映画「AALTO」(2020年制作 フィンランド映画)

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.10.19 投稿

現在、伏見ミリオン座で上映中の映画「AALTO」(以下「映画」)を見てきました。世界的な建築家アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto:1898-1976)と二人の妻アイノ(Aino Aalto:1894-1949)、エリッサ(Elissa Aalto:1922-1994)の人生を、彼らの仕事と手紙で構成したドキュメント映画です。

2018.12.8~2019.2.3に名古屋市美術館で「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」(以下「アアルト展」)が開催されましたが、この映画でアアルト展の展示風景がよみがえりました。

◆映画の内容

全体を、① 冬戦争の開戦まで、② アイノの死去まで、③ アルヴァの死去まで、の三つに分けて大まかな内容をご紹介します。

① 冬戦争の開戦まで

アルヴァは1923年に自分の事務所を開設。彼は1924年に自分の事務所で働き始めたアイノと、同年に結婚。映画は二人の結婚から始まります。

最初に出てくる映像は初期の代表作「パイミオのサナトリウム」(1933年竣工)と「ヴィープリの図書館」(1935年竣工)です。「パイミオのサナトリウム」の映像では、森に囲まれた白い建物や部屋の様子がよく分かります。アルヴァが病気で入院した時に得た体験を、サナトリウムの建物だけでなく建具や洗面台、家具にも生かして設計した、というナレーションが入りました。また、利用者が日光浴するために設計したアームチェアを《パイミオ・チェア》(1932年設計)として販売したということです。《パイミオ・チェア》はアアルト展に出品されていました。

「ヴィープリの図書館」の映像は、建物ガイド(と思われる女性)が図書館の採光などを子どもたちに説明する様子や、建物の外観、講堂の内部などでした。アアルト展の図録(p.82~83)によれば、第二次世界大戦時にフィンランドはソ連と交戦。戦後、ヴィープリはソ連の領土となりました。図書館の保存状態を危ぶんだフィンランドは、2010年に650万ユーロを図書館の保存修理のために準備。その後、当初の図面に基づく補修工事が行われ、2013年11月に再開館したとのことです。外国が所有する図書館の補修のために多額の資金を提供するほど、この図書館は「フィンランドの誇り」だということですね。

映画では、アアルト展に出品された三本足の丸椅子《スツール60》(1933年設計)の映像も登場します。家具職人のオット・コルホネンが工房で製作し、75%がイギリスに輸出された、とのことでした。1935年にはアアルト夫妻始め4人メンバーで、家具の販売とモダニズム文化の促進を目的とするアルテック(Artek)社を設立。1936年にはアイノの設計による花瓶《アアルトベース》の販売を開始しています。この時期、家具がアアルト夫妻の生活を支えていた、というナレーションが入りました。

夫妻は、1937年にパリ万国博覧会フィンランド館に曲木の家具を出品、1938年にはニューヨーク近代美術館で個展「アルヴァ・アアルト-建築と家具」を開催しています。1939年に、夫妻はニューヨーク万国博覧会のフィンランド館を手がけ、アメリカで広く知られるようになりました。この時に、モホイ・ナジがシカゴに開校したバウハウスも訪問しています。

ところが第二次世界大戦が勃発すると、ソ連が1939年11月にフィンランドに侵攻(冬戦争)。アルヴァは1918年のフィンランド内戦に従軍していたので、冬戦争でも従軍しました。

〈補足〉冬戦争と継続戦争(「北欧史」山川出版社 2004.02.25  1版3刷 p.352~355の要約)

第二次世界大戦中にフィンランドとソ連の間で戦われた冬戦争と継続戦争について映画は、あまり触れていないので補足します。

冬戦争(1939.11.30~1940.03.12)

1939年9月にドイツがポーランドを攻撃して第二次世界大戦が始まると、ソ連は11月30日、大軍を動員してフィンランドに軍事攻撃を開始。しかし、フィンランド国民の挙国的抵抗の前にソ連軍は多大の損害を受けました。また、国際世論がソ連を非難して国際連盟から除名。イギリス・フランスも、フィンランド救援を名目としてスカンディナヴィア半島経由でドイツを衝く動きに出たため、ソ連は方針を変え、1940年3月12日、フィンランドとの休戦に応じ、「冬戦争」は終わりました。

