お知らせ

2018年10月30日

2018年協力会イベント情報

現在、募集中のイベントは下記のとおり。

平成31年1月13日(日)10時~
・名古屋市博物館:『画僧 月僊』展ミニツアー

会員の皆様は、ファックスか、お電話でお申込ください。
なお、ホームページからもお申込可能です。
(右側の”Gトーク”申込ボタンから)

「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」(以下「本展」)のギャラリートークに参加しました。担当は中村暁子学芸員(以下「中村さん」)。「建築家」の展覧会にも拘わらず(?)参加者は予想を上回って70人になりました。参加人数は多いのですが会場がゆったりしているため、先の「ベストコレクションのギャラリートーク」と同様に全員が一緒に動きました。以下は、中村さんによるギャラリートークの概要で、(注)は私の補足です。

◆エントランスにて
アルヴァ・アアルト(以下「アアルト」)はフィンランドの建築家。木・レンガといった自然の素材を活かしながら周囲の環境と調和した建物を設計しました。本展はドイツのヴィトラ(Vitra)・デザイン・ミュージアムが企画し、ドイツ、スペイン、デンマーク、フィンランド、フランスと欧州五カ国を巡回後、神奈川県立美術館葉山、名古屋市美術館、東京ステーションギャラリー、青森県立美術館の順で開催される国際巡回展です。(注:ヴィトラは、アアルトがデザインした椅子の生産・販売会社であるアルテック(Artek)を傘下に置くドイツの企業です)
アアルトは建築家ですが、家具、ガラス器、照明器具のデザインまで手掛けました。アアルトの本格的な回顧展は東京のセゾン美術館で開催されて以来、20年ぶりの開催です。
(注:以上のトークを聴いた後、1階展示室に移動しました)

◆1階展示室にて
◎初期に手掛けた教会建築
 皆さん方から見て左の展示は、アアルトが初期に設計した教会建築です。ムーラメの教会では家具を始め椅子のデザインまで手掛けています。この時にデザインした革の椅子を見ると脚はスチールパイプ製ですが、その形は「後の『曲げ木』につながるのでは」というのが私の個人的感想です。また、トイヴァッカの教会で設計した燭台は有機的曲線で構成されています。アアルトのデザインには曲線がよく使われていますね。トイヴァッカの教会ではステンドグラスや窓のデザインも手掛けています。

◎舞台装置や博覧会、新聞社のデザインも
 壁に映写しているのは善と悪をテーマにした「SOS」という演劇の舞台装置のスライドショーです。スライドショーの左は「トゥルク市700周年記念 第3回フィンランド博覧会」の広告塔と広告館の透視図です。社交的なアアルトは企業と連携して広告塔や広告館をデザインしました。トゥルク市はヘルシンキの前にフィンランドの首都だった街で、日本なら差し詰め「京都」です。トゥルン・サノマット新聞社のデザインを見ると、初期のアアルトは四角い建物を設計したことがわかります。

◎パイミオのサナトリウム
大きな画面の動画はイタリアの写真家アルミン・リンケが撮影したもので、パイオミのサナトリウム周辺の風景です。上下するエレベーターの中から撮影しているのが面白いですね。動画の裏側にパイオミのサナトリウムの病室を再現しているのでご覧ください。壁、天井などは全て、優しい薄緑色を使っています。再現ルームで使用しているベッドなどの家具や照明器具はサナトリウムで使用されていたものです。全てをアアルトが、患者の立場に立ってデザインしました。洗面台は水音が静かになるよう、照明器具は患者がまぶしくないよう配慮しています。クローゼットの形が面白いですね。ベッドは「体格の大きなフィンランド人用にしては幅が狭いのでは」と感じます。アルミン・リンケはパイオミのサナトリウムも撮影しているので、ご覧ください。写真を見ると、実際の病室は再現ルームよりも広いですね。(注:再現ルームでは窓際の部分が省略されているようです)

◎ヴィープリの図書館
ヴィープリの図書館は現在、ロシア領に建っています。第2次世界大戦の結果、当時のソ連領に併合されました。講堂の天井の波形が特色で、これは音響効果を考えたものです。閲覧室の天井には数多くの天窓があるため、室内が明るくなっています。アアルトが描いた音響効果のスケッチも展示しているのでご覧ください。(注:スケッチを見ると、講演者の声が講堂の後ろの方まで届くように波形を配置していることがわかります)
アルミン・リンケの写真をご覧ください。図書館の閲覧室は2階建てで、中央の大きな階段が特色です。アルミン・リンケの写真は建物の細部を切り取るように撮影していて面白いのですが、建物の全体像は分かりにくいですね。ヴィープリの図書館の動画もあるので、ご覧ください。ただ、動画の調子は今一つです。動きがぎこちないのは我慢してください。
(注:展覧会図録p.81~83に掲載の「ヴィーボルク市立図書館(ヴィープリの図書館)の歴史」によれば、①1935年に完成した図書館は1990年代末には修復が必要な状態だった。②1991年に修復委員会が発足したものの資金不足で修復工事は進まず、2009年の段階では完成までに半世紀を要すると考えられていた。③2010年にタルヤ・ハロネン=フィンランド大統領とウラジーミル・プーチン=ロシア連邦首相が合意して650万ユーロの資金が準備され、2011年に図書館を閉鎖して修復工事を開始。④2013年11月23日に図書館再開、とのことです。ネットの記事には、最終的な修復工事費は800万ユーロ(最近の為替レート・1ユーロ=128円で換算して10億2400万円)と書いてありました。フィンランド・ロシア両国に「この図書館は歴史的建造物だ」という認識があったのでしょうね。なお、アルミン・リンケの撮影は2014年。図書館再開の翌年でした)

◎マイ・レア邸
次の写真は「マイ・レア邸」です。マイ・レアはアアルトのお友達で、松林の中に自宅を建てました。アアルトは松林との調和を考えて設計しており、階段室を木の柱で取り囲むなど、木をいっぱい使っています。階段の手すりの曲線も美しいですね。

◎ニューヨーク万国博覧会・フィンランド館
次のコーナーは「ニューヨーク万国博覧会・フィンランド館」(1939)です。フィンランド館の外観はホワイト・キューブ=白くて四角い建物ですが、内部はオーロラのように波打つ、高さ12メートルの壁面です。壁にフィンランドの写真を展示し、その下にフィンランドの産品を陳列しました。このコーナーで映写しているのは「スオミ・コーリング=フィンランドが呼んでいる」という映像作品でシベリウスが音楽を担当。フィンランド館で上映していました。

◎アアルトのアートワーク
1階展示室出口の横に展示しているのはアアルトが制作したレリーフで、彼と親交のあった作家ジャン・アルプの影響を受けています。また、レリーフの前に展示しているのは形が自由に変わる衝立《フォールディングスクリーン 100》です。
(注:この解説を聴いた後、2階に移動しました。なお、1階と2階のエレベーターホールにはアアルトがデザインした《スツール60》を始めとする椅子が置かれており、椅子に座ることや写真撮影をすることができます)

