お知らせ

2022年9月13日

2022年協力会イベント情報

お知らせ

現在、下記のイベントの申し込みを受け付けています。

1.クマのプーさん展解説会 名古屋市美術館 令和4年10月9日

参加希望の会員の方は、ファックスか電話でお申し込みください。ホームページからの申し込みも可能です。

参加の際は、必ずマスクを着用いただき、体調の優れない場合は、参加をご遠慮ください。

最新の情報につきましては随時ホームページにアップさせていただきますので、そちらをご確認ください。皆さま方にはご迷惑をおかけしますが、なにとぞご理解のほど、お願いいたします。

また、くれぐれも体調にはご留意ください。

事務局

STILL ALIVE 国際芸術祭あいち2022

カテゴリ:協力会事務局 投稿者:editor

 アイチトリエンナーレから名称を変更した国際芸術祭あいち2022のミニツアーが、9月11日午前10時から行われました。会場のある愛知芸術文化センターの12階にはレクチャのスペースがあり、当日は24名の名古屋市美術館協力会員が集まり、担当の中村史子学芸員のお話を聞きました。

 解説はとても分かりやすい展開で、まずはこのタイトル、STILL ALIVEから。

 このタイトルは、愛知県刈谷の出身である現代アーティストの河原温の言葉から取ったとのこと。ニューヨークに在住していたかわらは、作品は発表するものの、オープニングやインタビューなどにも姿を現さず、ミステリアスな作家(現代にもそんなアーティストがいるような…)であったが、その作家から電報が届いてそこには I am still alive.とだけ書かれている、といった具合で、その電報を打つという行為自体をアートとしてしまうような作家であったとのこと。しかし、この時代、コロナで離れて暮らしている家族や友人となかなか会えないために、この河原の用いた言葉は今の時代にも非常にマッチしているとも言えるので、タイトルに採用されているとのこと。なるほど、そういうことでしたか。

 その後、芸術祭に参加しているアーティストとその作品について、時間の許す限り解説していただけました。大多数のアーティストは、日本で暮らしているとわからないような、世界で起こっている窮状をテーマにした作品を手掛けていて、解説していただかないとなかなか想像し難い内容が多かったように感じます。世界で今、実際に起こっていることに目を向けることも大切だと感じました。

協力会事務局

国際芸術祭「あいち2022」を見て (その3)

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

国際芸術祭「あいち2022」[STILL ALIVE-今、を生き抜くアートの力](以下、「あいち2022」)の常滑、有松会場を見てきたのでレポートします。

 常滑会場は、やきもの散歩道に沿って展示場所が散在しています。常滑駅のインフォメーションで近道を教えてもらい、1番目の旧丸利陶管に向かいます。

会場風景 デルシー・モレロス

 デルシー・モレロスの作品は、まるで和菓子屋さんの作業場のようです。大小さまざまなお饅頭が、床一面に並んでいます。うっすらとクッキーのようなにおいがすると思ったら、シナモンが振りかけられています。おいしそうな匂いですが、作品の材料は土なので、食べることはできません。

旧丸利陶管には、その他に服部文祥+石川竜一、グレンダ・レオン、シアスター・ゲイツなどの作品もあります。

旧丸利陶管を出て、地図で次の会場を探します。順路だと2番目は廻船問屋 瀧田家ですが、旧青木製陶所のほうが近いようなのでそちらへ向かいます。

展示風景 フロレンシア・サディール

 フロレンシア・サディールの作品を見て、玉すだれを連想したのですが、はずれです。こちらは雨の表現です。かなり大粒の雨で、夕立のような激しさを感じます。玉に使われている土の色が様々で、そこにも何かしらの意味が込められているように思います。

常滑から有松へ移動します。

展示風景 ミット・ジャイイン

 旧東海道沿いの趣のある町並み保存地区が会場です。道幅が狭く、車両もかなり通るので、散策する際は後ろにも注意してください。

通りのあちこちで目にするのは、ミット・ジャイインの作品です。風が吹くと揺れる様子が涼しげです。近くで見ると、かなり厚手の布地が使われています。ところどころ、乾いた絵の具が尖っているので、あたると痛いと思います。

