展覧会見てある記「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」豊橋市美術博物館

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豊橋市美術博物館で開催中の「芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師」(以下「本展」)を見てきました。月岡芳年(以下「芳年」)の作品を見るのは約二年半ぶり。2019年の協力会ミニツアー=名古屋市博物館「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」以来です。

ミニツアーでは、名古屋市博物館の神谷浩副館長(現・徳川美術館副館長兼学芸部長、以下「神谷さん」)が「最後の浮世絵師で最初の近代日本画家」と芳年を評していましたが、本展第四章の《演劇改良 吉野拾遺 四條縄手楠正行討死之図》(1886)を見て「神谷さんの指摘どおり」だと思いました。顔は浮世絵風ですが、ポーズや背景の描き方は近代日本画を思わせます。芳年の門からは水野年方、鏑木清方(水野年方の弟子)が出ており、「新版画」の伊東深水、川瀬巴水は鏑木清方の弟子。まさに、近代日本画の源流の一つです。

本展では浮世絵だけでなく肉筆画、画稿などの芳年の作品260点余が、ところ狭しと並んでいます。芳年のデビューから晩年までを見通すことができる贅沢な展覧会でした。

第一章 国芳ゆずりのスペクタクル、江戸のケレン  嘉永6年~慶応元年(1853~65)

 展示室を入った所に、芳年の没後に出された追善絵《大蘇芳年像 金木年景画》(1892)が掲げられ、15歳のデビュー作、三枚続《文治元年平家の一門亡海中落入る図》(1853)に続きます。国芳ゆずりの武者絵が多く、役者絵などもあります。《正札附俳優手遊》(1861)や《狂画将棋尽》(1859)などは、国芳ゆずりのユーモアに満ちた作品でした。

第二章 葛藤するリアリズム  慶応2年~明治5年(1866~72)

 幕末から明治初期にかけての作品。武者絵だけでなく、錦の御旗を掲げて朝廷の行列が行進する《東海道名所図会 鞠子 名物とろろ汁》(1868)や函館戦争を描く《諸国武者八景 函館港》(1872)、鉄道開通を描く《東京名勝高輪 蒸気車鉄道之全図》(1871)など、次代を切り取った作品も展示されています。

・ 血みどろ絵 

 入口を布で仕切った奥の部屋には、歌舞伎や講談を元にした、兄弟子の落合芳幾との共作《英名二十八衆句》(1866-67)のほか、戊辰戦争に取材した《魁題百撰相》シリーズ等、「血みどろ絵」が一堂に会しています。刺激が強い作品ばかりなので「見ると気持ちが悪くなる作品もあります」という旨の注意書きが貼ってありました。

 歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」を元にした《英名二十八衆句 福岡貢》(1867)には様式美を感じました。《魁題百撰相 会津黄門景勝》(1868)は表向き、徳川家康による1600年の会津攻めが題材ですが、戊辰戦争の会津をダブらせていました。

第三章 転生・降臨-“大蘇”蘇りの時代  明治6年~明治14年(1873~81)

 解説によれば、明治の初め、取り巻く環境が劇的に変化。浮世絵の売れ行きも落ち、芳年は強度の神経衰弱に陥りますが、明治6年には立ち直り、画号を“大蘇芳年”に変えて意欲的に作品を制作するようになったとのことです。

 歴史画が目立ちますが、なかでも弁慶と義経の出会いを描いた三枚続《義経記五條橋之図》(1881)はダイナミックな構図の作品でした。義経が体を鞠のように丸めて右に跳び、対する弁慶は、画面左で上半身を90度に前傾して右に捻って踏ん張り、義経が投げた扇を薙刀の柄で受けとめています。迫力のある作品で、大きく引き伸ばしたものが美術館の玄関先に置かれ、入場者を出迎えていました。

 明治10年に起きた西南戦争を描いた作品や大正天皇の生母(柳原白蓮の叔母)を描いた《美人百陽華 正五位柳原愛子》(1878)なども出品されています。

第四章 “静”と“動”のドラマ  明治15年~明治25年(1882~92)

 盗賊の袴垂が衣を奪おうとしたが恐ろしくて手が出なかったという説話を描いた《藤原保昌月下弄笛図》(1883)や能の『隅田川』に由来する《東名所墨田川梅若之古事》(1883)、明治政府より発禁処分となった、縦長の二枚続《奥州安達がはらひとつ家の図》(1885)の外、「月百姿(つきひゃくし)」シリーズやユーモラスな「風俗三十二相」シリーズなどが出品され、まさに「全盛期の芳年」を鑑賞することができました。

 なかでも《月百姿 信仰の三日月幸盛》(1886)は、デフォルメすると2014年の名古屋市美術館「マインドフルネス展」で見た山口晃の《五武人圖》(2003)になるな、と感じる作品です。《風俗三十二相 かゆさう 嘉永年間 かこゐものの風ぞく》(1888)は、艶めかしく、《風俗三十二相 遊歩がしたさう 明治年間 妻君之風俗》(1888)は、浮世絵としては珍しい洋装の美女でした。

 いずれも三枚続の《弁慶 九代目市川団十郎》(1890)や《雪月花の内 花 御所五郎蔵 市川左団次》(1890)などの役者絵は「近代的、装飾的でスマートな写楽」という雰囲気があり、しばらく見入ってしまいました。

別 章 肉筆画・下図類など

 浮世絵だけでなく《富士山》(1885)、《鍾馗》(1890)などの肉筆画もあります。《西洋婦人》は、藤田嗣治の素描を思わせます。芳年の筆運びがはっきりと分かる素描や画稿を見て「筆でこれだけ描けるのか」と、芳年の画力に感心しました。

コレクション展

 美術館2階では、コレクション展(入場無料)も開催。注目したのは「芳年が描いた東海道」と「野田弘志」「草土社の作家たち」の三つ。写実作家・野田弘志の作品は着物の女性を正面から描いた《きもの》(1974)やリトグラフの《女》(1987)など、展示室の作品のほかに「テーマ展示コーナー」にも3点、貝殻、骨などを配した「TOKIJIKU(非時)」の連作が展示されていました。「草土社の作家たち」では、2020年の名古屋市美術館「岸田劉生展」以来、約一年半ぶりに岸田劉生《高須光治君之像》(1915)を見ることができました。椿貞雄《砂利の敷いてある道》(1916)は劉生の影響を感じました。

 コレクション展も、お見逃しなく。

◆最後に

本展で、浮世絵は明治になっても人気があったということを知りました。赤や青の発色は明治時代のほうが鮮やかです。三枚続の大画面が多く、とても楽しめる展覧会です。

Ron.

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