しかし、フィンランドは亡国こそ免れたものの、カレリア地峡その他領土の10分の1をソ連に割譲し、かつソ連がハンコ岬に駐留するという状態におかれました。

継続戦争(1941.06.25~1944.09.19)

1941年6月22日にドイツ対ソ連の戦争が始まると、ソ連軍はフィンランド国内に入っているドイツ軍に対して各地で空爆を開始。フィンランド政府は、6月25日に対ソ連戦争に踏み切りました。この二度目の対ソ戦争について、フィンランド政府は「冬戦争の失地回復をめざした継続戦争にすぎず、ナチス・ドイツが戦う対ソ戦争とは別個のものだ」と主張。「継続戦争」の前線では、1942年以来膠着状態が続いていましたが、44年6月、カレリア戦線でソ連軍が一大攻勢に出ました。リュティ大統領は、単独不講和を要求してフィンランドを訪れたドイツ外相リッペントロップに個人の責任で協定を結び、巧みにドイツから武器援助を取りつけてソ連軍の攻勢を食い止め、これを機にフィンランドではマンネルヘイム元帥がリュティに代わって大統領となり、9月19日にソ連との休戦を実現しました。

② アイノの死去まで

継続戦争終結後の1945年、アルヴァはマサチューセッツ工科大学(MIT)に長期滞在し、フランク・ロイド・ライト(1867-1959)とも交流します。1946年にはMITの客員教授に就任し、MITのベーカーハウス学生寮の設計も受注。アルヴァの渡米中、事務所はアイノが仕切りましたが、その体は病に蝕まれていました。アルヴァは社交的な人物だったので、MITに滞在中は講義終了後、MITの同僚と飲食を共にし、翌朝の講義に遅れて出ることがあった、というナレーションが入りました。単身赴任なので、大いに羽根を伸ばしたということでしょうね。1948年、夫妻はイタリア旅行を楽しみましたが、その一か月後の1月13日にアイノは、夫と二人の子どもを残し、癌のため55歳で死去します。

③ アルヴァの死去まで

アルヴァにとって、公私ともにパートナーであったアイノの死去は大きな痛手でしたが、1952年にエリッサ・マキニエミと結婚します。彼女は、1950年にアルヴァの事務所へ入所した建築家でした。再婚後も夫妻の自宅にはアイノの写真が残され、エリッサはアイノの影に囲まれながら生活していたとのことです。結婚後のエリッサは、だんだんとアイノに似ていき、仕事上のパートナーとしてもアルヴァを支えた、とのナレーションが入りました。

再婚後、アルヴァは建築の手法を実験するためのムーラッツァロの実験住宅(1954年竣工)や新しい自邸兼仕事場のアアルト・スタジオ(1955年竣工)を建て、仕事場の環境整備を図ります。

アルヴァが手がけた主な仕事は、ヴェネツィア・ビエンナーレのフィンランド館(1956年竣工)、国民年金協会ビル(1956年竣工)、文化の家(1958年竣工)などです。ただ、国民年金協会ビルについて、その豪華さは評判が悪く「まるでホテル」と批判された、とのことです。アルヴァはヘルシンキ中心部の都市計画にも取り組みますが、完成したのはフィンランディアホール(1971年竣工)だけでした。

1960年代のアルヴァは「老建築家」「資本主義の建築家」と評されるようになり、国際的評価は上がっていくものの、国内の評価は下がり続けます。また、晩年は飲酒により健康状態を悪くします。最後のアメリカ旅行(1967年)では飛行機に乗る前から酒を飲み始め、飛行機の中では泥酔状態だったとか。

アルヴァは生涯現役のまま、1976年に78歳でその生涯を終え、その死後は、エリッサが所長としてアルヴァが残した仕事を引き継ぎ、完成させていった、とのことでした。

感想

建築をテーマにした展覧会は、建物そのものの展示は出来ないので、主に図面や模型、写真の展示となります。アアルト展も同様でしたが、この映画で建物のイメージをつかむことが出来ました。

Ron.