ミット・ジャイインの作品は、名古屋市西区の「円頓寺商店街」、「円頓寺本町商店街」でも展示されるそうです。

展示風景 ユキ・キハラ

 ユキ・キハラの作品は、着物のかたちをした絵画です。紙芝居ならぬ着物芝居のようです。キラキラすると思ったら、ビーズやスパンコールなども使われています。

ユーモラスな絵柄ですが、解説映像を見ると、この作品は環境破壊や経済格差などの社会問題を内包していることがわかります。解説映像を見る前と後で、印象がかなり変化しました。

有松では、その他にイワニ・スケース、AKI INOMATAなどの作品も見ることができます。

どちらの会場も、駅からは十分に徒歩圏内です。ただ、移動中に日陰になる部分が少ないので、日傘か帽子、それからスポーツドリンクがあるといいと思います。

杉山博之

国際芸術祭「あいち2022」を見て (その2)

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

国際芸術祭「あいち2022」[STILL ALIVE-今、を生き抜くアートの力](以下、「あいち2022」)の一宮会場を見てきたのでレポートします。

 一宮会場は、JR尾張一宮駅の東側の真清田神社周辺と、「墨会館」と「のこぎり2」のある尾西地区に分かれています。真清田神社周辺は徒歩圏内ですが、尾西地区はバスをお勧めします。

会場風景 遠藤薫

 JR尾張一宮駅から南東に10分くらい歩くと豊島記念資料館につきます。ここには、遠藤薫の作品が展示されています。「美術」の中には「羊」がいるそうで、展示作品のテーマは「羊」です。

2階に上がると大きな8角形の布の作品があり、その周辺にも羊の毛皮のようなものがぶら下がっていますが、こちらはフェイクファーのようです。

展示風景 奈良美智

 オリナス一宮には、おなじみの奈良美智の作品が展示されています。

この作品には、ビューポイントが2か所(入口側と奥側)あります。入口のすぐ左手の小窓から眺めるとモデルたちの情感がよく伝わるように思いますが、いかがでしょうか。

展示風景 バリー・マッギー

 オリナス一宮の東側(駐車場の方向)の屋外にバリー・マッギーの作品があります。とある建物をまるまるラッピングしたものですが、建物のサインを見てびっくりしました。

バリー・マッギーの作品は、真清田神社の北側の大宮公園の中にもあります。こちらの作品は、あまりにも周りの風景に溶け込んでいるので、見つけにくいかもしれません。

展示風景 ジャッキー・カルティ

 ジャッキー・カルティの作品は、現代美術展ならではの作品だと思います。つまり、どのように見ればいいのか、見当がつきません。

展示室の奥に、回転するプロペラを映した映像作品があります。夕方になると、ある理由でモニターの映像が変わるそうです。また、夕方のお天気によっても、映像が変わるそうです。

次回は、遅めの時間に行って、プロペラではない映像を見てみたいと思います。

杉山博之

国際芸術祭「あいち2022」を見て

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

国際芸術祭「あいち2022」[STILL ALIVE-今、を生き抜くアートの力](以下、「あいち2022」)を見てきたのでレポートします。

現代美術展は県内4か所、愛知芸術文化センター(名古屋市)、一宮市、常滑市、有松地区(名古屋市)で展開されます。上映時間の長い映像作品があること、会場間の移動に時間をとられることから、会場ごとに別の日に行くことをお勧めします。それから、まちなか会場に出かける場合は暑さ対策をお忘れなく。

それでは、愛知芸術文化センターの展示から。

4つの会場の中で最大規模の展示です。いろいろと時間に関係した作品、文字表記を含む作品などが目立ちます。

会場風景 ローマン・オンダック

 木の年輪で歴史年表を表現した作品です。床に並んだ輪切りのパーツを、毎日、一枚ずつ壁にかけていき、10月10日の「あいち2020」最終日に完成形を見ることができます。

