名古屋ボストン美術館「ハピネス展」ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor


名古屋市美術館協力会主催のミニツアーで、名古屋ボストン美術館で開催中の「ハピネス展」(以下「本展」)に行ってきました。参加者は33名、多かったですね。午前9時45分に1階壁画前に集合。午前10時の開館を待って5階・レクチャールームに移動し、吉田俊英特別顧問の解説を聴講した後は自由観覧となりました。
以下は、解説等の要約筆記です。(「注」は、私の補記)

◆吉田俊英特別顧問の解説要旨
◎自己紹介
名古屋市美術館開館の数年前から開設準備に従事しました。最初、職員は私一人でした。名古屋市美術館開館後も引き続き美術館に勤め、2000年に奈良県立美術館へ異動、2011年には豊田市美術館へ異動し(注:2015年3月まで館長)、現在は名古屋ボストン美術館特別顧問として閉館に向けた様々な仕事をしています。

◎本展のテーマ
本展のテーマは「ハピネス~明日の幸せを求めて」です。「ハピネス=”Happiness”」だけだと「幸せのかたち」がテーマですが、「幸せのかたち」は人さまざまです。
「幸せのかたち」ではなく「幸せを求める姿勢」なら皆に共通のテーマになるので「ハピネス~明日の幸せを求めて=”In Pursuit of Happiness”」というテーマにしました。

◎本展の概要
本展は名古屋ボストン美術館の最終展ということから、米国のボストン美術館からの出品75点に加え、名古屋市博物館から5点、名古屋美術館から1点(馬場駿吉氏寄託)、馬場俊吉氏個人蔵4点の特別出品があります。(注:馬場俊吉氏は名古屋ボストン美術館・館長)
4階展示室入口に記念の絵ハガキ(注:絵はジム・ダイン《ダイナマイト》)を置いていますので、ご希望のかたは一人1枚お持ち帰り下さい。
以下、各章ごとに主な作品などを解説します。

◎第1章 愛から生まれる幸せ~日常の情景から~
 第1では家族や恋人、友人の親しい関係を描いた作品を展示しています。
最初の展示はピラミッドから発掘されたエジプトの役人(執事)とその妻の仲睦まじい石像。王族の肖像ではありません。ボストン美術館はハーバード大学のエジプト発掘に協力したので、このような収蔵品があります。
次に、若い男女の口づけを描いた酒杯の裏にはキューピッドが描かれています。
ミレー《縫物のお稽古》は、彼の最晩年・1874年の作品で未完成と思われます。カサット《授乳》は歌麿《母と子》と並べて展示。浮世絵の影響が見られます。
スコット・ブライア《ナニーとローズ》は画家の夫人とペットを描いたスーパーリアリズムの作品で、本展入場者の関心を惹いています。(注:女性の姿が浮き出て見えます。「なぜ立体的に見えるのだろう」と不思議に思い、目が釘付けになりました)

◎第2章 日本美術に見る幸せ
第2章では自然との共生を表現した日本美術の作品を展示しています。
《江戸四季風俗絵巻》は江戸の四季を描いた絵巻です。通常は絵巻の一部を広げての展示ですが、本展では全部を広げて展示しているので見終わるまでに時間がかかり、絵巻を見る人の行列が出来ています。(注:吉田さんが解説されたとおり行列の人数があまりに多いので、最後尾について順番を待つことは断念しました)
鳥文斎栄之《美人舟遊び》は三枚続きの錦絵。隅田川の向こうに三囲神社(みめぐりじんじゃ)の鳥居が見えます。(注:展示室の解説には「鎌倉の鶴岡八幡宮で、源頼朝を前にして舞う静御前を見立てたもの」と書いてありました)
曾我蕭白《琴棋書画図》(きんきしょがず)は中国の知識人が嗜むべき四つの芸事(琴=音楽、棋=囲碁、書=書道、画=絵画)を描いたもの。ボストン美術館が収集した時は六曲一双の屏風でした。修復にあたり調査したところ、取手の痕跡があるなど、襖絵を屏風に仕立てことがはっきりしたため襖絵に戻しました。修復後、世界初の展示が本展です。なお、この作品には「棋」を描いた部分が収集時から欠けていました。
曾我蕭白の保有点数が世界一多い美術館は、ボストン美術館です。

