お知らせ

2018年10月30日

2018年協力会イベント情報

現在、募集中のイベントは下記のとおり。

平成30年12月9日(日)17時~
・名古屋市美術館:『アルヴァ・アアルト』展ギャラリートーク

平成31年1月13日(日)10時~
・名古屋市博物館:『画僧 月僊』展ミニツアー

会員の皆様は、ファックスか、お電話でお申込ください。
なお、ホームページからもお申込可能です。
(右側の”Gトーク”申込ボタンから)

秋の旅行、催行決定!

会員みなさまを対象に参加募集しておりました秋の旅行は、
無事催行が決定しました。2018年は九州方面への旅。
九州国立博物館でのオークラコレクション展や
福岡県立美術館でのバレル・コレクション展など
珠玉の展覧会を観覧します。

アルヴァ・アアルトの建築とデザイン

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市美術館協力会から届いたチラシで知った公開講座を聴くため、中区大井町のイーブルなごや(e–able–Nagoya:正式名称は、名古屋市男女平等参画推進センター、名古屋市女性会館)まで足を運びました。講座の内容は建築家・アルヴァ・アアルトの作品紹介で、講師は名古屋市美術館学芸員・中村暁子さん(以下「中村さん」)でした。公開講座が始まった時、会場の3階大研修室はぎっしりと埋まっており、「入場無料」とはいえ平日の午後としては盛況。以下は講座の内容を要約したもので、(注)は私の補足です。

◆名古屋市美術館の特別展「アルヴァ・アアルト ― もうひとつの自然」について
アルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)はフィンランドを代表する建築家・デザイナーです。自然と人間の関係を見つめ続けたヒューマニズムの建築家で、ドアの取っ手、家具、照明器具、ガラス器のデザインも手掛けています。また、特別展の会期は12月8日(土)から来年の2月3日(日)まで。観覧料は一般1,200円、高大生900円、中学生以下無料。300点近くの作品を紹介します。

◆アルヴァ・アアルトの生涯について
アルヴァ・アアルト(以下「アアルト」)は1898年、フィンランド(注:当時はロシア帝国支配下の「フィンランド大公国」)クオルタネ生まれ(注:今年は生誕120年)。父は測量技師です。測量技師はフィンランドでは大変に尊敬される職業でした。幼い頃、アアルトは父のオフィスの白い机の下で遊び、父を通じて自然の有機的な形に親しみました。絵が得意な子どもで、9歳の時に建築に興味を持ちました。アアルトが8歳の時に母が死亡し、父は母の妹と再婚しました。新しい母とアアルトとの仲は良好だったようです。
1916年にヘルシンキ大学(現在のアアルト大学)に進学し、建築学を学びます。大学に在学中、父が自動車を購入するとアアルトも自動車を購入して乗り回しています。自動車の外、蓄音機やカメラも購入しています。新し物好きの人でした。
アアルトは建築家の下でインターンシップをしているとき、頭の回転が速く人懐っこい性格のため「建築家よりも新聞記者に向いている」というアドバイスを受けましたが、建築家の道を進みました。
1923年にユヴァスキュラに建築事務所を開設。1924年には建築家のアイノ・マルシオと、知り合って半年で結婚しています。アアルトはアイノと結婚した理由を、「僕はアイノに多額の借金を背負っていたので、結婚する以外に選択肢がなかった」と友人に言っています。もちろん、これは照れ隠しの冗談です。新婚旅行は飛行機を使ってイタリアに出かけました。アアルトはイタリアで大量のスケッチを描いています。新婚旅行では湯水のようにお金を使い切って帰国しました。イタリア文化に触れたアアルトは「ユヴァスキュラを北のフィレンツェにしたい」と考えました。
1927年には建築事務所をトゥルクに移転しました。トゥルクは日本でいえば京都にあたる古都です。そして、1928年に行われたパイミオのサナトリウムの設計コンペで一等を獲得したことで、国際的な建築家への第一歩を踏み出しました。この時期、アアルトはグロピウスやコルビュジエ、レジェと親しくなっています。
1935年には、アアルト夫妻とニルス・グスタフ・ハール、マイレ・グリクセンの4人が共同して家具販売会社アルテック(注:Artekという名前の由来はartとtechnology)を設立しています。アルテックは現在も、アアルトがデザインした照明器具やパイミオ・チェアなどを販売しています。マイレ・グリクセンの夫ハッリ・グリクセンはマイレア邸(1939年竣工)の施主です。また、アアルトがデザインしたサヴォイ・ベース(Savoy Vase)などのガラス器はイッタラ社が販売を開始して現在も販売しています。
アアルトは1938年にアメリカに進出し、1939年竣工のニューヨーク万国博覧会フィンランド館を設計。フィンランド館の特徴はオーロラの壁(注:オーロラのように壁面がうねった木製の内壁)です。
第2次世界大戦後の1946年から1948年まで、アアルトはマサチューセッツ工科大学(以下「MIT」)の客員教授を務め、MITの学生寮も設計しました。アアルトは1948年に帰国し、翌年の1949年に妻アイノが死去しています。
第2次世界大戦後、アアルトはイタリアでインスピレーションを得た赤レンガを外壁にした建物を数多く設計していることから、この時期は「赤の時代」と呼ばれています。アアルトは1952年に建築家のエリッサ・マキニエと再婚し、同年に「夏の家」を設計しました。1955年からは一転して白い外壁の建物を数多く設計したので「白の時代」と呼ばれています。
アアルトが死去したのは1976年で、アアルトの事業は妻エリッサが引き継ぎました。
アアルトは、フィンランドのお札に肖像が印刷されるほどのフィンランドを代表する建築家です。(注:現在のフィンランドはユーロ紙幣を使用しており、アアルトの肖像が印刷された紙幣は使われていません)

