パウル・クレー展 ミニツアー

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 前日の中村正義展に続き、2月23日日曜日には、愛知県美術館にて「パウル・クレー展」のミニツアーが開催されました。会員15名が愛知県美術館12階のアートスペースAに集合し、展覧会の担当学芸員の黒田和士氏の解説を聴きました。

 ベルン近郊の町に生まれたクレーは父親の影響で音楽や詩に親しみがあったこと、その後ミュンヘンに行き絵を学んだこと、社会風刺や政治批判の時代を経てドイツの画家たちと出会っていくことなど、クレーの人生について年代を追って説明頂きました。

 彼が出会って影響を受けた画家たち(カンディンスキー、ロベール・ドローネー、アウグスト・マッケ)らとの交流や、戦争に突入していく時代の流れなども、彼の作品に大きな影響を与えていたこともわかりました。

 作品を鑑賞するだけではわからない、クレーの奥深い美術への情熱や概念を、ほんの少し、理解できたように感じました。

生誕100年 中村正義展ミニツアー

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 令和7年2月22日、今年何度か目の寒波が訪れる中、生誕100年中村正義展が豊橋市美術博物館にて開幕を迎えました。午前中は、豊橋ではかなり珍しいであろう降雪のせいか、会場は閑散としており、そんな中でも学芸員の丸地加奈子さんの解説が1階の展示室でスタート。大きく5章に分けられた中村正義の作品、そして正義に関わった作家たちの作品について、エピソードなどを交えながら解説してくださいました。

 日展に入選した初期のころから、蒼野社時代、一采社などの時代の活動について、更には自身が病に侵されて変わっていく画風についてなど、時間が限られる中、興味深い解説をしていただきました。

 午後には、作家の長女で中村正義の美術館館長の中村倫子さんと、われらが名古屋市美術館にて中村正義の展覧会を担当して開催してくださった山田諭氏との対談が行われ、午前中とはうって変わって会場には入りきらないほどの聴衆が集まりました。対談では、作家について、更に深く解析、解説していただき、長女倫子さんからは様々なエピソードも紹介されました。

 この展覧会では、その後も毎週豪華なゲストによるトークが開催、予定されています。

太田龍峰会長を偲んで

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去る2月13日、協力会の太田龍峰会長が逝去されました。1週間ほど前に心筋梗塞で倒れられ、そのまま意識を回復することなく旅立ってしまわれました。あまりに突然のことで、ただただ茫然とするばかりです。
 太田さんは名古屋市美術館の副館長を2年間勤められ、その間私は学芸課長としてお仕えしました。最初お会いした時は、少し怖い方かなと思ったのですが、すぐに皆さんおなじみの笑顔を見せられ安堵したのを覚えています。ただ、その後市役所の方に伺ったところでは、若い頃はずいぶん厳しい面もお持ちだったようで、年齢を重ねられる中で穏やかになっていかれたことを知りました。私がお仕えした2年間は、厳しいお叱りを受けることもありませんでしたが、議会対応などで夜遅くまで、何度も本庁にご一緒したことが記憶に残っています。
記憶に残ると言えば、私は健康のためもあり、金山駅から美術館まで歩いて通っていた(現在も)のですが、途中でしばしば太田さんの姿をお見かけすることがありました。美術館まで一緒に話をしながら歩くこともあったのですが、その折、市役所に勤務されていた時は、金山から市役所まで歩いていたとお聞きして、さすがに驚いたことを覚えています。健脚もそうですが、それを続けていられたことに感服しました。
定年退職後に美術館の協力会にお入りになり、令和3年度からは会長として精力的に活動されておられました。このブログをお読みになっていらっしゃる方はよくご存知だと思いますが、美術展の紹介はもちろん、美術に関連する雑誌や新聞の記事の紹介、映画の感想など、本当に幅広く、かつ積極的に美術に触れておられ、またその文章の記述の詳細なことは驚くばかりでした。当館での講演会や解説会などでも、熱心にメモを取られながら聴き入る姿が今も目に焼き付いています。
あれほどお元気で精力的な太田さんが、こんなにあっという間に他界されてしまったことが、未だに信じられません。人の命のはかなさをつくづく思い知らされますが、はかないからこそ、今を大切に生きていかなければならないことを伝えてくださったのだと思います。心からのご冥福をお祈りいたします。 (名古屋市美術館参与・深谷克典)