展覧会見てある記 瀬戸市美術館「瀬戸ノベルティの至高」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.10.16 投稿

瀬戸市美術館(以下「瀬戸市美」)で開催中の「瀬戸ノベルティの至高 Made by MARUYAMA

」(以下「本展」)を見てきました。本展は瀬戸市の丸山陶器が生産したノベルティ(陶磁器製の置物や装飾品)を展示するもので、その概要や感想などを投稿します。

◆第1章 丸山ノベルティの始まりと発展(1階 展示室2)

昭和11年以前に制作された「手活人形」(体内に通したゴムひもで手が自由に動く人形)から始まる戦前の人形から、戦後・占領下(1952年4月頃まで)の ”Occupied Japan” と表記された人形までの製品が展示されていました。

・ドレスデン人形

第1章で目を引くのは「ドレスデン人形」です。ドレスデン人形について、展覧会の解説は「17~18世紀のヨーロッパの衣装をまとった男女の人形で、ドイツのドレスデン地域やマイセン窯で作られた上流階級向けの製品を参考に生産。マイセン人形とも呼ばれ、丸山製陶では昭和10年にドレスデン人形を完成。アメリカ市場向けに生産を始めた。写実的で優雅なつくりが特徴」と書いています。 特に、戦後の ”Occupied Japan” の頃の製品は《踊る婦人》(写真右)のように優雅なものです。磁器製のレースを着た「レース人形」もありました。

◆第2章 至高の丸山ノベルティ(1階 展示室1)

展示室1では、《マスクを持つ男女》(写真左)など45cmを超えるような大型の人形の外、アルプス越えのナポレオン(本展のチラシに掲載)など様々な製品が展示されていました。

◆第3章 丸山ノベルティのバラエティ(2階 展示室3)

2階の展示室3では、アメリカの雑誌『サタデー・イブニング・ポスト』に掲載されたノーマン・ロックウェルのイラストレーションを題材にした《食前のお祈り》(写真上)や《自画像》などを展示していました。

展覧会見てある記「生誕120年 安井仲治」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.10.16 投稿

現在、愛知県美術館で開催中の「生誕120年 安井仲治」(以下「本展」)に行ってきました。以下は、本展の概要と私の補足・感想等です。

◆安井仲治の愛用カメラと肖像写真

展示室に入ると正面に安井仲治(以下「仲治」)の愛用カメラが展示されています。二眼レフのローライフレックスと35mmカメラのライカⅢB(レンズはSummitar)でした。いずれも庶民には手の届かないカメラです。カメラを構える仲治の肖像写真や撮影会の風景も展示。仲治が構えるカメラの機種は分かりませんが、スプリングカメラ(注)と思われます。撮影会の風景では、三脚付きの大型カメラやポケットに入る小型カメラを使っている人にいます。大型から小型まで、いろいろなカメラを使っていたのですね。

注:スプリングカメラは、カメラの前蓋を開き水平位置にするだけで蛇腹(ベローズとも言う)付のレンズが撮影位置にセットされる折りたたみ式のカメラ

◆安井仲治って、誰 ?

安井については何も知りませんでしたが、展示室で《水》(1931-32)を見た瞬間、強い既視感(デジャヴュ)に襲われました。家に帰って本棚をひっくり返すと、次の文が見つかりました。「新興写真」の中心的人物だったのです。