◆2階展示室にて
◎アアルトがデザインした椅子《スツール60》
2階展示室はアアルトがデザインした椅子のコーナーで始まります。この中で代表的なものは3本脚の丸椅子《スツール60》です。《スツール60》は丸椅子のルーツで、「曲げ木」による「L-レッグ」という脚が特徴です。「L-レッグ」は一つの木材にスリットを入れ、そこに薄い板を挟んで曲げた脚です。
また、《スツール60》の隣に展示している椅子の脚は「L-レッグ」開発以前のもので、二つの木材を「組み継ぎ」で直角に接合しています。なお、「L-レッグ」は特許を取っています。
《スツール60》は座面と脚をネジで接合しているので簡単に分解できます。座面と脚、ネジを分けて梱包し、購入者が自分で組み立てるという販売方式を取りました。今では、コム・デ・ギャルソン等とコラボした《スツール60》も生産・販売しています。
アアルトは、自分がデザインした椅子の製造・販売会社アルテックを、友人とともに4人で立ち上げました。アルテック社はアルテック・ギャラリーを設けてフェルナン・レジェとアレクサンダー・カルダーの展覧会やポール・ゴーギャンの展覧会などを開催し、作家とのネットワークを作りました。展覧会の招待状も展示しています。正面の壁は《スツール60》を作っている様子と「曲げ木」を作っている様子を撮影した写真です。(注:このコーナーでは《スツール60》の製造工程を撮影した動画も見ることができます)

◎アアルトがデザインした椅子《アームチェア41 パイミオ》
 《アームチェア41 パイミオ》は「パイミオチェア」とも呼ばれる椅子で、パイミオのサナトリウムのためにデザインしたものです。この椅子の背もたれは、結核患者が楽に呼吸できる角度になっています。また、椅子の座面は合板製で、曲線を上手く使っています。

◎アアルトがデザインした椅子《リクライニングチェア 39》
 このリクライニングチェアの脚は「カンチレバー」(cantilever=片持ち梁)という構造で、U字型の脚です。前方の部材だけで重さを支えているので弾力性があります。後ろに支えるものがないので「大丈夫か」とも思いますが、ちゃんと計算して作っているので、安心して座ることにしましょう。

◎アアルトがデザインした照明器具
 壁際に並んでいるのは、アアルトがデザインした照明器具です。照明器具を吊るしている板をご覧ください。最初に持ち込まれた板は厚さが15センチもあり、とても重かったので別の板を用意して展示しました。

素敵な照明器具のもとで

素敵な照明器具のもとで


◎アアルトがデザインしたガラス器
 ここに展示されているのは《サヴォイベースの型》で、フィンランドの湖の曲線をイメージした花瓶を作るための型です。溶けたガラスに息を吹き込んで膨らませ、この型に入れて成型したのです。現在、イッタラ(iitala)でサヴォイベースを販売しています。
 隣に展示しているのは、アアルトの最初の妻アイノ・アアルトがデザインしたタンブラーです。アイノに先立たれたアアルトは、エリッサと結婚しました。

◎アアルトが設計した建物の模型、図面、写真と建築部材
 この写真は「アアルトの夏の家」で、エリッサと一緒に過ごした別荘です。「実験住宅」という名のように様々なタイルやレンガをモザイクのように組み合わせて使用し、部材がフィンランドの気候に耐えるかどうかを実験しました。建築部材が並んだ棚には「L-レッグ」、「Y-レッグ(2つのL-レッグを組み合わせたもの)」、「ドアハンドル」「棒状のタイル」「赤いレンガ」など、アアルトがデザインした建築部材を展示しています。
「サウナッツァロのタウンホール」では、議会ホール天井の梁の模型をご覧ください。「マルチビーム・バタフライ・トラス」という構造で、放射状に配置された沢山(たくさん)の梁で屋根を支えています。
(注:このほか、「ヴォクセンニスカの三つ十字の教会」「国民年金局」「フィンランディア・ホール」「スニラ・パルプ工場と住宅地区」「文化の家」などについて解説がありました。なお、建築模型の展示台には図面を収納した引き出しがあり、自由に閲覧することができました)

建築模型をのぞきながら

建築模型をのぞきながら


◆影の主役はアルミン・リンケ
本展は「ゆったりとした配置のおしゃれな展示」が印象的で、特に2階の椅子と照明器具の展示空間は気持ちよかったですね。また、アルミン・リンケが撮影した大画面の写真が数多く展示されており、建物の雰囲気を味わうことができました。確かに中村さんが指摘したように「建物の全体は分かりにくい」ものの、「建物の細部を切り取るように撮影」していて臨場感があります。表向きは「アルヴァ・アアルト展」ですが、影の主役はアルミン・リンケでした。

◆最後に
ギャラリートークが終わっても、参加者はなかなか美術館を後にしません。2階出口のショップで《スツール60》などのグッズを眺めている人が多かったのです。販売員が帰ってしまい、グッズ購入はできないのですが可愛い品物が沢山あって見飽きません。また、2階のロビー西側にはパイミオチェアなど数種類のアームチェアに座ることができるコーナーもあり、歩き疲れた参加者が交代で休んでいました。なお、「板張りのパイミオチェアよりも、ふかふかのアームチェアのほうが体は楽だ」というのが、大方の参加者の感想でした。
Ron.

わかりやすく解説してくださった中村学芸員、ありがとうございました!

わかりやすく解説してくださった中村学芸員、ありがとうございました!

「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」展

カテゴリ:アート・ホット情報 投稿者:editor

 11月28日付の日本経済新聞文化欄に宮川匡司編集委員による美術展の記事とカラフルな図版2点が掲載されていました。見出しは「多彩で繊細な抽象表現の冒険」、以下は記事の抜粋です。

4年前に64歳で急逝した辰野登恵子は、1980年代以降、豊麗な色彩と力強い形態の抽象表現で、現代絵画のトップランナーとして活躍した画家である。さいたま市の埼玉県立近代美術館で開催中の「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」展は、主に紙に描いた作品を数多く集め、代表的な油彩画約30点と合わせて年代順に紹介した回顧展だ。(略)抽象の領域で、画家がいかに多彩で繊細な冒険を積み重ねてきたのか。その道筋を克明に見つめた展示である。2019年1月20日まで。名古屋市美術館に巡回。(注:70年代から2000年代以降までの作品の変遷を記した部分はスペースの関係で省略しました)

埼玉県立近代美術館のホームページを開くと展覧会の概要と出品作品の図版がアップされていました。記事に書かれた「紙に描いた作品」とは版画やドローイングで、約200点が出品されているようです。
名古屋市美術館での会期は2019年2月16日から3月31日まで。今から楽しみですね。
追伸
埼玉県立近代美術館のホームページにアップされていた動画「椅子の美術館」を見たら、アルヴァ・アアルト《パイミオチェア》が出てきました。「アルヴァ・アアルト展」にも縁があるようです。
Ron.