◆アアルトの建築作品について
◎アアルト自邸(1936年竣工)
 初期の主な建築作品は、アアルト自邸(ムンキニエミに建てた自宅にスタジオを併設した建物)と、1927年設計・1935年竣工のヴィープリ図書館(注:現在はロシア連邦・レニングラード州・ヴィボルグ市)、1928年設計・1933年竣工のパイミオのサナトリウムです。
アアルト自邸の建設場所はヘルシンキ北西部の閑静な住宅地ムンキニエミです。ムンキニエミは1930年代まで手付かずの自然が残され、1940年代まで海が見えたとのことです。
アアルトは新古典主義に基づく建築作品から出発し、機能主義に基づく作風に変化していきました。ただ、アアルト自邸は機能主義とは違っています。その外観を見ると1階が白く塗った凸凹(デコボコ)のある壁で、2階が焦げ茶色の羽目板を縦に並べた外壁になっています。アトリエはバタフライ屋根(注:蝶が羽を上に広げたような形の、両端が高く中央部が低い屋根)で、陸屋根(注:ほぼ水平な屋根)とは違い人間的なぬくもりが感じられます。アアルトは自身を「ロマンティックな機能主義者」と呼んでいます。
 アアルト自邸は、通りに面した壁に窓が開いていません。そして、中庭から見ると窓が大きく開いています。建物の形はL字型で、家族が過ごす場所と仕事をする場所が分かれています。スクリーンに投影した写真は大きな窓のあるリビングルームの内部です。アアルトがデザインした家具や照明器具が写っていますね。リビングルームの続きにオフィスが配置され、オフィスの床はリビングルームより40cm深くなっています。リビングルームとオフィスの間は大きな引き戸で仕切られており、この引き戸は日本家屋の影響を受けたものです。オフィスの反対側にはキッチンとダイニングルームが配置され、ダイニングルームの椅子は新婚旅行先のイタリアで購入したアンティーク家具です。2階には寝室、子ども部屋、ゲストルームと暖炉を置いたホールが配置されています。アアルト自邸は機能性とともに、住む人の居心地のよさを追求した建築です。
(注:ネットで検索したところ「新古典主義」は18世紀後半にフランスで始まった、古代ギリシアや古代ローマの建築を理想とする建築様式で、代表例はフランスのエトワール凱旋門、英国の大英博物館など。また、「機能主義」は建築の機能と無関係な装飾や造形を排除した合理的な建築を目指す建築様式でした)

◎オフィス・スタジオ(1955年竣工)
 公共事業の仕事が増えたため、アアルトは1955年にアアルト自邸から徒歩10分の所に新しいオフィス・スタジオを建設しました。急斜面に建てた4階建・L字型の建物です。外壁は凸凹(デコボコ)のレンガで、建物の中にはスタジオ、食堂、製図室が配置されています。スタジオはミーティング等にも使います。中庭には扇型の円形劇場が設置されています。アアルトはオールボーの美術館(注:デンマークのオールボーにあるノースユトランド美術館:1958-72)にも円形劇場を設置しています。
 私(注:中村さん)は2017年にオフィス・スタジオを訪れたのですが、かつて多くのスタッフが働いていたことを想像させるようなスタジオでした。高い天井のスタジオでは少し前までミーティングが行われていたようで、アアルトがデザインした各種の椅子が置かれていました。また、アアルトがデザインした照明器具も吊り下げられていました。1976年にアアルトが死去した後は、妻のエリッサが事業を引き継ぎました。アアルト自邸は、1998年からアルヴァ・アアルト財団が管理しています。

◎パイミオのサナトリウム(1933年竣工)
 パイオミのサナトリウムは、1928年に行われた設計コンペでアアルトの設計が最優秀となった建物です。サナトリウムは結核患者の療養所です。アアルトは、照明がまぶしくないようにする、水回りの音を吸収する、穏やかに過ごせる色彩を採用するなど、患者の心地よさに配慮した建物を設計しました。
 パイオミのサナトリウムの外観は白い壁のモダニズム建築(注:装飾を排除した機能主義の建築)ですが、内部は人にやさしい空間です。サナトリウムの内壁の色は薄いグリーンで、階段の踏み板は黄色、手すりは青。肘掛け椅子には患者が休息できるようにアアルトがデザインしたパイミオ・チェアが使われています。アルヴァ・アアルト展では展示室のなかにパイミオのサナトリウム内部を再現します。

◎マイレア邸(1936年竣工)
 マイレア邸は、アアルト夫妻の友人でアルテックの共同経営者であるマイレ・グリクセンと彼女の夫ハッリ・グリクセンの邸宅です。松林の中に建てられました。マイレ・グリクセンは画家・美術品収集家で、彼女が収集した作品の作家はピカソ、アルプ、コールダーなどです。
 設計当初、収集した美術品は独立したギャラリーに展示するという計画でしたが、最終的には生活空間のなかに飾ることになりました。
 マイレア邸で目を惹くのは、木を多用した広々とした部屋です。フィンランドは木材産業が盛んで、木は人に優しい素材です。部屋には大きな窓から明るい光が差し込みます。階段の踏み板には多くの木材が使われています。また、階段の両側は竹林のように、たくさんの木の柱で覆われています。

◎ニューヨーク万国博覧会フィンランド館(1939年竣工)
 アメリカでは、1938年にMoMA(ニューヨーク近代美術館)でアアルトの個展が開催されました。1939年に竣工したニューヨーク万国博覧会フィンランド館は、外観はホワイトキューブ(注:白い立方体。MoMAが導入した様式で、展示空間の代名詞。白い立方体の箱に大きなガラス窓がついた建築であり、モダニズム建築の到達点)ですが、内部は、オーロラに見立てた12メートルの高さの曲線的な壁で構成されています。上部にはフィンランドの風景を撮影した大きなパネルが掲げられ、下の方にはフィンランドの製品が展示されました。また、会場最後の壁には「スオミ・コーリング=フィンランドが呼んでいる」という題名の映像作品が上映されました。アルヴァ・アアルト展ではフィンランド館の写真を展示します。

◎セイナッツァロの役場(1949年設計、1952年竣工)
 セイナッツァロの村役場からアアルトに依頼された都市計画のうち、村役場だけが実現しました。スクリーンに投影した写真のとおり、赤いレンガの外壁の建物が「シエナのカンポ広場」と呼ばれる広場を囲んでいます。アアルトの建築では「中庭」を大切にしていますね。次の写真ですが、大きな窓の下にあるのは暖房器具です。フィンランドの気候は厳しいので寒さへの配慮が欠かせません。今度の写真は屋根を支える構造です。写真の支柱はマルチ・ビーム・バタフライ・トラスと呼ばれます。水平に伸びた梁(はり)から屋根裏に向かって放射状に、扇の骨のように支柱が伸びて屋根の垂木(たるき)を支えています。