〈飯沢耕太郎・執筆「モダンで新鮮な『新興写真』の時代」から引用  (略)これまで述べてきた「新興写真」のさまざまな要素をすべて含みこんだ、スケールの大きな作品世界を形成したのは、浪華写真倶楽部の指導者であった安井仲治であろう。/彼は、メーデーのデモに取材した「旗」(1931)、「唄ふ男」(注:本展のタイトルは《歌》)(同)といった社会意識の強い作品から、昭和10年代の超現実主義の影響を受けて構成されたオブジェの写真まで、非常に幅の広い作風を持っている。しかし、彼自身と時代の本質をじっと見つめているようなその写真の特徴が最もよくあらわれているのは、「水」(1931)、「蛾」(1934)、「上賀茂にて 月」(1941)などの、孤独な心象を刻みつけた象徴的な作品群だろう。/安井は、昭和16年に丹平写真倶楽部の会員5名と共同制作した「流氓(るぼう)ユダヤ」(神戸に一時寄留していたユダヤ人たちを撮影したもの)を発表し、朝日新聞社主催の「新体制国民講座」で、彼の生涯をしめくくるような「写真の発達とその芸術的諸相」と題する講演をおこなう。翌昭和17年(1942)3月15日に腎不全のため死亡、享年38歳であった。/浪華写真倶楽部や丹平写真倶楽部の若手作家たちを呆然自失させたという彼の死によって、「新興写真」の時代は完全に幕を引かれるのである。(略) 出典:『カメラ面白物語』p.76~77 発行所 朝日新聞社  発行日1988.10.5〉

◆本展の構成と主な出品作

〇 i 1920s――仲治誕生

本展は5部で構成。第1部「i 1920s――仲治誕生」に展示の写真は「新興写真」以前のものと思われます。屋台の店と男性客を撮った《秋風落漠》(1922)は、参考資料のアルバムにも同じ構図の写真が貼ってあります。二つを比べると、展示作品には手が加えられているように見えました。第1部には、ネガコンタクトブリント(引き伸ばさずに焼き付けた写真)も展示。サイズは6cm×9cm程なので、入口に展示のカメラで撮影したものでは無いでしょう。肖像写真で構えていたカメラかもしれませんね。

〇 ii 1930s-1――都市への眼差し

 上記に引用した飯田幸太郎の文(以下「引用文」)が触れた《旗》(1931/2023:後ろの数字は再プリントの年。以下同じ)、《歌》(1932/2023)、《水》(1931-32)を展示しています。《歌》は、ネガコンタクトプリントも展示されており、トリミングのうえ裏焼したことがわかります。

〇 iii 1930s-2――静物のある風景

 引用文が触れた「蛾」に当たると思われる作品は《蛾(一)》(1934/2023)と《蛾(二)》(1934)の二点。引用文がどちらを指しているか不明ですが、本展のチラシは《蛾(二)》を使っています。

 《海浜》(1936/2004)は、2021.2.6~3.28に名古屋市美術館で開催された「『写真の都』物語―名古屋写真運動史:1911-1972―」(以下「写真の都」展)の第2章「モダン都市の位相―「新興写真」の台頭と実験」に展示の成田春陽《灯台のある風景》(1938)と同じ野間埼灯台を撮影した作品です。《灯台のある風景》の方は後から撮影しているので、《海浜》の影響を受けたのかもしれませんね。断定は出来ませんが……

〇 iv1930s-3――夢幻と不条理の沃野

 シュールレアリスムの作品が並びます。「写真の都」展の第3章「シュールレアリスムか、アブストラクトか――『前衛写真』の興隆と分裂」で展示されていたものと同じ傾向の作品が多く、親しみを感じました。

 また、引用文に〈「写真の発達とその芸術的諸相」と題する講演をおこなう〉という下りがありますが、その講演で使用されたスライドも本展に展示されていました。

〇 v Late 1930s-1942――不易と流行

 引用文の《月》(1941/2023)と「流氓ユダヤ」のシリーズが展示されています。いずれもネガコンタクトプリントを展示。35mmフィルムでしたから、本展に展示のライカで撮影したのでしょうね。

 「流氓ユダヤ」は名古屋市美術館「コレクションの20世紀」(2023.4.15~6.4)で椎原治の作品が展示されているので、親しみを感じました。

 本展と同時開催のコレクション展では「木村定三コレクション」から熊谷守一の作品が展示されていますが、本展でも仲治《熊谷守一像》(1939-42)を展示しています。コラボレーション企画ですね。