「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展 ギャラリートーク

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名古屋市美術館(以下「市美」)で「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展(以下「本展」)が開催されています。1月24日(金)付・中日新聞「Culture欄」に本展の特集記事が掲載されていましたね。
さて、3週間ほど前になりますが、1月11日(土)に開催された協力会向けギャラリートークに参加しましたので、レポートします。ギャラリートークは、17:00から18:00まで開催され、参加者は〇〇名でした。講師は久保田舞美学芸員(以下「久保田さん」)。受付は2階講堂で、開始時刻の17:00に1階へ移動。展示室の中で久保田さんのギャラリートークを聴き、その後は自由観覧・自由解散でした。
以下は久保田さんのトークの概要を箇条書きにして、私の補足・感想を加えたものです。

◆久保田さんのトークの概要
1 エントランス・ホールでのトーク
・本展は30年ぶりの大回顧展です(補足:前回は1995年。静岡、東京、京都で開催)。
・ジャン=ミッシェル・フォロン(以下「フォロン」)は、もともと建築家志望。ブリュッセルの芸術学校で学んだ後、1960年に彼の描いた作品が米国の雑誌『ザ・ニューヨーカー』『タイム』などの表紙に掲載されて、広く名前が知られるようになります。その後、イタリア「オリベッティ社」のタイプライターのポスターを手がけました(補足:1970年に開催の、日本初となるフォロン展は、毎日新聞社とオリベッティ社の共催でした)
・フォロンはマルチアーティスト。本展では230点を紹介。本展の構成は、年代順ではなく、「空想旅行」という趣向で、テーマ別に章立てをしています。
・本展の巡回先は、①東京ステーションギャラリーから始まり②名古屋市美術館、③あべのハルカス美術館の3館です。

2 プロローグ 旅のはじまり(1階)
・本展のタイトル「空想旅行案内人」(AGENCE DE VOYAGES IMAGINAIRES)は、フォロンが使っていた名刺の肩書によるものです。最初に展示の《二重の視覚(千里眼)》は、眼鏡をかけて空想の旅に出発しようと、来場者を誘っている作品。(補足:コート姿でシルクハット、眼鏡の案内人は“リトル・ハット・マン=Little Hatted Man”とのこと)
・「プロローグ」には、コートを着た人物の頭部に、金属製のフックをコラージュした《無題》を始めとして、日常の物を顔に見立てた作品が多数展示されています。その中には、頭部がドリルの先端になった彫刻もあります。
(感想:以上の外、人の顔のように見える建物やドア、スイッチ、蛇口などを撮影した写真の数々にも目を引かれました。ゼンマイ式掛け時計に使うネジ巻きのハンドルのようなモチーフを描いた作品にも興味が湧きました)

3 第1章 あっち・こっち・どっち?(1階)
・この章では、思考を惑わせる沢山の矢印が登場。フォロンは、矢印だけでなく堅牢な都市のビルも描いています。
・フォロンはルネ・マグリットの《見せられた領域》という壁画に出会い、絵が世界を再発見させてくれることを知ります。
(感想:フォロンの作品にシュールな感じがするのは、ルネ・マグリットの影響を受けているからだと思いました。作品を理解するには、絵が問いかけて来る謎を解く必要があると感じましたね)

4 「第2章 なにが聴こえる?」(1階)
・この章では、現実の世界で起こっている出来事、戦争や環境破壊などのほか、宇宙についても描いています。
・白と黒のシンプルなドローイングを描いていたフォロンは、最初の妻であるコレット・ポルタルに触発されて美しい水彩画を描くようになります。シンプルで、マンガっぽい表現。
(感想:荒波に飲み込まれそうになる船を描いた《波》は、北斎《神奈川沖浪裏》を想起させる作品でした)