◎夏の家(1953年竣工)
 夏の家は実験住宅です。外側だけ白く塗った壁の奥に、中庭を囲むようにして赤いレンガの外壁の家が建っています。中庭に面したレンガの外壁と中庭の床のレンガは、素材がフィンランドの自然にどう耐えられるかを実験するため、異なった素材がパッチワークのように組み込まれています。夏の家の中庭からは湖が見えます。夏の家は、アアルトと二番目の妻・エリッサが共同して設計しました。

◎フィンランディアホール(1961年設計、1971年竣工、1975年会議室増築)
 フィンランディアホールはヘルシンキの中心部にある緑化公園に建設される一連の建物の一部で、用途はコンサートホールです。フィンランディアホールは「白の時代」の建物で、外壁は白い大理石で出来ており、ロビーには自由に入ることができます。

◆アアルトがデザインした家具について
◎スツール60(1933年)
現在は定番中の定番である「丸椅子」の元祖は今から85年前にアアルトがデザインした「スツール60」です。素材は白樺(バーチ材)です。椅子の脚は白樺の無垢材に切れ込みを入れ、その切れ込みに薄い木の板と接着剤を挟み、機械で熱と圧力を加えて曲げてから脚の表面を削って仕上げたもので、L-レッグといいます。(注:薄い板を挟んだ無垢材を90度に曲げるという技法は特許を取得しています)
スツール60で画期的なのは、注文者に完成品ではなく部品で送り、注文者が自分で組み立てて完成する「フラット・パック」という販売方法です。荷物がかさばらず、経費の節減にもなります。また、スツール60はスタッキング、つまり上へ上へと積み重ねることを可能にした最初の家具です。
フィンランドでは、どの家庭にもアアルトがデザインした家具が一つあると言われています。アアルトがデザインした家具の販売会社アルテックは、コム・デ・ギャルソン等ともコラボしています。
アルヴァ・アアルト展では、たくさんのスツールを展示します。

◎パイミオ・チェア(1932年)
 パイミオのサナトリウムで使っているパイオミ・チェアは、結核患者が楽に呼吸できる形状の肘掛け椅子です。椅子の座面と背もたれは一体になっており一枚の積層合板を成型したものです。背もたれには強度を高めるため、切れ目が入っています。また、椅子の脚は18枚の薄いブナ材の板で出来た成型合板です。パイミオ・チェアはフィンランド人の体格に合わせて作っているので日本人には大きいかもしれません。

◆2017年2月のフィンランド旅行について
 私(注:中村さん)は2017年2月にフィンランドを訪れ、アアルトの建築作品を見て来たので、その時の話をします。
〇アアルトのスタジオ
 アアルトのスタジオは天井が高く、大きな窓から光が差し込む開放的な空間が印象的でした。また、私が訪れた時のツアー客は日本人3人だけだったので、スタジオのガイドは日本語。ガイドさんは、フィンランドの大学で日本語を学んだとのことでした。
〇アアルト自邸
 アアルト自邸を訪れると、ピアノの上に最初の妻アイノ・アアルトの写真が飾られていました。アイノ・アアルトは仕事と家庭のどちらも大切にした人で、アルヴァ・アアルトとのコラボレーションで仕事をしました。アアルトは、エリッサと再婚した後もアイノの写真を飾っていたのです。
 テーブルの上には、花瓶のサヴォイ・ベースが置かれていました。サヴォイ・ベースはフィンランドの湖をイメージしており、「サヴォイ」というレストランのためにデザインしたものです。サヴォイ・ベースは今でも買うことができます。
〇アカデミア書店(1969年竣工)
 アカデミア書店は、アアルトが設計した書店で、彼がデザインした机と椅子が置かれていました。ドアノブもアアルトがデザインしたものでした。書店の片隅に「カフェ・アアルト」があります。このカフェにも、アアルトがデザインしたランプ「ゴールデン・ベル」が吊るされていました。ブルーベリーのタルトがおいしかったですね。

◆アアルトのデザインについて
 アアルトの建築作品は「細部まで配慮した全体」を完成させること、暮らしを心地よくすることをメインに設計されています。フィンランドの気候は厳しいので、建物のなかで快適に暮らすことが出来るよう配慮したデザイン、人の幸福を作り出すことのできるデザインです。

◆フィンランドについて
 フィンランドは、中部国際空港からフィンエア一本で行くことができます。「シャイで初対面の人にはもじもじする、サウナを愛する」というフィンランド人の気質は、日本人と共通性があります。フィンランドの首都ヘルシンキは、楽しく、過ごしやすく、心地よい街です。

◆名古屋市美術館のコレクションの楽しみ方について
 名古屋市美術館に来たら常設展も楽しんでください。美術作品は一度の出会いでも強い印象を受けます。一方、何度も出会うことが出来る作品は、その度に違って見えます。何度も見てください。お気に入りの作品を見つけてください。展示された順番通りでなく、気になる作品や好きな作品から見るという見方もあります。解説を読むことも大事ですが「先ず作品を見る。解説は補足的に」という見方もあります。
 ぜひ、名古屋市美術館にお越しください。

◆Q&A
Q1 フィンランドに旅行した時、フィンランド航空の旅客機のなかですてきなガラスコップが出されました。フィンランドの空港で売っていたので、すぐ買い求め、大事に使っていたのですが一つ割れてしまいました。同じコップ、どうしたら買えますか。
A1 アアルトがデザインしたガラス器はイッタラという会社で売っています。インターネットで注文することもできます。(注:Amazonを検索すると、花瓶のアアルト・ベース(サヴォイ・ベース)、アイノ・アアルトのタンブラーとハイボールがヒットしました)

Q2 アルヴァ・アアルト展に展示された椅子に座ることはできますか。
A2 展示室に展示した作品には座れません。そのかわり、アアルトがデザインした椅子に座ることが出来るスペースを考えたいと思っています。(注:2017年4月7日から5月28日まで愛知県美術館で開催された「フィンランド・デザイン展」では展示室を出たところに、アアルトがデザインしたスツール60の外、エーロ・アールニオがデザインした動物型の椅子やボールチェアが置かれ、自由に座ることが出来ました。やはり、家具は座れるほうが良いですね)