◆鑑賞ガイドについて

展示室の入口に「鑑賞ガイド」が置いてあります。現在、写真と言えばスマホで撮影するのが主流なので、「鑑賞ガイド」のようにフィルム・カメラでモノクローム(白黒)写真を撮影した時の現像や写真プリントの方法について解説してくれる「鑑賞ガイド」は、とても有難いものでした。展示されている作品を作り上げるために安井仲治が使ったトリミングや多重露光、ブロムオイル、オイルトランスファーなどの紹介も記されているので、鑑賞の役に立つと思います。

◆最後に

展示作品の中には《海浜》(1936/2004)のように2004年に再プリントされた作品もあります。調べてみると2004年10月に渋谷区松濤美術館で「生誕100年 安井仲治――写真のすべて」が開催され、名古屋市美術館に巡回したようです。ネット記事を検索すると、下記のURLがありました。

URL: https://www.museum.or.jp/event/19669

また、本展については、“Tokyo Art Beat” に詳細なレポートがあります。URLは、下記のとおりです。

URL:https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/nakaji-yasui-report-202310

Ron.

「美術って、なに?」に関する新聞記事・TV番組のご紹介

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2023.10.09 投稿

名古屋市美術館で開催中の「美術って、なに?」(以下「本展」)について、新聞・TVが取り上げました。新聞記事は、9.29付中日新聞「Culture」欄(宮崎正嗣記者執筆)(以下、①)と9.30付日本経済新聞「文化」欄(宮川匡司客員編集委員執筆)(以下、②)。TV番組は10.1放送のNHK・Eテレ「日曜美術館・アートシーン」(以下、③)です。以下、その概要をご紹介します。

◆新聞・TVが取り上げた作品(〇数字は、取り上げた新聞記事・TV番組を表す)

《ポーズの途中に休憩するモデル》(2000)②(文章のみ)、③

②は〈謎の微笑を浮かべたはずのモデルが、休憩中に身を横たえてくつろぐ、しどけない姿を描いた絵は、名作のまとう聖性を解体して、あっと驚かされる〉と書き、③のナレーションでも〈疲れたモデルが休む姿〉と語ります。見慣れたモナ・リザには何か距離を感じますが、名画を抜け出て休むモナ・リザを見ると身近に感じますね。

《見返り美人 鏡面群像図》(2016)①

①は〈福田さんが正面や背後など六つの角度から鏡に映った姿を想像して描いた。当時の着物の柄や帯の結び方、髪形も調べて、角度ごとにデッサンを繰り返した〉と書いています。この記事で、オリジナル(左から3番目)以外の6体を様々に描くために払った努力を知り、作品を見る目が変わりました。

《死の仮面を被った少女(ポーズの途中に休憩するモデル》(2000)①

9/30に開催された協力会ギャラリートーク(以下「9/30トーク」)では「福田美蘭さんの作品は主に絵画、インスタレーションは珍しい」という解説がありました。

《帽子を被った男性から見た草上の二人》(1992)③(ナレーションなし)

9/30トークでは、この作品を含む4点が紹介されました。本展を鑑賞する時のキーワード「美術と向き合う新しい視点」がはっきりとわかる作品ですね。

《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》(1996)③

“Great Wave” という愛称で広く世界中に知られている作品ですが、何か変。③は「実は、裏返しです」と、種明かしをしてくれました。

《石庭》(2017)②(文章のみ)

②は〈禅寺の石庭の石が尖閣列島の島々に成り代わっている作品は、禅寺の枯山水のイメージに、さざ波を立てずにはおかない〉と書いています。確かに「時代をみる」(展示している「章」のタイトル)作品です。

《テュルリー公園の音楽会》(2000)③(ナレーションなし)

番組の最後に、画像だけ登場。本展の作品解説(福田美蘭自身が執筆)には、〈同名のマネの作品に(略)渋谷のスクランブル交差点の風景を重ねてみた〉と書いてあります。

《名所江戸百景 深川洲崎十万坪》(2022)②

②は〈画家は、この絵の猛禽類が狙っている左下の早桶(粗末な棺桶)の存在を教えられて、絵の印象がガラッと変わった。その驚きを作品にした。鷲が人間の死肉を狙う苛烈な画像から、画家が連想したのは、ロシアに侵略されたウクライナでの人々の埋葬の情景だった〉と書いています。「ウクライナでの人々の埋葬の情景」という下りは作品解説に無いないので、画家に取材して書いたのでしょうね。