5 「第3章 なにを話そう?」(1階・2階)
第3章のトークは2階。主にポスターと「世界人権宣言」の解説でした。
・フォロンはオリベッティ社のためにタイプライターのポスター原画を描いただけでなく、アニメーションも制作。また、オリベッティ社の外、「死刑反対」「人種差別反対」、美術展、映画、音楽祭などのポスター原画も手がけました。
・「世界人権宣言」の挿絵は、人権宣言の内容をイメージで表現したものです。なお、「世界人権宣言」の日本語訳は谷川俊太郎が手がけています。
(感想:タイプライターのポスターについて、最初見た時は何も感じなかったのですが、自由観覧のときに間近で見たら、何と、タープライターのキーボードの部分にタイピングをしている人物がひしめいていました。びっくりです)

6 「エピローグ つぎはどこへ行こう?」(2階)
・この章には船の絵がいくつも出品されています。船と言えば、フォロン自身も“ブルー・シャドウ=Blue Shadow”と名付けた船にアトリエを作っていました。展示室の壁に映している映像作品「イメージの誕生(水彩画制作風景)」でも船を描いています。
・人の眼のような太陽が人物を見つめる《対話》は、フォロンの実体験を描いたものです。
(感想:フォロンが1970年開催の大阪万博で来日し、箱根・宮ノ下や東京から友人に送った《メイル・アート》(複製)は、封筒に「太陽」という文字の印鑑が朱肉でいくつも押されるなど、ユーモア溢れる作品でした。また、久保田さんが解説した《対話》を始めとする、最後の部屋に展示されている作品の数々は風景画というよりも、フォロンの心象風景を描いたものだと感じました。参加者の多くはいつまでも作品を眺めていましたね)

最後に
フォロンについては全く知りませんでしたが、1970年には来日していたのですね。不思議な作品が多く、その一つ一つに新鮮な発見がありました。お勧めです。
Ron

2025オリジナルカレンダーのお知らせ 横野明日香氏

カテゴリ:オリジナルカレンダー 投稿者:editor

2025年協力会オリジナルカレンダーの作家は、横野明日香氏に決定しました。
横野明日香氏は愛知県出身で、愛知県立芸術大学美術学部油画、同大学院美術研究科博士前期課程油画・版画領域を修了。現在も、愛知県で制作を続けています。
名古屋市美術館で2021年に開催された「現代美術のポジション2021-2022」と、翌年の国際芸術祭「あいち2022」にも参加しており、ご存じの方も多いと思います。

会員の方には、順次発送させていただきます。お手元に届くまで、少々、お待ちください。

横野 明日香 ≪立ち上がる風景≫ 2024 ed.143

作家の言葉
立ち上がる風景シリーズは、具体的な風景の再現ではありません。これまで描いてきた風景の記憶や、キャンバスの形、しっくりとくる手の動きや色選び、それらが合わさって一つの風景が立ち上がります。様々なモチーフを描くようになってから、タッチに柔らかさが出てきたように思います。キラキラとした水面のゆらぎは、その成果だと自分で思っています。

横野明日香氏プロフィール https://www.yokonoasuka.com

「没後100年 富岡鉄斎」ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

2024.11.17 開催 

2月17日(土)に名古屋市美術館協力会主催のミニツアーが開催され、碧南市藤井達吉現代美術館(以下「美術館」)に行ってきました。美術館で開催中の展覧会は「没後100年 富岡鉄斎 最後の文人画家」(以下、「本展」)で、ミニツアーの参加者は7名。前半は美術館の豆田誠路学芸員(以下「豆田さん」)のギャラリートークで、後半は自由観覧となりました。以下は、そのレポート、(注)は私の補足です。

◆「没後100年 富岡鉄斎 最後の文人画家」のギャラリートーク(午後1時~1時40分)

