お知らせ

2020年4月15日

2020年協力会イベント情報

会員の皆様へ

新型コロナウイルスの影響で、誠に申し訳ありませんが、協力会の活動もしばらく休止させていただいています。

ミニツアー、ギャラリートークなどのイベントは、当面の開催は難しいと考えております。また、毎年6月に開催しております総会については、暫定的に役員会を総会に代えさせていただいております。

最新の情報につきましては随時ホームページにアップさせていただきますので、そちらをご確認ください。

皆さま方にはご迷惑をおかけしますが、なにとぞご理解のほど、お願いいたします。また、くれぐれも体調にはご留意ください。

展覧会見てある記 豊田市美術館のコレクション展 第2幕

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

豊田市美術館(以下「豊田市美」)開館25周年記念展の第2幕が始まったので、行ってきました。第1幕のテーマは「光について/光をともして」でしたが、今回のテーマは「DISTANCE いま見える景色」。展覧会は5展示室から第8展示室までを使った「豊田市美術館25年のあゆみ―展覧会ポスターとコレクション」と、第1展示室から第4展示室までを使った「距離のたのしみ―所蔵作品にみる遠近の感覚」の2つで構成され、2階通路でも特集展示「岡﨑乾二郎 TOPICA PICTUTUS こざかほんまち」を開催しています。

◎「豊田市美術館開館25周年のあゆみー展覧会ポスターとコレクション」

 1階の第8展示室に入ると、最初に展示されていたのはコロマン・モーザー《花入れ》(製作1904;→1724)とヨーゼフ・ホフマン《フラットウエア・サーヴィス》(製作1904:ナイフ、フォークのセット)。続いて、マルセル・ブロイヤー《ワシリーチェア》(デザイン1925;→117)、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ《アームチェア(MR534)》(デザイン1927;→352)などの名作椅子も展示。前者はオーストリア(ウィーン工房)、後者はドイツ(バウハウス)のデザインですが、オランダのデ・スティルに参画したヘリット・トーマス・リートフェルト《ベルリン・チェア》(デザイン1923、再製作1958;→1794)の展示もありました。蛇足ですが《ワシリーチェア》は名古屋市美術館のロビーに置かれており、来館者は自由に腰掛けることができますよ。

ワシリーチェア

次に目を引いたのが、プラスチックの破片を虹のように散りばめた、トニークラッグ《スペクトラム》(1979;→1737)。2011年に開催された「Play / Pray あそぶ美術、おもう美術」に出品された作品です。森村泰昌《なにものかへのレクイエム(創造の劇場/ヨーゼフ・ボイスとしての私》(2010)は、デュッセルドルフ芸術アカデミーで講義しているボイス(?)に扮した作品。豊田市美術館では来年、「ボイス+パレルモ」の開催を予定しているので出品したのでしょうか。先日見た、ゲルハルト・リヒターをモデルにした映画『ある画家の数奇な運命』の講義シーンを思い出しました。

「1億1000万円で購入」と新聞報道のあった奈良美智の大きな(220×195cm)作品《Through the Break in the Rain》(2020)は第8展示室にあり、その左の床には同じ作者の人形《Girl on the Boat》(1994;→11267)も出品されています。第6、第7展示室は、いつもどおり小堀四郎と宮脇晴・綾子の作品を展示。

2階に移動して「距離の楽しみ――所蔵作品にみる遠近の感覚」を鑑賞した後、第5展示室で目を引いたのがフジイフランソワの作品《鶏頭蟷螂図》(2008)《コブコブラ》(2008)《桃太郎》(2007;→17675)の3点です。遠目には「明治の日本画?」と思ったのですが、展覧会ポスターには「綯交(ないまぜ)-remix- フジイフランソワ、いったいこやつのアートはいかに。2008.04.22-06.27」という文字が印刷されています。家に帰って豊田市美術館HPで「過去の展覧会」を検索すると「名古屋在住のコテコテの日本人でありながら、フランソワという男の名を語る女絵師、フジイフランソワ」という解説がありました。摩訶不思議な作品です。また、黒田辰秋《拭漆家具セット》(1964;→6986)は、とても立派なもの。岸田劉生の《自画像》(1913→4773)《麗子洋装之図(青果持テル)》(1921;→462)も出品されています。