《ゼレンスキー大統領》(2022)①、②(文章のみ)

 ①は〈ニュース映像がそのまま写し取られたかのよう。冷徹な目で現実を観察し、意味も感情も取り除いたかのように表現した印象派の画家マネを意識した〉と書いています。

《プーチン大統領の肖像》(2023)4点組 ①(文章のみ)、②、③

新聞・TVのいずれも取り上げています。本展では《プーチン大統領の肖像(カリアティード)》14点組も展示。「重要な作品」ということです。9/30トークでは「モディリアーニの肖像画に発想を得たもの」という解説がありました。②は〈感情をあらわにしないプーチンのわずかな表情の変化を注視して、彼はいったい何を考えているのか、と私たちは読み解こうとしている。モディリアーニについて考えるには、この人以外にモデルはいない〉という画家の言葉を書いています。

◆福田美蘭の作品は従来と何が違うのか

福田美蘭の絵画は従来と何が違うのか、ということについて、②は〈近代以降の絵画は、オリジナルな表現への情熱に突き動かされてきた。(略)これに対し福田は、固有の表現をまさぐるように追究する絵画に、30年以上前、自ら疑問符を投げかけた。(略)福田が新たな絵画制作への足掛かりとしたのは、複製図版などを通して多くの人が目にする古今東西の名画や名作、それにメディアが流す報道写真や映像である。その流布するイメージをベースに据え、新たな視点で描き直すことで、我々が見過ごしていたものの見方を、意表を突くように提示する〉と、書いています。

◆最後に

9/30トークに参加した皆さんからは、異口同音に「楽しかった。面白かった」という感想を聞きました。本展について、①は〈名画やニュース映像といった私たちが普段見慣れた「イメージ」を通し、美術と向き合う新しい視点に気づかせてくれる〉と書き、②は、本展から伝わるものについて〈美術作品を身近に感じてもらおうとする強い意志〉〈今を生きる画家の鋭敏な感覚〉と書いています。

9/30トークで本展の作品から「美術と向き合う新しい視点」「美術作品を身近に感じてもらおうとする強い意志」「画家の鋭敏な感覚」を強く感じたので、参加者から「楽しかった。面白かった」という感想が出てきたのだと、改めて思いました。

Ron.

読書ノート 『Casa BRUTUS』2023年11月号

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

   2023.10.06投稿

10月6日に『Casa BRUTUS』2023年11月号(株式会社マガジンハウス発行)が発売されました。

巻頭記事は「フランク・ロイド・ライトと日本」。この外にも、帝国ホテル、落水荘、グッゲンハイム美術館、山邑太左衛門邸(ヨドコウ迎賓館)、自由学園明日館などの記事を掲載しています。

また、豊田市美術館を皮切り(2023.10.21~12.24)に、パナソニック汐留美術館、青森県立美術館へ巡回する展覧会「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」や、ライトの愛弟子・遠藤新が設計した甲子園ホテルなどに関する記事もあります。

建築関係の雑誌なので、大判で、カラー図版も豊富です。

先ずは、情報提供まで。

なお、協力会では、11月12日(日)PM 2:00から、豊田市美術館「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」鑑賞のミニツアーを予定しています。

Ron.

「美術って、なに?」 ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

2023.09.30(土)17:00~18:30

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「福田美蘭 美術って、なに?」(以下「本展」)の協力会向けギャラリートークに参加しました。参加者は43名。講師は、森本陽香学芸員(以下「森本さん」)。展示室で、福田美蘭さんの作品を前にして、森本さんの解説を聞きながら鑑賞。とても楽しく、贅沢な一時を過ごすことができました。以下、森本さんの解説の要点と私の感想を書いてみます。

◆「名画 イメージのひろがり/視点をかえる」(1階)

 本展は、3つの章で構成。1階が「序章 福田美蘭のすがた」と「名画 イメージのひろがり/視点をかえる」、2階が「時代をみる」です。ギャラリートークの内容紹介は、「名画」から始めます。