◎第3章 ことほぎの美術
第3章では幸せを祈る「ラッキー・グッズ」を展示しています。
葛飾北斎《寿字と唐子》は98歳の花井白叟が「壽」の字を書いた上に86歳の北斎が唐子を描いたもので、二人の合作です。
《浅黄繻子地宝船模様掛袱紗》は江戸時代の掛袱紗。掛袱紗は持って行く品物の上に掛けて使ったもので、おめでたい図柄を刺繍しています。《紅綸子地松鶴波亀模様打掛》は結婚式の衣装で、展示室には赤、黒、白の打掛を展示しています。ただし、白の打掛は産着に仕立て直したものです。(注:掛袱紗も打掛も金糸をたっぷり使って刺繍した豪華なものです。幕末・明治の動乱期だったから、このような「お宝」でも売りに出されたのでしょうか)
ヴァージニア・ローデン《水壺》はアメリカ・インディアンの伝統的図柄の土器です。

◎第4章 アメリカ美術に見る幸せ
Ⅰ 幸せを彩った芸術~アメリカン・フォークアートの世界~
第4章は2部構成です。第1部ではアカデミックな芸術が入る前の民衆に密着した芸術を展示しています。
サルヴァトーレ・チェルニリアーロ《メリーゴーラウンドの豚》はメリーゴーラウンドの座席として使われていたもので、豚は幸せの象徴です。
ジョン・F・フランシス《3人の子ども》に描かれた子どもは、ごつい感じがします。

Ⅱ 東西の出会い~心の平安を求めて~
第2部ではボストニアンが収集した東洋美術と収集家が描いた東洋風の作品を展示しています。
西山芳園《白衣観音図》はフェノロサが収集したものです。《山間望月》は収集家のフランシス・ガードナー・カーティスが描いた水墨画で、ジョン・ラファージ《ヒルサイド・スタディ(二本の木)》は歌川広重の影響を受けた油絵です。
《踊るシヴァ像》はアーナンダ・クマロスワミが収集したものです。3階ロビーにシヴァ神の変身セットが置いてあるので、帰りにシヴァ神のポーズで写真撮影することができます。皆さん、いかがですか。
ボストン美術館には、かつて「テンプル・ルーム」という寺院風の展示空間がありました。仏像も、お寺ではローソクの明かりで見ていたということを踏まえ、暗い照明で展示しています。

◎第5章 アートの世界に包まれて~現代における幸せの表現~
第5章では現代美術を展示しています。
ピーター・コフィン《無題》は、作家が子どもの頃に見た広告版をイメージした作品です。彼が見た広告版はカラフルな板を並べた上に、活字で案内を描いたもの。出品作品は、その広告版から文字を取り去ったものです。
第5章にはハートをかたどった、ジム・ダインのポップアートを多数展示しています。ジム・ダインの「ハート」にちなんで、ハート形の紙に名古屋ボストン美術館に対するコメントを書いて通路の壁などに貼るというキャンペーンをしています。9月15日現在で2400枚の「ハート」が集まりました。よろしければ、皆さんもハート形の紙に名古屋ボストン美術館に対するコメントを書いて通路の壁などに貼ってください。

◆自由観覧
吉田さんの解説は午前11時に終了し、各自、自由観覧となりました。
 展示室の入口を覗くと、部屋いっぱいの人が見えます。三連休の中日ですから人が多くて当然ですが、少し心配になりました。と言っても、なんとか作品の鑑賞ができたので安心しました。正午近くになると、昼食のためか人数が少し減り、ゆったりと鑑賞することができるようになりました。
 本展は名古屋ボストン美術館の最終展。「10月8日には閉館を迎えるのか」と、淋しい思いを抱いて美術館を後にしました。
                            Ron.