集合場所は美術館1階ロビー。定刻の午後1時、参加者は豆田さんの案内で2階ロビーに移動し、豆田さんのギャラリートークが始まりました。

〇2階ロビーでの解説

豆田さんによれば、富岡鉄斎(以下「鉄斎」)は1924年(大正13)12月31日、数え89歳で逝去。2024年12月31日で没後100年になる、とのことでした。生家は京都の洛中の商家で、石門心学(注:江戸時代の思想家・石田梅岩が町人に説いた倫理・道徳)を重んじていた。鉄斎は石田心学を基本に、儒学、漢詩文、国学などを学び、特定の師はいないが文人(注:教養ある知識人)のたしなみとして絵を描いた。儒者であって専門の画家ではないが、文人画家として認められていた、と解説されました。

〇2階展示室1

・序章 鉄斎の芸術 画と書

 豆田さんによれば、本展の「序章」は入場者に鉄斎の芸術の全貌をつかんでもらう章。最初の展示は、正宗得三郎の油彩画《富岡鉄斎像》(1925)でした。鉄斎逝去の翌日に鉄斎邸に駆け付け、約一か月後の2月3日、この肖像画を家族に贈った、との解説でした。次の《扶桑神境図》(1924)は89歳の時の作品。豆田さんは「90歳の落款があるので、数え90歳を目前にした時期に制作した作品。日本の理想郷を描いている。画面下部の岩で出来た門のような所が理想郷の入口」との解説がありました。

(注)《扶桑神境図》の画賛前半「九十行栄啓期 太平多樂幸男児」という文は、鉄斎の絶筆とされる作品でも書かれ、「私は栄啓期と同じ90歳まで長生きし、太平の世に楽しみの多い幸福な男子」という意味で、栄啓期は中国・周代の隠者。孔子と出会い長寿の喜びなどを説いた伝説上の人物です。鉄斎は年末までいくつかの作品の制作に取り組み、大みそかに医者と談笑し、うどんを医者にすすめ、自らも食して眠り、そのまま帰らぬ人になったとのことです。(出典:2024年3月3日付の日本経済新聞)

《大田垣蓮月肖像》(1877)は、鉄斎42歳の作品です。豆田さんによれば、大田垣蓮月は夫と子どもに先立たれ、二人目の夫と死別後33歳で剃髪して蓮月と号した。和歌と書に優れ、自作の和歌を彫った茶碗を売って生計を立てていた。鉄斎の父・維叙は蓮月の知り合いで、蓮月から相談を受け、鉄斎20歳、蓮月65歳の頃、鉄斎が蓮身の回りの世話をすることになった、とのことです。序章には、この作品の外、蓮月が茶碗を作り、鉄斎が茶碗筒を作った《秋草図選煎茶碗/茶碗筒》も展示されています。ツアー参加者から「小振りの茶碗ですね」という声が上がると、豆田さんは「煎茶碗は小振りなんですよ」と答えていました。(注)大田垣蓮月については、蓮月と鉄斎 というURLが参考になります。なお、煎茶道は、中国の文人茶の影響を受けており、知識人や芸術家が自然の中でお茶を楽しみ、書画をたしなみながら談笑する場として発展。その発展には、隠元禅師、売茶翁(ばいさおう)や石川丈山などが重要な役割を果たしたそうです。(出典:URL:煎茶道とは?茶道の違いや歴史について解説 | みんなの日本茶サロン

 序章の見どころは6曲1双の屏風《高士隠栖図・松雪僊境図》(1870)、鉄斎35歳の作品です。豆田さんによれば、この作品も理想郷を描いたもの。序章に展示の《携琴訪友図》(鉄斎30歳代の作品)と同様、若い頃の鉄斎は蓮月の影響を受けており、賛文は細い文字で書かれているとのことです。屏風左隻の《松雪僊境図》には「大酔してこの絵を描いた」という内容の賛が書かれており、文字が途中から大きくなっている、とのことでした。