〇《死の仮面を被った少女(フリーダ・カーロによる)》(2023)

森本さんは「市美の所蔵作品から着想を得て、本展のために制作したインスタレーション(注:空間展示)です」と紹介。原寸大の《死の仮面を被った少女》から赤く光るネオン管が伸び、ブリキのジョウロにつながっています。ジョウロを覗くと、フリーダ・カーロの自画像が見えます。参加者から「ネオン管は、血管ですか? それとも、へその緒?」と、質問が出ると「どのように解釈しても自由です」との答え。《死の仮面を被った少女》はパネルにアクリル絵の具で描いたもので、額縁まで克明に再現しており、遠目には「本物」です。「著作権の関係から《死の仮面を被った少女》とフリーダ・カーロの自画像は撮影不可ですが、ネオン管やジョウロは撮影できます」との説明もありました。

〇《説教(フランク・ステラによる)》(2023)

 これも市美の所蔵品から着想を得た作品。《説教》(1990)は横倒しで、ケーキの上。B1Fに展示されている状態ではよく見えないリング状の部分まで描かれているので、「すごい、こんな所までちゃんと描いている」と、感動する参加者が多数いました。でも、それに気が付いた人も「すごい」と思います。

 森本さんは「作家はステラと面識があり、序章に展示の《フランク・ステラと私》(2001)は、写真を拡大した作品です」と解説。「写真を拡大」といえば、ゲルハルト・リヒターの「フォトペインティング」が有名ですね。福田美蘭さんは大画面の絵画で存在感を出そうとしているので、《フランクステラと私》は「フォトペインティング」というより、「違う方向性の作品」だと感じました。

〇《開ける絵》(2000)

 遊び心満点の作品。二つ折りの状態で展示されていますが、額縁を持って開くと風景画が見えます。何人もの参加者が絵を開けることに挑戦。「戻すときは手を離さず、ゆっくり動かさないと壊れます。注意してください」と、森本さんから声をかけられていました。

〇《Portrait》(1995)

 「遊び心」といえば、天井の隅にはめ込んだ作品もあります。森本さんから「天井の隅を見て下さい」と言われて顔を上げると、女性がこちらを見ています。思わず笑ってしまいました。

〇《鑑賞石・山水画》(1999)

 森本さんは「小さな石を見て山水画を思い描くというのが、鑑賞石という遊びですが、作家は鑑賞石から着想を得た山水画を描いています」と解説。参加者は山水画を背に、鑑賞石を凝視。誰もが、「自分の山水画」を思い描こうと、夢中になっていました。

〇《侍女ドーニャ・マリア・アウグスティーナから見た王女マルガリータ、…(略)…、犬)》(1992)

 ベラスケスの名画《ラス・メニーナス》(1656)を、侍女ドーニャ・マリア・アウグスティーナの視点で描いた作品。題名には王女マルガリータと犬のほか、3人の名前が入っています。《ラス・メニーナス》に触発された作品と言えば、森山泰昌《侍女たちは夜に甦る》の連作がありますね。福田美蘭さんの独自性は「侍女の視点」で描いていることです。森本さんは「当時、コンピュータは今ほど性能が高くなかったため、福田美蘭さんはコンピュータなしで侍女が見た光景を描いています」と解説。まさに、旺盛な好奇心の為せるわざです。本展では、視点を変えて描いた作品を、上記の外に《幼児キリストから見た聖アンナと聖母》(1992)、《ゼフィロスから見たクロリスとフローラと三美神》(1992)、《帽子を被った男性から見た草上の二人》(1922)の3点、展示しています。参加者は、どの作品を見ても声を上げていました。

〇《うぶごえ(コンスタンティン・ブランクーシによる)》(2023)

 この作品も、市美の収蔵品から着想を得た作品です。森本さんからは「《うぶごえ》は、表面がツルツルのブロンズの彫刻なのでピカピカ光って、ブランクーシの制作意図がわかりにくい。福田美蘭さんの作品は光らないので、《うぶごえ》という作品についてよく分かる」という趣旨の解説がありました。