黒田辰秋の家具

◎「距離のたのしみー所蔵作品にみる遠近の感覚」

 2階の第1展示室に入ると、アルベルト・ジャコメッティ《ディエゴの胸像》(1954;→1291)が展示され、その向こうには若林奮の作品が「これでもか」というほど並んでいます。3階の第2展示室には松江泰治の写真などが、第3展示室には中西夏之、設楽知昭の作品などが、第4展示室には河原音温の「Todayシリーズ」などが並んでいます。抽象的な作品が数多く並んでいるなかで、山本丘人の日本画《海の微風》(1936;→7658)を見つけた時は、思わずホッとしました。

◎「岡﨑乾二郎 TOPICA PICTUS こざかほんまち」

 2階の廊下には、コロナ禍のなかで岡﨑乾二郎がアトリエに籠って集中的に描いた150点を越える絵画シリーズ「TOPICA PICTUS」の中から10点が展示されています。作品リストはありませんが、作品ごとにリーフレットが印刷されケースに入っているので、自由に持ち帰ることができます。

◎最後に

 年間パスポートを購入しようとしたのですが「現在は販売していない」との回答なので、観覧券を購入して展覧会を鑑賞しました。豊田市美術館の全館と高橋節郎館を見て300円ですから「とてもお値打ち」ですよ。

 家に帰ってから作品リストを読み返し、作品リストのコレクション・オーディオガイド番号(上記「;→」の後に記載)を豊田市美術館HPで入力して音声ガイドが聞けることを知りました。「利用の際は当館Free Wi-Fi(Museum_Toyota_Free_Wi-Fi)をご活用ください」とのこと。音声ガイドを聞くときはイヤホンをお忘れなく。

Ron.

展覧会見てある記 「手塚治虫展」 豊橋市美術博物館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

先日、豊橋市美術博物館で開催中の「手塚治虫(てづか・おさむ)展」(以下「本展」)に行ってきました。マスクを着用し、手指の消毒と検温を済ませると、鉄腕アトムの人形が出迎えてくれました。展示室は4つ。第1企画展示室と第2企画展示室では手塚治虫の生い立ちと描いたマンガの直筆原稿などを、特別展示室ではアニメーションの原画・絵コンテなどを、第3企画展示室では手塚治虫の作品に込められたメッセージを展示しています。

アトムの人形

◎手塚治虫の生い立ちと描いたマンガ(第1企画展示室・第2企画展示室)

 手塚治虫は1928年11月3日生まれ。9歳(小3)の時に「ピンピン生チャン」を描いています。また、「紙の砦」(「週刊少年キング」1975.1.1号)の直筆原稿には、旧制中学校の軍事教練における教官の暴力や軍需工場における勤労動員、空襲の体験など、戦時中の様子が描かれていました。

 1945年、大阪大学付属医学専門部に入学。在学中に「ママチャンの日記帳」(「小國民新聞」(現在の「毎日小学生新聞)」1946.1.1~3.31)で漫画家としてデビューし、「ジャングル大帝」(「漫画少年」1950年11月号~1954年4月号)にも着手。1952年に医師の国家試験合格後、東京へ進出します。

手塚治虫のマンガの特徴やマンガの描き方についての解説もあります。手塚治虫のマンガの特徴は、映画的手法を採り入れたこととスターシステムの二つです。手塚治虫の映画的手法は、1大胆な構図、2移動する視点、3動き(流線、集中線などの効果線)、4クローズアップ、5擬音としての描き文字、6陰影、7群衆シーン、8モンタージュ(断片を組み合わせる)の8つで、具体例付きの解説がありました。なお、「スターシステム」と「マンガの描き方」については、本展をご覧ください。

1989年2月9日、手塚治虫は胃ガンのために死去。絶筆作品となった「ルードウィッヒ・B」(「コミックトム」1987.6月号から1989.2月号)、「グリンゴ」(「ビッグコミック」1987.8.10号~1989.1.25号)、「ネオ・ファウスト」(「朝日ジャーナル」1988.1.1号~1988.12.16号)の直筆原稿も展示されています。

◎アニメーション(特別展示室)

 「鉄腕アトム」(フジテレビ系 1963.1.1~1966.12.3)を始めとするアニメーションの直筆原画、セル画などが展示されています。なかでも興味深かったのは「手塚治虫のテレビアニメ制作システム」と題する解説です。手塚治虫は、時間と予算に制約のあるテレビアニメの制作を可能にするため、①1秒間に撮影する枚数を減らす、②口パク、目パチ(口、目だけを描いたセルを重ねて撮影)、③同じ絵を使いまわす、④動く絵を描くのではなく、絵そのものを動かすようにした、というものです。「テレビアニメはアニメーション映画とは別物」ということが、よく分かりました。

また、「セル画アニメーションの制作工程」と題して、企画、シナリオから始まって、編集、音楽・効果音・セリフの録音までの工程を解説したコーナーもあります。特に、原画(節目にあたるポーズを描く)と動画(原画の間の絵を埋めて動きを完成する)の違いは、NHK連続テレビ小説「なつぞら」で主人公・奥原なつが勤めていたアニメーション制作会社の様子を思い浮かべながら読みました。

◎手塚治虫のメッセージ(第3企画展示室)

 「鉄腕アトム」(「少年」1952.4月号~1968.3月号)には「科学と人間のディスコミュニケーション」という表題の、「ブラック・ジャック」(「少年チャンピオン」1973.11.19号~1983.10.14号)には「医者は何のためにあるか」という表題の解説があり、直筆原画も展示されています。手塚治虫の作品の制作意図などをもう一度考えてみる良い機会になりました。手塚治虫の死後31年過ぎましたが、「鉄腕アトム」や「ブラック・ジャック」に込められたメッセージは、今でも古びていないと感じます。

◎最後に

本展の企画制作は株式会社手塚プロダクション。直筆原稿等は約300枚、映像・資料・愛用の品々も展示されており、じっくりと鑑賞するだけの価値がある展覧会だと思います。ただ、直筆原稿やアニメの絵コンテなどは小さな物が多いので、鑑賞用の単眼鏡があると便利です。会期は11月23日まで。

手塚氏愛用の机と椅子

なお、大人の当日観覧券は1,000円ですが、公共交通機関を利用する場合はセット販売(豊橋鉄道市内線1日乗車券+当日観覧券=1,000円)がお得です。豊橋鉄道「新豊橋駅」(JR豊橋駅の東)で販売していますよ。

Ron.

映画『ある画家の数奇な運命』

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

『ある画家の数奇な運命』は2018年制作のドイツ映画、ドイツを代表する現代美術家ゲルハルト・リヒター(以下「リヒター」)をモデルにした作品です。協力会のS氏から「リヒターの映画が10月2日から上映される」というメールを受けた後、9月25日発売の『芸術新潮』10月号「art NEWS」が取り上げ、10月1日発売の『週刊文春』10月8日号でも「Cinema Chart」「Close Up」と、二つの記事で取り上げていたので、矢も楯もたまらず伏見ミリオン座に出かけました。伏見ミリオン座では手指の消毒とマスク着用が求められたものの、入場制限はありませんでした。映画の上映前に、室内の換気が徹底されていることをアピールする動画が流され、テレビでお馴染みの愛知医科大学病院・三鴨医師も太鼓判を押していたので、新型コロナ感染予防策については安心しました。

序盤=話の中心はエリザベト叔母さん

映画の上映時間は189分。3時間を超す大作です。映画の舞台は大きく三つに分かれ、第二次世界大戦前と戦中のドイツが序盤の舞台です。リヒターの叔母(母親の妹)エリザベトを中心にストーリーが展開します。始まりは1937年、「頽廃美術展」のドレスデン会場(史実では1933年開催)。作品を解説する人物が口汚く罵るモンドリアンやカンディンスキーの抽象画を見ながら、エリザベトが5歳のクルト(モデルはリヒター)に「わたしはこの作品が好き」(日本語字幕の映画なので、話しているのはドイツ語)とささやく場面が印象的でした。

エリザベトが統合失調症と診断され、数人の病院職員の手で救急車に押し込まれるとき、クルトに向って「目をそらさないで」と叫ぶ場面は、見ていて辛かったですね。当時のドイツでは、優生思想(遺伝的に劣った人間を社会から排除すべきという考え方)に基づき、障害者を「青の-=断種手術」と「赤の+=無価値な命」とに区分することを決定。彼女は病院のゼーバント院長(産婦人科医)に何度も「助けて」と懇願しましたが、「赤の+」との鑑定を受けます。直ちにグロスシュヴァイトニッツの施設に送られ、その後、多くの精神障害者・知的障害者と一緒にガス室に送られます。大空襲でドレスデンの街が真っ赤になり、多くの人命が失われ、美しい街並みがことごとく破壊された後、1945年5月8日にソ連軍がやって来て戦争関係者を取り調べる場面で序盤は終わります。

中盤=義父の圧力で重苦しい展開

第二次大戦終結後の東ドイツが中盤の舞台です。1951年、クルトは工場で看板の文字を書く仕事をしていますが、その才能が認められ、ドレスデンの美術学校に入学することができます。美術学校でクルトは被服科の女学生エリザベト(以下「エリー」)と知り合い、二人は恋に落ちます。クルトがエリーの家に行くと、そこは3階建ての豪邸。何と、エリーの父親は叔母のエリザベトを「赤の+」と鑑定したゼーバント院長でした。彼はナチ政権による障害者の大量殺人に加担した疑いでソ連軍の取り調べを受けましたが、ある事情で釈放され、病院長に復職していたのです。一方、クルトの父親はナチス党員だったことで教師の職を失い、病院の清掃夫をしていましたが、自殺してしまいます。(リヒターの父は自殺していません)1956年、ドレスデンの美術学校の卒業制作が評価されてクルトは壁画制作をまかされますが、社会主義リアリズムの絵画に疑問を感じるようにもなっています。

その後、ナチ政権における障害者大量殺人の関係者を捜索するソ連軍の動きが迫っていることを知ったゼーバント院長は、捜索を逃れるため西ドイツに渡り、西ドイツで職を得ます。クルトとエリーも1961年3月31日に、西ベルリンを経由して、西ドイツに渡ります。中盤はここまで。なお、ベルリンの壁ができたのは1961年8月13日。映画の終盤に、クルトが壁の建設を知る場面があります。

終盤(前半)=苦闘するクルト

西ドイツが終盤の舞台です。先に西ドイツに渡った仲間は、クルトに「絵画を続けるのなら、前衛的なデュッセルドルフはやめておけ」と忠告しますが、クルトは敢えてデュッセルドルフの芸術アカデミーへの入学を選択。デュッセルドルフの芸術アカデミーには、木製の机や椅子に釘を打ち付けて作品を制作するハリー、角材を組み合わせたオブジェにジャガイモを貼り付けるアーレント、壁紙のような作品を制作し、商売上手なアドリアン・シンメルなど個性的な学生が揃っていました(いずれも、モデルの作家あり)。極めつけは、いつも帽子を被り、フェルトと脂で作品を制作するフェルテン教授(モデルはヨーゼフ・ボイス)。クルトは、彼の指導の下で学びます。

前半の最後近くに、フェルテン教授がクルトに「作品を見せてほしい」という場面があります。クルトの作品を見たフェルテン教授は、「タタール人は頭の傷口に脂を塗り、体をフェルトで包んだ。1年間、彼らに世話をしてもらった後、米軍の捕虜となった。それ以来、脂とフェルトは私に染みついている」と、第二次世界大戦中に乗っていた爆撃機が墜落して、タタール人に助けられた話(「ボイスによるフィクション」とWikipediaが書いてるエピソード)をします。そして、クルトに「君は誰だ。何者なのだ。これは君じゃない」と言って、部屋を去ります。教授が去った後、クルトは、それまでの作品をすべて燃やし、白いキャンバスに向いますが、何も描けません。

その後、義父のゼーバントはクルトに「30歳にもなって、まだ学生か」と言い、金銭の支援を申し出ますが、クルトは拒絶。それではと、義父は病院清掃作業のパートを斡旋。クルトは一日3時間、掃除夫の仕事を始めます。

終盤(後半)=成功に向けてまっしぐら

ある日、義父はクルトを喫茶店に呼び出し、パスポートの申請に必要な資料を役所に届けるよう依頼。そこに、新聞売りが「安楽死の首謀者逮捕」と言って、障害者大量殺人の首謀者ブルクハルト・クロル(史実では、ヴェルナー・ハイデ)の写真が1面に載った新聞を売りに来ます。新聞をちらっと見た義父は、あわてて退席。クルトは店から出るとき、見ず知らずの客から、逮捕記事が載った新聞を譲り受けます。

クルトはアトリエで、新聞に載った首謀者の写真に縦・横の線を等間隔に引き、キャンバスにも同様に縦・横の線を等間隔に引いて、縦横の線を基準にして写真をキャンバスに模写。首謀者の写真の模写が完成すると、次にエリザベトとクルトが一緒に写っている写真を模写。この模写が完成すると、義父のパスポート写真を模写に投影。その後、エリザベトとクルトが一緒に写っている写真の模写の上から刷毛で白い絵の具を塗り重ねて像をボカします。そう、「フォトペインティング」の完成です。クルトは更に、エリザベトと義父、首謀者の写真を重ねて、模写を制作。ある日、クルトのアトリエに入ってきた義父は、エリザベトと義父、首謀者の三人が描かれた作品を見て、ひどく取り乱します。隣のアトリエにいたハリーはびっくりして、義父が取り乱した理由を聞きますが、クルトにもわかりません。クルトは、それとは知らずに、義父を告発する作品を描いていたのです。

クルトは自分の進むべき道を見出しただけでなく、妻の妊娠も知ります。クルトは、アカデミーの階段を下りてくる全裸のエリーをローライの二眼レフで撮影して、フォトペインティングの作品を制作します。

映画の中盤で、自殺した父親と統合失調症の叔母を持つクルトの遺伝子を受け継ぐ孫の誕生を嫌悪した義父は、嘘を言って、自宅でエリーに人工妊娠中絶を施術しています。この手術の影響でエリーは妊娠しにくい体になっていたため、「妊娠できたこと」はクルトとエリーにとって、この上ない喜びでした。

1966年、アドリアン・シンメルはクルトのために個展を企画。テレビ局の記者が、《母と子》(エリザベトとクルトが一緒に写っている写真を模写)の前で、「無作為に選ばれた写真を模写しているが、何故か力がある。死んだと言われた絵画は、『作者なき作品』という手法で復活した」と、個展を紹介。個展は大成功でした。個展会場を後にしたクルトは路線バスの車庫を見つけ、運転手にお願いして複数のバスのクラクションを一斉に鳴らすという、エリザベトが好んだ悪戯をしました。クルトはバスのクラクションを全身で受けとめ、個展の成功に酔いしれます。クルトの成功は、今は亡きエリザベトが導いたものだったのです。

映画の中のフィクションと事実

週刊文春の「Close Up」には「リヒターは映画化にあたって、登場人物の名前を変えること、何が事実かを明かさないことを条件に出した」と書いてあります。現在、NHKで放送中の「エール」も、作曲家・古関裕而をモデルにしていますが、主人公の名前は古山裕一。また、そのストーリーは事実とフィクションが入り混じったものです。この映画も「エール」と同じですね。「パラレルワールドのリヒター伝」と割り切って鑑賞しました。

映画に登場した作品について

『芸術新潮』の記事によれば「映画に出てくる作品はリヒターの実作をもとに、彼のアシスタントが制作した」とのことです。私は、映画に出てくる作品のうち《母と子》のモデルを、2014年、名古屋市美術館に巡回した「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」という実に長い題名の展覧会で見たことがあります。それは《叔母マリアンネ》(1965)という、赤ん坊を抱く、あどけない少女の像でした。説明を読んでも、何で描いたのか良く理解できなかったのですが、この映画で、作品が制作された背景を窺うことができました。また、全裸のエリーを描いた作品のモデルは《エマ 階段を降りる裸婦》。ネットを検索すれば見ることができます。

映画の題名について

ドイツ語の原題は、“WERK OHNE AUTOR”(作者なき作品)で、リヒターの制作手法を表わしたものです。英語の題名は、”Never Look Away”(目をそらさない)。映画の中でエリザベト叔母が叫んだ言葉によるものです。また、週刊文春「Close Up」は、リヒターは「何を質問したとしても、この人は賢いとか愚かだとか考えずに答えてくれるんです。まさに ”Never Look Away” を体現している人」と書かれています。

『ある画家の数奇な運命』という日本語の題名は映画の内容を説明していますが、この作品はクルト個人の数奇な体験だけではなく、ナチス政権化のドイツ、東西分裂後の東ドイツ、前衛芸術の運動が爆発していたデュッセルドルフなど、激動の時代も描いている広くて深い内容のものでした。

最後に

来年、フェルテン教授のモデルになったヨーゼフ・ボイスの展覧会「ボイス+パレルモ」が豊田市美術館(ヨーゼフ・ボイスの作品を所蔵)で開催されます。「開催時期は調整中」とのことですが、楽しみですね。

Ron.

ヨコトリ2020 プロット48を見て

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

プロット48の入口 デニス・タン《自転車ベルの件》2020年

 横浜美術館から歩いて10分くらいで、サテライト会場のプロット48につきます。不思議な形をした建物ですが、以前はアンパンマン・ミュージアムとして使われていたそうです。


この柵も作品 ジョイス・ホー《バランシング・アクトⅢ》2020年

 中庭には、ふしぎな位置に柵が斜めに配置されています。足の部分が弧になっていて、押すとロッキングチェアのようにゆらゆらと揺れます。


アンドレアス・グライナー《弦より古生物へ》2014年

 一番気に入ったのがこの作品です。ホールにピアノが置かれていて、最初は音の作品かと思いました。しかし、主役はベンチに並べられたプラタンクの中の夜光虫です。演奏時間になると、プラタンクをピアノの上に移動します。ピアノの演奏が始まると、弦の振動で夜光虫がほのかに光ります。目が暗さに慣れないと、わかりにくいかもしれません。


除菌セット

 体験型の作品が多いためか、会場のあちこちで、除菌セットを見かけました。また、フロアを移動すると、手の除菌を求められることもありました。入口付近にコインロッカーがあるので、手荷物は持たないほうが、何かと便利だと思います。

 あるギャラリーのスタッフに、ヨコトリ2020の印象を聞いてみたら、「大きな空」と答えた方がいました。その時は、意味が分からなかったのですが、横浜美術館、プロット48の周辺では、あちこちで建設工事が進行中です。おかげで、見上げる空は大きく開けています。当日は薄曇りでしたが、確かに印象的な「大きな空」でした。

杉山博之

ヨコトリ2020を見て

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

ヨコトリ2020 展示室入口

 「ヨコハマトリエンナーレ2020 AFTERGLOW 光の破片をつかまえる」を見ました。日時指定チケットの予約の他、展示作品を見るために個別の予約が必要なものもあり、全部の作品を見ることはできませんでしたが、楽しめました。


ニック・ケイブ《回転する森》2016年

 エントランスの作品はとても祝祭感にあふれていて、見ていると楽しい気持ちになります。あちこちで来場者の方が記念撮影をしていて、時折、笑い声が聞こえます。エントランスにいた時は気がつきませんでしたが、床はミラー仕様になっています。


エヴァ・ファブレガス《ポンピング》2019年

 とても長い、まるでベンチのような作品です。柔らかくて、座るとふわふわしています。作品に座るのは、女性が多く、男性は周りから眺めるか、付近の休憩コーナーのベンチから眺めている方が多かったです。男性からすると、その色遣いが苦手なのかもしれません。


ヴェンザ・クリスト《未知の進化 Ⅶ》2018年

 音の作品で、フレームにはスピーカーがいくつもついています。他の展示室の作品とは、かなり雰囲気が異なっていて、SFに出てくる未知の装置のような印象です。照明の影響かもしれませんが、落ち着いて聞いていられない、不安な気持ちを刺激される作品です。


岩井優 パフォーマンス

 展示室を移動中、たまたま岩井優のパフォーマンスに遭遇しました。前触れもなく登場し、静かに床掃除をしながら回廊を移動していきました。被り物以外は、ごく普通の格好で、あっけにとられている間の出来事でした。


トリエンナーレの次の展示は「トライアローグ」

 横浜美術館は2021年3月から、大規模な改修工事が始まります。リニューアルオープンは、2023年度中なので、かなり長い休館です。

 今のトリエンナーレの後は、横浜美術館、愛知県美術館、富山県美術館の20世紀西洋美術コレクションによる「トライアローグ」展(2020年11月14日から2021年2月28日)が始まります。新型コロナの影響が沈静化していれば、長期休館前に、もう一度、訪問したいと思います。

杉山博之

銀座番外編(奥野ビル)

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor
奥野ビル外観

 日本国内で美術画廊、ギャラリーが多く集まっている地域といえば銀座界隈を連想する方が多いと思います。その銀座の中でも特に密度が高いのが奥野ビルです。

京橋駅からほど近い路地にあるレトロビルの中におよそ20軒のギャラリーとアンティークショップが集まっています。

エレベーター

立地の良さもあり、2年先まで予約が埋まっているギャラリーもあるそうです。建設されたのは1932年で、民間の建物としては日本初のエレベーター付きビルでした。驚くことに、そのエレベーター(手動で扉を開閉)は今でも現役で使われています。

 アーティゾン美術館や三菱一号館美術館、東京ステーションギャラリーのついでに、寄り道はいかがでしょう。

杉山博之