それぞれのパーツには、歴史的な出来事(例えば、DNAの発見とか)がひとつずつ言葉で書かれています。

展示風景 ロバート・ブリア

 白い大きな円柱形の作品は、非常にゆっくりとしたスピードで動いています。

ただ動いているだけですが、とてもユーモラスな感じがします。よく見ないとわからないくらいゆっくりと動くので、見落とさないでほしいです。

展示風景 アンドレ・コマツ

 半透明のシートで囲われた空間に新聞をさかさまに張り付けた巨大な柱が出現しています。柱の周りにも、ハンマー、拡声器、方位磁石などが配置されています。いろいろな読み取りのできる作品だと思いますが、まだ感想がまとまりません。

展示風景 ミルク倉庫+ココナッツ

 この作品は、プランターに植えられた植物を配置した巨大な足場で、希望者は足場の中を歩くことができます。説明によれば、人の肺をモデルにした空気の循環に関する装置なのだとか。

他にも、気になる作品は多かったのですが、後は皆さんがご自身で見つけてください。

他会場の作品も近日中にレポートします。

杉山博之

読書ノート 『芸術新潮』2022年8月号

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

7月25日に発売された『芸術新潮』2022年8月号。ガブリエル・シャネルの特集以外にも、第2特集の「こけし」、「ゲルハルト・リヒター展」展覧会評など、内容が豊かでした。以下、概要をご紹介します。

◆特集「シャネルという革命」

現在開催中の「ガブリエル・シャネル展」は、7月17日付日本経済新聞や7月24日AM9:45放送のEテレ「日曜美術館」の「アートシーン」でも取り上げていましたが、『芸術新潮』の特集は何と63ページで、グラビアも豊富です。そのままで単行本になる本格的なものでした。とても全部は紹介できませんので「リトル・ブラック・ドレス」関連に絞ります。(p.〇は『芸術新潮』のページ数を示す)

〇CULMN 1 モダン・パリのクチュリエたち

ポール・ポワレがデザインしたコルセットの要らないドレスについて「ポワレが真に女性の解放者だったかといえば、そうではない。(略)1910年に発表した先のすぼまったホッブル・スカートは、まったくもって動きづらいものだった」として、シャネルが「その芝居がかったデザインを痛烈に批判している。ポワレにとってモードは舞台同様、芸術だったが、シャネルにとってのモードは決して芸術などではなかった」と書いています。(p.37)ポワレは、機能性よりも「見た目」を重視したということですね。

〇Ⅲ 1926- リトル・ブラック・ドレスの衝撃

 記事の最初で、ポール・ポワレが黒い服を着たシャネルに「誰を悼んでいるのかね?」と皮肉ったところ、シャネルは「貴方ですよ、ムッシュー」と答えたという逸話を紹介。「真偽のほどはあやしいが、シャネルによるラディカルなモードの変革を苦苦しく眺めていたポワレと、そのポワレのデザインを強い意志をもって葬り去ろうとしていたシャネルの姿勢を物語るものとして、大変よくできている」と締めくくっています。

また、展覧会監修者のひとり、ガリエラ宮パリ市立モード美術館館長・ミレン・アルシャリュスは「ひとくちにリトル・ブラック・ドレスといっても素材やデザインはさまざまで、刺繍やレースが用いられたものもあります。ただし、シンプルなシルエットと着心地のよさ、このふたつについては、シャネルは絶対に妥協しませんでした。自由で活動的な女性のためのシャネルの服は、キャリアの最初期からアメリカで人気がありました」と、解説しています。(p.54)

ほかに面白いと思ったのは、1953年にシャネルが14年ぶりに復帰した理由は「クリスチャン・ディオールが許せない」という鹿島茂と原田マハの対談。(p.64)ディオールのコルセットで絞ったウェストとひらひらしたスカートにショックを受け、シャネルは「この状況をどうにかしなければという焦燥感に駆られた」という、ミレン・アルシャリュス館長の解説もありました。(p.67)