〇《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》(2002)

 大原美術館所蔵の伝フィンセント・ファン・ゴッホ《アルピーユの道》(制作年不詳)と並べて展示されています。森本さんによれば「《アルピーユの道》は調査の結果、ゴッホの頃には使われていない素材が検出され、1920年代の制作ではないかとされている作品。福田美蘭さんは、ゴッホらしい作品を描こうと、ゴッホの筆触を研究して取り組み、額縁もカラーコピー等で再現している」とのことでした。

〇《ミレー“種をまく人”》(2002)

 森本さんは「高級複製画を購入し、福田美蘭さんが考える“種まきをするときの動作”に描き直した作品です。元の絵の痕跡も残しています」と解説。

〇《湖畔》(1993)

 森本さんによれば「黒田清輝の重要文化財《湖畔》(1897)を原寸大にカラーコピーしてパネルに貼りつけ、余白に風景を書き足した作品」。「何か違和感がある」と思ったら、背景が4倍になっているのですね。「コピーをパネルに貼り付けて名作を描き直す」という発想が、とても面白いと思います。

◆「時代をみる」(2階)

〇《松竹梅》(2017)

 本展のチラシに使われている作品です。個人的には「松・竹・梅のうな重と豆絞りの手ぬぐい」だと「東京」のイメージですが、森本さんが言うには、福田美蘭さんの抱く「名古屋」のイメージは「うなぎ」だったそうです。そういえば、市美の近くにもうなぎ屋さんがありますね。福田美蘭が食べた名古屋の「うなぎ」は、さぞ、おいしかったのでしょうね。

〇《高きやに 登りてみれば》(1995)

新古今和歌集、賀歌の巻頭にある「高き屋に 登りてりてみれば 煙(けぶり)たつ 民(たみ)のかまどは にぎはひにけり」という歌が題材。歌は、民の竈から煙が上がっていないのを仁徳天皇が見て、民の負担を減らすために税を免除。その結果、民の生活が楽になったと、帝の善政を称えています。森本さんの解説は「木版画のような世界を描いていますが、アメリカン・コミック風の爆撃を連想させる描写もあります。上空から落ちてくるものは、日本に流入してくる欧米文化を象徴しています」というものでした。

〇《プーチン大統領の肖像》4点(2023)、《プーチン大統領の肖像(カリアティード)》14点(2023)

 この連作は、市美が所蔵しているモディリアーニの作品から着想を得たもの。モディリアーニの肖像画には瞳を描いていないものがありますが、プーチン大統領の肖像も1点には瞳がありません。また、先入観を持って見るからでしょうか、4点とも国民に向きあっていないような雰囲気が漂っていました。

〇《ゼレンスキー大統領》(2022)

 《プーチン大統領の肖像》を展示している区画には《ゼレンスキー大統領》も展示。作品からは、国民に呼びかけている大統領の気迫を感じました。

〇《中日新聞2023年7月11日》(2023)

 中日新聞に掲載された本展の広告から切り抜いた図版に、エディション・ナンバーと作家のサインが記入されています。福田美蘭さんは、作品解説に「新聞は数時間で消費。しかし、エディション・ナンバーを入れてサインすれば価値が出る。1996年以来、現在も新聞版画の制作を続けている」と書いています。

◆グッズ売り場(2階)

グッズ売り場では《中日新聞2023年7月11日》の解説にあった「新聞版画」も販売していました。当日は、中日新聞に掲載された《松竹梅》を作家が切り取り、エディション・ナンバーと直筆サインが入った台紙に貼ったものを販売。「数量限定・直筆サイン入り」なので、購入した参加者が何人もいました。

◆最後に

《ミレー“種をまく人”》を始め、「名画をコピーして書き直す」というのは、とても知的な遊びで、楽しみながら鑑賞できました。参加した人に聞くと、誰からも「楽しかった。面白かった」という感想が返ってきました。なお、本展の「作品解説」は全て、福田美蘭さんが執筆したものです。解説を読むと、作家と対話しているような気分になりますよ。

Ron

error: Content is protected !!