・第二章 鉄斎の旅 探勝と研究

 《鯉魚図》(1914)について豆田さんが「急流を登った鯉は龍になるという伝説がある」と解説したところ、ツアー参加者から「この鯉には龍になる雰囲気が見られない」という声が上がり、豆田さんは「急流を登る前の鯉を描いているのです」と返していました。確かに、のんびりとした表情の鯉です。

 《通天紅葉図》(1882)について、豆田さんは東福寺・通天橋の紅葉を描いたもので、禅僧の売茶翁(ばいさおう)が河原で煎茶を振る舞っている様子も描いています、と解説がありました。

(注)第一章にも同じ内容の《高遊外売茶図》(70歳代)を展示。売茶翁は煎茶道具を担って歩き、人々に煎茶を供した禅僧で、伊藤若冲・池大雅とも交友があり、2021年1月2日にNHK総合で放送されたドラマ(2024.11.02再放送)『ライジング若冲 天才 かく覚醒せり』にも登場していました。

〇2階展示室2

・第二章 鉄斎の旅 探勝と研究(つづき)

 《蝦夷人熊祭図》(70歳代)について、豆田さんは「鉄斎は北海道に渡っているが、海岸線に沿って移動しているので、熊祭は見ていないと思われる。多くの文献を読み、人からの話も合わせて、この作品を描いた、と解説。《嫦娥奔月図》(1923)については、夫が得た不老不死の薬を妻が盗み飲んで、月に逃げて仙女の嫦娥になったという話を描いた作品、と解説。《不尽山頂上図》(1920)について豆田さんは、画面左の「表口頂上之印」は鉄斎が登頂して受けた朱印ではなく、京都虎屋が登頂した時の記念。鉄斎自身は1875年、40歳の時に登頂しており、その時の記憶を元に富士山頂の様子を書いた、と解説されました。

〇2階多目的室

・終章 鉄斎の到達点 老熟と清新

 2階での解説の最後は、三幅対の《西王母図》《瀛州仙境図》《福禄寿図》(いずれも1923)。豆田さんは、この三幅対は碧南市の大浜地区で味醂製造業を営む石川八郎右衛門家の25代・石川三碧の80歳、夫人70歳に達したことを祝って描かれたもの。右の仙女・西王母は三千年に一度実をつけるという桃を持ち、印章の文字は「子孫千万」、中央は神山、左の老人は寿老人で、右手に長寿のシンボル桃を持ち、左には寿命を記した巻物付けた杖。画面右の蝙蝠は「福」と、画面左の鹿は「禄」と同音。寿老人の「寿」とあわせて「福禄寿」。三幅対いずれも、縁起の良いものを描いている、と解説されました。

〇1階 展示室3

・第一章 鉄斎の日常 多癖と交友(つづき)

 1階・展示室3は、第一章のつづきの展示。《西王母図》に押印された「子孫千万」の印章も展示されていました。「桑名鉄城刻/富岡鉄斎造/四代清水六兵衛焼」と書いてあります。陶磁器の印でした。

〇1階 ロビー 「富岡鉄斎と碧南」パネル

 ギャラリートークの最後は1階ギャラリーのパネル「富岡鉄斎と碧南」です。富岡鉄斎は1889年8月に石川三碧邸に逗留し、1895年にも滞在している、との解説がありました。パネルには、富岡鉄斎が逗留した石川三碧邸(九重味醂)の写真なども掲載されていました。

◆自由観覧とその後

ギャラリートークを聴いた後は、自由観覧。四代清水六兵衛と関係する展示は印以外にも3点ありました。清水六兵衛窯HPの「歴代 清水六兵衛(URL: 歴代 清水六兵衛 | 六兵衛窯 (rokubeygama.com))を見ると、「とくに富岡鉄斎とは深い交遊があり、そこから多くの共作も生まれた」と書かれていました。

 自由観覧後は、九重味淋直営レストラン and カフェ K庵で、期間限定・本展とのコラボスイーツ「みりん黒ごまぷりん」を注文。本展観覧券を提示して、50円割引の600円で味醂の甘さを味わいました。おいしかったですよ。

Ron.

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