◆第2特集 ひそやかに熱く。 東北が生んだ宝もの、こけし再発見

 東京ステーションギャラリーで開催中の展覧会「東北へのまなざし 1930-1945」の関連記事です。「ミロ展」に出品された、ミロ所蔵の「こけし」が気になっていたので、グッド・タイミングの特集でした。

 記事によれば「こけしは、江戸時代後期に東北地方の木地師(ロクロを使って木工品を製造する職人)が、湯治場の土産物玩具として作り始めたとされる。(略)しかし、大正期にはブリキやセルロイドの玩具に押され、一気に衰退する」ものの、こけし蒐集家の活動によって「大人の蒐集品として注目を集め」1930~45年頃「第一次こけしブーム」が巻き起こった、というのです。(p.77~79)なお、ミロにこけしを贈った旅行家のゴメスが「渡辺喜平作の土湯系こけし」を90銭で購入したのは1941年9月です(展覧会図録による)。

特集②「みちのく こけし分布MAP」によれば「土湯系(福島県)こけし」の特徴は「胴は細く頭は小さめ」(p.80)ですが、ミロ所蔵のこけしは「胴は細い」ものの「頭は大きめ」。特集③では木地屋「湊屋」の三代目・浅之助作とされる「頭の大きな」土湯系こけしを「珍品」として紹介しています。(p.82)

◆ぐるぐるきょろきょろ展覧会記 第26回  文 小田原のどか(p.116) 

 「ゲルハルト・リヒター展」について書いていますが《ビルケナウ》の取り扱いについて苦労しているように見受けられました。展覧会が「決められた順路はなく、始まりも終わりも、クライマックスもない」展示となったのはなぜか。「手がかりは作家の代表作《ビルケナウ》にある」という言葉が印象的です。

Ron.

「ボテロ展 ふくよかな魔法」 協力会向け解説会

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館(以下「美術館」)で開催中の「ボテロ展 ふくよかな魔法」(以下「本展」)の協力会向け解説会に参加しました。参加者は49名、猛暑とコロナ禍での開催としては、予想以上に多い人数です。講師は、本展担当学芸員の久保田舞美さん(以下「久保田さん」)。解説会では初めてお目にかかる学芸員さんです。2階講堂で本展の解説を聞いた後、自由観覧・自由解散となりました。

◆久保田さんの解説の要点 (16:03~45)

 以下、久保田さんの解説の要点をかいつまんで記します。

〇ボテロの略歴

1932年、南米コロンビアのメデジン生まれ。現在90歳で、現役の世界的作家。ゲルハルト・リヒターと同じ年の生まれ。「現在も現役の世界的作家」という点も共通。絵画だけでなく、彫刻も制作。1949年、ピカソの評論を地元の新聞に投稿し、高校から退学処分を受ける(17歳)。1956年、マンドリンの穴を小さく描いたら、マンドリンのボリューム感が増すことを発見(24歳)。1959年、第5回サンパウロ・ビエンナーレに、コロンビア代表として《12歳のモナリザ》を出品(27歳)。1961年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が《12歳のモナリザ》(1959)を購入(29歳)。1963年、メトロポリタン美術館がレオナルドダヴィンチ《モナリザ》を展示しているときに、MoMAが《12歳のモナリザ》を展示して、注目を集める(31歳)。

〇本展について

日本では26年ぶりの大規模展。愛知県では初めての展覧会。ボテロ本人が監修した70点の絵画を出品(彫刻はない)。展示作品のほとんどが、日本初公開。なかでも《モナリザの横顔》(2020)は、世界初公開。

〇出品作品について

出品作品に関する久保田さんの解説については、次の「自由観覧」の中で触れます。

◆自由観覧(16:45~18:00)

〇第1章 初期作品

《泣く女》(1949)は、17歳の時の作品。久保田さんによれば「ピカソの『青の時代』の影響を受けているほか、オロスコなどのメキシコ・ルネサンスの壁画の影響も受けている」とのことです。ボテロは、17歳の時から「ボリュームのある人物」を描いていますが、この時代は手や足など「体の末端が肥大」しているように見えます。また、久保田さんの解説によれば《バリェーカスの少年(ベラスケスにならって)》(1959)は「《12歳のモナリザ》に似ている作品」です。《庭で迷う少女》(1959)も《馬に乗る少女》(1961)も、この時代の作品は「ふくよかな人物」というよりも「二頭身の人物」を描いているように見えます。

〇第2章 静物

《楽器》(1998)に描かれているギターは穴がとても小さく「ボテロが1956年に描いたマンドリンも、こんな姿をしていたのかな?」と思わせる作品でした。ピンク色の布(ふとん?)の質感描写も素晴らしいと思います。《洋梨》(1976)について、久保田さんは「伝統的な静物画のジャンル=ヴェニタス(人生のむなしさの寓意)を踏まえて、腐りかけの果物を描いたもの。果物をかじった跡や、穴、果物を食べている虫を描いているのは、そのため」という趣旨の解説をされました。「虫は目も描かれていて、かわいい」と、付け加えています。「腐りかけ」というなら「萎れて崩れかけた果物を描く」という手もあると思いますが、さすがはボテロ。腐りかけの果物であっても、みずみずしさにあふれています。一方、果物のヘタだけでなく、誰かが齧った跡、虫、どれをとっても小さいので、洋梨のボリューム感は半端ないものでした。

解説の最後に、参加者からの「ボテロにとって、青はテーマカラーですか?」という質問に対し、久保田さんは「青、赤、緑のバランスを取っている。大小のバランスも取っている。青が特別な色という訳ではない」と回答していましたが、《黄色の花(3点組)》《青の花(3点組)》《赤の花(3点組)》(いずれも2006)の三点は、久保田さんの回答のとおり、色のバランスを取った作品でした。特に《青の花》《赤の花》は、花と花瓶の色が補色関係になっており、色の対比とバランスを考えた作品だと思います。

〇第3章 信仰の世界

《キリスト》(2000)を見て、特定の年代の参加者は「俺たちひょうきん族の神様にそっくり」と言っていました。若い人には何を言っているのか分からないと思いますが、とにかく似ています。《コロンビアの聖母》(1992)について解説の最後に、参加者から「幼いキリストと思われる子どもが現代風の服を着ているのは、何故ですか?聖母がつまんでいるのは果物ですか?」という質問がありました。久保田さんの答えは「ボテロに聞けば、ピンクが欲しかったから、と答えるかもしれません。聖母がつまんでいるのは果物です。子どもがつまんでいる小さなものは、コロンビアの国旗。ボテロが、この作品を描いたのは1992年当時のコロンビアの暴力的な環境にあるのでは、とも思いますが、答えは不明です」というものでした。1992年といえば、1984年から続いた、麻薬組織メデジン・カルテルとコロンビア政府との「麻薬戦争」が終結した年です(Wikipediaによる)。久保田さんによれば、《守護天使》(2015)は「ボテロの自画像」です。

〇第4-1章 ラテンアメリカの世界

最初に展示されているのが《バルコニーから落ちる女》(1994)。何が起きたのか、よくわかりませんが、説明書きには「陰謀の犠牲者か?」と書かれています。《ピクニック》(2001)に説明書きはありませんが、「芸術新潮」2021年12月号は「草原でくつろぐ男女は、マネの《草上の昼食》が元ネタ」と書いています。言われてみれば、そんな雰囲気が漂っています。元ネタそのままではなく、一度自分の中に取り込んでから「ボテロ流」に再構成した作品ですね。ボテロの作風には、揺らぎがありません。《通り》(2000)に違和感を覚えたので説明書きを見ると「現実にはあり得ない空間。(略)絵画とは現実を表したものではなく、個人的な現実を独自の視点と体験をもとに創り上げたもの」と書かれていました。