アルヴァ・アアルト展の評判など

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

 少し前のことになりますが、11月21日付の日本経済新聞文化欄に窪田直子編集委員による「アルヴァ・アアルト展」の記事がありました。以下は記事の抜粋。見出しは「合理的で温かいデザイン」でした。

アルヴァ・アアルトは、国際性と地域性を微妙なバランスで結びつけた建築家だった。(略)「ヴィープリ市立図書館」の講堂内のうねる天井は音響を考えながら、木材をふんだんに使って窓の外の景色と一体化させている。「パイミオのサナトリウム」は、すべての部屋に陽光が差し込むように設計し、患者の治療に配慮した家具や照明器具をデザインした。(略)家具メーカー「アルテック」を設立。シリーズ化した椅子の手すりや足に曲げ木を採用し、金属パイプにはない温かみを出した。古くなったスツールなどを修理・再生する仕組みもある。芸術とテクノロジー、クラフツマン精神と工業製品の融合を目指す社名にふさわしい取り組みだ。(略)本展はアルヴァ・アアルト美術館とドイツのヴィトラ・デザイン・ミュージアムが企画し、欧州5カ国で開催された。図面を引き出し付きの木製棚に収め、気鋭の写真家が撮り下ろしたカラー写真や映像、実物の家具などで構成する洗練された展示も見どころ。25日まで葉山で開催後は愛知、東京、青森に巡回する。

悪くない評価ですね。神奈川県立美術館葉山で本展を見てきた人からは「椅子の展示もあって面白かったけれど、建築については協力会のギャラリートークで解説を聴いてみたい」という話を聞きました。確かに、展示室で作品を前にして担当の学芸員さんから解説を聴くと、作品に対する理解が深まりますね。
「アルヴァ・アアルト展」の協力会会員向けギャラリートークは12月9日(日)17:00から。名古屋市美術館2階講堂に集合です。図面や写真だけではつかみ切れないアアルト建築の魅力に触れることができると思いますよ。ご覧の協力会ブログサイトから申し込みできます。
ぜひ、お越しください。
Ron.

秋のツアー2018(九州美術館巡り)第2日

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

「秋のツアー2018(九州美術館巡り)第1日」の続編です。
ツアー第1日に「七五三の参詣客で太宰府(「大宰府」ではありません)天満宮が混雑している」という情報が入ったため、第2日の出発時刻が予定より15分早くなりました。午前8時15分の出発です。九州国立博物館(以下「九博」)の開館時刻・午前9時30分までに到着することを目指し、バスは走ります。

◆バスの車内では
バスの車内では、九博に到着するまでの時間を利用して、同行をお願いした名古屋市美術館・学芸係長の保崎さん(以下「保崎さん」)から九博の展覧会「オークラコレクション」、福岡県美術館の展覧会「バレルコレクション」と福岡アジア美術館のコレクションについてコメントがありました。以下は、その概要です。
◎保崎さんのコメント
オークラコレクションは、大倉喜八郎・喜七郎の父子が二代にわたって収集したコレクションです。父の喜八郎は明治から大正にかけて活躍した実業家で、様々な事業を展開する一方、日本・東洋の古美術品を精力的に収集し、私立美術館の大倉集古館を開設しました。その息子でホテル・オークラの創設者・喜七郎も私費で近代日本画をヨーロッパに紹介するなど、多大な文化的貢献を果たしました。このオークラコレクションを収蔵する大倉集古館が東京オリンピックに向けてリニューアル工事に入ったことから、今回の展覧会「オークラコレクション」が実現しました。
「オークラコレクション」では、1930年にローマで開催した日本美術展の出品作品が見ものです。3期に分けて展示替えがあるため前田青邨(まえだせいそん)の傑作《洞窟の頼朝》が見られないのは残念ですが、横山大観《夜桜》を見ることができます。河合玉堂の作品も海外に出品するということから力が入っています。この外に、国宝《納涼図》を描いた久住守景(くすみもりかげ)、渡辺崋山の友人・椿椿山(つばきちんざん)、四条派の松村景文(まつむらけいぶん)も押さえておきたいところです。
「バレルコレクション」では、アントン・モーヴ、ヤーコブ・マリスなどのオランダ・ハーグ派の作品が出品されています。バルビゾン派に似た作風です。印象派が登場する前の画家、ドービニーやブーダンの作品も見ものです。現在、山梨県立美術館でドービニーの回顧展が開催されています。(注:11月24日に発売された「芸術新潮」12月号p.167に紹介記事があります。また、付録「芸新手帳2019」によれば、この「シャルル=フランソワ・ドービニー展」は2019.9.10~11.4の会期で三重県立美術館に巡回する予定です)
アジアの現代美術については、2015年のヴェネツィア・ビエンアーレで見ました。「熱い」と感じました。インド、中国、東南アジアの作品はメッセージ性が強いですね。

九州国立博物館、大きい!!

九州国立博物館、大きい!!


◆九州国立博物館(福岡県太宰府市)
◎明治150年記念特別展 オークラコレクション(3階)
 バスの到着は、九博の開館時刻前でした。既に、九博のロビーには開館を待つ入館者の長蛇の列。人気のスポットなのですね。3階の「オークラコレクション」は国宝、重要文化財、重要美術品が山盛りでした。
国宝《随身庭騎絵巻(ずいじんていきえまき)》は美化してない顔ばかり並んでいます。男前ではないが装飾的で「うまい」と感じました。重要文化財《賀茂競馬・宇治茶摘図屏風(かもくらべうま・うじちゃつみずびょうぶ)》久住守景筆にはホンワカとした情緒があります。椿椿山《蘭竹図屏風(らんちくずびょうぶ)》は金地に墨で描いた6曲1双の屏風、松村景文《四季草花図屏風(しきそうかずびょうぶ)》は緑とピンクが目を惹きます。伊藤若冲《乗興舟(じょうきょうしゅう)》は写真のネガのような作品でした。また、黄金に輝くタイの仏像は、日本と全く違う姿で、印象に残りました。1930年の日本美術展覧会に出品された作品は、保崎さんがコメントしたとおり、どれも力がこもっており大きく華やかな絵でした。この展覧会を見ただけでも、九州まで足を伸ばした甲斐がありました。
◎文化交流展示室(4階)
 集合時刻まで残りわずかにとなったため、4階はざっと見ただけです。特別展示の「大宰府研究の歩み」(「太宰府」ではありません)のパンフレットだけをもらって、集合場所に駆け付けました。
◎保崎さんのコメント
九博見学後、福岡県立美術館に向かうバスの車中ですが、保崎さんが住吉如慶(すみよしじょけい)《秋草図屏風(あきくさずびょうぶ)》、狩野派《帝冠図屏風(ていかんずびょうぶ)》、重要美術品《和漢古画図巻(探幽縮図)》狩野探幽他筆、下村観山《不動尊》、小林古径《木菟図(みみずくず)》、宇田荻邨(うだてきそん)《淀の水車》などについての感想を話してくれました。

◆昼食
昼食は太宰府天満宮(以下「天満宮」)本殿の裏にある照星館。九博のロビーに集合してから、徒歩で動く歩道とエスカレーターを経由して天満宮の敷地に入ってから本殿の境内を歩き、本殿の裏門を抜けて到着。所要時間は10分ほどでした。前日に入った情報どおり、境内は七五三の家族連れで混雑していました。しかし、それよりも多かったのは外国人観光客。お祭りのような人出でした。
昼食に出たのは、太宰府名物・梅ケ枝餅付きの幕の内弁当。照星館は店頭で梅ケ枝餅を製造・販売していました。昼食後は、暫く自由行動。再度集合して、ボランティアガイドさん(以下「ガイドさん」)が待つ天満宮の総合案内所に徒歩で向かいました。

大宰府、迷子?

大宰府、迷子?


◆太宰府天満宮(福岡県太宰府市)
ガイドさんと合流後、「東風吹かばの歌碑」まで移動。右大臣だった菅原道真公が大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷された時の「飛梅伝説」について聞きました。歌碑のすぐそばに銅製の「御神牛」があり、記念写真を撮る順番を待つ観光客の長い行列が出来ています。ガイドさんは観光客が気になるのか、話しにくそうでしたね。
続いて、総合案内所横の鳥居をくぐり天満宮の由来書まで移動。ガイドさんは「神社の入口左側には由来書があるので、神社に参拝するときは必ず読んでくださいね」といった後、我々に「さて、天満宮が『太宰府天満宮』という名前になったのはいつでしょうか」と、質問されました。
正解は、何と「昭和22年」でした。以下は、ガイドさんの話や天満宮のHP等にもとに書いてみた、天満宮の名称が「太宰府天満宮」となるまでの経緯です。
◎太宰府天満宮:名称の変遷
903年に菅原道真公が死去。門弟の味酒安行(うまさけのやすゆき)が御亡骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなりました。これを「道真公の遺志によるもの」と考えてその場所に埋葬。905年、安楽寺の境内に味酒安行が廟を建立し天原山庿院安楽寺と号しました。その後、京の都では疫病が流行し、道真公を大宰府に左遷した藤原時平が急逝しました。これが「道真の祟り」と恐れられ、鎮魂のため、改めて神社を建立して道真を祀ることとなり、919年に社殿が完成しました。この年が太宰府天満宮の創建年とされます。987年には一条天皇から道真公に「北野天満天神」の称号が贈られ、990年頃には本来は天皇や他の皇族を祀る神社につけられる「天満宮」の社号を併用し「安楽寺天満宮」を名乗るようになりました。明治時代に入り、「宮」という社号を名乗るのは皇族を祀る神社に限ることとされたため、1871年(明治4)年に社号を「太宰府神社」に変更しました。社号が現在の「太宰府天満宮」となったのは、1947年(昭和22)年です。(注:第二次世界大戦後に政教分離が行われたため、再び「宮」という社号をつけることができた、ということでしょうね)
◎本殿に参拝
本殿に参拝するためには、心字池に架けられた過去、現在、未来を表す三つの橋(過去と未来は太鼓橋、現在は平橋)を順番に渡っていくことが必要ですが、太鼓橋は観光客で満員。本殿の参拝が終わるまでに、かなりの時間を要しました。

◆バスガイドさんの話で大宰府の歴史を知る
福岡県美術館に向かう途中、バスは史跡を「大宰府政庁跡」「榎社」「水城(みずき)」の順で通過。史跡を通過するたびに、バスガイドさんの説明がありました。説明の概要は、以下のとおりです。
◎バスガイドさんの説明
・大宰府政庁跡
7世紀に造営された大宰府政庁は12世紀前半には役割を終え、荒廃していきました。現在、大宰府政庁跡には石碑が建っています。
・榎社
菅原道真公は大宰権帥に任ぜられても大宰府政庁には出仕せず、榎社で暮らして生涯を終えました。
・水城
水城は白村江の戦いで大和朝廷の軍が大敗した後、唐・新羅の軍を防ぐために築いた堀と土塁です。大和朝廷は水城のほか、北に大野城、南に基肄城(きいじょう)を築いて大宰府政庁を守りました。
◎年代順にすると
今回のツアーで見聞きした「大宰府」に関する事柄を年代順にまとめてみると、①大陸との交易拠点は博多湾沿岸にあった。②白村江の大敗により、唐・新羅の攻撃を避けるために行政機関の大宰府政庁を水城の後方に造営した。③大宰府政庁が造営された後も、博多湾沿岸には「鴻臚館」が置かれ外交交易の拠点になった。④12世紀になると、博多湾沿岸を拠点にした、大宰府を通さない私貿易が活発となり大宰府政庁は役割を終えた、ということになるでしょうか。
出発してから40分ほどで、バスは福岡県立美術館に到着。それは、須崎公園のなかにありました。

◆福岡県立美術館(福岡市中央区)
福岡県立美術館では「バレルコレクション」等について、高山学芸員から10分ほど説明を受けました。その概要は、次のとおりです。
◎高山学芸員の説明
バレルコレクションを収集したウィリアム・バレルはグラスゴーの出身です。彼は海運業で財を成し、印象派のほかオランダ人画家、スコットランド人画家の作品を収集しました。スコットランド人画家の作品収集には地域文化の発展という目的もあります。作品の総数は9,000点ぐらいありますが、1944年にグラスゴー市に寄贈されました。寄贈にあたっては「門外不出」という条件が付いていました。しかし、美術館「バレルコレクション」が改装工事に入り2020年にリニューアルオープンすることになったため、日本の5会場での展覧会開催ができることとなりました。出品作品ですが、クールベ等の写実主義の作品は穏やかな雰囲気のものです。グラスゴー・ボーイズ、スコティッシュ・カラリストと呼ばれたスコットランド人画家の作品もあります。チラシにはブーダンが描いた船の絵を使いました。出品作品には知られざる名作が多数あります。心地よくなる絵が大半です。どうか、お楽しみください。なお、4階の常設展は本日、入場料無料です。博多人形を展示していますのでお越しください。
◎バレルコレクション(3階)
高山学芸員の説明通り、バレルコレクションは眺めていて落ち着く作品ばかりでした。「他人に見せびらかすためではなく、個人の邸宅にさりげなく飾って一人楽しむため」という作品が多いからでしょうね。そのためか小振りの作品が多いのですが、でも、いい感じです。表紙に使われたウジェーヌ・ブーダン《ドーヴィル・波止場》は27.9×21.9cmと、思ったより小さな絵でした。
◎鹿児島寿蔵(かごしまじゅぞう)の人形と短歌(常設展)(4階)
会場の説明を読むと、鹿児島寿蔵(1898-1982)は福岡市の生まれ。博多人形の制作に取り組んだ後、より丈夫な素材を求めて「紙塑(しそ)」という技法に到達したとのこと。「紙塑」とは和紙の原料で作った紙粘土で、長時間臼でつき捏ねているので堅く、少々の水や火にも耐える素材です。作者は、この技で人間国宝に認定されています。
九州という土地柄か古代人の衣装を着た人形が多く、吉野ケ里歴史公園や福岡市博物館、九州国立博物館の展示を思い出しました。
◎高野野十郎(たかのやじゅうろう)特設コーナー(4階)
高野野十郎の作品は4階の無料スペースに展示されていました。当日は《蠟燭》《傷を負った自画像》など5点の作品を展示。2カ月ごとに展示替えとのことです。
福岡県立美術館を見学した後、バスは福岡市博多区の複合施設「博多リバレイン(Hakata Riverain)」に向けて発車しました。博多リバレインはリバレインセンタービル、ホテルオークラ福岡ビル及び博多座・西銀ビルの3施設で構成される複合施設で、福岡アジア美術館はリバレインセンタービルの7~8階にあります。リバレインセンタービルにバスの駐車場はないので、バスは昭和通りに停車。そこからリバレインセンタービルまでは徒歩でした。