◆追記(フィンランドの歴史)
 上記のフィンランド・デザイン展で「フィンランドの歴史」が掲示されていました。以下は、その抜き書きです。フィンランド領だったヴィープリがロシア領のヴィボルグになったのは「第2次世界大戦で連合軍に敗北したためである」ということが分かります。
1159~1809 スウェーデン支配下
1809~1917 ロシア支配下
1809 第2次ロシア・スウェーデン戦争でロシアが勝利。フィンランド州がロシアに併合されフィンランド公国となる
1914 第1次世界大戦勃発(~1918)
1917 ロシア革命勃発。ロシア帝国崩壊
1917~  独立
1917 12月6日フィンランド独立
1919 フィンランド共和国 公用語 フィンランド語、スウェーデン語
1939 第2次世界大戦勃発。ソ連侵攻
(注:1940年3月12日にモスクワ講和条約。カレリア地方をソ連に割譲)
1941 イギリスがフィンランドに宣戦布告
(注:1941年ドイツがフィンランド領内からソ連に攻撃開始。ソ連がフィンランド領内のドイツ軍に対し空爆を行ったため、フィンラドは止む無くソ連に対し宣戦布告した)
1944 1940年の国境線の回復や巨額の賠償金支払いを条件に連合軍との休戦協定調印
1945 トーベ・ヤンセンがムーミンシリーズ第1作「小さなトロールと大きな洪水」刊行
フィンランドは大国ロシアと国境を接しているため、第2次世界大戦では中立を望んでいてもソ連と過酷な戦争をせざるを得なかったのですね。

◆最後に
 昨年の「フィンランド・デザイン展」でアアルトがデザインした家具を見ました。しかし、建築家アルヴァ・アアルトの偉大さについては今回の公開講座で初めて知り、朧気ながらもアアルトが友人に恵まれ、名声を得て、経済的にも豊かだったことが分かりました。しかし、初めて聞くことばかりで上手くメモが取れなかったため、拙い要約になってしまいました。すみません。
Ron.
参考文献 「北欧フィンランド 巨匠たちのデザイン」2015年 株式会社 パイ インターナショナル

10年1日(高橋 菜々) Art Lab Tokyo/Akiba

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ


 久しぶりに長者町に出かけたら、旧アートラボ(玉屋ビル)が取り壊され、更地になっていた。いずれ高層マンションができるらしい。
数日後、所用で出かけた街で、思いがけず「Art Lab Tokyo」の看板を見つけた。一見、町工場か倉庫のような建物の奥で高橋菜々氏の個展が開かれていた。

 展示されていたのは大小さまざまの超現実的かつ独特な絵画。建ち並ぶビルの谷間を緑色の大きな蛇が徘徊しているとか、ベランダの人物の背後から刃物を構えた子供がこちらをのぞいているとか。本人いわく「中二症」的な表現があふれていた。

 目を引いたのは、過去の展示風景の写真をコラージュしたアートボックス。手の平サイズの紙箱の中に合成された架空の展示は、指先サイズの小さな作品であふれかえっていた。

2018ArtLabTokyoアートボックス

2018ArtLabTokyoアートボックス


 次に目を引いたのが、部屋の中央のテーブルの上に並べられたたくさんのキーホルダー。「街中で自分の作ったものを持っている人に出会えたらうれしい」ということで、希望する来場者に配布しているとか。いままでに100個以上も配布しているそうだが、まだ街中で見かけたことはないとも。

 普段はOLをしながら、暮らしの中で描き散らし、作品の一部はWEBでも公表しているそうだ。キーワードは「俗窓」。ちょっと斜めに構えたあたりのネーミングセンスも独特。機会があれば、今後も見てみたい。

追記
 今回、訪問した”Art Lab Tokyo/Akiba”には、2つの展示スペースがあり、入口側のスペースを”Art Lab Tokyo”、高橋氏の作品が展示されていた奥側のスペースを”Art Lab Akiba”と呼び分けているそうだ。事情を知らないと、同じ場所にあるとは思わないかも。
杉山 博之

中村功新作展を見て

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 八丁堀のヒノギャラリーで”中村功新作展”を見た。抽象画を見ていると、時々不思議に思うのだが、制作中の作家は画面の中で上下左右の感覚をどのように意識しているのだろう。ギャラリースタッフに聞いても、これといった答えがなく、もし機会があれば、作家に聞いてみたいと思っていた。

 中村氏の場合、浮かぶように、漂うように、重力から自由になろうと意識して描いているそうだ。居合わせた観客の会話を聞いていると「緑の部分は水中の水草。その上を橙が手前に浮かびあがってくるようだ。」とか、「緑と青がおとなしく画面の向こう側に沈んでいくみたい。」というような声が聞こえてきた。

 確かにフワフワとした水草の動きや、風の吹く草原を連想させる作品なのだが、しばらく見ていると、橙の部分が鋭く画面から突き出してくるように見えてきた。もっと具体的に言えば、橙の部分が血のついた刃物のように見え、無数の刃物でぐるりと四方を取り囲まれた緊張感を感じた。歓談していた他の観客の方はどうだったのだろう?

 カラフルかつ、力強い筆遣いなので、ついつい引き込まれ、いつの間にか無意識下で、ざわざわとした違和感を刺激してくる作品たち。その中で気に入ったのが、黄と緑の地に紫を散らせた小さめの作品。もしかすると、この作品は今回の展覧会の異端なのかもしれないが、他の作品より穏やかで、緊張せずに見ていられた。

中村功新作展
会期:2018年11月17日まで
ヒノギャラリー

杉山 博之

「私」の年代記 1985-2018 (森村泰昌)

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 先日のギャラリートークの後、協力会メンバーでお茶をした。話題は最近見た展覧会、これから見る展覧会、以前に行ったアートツアー、これから行くアートツアー、etc。

その時の話題に出たかどうか覚えていないが、森村氏の個展、”「私」の年代記 1985-2018”(以下、私の年代記)を見た。これまでに見ていた森村作品といえば、等身大か、それ以上の大型作品がほとんど。名古屋市美術館のコレクションの”兄弟(虐殺Ⅰ、Ⅱ)”も、その高さはおよそ2メートル。数年前にアートツアーで行った国立国際美術館の”森村泰昌:自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき”展でも、フリーダ・カーロやベラスケスを引用した大型作品がずらりと並んでいた。
そのようなわけで、なんとなく”森村作品は大きい=すべて大きい”、と早合点していた。

今回、展示されていたのは、およそ10cm四方のポラロイド。ゴッホ、ウォーホール、フリーダ・カーロ、岡本太郎などに扮した、およそ40点。既に見知ったイメージでも、作品に近寄り、覗き込むように見てみると、化粧の仕方や小道具の配置にも新しい気付きがあった。なによりも作品鑑賞の程よい距離感について考えさせられた。

帰り際、ギャラリーのスタッフが1枚のチラシをくれた。大阪・北加賀屋に新しい美術館ができるらしい。
”モリムラ@ミュージアム”、2018.11.3 OPEN
初日には作家の挨拶とミニトークがあるので、ぜひ出かけてみたい。

「私」の年代記 1985-2018
会期:2018年11月24日まで
シューゴアーツ

杉山 博之

「ザ ベスト セレクション」 ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor


名古屋市美術館で開催中の「ザ ベスト セレクション」(以下「本展」)のギャラリートークに参加しました。台風25号の進路によっては「中止」もあり得ましたが、台風は日本海を進み、当日は快晴。無事、開催されました。晴れ女(晴れ男?)さん、ありがとう。
担当は、保崎裕徳学芸係長(以下「保崎さん」)と角田美奈子学芸員(以下「角田さん」)。参加者は70人。参加人数は多いもののグループ分けはありません。会場がゆったりしており、ポータブルのワイヤレス拡声装置で隅々まで声が届くため、70人全員が一緒に動くこととなりました。壮観でしたね。
以下は、保崎さんによるギャラリートークの概要です。なお、(注)は私の補足。主な作品については作者名・作品名・制作年に加えて作品解説の「見出し」を記載しました。本展では「主要作品」と「知られざる傑作」に詳細で気の利いた解説が添えられています。解説本文は会場で見ていただくこととして、ここでは「見出し」だけを紹介します。

◆本展の概要など
◎名古屋市美術館の収蔵品は開館後30年間で6,278点に
名古屋市美術館は1988(昭和63)年4月22日に開館し、今年、開館30周年を迎えました。ただし、コレクションの収集は1983(昭和58)年から始めています。収集の結果、収蔵品の点数は2017(平成29)年度末の時点で6,278点となりました。収蔵品の点数は1998(平成10)年度末で2,106点、2008(平成20)年度末で4,332点ですから、10年間で2,000点ずつ増やした勘定になります。なお、厳しい財政事情のため2005(平成17)年頃から購入による収集が難しくなりました。最近の収集は、ほぼ寄贈によるものです。
「購入が難しい」と申しましたが、開館30周年を記念して団体・個人から寄付をいただき「夢・プレミアムアートコレクション」として藤田嗣治《ベルギーの婦人》を購入することができました。地下1階の常設展示室で公開していますので、お越しください。

◎「外せない作品」に「なかなか紹介されなかった作品」「知られざる傑作」を交えて展示
本展は開館30周年記念展なので「外せない作品」を展示することは当然ですが「なかなか紹介されなかった作品」「知られざる傑作」も交えて展示しました。
また、オーソドックスに「4つの収集方針」= ①エコール・ド・パリ、②メキシコ・ルネサンス、③郷土の美術、④現代の美術の順に、主に地元作家の作品を展示しています。

◆エコール・ド・パリ
(主な作品)
・マルク・シャガール《二重肖像》1924年
 二度目のパリで手にした穏やか日々、束の間の幸福を永遠に記録した傑作《二重肖像》。
・アメデオ・モディリアーニ《おさげ髪の少女》1918年頃
 おさげ髪の少女のモデルについて(本文より:日本人画家の平賀亀佑の妻、マリー?)
・キスリング《マルセル・シャンタルの肖像》1935年
 見よ、この眼力(めぢから)圧倒的な存在感!画家はモデルの魅力のとりことなった。
・モーリス・ユトリロ《ノルヴァン通り》1910年
あの場所は今?ユトリロが描いたパリ、ノルヴァン通り。
・ハイム・スーチン《農家の娘》1919年頃 → 代替品《鳥のいる静物》
(ギャラリートーク)
エコール・ド・パリは1927年にフランスに渡った地元作家・荻須高徳(おぎす・たかのり)に関係するコレクションです。荻須高徳と同時代のエコール・ド・パリの作家、シャガール、スーチン、モディリアーニ、キスリング、ユトリロなどの作品を展示しました。
キスリング《マルセル・シャンタルの肖像》は2001年に購入。エコール・ド・パリのタブローとしては、これが最後の購入品でした。藤田嗣治《ベルギーの婦人》はそれ以来、十数年ぶりに購入できた作品です。マルク・シャガール《二重肖像》は高すぎて購入できないため、中部電力株式会社が買い上げ、名古屋市に寄贈された作品です。
ハイム・スーチン《鳥のいる静物》は作品リストにはありません。リストには《農家の娘》が掲載されています。ランス美術館に貸し出されていたのですが、台風21号で関西空港が被害を受け、搬入が遅れています。10月下旬から11月初旬には展示できると思います。
アメデオ・モディリアーニ《おさげ髪の少女》は1986年に購入した作品。3億6千万円の価格は当時の日本の公立美術館で最高の購入金額でした。しかし、1989年に大阪市がモディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》を、1990年に愛知県美術館がグスタフ・クリムト《人生は闘いなり(黄金の騎士)》を購入するなど《おさげ髪の少女》を上回る高額な絵画の購入が相次ぎ、《おさげ髪の少女》の記録は抜かれました。(注:角田さんから「《黄金の騎士》は《おさげ髪の少女》より、うんとサイズが大きい(ので比べものにならない)」という声がかかりました)
モーリス・ユトリロ《ノルヴァン通り》は1992年に購入した高額作品です。(注:購入契約にあたり市議会の議決が必要な価格(八千万円)を超える収蔵品は《おさげ髪の少女》と《ノルヴァン通り》の2点のみです。《二重肖像》は高額作品ですが、寄贈なので市議会の議決は不要でした)

