あいちトリエンナーレ「豊田市美術館会場」ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

今回参加した「あいちトリエンナーレ『豊田市美術館会場』ミニツアー」は、あいちトリエンナーレに関連する二つ目の協力会主催行事です。なお、一つ目は8月4日開催の「名古屋市美術館会場ギャラリートーク」でした。今回の参加者は21名。ミニツアーの案内は能勢陽子(のせ・ようこ)さん(以下「能勢さん」)。自己紹介によると能勢さんは豊田市美術館の学芸員ですが、今回は「あいちトリエンナーレのキュレーター」として案内してくださいました。なお、見出しに記した「T〇〇」のうち「T」は豊田会場を表わし、数字は作品の通し番号を表わします。

◆T06b アンナ・フラチョヴァー

あいちトリエンナーレの受付は2階。通常の展覧会と違って、3階・第4展示室が会場の入口です。最初の作品は二人の養蜂家を表現したレリーフ、2階と3階を結ぶ階段の踊り場・壁面に展示されていました。能勢さんによると「作者のアンナ・フラチョヴァーはチェコ共和国の人で、地下鉄にある飾られた二人の宇宙飛行士のレリーフをもとに制作した作品です。養蜂家のレリーフは、最近話題になった「ミツバチが消える」という問題を取り上げています。ミツバチが消えた原因は不明ですが「農薬の影響ではないか」と言われています。農業技術の開発が進む一方で、果樹の受粉を行うミツバチが消えれば、農業ができなくなるという悪夢のような事態が起きることを訴えた作品」とのことでした。この作品、ミニツアー参加者の一人が「壁に針で留められている」ことを発見しました。材質はアクリル樹脂、針で留めることが出来るくらいに軽い作品なのでしょうか。

◆T07 シール・フロイヤー

暗い部屋の床に一つ、小さく星型に照らされた場所があります。プロジェクターが投影した星形の光が天井の鏡に反射して床を照らしており、《Fall Star》と名付けられています。床に小さな星形が投影されているだけで少しも変化しませんが、何か「カワイイ」感じのする作品でした。

◆T08 タリン・サイモン

写真・動画とテキストを組み合わせた作品で、二つの部屋に分かれています。入口側の部屋には映画「スター・ウォーズ」のデススターⅡの模型やJ.F.ケネディ空港で没収された食べ物などアメリカの秘部・恥部の写真・動画と説明文を組み合わせた作品が展示され、出口側の部屋には過去に行われた国際協定の調印式で飾られた花を再現した写真と説明文を組み合わせた作品が展示されています。能勢さんによると「写真に写っている花は、全てオランダの花き市場で調達したものです。オランダは18世紀には植民地の覇者だったので、市場で調達した花もケニア産、エクアドル産、メキシコ産など、植民地の跡が見える」とのことでした。

◆T09a 高嶺 格(たかみね・ただす)

展示室4と展示室3を結ぶ廊下の突き当りに、2019年2月25日付の琉球新報と覗き眼鏡が展示されていました。

◆T10 レニエール・レイバ・ノボ

展示室3の壁面に2019年8月12日付けの「表現の自由を守る」という声明が貼られています。声明の署名作家は、タニア・ブルゲラ/ハビエル・テジェス/レジーナ・ホセ・ガリンド/モニカ・メイヤー/ピア・カルミ/クラウディア・マルティネス・ガライ/イム・ミヌク/レニエール・レイバ・ノボ/パク・チャンキョン/ペドロ・レイエス/ドラ・ガルシア/ウーゴ・ロンディーヌの12名。 レニエール・レイバ・ノボの絵画は全て新聞記事で覆われ、一部の彫刻が黒いゴミ袋で覆われていました。黒いゴミ袋で覆われた彫刻は1937年のパリ万博で発表された巨大彫刻 ”Worker and Kolkhoz Woman” の一部=ハンマー(工場労働者を象徴)と鎌(農民を象徴)。一方、覆われていない彫刻もあります。1980年のモスクワ・オリンピックで発表された “Monument of Gagarin” (像の高さ42.5m)の指部分です。それにしても「デカい」作品でした。