〇第4-2章 ドローイングと水彩

4-2章からは2階に展示。キャンバスに青鉛筆で描き、水彩絵の具で彩色した作品が並んでいます。いずれも、2019年に制作したもの。思わず「うまい」と、声を出してしまいました。描かれているのは、どれも「ふくよかな」人物ですが、油絵と違って「凛々(りり)しく」、違和感がありません。とはいえ、作風そのものは、まったく変わっていませんでした。

〇第5章 サーカス

「サーカス」で一つの章を構成するのですから、サーカスは、ボテロにとって「欠かせないもの」だったのでしょうね。どの作品にも、補色関係である緑と赤の対比が使われていました。「現実にはあり得ない遠近感」も、楽しめます。

〇第6章 変容する名画

名画がどのようにデフォルメされたか分かるように、元ネタとボテロの作品を並べて展示しています。なかでも、久保田さんが力を入れて解説したのは《ピエロ・デラ・フランチェスカにならって(2枚組)》(1998)でした。キーワードは「この作品には、フランチェスカに対する尊敬があらわれている。陰影を強くつけることなく、線と色彩でボリューム感を出している。フランチャスカを思わせるのは、無表情ではなく、口角を挙げて少し微笑んでいること。ボテロの様式で描いた、気分の上がる作品」等です。展示室で見ると、とても大きな作品でした。画面の上下を縮めて「ふくよか」な感じを強調していますが、他の作品に比べるとデフォルメの程度は小さく感じます。この作品で見入ったのは、服や帽子、髪飾りなどの質感描写です。イタリアで基礎を学んだだけあって、久保田さんの解説どおり「線と色彩でボリューム感」を出していました。質感も出ています。ボテロなら、元ネタそっくりに描くことも出来るでしょうが、それでは「模写」であって彼の「作品」にはならないので、デフォルメした作品を制作したのでしょう。絵の向きも、元ネタの逆です。他に目を引かれた作品が《フォルナリーナ(ラファエロにならって)》(2008)でした。ボテロの描く人物の多くは無表情ですが、このフォルナリーナの眼差しや唇は、妙に色っぽいのです。《モナリザの横顔》(2020)にも表情があります。このことを久保田さんに質問したところ、「微笑や眼差しは、作品を特徴づけるもので、不可欠な要素。なので、デフォルメしても、残したのではないか」という趣旨の回答をいただきました。上記以外の作品も「元ネタそのまま」ではなく、人物の向きや、服装などを変化させています。それを発見するのも、鑑賞の醍醐味だと思いました。

◆ボテロとゲルハルト・リヒターは、共通点があるものの、対照的な作家

ボテロもゲルハルト・リヒターも1932年生れで、世界的な作家、日本で大規模な巡回展が開催されている、という共通点があるものの、素人ながら対照的な作家だと思います。ボテロは20歳の時に描いた作品が第9回コロンビア・サロンで二等賞を獲得。その賞金でヨーロッパに渡り、プラド美術館でゴヤやベラスケスを模写。その後パリに移り、ルーブル美術館で巨匠の作品を模写。更にフィレンツェに移り、サン・マルコ・アカデミーに入学。フレスコ画の技法を学び、フィレンツェ大学美術学科でロベルト・ロンギの講義を受けています。抽象絵画が主流の時、古典絵画をデフォルメするという作風を確立してからは、作風を変えていません。一方、リヒターは東ドイツで描いていた「社会主義リアリズムの壁画」に疑問を持ち、西ドイツに出国。デュッセルドルフで抽象絵画の洪水に出会い、模索の後、フォト・ペインティングで評価されます。その後、カラーチャートやアブストラクト・ペインディングなど、具象と抽象の間で作風は変遷しています。「どちらが良いか」というのではなく、今年は対照的な二人の作家の展覧会を続けて鑑賞することができる、又とない機会だということです。

◆最後に

 正直に言うと、あまり期待せずに来たのですが、良い意味で裏切られました。いずれの作品も「ふざけて、ふくよかな人物を描いたのではなく、元になった名画に敬意を表して、まじめに描いたもの」でした。大きな作品が多く、見応えがあります。解説会にも予想以上の数の参加者がありました。お薦めですよ。

Ron