長谷川利行展 食事会とミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor


名古屋市美術館協力会主催の食事会とミニツアーが開催され碧南市の大濱旬彩大正館(以下「大正館」)と碧南市藤井達吉現代美術館(以下「美術館」)に行ってきました。以下は、そのレポートです。
◆食事会
名鉄碧南駅前の大正館で開催された食事会は正午の開始。早めに大正館に到着した参加者は大広間に案内され、食事会の開始まで涼しく過ごすことができました。参加者は26名。予定通り正午に始まった食事会は、おしゃべりを交えながら前菜のゆでた落花生やメイン・ディッシュのメバルの煮魚などを楽しみ、午後1時過ぎにお開きとなりました。
ミニツアー開始まで、まだ一時間近くあるので、参加者は美術館の近所の見どころを求め二手に分かれて散策。一手が向かったのは清澤満之記念館(きよさわまんしきねんかん)。清澤満之は真宗大学(現大谷大学)初代学長を務めた宗教哲学者。清澤満之が暮らした西方寺(さいほうじ)に併設(観覧料300円)されています。
もう一手は今年7月にオープンしたレストラン・カフェのK庵(九重味淋株式会社内)に向かいました。美術館西の横断歩道を渡り土塀に挟まれた路地を20メートルほど歩くと右に門があります。門の向こうにはお目当てのK庵。中に入ると、残念ながら満員。順番待ちをしないと席につけません。仕方がないのでK庵の隣にある「石川八郎治商店」を覗くと、本みりんや本みりんを使った芋けんぴ等の「本みりん関連商品」を売っていました。本みりん使用のジャムを買った参加者もいました。人気があったのは本みりん使用のソフトクリームとロールケーキ。350円のソフトクリームは本みりんの上品な甘さが素敵でした。

◆長谷川利行展ミニツアー
ミニツアーの参加者は35名と、多め。集合時刻の午後2時少し前に美術館の特任学芸員・北川智昭さん(以下「北川さん」)の案内で美術館の2階ロビーに向かいました。
北川さんは先ず美術館について紹介。美術館は商工会議所の建物を増改築したものであるため、天井高が低い、展示室が狭いなどの制約があるとのことでした。
北川さんは続いて長谷川利行(以下「長谷川」)について解説。概要は以下の通りです。なお、「注」は私の補記。

◎2階ロビーでの説明
長谷川は1891年7月9日に5人兄弟の3男として生まれる。本名は「はせがわ・としゆき」。歌人の出た家柄であり、本人も最初は歌人を目指して上京。1923年9月1日に関東大震災に遭遇。震災の経験を契機に「文字」から「絵」に方向転換した。当初から「専業の絵描き」を目指し「絵で食う」という覚悟だった。長谷川は美術学校で絵を学ぶことはなかったが、作品を二科会に出品。しかし、応援してくれる人は熊谷守一など数人に限られた。父の逝去で仕送りが途絶えたことなどから、ドヤ街暮らしとなる。アトリエを持っていないので、じっくり描くことはできない。そのため、30分以内に描く、その場で描いて絵を完成させる、というスタイルで絵を描き続けた。1940年、49歳で死去。胃癌だった。

◎Ⅰ 上京―1929 日暮里:震災復興の中を歩く
(注:展示室に移動し、主な作品を取り上げたギャラリートークが始まりました)
 長谷川は「あたらしもの好き」で最先端の東京を描いた。当時の最先端は電化。変電所や電線などを描いている。また、《地下鉄道》は当時最先端の地下鉄駅を描いたもの。「カフェ」も最先端の風俗。現在の喫茶店とは違いコーヒーだけでなくお酒も提供し、店によっては女給さんによるサービスもあった。最盛期には東京に1000軒ほどのカフェがあったという。《カフェ・パウリスタ》は「開運 なんでも鑑定団」で鑑定された作品。30分ほどで描いたと思われるが、エプロン姿の女給さんを活き活きと描いている。
長谷川は国産品ではなく、フランス製の絵の具を愛用していた。《汽罐車庫》はカドミウム・レッドというフランス製の絵の具をたっぷりと使った大作。《靉光像》に描かれた画家・靉光は長谷川を画家の先輩として尊敬していた。こうして見ると長谷川は似顔絵の才能が高いと思う。追加出品の《子供》は元「安藤組の組長」で映画俳優の安藤昇がモデル。安藤が子供の時に長谷川利行が絵を描いたということが確認されている。

◎Ⅱ 1930-1935 山谷・浅草:街がアトリエになる(その1)
長谷川の生き方を見ていると「お金がなかったからドヤ街を転々とした」というよりも、「都会のなかで異邦人、自由人として暮らす」という生き方をしたのだと思う。
第2章の絵からは「線」が出てくる。《女》は二科展の出品作。長谷川利行展の出品作品のなかで大きいサイズの絵は展覧会の出品作品。
長谷川は戸籍上「はせがわ・としゆき」だが、絵のサインは「TOSHIUKI HASEKAWA」と書いており、仲間内では「ハセガワ・リコウ」と呼ばれていた。
《熊谷守一像》はお世話になった熊谷守一を描いたものだが、あまり尊敬の念が感じられないように思う。熊谷守一の次女の熊谷榧(くまがい・かや)さんから「あるとき、長谷川利行が着物を濡らして熊谷の家を訪ねてきたので代わりの着物を貸してやったところ、いつまでたっても返しに来なかった。」というお話を聞いた。
《水泳場》は、震災復興の象徴で飛び込み台付きのプールを描いたもの。この絵に飛び込み台は描かれていないが、画面右に頭を下にして斜めに空中を飛んでいる人が描かれているので、飛び込み台の存在が分かる。
《カフェ・オリエント》は第1章の《カフェ・パウリスタ》とは作風が変わり、白いバックに色鮮やかな線で描いた作品。これ以降、長谷川の作品は明るいものになる。

◎Ⅱ 1930-1935 山谷・浅草:街がアトリエになる(その2)
(注:まだ美術館の2階ですが、ここから展示室が変わります)
写真は天城画廊で撮ったもの。天城画廊では2年間に何回も長谷川の個展を開催して多くの絵を売った。長谷川と画商の天城俊彦が一緒に写っており、壁に掛けられている絵は《浅草の女》。《花》《百合の花》は、花が活き活きしている。長谷川利行の描く花は一点一点違う。「一期一会」で描いているので、同じ絵は二度と描けないのだろう。(注:この部屋に展示されている《大根の花》の説明版に「名古屋市美術館蔵」と記されていました)

◎Ⅲ 1936-死 新宿・三河島:美はどん底から生じる(その1)
ガラスケースの中にヌードをまとめて展示。長谷川は会話をしながら絵を描いたのではないかと思う。真ん中の《青布の裸婦》をはじめ、どのヌードもモデルがリラックスしており、素直に描いている。《足を組む裸婦》は賛否が分かれる問題作。左脚を膝から曲げて右脚の上で組んでいる姿だが、右脚が体の真ん中から突き出ているように見える「解剖学的にありえない」作品。「解剖学的な正しさ」にとらわれずに見た印象を表現しようとしたので、こうなったと思う。《三河島風景》は「その場で描いた」というより「記憶に残っている所を描いた」のではないかと思う。

◎Ⅲ 1936-死 新宿・三河島:美はどん底から生じる(その2)
(注:美術館1階北側の小部屋におけるギャラリートークです)
 この部屋には「かわいい絵」を集めた。入口を入って直ぐのところに展示の《ノアノアの少女》《ノアノアの少女図》《モナミの少女》は、いずれもカフェの女性を描いたもの。(注:ノアノア ”noa noa” はタヒチ語で「芳しい香り」。モナミ ”mon ami” はフランス語で「私の友達、私の恋人」)《ノアノアの少女》は異様に首が長いが、違和感はない。《ノアノアの少女》と反対側の壁に展示の《トルソーの女》は表情をうまくとらえている。
 長谷川の描く女性像は可愛くて魅力的だが、男性像は魅力的でない感じがする。(注:《天城俊彦像》は確かに顔が四角くて少し異様な感じがする絵ですが、2階に展示されていた写真と見比べると特徴をよく捉えていると思います。)