◆メキシコ・ルネサンス
(主な作品)
・岡本太郎《明日の神話》1968年
 《明日の神話》下絵の寄贈と修復 (本文:日系移民 小栗順三氏のメキシコの自宅)
・フリーダ・カーロ《死の仮面を被った少女》1938年
 人の心を打つ作品と人生 日本でフリーダの絵が見られるのは名古屋市美術館だけ。
・マリア・イスキエルド《旅人の肖像(アンリ・ド・シャティヨンの肖像)》1935年
 シュールとは夢ではない、それはもう一つの確かな表現なのだ。
・ダヴィッド・アルファ・シケイロス《奴隷》1961年
 獄中でほとばしる想像力。 シケイロスの熱いメッセージ
(注:「《奴隷》裏面のシケイロスによる文章(要約)」も掲示されています)
(ギャラリートーク)
岡本太郎《明日の神話》は高さ5.5メートル、長さ30メートルの巨大な壁画で、2008年からJR山手線渋谷駅と渋谷マークシティーの京王・井の頭線渋谷駅を結ぶ連絡通路に展示されています。これは1968年にメキシコ市のホテルに飾る壁画として依頼されたもので、岡本太郎は大阪万博の《太陽の塔》と並行して制作していました。
本展に展示しているものは、その下絵。メキシコ市のホテルのオーナーに岡本太郎を紹介した日系移民の小栗順三氏の自宅に保管されていたものです。1999年に「下絵がある」という情報提供があり、小栗順三氏の奥さんのふじ子氏(順三氏本人は既に死亡)と岡本太郎氏の幼女・岡本敏子氏の連名で名古屋市美術館に寄贈されたものです。個人の住居に保管されていたことから作品には亀裂や絵の具の剥落があり、寄贈を受けた後に修復を施しています。寄贈までの経緯については「アート・ペーパー」49号と50号に山田諭氏が、修復の経緯については「紀要」11号に角田美奈子氏が寄稿しています。
メキシコ・ルネサンスの展示にフリーダ・カーロは欠かせませんが、イスキエルドの作品も紹介したいと思い、展示しました。シケイロスは、作品の裏面に書かれたメッセージも紹介したかったので、特別な展示方法をしています。(注:表・裏の両面を見ることが出来るよう、通路の中央に台を置いて展示しています。作品の裏(メッセージが書かれている面)にはアクリルカバーがあるのに、表(絵が描かれた面)にカバーはありませんでした。なお、本展の展示作品には、全て保護カバーがありません。なので、照明などの映り込みを気にすることなく鑑賞できます)
メキシコでは1910年に革命が始まりました。戦争終結後の1920年当時、メキシコの民衆(メスティーソ)の80パーセントは文字が読めないという状況だったため「メキシコの歴史や将来ビジョンを示す」という目的で壁画運動が始まりました。多くの人がメッセージを受け取ることができるよう、大きな画面に分かりやすい絵画が描かれました。シケイロス、リベラ、オロスコの三人が代表的な作家です。

作品を囲んでの解説

作品を囲んでの解説

◆郷土の美術
◎東山動物園猛獣画廊壁画
・太田三郎《東山動物園猛獣画廊壁画 No.1》1948年
・水谷 清《東山動物園猛獣画廊壁画 No.2》1948年
・宮本三郎《東山動物園猛獣画廊壁画 No.3》1948年
(ギャラリートーク)
この3点は1997年に収蔵して以来、一度も展示したことがない作品です。傷みがひどいためこれまで展示を見送ってきました。本展では「貴重な作品だ」というメッセージを伝えるため、やむなく修復されていない状態で展示しています。
第2次世界大戦中、軍から猛獣を処分するよう指示が下され、東山動物園ではヒグマを毒殺、ライオンを絞殺しました。その後、射殺や食料不足、暖房不足などにより猛獣は激減。戦後、動物園を再開した時、動物30頭ほどという状態でした。(注:ゾウ2頭については、有名な「ぞう列車」のお話がありますね)
そのため、1948年中京新聞社が3人の画家に動物の生態を描いたジオラマの制作を依頼。旧カバ舎を「猛獣画廊」としてジオラマを展示することになりました。作品の解説には「猛獣畫廊」開きの式の模様を伝える紙面のコピーも掲げています。
東山動物園猛獣画廊壁画は、美術が社会の役に立った貴重な事例として展示しました。次に展示できるのが何時になるのかは分かりません。

◎郷土の日本画
(主な作品)
・渡辺幾春(わたなべ・いくはる)《若き女》1922年
 浮世絵好きの作者だからこそ描ける、センチメンタルなムード。
・喜多村麦子(きたむら・ばくし)《暮れ行く堀川》1929年
 あの場所は今? 喜多村麦子が描いた堀川。
・横山葩生(よこやま・はせい)《磯》1934年 (注:解説なし)
・大島哲以(おおしま・てつい)《終電車》1967年
 半獣半人たちの奇怪な行動。終電車は何処へ行く。
(ギャラリートーク)
 日本画の部屋は作品保護のために暗くせざるを得ません。暗い中でも作品が見やすくなるよう、照明にこだわりました。白いLEDを何本も使っています。
 大正時代の渡辺幾春、横山葩生は、いずれも帝展入選作です。喜多村麦子の《暮れ行く堀川》には木橋を描いたものと石橋を描いたものがあります。これまでは木橋を描いたものを展示することが多かったのですが、本展では石橋を描いたものを展示しています。昭和初期の制作ですが、大正前期の風景を描いたものです。洋画の部屋に展示している西村千太郎《納屋橋風景》は昭和初期の風景ですから、二つの作品の風景には15年の開きがあります。
 展示ケースには川合玉堂と戦後の前衛的な日本画・中村正義、星野真吾らの作品が同居しています。作品の傾向が全く異なるので、その間をカーテンで仕切りました。
 大島哲以は名古屋市生まれの日本画家です。金属の箔を貼った上から、体は人で頭が鳥の女たちと、体は人で頭が山羊の男たちを描いています。終電車の中なのに、七輪でカエルを焼く女がいて、煙が車内に充満しています。また、上からはアリナミンの瓶から錠剤が、コーラの瓶から液体がこぼれています。花鳥風月ではなく社会風刺を主題にした作品です。
 前衛的な作品の次には、前田青邨、平松礼二、田淵俊夫の作品を展示しました。
(注:中村正義や前田青邨、平松礼二、田淵俊夫の作品には「解説」がありません。「良く知られた作家や作品には、通常の展示と同様に解説はつけない」ということのようですね)

◎郷土の洋画
(主な作品)
・横井礼以(よこい・れいい)《蜜柑を持つK坊》1922年
 着物に前掛け姿のK坊 フランス流のモダン・スタイルで登場。
・西村千太郎《納屋橋風景》1930年
 まるで名古屋の「セーヌ河畔」。ハイカラな名古屋の一面を捉えた《納屋橋風景》。
・市野長之助《バザーの楽器店》1929年
 明治44年、栄にできた ショッピング・モール、「中央バザー」。
・宮脇晴(みやわき・はる)《夜の自画像》1919年
 この時、なんと17歳。名古屋市立工芸学校在学中の宮脇晴。
・遠山清《マノハラ水浴》1927年
 洋画で「仏画」を描く斬新な試み。描いたのは新明小学校の先生。
・富澤有為男(とみざわ・ういお)《姉》1928年
 帝展入選者にして芥川賞作家、富澤有為男の稀有な才能。
(ギャラリートーク)
 洋画の部屋では主に、脚光を浴びていない作家・作品を紹介します。
 宮脇晴は17歳の時の日記に「夜、自画像を描く」と書いているので17歳の時の作品だと思われます。なお、彼は翌年、帝展に初入選しています。
 これまで、郷土の美術では主に「愛美社」「サンサシオン」の作家を紹介しており、横井礼以や彼が創設した緑ケ丘中央洋画研究所で学んだ西村千太郎、市野長之介はあまり取り上げていません。横井礼以《蜜柑を持つK坊》はフォーヴィスム風。西村千太郎《納屋橋風景》は佐伯祐三風で大正モダンの雰囲気があります。《納屋橋風景》で、西村千太郎は「パリのように見せる」ために、あったはずのバルコニーを隠すなどの工夫を施しています。バルコニーの外にはどんな工夫をしているでしょうか。(注:質問に答えて「電線がない」との声がありました)その通りです。外には、市電の線路も隠しています。市野長之助が描いたショッピング・モール「中央バザー」は現在の名古屋三越の北側にありました。
 遠山清は、帝展入選を目指した同人「サンサシオン」加わっていた画家で、《マノハラ水浴》はテンペラで描いた仏画です。「他人と同じことをしていては目立たない」と思って描いたのでしょうか。
 富澤有為男《姉》は水彩画のように見えますが、油絵です。彼は東海中学校卒業時に「文学」を目指しましたが父親は反対。母親が出した妥協案が「絵画」でした。母親の従妹に洋画家の岡田三郎助がいたことから東京美術学校に通うことになったのですが、半年で退学。新愛知(中日新聞の前身の一つ)の記者となりましたが、その後、記者をやめて上京し、「文学」と「絵画」の二足の草鞋を履きます。「サンサシオン」の会員となって展覧会に出品。1929年から1930年までフランスに留学して絵画を学んだものの留学先のパリでは映画が大流行で「絵画は時代遅れ」と思ったため、帰国後は小説を執筆。ただ、第4回芥川賞(注:正式には「芥川龍之介賞」)を受賞した小説「地中海」の主人公は画家で舞台はパリと南フランス。留学経験は小説に生かされたようです。

◆現代の美術
(主な作品)
・河原温《カム・オン・マイハウス》1955年、《私生児の誕生》1955年
 時代の閉塞感が画面を歪める?!戦後の日本社会を鋭く見つめた、若き日の河原温。
・桑山忠明《無題》1965年
 アメリカ現代絵画の第一線で活躍する桑山忠明 大学時代は意外にも日本画専攻。
・荒川修作《35フィート×7フィート6インチ、126ポンド No.2》1967-68年
 10.7m×2.3m、47kg。タイトルの数字が意味するものは?
・赤瀬川原平《復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)》1963年
 旭丘高校美術科出身、前衛画家赤瀬川原平の渾身の力作 130倍に拡大模写した千円札。
・藤本由紀夫《TABLE MUSIC》1987年
 《TABLE MUSIC》の鑑賞方法
 ① この作品には触ることができます。やさしく触れてください。
 ② 巻ききらないよう注意しながら、お好みのネジを巻いてください。
 ③ 新しくできあがる音楽に耳を傾けてください。
(ギャラリートーク)
名古屋市美術館で現代美術の主要作家は郷土出身の河原温、荒川修作と桑山忠明です。また、荒川修作と旭丘高校美術科の同級生・赤瀬川原平の作品も収集しています。赤瀬川原平は尾辻克彦のペンネーム(注:本名は赤瀬川克彦)で執筆した「父が消えた」により芥川賞(注:1980年下半期の第84回芥川賞)を受賞しています。名古屋市美術館が作品を収蔵している作家のうち、何と2名が芥川賞を受賞しています。
河原温は「Todayシリーズ」が有名で、どの美術館も収蔵しています。なので、本展では河原温がニューヨークに渡る前の1955年に描いた「変形キャンバス」の《カム・オン・マイハウス》と《私生児の誕生》を展示しました。「変形キャンバス」の作品は、名古屋市美術館以外では東京国立近代美術館が《孕んだ女》を、大原美術館が《黒人兵》を所蔵しています。《カム・オン・マイハウス》の画面中央に逆さまになった女性が描かれています。よく見ると女性は右腕を伸ばしてビンをつかんでいるのですが、手の平は左手のもの。ビンの中身が上手く注げません。大原美術館所蔵の《黒人兵》と合わせてみると、戦後の社会問題に対して鋭い批判を投げかけていたことが分かります。
 荒川修作の作品は何回も展示しているので今回は解説しません。桑山忠明《無題》は「システミック・ペインティング展」出品作で、クールな抽象画。歴史的価値のある作品です。
藤本由紀夫は名古屋生まれの作家で《TABLE MUSIC》は常設展に2回ほど展示しています。18個のオルゴールを取り付けたテーブルです。(注:オルゴールは金属の円筒に取り付けられたピンが、長さの違う櫛状の金属版(櫛歯)を押し上げて弾くことにより曲の演奏を行う装置です。櫛歯の一本一本が一つの音階に対応しています)18個のオルゴールは、それぞれが一つの音程しか出せないように、他の櫛歯を折り曲げています。運よく18個のオルゴールが全て同調すれば「枯葉:英語”Autamn Leavs”、仏語 “Les Feuilles Mortes”」が演奏されますが、ほとんどの場合は別の曲になります。

◆最後に
 参加者からは「こんな作品があるなんて知らなかった」「名古屋市美術館のコレクションの質の良さを再認識した」「こんなに面白いなら、これからも定期的にベスト・セレクション展を開催してもいいのではないか」「東山動物園猛獣画廊壁画は素晴らしい。修復費用を夢・プレミアムアートコレクションで集めてはどうか」などの声が聞かれました。
 「常設展の延長だから」と、あまり期待していなかった人が多かったようですが、予想は大きく外れ「見ごたえのある展覧会」となりました。展示室を歩くと微かに《TABLE MUSIC》の演奏が聞こえるのも、心地良いバックグラウンド・ミュージックです。
 地下1階では「名品コレクションⅡ」が同時開催されています。今回のギャラリートークでは鑑賞できませんでしたが、「名品コレクションⅡ」では「エコール・ド・パリ」の女性像ばかり集めるなど面白い展示があります。「ザ ベスト セレクション」と「名品コレクションⅡ」は「二つでひとつ」。二つ合わせて鑑賞することをお勧めします。
 常設展示室3で開催中の「名古屋市庁舎竣工85年 建築意匠と時代精神」も「一見の価値あり」です。
Ron.

展覧会見てある記「名古屋市美術館 名品コレクション展Ⅱ」など

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋美術館の地下1階常設展示室1・2では「名品コレクション展Ⅱ」が、常設展示室3では「名古屋市庁舎竣工85年 建築意匠と時代精神」が開催されています。最終日は11月25日(日)。概要は以下のとおりです。

◆名品コレクション展Ⅱ 
◎エコール・ド・パリ
目玉は、新収蔵品・藤田嗣治《ベルギーの婦人》1934年制作 です。常設展のパンフレットによれば「1933年11月に日本に帰国した藤田。(略)《ベルギーの婦人》は、この時期の藤田が懇意にしていた、在日ベルギー大使館関係者の妻の肖像と思われる。(略)背後に散りばめられた霊芝、珊瑚、巻子などの吉祥文様との組み合わせが面白い。恐らくモデルの婦人を寿ぐ意味が込められているのだろう」とのことです。また、開館30周年を記念して団体・個人からの寄付金をもとに「夢・プレミアムアートコレクション」として購入した作品です。
看板娘のモディリアーニ《おさげ髪の少女》が「ザ ベスト コレクション」に出張しているため「淋しくなったのではないか」と危ぶんだ「エコール・ド・パリ」のコーナーですが《ベルギーの婦人》の初お目見えに加え、マリー・ローランサン《アポリネールの娘》を始めとする女性像が勢ぞろいしているので華やかな一角となっています。
また、《ベルギーの婦人》の隣には、同じく藤田嗣治《家族の肖像》と寄託作品《那覇》が展示され「藤田コーナー」ができていました。

◎現代の美術
「ザ ベスト コレクション」の「現代の美術」では河原温の「Todayシリーズ」ではなく、あえて「変形キャンバス」の《カム・オン・マイハイス》と《私生児の誕生》を展示していましたが、「名品コレクション展Ⅱ」では「Todayシリーズ」を1966年から1980年まで、毎年1作品ずつ15作品をずらりと並べており、壮観です。
寄託作品のサイモン・パターソン《大熊座》は、一見すると地下鉄路線図ですが、路線が「哲学者」あり、「イタリアの芸術家」あり。駅名も「プラトン」や「レオナルド」があり、英語を訳しながら路線をたどると面白い作品です。難を言えば「急いでいる人にはお勧めできない」ことですね。

◎メキシコ・ルネサンス
 渋い作品ですが、ティナ・モドッティの写真が6点展示されています。
「ザ ベスト コレクション」展示のティナ・モドッティの写真2点とマニュエル・アルバレス・ブラボの写真3点と合わせて鑑賞すると良いのではないでしょうか。

◎現代の美術
浅野弥衛の油絵と銅版画、杉本健吉の《名古屋城再建基金ポスター原画》と《新・水滸傳挿絵原画》の特集です。壁のほとんどが浅野弥衛の作品で埋まるというのは壮観です。
「ザ ベスト コレクション」で様々な作品を展示しているので、常設展では逆に、思い切ったことが出来るということでしょうか。

◆名古屋市庁舎竣工85年 建築意匠と時代精神
 名古屋市役所本庁舎は洋風建築の上に中華風の塔を配した「帝冠様式」の建築ですが、常設展のパンフレットによれば「帝冠様式」にも「塔を配したもの」「城郭を配したもの」の二つの様式があったようです。
先ず「塔を配したもの」として〇名古屋市庁舎(現:名古屋市役所本庁舎)、〇神奈川県庁本庁舎、〇東京市庁舎(実施されず)の外観図などが展示されています。
 また「城郭を配したもの」として〇大禮記念京都美術館(現:京都市美術館)、〇軍人会館(現:九段会館)、〇東京帝室博物館(現:東京国立博物館本館)の外観図などが展示されています。今回の展示にはありませんが、愛知県庁本庁舎や昨年度の「異郷のモダニズム展」で紹介された関東軍司令部庁舎(現:中国共産党吉林省委員会本館)は「城郭を配したもの」に分類されるのでしょうね。
解説が常設展のパンフレットしかないのは残念ですが、面白い展示です。
 
◆最後に
今期の常設展「名品コレクション展Ⅱ」は、同時開催の企画展「ザ ベスト コレクション」とのコラボ企画。常設展・企画展の二つを合わせて鑑賞するのがベストだということが分かりました。
Ron.

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ 石切り場 前室にて 音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち