名古屋市美術館協力会  H30春の美術館見学ツアー 京都

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

泉屋博古館にて

泉屋博古館にて


 平成30年度春の美術館見学ツアー(日帰り)の目的地は京都。見学する展覧会は京都文化博物館「オットー・ネーベル展」、京都国立近代美術館「横山大観展」と泉屋博古館(せんおくはくこかん)「絵描きの筆ぐせ、腕くらべ」です。
開催日の6月24日(日)、明け方は小雨が残ったものの集合時間の午前7時40分に雨はなし。天気予報は幸先よく「晴」。集合場所の名古屋駅噴水前は、バスツアーの客でごった返していました。ツアー参加者は47名、ほぼ予定通りの時刻に全員集合。バスも予定通り午前8時に京都市を目指して出発しました。
◆往路のバス:交通渋滞もなく、予定の30分前に京都文化博物館へ到着
 大阪府北部地震の影響か車の流れはスムースで休憩の土山SAは予定の10分前、午前9時20分に出発できました。運転手さんには更に「予定時刻の30分前に目的地へ到着せよ」という指令が出て、バスは新名神高速道路から草津JCTを経て名神高速道路を快走。
京都東ICから一般道に入り、京都市山科区御陵(みささぎ)の御廟野古墳(ごびょうのこふん:「山科陵(やましなのみささぎ)」=天智天皇の陵とされている)を右に見た後、東山の山間(やまあい)を抜けて京都市東山区粟田口華頂町の京都市蹴上(けあげ)浄水場(ツツジが有名)を左に見て三条通から御池通に入り、バスは停車。バスガイドさんから「京都文化博物館は平安建都1200年記念事業として京都府が建設、1988年(昭和63年)に開館した博物館」という説明がありました。前方には「京都文化博物館(The Museum of Kyoto)」の案内板。バスは入れないので、ここから先は「歩き」です。高倉通を南に下り京都文化博物館に到着したのは指令通り予定の30分前、午前10時30分でした。
オットーネーベル展(京都文化博物館)

オットーネーベル展(京都文化博物館)


◆京都文化博物館:「色彩の画家 ― オットー・ネーベル展」など
◎展覧会の解説
先ず、日本銀行京都支店だった別館(国の重要文化財)2階に移動。暗い階段を昇り、日本銀行時代に営業部だった1階が窓越しに見える部屋で、うえだ学芸員の解説を聴きました。
 解説によれば、オットー・ネーベルという作家はヨーロッパでも2012年にベルン美術館で回顧展が開かれるまでは知られておらず、地元スイス・ベルンでも俳優として知られていたとのことです。オットー・ネーベルは1892年生まれの1973年死去で、ピカソ(1881-1973)より10歳ほど年下。ドイツ・ベルリン生まれですが、抽象画家に対するナチス・ドイツの弾圧を逃れるため1933年に家族でスイスへ亡命し、スイス・ベルンで死去。
 ドイツ・ワイマールのバウ・ハウスでパウル・クレー、ワシリー・カンディンスキーと知り合い親しく交わったほか、直接的な交流はないが「シュトゥルム」という雑誌を経営するヘルヴェルト・ヴァルデンを通じてマルク・シャガールの影響を受けたとのことです。
 また、展覧会のメイン・ビジュアル《ナポリ》と《ポンペイ》(いずれも「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)1931」を題材に「どちらの作品も、スケッチ・ブックのサイズで、風景から受けたイメージを再構成したもの。《ポンペイ》の下の部分は火山灰を表現。その上の赤と黒は壁画。印刷物では分かりにくいが、実物を見ると絵の具を細かく塗り重ねているのが分かる。」という作品解説がありました。
◎京都文化博物館開館30周年記念 オットー・ネーベル展
 オットー・ネーベル展は、本館の3階と4階。4階が入口で、3階に下りるという順路。英語のタイトル“OTTO NEBEL AND HIS CONTEMPORARIES – CHAGALL, KANDINSKY, KLEE” が示すように、シャガール、カンディンスキー、クレーの作品も展示されているほか、バウ・ハウスや雑誌「シュトルム」に関連する作品、資料、工業製品の展示もありました。
 「シャガールの影響を受けた」という解説のとおり、オットー・ネーベルの初期の作品は「シャガール風」の絵でした。また、「クレーは線描の人、ネーベルは絵の具を塗り重ねる人」という解説もあり、二人の作品を比べると「そうかな」と、納得しました。ネーベルは奥さんが音楽家だったためか、カンディンスキーの抽象画との相性がいいように思いました。リノカット(リノリウム版画)による作品も面白いと思いました。
◎桂離宮のモダニズム ― 高知県立美術館所蔵石元泰博写真作品から
 協力会員の松本さんからの情報で、2階総合展示室で開催中の写真展も急ぎ足で見てきました。作品リストの解説によると石元泰博は「シカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(通称ニューバウハウス)で写真を学ぶ。桂離宮のモダニズムを写真により見出した作品で高い評価を受け」とあります。三脚とカメラ(リンホフ テヒニカ 4×5)とシャッター付きレンズ(字が小さく、レンズ名・焦点距離・F値は不明)の展示もありました。三脚付き蛇腹カメラで水平垂直を出し、絞り込んで細部までピントの合ったモンドリアンの作品のような桂離宮の姿を切り取った写真が鑑賞できたので、2階まで足を伸ばした甲斐があったというものです。
昼食は賑やかに、六盛にて

昼食は賑やかに、六盛にて


◆昼食:岡崎 六盛(ろくせい) 手をけ弁当
 昼食は、琵琶湖疏水(びわこそすい)に面した料亭「六盛」。六盛のHPには「六盛の名は学区制が敷かれた明治25年以後、錦林(きんりん)学区の六地域(岡崎・吉田・聖護院・東山・浄土寺・川東)の繁栄を願って、学校運営の審議を担当する学区議員の組織「六盛會」に由来します。六盛の先代はこの頃から事務所に出入りし、明治32年に創業」とあり、錦林小学校のHPには「明治2年8月21日 上京第32番組小学校として校舎新築開校。明治5年5月上京第32区小学校と改称。明治8年1月 上京第32区錦織小学校と改称。明治20年7月錦織尋常小学校と改称。明治26年3月 錦林尋常高等小学校と改称(錦織校、吉田校、浄土寺校、鹿ケ谷校の4校が合併)」とありました。なお、「番組」は住民自治組織で、明治時代初期の京都の小学校は「番組」が設立・運営していたのです。
 無駄話はさておき、行きのバスがあまりにも順調に運行したことから「横山大観展」の事前解説がほんの僅かになってしまったので、昼食時にも保崎係長から解説がありました。保崎係長は「鑑賞のポイントとなる年」として、①1898年(明治31年)=岡倉天心が東京美術学校を追放され、日本美術院を設立して絵画の革新を始めた年、②1907年(明治40年)=第一回文展が開催された年。茨城県・五浦海岸(いづらかいがん)に移転した日本美術院で研鑽を積んでいた横山大観・下村観山・菱田春草・木村武山の4人が、再び表舞台で脚光を浴びるきっかけになった。③1914年((大正3年)=前年9月に岡倉天心が没したため、その遺志を引き継ぐため日本美術院を再興した年を挙げ「見たい作品」として《夜桜》《紅葉(もみじ)》《南溟(なんめい)の夜》などを挙げていました。
(その2へつづく)

名古屋市美術館協力会  H30春の美術館見学ツアー京都 その2

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◆京都国立近代美術館:「横山大観展」など

ただいま工事中!京都市美術館

ただいま工事中!京都市美術館


◎京都国立近代美術館までの道中
 六盛を出て、岡崎公園をぶらぶら歩いていると大勢の観光客がいます。大阪府北部地震の影響は大分薄れたような感じですね。梅雨の合間の晴で強い光線が降り注ぐため、日傘や帽子が無いと頭や腕がヒリヒリします。建物の中のカフェやレストランは休憩する人で一杯。大鳥居が見えるところまで来ると、リニューアル工事中の京都市美術館が姿を現しました。2020年3月末竣工予定。あと一年半ほど休館が続きます。
生誕150年横山大観展(京都国立近代美術館)

生誕150年横山大観展(京都国立近代美術館)


◎生誕150年 横山大観展
横山大観展の会場は4階。展示室内は混んでいましたが、日曜日なので想定内。鑑賞には支障がない程度の込み具合なので安心しました。展示は「明治」「大正」「昭和」の3章で構成。「明治」の解説には「朦朧体の理論付けや改良はもっぱら春草。大観はあふれる好奇心と人の成果を自分流にアレンジしてしまう才能」と書いてあり、ほめているのかどうか良く分かりませんが、大観はアイデアとパフォーマンスの人だと理解しました。また、《白衣観音》の解説も「足を組んですわる姿勢にデッサン不得手を示す。皺法も岩場の立体感につながっていない。」とけなしています。確かに、左足を上げていれば太極拳の「独立歩(ドウリーブー)」=片足立ちの姿勢です。「へた」かもしれませんが不思議な魅力のある作品です。《朝顔日記》などの「美人画」も美人に見えないので思わず笑ってしまいました。《カンヂスの水》のピンク色の空、ハレー彗星を描いた《彗星》など、好奇心旺盛・アイデアの人だと思いました。
「大正」では何といっても《生々流転》。絵巻を見るために25人ほどの行列が出来ていました。「昭和」は戦前・戦中・戦後の作品。戦前の《夜桜》《紅葉》は絢爛豪華。戦中の「海に因む十題」・「山に因む十題」には「売り上げ50万円が陸海軍に献納。軍用機「大観号」4機になった」という解説。《南溟の海》には「南陽は前線をしのぶ主題に読み替えられた」との解説がありました。《南溟の海》はヤシ・森・星・波を描いているだけですが、南方で散った将兵に思いを馳せた「戦争画」だったのですね。不思議なのは藤田嗣治と違って横山大観の戦争責任が問われなかったことです。富士山や日輪、海ばかりを描いていたためなのか、大観の戦争責任を問い質したら他の画家全ての責任も問われるからなのか、藤田嗣治はスケープゴートだったのか等、様々な思いが湧いてきました。戦後の《霊峰富士》は「いかにも年賀状」という作品。「平和な日本」が感じられます。
◎コレクション・ギャラリー(常設展)
3階の常設展示室には、「A 横山大観と日本美術院の画家達」「B ふたりの巨匠、ピカソとマティスを中心に」「C 近代日本の工業」「D 河井寛次郎作品選」「E 近代洋画に見る動物たち」「F 特集展示:W.ユージン・スミスの写真」が開催されていました。
午前中にオットー・ネーベル展を見た後だったため、「B」のマティス《ジャズ》シリーズ(1947)が目を惹きました。ピカソでは《花飾りをつけた裸婦》(1930)。輪郭を描いただけなのに立体感があり「さすがに、うまいな」と思いました。「F」には水俣シリーズだけでなく、第二次大戦の写真やカントリー・ドクターも展示され、見ごたえがありました。
◎周辺の散策など
集合時間の午後3時40分までは余裕があったのですが、京都国立近代美術館の中はどこも人、人、人。トイレも満員なので、隣の京都府立図書館で用を済ませ、ぶらり散歩。
大鳥居をくぐり、疏水を渡って北に歩くと左手に工事中の京都市美術館、しばらく行くと京都市動物園が見えてきます。疏水の突き当りには琵琶湖疏水記念館。入館したら集合時刻に間に合わないので、あきらめて道路を渡り引き返すと「無鄰菴」の看板。路地を入ると左手に小さな門。どうやら、ここが入口のようですがパス。右を見ると「瓢亭」とあります。谷崎潤一郎「細雪」に「土曜日の午後から出かけて、南禅寺の瓢亭(ひょうてい)で早めに夜食をしたため……」と書かれた、あの料亭ですね。瓢亭の周りをぐるっと回って大鳥居まで引き返すと、集合時刻間際でした。
大鳥居のあたりでバスを待っていると、道路の向こうに停車。急いで乗り込みました。
絵描きの筆ぐせ、腕くらべ(泉屋博古館)

絵描きの筆ぐせ、腕くらべ(泉屋博古館)


◆泉屋博古館(せんおくはくこかん):企画展「絵描きの筆ぐせ、腕くらべ」
 バスは泉屋博古館付近の天王町交差点に差し掛かりましたが、泉屋博古館には向かわず左折して白川通を北上し、銀閣寺道を右折。銀閣寺に向かうと思いきや、その手前で右折して鹿ケ谷通を南下。住友友芳園の門を通り過ぎて、泉屋博古館の駐車場で停車。
 玄関ロビーに集まってから渡り廊下を歩いて講堂に入り、午後4時10分から、かねかた学芸課長のレクチャーを受講しました。
 レクチャーによれば「泉屋博古館は住友家のコレクションを収蔵した美術館。場所は住友家の京都別邸の一角。住友家の古代青銅器のコレクションは中国国外では世界随一のもの。博古館という名は、宋代の徽宗皇帝が編纂した図録「博古図録」に因む。泉屋は、住友家の屋号「泉屋(いずみや)」に因むが、中国風に「せんおく」と読んだもの。企画展のテーマは近代日本画で、住居のある大阪、分店のある京都、東京の画家の作品を展示している。展示は4章で構成。第1章は幕末・明治の絵画。菊池容斎《桜図》は幕臣の子どもで、狩野派や沈南蘋(しん・なんぴん)の写実画を融合した作風。第2章は大阪画壇。村田香谷(むらた こうこく)は文人画の大家。第3章は京都画壇。富岡鉄斎は南画の大家。第4章は東京画壇。東山魁夷は筆ぐせを見せないのが癖」とのことでした。
 企画展示室は講堂の隣。大阪画壇の上島鳳山《六月 青簾(十二ケ月美人)より》は「如何にも美人画」で横山大観の美人画とは別物でした。京都画壇の富岡鉄斎には、うまい・へたを超越した迫力を感じ、ターナー風の竹内栖鳳《禁城松翠》は「うまい絵」でした。東京画壇の小林古径《人形》は、フランス人形を描いたものでチラシには「法隆寺壁画の線描と琳派を再生!」という説明があり、尾竹国観《黄石公張良之図》もレベルの高い絵でした。
 帰りのバスで保崎係長が「泉屋博古館を横山大観展のあとにして正解だった」と、ツアーの感想を語っていましたが、「正に、そのとおり」と参加者一同納得。
 企画展の後、青銅器も見たのですが、時間がなく駆け足になったのは残念でしたね。
◆復路:交通渋滞に遭遇するも、30分の遅れで到着
 帰り道は天王町交差点を左折して南下、左に真々庵(パナソニック所有・非公開)右に京都市動物園の裏門、琵琶湖疏水記念館の裏門を見ながら走り、東山の山間を抜けて京都東ICから阪神高速道路に入りました。帰りの渋滞を心配していたところ「阪神高速道で通行止」という表示。新名神高速道路に経路変更する車が増えることが予想されましたが「成り行きに任せる」覚悟で前進。土山SAまでは予定通りの走行でしたが、SAを出てしばらくすると渋滞に遭遇。30分ほどノロノロ運転が続きましたが、軽めの夕食として「いなり寿司」が配られ、誰のお腹も空いていないので焦る人はいません。名古屋駅(太閤通口)に到着し、参加者が解散した時は午後8時前。予定から30分足らずの遅れで済みました。
運転手さん、ガイドさん、旅行担当の松本さん、ありがとうございました。最後に、参加された皆さま、お疲れさまでした。
◆蛇足
 名古屋駅に到着した時、ガイドさんが「まだ、西郷(せご)どんに間に合います。」と言っていましたが、家に帰って調べたら西郷隆盛と愛加那の間に生まれた長男・西郷菊次郎は第2代目京都市長として、疏水による発電・上下水道・市電の3大事業を推進した人物だったとか。ツアーの最後でも京都との縁があったようです。             Ron.

南禅寺界隈別荘群について(2018年春のツアー関連)

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

 2018年春のツアーで最後に鑑賞する泉屋博古館(せんおくはくこかん)ですが、道路を隔てた東側に「住友有芳園」という大きな庭園があります。ネットで調べてみると住友家15代目・住友友純(ともいと)別邸として大正9年に完成した施設だと分かりました。現在も住友家の所有ですが非公開のため、普通は道路から立派な門構えを見ることしかできないようです。
「それでも」と思って探したら、「京都 東山 住友有芳園の特別鑑賞会」というブログが見つかりましたので、ご紹介します。(urlは下記の通り)

https://blog.goo.ne.jp/taizowind/e/d8fdb434070b5e831e08f39f7a24f9e0

こんなことを書いたのは、2015年1月2日にNHK・Eテレで「京都・南禅寺界隈別荘群」という番組が放映され、見入った覚えがあるからです。
「住友有芳園」については記憶がないのですが、對龍山荘(たいりゅうさんそう:現在はニトリ所有・非公開)、真々庵(しんしんあん:現在はパナソニック所有・非公開)、無鄰菴(むりんあん:現在は京都市所有・入場料410円、小学生未満は無料)などが紹介されていました。いずれの庭園も琵琶湖疎水を引き込んだ流れと池を配し、東山を借景にした回遊式庭園で、建物は上質の数寄屋造。手入れする庭師の人数・働きぶりを見て「うっとりするくらい素晴らしいけれど、パナソニックぐらいの経済力が無いと維持できないお庭なんだ」と、びっくりした覚えがあります。
2018年4月28日にはNHK総合テレビ「ブラタモリ 京都・東山」で對龍山荘が紹介されたようですが、残念ながら見逃しました。

南禅寺界隈別荘群の歴史や周辺地図については、ネット上に「第286 回京都市考古資料館文化財講座 2017年6月24日 連続講座「京の庭園を掘る!」第6回 植治の庭 −近代の庭園− (公財)京都市埋蔵文化財研究所 田中利津子」という記事がありましたので、ご紹介します。(urlは下記の通り)

http://www.kyoto-arc.or.jp/news/s-kouza/kouza286.pdf

 上記の記事では、京都大学「清風荘」に多くのページを割いています。この「清風荘」は、なんと住友友純の実兄である西園寺公望(さいおんじ・きんもち)の別邸で、昭和19年に住友家から京都大学へ寄贈されたもの。「清風荘」の所在地は京都市左京区田中関田町で、南禅寺とは離れていますが南禅寺界隈別荘群の中に含まれているようです。
Ron.

2017年 秋のツアー北陸

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor
富山県立美術館にて

富山県立美術館にて

9月23日(土)から24日(日)まで、名古屋市美術館協力会の秋のツアーに参加しました。参加者は30名。今回の目的地は、2013年(北陸新幹線開業前)のツアーと同じ富山・金沢。見学先は、富山県美術館(ただし、今回は移転後の建物)、石川県立美術館、金沢21世紀美術館が前回と同じものの、發電所美術館と毛利武士郎(もうりぶしろう)記念美術館は前回と異なります。
◆車両事故による大渋滞に遭遇するも、昼食後には10分遅れまで回復
秋の行楽シーズンとあって、名古屋駅はエスカ地下街の通路、太閤通り口の噴水前広場のいずれもツアー客ですし詰め。集合時刻には参加者全員が集まり、名古屋市美術館の橘総務課長に見送られて、観光バスは名古屋駅を8時頃出発。バスガイドさんの「土曜日が秋分の日なので、普段の土・日よりも人出が多く、渋滞でバスが遅れるかもしれません。」というアナウンスを聞いていたら、いきなり大渋滞に遭遇。「運が悪い」と嘆いていたところ、運転手さんは「一宮ICから一般道路に下り、一宮ICから高速道路へ入り直す」という奇策を取り、IC出口からIC入口までの渋滞を回避。高速道路通行料は増えましたが、時間のロスを縮めるほうが大事ですよね。

魚津にて昼食

魚津にて昼食

一宮ICを入ると間もなく事故現場を通過。休憩した長良川SAでは「7時55分頃に車2台による衝突事故」との放送が流れていました。事故現場を通り過ぎた後、バスは順調に走行。昼食会場の魚津港・海の駅「蜃気楼」に到着したのは、当初予定よりも27分遅れの12時27分。食事時間を切り詰めて、予定から10分遅れの12時50分には發電所美術館に向け出発できました。

◆下山芸術の森 發発電所美術館 (Nizayama Forest Art Museum) =富山県入善町
ツアー1番目の見学先は「NEW・BALANCE TETSUYA NAKAMURA SOLO EXHIBITION」。学芸員さんによれば、題名は「世界の新しいバランス」という意味。作家の中村哲也氏は、東京藝術大学漆芸科出身。ただし、今回出品作の塗装に漆は使っていないとのことです。

発電所美術館内

発電所美術館内

發電所美術館は北陸電力株式会社から譲り受けた「旧黒部川第二発電所」を改装した美術館。天井高約10メートルの展示室に、「独立した形体」というロボットの外、大砲の玉・爆弾で出来た(という想定の)「師範アルファ」から「師範デルタ」まで5体のロボットと「危」と書いた「危険サイン」、1メートル四方のサイコロ型ロボット「ヒーローズ」5体(ピンク、ブルー、レッド、イエロー、グリーン)、蝶の羽を貼った「タイタニック」が、2階(ロフト?)にはスーパーカー、超長大なリムジン、金色のカメの剥製が展示されていました。

アクション・ムーヴィーに出てきそうです

アクション・ムーヴィーに出てきそうです

学芸員さんによれば、「師範」は、爆弾の爆発力を使わないよう自制している姿。「ヒーローズ」は「戦隊シリーズ」のヒーローたちの40年後、50年後の古びて、すり切れた状態をイメージした姿で、サイコロ型に折り畳まれた状態で展示している、とのことでした。
なお、2階に展示の自動車は、シャープな形態だけでなく、塗装が見事でした。自動車用塗料を使っているとのことですが、「フランケン」の鮮やかな赤、黒、ガンメタルや、「レプリカカスタム」の玉虫色には「さすが、漆芸科」と感心しました。展望塔の眺望も素晴らしかったです。

◆毛利武士郎記念館 =富山県黒部市
ツアー1日目、2番目の見学先は保崎係長の提案で、「シーラカンス毛利武士郎記念館」。緩やかな山道を登ると、アトリエらしき建物。周囲は田んぼで、美術館があるとは想像できません。造形作家の柳原幸子さんが出てきて、我々を美術館に招き入れて下さいました。

中はこんな感じです

中はこんな感じです

保崎係長によれば、毛利武士郎(1923-2004)は1950年代、活発に抽象彫刻を発表した作家で、「シーラカンス」は1953年に第5回読売アンデパンダン展に出品した代表作の題名(現在、東京都現代美術館が所蔵)。高く評価されていたが1960年代から新作の発表を絶った後、1983年開催の富山県立近代美術館「現代日本美術の展望―立体造形」展に出品したレリーフ状の新作《哭Mr.阿の誕生》によって再び脚光を浴びた。当時の展覧会を担当した学芸員は、現在、独立行政法人国立美術館理事長の柳原正樹氏。毛利氏と柳原氏の交流はその後も続き、1992年に毛利氏は東京から富山県黒部市へアトリエ兼住居を移転。移住後に、金属の塊をコンピュータと連動した工作機械で加工した新作を発表するようになる。毛利武士郎記念館は毛利氏死去10年後の2014年に、柳原氏が毛利氏の遺志に従ってポケットマネーでアトリエ・工作機械室を改装した美術館。柳原幸子さんは柳原氏の奥様、とのことでした。(毛利武士郎記念館のパンフレットで一部補足)

美術館には《哭Mr.阿の誕生》を始めとする毛利氏の作品が展示されていました。柳原幸子さんは「毛利氏は新作の発表を絶っていた期間、作家仲間の向井良吉が社長を務める、京都のマネキン制作会社「七彩」の東京支社を任されていた。《哭Mr.阿の誕生》には、マネキンの型取りに使っていたアルギン酸(海藻を原料にした糊)を使用。また、工作機械で加工した新作は、金属の表面と内部を削った後、内部の空間に金属を埋めるという凝った作り方をしているが、2つのパーツに分かれている《絶作》(2004年)は、合体して金属を埋めるという工程前の未完成品なので、内部が埋まっておらず、その構造がよくわかります。」と、話されました。
◆富山県美術館の概要
ツアー1日目、最後の見学先は、富山県美術館。富山県立近代美術館の収蔵品を引き継ぎ、本年8月27日にリニューアル・オープンしたばかりです。屋上には大勢の人影が見えました。

屋上オノマトペ

屋上オノマトペ

富山県美術館の丸山学芸員に案内されて2階へ上がり、天井高11メートルの吹き抜けのホワイエで、レクチャーを聞きました。丸山学芸員によれば、美術館の建物は地上3階建。屋上はグラフィックデザイナーの佐藤卓さんがデザインした遊具で遊べる「オノマトペの屋上」(入場無料で、開館時間8:00~22:00)。どのフロアからも立山連峰が見えること、地元産の素材(窓枠の装飾に三協アルミのアルミニウム、廊下の壁に氷見の里山杉)を多用していることが特色。2階の展示室1は、常設展。展示室2~4は、開館記念の「LIFE」展。屋外広場には彫刻家・三沢敦彦氏のクマ(ブロンズ・ウレタン塗装)を展示(写真撮影可)。ただし、木彫のクマは屋内。3階の展示室5は、ポスターと椅子を中心としたデザインコレクション。展示室6は、富山県出身の美術評論家・瀧口修造と世界的なバイオリニスト・ゴールトベルクのコレクションを展示。ホワイエから見える池の周辺は富岩運河の船溜まりを再整備した富岩運河環水公園(ふがんうんがかんすいこうえん)。池の畔にはフランス料理店「ラ・シャンス」がある、とのことでした。
また、バスの中で聞いた保崎係長の話では、開館記念展は「ご祝儀」の展覧会で、日本国中の美術館から名品が集まっており、常設展も充実しているので、2時間あっても見学時間が足らないと思います。見たいものを絞って見学してください。また、瀧口修造はシュールレアリズムを日本に紹介した重要な評論家、とのことでした。
◆開館記念展、コレクション展、屋上広場など
保崎係長の言葉どおり、開館記念の「LIFE」展は、まさに「ご祝儀」の展覧会でした。日本国中の美術館の名品が、「これでもか」と言うほど集結しています。今まで他館の展覧会に貸し出して来た恩を、今回返してもらったということでしょうか。「ご祝儀」のなかでも、デユ―ラー《騎士と死と悪魔》、クリムト《人生は戦いなり》は、特別待遇。美術館の白い壁に黒い台座を貼った上に額を取り付けており、とても目立ちました。富山県美術館のコレクションも多数展示。
本来なら2つの展示室を使うコレクション展は、開館記念展にコレクションを出品しているため1室に縮小。それでも、ピカソ《肘かけ椅子の女》、シャガール《山羊を抱く男》アンディ・ウォーホル《マリリン》、ジョージ・シーガル《戸口によりかかる娘》などは常設展に残しています。なかでも、藤田嗣治《二人の裸婦》は、隣に寄付した会社・個人の名前が掲示され、作品の前にはA5版の解説が積まれていました。
3階の展示室5には、平場だけでなく壁に設置した3段の棚にも椅子が置かれていました。ポスターは壁でなく天井から吊るした透明なパネルの中に収められ、宙に浮いているような展示です。また、展示室6の瀧口修造コレクションは真っ暗な部屋。壁に設置された4段の棚に収められたコレクションだけに光が当たっており、とてもおしゃれな展示でした。
見学時間が残りわずかとなりましたが、屋上に上がると大勢の家族連れと若い男女が遊んでいました。広場の西側に行くと、足元に「いたち川」の細い流れ、その向こうに「神通川」の雄大な流れ、目を上げると正面に加賀藩と富山藩の境、「呉羽山」が見えます。1階まで下りて芝生に出たら、コウモリが飛んでいました。川辺なので、餌になる虫が飛んでいたのでしょうね。
◆石川県立美術館

ツアー2日目、午前中の見学先は石川県立美術館。保崎係長はバスの中の事前説明で、企画展「燦(きら)めきの日本画 石崎光瑤と京都の画家たち」について、「石崎光瑤(いしざきこうよう)は、花鳥画尾を得意とする作家で、画力があり技術も高いが、戦後は忘れられた作家となっている。現在、石崎光瑤のような『主流ではない、もう一つの美術史の流れ』に光を当てようという動きがある。この企画展は注目したい。」と話していました。
石川県立美術館の前田学芸員からは「上村松篁は17歳の時に見た、石崎光瑤《燦雨》(さんう)(1919)に憧れて画家を目指した。石崎光瑤と同じテーマの絵を描くためインドに取材し、約50年後に同じ題名の《燦雨》(1972)を発表。なお、石崎光瑤は現在の富山県南砺市福光の出身で、17歳のとき金沢市に出て江戸琳派の流れを汲む山本光一に学んだ後、19歳で京都の竹内栖鳳に師事した画家。」との解説がありました。また、常設展の見どころは国宝《色絵雉香炉》と重要文化財《雌雉香炉》で、「現在の石川県立美術館を建設する際、寄贈を受けた《色絵雉香炉》の展示室を設けることが条件になっていた。また、雄だけでは可哀そうだということから東京の水野富士子さんから《雌雉香炉》の寄贈があり、300年ぶりの雌雄対面となった。」との説明がありました。
「燦めきの日本画」では、上村松園《花》に惹かれて展示室7に入り、右へ右へと展示を見たのですが、何か変。展示室入口の戻り、順路を逆に見ていたと気付きました。順路に従い、山本光一《時代江屏風》から順に見て、流れがつかめました。
展示室8の土田麦僊《髪》、村上華岳《二月の頃》は、いずれも京都市立絵画専門学校の卒業制作ですが、若い時から上手いですね。竹内栖鳳は百匹の雀と洋犬・仔犬を描いた《百騒一睡》、船の舳先に烏が止まっている《春雪》、水墨画の《水村》の3点が展示されていました。石崎光瑤《燦雨》は展示室8で、上村松篁《燦雨》は展示室9だったので、何度も行ったり来たりしました。二つの作品、同じテーマですが、見た印象は全く違います。何故か解りませんが、石崎光瑤は煌(きら)びやかで、上村松篁はさっぱりしていました。
常設展では、「前田家の名宝」の岸駒《松下飲虎図》と「北陸ゆかりの画聖Ⅱ」の岸駒《虎図》と《兎福寿草図》、久隅守景《四季耕作図》が印象的でした。また、鴨居玲の展示室の奥に郷土の作家の風景画が展示されており、一瞬、「鴨居玲の風景画?」と思ってしまいました。
◆金沢21世紀美術館 館長さんからのレクチャー

金沢21世紀美術館

金沢21世紀美術館

ツアー最後の見学先は金沢21世紀美術館。レクチャーホールで待っていると登場したのは、何と、島敦彦館長。自己紹介によれば、ご本人は富山県出身で富山県立近代美術館に勤務後、国立国際美術館に長く務め、2015年4月から2017年3月末まで愛知県美術館館長、同年4月に金沢21世紀美術館に就任されたとのことでした。3月まで名古屋市にお住まいだったこともあり、終始フレンドリーな雰囲気でお話をされました。

レクチャーは、金沢21世紀美術館の目指すものは「新たな文化の創造」と「新たなまちの賑わいの創出」という話から始まりました。「新たなまちの賑わいの創出」という美術館としては珍しい目的が掲げられた理由は、美術館が金沢大学附属小学校・中学校の跡地に建っていることにある。付属小学校・中学校だけでなく金沢大学も移転することから、美術館には大学移転による賑わいのロスを挽回することが求められていた、とのことのでした。
現代美術の美術館という構想を立てたのは初代館長の長谷川裕子氏(前任は水戸芸術館)で、レアンドロ・エルリッヒ《スイミング・プール》は建物の建設と並行して作品の構想・整備を行うという離れ業で完成させたとのことです。
金沢21世紀美術館の入場者数について、当初目標は年間30万人でしたが、開館10年後の2014年には年間150万人を超え、昨年度は年間250万人を突破。入場者の増はうれしい反面、チケットを買うために長蛇の列ができる(入場者の4分の1から5分の1が有料入場者)こと、入場者の靴についた細かい砂が《スイミング・プール》に落ちて、透明アクリル板に細かいキズが付くことなど、悩みもあるそうです。
◆金沢21世紀美術館 企画展・コレクション展など

金沢21世紀美術館ではいくつもの企画展・コレクション展が並行して開催されており、一番賑わっていたのは「ヨーガン・レール 文明の終わり」でした。島館長によれば、ヨーガン・レールは4年前、事故で亡くなった作家で、晩年は石垣島に暮らしていた。作品は浜辺に打ち寄せられた廃品のプラスチックから作った美しい照明。死因は、廃品を採集するため浜辺に向かう途中で起こした自動車事故とのこと。「文明の終わり」のうち展示室13は、鏡代わりのステンレス板が壁に貼られた薄暗い部屋で、薄暮のランタン・フェスティバルという風情。「インスタ映え」する展示なので、若い男女がひしめき合い、誰もが自撮りに夢中でした。また、展示室5に展示の、表面に縞模様のある瑪瑙(めのう)の小石にも目を惹かれました。
「日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念展」では、針金で作った照明器具に紙袋を被せただけの、イサム・ノグチ《あかり 1P》や二つの「曲げわっぱ」で布を挟んだ《パン籠》が印象に残りました。このパン籠なら、焼き立てのトーストが湿ることはないでしょう。
この外、コレクション展「死なない命」や無料エリア「長期インスタレーションルーム」で開催されていた「アペルト07 川越ゆりえ 弱虫標本」などを楽しみました。金沢21世紀美術館は「小さなテーマパーク」でしたね。
◆帰路、渋滞の影響は僅か
2013年の北陸ツアーでは、車両事故による北陸自動車道通行止めというアクシデントに遭遇して、予定から1時間半遅れの午後8時半に名古屋到着したので、「ひょっとして今回も」と恐れていましたが渋滞の影響は僅か。名古屋駅到着は予定から10分遅れの午後7時10分でした。
企画の松本さま、ツアー・コンダクターの小山さま、運転手さま、バスガイドさま、ありがとうございました。また、ツアー参加者のみなさま、おつかれさまでした。       Ron.

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