◆T06b アンナ・フラチョヴァー

展示室2も、踊り場壁面と同じアンナ・フラチョヴァーの作品《アセッション・マークⅠ=Ascension MarkⅠ》。能勢さんによると「チェコ共和国の首都プラハには労働者の像が数多く立っています。この作品は労働者の像をもとにしたもので、女性の顔にはアイロンの底の写真が、男性の顔にはシェーバーの刃の写真が貼ってあります。日常生活の不気味さを可愛らしさとともに表現した作品です。アセンションは直訳すると『上昇』『昇天』で、一つ上の段階への上昇を意味する宗教的な言葉。男女の像は溶けて、変形を始めています」とのことでした。

◆T11 スタジオ・ドリフト

能勢さんによると「作者はオランダのグループ。作品名は《Shylight》。もとになったのはバレエのチュチュ(tutu:バレリーナがつけるスカート。薄いチュール・オーガンジーなどを何枚も重ねたもの)。テクノロジーで自然現象を再現できるか試した作品。花が開いたり閉じたりする様子をコンピュータでプログラミングしています」とのことでした。 床に寝そべって、下から見上げている人が何人もいます。能勢さんの言う通り「もとはバレリーナのスカートの動き」なのですが、先日、水族館で見た「クラゲの漂う姿」にも見えます。様々な動きをするので、見飽きません。

◆おまけ

豊田市美術館の解説は以上でしたが、能勢さんからは「隣の旧豊田東高等学校プールにはT09b 高嶺格さんの作品があります。また、愛知環状鉄道新豊田駅の西の「喜楽亭」にもT04 ホー・ツーニェンの作品があります。喜楽亭は高級料理旅館で戦前は養蚕業者、戦後は自動車関係者が利用。その後、現在地(豊田産業文化センター西)に復元移築されたもので、作品名は《旅館アポリア》。4つの部屋を使って12分×7本=84分の動画を上映しています」という案内がありました。

◎T09b 高嶺 格 旧豊田東高等学校プールには、コンクリート製のプールの底を切り取って、その場に立てた作品が展示されています。切り取られたプールの底は頑丈そうな鉄骨で支えられており、迫力満点でした。

◎T04 ホー・ツーニェン  豊田産業文化センター(愛知環状鉄道新豊田駅の西)を目印にして探したら、豊田産業文化センター駐車場の奥にトリエンナーレの看板が見つかり、会場の喜楽亭にたどり着くことが出来ました。  動画の素材は「父ありき」(1942)「東京物語」(1953)「彼岸花」(1958)「秋刀魚の味」(1962)などの小津安二郎監督の映画と横山隆一のアニメ映画「フクチャンの潜水艦」(1944)(海軍のプロパガンダ映画)、絵本「ジャカルタ記」(1944)などです。動画の内容は太平洋戦争当時に名古屋で編成された特攻隊=草薙隊の話(二ノ間「風」:上映場所と作品名、以下同じ)など、太平洋戦争関係の話が中心でした。案内を読むと、シンガポールを拠点に活動している作家のようです。 映画は、出演者の顔にスモークがかけられているので表情は分かりませんが「彼岸花」では、一瞬ですが、佐分利信や愛知県蒲郡市の三河大島、蒲郡ホテル(現:蒲郡クラシックホテル)が映り(一ノ間「波」)、「秋刀魚の味」では笠智衆の「元艦長」と岸田今日子の「バーのマダム」の前で加藤大介が軍艦マーチを歌うシーンが映ります(三ノ間「虚無」)。また、「父ありき」には「戦後、日露戦争の広瀬武夫中佐を歌った詩吟と軍歌『海ゆかば』を歌うシーンが削除されました」という解説がついていました(三ノ間「虚無」)。調べてみると、GHQの命令だったようです。なお、四ノ間「子どもたち」は、時間に余裕がなく、残念ながら鑑賞できませんでした。

Ron.

神谷さんと行く、本丸御殿ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor


 7月28日日曜日、梅雨明けのうだるような暑さのなか、名古屋城の本丸御殿を見学するミニツアーを開催しました。 講師は名古屋市美術館や名古屋市博物館で学芸員としてご活躍された神谷浩氏。 協力会でもよく解説会などでお世話になっていますので、神谷さんファンの会員が30名以上、集まりました。

 暑さを想定して、集合は9時15分。開門が9時なので、まっすぐに本丸御殿に向かうとこの時間になります。 当日は青い澄んだ空のもと、まずは屋外で神谷さんのお話を聞きます。

 名古屋のお城は、何故この位置に建てられたのか?そして誰によって、誰の住まいとして築城されたのか。 神谷さんのお話を聞いていると、歴史的な背景から名古屋城や本丸御殿の役割が見えてきます。

 だいたいの概要を聞いてから、いよいよ中に入ります。どんなに暑い日でも本丸御殿は冷房が入りません。みなさん覚えておきましょう。 

 本丸御殿に入るのは2度目ですが、何度入っても素晴らしい。節のない見事な木材は見た目にも滑らかですし、襖絵や欄間もため息が出るほどでした。今回は神谷さんがいらっしゃったので、襖絵の1つ1つの意味や、1部屋1部屋の用途、役割を解説してくださいました。

 暑いなか、2時間近くお話してくださった神谷さん、本当にありがとうございました。

愛知県美術館「アイチアートクロニクル」展ミニツアーに参加して

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

6月16日、愛知県美術館リニューアル・オープン記念「アイチアートクロニクル展1919-2019」のミニツアーに参加した。参加者は21名いたが、愛知県美術館の石崎学芸員より50分程、展示室内の作品の前で、解説を聞かせていただくことができた。 展示室に入る前に、ロビーで展覧会の概要を聞く。1年半近くの大規模改修工事を終えた後の今回の展覧会。1919年の愛美社第1回展を起点に、今までの100年間の愛知のアートシーンを揺り動かしてきたムーブメントをたどるものになっている。全館を使って9章立ての展示。ボリュームがあり、期待が高まる。

第1章は「博覧会・博物館 愛知洋画のはじまり1871~」。交通の便が発達していなかった当時、中央と地方の隔たりは非常に大きなものがあった。そんな中、高橋由一より洋画を学んだ河野次郎や、その門下の野崎華年が名古屋に洋画をもたらす。野崎華年の《武具》(1895)という作品がおもしろい。油彩画だが、欄間に掛けられるように横長のサイズ。しかもモチーフは和の武具。日本家屋に合うように工夫されている。

第2章は「愛美社とサンサシオン」。1917年、岸田劉生らによる草土社の展覧会が名古屋に巡回。その写実性に感銘を受けた大澤鉦一郎が中心となり、愛美社が結成された。緻密に描かれた愛美社の作品は、名古屋市美術館でも馴染み深い。官展志向のグループ、サンサシオンの作品も並ぶ。サンサシオンの創設メンバーで、後年まで中部洋画壇を牽引した鬼頭鍋三郎の《手をかざす女》(1934)が出ている。これは名古屋市美術館のコレクションのひとつ。他館で見ると、いつもと少し違った表情をみせてくれる気がする。安藤邦衛は19年もの間海外で学び、帰国後、画塾を開く。この画塾から、次章で紹介されている名古屋のシュルレアリスムの作家も出ているそうだ。ボリュームのある裸婦像が目を引く太田三郎は、画家としてだけではなく、愛知県文化会館の初代美術科長(実質的な美術館長)として活躍。幅広い人脈を活かし、芸術行政に貢献したとのこと。他の章で愛知県文化会館講堂のガラス扉が展示してあり、とても懐かしい。ここのロゴマークのデザインを手がけたのは宮脇晴と知り、驚く。

第3章「シュルレアリスムの名古屋」。戦前の名古屋は、日本のシュルレアリスムの中心地の一つだった。名古屋のシュルレアリスムのコレクションが充実しているのは、もちろん名古屋市美術館。市美収蔵の絵画と写真が多数並んでいる。わが子の活躍を見るようで、嬉しい。シュルレアリスム絵画のモチーフには、よく地平線が出てくる。これには、あの地平線、あの海の向こうには何があるのだろうと想像させる働きがあるとのこと。牛もまた、よく描かれている。牛は大陸と結びつき、左翼的傾向のシュルレアリストたちの、中国大陸に近い心情が牛を描かせていたのかもしれないとの考察を伺い、興味深かった。

第4章の「非常時・愛知」。戦時中は絵具やキャンパスを取り寄せるにも許可が必要で、政府が認める活動にのみ絵具が配給された。鬼頭鍋三郎の戦争画の習作がある。女性像を常に描いていた画家が兵隊を描く。制作が戦争と結びつかざるを得ない時代だ。

第5章「日本画と前衛」。東松照明の出発点、伊勢湾台風の災厄と被災者の暮らしを撮った写真が並ぶ。5000人を超える犠牲者を出したこの台風は、美術にも影響を与えたとのこと。東日本大震災がアーティストに与えた影響の大きさを思い起こす。

第6章「桜画廊とその周辺」。1960年代を過ぎると、徐々に愛知と中央の距離感が近くなっていく。水谷勇夫は東京の美術メディアからも評価され、久野真はNYの展覧会で紹介されたりする。こういうことが増えていくにつれ、地元の自信につながり、活動が活発になっていったそうだ。久野真《鋼鉄による作品#272》(1975)は、ステンレスの表面が鈍い光を反射し、かっこいい作品だ。

第7章「美術家たちの集団行動」。1960年代以降、美術家によるグループ活動が全国的に広がっていく。愛知からも「ゼロ次元」や「ぷろだくしょん我S」という個性的なグループが出てくる。彼らは日常空間でハプニングをして、世の中を茶化したり街の人々を驚かす。栄の歩道を這いずって進む男がいたら、誰だってぎょっとする。こうしたパフォーマンスは、美術を見ない人に、出向いて行って無理やり美術を見せるという、行為による表現とのこと。当時を知らないので、その熱量は正直よくわからないが、今モニターで見るだけでも面白い。「ぷろだくしょん我S」の《人形参院選》(1974年)は名古屋市美術館の収蔵作品。服を着た空気人形のとぼけた表情が、思わず笑いを誘う。 石崎学芸員による解説はこの章まで。この先は自由鑑賞となる。

第8章「現代美術の名古屋」。1980年代と1990年代の名古屋には現代美術を扱うギャラリーが数多く存在し、優れたコレクターもいて、現代美術の名古屋と言われていたらしい。久野利博や山本富章、櫃田伸也など、協力会のカレンダーを制作して頂いた作家の作品もある。

第9章「美術館の内と外」では、あいちトリエンナーレやあいちトリエンナーレのプレイベント「放課後のはらっぱ」展、名古屋市美術館の「ポジション」展でみた作家の作品などが並んでいる。多彩な表現が見ていて飽きない。栗木義夫の《glove stand》(2008)の陶器と鉄を使った造形が面白い。油絵と組み合わせたインスタレーションになっている。この作家の父親は木村定三コレクションで展示してある、陶芸家の栗木枝茶夫。同じく陶芸家、加藤華仙の息子、加藤昭男の彫刻作品が、12階の屋上庭園にある。 父子で美術に携わり、その作品が同じ館内に展示されている。これは解説を聞かないと気が付かない。

展覧会を見終わると、2時間半が過ぎていた。この地域の美術の歴史の検証を、200点程の作品でたっぷりと体感することができ、見応えのある展覧会だった。図録を買って帰る。

最後に、当初の予定を大幅に延長して、詳しく解説してくださった石崎学芸員には、この場を借りて、厚く御礼申し上げます。                            MaT

「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」展 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

名古屋市博物館(以下「市博」)で開催中の特別展「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」(以下「芳芳展」)の協力会ミニツアーが3月24日(日)に開催されました。当日、午後2時に市博1階の展示説明室に集合した参加者は22名。神谷浩・市博副館長(以下「神谷さん」)の解説を聴いた後、自由観覧となりました。

レクチャ風景

レクチャ風景

◆展示説明室における解説(14:00~15:20)の抜粋
神谷さんの解説は、とても楽しくて時間の経過を忘れるほどでした。限られた紙面に収まりきらないので、申し訳ございませんが解説の抜粋を書かせていただきます。
◎芳芳展の概要
特別展「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」という展覧会名は長いので、関係者の間では「芳芳展」と呼んでいます。芳芳展を開催する目的の第一は、市博の浮世絵コレクションを使って「幕末・明治に浮世絵がどういう変化を見せたか」を知ってもらうことです。一方、歌川国芳(以下「国芳」)は一番作品数が多い浮世絵師です。浮世絵師は歌麿、写楽、北斎、広重だけではない「国芳がいる」ということを知ってもらうのが第二の目的です。
芳芳展は5章構成です。「1章 ヒーローに挑む」は武者絵。国芳が最も得意としたものです。「2章 怪奇に挑む」は、怖い絵。幕末には、歌舞伎・講談・浮世絵などで怖いものが流行った時代です。なかでも血みどろ絵は、三島由紀夫が大好きだった作品です。「3章 人物に挑む」は美人画。歌麿とは違う国芳の美人画を楽しんでください。「4勝話題に挑む」は時事ネタ。浮世絵は、いつの時代でも人気者や時事ネタを描いてきました。「終章 「芳」ファミリー」はその他の作品です。
なお、芳芳展は全作品、撮影O.K.です。
◎1章 ヒーローに挑む
108人の豪傑を描いた《通俗水滸伝》は人気を博した国芳の代表作です。国芳《通俗水滸伝豪傑百八人之一人 花和尚魯知深初名魯達》は、木の幹を鉄棒でたたき切るほどの怪力の持ち主・花和尚を描いた作品で、入れ墨もすごいですね。武者絵は、もともと武者に扮した役者を描いた「役者絵」でした。役者絵ですから「役者本人を描かざるを得ない」という制約があります。それに対し、国芳は原典からイマジネーションを膨らませて自由に描きました。
国芳《大江山酒呑童子》は、勝川春亭《源頼光酒呑童子退治》のアイデアを借用していますが、単に借りるだけではなく「プラスアルファ」があります。この作品で国芳は、鬼に半ば変身した酒呑童子を描いているので、動画のように見えます。
魅力的な武者絵にするためには、①「どの場面を描いたか」に加えて、②「どのように描いたか」が大事です。この二つを備えた武者絵を描いた最初は、国芳の先輩・葛飾北斎です。曲亭馬琴とコンビを組んで数多くの「読本(よみほん)」を世に出しました。一方、国芳は読本ではなく一枚刷りの浮世絵にアイデアを盛り込みました。
国芳《八犬伝之内芳流閣》は三枚続のワイド画面です。役者絵の三枚続は、三枚セットだけでなく、贔屓の役者を描いた一枚だけを買っても大丈夫なように、登場人物を均等に描いています。しかし、この《八犬伝之内芳流閣》は三枚セットで鑑賞することを前提に描くことで「視覚の驚き」を出しています。
国芳の弟子・月岡芳年(以下「芳年」)の《東名所墨田川梅若之古事》(終章に展示)は、更に完成度を求めた三枚続です。梅若丸伝説の一場面で、人買いと力尽きた梅若丸、墨田川に映る朧月が緊張感のある構図で描かれています。
◎2章 怪奇に挑む
血みどろ絵は歌舞伎の一場面を描いたもので、鶴屋南北「東海道四谷怪談」からスタートしました。残虐シーンが強烈であるほど、前後のシーンが際立つのです。
落合芳幾(以下「芳幾」)と芳年の合作《英名二十八衆句》は2章の見どころですが、可哀そうな評価を受けている作品です。それは、芳幾・芳年とも「血を好む残虐な人間」だと誤解する人が多いからです。確かに《英名二十八衆句》の絵は芳幾・芳年ですが、《英名二十八衆句》は絵だけでなく俳句と一流文化人の文章がワンセットになった作品です。幕末は残虐趣味が世に満ち満ちていた時代で、絵師と文化人のグループで知恵を持ち寄り、時代受けする作品を世に出したということなのです。
絵の技法としては「正面摺(しょうめんずり)」といって、絵の正面からバレンで擦るようにして光沢のある模様が浮かび上がらせる手法や赤い絵の具に膠を混ぜて「てかり」を出す手法などが使われています。
◎3章 人物に挑む
3章は、主に美人画です。鈴木晴信は男・女を同じ顔で描きました。歌麿の大首絵は、クローズ・アップで描くことにより表情や気持ちを表現しました。また、渓斎英泉(けいさいえいせん)が描く遊女は猫背で足は甲高、下顎が突き出ているという「くせのある」ものです。これに対し、国芳の美人画は「近所の普通のお姉さん」を描いたものです。国芳《江戸じまん名物くらべ こま込めのなす》は、歌麿の作品からモチーフを持ってきた作品ですが、歌麿の色っぽさ・艶っぽさを抜いた普通の人の仕草を描いています。
国芳《満月の月》では画面右の子どもが左足を上げています。足を上げる必要は無いのですが、子どもが足を上げた一瞬を描いたことで、スナップ写真のような、現実感にあふれる作品になっています。芳年《見立多以尽(みたてたいづくし) 洋行がしたい》では、女性が横文字の本や着物の下に赤地に黒の弁慶格子(ギンガムチェック)のシャツを着ています。これは当時流行した風俗を描いたものです。また、芳年《風俗三十二相 暗さう 明治年間細君の風俗》は色っぽく、江戸時代とは随分違ってきます。浮世絵は、その時代の世相・風俗を描いたものです。写真家・アラーキー(荒木 経惟=あらき のぶよし)は現代の浮世絵師といえるでしょう。
◎4章 話題に挑む
国芳は幕府の御禁制を逃れるために様々な仕掛けをしています。《亀喜妙々》は亀の顔が役者、甲羅が役者の紋という趣向で、「役者絵」の御禁制逃れをしています。《里すゞめねぐらの仮宿》は遊女屋の宣伝ですが、御禁制逃れのため、人物をすべて雀にしています。人物の顔よりも表情が豊かなのが面白いですね。
「一ツ家伝説」を描いた作品もあります。「一ツ家伝説」には二系統あり、一つは浅茅が原の一軒家に住む老婆の話です。この老婆は宿を借りた旅人に石を落として殺し、金を奪っていました。ある時、少年が宿を借りたので、いつものように石を落として殺したところ死んでいたのは実の娘。少年は浅草の観音様の化身で、老婆は悪行を悔いたという物語です。もう一つは、奥州安達ケ原に住む老婆の話です。こちらは、老婆が胎児の生き血を手に入れるため、宿を求めてきた身ごもった娘を殺害したところ、殺された娘は老婆の生き別れた実の娘だったという話です。
浅茅が原の「一ツ家伝説」は、国芳が奉納した絵馬を弟子の歌川芳盛が浮世絵にしています。また、絵馬が生人形のネタになったので、それを国芳が浮世絵にしたというものです。芳年は殺害場面を描かない「一ツ家伝説」《月百姿 弧家月》を描いています。
奥州安達ケ原の「一ツ家伝説」は芳年《奥州安達がはらひとつ家の図》。逆さ吊りになっている妊婦の下で老婆が包丁を研いでいる作品です。
◎終章 「芳」ファミリー
歌川芳藤《端午の節句》は「おもちゃ絵」で、切り抜いて端午の節句飾りを作るものです。展示室には組み立てた節句飾りも展示しています。芳幾《東京日々新聞 百十一号》は力士が火消しをしたという記事を錦絵にした新聞です。浮世絵はワイドショウのようなもので、ニュースを「見てきたように」描いています。
芳年《延命院日当話》は大奥のスキャンダルを描いた、浮世絵師、彫師、摺師の技術が最高の時の作品です。芳年の美人画は四条派の影響を受けており、芳年の弟子筋には水野年方、鏑木清方、伊東深水など、近代日本画の主流の人物が名を連ねています。
◎会場のキャプション等について
芳芳展ではキャプション(作品の説明)をよみやすくてわかりやすくするように、そして、「作品に何が描かれているか」だけでなく「なぜ、この作品を出品したのか」を書くよう努めました。
国芳の作品は遊び心満載です。お腹はいっぱいになりませんが、胸はいっぱいになると思います。
◆自由観覧(15:20~17:00)
当日は日曜日で人出が多く、少しずつしか進めませんでした。しかし、ノロノロと歩いて鑑賞したため、1時間40分かけて作品をじっくりと鑑賞することができました。結果オーライ、大満足です。
解説のなかで神谷さんは「ヨーロッパでは国芳と芳年は一続きのものと捉えている。明治のものを低くみるのはまずい。芳年は最後の浮世絵師で最初の近代日本画家」と話していましたが、芳年の出品は全く、神谷さんの言葉どおりのものでした。
見逃せない展覧会です。会期は4月7日(日)まで。

解説してくださった神谷副館長、ありがとうございました

解説してくださった神谷副館長、ありがとうございました

Ron.