◎Ⅲ 1936-死 新宿・三河島:美はどん底から生じる(その3)
(注:最後の展示室、美術館1階南側の部屋におけるギャラリートークです)
 部屋の奥の壁に展示している《白い画面の人物》は2018年3月に発見された作品。一見、未完成のように見えるがサインがあるので完成作だと思われる。二科会に出品記録のある最後の作品ではないか。《白い画面の人物》は、とりあえず付けた無難なタイトル。二科会に出品した《道化師》ではないかという意見もある。これから調べるところであり、タイトルが変わる可能性がある。宗教画のような雰囲気を持っている。《男の顔(自画像)》は数少ない自画像の一つ。この部屋はお墓のような感じがする。
 長谷川は現在、注目されている作家。《白い画面の人物》のように、新しく発見される作品がこれからも出てくると思われる。

◎北川さんによる「締め」の挨拶
私のギャラリートークはこれで終わりです。引き続き長谷川利行展をご覧ください。
また、美術館の西には大谷大学の初代学長を務めた宗教哲学者を紹介する清澤満之記念館(きよさわまんしきねんかん)と今年7月にオープンしたレストラン・カフェがあります。よろしければ、美術館の帰りにお立ち寄りください。

◆自由観覧
ギャラリートークの終了は午後2時35分頃。その後は自由観覧となりました。
 北川さんのギャラリートークでは触れていませんが、最後の部屋に展示されていた数点のガラス絵は小さなサイズでヒビの入ったものもありますが、発色が鮮やかで魅力的な作品でした。
                            Ron.

解説してくださった北川智昭学芸員、ありがとうございました

解説してくださった北川智昭学芸員、ありがとうございました

豊田市美術館『ブリューゲル』展ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

 7月14日土曜日、前の週から続くうだるような暑さのなか、11名の会員が集まり豊田市美術館『ブリューゲル』展ミニツアーが開催されました。集まった人数は少なかったのですが、ブリューゲル展の担当学芸員の北谷正雄さんの「暑いですね、よくぞたどり着かれました」の一言から解説が始まりました。
 この展覧会は、まずはピーテル・ブリューゲルさんから家系が始まり、その子であるピーテル2世、ヤン1世に引き継がれ、そのまた子たち(ピーテル3世やヤン2世ら)につながっていくという画家一族及びその工房のブリューゲル一族の画業を紹介してくださっています。そしてその多くの作品をテーマごとに分けて展示し、その特色について分りやすく解説してくださっています。
 ブリューゲル一族の風景画は、一見フランドル地方の一風景を写生しているように見えますが、実は身の回りの自然をそのまま描いているだけでなく、現実にはそこにはありえない山や川、崖や森などを併せて描いたりして、世界中の風景をちりばめた、いわば世界風景の絵に仕上げているそうです。それは一種の理想的な風景とも言えるのですが、宗教的な要素から逸脱出来ない、宗教画としての役割もあるとのこと。宗教的に良く耕された心の持ち主(つまり、信仰心のある者)には、絵の表す教えが浸透していくといったような側面もあったようです。
 冬の風景画はフランドルでは人気が高かったようです。凍った川の上でスケートやゲームをして遊ぶ子どもたちや民衆を描いたりしたものなど、楽しげな様子が描かれていますが、じつはそんなポジティブな要素だけでなく、いったん氷が割れてしまえば冷たい川のなかに人々が落ちて沈んでしまうといった不安や暗い影が絵には含まれているということです。つまり幸せな営みのなかにも、いつ不幸な災難が訪れるかは分らず、その不幸の訪れを危惧するような要素が含まれているともとれるそうです。
 旅の風景は、当時世界的にも商業が盛んになり、交易などによって富がもたらされることにより描かれるようになったようです。
 寓意画は、16世紀17世紀に古典を復興させようという動きが強まり、愛とか勇気といった抽象的観念を表すものとして描かれるようになったようです。
 その他静物画や昆虫の絵も人気があったようです。そして、よく知られている農民の風景も多く描かれていて、現代を生きている私たちに当時の民衆の生活の様子を伝えてくれています。
 暑い中、私たちにお話してくださった担当の北谷正雄学芸員に感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。
名古屋市美術館協力会

ボストン美術館の至宝展 ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

名古屋市美術館協力会主催のミニツアーで、名古屋ボストン美術館で開催中の「ボストン美術館の至宝展」(以下「本展」)に行ってきました。参加者は19名。午前9時45分に1階壁画前に集合。10時から5階・レクチャールームで山口由香学芸員の解説を聴いた後は自由観覧となりました。以下は、解説等の要約筆記です。(「注」は、私の補記)

◆山口学芸員の解説要旨
ボストン美術館として本展で伝えたいことは、英語の展覧会名 ”GREAT COLLECTORS : MASTERPIECES FROM THE MUSEUM OF FINE ARTS” が、はっきり示している。つまり、「Great collectors=偉大なる収集家のことを伝えたい」というのが、本展の狙い。

◎コレクション=collection とは
 コレクションとは「公的あるいは私的に収集する」こと。ただし、Amazonの倉庫にある商品は「コレクション」ではない。営利活動・経済活動によるものはコレクションから除かれる。コレクションとは単に「集めた」だけではなく人目にさらされることを前提としている。
「古代のコレクション」は、絶対的な権力者の愛玩品。権力を見せるためのもの。
「14世紀から19世紀以前までのコレクション」になると、美術品の収集が一般化され、君主や教会だけでなく一部の富豪もコレクションを持つようになる。
「19世紀以降のコレクション」になって、公共の美術館やギャラリーによる公共コレクションが始まる。

◎どうやってコレクションを増やすのか
コレクションンを充実させるには「購入」「寄贈」「寄付」という3つの方法がある。なお、「寄贈」「寄付」の違いであるが、「寄贈」は作品そのものを、まるっと美術館に渡すこと。「寄付」は、作品購入やコレクション拡大のための資金を美術館に渡すこと。
ボストン美術館は、公の機関から資金の援助を一切受けずに作品を収集してきた。そして、展示室内でスポンサーを招いたパーティを開催するなど、コレクターを大切にしている。
(注:つまり、ボストン美術館は、個人の寄贈や寄付によってコレクションを充実してきた。そして、ボストン美術館に「寄贈」「寄付」してくれた「偉大なコレクター」を称えるのが本展の趣旨、ということですね。なお、貴族制度のないアメリカでは、美術館に寄贈・寄付することは、市民から尊敬されるための重要な要素です。)

◎ボストン美術館には8つの部門がある
注:文字数が多すぎて、レクチャールームでは部門の名前をメモできませんでした。ネットで調べたところ、「古代」「ヨーロッパ」「アジア・オセアニア・アフリカ」「アメリカ」「現代」「版画・素描・写真」「「染織・衣装」「楽器」の8部門とのことです。

◎古代エジプト美術のコレクター・見どころ
ボストン美術館の古代エジプト美術は、カイロ美術館を除けば、世界最大のコレクション。「いつ・どこで・誰が」発掘したのかハッキリしており、コレクションの質が高い。
コレクターは、「ハーバード大学=ボストン美術館共同発掘隊」。盗掘から美術品を守るため、正規の発掘調査隊に対しては発掘品の半分を持ち帰ることが許可されていた。発掘は、1905年から40年間続き、現スーダン北部の「ヌビア」の発掘も実施。本展では、エジプトとヌビアの美術品を展示。
古代エジプト美術のイチオシは、《高官マアケルウの偽扉(ぎひ)》。実際に開けることが出来ない扉なので「偽扉(ぎひ)」と呼び、古代エジプト人の死生観を示す美術品。
古代エジプト人は、人間には5要素があると考えていた。それは、①イブ(肉体)、②シュート(影)、③レン(名前)、④バー(魂)、⑤カー(精神・生命力)の5つ。バーは夜ごと肉体から出入りする。カーは死後も不滅だが、カーを維持するためにはお供え物が必要。
偽扉は死後に出入りするための扉。偽扉にはカーの糧として、お供え物が描かれた。

◎中国美術のコレクター・見どころ
本展では、「宋」(注:北宋と南宋)を中心に、960~1300年の美術品を展示。
ボストン美術館では、日本美術に比べると中国美術の目覚めは遅く、周季常《施材貧者図(五百羅漢図のうち)》がコレクションの始め。
1894年にボストン美術館で展覧会が開催され、京都・大徳寺所蔵の五百羅漢図百幅のうち、44幅が展示された。当時、大徳寺は再建のために資金を必要としており、展示品の一部を売却。ボストン美術館が5幅、デルマン・ウォルト・ロスが5幅、その他の収集家が2幅購入。その後、デルマン・ウォルト・ロスが5幅をボストン美術館に寄贈したため、ボストン美術館の所蔵は10幅となり、うち2幅を本展で展示している。

◎日本美術のコレクター・見どころ
日本美術のコレクターといえば、フェノロサが有名。彼は「お雇い外国人」として来日。現在の東京大学で政治経済学を教える傍ら、日本各地を旅行して1000点以上の絵画からなるコレクションを集めた。外に、ビギローは工芸品を5500点、モースは陶器のコレクションを集めた。フェノロサは1896年にボストン美術館の日本美術部・初代部長に就任している。
本展の見どころは、英一蝶《涅槃図》。高さ286.8㎝、横168.5㎝の大作だが、これは絵の部分だけのサイズ。お軸・ケースを入れるともっと大きくなる。この作品は、170年ぶりに本格的な解体修理を受けて展示された。修理期間は1年以上かかった。1911年から現在に至るまで、展示は1回だけ。展示回数が少ない理由は「大きすぎて展示ケースが無い」こと。本展終了後にボストン美術館に戻るが、大きすぎて展示スペースがないのが悩み。なお、ボストン美術館のホームページで修理の様子を見ることが出来る。

◎フランス絵画のコレクター・見どころ
フランス絵画の有力コレクターは、ジョン・テイラー・スポルディング。彼の浮世絵コレクションは有名だが、収蔵された作品を見ることはできない。
スポルディングは、ドガ《腕を組んだバレエの踊り子》からヨーロッパ美術の収集を始めた。セザンヌの熱心なファンで、《卓上の果物と水差し》は彼のお気に入りだった。
晩年のスポルディングは、資産を売り払ってリッツ・カールトン・ホテルに5年間住んでいた。典型的な「お金持ち」で、ボストン市民のあこがれだった。
ロバート・トリート・ペイン2世は、量より質を重視したコレクター。《郵便配達人ジョセフ・ルーラン》(1888)は、ボストン美術館が収蔵した最初のゴッホ作品。ゴッホは同じモチーフの作品を何枚も描いているが、ボストン美術館が収蔵しているのは最初に描いたもの。本展では、郵便配達人の夫人を描いた《子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人》(1889)も展示。ゴッホは何枚も夫人の絵を描いているが、ボストン美術館が収蔵しているのは最後に描いたもの。
ルーラン夫妻は、南フランスのアルルに移住後のつらい時期のゴッホを支えた人物。ゴッホは、夫妻の家族の肖像も20種類以上残している。なお、本展展示の夫の肖像を描いた時期と妻の肖像を描いた時期の間に、有名な「耳切り事件」が起きている。

◎アメリカ絵画のコレクター・見どころ
 アメリカ絵画の有力コレクターは、マーサ・コッドマン・カロリック(1858-1948)&マキシム・カロリック(1893-1964)夫妻。マーサはボストンの大富豪の娘。夫のマキシムはモルドバ共和国に生まれ、ロシア・アメリカで活動したテノール歌手。妻70歳・夫34歳の時に結婚。夫は、妻の死後も30年間にわたってアメリカ絵画をコレクション。
 ボストン美術館への寄贈は3期に分かれ、第1期は1935年で18世紀アメリカ美術、第2期は1945年で19世紀アメリカ美術、第3期が1962年で19世紀アメリカの水彩画・素描。いずれも、ボストン美術館の学芸員と相談して、計画的に収集したもの。
 本展に展示の肖像画、コプリ《ジョン・エイモリ―夫人》(1763)と《ジョン・エイモリ―》(1768)は、マーサの先祖を描いた作品。コプリは、アメリカ独立前のアメリカ出身画家として、初めて世界的な評価を得た。

◎版画・写真のコレクターと見どころ
版画・写真の有力コレクターは、ウィリアム・レーン(1914-1995)&ソンドラ・ベイカー・レーン(1938-  )夫妻。1990年に、ウィリアム・H・レーン財団を設立し、夫・ウィリアムが亡くなった後に2回、ボストン美術館にコレクションを寄贈している。
見どころは、画家・写真家のチャールズ・シーラーの作品。レーン夫人が2500点以上の写真を購入してボストン美術館に寄贈。本展では絵画《ニューイングランドに不釣り合いなもの》(1953)と写真《白い納屋、壁、ペンシルベニア州バックス郡》(1915頃)を展示。

◎現代美術は1971年にできた新しい部門
現代美術部門は1995年以降の作品なら何でも収集。スライドは「村上隆展」の光景。スライドの人物は上司の吉田俊英・名古屋ボストン美術館特別顧問(注:前豊田市美術館長)。
見どころは、ケヒンデ・ワイリー《ジョン・初代バイロン男爵》(2013)。ウィリアム・ドブソン《ジョン・初代バイロン男爵》をもとに描いた作品。ドブソンの絵には従僕の黒人少年が描かれているが、ワイリーは黒人を主人公に置き換えて描いた。
ワイリーは「オバマ大統領を描いた肖像画が2018年2月12日にスミソニアン博物館・国立肖像画美術館でお披露目された。」ことで、アメリカで話題に。ボストン美術館では、話題提供のために、ワイリーの《ジョン・初代バイロン男爵》を現代美術部門で展示しようとしたが、現物は名古屋ボストン美術館で展示されていたため本家・ボストン美術館では展示できず、現地ではとても残念がっていた。

◆自由観覧
山口学芸員から「本展では自分の好みを探り、好きな作品をひとつ、好きな分野をひとつ見つけてください。また、7月24日(火)から10月8日(祝)までのハピネス展もよろしく。」という言葉を受け、各自、自由に観覧しました。

◎「モネ それからの100年」に関連する作品も
 フランス絵画では、モネの作品を4点展示しています。この4点を市美の「モネ それからの100年」(以下、「モネ展」)と強引に関連付けるとすれば、どうなるでしょうか。
先ず、エドワース家から寄贈された2点ですが、名古屋初お目見えでヒナゲシの赤が鮮やかな《くぼ地のヒナゲシ畑、ジヴェルニー近郊》(1885)は、モネ展の《ジヴェルニーの草原》(1890)と似たモチーフではないでしょうか。また、海とヨット、城、遠くの山脈と広い空を描いた《アンティーブ、午後の効果》(1888)は、「海岸の風景」という点でエトルタ海岸を描いた《アヴァルの門》(1886)と無理やり関連付けてみましょう。
 次に、サミュエル・デッカー・ブッシュ寄贈の《ルーアン大聖堂、正面》(1894)は、「積みわらの連作」と「ロンドンの連作」とに挟まれた連作のうちの1点と、位置付けることが出来ます。
 最後に、エドワード・ジャクソン・ホームズ寄贈の《睡蓮》(1905)は、1909年にパリで開催された睡蓮の展覧会後に購入された作品です。モネ展の《睡蓮》(1906)と制作年が近く、ギャラリートークで保崎学芸係長が解説してくれた名古屋市美術館2階、第4章の「睡蓮の部屋」に展示されていてもおかしくない作品です。
 以上のように、ほぼ同時期開催の2つの展覧会でモネの作品を見比べることが出来るという機会は、なかなかありません。今回は、またとないチャンスです。
 また、モネ展と直接の関係はありませんが、《グレーの上のカラー・リリー》と《赤い木、黄色い空》を本展で展示している画家のジョージア・オキーフ(1887-1986)は、モネ展で写真を展示している画商・写真家のアルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)と1924年に結婚しています。
                            Ron.

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ 石切り場 前室にて 音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち