名古屋市美術館で開催中の「マヌエル・アルバレス・ブラボ写真展」(以下「本展」)のギャラリー・トークに参加しました。参加者は44名と、写真展にしては多め。2階講堂に集合した後、1階展示室へ移動。山田学芸課長(以下「山田さん」)のトークが始まりました。
◆本展について
山田さんによれば「本展は国内初の本格的かつ最大規模の回顧展、と言いたいのですが、20年前に清里フォトアートミュージアムでブラボ展が開催されているので、残念ながら2回目の回顧展。しかし、192点という規模は国内最大。世界でも4番目。展示は年代別の4部構成。写真の並びは、ほぼ撮影年代順だがテーマによっては時代的に前後するものもある。」とのこと。
◆ブラボの魅力
ギャラリー・トークの冒頭、参加者はブラボの言葉(下記の通り)を記したパネルの前に集合。
私にとって写真とは、見る技法です。ほぼそれに尽きるといえます。
見えるものを撮り、絵画と違って、ほとんど改変もしない。
こうした姿勢でいると、写真家は予期せぬものを、実に上手に活かせるのです。 1970.4.4
この言葉について、山田さんは「ブラボの写真は、基本的に見えるものをそのまま撮ったストレート写真。刺激的なものは無く、どれも一歩引いて撮った静かな写真。しかし、被写体の周りのものも含めて撮っているので、新しい発見ができる。それがブラボの魅力。」と解説。
当日は盛りだくさんの内容だったので、以下は、その一部を抜粋して紹介します。
■第1部:革命後のメキシコ―1920-30年代
◆第1章:モダニズムへ
1920年代のブラボは、006《カボチャとカタツムリ》(数字はカタログ番号。以下同じ)や007《小便をする子供》のように、造形の面白さに着目して写真を撮っている。基本はストレート写真だけれど、写真にすると現実とは違ってしまう。それが、この写真の魅力。
◆第2章:ざわめく街の一隅で
022《理髪師》、パッと見は「道端で何かやってるな」という印象しかない。しかし、よく見ると町の床屋だと分かる。その発見が、この写真の面白さ。ブラボが撮った街角の写真はフランスの写真家アジェの影響を受けているが、違いもある。アジェの被写体はカメラ目線で大きく写っているが、ブラボの被写体は小さい。撮られていると気づかれないうちにサッと撮っている。
ブラボは街中の看板も好んで撮影。027《二組の脚》は、タイトルどおり男女の脚だけが描かれた壁面の写真。「何だろう」と思って見ると、上にライトが二つ。看板から、店は電気設備屋であり、夜には二組の脚にスポットライトが当たると分かる。照明された脚も想像させる写真。
■第2部:写真家の眼―1930-40年代
◆第1章:見えるもの/見えないもの
044《鳥を見る少女》の少女は上の方を見ている。しかし、この写真を見ている我々に、少女が見ているはずの鳥は見えない。写っていないものを想像したくなる写真。049《舞踊家たちの娘》や059《夢想》も、被写体がカメラ目線ではないので、いろいろなことを想像してしまう。
◆第2章:生と死のあいだ
メキシコは死が生と近い国。日本と違い、死を隠そうとしない。11月1日~2日が「死者の日」、日本のお盆に近い位置づけだが、お盆と違い明るく楽しく祝う。062《死者の日》の少女が持っているのは、砂糖菓子の髑髏。065《梯子の中の梯子》の画面右上は、看板がわりの子供用棺桶。建物の中には、天井まで棺桶が積まれ、梯子のように見える。071《人々の魂》は、新しいお墓を撮ったもの。一番左のロウソクには、まだ火がついており、さっきまで墓参りをしていたことがわかる。
◆第3章:時代の肖像
この章の展示は、雑誌“Mexican Folkways”のために、仕事として撮ったポートレート。093《セルゲイ・エイゼンシュテイン》は、ソ連の映画監督。メキシコに来て、監督、助監督、カメラマンの3人で「メキシコ万歳」を撮影したものの、完成することなく帰国。
熱心に話を聴く会員たち
■第3部:原野へ/路上へ―1940-60年代
◆第1章:原野の歴史
1940年代になって、ブラボは新しいジャンルである「風景写真」を撮り始める。この頃、メキシコ政府が国家事業として遺跡の記録写真を撮影することとなり、ブラボも写真家として事業に参加した。それが風景写真を撮るきっかけ。
風景写真といっても、102《頭蓋骨、遺跡、トゥルム》や106《ヒナギク》などを見ると、造形的な面白さに惹かれているのがわかる。また、111《アンガウアのレオン》112《トゥルムのマヤ人の少年》113《ボナンパクのマルガリータ》は、記録写真として撮影しため、他の時代の写真とと違い、カメラ目線になっている。
◆第2章:路上の小さなドラマ
この章の写真のテーマも街中の様子だが、以前よりも更に下がって撮影しているところが違う。ブラボは同じテーマを繰り返しながら撮っていった写真家。
128《世間は何と狭いことか》は、見ず知らずの男女がすれ違うところを撮ったもの。文学的なタイトルがドラマを想起させる。129《大いなる悔悟者》は寝そべっている酔っ払いを撮った写真だが、5体の天使が写っているので、天使に向かって自分のしたことを悔やんでいるように見える。131《正午15分前》には動きがある。大急ぎで家に帰ろうとしている様子が微笑ましい。
■第4部:静かなる光と時―1970-90年代
◆第1章:あまねく降る光
ブラボは1920年代から光と影を主題にした写真を撮っているが、70年代以降、光と影を主題にしたものが多くなる。また、165《シペ、ケンタウルス》や166《黒い布》などの裸婦像も、ブラボが一貫して撮り続けたテーマ。
◆第2章:写真家の庭
180《自写像》は、カメラと自分の間に窓の格子が写っている。世界から離れてみた自分自身を象徴的に撮ったもの。
また、181から184までの《シリーズ< 小さな空間に>より》は、ブラボが何度も撮ってきた「シーツ」をモチーフにした写真。187から192までの《シリーズ< 内なる庭>より》も、ブラボが何度も撮ってきた「光と影」。メキシコの光は強烈。コントラストが強くなりすぎて写真撮影には不利。しかし、壁に映った木の影を撮ると、コントラストを弱めた柔らかな写真になる。
◆最後に
「各章とも二、三枚の写真を取り上げて、駆け足で解説します。」という前置きで始まったギャラリー・トークでしたが、終わってみればタップリ1時間半。内容豊富で、参加者は大満足。山田さん、ありがとうございました。
最後まで熱く語ってくださった山田学芸課長さん、ありがとうございました!
Ron.