階

◆木村充伯(きむら みつのり)1983~

(mm)エントランスにいるのはミーアキャットの彫刻、木村充伯の《Wonderful Man》です。ミーアキャットの毛皮は、チェーンソーで木材の表面を毛羽立たせたものです。皆さん、ミーアキャットはたくさんいるのに、作品名は単数、おかしいと思いませんか。実は、Man はミーアキャットではなく、ミーアキャットたちが見ている「不思議な人物」。つまり、皆さん方のひとりひとりを指しています。展示室に展示されている彫刻は《大丈夫、あなたを見ている人がいる》です。ヒョウ、キリン、ペンギンとネコの4点が出品されています。

(Ron) 《Wonderful Man》も《大丈夫、あなたを見ている人がいる》も、参加者の中では「カワイイ!」という声が飛び交っていました。

◆多田圭佑(ただ けいすけ)1986~

(mm)木の板やタイル、チェーン、ビスを組み合わせた作品に見えますが、実は、木の板やタイル、チェーンなどは、型にアクリル絵具を流し込んで固めた作品です。型から取り出したアクリル絵具の塊に着色し、本物そっくりに仕上げました。なお、作家は、テーマパーク(ディズニーランド)でセットを制作しています。

(Ron) 「アクリル絵具で作った」と聞いて、参加者の中から「鎖はどうやって作ったの? 信じられない!」という声が出ていました。タイルと木の板、チェーンの組み合わせというだけでも、作品として十分成立しますが、更に手の込んだ仕掛けをしていると知って、びっくりです。

◆鈴木孝幸(すずき たかゆき)1982~

(mm)作家は愛知県新城市を拠点にしています。映像作品は地震を体験した人の話を編集したもので、机の上に並んでいるのは、河原から採取した石などです。コールタールで黒く塗ってある部分は、地中に埋もれていたところです。モルタル(セメント、水、砂を混ぜて固めた素材)にコールタールを塗った板と鉄板を組み合わせた作品は《heaping earth-627 中国の地図》です。モルタルの板は地盤、鉄板は断層を表しています。

(Ron) 《heaping earth-627 中国の地図》をみて、参加者の間から「どうやって並べたのだろう?作家の意図通りにモルタルの板や鉄板を並べるのは、とても難しい」というひそひそ話が聞こえてきました。

◆水野里奈(みずの りな)1989~

(mm)油彩画は、中東の細密画、水墨画などを組み合わせた装飾性豊かな作品です。このうち、《青い宮殿》は、高橋コレクションの所蔵です。一方、細密ドローイング6点は、油彩画とは直接関係しません。よく見ると、フレームにも図柄を描いていますね。でも、《細密ドローイング2021.5》のフレームだけは、何も描いてません。

(Ron) 油彩画は、絵の中に絵が描かれている、とても緻密できれいな作品でした。参加者からは「この作者の作品は“あいちトリエンナーレ2013”の長者町会場でも見た。とても、なつかしい!」という声が上がりました。

◆横野明日香(よこの あすか)1987~

(mm)最初は、《curve》など、山肌の曲線を美しく表現し、その場に立っているかのように感じられる風景画を描いていました。最近は《百合とかすみ草》など、花を描いた大きな作品を制作しています。

(Ron) 花を描いた作品は大きなものばかりで、《百合とかすみ草》は2枚のパネルを使った大作です。「大きすぎて、普通の家だと飾る場所がない」と思ったのですが、作家が2階の「アーティストの日常」に出品している「灯台」のシリーズは、小さなものばかり。これなら、小さな家にも飾れます。

◆川角岳大(かわすみ がくだい)1992~

(mm)愛知県出身の作家さんで、現在は埼玉県を拠点に活躍しています。犬が大好きで、ご本人は柴犬を飼っています。《rear dog》は、犬を後ろから見た作品。飼い主でないと気がつかない視線で描いたものです。なお、《front  dog》と《rear dog》は、高橋コレクションの所蔵です。《He has gone》は、自転車に乗っているところを描いた作品ですが、自転車と手・足だけが描かれています。乗っている人の目線で描いたのでしょう。

(Ron) 犬を飼っている参加者は《rear dog》を見て「変なアングルだけど、確かにこんな風に見える時がある」と、面白がっていました。《He has gone》も「自転車で段差を跳び越すときに体が受けている感覚は、このようなものかな」と、思わせる作品です。

2階

◆本山ゆかり(もとやま ゆかり)1992~

(mm)「画用紙」のシリーズは、デジタルペイントツールで描いたドローイングの中から、気に入った線を選んで、透明アクリル板の裏側から絵具で描いた作品です。裏から描くので表面がツルツルで、普通の絵とは違った感じになります。裏から描くとき、黒い線が先だったり、白い部分を先に描いたりと、臨機応変に描いています。「Ghost in the Cloth」は、複数の布を縫い合わせて、その裏に綿を置き、ミシンを使って透明な糸でナイフや薔薇を線描したものです。作家は「絵画とは何か」を問い直しながら、作品を制作しています。

(Ron) 「画用紙」シリーズの(二つの皿を持つ人)は、ぱっと見た感じでは「落書き」ですが、しばらくの間眺めていると、単純化された顔と二本の腕、二つの皿が見えて来ました。(草原と日の出)は、上から三番目の太い横線の真ん中から、小さな太陽が顔を出しているように見えます。

◆寺脇扶美(てらわき ふみ)1980~

(mm)「Crystalシリーズ」は、鉱物を写生して、その図像から線を抽出し、線をデジタル化して凸版を作り、凸版で麻紙にエンボス加工を施してから、岩絵の具で彩色する、という手法で描いた作品です。「autuniteシリーズ」はウラン鉱石をモチーフに、「diamondシリーズ」はダイヤモンドをモチーフに、「Crystalシリーズ」と同手法で描いたものです。「red + whiteシリーズ」は絵絹の裏から彩色した作品です。「抱っこの光景」などの作品は、絵絹に描いた絵を裏返したものです。

(Ron) 「red + whiteシリーズ」の表面はピンク色ですが、裏から見ると鮮やかな紅色です。絵絹は礬水(どうさ)引き(膠と明礬を溶かした水を紙や絹の表面に塗ってにじみ止めをすること)をしているので、絵の具を塗った面を裏から見るとピンクに見える、という説明がありました。《抱っこの光景》は、赤ちゃんを抱いた母親を、後ろから描いた作品です。しかし、裏返しているので母親の姿は、よく見えません。久保田さんの説明では「はっきり見えなくても、抱っこの光景は確かに存在していると、作家は思っている」とのことでした。

◆水野勝規(みずの かつのり)1982~

(mm) 作家は、三重県生まれ。2018年に市美で開催した「モネ それからの100年」にも映像作品を出品しています。《snow garden》は古い規格のビデオ作品ですが、《sync code》や《monotone》は4Kビデオなので、画像が鮮明です。

(Ron) 《monotone》は鮮明で綺麗な作品ですが、上映時間が24分と長いので、最初から最後までを通して鑑賞することはできませんでした。最後の方、満月を背景に花火が打ち上げられるシーンで、火の粉が弧を描き、月の前を落ちて行った後、暫くして、同じように弧を描きながら月の前を通り過ぎて行く煙の軌跡がクッキリと見え「4Kだと、こんな風に見えるのか」と、感動しました。

◆アーティストの日常

 本展の最後に、出品作家の身の回りの物を展示する「アーティストの日常」が企画されています。時間が限られていたため、説明があったのは水野里奈さんの「刺繍」だけでしたが、一見の価値はあります。

◆最後に

 その前に立つと心が引き込まれ、雑念が取り払われていくような気持ちになる作品が幾つもありました。脳の疲れが減っていく感覚です。まさに、mindfulnessの実践だと感じました。

Ron.

展覧会見てある記 名古屋市博物館「大雅と蕪村」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市博物館(以下「市博」)で開催中の「大雅と蕪村―文人画の大成者」(以下「本展」)を見てきました。地下鉄「桜山」の駅から歩いて市博の敷地に入ると、もう、本展の展示が始まっていました。大雅の《十便図》と蕪村の《十宜図》から、対になる絵を一つずつ取り出して並べたパネルが、北側通路の柱に掛かっているのです。パネルは全部で十枚、説明もついていました。

◆プロローグ 文人画とは? 

本展の入口は通常の展覧会の「出口」です。つまり、チケットを買うと、右に進んだ所に「入口」があります。最初に出会うのが張月樵《大雅・蕪村・応挙肖像》です。三幅の掛軸で、向かって左から蕪村、応挙、大雅の順で並んでいます。説明によれば、張月樵(1764-1832)は京都で呉春(1752-1811)に師事し、やがて拠点を名古屋に移した画家とのこと。呉春は蕪村に師事するも、蕪村の死後は応挙に師事し、四条派を開いた画家なので、応挙が真ん中になっているのでしょうね。中国で刊行された、絵の手本『芥子園画伝』も併せて展示されていました。

◆第一章 文人画の先駆者―彭城百川

第一章の展示は、名古屋出身の文人画家・彭城百川(さかきひゃくせん)の作品。最初の展示は、俳諧の本や俳画など。文人画のなかでは、墨で描いた《梅図屏風》に迫力を感じました。

◆第二章 早熟の天才絵師―池大雅

第二章の最初に展示されているのは、重要文化財の《前後赤壁図屏風》。六曲一双の大きな屏風で、右隻、左隻のいずれにも篆書の大きな文字が書かれています。表題に基づけば、右隻は「前赤壁」左隻は「後赤壁」と推測できますが、気がつくまでには、かなりの時間がかかりました。まさに中国風の絵です。

◆第三章 芭蕉を慕う旅人―与謝蕪村

最初に目を引くのが《晩秋飛鴉図屏風》。黒々と描かれた鴉と、薄墨であっさりと描かれた積み藁と鳴子の対比が面白い作品です。重要美術品の《山水図屏風》も手前の樹木と薄墨でかすれたような背景の山水の対比が、作品に味わいを与えているように感じられました。

◆第四章 『十便十宜図』の誕生

本展の目玉である『十便十宜図』は、高校生向けの日本史資料『図説 日本史通覧』(帝国書院)にも「文人の余技で描かれた文人画(南画)』(p.191)と記載されるほど有名な作品ですが、展示は鳴海宿の豪商・下郷家の紹介から始まります。下郷家の庭園「小山園」を始め、数多くの資料が展示されていました。市博の意気込みが伝わります。『十便十宜図』の模写《十便十宜帖》も展示されていました。

当日展示されていた『十便十宜図』は、チラシに印刷されていた「課農耕便図」(家の窓からは田畑がすっかり見渡せるので、使用人の仕事を見渡せるので便利である)と「宜夏図」(家の周りの木々は太陽の暑さを遮り、おかげで安らかに夏の長い一日を過ごすことができる。この家は夏に宜(よ)し)の2点。出品リストには、本展の期間中、十回に分けてページ替えをするとのこと。全ページを見るには、市博に10回通わなければなりません。とはいえ、展示室には『十便十宜図』鑑賞ガイドが置かれ、持ち帰ることができます。市博の帰りに、北側通路でじっくり鑑賞することもできるので、文句は言えません。

◆第五章 蕪村の俳画―尾張俳壇と蕪村

 与謝蕪村が松尾芭蕉に憧れ、尊敬してやまず「蕉風復興の人」であったことが良く分かる章です。

芭蕉が著した最初の旅行記『野ざらし紀行』の全文を書写し、挿絵(俳画)を添えた六曲一隻の《野ざらし紀行図屏風》は「蕉風復興の動きの中で企画された作品」という解説が付いていました。図巻だったものを屏風に仕立てたようです。木版本の『野ざらし紀行』は既に発行されていたでしょうから、商品価値を高めるために「挿絵付きの手書き」にしたのでしょう。与謝蕪村は、商機に敏感な人だったと思いました。

《井上士朗・加藤暁台宛書簡》は、落書きのような絵を見るだけでも楽しくなりますが、現代語訳を読むと《おくのほそ道絵巻》を、さりげなく売り込んでいることが分かり、興味を引かれました。以下は、その抜粋です。

(略)おくのほそ道の絵巻は、書画共に私が筆を執ったものです。近々お送りしますので、試しにご覧いただければ幸いです。この絵巻は同様のものを二三本ほど作り、芭蕉翁の名文が語り継がれるよう末永く世の中に残し伝えていきたいと願っております。名古屋は文化が栄えた土地ですから、その内の一本は残しておきたいと思います。しかしながら紙や筆などの材料費も多くかかりますので、宰馬子(吉田吉右衛門)のようなお金持ちの風流人にお買い求めいただくのが良いと思います。(引用終り)

当日は、《奥の細道図巻 上巻》も展示され、序章と旅立を見ることができました。毛筆で書かれた「月日ハ百代乃……」という文字を見ていると、中学校の国語の時間に、何度も声を出して読み上げた思い出がよみがえりました。挿絵もついているので「お金持ちの風流人」は、高く買ってくれたと思います。蕪村の図巻を模写した作品も展示されていますので、商品としても人気があったのでしょうね。

◆第六章 かがやく大雅 ほのめく蕪村―ふたりが描く理想の世界

 第六章には、池大雅と与謝蕪村の屏風や掛軸・図巻が多数展示され、ゆったりと楽しむことができました。池大雅の重要文化財《蘭亭曲水・龍山勝会図屏風》も良かったのですが、与謝蕪村の重要文化財《富嶽列松図》は、昔、愛知県美術館で見て以来だったので、懐かしさを感じました。この作品を見ることができただけでも、本展に来てよかったと思いました。

◆第七章 尾張の文人画―丹羽嘉言・エピローグ 両雄並び立つー歴史となった大雅と蕪村

 第七章では、丹羽嘉言《神州奇観図》が良かったですね。市博の所蔵品といっても、本展のような機会がないと、なかなか出会うことのできない作品です。

◆【複製品】重要文化財《山野行楽図屏風》(与謝蕪村筆)の前で撮影できるコーナー

展示の最後には、靴を脱いで座敷に上がり、与謝蕪村筆の重要文化財《山野行楽図絵巻》(ただし、複製品)を鑑賞できるコーナーがありました。写真撮影もできます。私が通った時には、和服姿の女性数人が記念撮影に夢中でした。屏風は、畳の部屋で鑑賞するのが良いですね。

◆最後に

文字を読むことが多かったので、4倍の拡大鏡のお世話になりました。拡大鏡をお持ちの方は、是非ご持参ください。

さて、俳人・画家のマルチタレントとして知られる与謝蕪村ですが、本展では「お金を稼いだのは、画家としての与謝蕪村?」という思いを強くしました。ネットで調べると、明和5年(1768)版の「平安人物志」では、太西酔月、円山応挙、伊藤若冲、池大雅に続く5番目に、安永4年(1775)版では、円山応挙、伊藤若冲、池大雅に続く4番目に、池大雅没後の天明2年(1782)版では円山応挙、伊藤若冲に続く3番目に与謝蕪村の名前がありました。

一方、俳人としての与謝蕪村に影響された人物と言えば、俳句を革新した正岡子規ですが、彼は『俳人蕪村』に、こう書いています。(ネットの「青空文庫」から引用)

(略)蕪村の名は一般に知られざりしにあらず、されど一般に知られたるは俳人としての蕪村にあらず、画家としての蕪村なり。蕪村歿後(ぼつご)に出版せられたる書を見るに、蕪村画名の生前において世に伝わらざりしは俳名の高かりしがために圧せられたるならんと言えり。これによれば彼が生存せし間は俳名の画名を圧したらんかとも思わるれど、その歿後今日に至るまでは画名かえって俳名を圧したること疑うべからざる事実なり。余らの俳句を学ぶや類題集中蕪村の句の散在せるを見てややその非凡なるを認めこれを尊敬すること深し。(略)俳人としての蕪村は多少の名誉をもって迎えられ、余らまた蕪村派と目(もく)せらるるに至れり。今は俳名再び画名を圧せんとす。(引用終り)

Ron.

豊田市美術館 「ホー・ツーニェン展」 ミニツアー

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

豊田市美術館で開催中の「ホー・ツーニェン展 百鬼夜行」(以下、「本展」)鑑賞の協力会ミニツアーに参加しました。参加者は11名。講堂で能勢陽子学芸員(以下「能勢さん」)の解説を聴いた後、自由観覧・自由解散となりました。

◆能勢さんの解説(10:05~45)の要旨(注は、筆者の補足です)

・展示室1 百鬼夜行

本展は、展示室1の「百鬼夜行」から始まります。画面は「百鬼夜行」が始まった場面です。手前のスクリーンに映っているのは、源頼光の寝姿。大クリーンに映っているのは土蜘蛛。土蜘蛛は日本の先住民で、大和民族には属さず、洞窟に住んでいました。本来の妖怪ではありませんが、大和政権に服従しなかったことから「妖怪」として認識されるようになりました。

次の場面ですが、手前のスクリーンに映っているのは僧侶と寒山・拾得と虎の寝姿。「心が平静であれば、虎と寝ていても大丈夫」という教えを表す禅画を元にしたキャラクターです。なお、寒山・拾得は、展示室5に横山大観の作品(注:《焚火》制作1914。左の巻物を持つのが寒山、右の箒を持つのが拾得です)を出品していますので、そちらもご覧ください。また、大スクリーンに映っているのは「狐の嫁入り」です。絵巻は右から左へと、画面が移っていきます。しかし、今回の「百鬼夜行」では、背景は右から左に移っていくものの、妖怪は左から右に移動していきます。

次は「man in the mirror」。マイケル・ジャクソンの歌に出て来ることばを元にした妖怪です。「百鬼夜行」は、各時代の「風」を表現したものです。当時の世界を覆っていた風・空気は、現在の世界では無くなっているので、我々には分かりません。また、今の世界を覆っている風・空気も、当たり前のものなので、我々には分かりません。(注:つまり、特に意識することの無いものです)

ただ、今の時点から戦中の時代を見ると、当時の「風」を客観的に捉えることができます。ホー・ツーニェンの作品は、過去を断罪するのではなく、当時の複雑な空気を現代に召喚するものです。過去の空気は(現在の世界には無くなっているので)分かりませんが、作品では今と一つながりになっています。

なお、「man in the mirror」と一緒に出てくる、人がたくさん集まっている妖怪「ミスター・ワールド」は、グローバリズムを擬人化したものです。

・展示室2 36の妖怪

「36の妖怪」では、百鬼夜行に登場した妖怪のうち「人の暗部」にかかわる妖怪を紹介しています。画面の「天狗」は兵士の無事を祈る人々の信仰を集めた妖怪です。天狗は「あらゆる武術に優れている」とされ、「戦場で兵士とともに戦うだけでなく、兵士の弾よけにもなってくれる」と信じられていました。

妖怪は、近代の合理主義によって追いやられていきましたが、江戸時代には人々の身近な存在でした。また、江戸時代の半ば以降は娯楽の対象でもありました。それが、明治時代の近代化政策の下、妖怪は「迷信」「非合理的」として、社会から排除されていきます。

しかし、妖怪は想像力の中では生き続けました。戦時中、天狗が人気を集めたのは、人々が非合理の力を信じていたからです。妖怪は「我々の中にある『魔』」を気付かせる媒体となるのです。

「36の妖怪」は、「土蜘蛛」から始まって「提灯お化け」で終わります。全てが終わったところでホー・ツーニェンの「いたずら」が仕掛けられていますので、「提灯お化け」までは見てください。

「妖怪百物語」は、最初に百本の蠟燭を燈し、妖怪の話をする度に蝋燭を一本消すという趣向の集まりで、最後の蝋燭が消えると本当の妖怪が出て来ると言われています。

・展示室3 1人もしくは2人のスパイ

展示室3は「スパイの部屋」です。ホー・ツーニェンが関心を持っている「スパイ」は、自分の素性を隠して潜入し、各地の社会に融合できる存在です。日本では、陸軍中野学校がスパイを養成しました。ただ、日本の軍隊は、スパイを「武士道に反する卑怯な存在」と考えていたため、スパイ技術は遅れていました。スパイは、通常「目的のためには手段を択ばず」という存在ですが、日本は「謀略は誠なり」という精神でスパイを養成したという点で、他の国とは違っています。日本のスパイは「欧米からアジアの人々を解放する」という目的のために行動していたので、両義性のある複雑な存在です。

陸軍参謀の辻政信は第二次世界大戦後、戦犯の追及から逃れるために僧侶の姿になりました。人々から尊敬の目で見られる僧侶の姿をしていれば、疑われるおそれが低いのです。作品では、僧侶姿の辻政信は、竹内道雄の児童文学「ビルマの竪琴」に出て来る「水島上等兵」にスライドして行きます。ビルマでは戦争により日本兵士が大勢死亡したので、彼らの冥福を祈るため、水島上等兵はビルマに残ります。戦争と日常生活、善と悪が複雑に絡み合って存在している、ホー・ツーニェンは作品で、そのように表現しています。

作品には、太平洋戦争終結後も30年近くの間、フィリピンのルバング島でゲリラ戦を続けた小野田寛郎も登場します。彼は山下奉文(ともゆき)陸軍大将名の「尚武集団作戦命令」と、上官からの口頭による「参謀部別班命令」によって任務解除・帰国命令を受け、1974年、29年ぶりに日本へ帰国しました。

山下奉文陸軍大将の隣にいる佐々木けんいち(注:漢字不明)は、終戦時に捕虜収容所には行かず、英国との戦闘に参加。中国人の妻の姓を名乗り、アジアの人間を植民地から解放する活動を続けました。

・展示室4 1人もしくは2人の虎

この作品に登場するのは、「マレーの虎」と呼ばれた陸軍大将・山下奉文と「快傑ハリマオ」のモデル・谷豊の二人です。

作品の最初に虎の絵が多数登場します。虎は日本に生息していませんが、アジアの広い地域に生息しており、アジアの中の文化の伝播によって日本でも虎の絵が描かれました。作品では虎の首や手足が動きますが、これは、マレーシアの影絵芝居の要領で、関節が自由に動くようにしたものです。

千人針も出てきます。虎は「千里を行って千里を帰る」とされていたことから、武運と無事を祈って出征兵士の贈られたものです。特に、寅年生まれの女性が縫うと力が強くなると言われていました。

「マレーの虎」は、二人とも悲劇的な最後を遂げました。山下奉文はフィリピンで裁判を受け、絞首刑になりました。谷豊はシンガポールでマラリアに罹患し、死亡しました。

作品の最後には、現代のアニメに登場する虎、つまり、タイガーマスクのようなものと「うる星やつら」のラムちゃんのようなものが出てきて、「トラがもどってきた」というナレーションが入ります。

展示室の最後には、本展関連の資料とギャラリーガイドが置いてあります。ギャラリーガイドは、ご自由にお持ち帰り下さい。

・展示室8 コレクション展:絶対現在

最初は残った時間でコレクション展の解説をするつもりでしたが、本展の解説が長くなったため、コレクション展は「時間のとばの中で歴史をとらえる」をテーマにしている、ということだけお伝えします。(注:「とば」を「とば口」=はいり口、物事が始まったばかりのところ、と解すると、これは「『現在』という地点に立って『過去・未来』を見通して捉える」ということを意味するのでしょうか?)

◆自由観覧

本展は映像作品ばかりなので、どの部屋も真っ暗。それでも、目が闇に慣れてくると分かりの様子がおぼろげながら分かるようになります。けっこう大勢の人が見ている気配がありました。

展示室1と2は、「妖怪アニメ」のようなものですから気楽に見ることができます。ただ、「戦争」や「グローバリズム」という概念、「現在の時点から戦中の時代を見る」という観点を持つと、見方が変わります。また、能勢さんが解説で話されたとおり、展示室2「36の妖怪」が終わったところでホー・ツーニェンの「いたずら」が仕掛けられていました。なお、「いたずら」の内容は、会場でご覧ください。

展示室3の作品は、映画の上にアニメを重ねるという手法で作られています。「アニメを重ねることによって、ホー・ツーニェンの考えが強調されている」と感じました。展示室4に出て来るキャラクターについて、能勢さんの話では「ラムちゃんは鬼型の宇宙人。虎ではない」というクレームが寄せられたそうです。能勢さんは「あれは、あくまでもラムちゃんのようなもの」と強調していましたが、虎縞模様のビキニとロングブーツを着用しているので、私は「虎の仲間と言っても、間違いではない」と思いました。

コレクション展は、展示室8の入口に「ギャラリーガイド」が置いてあったので、理解を深めることができました。入口近くに展示されていた下道基行《torii》は、公園のベンチだと思ったものが、よく見ると倒れた鳥居だったことに驚きました。一区画全部を使った、河原温《MAY1.1971》から《MAY31.1971》まで全31点の展示もあります。本展だけでなく、コレクション展も見逃せません。

     Ron.

ゲルハルト・リヒター アブストラクト

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

ゲルハルト・リヒターの「アブストラクト」を見てきました。

といっても、美術館の展覧会ではなく、心斎橋のルイ・ヴィトン大阪の企画です。

展覧会のお知らせ

 作品点数は少なめですが、制作年代も幅広く、油彩の他、写真に彩色したもの、ガラス板の裏側から絵の具を塗ったものなど、多彩な技法の作品を見ることができます。

展示風景

会場では、おしゃれな若いお客様も熱心に作品を見ていました。

場所柄なのか、どなたもファッショナブルで、ジーンズにスニーカーを履いていたのは一人だけだったように思います。

展示風景

小振りで地味な印象の作品も、近くで見るとびっしりと線描で埋まっています。

作品脇のキャプションのQRコードをスキャンすると、簡単な解説を読むことができます。

展示風景

 展覧会の会期は2022年4月17日までです。

会期には比較的余裕があるので、機会があれば、いかがでしょうか。

なお、会場内が混雑する場合は入場待ちの場合があるそうです。

杉山 博之

展覧会見てある記 愛知県美術館「曽我蕭白展」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

三重県立美術館や名古屋ボストン美術館で強いインパクトを受けた曽我蕭白。その作品が一堂に会するというので、前々から期待していた展覧会です。ただ、混雑が予想されたので敬遠してきましたが、ようやく新型コロナウイルスの新規感染者数が下がり、「今なら大丈夫」とばかり、重い腰を上げました。愛知県美術館で開催中の「曽我蕭白 奇想ここに極まれり」は、作品保護のため展示室は洞窟のなかのように暗く、作品の周辺だけが淡く照らされている様子は幻想的でした。

◆プロローグ 奇想の絵師、蕭白

 無邪気に遊んでいる子どもたちを描いた、カラフルな《群童遊戯図屏風》。子どもたちの動きは可愛らしく、母親と思しき女性も普通ですが、子どもたちの表情は何か変。《雪山童子図》(1764頃)の子どもも、無邪気というより「少し、グロテスク」です。でも「これが、奇想の絵師・蕭白の持ち味で魅力なのだ」と思い、納得することにしました。

◆第一章 水墨の技巧と遊戯

《富士三保松原図屏風》(1758-61頃)は雄大。妖怪を描いた《柳下鬼女図屏風》は、とても気味が悪く、蕭白ならではの作品だと感心しました。中国風の《月夜山水図》はしっかりと描かれています。蕭白でも「グロテスクな人物」が居なければ、違和感はありません。

◆第二章 ほとばしる個性、多様化する表現

重要文化財の「旧永島家襖絵」が7点展示されていたのは壮観でした。また、同じく重要文化財の松坂市・朝田寺《唐獅子図》(1764頃)も、迫力のある作品でした。

◆第三章 絵師としての成功、技術への確信

《松竹梅図襖》は、力強い描写。美人と仙人を描いた《群仙図屏風》はグロテスクさを抑えた作品。これなら、違和感はありません。

◆第四章 晩年、再び京へ

重要文化財《楼閣山水図屛風》や《富嶽清見寺図》などの山水画は、どれも蕭白の本領を発揮した見応えのある作品でした。《雲竜図》は、龍の表情がユーモラス。大胆な筆さばきの作品でした。

◆最後に:「平安人物志」と同時代の絵師

第四章に安永4年(1775)発行の「平安人物志」が展示されています。曽我蕭白は15位ということでした。ちなみに、この時の1位は円山応挙、2位は若冲、3位は池大雅、4位は与謝蕪村。蕭白と同じページの12位「松 月渓 松村文蔵」は、四条派の始祖「呉春」のことです。

蕭白以外の五人は、いずれも澤田瞳子の小説「若冲」に登場しています。たとえフィクションであっても、蕭白と若冲との接点は書きにくかったのでしょうね。

一方で、「奇想の系譜」(辻惟雄著)は「当時の売れっ子である池大雅とは、ふしぎにもうまが合ったらしい」と書き、《富士・三保松原図屏風》(1762頃:「プロローグ」に11/17~11/21展示予定。当日は写真パネルでした)について「大雅の影響がさらに高度な芸術的結実をもたらしている例」と書いています。蕭白と大雅に交流があったことを知り、名古屋市博物館の「大雅と蕪村」(2021.12.4~2022.1.30)が楽しみになりました。

Ron.

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