◆福岡アジア美術館(福岡市博多区)
 エレベーターに分乗してリバレインセンタービルの7階で降りると、福岡アジア美術館の野口さんと3人のボランティアさんが出迎えてくれました。ツアー参加者は3班に分かれ、班ごとにボランティアさんのギャラリートークを聴いた後は、自由観覧でした。

福岡アジア美術館、トーク中

福岡アジア美術館、トーク中


◎ボランティアさんのギャラリートーク
先ず、企画ギャラリーで開催中の「横尾忠則とアジア― ’89」をご覧いただきます。出品作品はいずれも福岡市美術館の所蔵です。最初に展示しているのは「聖シャンバラ」のシリーズです。「聖シャンバラ」は想像上の都市、地球内部の空洞に存在するというアガタ王国の首都の名前です。横尾忠則はインドに興味を持ち、まだ見ぬインドに対する自分のイメージを作品にしました。次の「SANTANALOTUS」はレコードジャケットのデザインです。また、1989年に開催されたアジア美術展のポスターと原画も展示しています。
次の部屋はアジアギャラリーです。福岡アジア美術館の収蔵品を展示しています。エルマー・ボルロンガン(フィリピン)《D.H.(家政婦)》(1993)は外国で家政婦として働くフィリピン女性たちの過酷な実情を描いた作品です。椅子に腰かけた二人の女性、弱い立場にある彼女たちの口の回りは消えかけています。ラジ・クルーマ・ダス(絵)、ガッファール工房(車体製作)(バングラディシュ)《リキシャ》(1994)は、日本の人力車をルーツにした乗り物。カラフルな幌、色とりどりのリボンで飾られたハンドル回り、極彩色の絵で埋め尽くされた座席、びっくりするほどに過剰な装飾が施されています。カルロス・フランシス(フィリピン)《教育による進歩》(1994)はマニラの教科書出版社の壁画として描かれたもので、古代にやってきたマレー人、アメリカ統治時代に派遣された教師団などフィリピンの歴史を描いています。キエン・イムスィリ(タイ)《音楽のリズム》(1949)は、タイの古典様式をもとにしたブロンズ彫刻です。
以上のほかにも多くの作品について解説していただきましたが、残念ながらメモしきれませんでした。保崎さんのコメントのとおり、メッセージ性の強い作品が多く、そのためか大型の作品が目立ちました。
◎保崎さんのコメント
帰りのバスのなかで保崎さんから「漁港の岸壁で男性がウナギを調理しようしている姿を描いた韓国の画家の作品(画家名・題名不詳)が面白かったと」とのコメントがありました。確かに面白い絵でしたね。絵の感じでは、男性の動作はウナギを割(さ)くのではなく、「ぶつ切り」にしようとしている姿に見えます。日韓ではウナギの調理法が違うのでしょうか。
◎日韓工芸作品展(8階)
ギャラリートーク終了後、時間があったので8階で開催している「日韓工芸作品展」も見ました。ダ・ヴィンチ《モナリザ》やフェルメール《真珠の耳飾りの少女》などの漫画風パロディをレリーフにした作品や風景画をレリーフにして額縁に収めた作品、ハングルの書道など、遊び心のある作品が多くて楽しめました。

◆JR博多駅にて
 福岡アジア美術館を出てJR博多駅に到着したのは午後5時。新幹線の発車時刻は午後6時10分なので博多ラーメンを食べたり、買い物をしたりする時間を確保することができました。午後6時10分の新幹線に乗らない参加者もいるため、ツアーはここで一先ず解散です。
 今回の秋のツアーで感じたのは「アジアの熱気」です。特に、九博と天満宮の外国人観光客の数に圧倒されました。また、第1日に市博の学芸課長から聞いた「福岡はアジアの玄関口」という言葉を、ツアーの中で何度も何度も思い出しました。

◆最後に
今回の秋のツアーは心配していた雨にも祟られず、参加者の笑顔で締めくくることができました。これも、同行していただいたJR東海ツアーズ・三次(みつぎ)さんのお陰です。見学順序や食事時刻の変更など無理なスケジュール調整に、いやな顔も見せずに対応して下さったことに感謝します。スケジュール調整の効果はとても大きくて、ツアー参加者は「無駄に時間を費やす」ことなく、ツアーの日程を目一杯エンジョイすることができました。本当に、ありがとうございました。
最後に、ツアーに参加して下さった皆さん、お疲れ様でした。楽しかったですね。
Ron.

秋のツアー2018(九州美術館巡り)第1日

カテゴリ:アートツアー 投稿者:editor

11月17日(土)から18日(日)までの2日間、名古屋市美術館協力会の秋のツアーに参加しました。
今回のツアーは協力会設立30周年記念。奮発して九州まで足を伸ばしました。JR博多駅まで新幹線で往復し、JR博多駅からはバスツアー。現地発着の参加者もいました。20周年記念のツアーの目的地は沖縄だったそうです。
参加者は23名。2名は現地発着なので、21名がJR名古屋駅に集合。JR博多駅で現地発着の2名と合流。ロスタイムは無く、幸先の良いスタートとなりました。

お昼ごはんは、釣りが出来るお店?

お昼ごはんは、釣りが出来るお店?


◆昼食は船から釣りができるお店(福岡市中央区)
 バスに乗って20分ほどで昼食会場に到着。道を隔てて福岡市鮮魚市場が見えます。バスガイドさんによれば「長浜の屋台エリア」も近いそうです。昼食会場は「釣船茶屋 ざうお」という名のとおり、倉庫のような建物の中に釣り堀。床には2艘の大きな船が置かれ、船から釣りが可能。魚が釣れると景気づけの太鼓が店内に響きます。我々が通されたのは船が見える部屋でした。昼食終了後は福岡市博物館(以下「市博」)へ。
福岡市博物館にて、金印を見る

福岡市博物館にて、金印を見る


◆福岡市博物館(福岡市早良(さわら)区)
市博のお目当ては国宝「金印」です。
◎福岡はアジアへの玄関口
市博では学芸課長(以下「課長さん」)さんが出迎えてくれました。福岡市が中心に描かれた円形の地図がある部屋に通され「福岡は大阪より釜山の方が近い、アジアへの玄関口」との解説。次は、いよいよ国宝「金印」です。市博の目玉とあって、国宝「金印」には特別ルームが用意されていました。
◎国宝「金印」について
以下は課長さんの解説の概要です。
・国宝「金印」のサイズ・重量など
国宝「金印」は一辺2.3cm、重さ108グラム、純度は約95パーセント。当時の技術としては最上の純度です。以前に3億円という鑑定をもらっていますが、金地金なら時価50万円ぐらいの価値です。
・「漢委奴國王」の読み方
現在は、国宝「金印」に彫られている「漢委奴國王」を「かんのわのなのこくおう」と読むのが普通ですが、江戸時代は「かんのいとこくおう」と読むのが主流でした。「委奴」を「いと」と読んだのです。
・金印保存の立役者、亀井南冥(かめいなんめい)
国宝「金印」が志賀島で見つかったという話は、ご存知のことと思います。お殿様に金印が献上された時、黒田藩内には「溶かして使ったらいい」という意見もあったようです。これに対し、漢代の古典に精通していた黒田藩の儒学者・亀井南冥が金印の価値を認め、全国の学者に金印の発見を知らせて意見を求めました。全国から様々な論考が届いた結果、金印が保存されることになりました。
・金印は機密保持に使用
金印は公文書の機密保持のために使用されました。当時の公文書は木簡や竹簡に書きました。これを蓋付きの容器に入れ、紐をかけて運びます。しかし、紐をかけて結んだだけでは、途中で結び目を解(ほど)かれる恐れがあります。公文書が盗み見られても、紐を結び直せばバレません。そこで、機密保持のために紐の結び目を粘土で封をした上で印を捺(お)しました。これを「封泥(ふうでい)」といいます。封泥をした公文書は紐を切らないと見ることができません。これで盗み見を防止できます。また、封泥した時に文字が浮き出て見えるよう、金印の文字は凹んでいます。
・素材と鈕(つまみ)
 印は持ち主の地位に応じた材料で作りました。最上級は玉印、皇帝が使います。金印は王、銀印は太守、銅印はその下の地位の者が使います。鈕も皇帝は龍、漢の本国は亀、国宝「金印」は蛇です。蛇鈕(だちゅう)は南方の民族に与えられたものですが、国宝「金印」の蛇鈕は他の蛇鈕金印とは形が違うので「馬の鈕だった金印に手を加えたものではないか」という説があります。
◎日本で動く一番古い車「アロー号」
課長さんから「日本で動く一番古い車の『アロー号』を是非ともご覧ください。大正5年に矢野倖一が製作したものです。その後、矢野は特殊自動車の開発に進み、現在は矢野特殊自動車となっています」との解説があったので、見に行ったところ、手作り感いっぱいの自動車でした。
「アロー号」の隣には、昭和初期のカフェを再現した「カフェ・ドュ・ミュゼ」があります。
◎戦国時代末期の戦乱で荒廃した博多を豊臣秀吉が再興
 国宝「金印」から「アロー号」まで行く途中で、「九州平定後の豊臣秀吉は、戦乱で荒廃していた博多の復興に着手する。これが、後世に『太閤町割(たいこうまちわり)』と呼ばれる大規模な区画整理で、直線的な幹線道路と街路によって整然とした街区を形成したのである」という説明が気になって立ち止まりました。この外、大宰府の外交施設「鴻臚館(こうろかん)」も気になりましたが、時間不足でパス。帰宅後に調べると、鴻臚館は対外交易の拠点となった施設で、熊本城の敷地内に「鴻臚館跡展示館」があるようです。
◎黒田家名宝の大身鎗・名物「日本号」
 黒田節に出てくる「呑み取りの鎗」=「日本号(にほんごう)」が「黒田家名宝」の展示室にありました。 柄を含めた総長が321.5㎝,刃の長さ79.2㎝、柄は螺鈿という立派な鎗です。「刃の傷は実戦に使われたため」という解説がありました。しかし、鎗の装飾があまりにも豪華なので「本当に使ったの?」と首を傾げる人もいました。

◆ニキ・ド・サンファル作の巨大な像《大きな愛の鳥》
福岡市博物館から福岡都市高速の百道ランプに向かう途中、バスの車内で突如「あれは何?」という歓声がおこりました。右手にカラフルな物体が見えるのです。ツアーに同行をお願いした名古屋市美術館・学芸係長の保崎さんがスマホで調べ「ニキ・ド・サンファルの《大きな愛の鳥》です。名古屋市美術館で開催したニキ・ド・サンファル展で模型を展示しました」と、マイクで回答。《大きな愛の鳥》は福岡市中央区・地行中央公園に設置されたオブジェでした。予定になかった作品で、ツアー参加者は得した気分になりました。

◆太閤町割(福岡市博多区)
バスが福岡都市高速の高架を走行中、バスガイドさんが「下に見えるのは博多の街です。きれいな碁盤の目になっていますね。これは秀吉の太閤町割で出来たものです」という解説がありました。市博の常設展で知識を得た「太閤町割」を現地で確認することができました。

吉野ヶ里遺跡群

吉野ヶ里遺跡群


◆吉野ケ里歴史公園(佐賀県神崎郡)
 バスが吉野ケ里歴史公園(以下「公園」)に到着したのは午後3時10分。ガイドボランティアさんの案内で吉野ケ里遺跡を約1時間見学しました。以下はガイドボランティアさんによる説明の概要です。なお、(注)は私の補足。
◎ガイドボランティアさんの解説
・環濠入口広場で
公園は神崎工業団地の建設予定地でした。しかし、1986(昭和61)年から始まった発掘調査で弥生時代の大規模な環濠集落が発見されたため、工業団地の建設は中止されました。(注:その後、歴史公園として整備され、国営公園約52.8ha、県立公園約51.2ha、総面積104haが開園しています)公園のマスコット・キャラクターの名前は「ひみか」と「やよい」。卑弥呼(ひみこ)ではありません。
吉野ケ里遺跡のある地域は、北に背振山地(せぶりさんち)があるため北風がさえぎられ、川が流れて水の便もある住みやすい土地です。公園内の建物は、北内郭と南内郭は弥生時代後期、北墳丘墓は弥生時代中期を想定して復元しています。それでは、南内郭に向かいましょう。(注:環濠入口広場から進むと二本の門柱の上に横木を載せた門があります。門の横木の上には木製の鳥形3羽が見えます。左の草むらには木製のイノシシが3頭、我々を睨んでいました)
・南内郭の入口で
この門が南内郭の入口。門の周囲から鳥形が発見されているので、横木に鳥形を載せました。この門の形は鳥居の原型と思われます。集落の周囲を環濠と丸太を連ねた塀で囲み、外敵やイノシシ、シカなどの野生動物を防いでいます。当時は人間の数よりもイノシシやシカのほうが多かったのです。今、渡ってきた橋ですが、公園来場者のために設置したもので、当時は存在していません。それでは、展示室に行きましょう。そこで、説明の続きをします。(注:展示室に入った所には土器が展示されていました)
・展示室で
皆さんの目の前に、弥生時代を代表する三種類の土器があります。左の甕(かめ)は煮炊きに使います。中央の壺は弥生時代中期から作られた土器で穀物などの貯蔵に使い、右の高坏(たかつき)には果物などの食料を盛りました。当時は、各人が高坏から食物などを取り、葉などにのせて食べていました。弥生時代の後期になると食料を一人一人に取り分けるための銘々器が作られます。
土器は、その周りに薪を積み、野焼きで焼成していました。その後、薪の上に土をかぶせてから焼くようになります。そうすると、温度が1000度ぐらいまで上がります。土器が透けるように見えてきたら焼き上がりのサインです。土器の彩色には鉄サビをつかいました。
炭化したコメを見てください。いろいろな種類のコメが混ざっていますね。当時は、稲穂の高さや収穫時期の違う稲を一緒に栽培していました。稲穂の高さがちがうので、稲の収穫は稲穂だけを摘み取っていました。「穂摘み」といいます。収穫の道具は石包丁。石包丁に開けた二つの穴に通した紐に指をかけて稲穂を摘み取ったと思われます。
イノシシやシカの骨も出土しています。イノシシやシカの狩りには、石の矢じり=石鏃(せきぞく)を付けた矢を使いました。ただ、動物に矢が当たっても致命傷にはなりません。矢で動物の動きを鈍くさせてから捕まえたと思われます。石鏃には飯塚市で採れる石を使っています。薄く剝がれる性質の石です。それを磨いて石鏃にしました。石鏃を磨く作業は、なかなか大変で根気がいります。
死者は二つの甕の開口部を合わせた中に葬りました。甕棺(かめかん)といいます。展示しているのはレプリカですが、体格が大きいですね。集落を支配した渡来人です。
ガラス製の装飾品も展示しています。ガラスを巻いて焼いた管玉(くだたま)で、輸入品です。それでは、物見櫓(ものみやぐら)に登りましょう。(注:物見櫓は3階建ての建物ぐらいの高さ。公園来場者のために、弥生時代にはなかった階段・手摺が設置されていました)
・物見櫓で
北に見えるのは北内郭にある祭殿(さいでん)の屋根です。それでは、西を見てください。ここよりも一段低くなっている場所にあるのは倉庫群です。なぜ、この場所に倉庫があるのでしょうか。倉庫で貯蔵しているのは、種もみです。当時の集落は、飢饉に備えて数年分の種もみをこの倉庫で貯蔵していました。種もみは、保管中の発芽を防ぐために、温度が低くて風通しの良い場所に置く必要があります。この場所は温度が低くて風通しの良いという条件を備えているので、倉庫を設置したのです。このことからも、吉野ケ里遺跡の集落には、稲の栽培・保管などに関する細かい技術・知識が入っていたことが分かります。その技術・知識は渡来人からもたらされたもので、当時は最先端の技術・知識でした。この集落には数十棟の倉庫があります。集落のために必要な数を大きく上回るので、この地域一帯の米蔵だったのではないかと思われます。
・Q&A
今までガイドした内容で、何か質問はございますか。
Q:復元にあたり、物見櫓をこの高さに決めた根拠は何ですか?
A:高さを決めた根拠は、柱の太さです。柱の穴は深さが2m、一辺が2mの四角形でした。また、穴は二段式で、上の段は50cmの幅、下の段が1mの幅となっていました。この穴に入る太さの木を伐り出した場合の木材の長さを計算して、物見櫓の高さを計算しました。物見櫓を作るためには木を伐り出すだけでなく、運搬し、木の皮を剥ぎ、保管場所を確保することが必要です。木材の運搬や皮剥ぎには川を使ったと思われます。
(注:物見櫓を降りた後、竪穴式住居や糸紬ぎの道具などを見てから公園を後にしました)

◆宿泊は佐賀駅前
 秋のツアーの期間中、ヤフオクドームでEXILEのコンサートが開催され、福岡市内はどのホテルも満席。やむを得ず、佐賀駅前のホテルに泊まることになりました。
ツアー1日目のお話は、以上でおしまいです。2日目については「秋のツアー2018(九州美術館巡り)第2日」に書かせていただきます。
Ron.

インターネットと図書館でアルヴァ・アアルトを調べる

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

12月から名古屋市美術館で開催される「アルヴァ・アアルト展」。10月31日の公開講座「アルヴァ・アアルトの建築とデザイン」(イーブルなごや)で概要が分かり、更に知りたくなりました。先ず、ネット検索です。
◆ヴィープリ図書館の再オープン
インターネットに「ヴィープリ図書館」と入力して検索すると「アアルトがデザインしたヴィープリ(ヴィボルグ)図書館が再オープン! 」という2013年11月27日付けの記事が出てきました。内容は「フィンランド建築デザインの巨匠、アルヴァ・アアルトが手がけたものの中でも象徴的な建物といわれるヴィープリ図書館が、20年以上もの歳月をかけて修築され、先週土曜11月23日に再びオープンした。ヴィープリは旧フィンランドの街で、現在はロシアのヴィボルグに属する。(略)図書館の建設がスタートしたのは1927年で、完成したのは1935年。その頃ヴィープリは、まだフィンランド領だった。図書館は当時、国際的なモダン建築のアイコンとして注目され、戦前にアアルトが残したものとしては大変重要な建築物である。(略)1991年から修築・修繕を開始。1935年当時の図書館の姿に戻すための復元プロジェクトが開始してから約20年、ようやくお披露目となった。修築コストは、およそ800万ユーロ(約11億2000万円)といわれる。フィンランドとロシア両国の政府、また両国の財団や慈善団体からの援助を受けながら完成させた国際的かつ大規模な取り組みだった」というものです。なお、記事のURLはhttp://www.hokuwalk.com/Topic/page/page_id/022013112700015001/cat_id/3。

◆アルヴァー・アールト図書館 … 修復保存物語(原文のまま、以下同じ)
また、アルヴァー・アールト図書館 … 修復保存物語」というページも見つかりました。
2001年4月5日に静岡県賀茂郡松崎町で開催された第2回 日本フィンランド デザイン シンポジウムの講演で、講師はエサ・ラークソン(建築家/ヘルシンキ工科大学 教授, アルヴァー・アールト アカデミー ディレクター)です。(なお、ヘルシンキ工科大学は2010年にヘルシンキ経済大学、ヘルシンキ美術大学と統合して「アアルト大学」になりました)以下は、講演記録の抜粋です。
 フィンランドでも最も有名な建築家、アルヴァ・アアルトは、数年の歳月を費やしてヴィープリの図書館本館を設計しました。彼は古典的な様式にならってその設計を進めていきました。しかしいつのまにか、アールトの設計様式は一変してしまいました。(略)1935年に落成したヴィープリ市の図書館は、当時の図書館としては、世界でも最も進歩的なデザインでした。この図書館は、アールトの代表作品の一つに数えられ、たちまちのうちに『ブリティッシュ・アーキテクチュラル・レビュー』誌とイタリアの『カサベラ』誌の表紙を飾りました。(略)第二次世界大戦中、この建物の役割とその歴史は劇的に変化しました。図書館が、ヴィープリに住むフィンランド人たちの手にあったのは、いわゆる冬戦争で1939年に旧ソ連がこの町に進攻してくるまでのわずか4年間でした。第二次世界大戦の第二段階(1941年-1944年)において町が再度フィンランドの手に戻ると、市民たちも町に戻り、ほとんど無傷のまま残っていた図書館も再開されました。しかし終戦とともに、ヴィープリ(ならびに、フィンランド東部のカレリア地方の大部分)は旧ソ連の支配下となり、自称フィンランド人の住民たちはフィンランドに逃れました。(略)戦後、図書館は荒れるにまかされ、天井板はたきぎとして使われ、館内には浮浪者が住みついていました。(略)図書館は長い年月を経てすっかり老朽化し、1991年に旧ソ連が崩壊した後は、フィンランドが管理する国際的改装計画の改装対象となりました。ファサードや屋根は徐々に本来の状態へと修復されていますが、ヴィープリ図書館が戦前の素晴らしい姿を取り戻すには、まだ多くの作業が必要です。

要点は、①ヴィープリの図書館は当初、新古典主義の様式で設計されていたが、落成した図書館はモダニズム様式の建築になっていたこと。②第二次世界大戦の結果、ヴィープリがロシア領になったこと。③戦後、図書館は荒れるにまかされたこと。④旧ソ連が崩壊後、フィンランドが乗り出して図書館の改修が進んだことの4つです。なお、講演のURLはhttp://www.gk-design.co.jp/jfda/symposium/2nd/esa_presen_jp.htmlです。

◆ヴィープリ図書館の現在の姿/アアルトが手がけた建築・デザイン
 現在のヴィープリ図書館の姿を下記のURLで閲覧することができます。

https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g298511-d7376122-Reviews-Alvar_Aalto_Library-Vyborg_Vyborgsky_District_Leningrad_Oblast_Northwestern_Distr.html

 また、アアルトが手がけた建築・デザインは、下記のURLで閲覧できます。

https://www.alvaraalto.fi/en/works/

◆図書館で調べる
インターネット検索と並行して、近所の図書館で参考になる本を探しました。

◎「物語 フィンランドの歴史 中公新書2456」 中央公論社
 第二次世界大戦でフィンランドは「全領土の10分の1を失った」という記述のほか、アルヴァ・アアルト関係では以下の記述がありました。
(略)フィンランドを代表する建築家アルヴァル・アールトは、妻アイノとともに設計事務所を立ち上げ、多くの建築物やインテリア製品などを手がけた。(略)彼らはフィンランディア・ホール、ヘルシンキ工科大学、アカデミア書店といった建築物のデザインをしただけではなく、家具やガラス製品などを手がけたことでも知られる。
 カラフルなテキスタイルデザインで有名なマリメッコは、1951年に創業した企業で、服や布製品だけではなく、食器やインテリア製品なども販売している。また、1873年に創業したアラビアはシンプルで使いやすいデザインの食器を販売し、北欧デザインの名声を高めるのに貢献した。(略)

アルヴァ・アアルト、マリメッコ及びアラビアのいずれも、2017年に愛知県美術館で開催された「フィンランド・デザイン展」で紹介されていましたね。

◎「世界の建築家解剖図鑑」 株式会社 エクスナレッジ
20世紀の建築家の章で、14人の建築家の一人としてアルヴァ・アアルトを紹介。以下の記述がありました。
(略)1930年代半ば頃になると、木の使用頻度が増加していく。加えて戦後はレンガや銅板の使用も始まった。木や銅は、フィンランドで最も重要な資源である。レンガの使用は、戦後の物資不足が背景にあったのでやむを得ない一面もあるが、こうした材料の使用が積極的であったことは、例えば波のようにうねる木の壁や天井などからも十分に想像できる。そこには近代主義建築の新たな進路を示さんとする意思があり、鉄やコンクリートを使わずとも新しい表現ができること、しかもより人間らしく、その地域らしい表現が可能なことを示した。(略)

◎「名作椅子の由来図典」  株式会社 誠光堂親光社
 アルヴァ・アアルトについては、以下の評価をしています。
(略)「パイミオのサナトリウム」や「ヴィープリの図書館」など、自ら設計した建物で用いる椅子や家具のデザインも多数手掛け、椅子の歴史においてエポックとなる名作椅子を生み出した。木製椅子の構造面における技術開発、その技術を生かしたデザイン、素材はフィンランド産のバーチ(カバ)材を活用、さらには出来上がった椅子の販売といった4つの観点が押さえられていることにアアルトの功績の大きさと才能を感じる。

なお、この本では技術開発として「アアルトレッグ」(公開講座では「L-レッグ」)と呼ばれる挽き曲げ技法と成型合板によるカンチレバー(コの字型の脚)に、椅子の販売はアルテック社の設立に言及しています。

◎「世界の名作椅子 ベスト50」  株式会社 エクスナレッジ
 過去150年間の名作椅子を解説した本です。アルヴァ・アアルトがデザインした椅子はベスト50に3点が入っており、以下の表題をつけて、それぞれの椅子について解説しています。
・北欧の価値観とモダニズムを調和させるという実験  パイミオ・ラウンジチェア
・アールトの哲学が生きた、最小限の要素の組み合わせ スタッキングスツールNO.60
・大胆なカンティレバー構造が、重力を忘れさせる   アームチェア「NO.406」

10月31日の公開講座では、アームチェア「NO.406」の説明はありませんでしたが、建築物の内部を紹介する画像のなかにアームチェア「NO.406」が写っていました。

◆最後に
 以上は氷山の一角です。インターネットや図書館を使って、アルヴァ・アアルトに関する様々な情報を手に入れることができます。皆さんも、やってみませんか。
Ron.

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ 石切り場 前室にて 音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち