お知らせ

2018年10月30日

2018年協力会イベント情報

現在、募集中のイベントは下記のとおり。

平成31年3月3日(日)17時~
・名古屋市美術館:『辰野登恵子』展ギャラリートーク

会員の皆様は、ファックスか、お電話でお申込ください。
なお、ホームページからもお申込可能です。
(右側の”Gトーク”申込ボタンから)

「特別展 画僧 月僊」ミニツアー

カテゴリ:ミニツアー 投稿者:editor

平成31年最初のミニツアー、目的地は名古屋市博物館(以下「市博」)です。参加者22名で、現在開催中の「特別展 画僧 月僊」(以下「本展」)を鑑賞。学芸員の横尾拓真さん(以下「横尾さん」)のレクチャー「月僊作品の見どころ」を聴講してから自由観覧となりました。

◆「月僊作品の見どころ」(概要)
以下は横尾さんのレクチャーを要約筆記したもので、見出しと(注)は私の補足です。

◎月僊の生涯
本展で紹介する月僊(注:げっせん 1741-1809)は、名古屋城下で生誕した画僧です。7歳で仏門に入り、江戸・増上寺(注:山号は三縁山。徳川幕府の庇護を受け、一時は浄土宗を統括した大本山)で修業しました。江戸では桜井雪館に弟子入りして絵を学び、30歳を過ぎて上洛。京都・知恩院(注:山号は華頂山。法然が入滅した場所に建立された浄土宗の総本山。三門は国宝に指定されている)で修業を続け、絵では円山応挙の影響を強く受けます。ただ、月僊が応挙に弟子入りしたかどうかについては不明です。
月僊は34歳の時に伊勢の寂照寺の住職となり、69歳で他界するまで30年以上にわたり僧侶・画家として活躍しました。なお、「奇想の画家」といわれる伊藤若冲、長沢芦雪、曾我蕭白は月僊の同時代人です。
寂照寺は、伊勢神宮の下宮と上宮の真ん中あたりにある「間の山」(あいのやま)の上にあり、周りは遊郭街の「古市」(ふるいち)でした。月僊は絵を描いてお金を稼ぎ、そのお金で、寂れていた寂照寺を再興しました。月僊が建てた建物のうち現在まで残っているものは寂照寺の山門と経蔵です。
当時の月僊は、人気があって金を稼いだ画僧でした。彼はまた、「社会福祉事業家」の顔も持っており、貧しい人、恵まれない人を援助したと伝わっています。少なくとも、月僊が貧民救済のためにお金を出したことは事実で、伊勢では今でも敬われています。
◎本展の構成
本展は5章で構成されています。第1章「画業のはじまり」は、月僊と桜井雪館・円山応挙との関係に焦点を当て、第2章から第4章までは「信仰」「神仙」「山水と花鳥」と、ジャンル別に展示、第5章は「寂照寺の月僊」です。
◎雪館風のユーモラスなキャラクターを応挙に学んだ写実的表現が下支え(第1章)
桜井雪館という名前、現在では知らない方も多いと思いますが、当時は人気があり「雪舟の弟子」を標榜していました。中国風の人物をアクの強い画風で描く絵師で、絵にインパクトがあります。対する円山応挙は、雪館とは真逆の画風で、穏やかで写実的な画風です。
月僊の人物画は、漫画のように誇張と歪曲を加えたユーモラスなキャラクターを写実的表現が下支えしています。つまり、月僊の人物画の基本は円山応挙の写実ですが、それに雪館の画風(気持ち悪さやアクの強さ)が加味され、分かりやすい絵になっています。
私(注:横尾さん)は「円山応挙+オリジナリティー」という点で、月僊と長沢芦雪はよく似ていると思っています。オリジナリティーでは長沢芦雪が応挙の弟子中ナンバーワンですが、月僊は芦雪に次ぐと考えます。
◎仏画について(第2章)
チラシやポスターの図版として使った《朱衣達磨図》も「誇張した姿で分かりやすく表現した絵」です。この絵で「写実的表現が下支え」しているのは、先ず「目」です。瞳と虹彩を描き分け、目尻に赤い絵の具で充血を表現しています。白目の上下に薄く墨をさして、まつ毛の影と目が球体であることをあらわしています。また、月僊は、おでこの盛り上がり具合を、輪郭線は使わずに色彩で表現しています。
市博所蔵の《仏涅槃図》は伝統的な図柄を引き継いでいます。釈迦の上の方に描かれている金色の人物は菩薩さまですが、この絵では、ご覧のとおり、敢えて漫画のように人間臭く描いています。
《釈尊図》の台の下を見ると、邪鬼が釈尊の台を支えていることがわかります。本来、邪鬼は懲らしめられる存在ですが、この絵の邪鬼は愛らしく描かれています。三福図の《布薩本尊》では、上空から諸衆が来襲していますが、誰もが「ゆるキャラ」のような人物に描かれています。
◎神様と仙人(第3章)
月僊はクセのある人物を描くことを得意としており、仙人を多く描きました。《人物図衝立(鍾離権・呂洞賓)》が描くのは道教の仙人。二人は師弟ですが、見つめ合う姿は愛し合っているようにも見えます。このようにスターを面白おかしく、ふざけて描くことや人物のアクの強さは雪館風です。一方、手のひらや足の指先の写実的表現はうまく、破綻のない造形力を見ることができます。《恵比寿図》の顔は目が離れて鼻が大きく、神様というよりは漁師のような生々しさがあります。ご覧のように、ぱっと見は漫画チックな「面白いおじさん」ですが、その一方で、烏帽子を透かして髷が見えたり、活きているような鯛を抱えていたりと、写実的な表現がされているとわかります。
《張公図》は医者の像です。月僊の肖像画は、同時代の曾我蕭白よりも上品です。それは「月僊は蕭白ほどに突き抜けることは無かった」ということでもあります。月僊は、生々しさを残しながらも円山応挙のような上品さを保った画僧でした。そのため、月僊は上流階級の人々にも愛されました。皇族の京都・妙法院門跡もその一人で、月僊は多くの襖絵を妙法院のために描きました。本展では《群仙観月図襖絵(妙法院白書院二之間障壁画)》を展示しています。淡白で美しい襖絵ですが、妙な生々しさが感じられます。
◎《百盲図巻》について(第5章)
《百盲図巻》(京都・知恩院所蔵)は、本展の最後に展示している作品です。描かれている人たちはふざけて合っているようにも見えますが、月僊は信仰心が無く六道をさまよう人々に対して「宗教的な戒め(いましめ)」を説くためにこの絵を描いています。ただ、この絵を描いたのは「戒め」のためというだけではありません。この絵の登場人物にはリアリティーがあり、楽しそうにみえます。この図巻の最後には漢文が書かれていますが、その大意は「盲人は目が見えないといっても、琵琶や鍼灸などの技術を持ち、他の人と変わるところはない」というものです。この言葉に、月僊の愛、社会福祉事業家としての姿を見ることができます。

◆自由観覧
 横尾さんのレクチャーは10時40分に終了。その後、各自、自由観覧となりました。
◎《仏涅槃図》
 今回のミニツアーでは市博所蔵《仏涅槃図》を始め4点の「仏涅槃図」を見ることができました。4点いずれも基本的な構図は同じですが、細かい点は少しずつ違っています。なかでも面白かったのは市博所蔵のもので、獣や鳥だけでなくカエル、セミ、トンボ、カマキリ、ナメクジなども描いており、図鑑を見ているような気がしました。他の3点はいずれもお寺の所蔵品で、全て文化財指定(菰野町、愛知県、伊勢市)を受けています。寺宝だったのですね。
◎ユーモラスなキャラクターとは無縁の肖像画
横尾さんはレクチャーで「ユーモラスなキャラクターを写実的表現が下支えしています」と解説されましたが、さすがに知恩院御影堂の肖像画を写した《円光大師座像》や岡崎・隨念寺15世倫誉達源の正装と墨染姿を描いた《倫誉上人像》におふざけは無く、写実に徹した上品な絵でした。
◎顔は緻密に、衣は一筆で描く
横尾さんがレクチャーで解説した《朱衣達磨図》と《恵比寿図》ですが、顔や手足は細筆で緻密に描写している一方、衣は襞を一筆でサラリと描いており、描写方法の対比と月僊の筆さばきに舌を巻きました。
◎床の間だけは写真パネルの《群仙観月図襖絵(妙法院白書院二之間障壁画)》
 横尾さんがレクチャーで解説した襖絵は、満月を鑑賞する仙人と山水を描いたものでした。仙人が見ているのは、床の間の壁を撮った写真パネル。襖は取り外して運ぶことができますが、床の間の壁を取り外して運ぶことは難しいので写真パネルになったのでしょうね。この写真パネル、ぱっと見には「シミのある鼠色の壁」で、絵が描いてあるようには見えません。それでも目を凝らしてみると、「観月」という作品名が示すように、丸い形と樹影がかすかに見えました。
◎《富士の図》三重・寂照寺(伊勢市指定文化財)
 第4章には「人気絵師の多様な題材」というサブタイトルが付いており、山水画・花鳥画が出品されています。ミニツアーに参加したメンバーと「いかにも売れそうな絵ですね」とか「収集家は、自分の教養の高さを示すためにこの絵を買ったのでしょうね」とか、勝手な話をしながら鑑賞。《富士の図》では「帆掛け船・三保の松原と富士山・愛鷹山ですね。薄墨でシンプルな構図。控えめな表現で、横山大観の富士とは対極」などと話が弾みました。
◎ネズミ・唐辛子と猫の組み合わせとは?
第5章には《鼠と唐辛子図》《猫図》の2幅が並べてされています。説明には「大津絵に描かれた教訓をもとにしている」と書いてありましたが、唐辛子が鼠の好物とは思われず、モヤモヤが残った作品でした。
家に帰って調べてみると、元になった大津絵の題名は「猫と鼠の酒盛り」。うまそうに酒を飲んでいる猫、その横で鼠は猫に唐辛子を勧めてご機嫌を取っており、画面には「聖人の教えを聞かず 終に身を滅ぼす人のしわざなり」という説明が書いてありました。
解釈としては「猫に食われることも知らずに呑気に酌をしている鼠」というものと「鼠は猫をだまして酒を飲ませ、肴に唐辛子をやろうとしているが、猫のエサは鼠。策に溺れると自滅する意」というものがあります。どちらの解釈が正しいのか良く分かりませんが、わざわざ赤い唐辛子を描いているので、私としては後者の解釈の方が腑に落ちました。
◎まるや八丁味噌の大田家との交流も
 第5章には資料として、まるや八丁味噌の大田家当主・弥次右衛門宛書翰巻も出品されており、ショップでは八丁味噌の販売もありました。

◆最後に
 年表によれば、月僊の没年には、貧民救済のための基金が1500両まで積み上がったと書いてありました。1月14日に放送されたEテレ「趣味・猫世界」という番組で「天璋院篤姫が飼い猫の世話をするために使った費用は年25両、現在のお金で250万円でした」というエピソードが紹介されていましたが、Eテレが使ったレート・一両=10万円で換算すると1500両は1億5千万円という大金になります。貧民救済のための基金だけでなく寂照寺再建の資金も画業で稼ぎ出したことを考えると、まさに月僊は「売れっ子の画僧」だったのですね。年表には「江戸の絵師・谷文晁が月僊を訪問」という記載もあったので、当時は有名人だったのでしょう。
そのため、ミニツアー参加者からは「いい絵を描いたのに、なんで現在は広く知られていないの?」と、疑問の声が数多く聞かれました。県や市の指定文化財に指定されている作品が多いので、月僊の作品の価値はそれなりに評価されていると思います。寺のお宝で一般の人が目にする機会が少なかったために「現在は広く知られていない」という結果になったのでしょうか。
ミニツアー参加者は帰り際、「楽しかったね」と口々に感想を述べていました。この感想のとおり、今回のミニツアーで月僊の作品に出会えたことは幸運でした。名古屋市博物館の皆さんに感謝します。
                            Ron.

本物の「北大路魯山人の器」が碧南に来る

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2019年1月8日(火)放送の「開運 なんでも鑑定団」を見ていたら、神奈川県大磯町で行われた出張鑑定に北大路魯山人の「蟹の絵皿」が3点出品され、180万円と鑑定されていました。鑑定人・中島誠之助氏の評は「魯山人最晩年、74歳頃の作品。(略)粘土の団子を丸くして上から押しつぶして、ヘラでぐるっと成り行きまかせに皿をえぐり出している。魯山人にとって皿の縁は茶碗の高台と同じように重要な役割をしているため、縁だけ見て魯山人だとわかる」というもので「友達に2枚あげたのは残念でしたね。5枚揃いで共箱(ともばこ)付きなら450万円でした」と続きました。
北大路魯山人といえばグルメ漫画「美味しんぼ」に登場する美食家・海原雄山のモデルというイメージが強いのですが、「開運 なんでも鑑定団」では陶磁器作家として紹介され、その作品が度々鑑定に出されています。
この北大路魯山人の器、テレビ画面で見るだけではなく、本物を見ることができる機会が近いうちに訪れるようです。「美術の窓」2019年1月号117ページに展覧会紹介記事が掲載されていました。内容は以下のとおりです。

没後60年 北大路魯山人 古典復興 ―現代陶芸をひらく―
 2018年4月27日(土)→ 6月9日(日) 碧南市藤井達吉現代美術館
文・藁科英也 千葉市美術館上席学芸員
北大路魯山人(1883~1959)は1915年、金沢に滞在していた際、山代の陶芸家である初代須田菁華(1862~1927)から作陶の手ほどきを受けた。これが魯山人とやきものの出会いとなった。
以後、魯山人は東京で美術骨董を扱う「大雅堂芸術店」を開いてからは自らのために作った料理が評判となり、1921年、店の2階に会員制の「美食倶楽部」を発足させた。当初は店の商品である古陶磁に盛り付けていたが、会員の増加にともなって器が足りなくなり自らうつわの制作に乗り出した。そして25年には中村竹四郎(1890~1960)を社長、魯山人を顧問兼料理長として明治時代から続いていた「星岡茶寮」の経営を受け継いでからは、作陶に拍車がかかった。それはやがて懐石料理の根本である茶とつながり、彼は桃山時代に生み出された茶陶の豊穣な世界と向き合った近代最初の個人作家となった。
本展覧会は魯山人の作品を中心に石黒宗麿(1893~1963)や荒川豊蔵(1894~1985)をはじめ、長次郎などの古陶磁から八木一夫(1918~79)の作品をあわせて展示し、昭和陶芸における古典復興の精華を紹介する。

「開運 なんでも鑑定団」に出品された魯山人の皿は鉄釉の織部焼でしたが、展覧会では魯山人の作品だけでなく、志野焼の荒川豊蔵の作品や八木一夫の前衛作品なども展示されるようです。楽しみですね。
Ron.

「特別展 画僧 月僊」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市博物館では「特別展 画僧 月僊」を開催しています。「画僧 月僊」と聞いてもピンと来ませんが、展覧会のチラシには、こんなことが書いてありました。

生誕の地 名古屋で 初めての展覧会
月僊(げっせん 1741-1809)は、江戸時代の中頃に活躍した浄土宗の画僧です。名古屋に生まれ、幼少にて仏門に入りました。江戸や京都で修業するかたわら絵を学び、ユニークな仙人の絵で人気を博します。伊勢国、寂照寺の住職となると、絵を売って寺の再興に努め、貧民救済にも尽力しました。本展では、仙人を描いた人物画、さらには仏画や山水画、花鳥画もあわせて多様な画業を見ていきます。また僧侶として社会福祉に取り組んだ人となりを紹介します。

 美術関係の雑誌(「芸術新潮」12月号、「美術の窓」1月号)に「必見の美術展」として紹介されているので、早速、出かけました。展覧会は第1章から第5章で構成されています。
◆江戸で雪舟様式の絵を学び、京都で応挙の影響を受ける
 第1章には月僊の作品だけでなく、江戸で月僊が師事した桜井雪館、京都で私淑した円山応挙の作品も出品されていました。桜井雪館の娘が刊行した絵手本に月僊の絵も載っているので、若いうちから技量が評価されていたと思われます。
◆仏涅槃図や法然上人像、達磨図などを描く
 第2章は仏画で、チラシの図版になった《朱衣達磨図》や《仏涅槃図》等が出品されています。いずれも「へたうま」の余技などではなく本格的な仏画です。《仏涅槃図》は複数出品されており、岡崎市・昌光律寺所蔵品には「愛知県指定文化財」との説明がありました。
◆関羽や鍾馗などを描く
 第3章は神様、仙人、英雄などを描いた絵で、「三国志」の登場人物を描いた岡崎市・隨念寺所蔵の三幅図《関羽・張飛・玄徳図》(岡崎市指定文化財)などが出品されています。
◆山水画、花鳥画も描く
 第4章では、蘇軾の「赤壁賦」を題材にした山水画《赤壁図双福》のほか《巖上錦鶏図》《菊図屏風》などが出品されています。唐辛子を食べるネズミを描いた《鼠と唐辛子図》はユーモラスでしたね。
◆「いましめ」を描いた《百盲図巻》
 第5章には、奔流に落ちてしまう盲人たちを描いた、京都・知恩院所蔵の《百盲図巻》が出品されています。この絵は、無明の闇をさまよう信仰の無い者への警覚(けいかく=いましめて、気付かせること)ですが、解説には「月僊は、最後には落ちてしまう彼らの側に立っているようだ」と書かれていました。考えさせられる絵です。
◆最後に
 協力会では2019年1月13日(日)午前10時から「画僧 月僊」鑑賞ミニツアーを開催します。詳しくは、協力会のホームページをご覧くださいね。
                            Ron.

アルヴァ・アアルト展 記念講演会レポート

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」(以下「本展」)の記念講演会(以下「講演」)を市美の2階講堂で聴講しました。講演の演題は「Alvar Aalto の住宅と理想の暮らし」。前半は、本展コーディネータ―で建築史家の和田菜穂子さん(以下「和田さん」)による講演。後半は和田さんと久野紀光さん(建築家・名古屋市立大学大学院芸術工学研究科准教授、以下「久野さん」)による対談でした。
和田さんは「専門は北欧近代建築の歴史。一般社団法人・東京建築アクセスポイントの代表理事」と紹介され、久野さんは「市内5大学の学生が制作し、市美・1階ロビーに展示中の2つの建築模型=《ヴィープリ図書館》《セイナヨキ市民センター図書館》の制作統括者」と紹介されました。当日の参加者は、読売新聞の記事によれば約180名。これは「ほぼ満席」ということですから、建築家の展覧会としては上出来です。若い人が多かったですね。以下は、講演内容の要約筆記、(注)は私の補足です。

◆講演の部
◎フィンランド人はサウナが大好き
フィンランドといえば「サウナ発祥の地」。「サウナで温めた体を湖に飛び込んで冷やし、またサウナに入って温まる」ということを何度も何度も繰り返すのが、フィンランド人のサウナの楽しみ方です。
◎北欧諸国では「ゆとり」が大事
私は、デンマークに2年間留学しました。北欧の暮らしは、自然環境では「厳しい冬の寒さ」を乗り越えることが求められます。日常生活は「質素・倹約志向」ですが「ゆとり」を大事にしています。時間的な「ゆとり」としては、時間の使い方が上手で「余暇を楽しむ」ことが彼らの基本です。北欧から日本に戻ると「セカセカ」している自分に気付きます。
空間的な「ゆとり」としては「良質なものだけに囲まれた暮らし」を大事にしています。よく考えて、良いものだけを購入し、世代を超えて使い続けることが彼らの基本です。
また、「仕事より家族との時間を優先し、残業をしない」ことも特色。家族と一緒に家で過ごす時間を大切にしています。
◎北欧諸国は「しあわせ」な国
北欧諸国は、世界のなかでも「しあわせ」な国だと言われます。
「しあわせ」には2つのスケールがあります。スケールのひとつは主観的幸福感ですが、実は北欧には自殺者が多いのです。もうひとつのスケールは客観的幸福指数(国民的総幸福度:GNH=Gross National Happiness)で、精神的な豊かさを数値化したものです。
少し古いデータですが、2006年に国連が発表した世界幸福度ランキングでは1位デンマーク、3位アイスランド、4位ノルウェー、5位フィンランド、10位スウェーデンと、北欧5カ国(アイスランド、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク)は全てベストテンに入っています。因みに、2位はスイス。日本は53位、中国は83位でした。
◎北欧モダンハウス
私は2012年8月に「北欧モダンハウス 建築家が愛した自邸と別荘」を発表し、7人の建築家の自邸と別荘を紹介しました。本展では、そのうち《アアルト自邸》《夏の家》《マイレア邸》の展示があります。
なお、7人の建築家はアルヴァ・アアルト(以下「アアルト」)の外、グンナー・アスプルンド(スウェーデン)、アルネ・ヤコブセン、モーエンス・ラッセン、ヨーン・ウッツォン(以上、デンマーク)、アルネ・コルスモ、スヴェレ・フェーン(以上、ノルウェー)です。
◎アルヴァ・アアルト展について
本展はヴィトラ・デザイン・ミュージアム(Vitra Design Museum)が企画して2014年にドイツでスタートした国際巡回展で、日本では2018年9月15日から11月25日まで神奈川県立近代美術館 葉山、同年12月8日から2019年2月3日まで名古屋市美術館、同年2月16日から4月14日まで東京ステーションギャラリー、同年4月27日から6月23日まで青森県立美術館へと巡回します。
元々が欧州の巡回展なので図録に日本に関する記述はありませんでしたが、ヴィトラ・デザイン・ミュージアムと交渉して、日本展の図録には日本人の3人の建築家とのインタビューを収録しました。
神奈川県立近代美術館 葉山ではArtek製の椅子に腰掛けることができるコーナーを設けました。名古屋市美術館でも「アルテック、ウスタヴァコーナー」という名前で、椅子に自由に腰掛けたり、写真撮影することができるコーナーを展示室内の1階と2階のエレベーターホール及び2階ロビーに設けています。また、見落とされたかもしれませんが1階のロビー(無料区域)に《ヴィープリ図書館》と《セイナヨキ市民センター図書館》の50分の1縮尺の模型を展示しているのでご覧ください。
◎アアルトのキャリア
これからは、アアルトがたどった道を6つの時期に分けてお話しします。
1 ユヴァスキュラ 1898-1816
2 ヘルシンキ   1916-1923
3 ユヴァスキュラ 1923-1927
4 トゥルク    1927-1933
5 ヘルシンキ   1933-1949 アイノ・アアルトと暮らした時期
6 ヘルシンキ   1952-1976 エリッサ・アアルトと暮らした時期
1 ユヴァスキュラ  森で育つ
アアルトの祖父は森林業務官でした。彼は「人間は森なしでは生きていけない。森は人間なしでも生きていける」という祖父の言葉を聞いて育ちました。彼は子どもの頃から絵心があり、14歳の頃に自然を描いた絵が残っています。
2 ヘルシンキ  森を出て都市へ
アアルトはヘルシンキ工科大学に進学しました。後に妻となるアイノ・マルシオ(以下「アイノ」)もヘルシンキ工科大学で学びましたが、アイノはアアルトの4歳年上なので二人に学生時代の交流はありません。
3 ユヴァスキュラ  新古典主義の時代
 卒業したばかりで仕事がなかったアアルトには、測量技師だった父の紹介で古い木造の教会の改修工事の設計が紹介されました。本展では《ヤムサの教会》《トイヴァッカの教会》の仕事を紹介しています。
 初めて新築工事の設計を手掛けたのが《ムーラメの教会》で、試行錯誤を繰り返しています。この教会を設計した時、アアルトは新古典主義の段階でした。なお、《ムーラメの教会》は完成後に手直しされましたが、最近、文化財に指定されたためオリジナルの仕様に復元されました。
ユヴァスキュラ時代にアイノがアアルトの設計事務所に就職し、二人は結婚しました
4 トゥルク
・インターナショナル・スタイルへ傾倒
本展では《トゥルン・サノマット新聞社》を紹介していますが、これはインターナショナル・スタイルに傾倒した、白いモダニズム建築です。インターナショナル・スタイルとはル・コルビュジエのスタイルで、白い箱で四面ガラス張りの建物です。
・機能主義建築へ
《パイミオのサナトリウム》は、最近、オーナーが売りに出しました。その理由は、結核患者数が減っていること、また、サナトリウムとして造られたので辺鄙なところにあるため経営が思わしくないためです。
《パイミオのサナトリウム》の病室は二人部屋が標準で、ワードローブ(クローゼット)も2つあります。ワードローブの形が丸いのは、角ばっているとぶつかるためです。洗面器も一人ずつ備えられ「水がはねない、水音が静か」という形状になっています。
5 ヘルシンキ(アイノと暮らした時期)
・アアルト自邸
アアルトは4人家族で、夫婦と娘・息子が一緒に暮らしていました。《アアルト自邸》(以下「自邸」)はアアルト夫妻で設計しましたが、四角い庭のある庭のデザインはアイノが担当したと思われます。自邸は、中庭に対しては開かれた建物ですが、道路に対しては閉じたデザインです。
自邸は、設計のためのアトリエと家族の生活空間で構成。リビングルームの奥、引き戸で仕切られた向こうがアトリエです。アトリエの2階は吹き抜けになっており、自然光が入ります。自邸の完成後、自邸のアトリエが手狭になったため、自邸から歩いて7分の場所にスタジオを建設しました。
自邸のダイニングの壁にはアアルトが制作したレリーフが飾られています。このレリーフは、曲げ木の実験中に偶然できた形の木材を板に貼りつけたものです。また、写真の椅子はイタリアに新婚旅行した時にアアルトが購入したものです。ダイニングのワゴンはアアルトが蚤の市で買ったもので、彼はこのワゴンを改良して《ティー・トローリー》を制作しました。食器棚の向こうがキッチンです。
・アルテック
アアルトがデザインした椅子は当初、委託した工場で製作していました。その後、アアルト始め4人(アルヴァ・アアルト、アイノ・アアルト、マイレ・グリクセン、ニルス=グスタフ・ルール)で創業した会社・アルテックで椅子を製作・販売するようになりました。アルテック(Artek)は、アート(Art)とテクノロジー(Technology)を融合した名称です。
4人の創業者のうちマイレ・グリクセンはアート・コレクター、ニルス=グスタフ・ルールは美術史家です。アルテックは、フランスのアーティストをフィンランドで紹介しています。
・マイレア邸
ご覧の写真は《マイレア邸》です。本展で展示している写真は芸術的写真で建物の全体像が分かりにくいため、私が撮影した写真を使って説明します。
《マイレア邸》は、世界で一番好きな住宅です。中庭にサウナ小屋とサウナで温まった体を冷やすためのプールを備えています。建物の中に入っても、森の中にいるような気持になるインテリアです。サンルームは日本建築の影響を受けており、違い棚や障子のデザインを取り入れています。
・妻・アイノの死
本展に出品したガラス器には、アイノがデザインしたものがあります。彼女は癌のため1949年に先立ち、残されたアアルトは、しばらくの間、抜け殻のようになりました。アアルトは1951年に、一人旅でイタリアに向かい、一杯スケッチをして帰国した後、中庭型の建物でコンペに当選。それが《サゥナッツァロのタウンホール》です。アアルトは、ここでエリッサ・マキニエミ(以下「エリッサ」)と知り合い、1952年に結婚しました。彼女はタウンホール建設の現場技術者でした。
6 ヘルシンキ(エリッサと暮らした時期)
・アアルトの夏の家(実験住宅)
アアルトは1952年、ムーラッツァロ島に別荘を建てます。これが《夏の家》です。冒険、実験、遊びの家なので「実験住宅=コエ・タロ」とも言います。いろいろな種類のタイル・レンガを組み合わせて50種類のパッチワークで床と壁を作りました。彼は、ここで実験した「穴のあいたレンガ」を後に《文化の家》で使用しています。
《夏の家》は白い壁を立ち上げて中庭があり、中庭を囲む壁の外側は白く、内側は赤いレンガを貼っています。白い方が目立つので、外側が白いのでしょうか。(注:《夏の家》の図面を見ると、一見、正方形の建物のように見えますが、写真を見ると建物自体はL字型です。外壁とL字型の建物とに囲まれた部分は中庭です。中庭を囲む外壁は2面。どちらの外壁も中央に通路があるため、左と右に分かれています)
夏の別荘なので《夏の家》の部屋数は多くありません。
《夏の家》では台所にショックを受けました。機能的ではないのです。シンクが小さすぎて、皿が洗えません。「水仕事で濡れるシンクの天板が、木でいいの?」と疑問が湧きます。このダメダメなキッチンを見て「アアルト夫妻は、あまり料理はしなかったかも」と、思いました。
《夏の家》の敷地にはサウナ小屋もあります。サウナ小屋のドアは、取っ手に自然木を使用しています。管理者の話では「よく壊れるので、その都度、取り換えている」とのことでした。サウナを出て、湖に飛び込むための飛び込み台もあります。
アアルトはボートの設計図も多数残しています。《夏の家》は湖の中の島に建てられたので、別荘に通うためにボートが必需品だったのです。
エリッサは、アイノに比べると設計能力は劣りますが、マネジメント能力は高かったと思います。
・白い時代
アアルトは外壁に赤いレンガを使った後、イタリア産の大理石を使うようになりました。この時代を「白い時代」と呼びます。ただ、フィンランディア・ホールの外壁は失敗作で、外壁の外側と内側の温度差のために大理石が反ってしまい張り替えざるを得ませんでした。(注:講演の後、市美の1階ロビーの模型が置いてある場所で久野さんに聞いた話では「外壁の内側には水蒸気が溜まりやすく、冬に水蒸気を含んだ大理石の中で水分が凍結して膨張したので反った。反ってしまった大理石は、元に戻らない。反りを防ぐには、外壁の外部と内部を同じ条件に保つ必要がある」とのことでした)
◎展覧会などのPR
2019.3.4~17に日本建築学会ギャラリーで「内省する空間 アアルトの住宅と図書館」を、2019.3.16には日本建築学会会館ホールで「アルヴァ・アアルト国際シンポジウム」を開催します。
また、2019.4.27~5.3には「北欧モダンハウスを訪ねる旅 フィンランド・ロシア7日間」を開催しますので、ご参加ください。

◆対談の部
和田さんの講演が終わると、引き続き、和田さんと久野さんの対談がありました。対談は、久野さんから和田さんへの質疑応答という形で進みました。
久野
先ず、感想を言わせていただくと、建築の展覧会というのは平面図や写真、模型から建物のイメージを作る必要があるので、理解するためにトレーニングを要します。建築の展覧会は「鑑賞のハードルが高い」と思いました。また、講演で「日本の幸福度が低い」という話がありましたが、それは「日本では欲望が強い」からではないかと思いました。
さて、和田さんへの質問ですが、本展は「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」という展覧会名です。「もうひとつの自然」とは「直球勝負の自然」に対する「解釈された自然」を指すと、私は考えましたが、いかがでしょうか?
和田
本展を英語表記すると「Alvar Aalto Second Nature」です。「自然」に対する言葉は「人工」や「人間」です。講演で紹介した、アアルトのおじいさんの言葉は「人間は森なしでは生きていけない」でした。また、アアルトは「人間は自然に生かされている」と思っていました。
久野
アアルトは「自然に寄せていくのが良い」と言いましたが、コンクリート建築を「反自然」だとは言っていません。「人間は人工的なものを作らざるを得ない」と考えていたのではないでしょうか。自然にも人間にも足りないものがあります。相互に補完し合うものが「もうひとつの自然」なのかな?と、思います。
日本は自然が豊かです。しかし、「アアルトの建築が良い」と言っても(注:自然条件が違うので)名古屋の真ん中にアアルトの建築はできません。
和田
アアルト展のタイミングで自然災害が起きました。自然災害は、否応なく受けます。今年の災害から「今まで自然を蔑ろにしてきたのではないか」ということに気づきました。本展が自然と共生することを考えるきっかけになるのではないか、本展は考えるきっかけとして良いのではないか、と思います。
久野
アアルトは、設計を続ける中で考え方が変わってきていると思います。
和田さんにお聞きしますが、日本人がお手本にすべきアアルトの建築は何ですか?《パイミオのサナトリウム》は、機能的すぎて、あまり手本にはならないと思いますが。
また、アアルトが自然を意識し始めたのは、どの建築からですか?
和田
日本でアアルトの建築を作っても、フィンランドとは場所が違います。フィンランドでイタリアを再生しても失敗します。周りの環境を考慮しないといけません。
アアルトは、初期に手掛けたムーラメの教会《聖具室のための椅子》でも革張りや脚は曲線を描いていました。《パイミオ・チェア》は人間主義で、患者のためを思ったデザインです。膝の裏まで曲線を使っており、人間主義の機能的デザインとして素晴らしいものです。《パイミオのサナトリウム》は「自然になかで治療する」というコンセプトの建築です。アアルトは、インターナショナル・スタイルに走ることはありましたが、その期間は短いものでした。
久野
《パイミオ・チェア》の曲線は優しいと言いますが、フィンランド人と日本人は体型が違うので、日本人には合いません。
講演で「ArtekはArtとTechnologyの融合」という話がありましたが、アアルトは絵描き志向であると同時にエンジニア志向の人でした。また、アアルトは、フィンランドの通貨がユーロに変わる前は、お札に肖像が印刷されていました。お札になった建築家は、あとル・コルビュジエぐらいでしょう。
アアルトの功績は、捨てるような針葉樹を使えるようにしたことです。
スツール60は、座ってみればわかりますが、三本脚なので後ろにコケやすく必ずしも機能的ではありません。(注:後ろにコケないようにするためには、3本の脚の一つが真後ろになるようにスツール60を置いてから座ることが必要です)一方、四本脚のスツールNE60はコケにくいのですが、ガタつきます。モノの価値は機能だけでは語れません。日本人はもともと、機能に乗らないことも大事にしていたのに、いつの間にか機能一辺倒になってしまいました。
和田さんにお聞きしますが、アアルトの建築の魅力は何ですか?
和田
アアルトの建築の魅力は「行ってみないと、良さが分からない」ことです。自分の中では《マイレア邸》は「ずっと居たい、住みたい」と思える住宅です。一方、日本の建築で「住みたい」と思ったことはありません。桂離宮はアート・ピースみたいで、生活感がありません。《マイレア邸》には日本的な感覚があったのではないかと思います。
久野
建築家は「非日常的」なデザインをしたがるのですが、「日常的」なデザインは難しいのです。
和田
補足しますと、お金持ちの豪邸《マイレア邸》は私の身の丈には合っていないので「憧れの住宅」であり「もしも、お金があったら住みたい」という感じの家です。《マイレア邸》の素材感が心に響きました。
久野
アアルトの言葉ですが、彼が「建築というのは、その場所に密着した特別なものでなければ、日常は豊かにならない。その場所にしかないものを作ろう」としたのは、建築家として稀有なことです。そこにアアルトの存在意義を見ます。

◆Q&A
対談に続き、講演を聴講した人と和田さん、久野さんとの質疑応答になりました。
Q1
日本の建物には「長い庇(ひさし)」が合っていると思うのに、近頃は「短い庇」の家ばかりです。
日本の気候に、現在の建築は合っているのですか?
久野
先ず、「長い庇」が失われてきた理由についてお答えします。
実は、建築家は「長い庇」が好きなのです。ただ、庇は「片持ち(注:部材の両端ではなく、片方の端だけを支える構造)」なので強風に弱いのです。台風などの被害を避けるには「短い庇」の方が好都合です。また、庇による太陽光の調整に頼らなくても、室内の温度を人工的にコントロールできるようになったので、「長い庇」が省略されるようになりました。
次に、「長い庇は日照をさえぎるのか」という点についてお答えします。
シドニーのオペラハウスを設計したデンマークの建築家・ヨーン・ウッツォン(Jorn Utzon)(注:和田さんの著書「北欧モダンハウス」で取り上げた7人の建築家の一人です)は、「日本の建築は、屋根が浮いているように見える」と言っています。これは、庇の出し方に気を付けると、夏は日差しを遮り、冬は部屋の奥まで日差しを入れることができるということです。先人は、季節による太陽の高度の変化を良く知っていました。若い建築家は、庇を上手く使おうとしています。
和田
日本らしい住宅は無くなってきました。住環境のコントロールが機械で出来るので、手仕事が無くなってきました。アアルトの建築には手仕事が残っています。そこに魅力を感じます。
久野
補足すると、アアルトの建築は「現場の職人泣かせ」です。市美の1階ロビーに展示している模型でも、設計図どおりに作るにはどうしたらいいか良く分からない所があって苦労しました。実際にできた建物では「太陽光が追っかけていく」のがわかります。
和田
北欧には「ゆとり」があるので、時間をかけても「良いもの」を作ろうという姿勢があります。日本には、「ゆとり」がありません。

Q2
「アアルトには日本的な感覚があるので好き」とは、どういう意味ですか?
和田
1930年代の日本は、物を大切にしていました。フィンランドには当時の日本の名残が残っているので、フィンランドに対して尊敬の念を抱くのです。

Q3
本展で展示されているレンガが気になりました。穴の開いているレンガの意味、用途は何ですか?
和田
穴の開いたレンガは《実験住宅》の中で取り入れたものです。元々あったものではなく、規格サイズのものでもありません。
久野
有孔レンガは、前からありました。沖縄では穴の開いたコンクリート・ブロックが多く使われています。建築素材は、その場所に合う色々なものがあります。穴の開いたレンガも、どこからかパクッてきたものかもしれません。「どういうレンガが良いか」という思考を止めなかったのが、アアルトの巨匠たるゆえんでしょう。
和田
《実験住宅》ではレンガの耐久性なども実験しました。レンガは熱が伝わりやすく、熱さ寒さをさえぎるためには不向きな建築素材です。有孔レンガは「熱を伝わりにくくさせることが出来るか」という試行錯誤の成果だったのでしょう。

◆最後に
以上で記念講演会は終わりました。
市美の1階ロビーに行くと、《ヴィープリ図書館》と《セイナヨキ市民センター図書館》の50分の1縮尺の模型がありました。《ヴィープリ図書館》の模型ですが、講堂では椅子の一脚、一脚まで忠実に再現しています。おまけに、人物まで作って椅子に座らせたり、講堂の中に立たせたりしています。また、《セイナヨキ市民センター図書館》をみて、久野さんが「アアルトの建築は、現場の職人泣かせ」と発言した理由が良く分かりました。「こんなに複雑な形状の建物、よく設計したな」というのが、偽らざる感想です。
市美の1階ロビーの模型は「一見の価値あり」です。アルヴァ・アアルト展に来たら、是非見ましょう。無料区域に展示しているので、観覧券なしでも見学できますよ。
Ron.

「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」ギャラリートーク

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」(以下「本展」)のギャラリートークに参加しました。担当は中村暁子学芸員(以下「中村さん」)。「建築家」の展覧会にも拘わらず(?)参加者は予想を上回って70人になりました。参加人数は多いのですが会場がゆったりしているため、先の「ベストコレクションのギャラリートーク」と同様に全員が一緒に動きました。以下は、中村さんによるギャラリートークの概要で、(注)は私の補足です。

◆エントランスにて
アルヴァ・アアルト(以下「アアルト」)はフィンランドの建築家。木・レンガといった自然の素材を活かしながら周囲の環境と調和した建物を設計しました。本展はドイツのヴィトラ(Vitra)・デザイン・ミュージアムが企画し、ドイツ、スペイン、デンマーク、フィンランド、フランスと欧州五カ国を巡回後、神奈川県立美術館葉山、名古屋市美術館、東京ステーションギャラリー、青森県立美術館の順で開催される国際巡回展です。(注:ヴィトラは、アアルトがデザインした椅子の生産・販売会社であるアルテック(Artek)を傘下に置くドイツの企業です)
アアルトは建築家ですが、家具、ガラス器、照明器具のデザインまで手掛けました。アアルトの本格的な回顧展は東京のセゾン美術館で開催されて以来、20年ぶりの開催です。
(注:以上のトークを聴いた後、1階展示室に移動しました)

◆1階展示室にて
◎初期に手掛けた教会建築
 皆さん方から見て左の展示は、アアルトが初期に設計した教会建築です。ムーラメの教会では家具を始め椅子のデザインまで手掛けています。この時にデザインした革の椅子を見ると脚はスチールパイプ製ですが、その形は「後の『曲げ木』につながるのでは」というのが私の個人的感想です。また、トイヴァッカの教会で設計した燭台は有機的曲線で構成されています。アアルトのデザインには曲線がよく使われていますね。トイヴァッカの教会ではステンドグラスや窓のデザインも手掛けています。

◎舞台装置や博覧会、新聞社のデザインも
 壁に映写しているのは善と悪をテーマにした「SOS」という演劇の舞台装置のスライドショーです。スライドショーの左は「トゥルク市700周年記念 第3回フィンランド博覧会」の広告塔と広告館の透視図です。社交的なアアルトは企業と連携して広告塔や広告館をデザインしました。トゥルク市はヘルシンキの前にフィンランドの首都だった街で、日本なら差し詰め「京都」です。トゥルン・サノマット新聞社のデザインを見ると、初期のアアルトは四角い建物を設計したことがわかります。

◎パイミオのサナトリウム
大きな画面の動画はドイツの写真家アルミン・リンケが撮影したもので、パイオミのサナトリウム周辺の風景です。上下するエレベーターの中から撮影しているのが面白いですね。動画の裏側にパイオミのサナトリウムの病室を再現しているのでご覧ください。壁、天井などは全て、優しい薄緑色を使っています。再現ルームで使用しているベッドなどの家具や照明器具はサナトリウムで使用されていたものです。全てをアアルトが、患者の立場に立ってデザインしました。洗面台は水音が静かになるよう、照明器具は患者がまぶしくないよう配慮しています。クローゼットの形が面白いですね。ベッドは「体格の大きなフィンランド人用にしては幅が狭いのでは」と感じます。アルミン・リンケはパイオミのサナトリウムも撮影しているので、ご覧ください。写真を見ると、実際の病室は再現ルームよりも広いですね。(注:再現ルームでは窓際の部分が省略されているようです)

◎ヴィープリの図書館
ヴィープリの図書館は現在、ロシア領に建っています。第2次世界大戦の結果、当時のソ連領に併合されました。講堂の天井の波形が特色で、これは音響効果を考えたものです。閲覧室の天井には数多くの天窓があるため、室内が明るくなっています。アアルトが描いた音響効果のスケッチも展示しているのでご覧ください。(注:スケッチを見ると、講演者の声が講堂の後ろの方まで届くように波形を配置していることがわかります)
アルミン・リンケの写真をご覧ください。図書館の閲覧室は2階建てで、中央の大きな階段が特色です。アルミン・リンケの写真は建物の細部を切り取るように撮影していて面白いのですが、建物の全体像は分かりにくいですね。ヴィープリの図書館の動画もあるので、ご覧ください。ただ、動画の調子は今一つです。動きがぎこちないのは我慢してください。
(注:展覧会図録p.81~83に掲載の「ヴィーボルク市立図書館(ヴィープリの図書館)の歴史」によれば、①1935年に完成した図書館は1990年代末には修復が必要な状態だった。②1991年に修復委員会が発足したものの資金不足で修復工事は進まず、2009年の段階では完成までに半世紀を要すると考えられていた。③2010年にタルヤ・ハロネン=フィンランド大統領とウラジーミル・プーチン=ロシア連邦首相が合意して650万ユーロの資金が準備され、2011年に図書館を閉鎖して修復工事を開始。④2013年11月23日に図書館再開、とのことです。ネットの記事には、最終的な修復工事費は800万ユーロ(最近の為替レート・1ユーロ=128円で換算して10億2400万円)と書いてありました。フィンランド・ロシア両国に「この図書館は歴史的建造物だ」という認識があったのでしょうね。なお、アルミン・リンケの撮影は2014年。図書館再開の翌年でした)

◎マイ・レア邸
次の写真は「マイ・レア邸」です。マイ・レアはアアルトのお友達で、松林の中に自宅を建てました。アアルトは松林との調和を考えて設計しており、階段室を木の柱で取り囲むなど、木をいっぱい使っています。階段の手すりの曲線も美しいですね。

◎ニューヨーク万国博覧会・フィンランド館
次のコーナーは「ニューヨーク万国博覧会・フィンランド館」(1939)です。フィンランド館の外観はホワイト・キューブ=白くて四角い建物ですが、内部はオーロラのように波打つ、高さ12メートルの壁面です。壁にフィンランドの写真を展示し、その下にフィンランドの産品を陳列しました。このコーナーで映写しているのは「スオミ・コーリング=フィンランドが呼んでいる」という映像作品でシベリウスが音楽を担当。フィンランド館で上映していました。

◎アアルトのアートワーク
1階展示室出口の横に展示しているのはアアルトが制作したレリーフで、彼と親交のあった作家ジャン・アルプの影響を受けています。また、レリーフの前に展示しているのは形が自由に変わる衝立《フォールディングスクリーン 100》です。
(注:この解説を聴いた後、2階に移動しました。なお、1階と2階のエレベーターホールにはアアルトがデザインした《スツール60》を始めとする椅子が置かれており、椅子に座ることや写真撮影をすることができます)

◆2階展示室にて
◎アアルトがデザインした椅子《スツール60》
2階展示室はアアルトがデザインした椅子のコーナーで始まります。この中で代表的なものは3本脚の丸椅子《スツール60》です。《スツール60》は丸椅子のルーツで、「曲げ木」による「L-レッグ」という脚が特徴です。「L-レッグ」は一つの木材にスリットを入れ、そこに薄い板を挟んで曲げた脚です。
また、《スツール60》の隣に展示している椅子の脚は「L-レッグ」開発以前のもので、二つの木材を「組み継ぎ」で直角に接合しています。なお、「L-レッグ」は特許を取っています。
《スツール60》は座面と脚をネジで接合しているので簡単に分解できます。座面と脚、ネジを分けて梱包し、購入者が自分で組み立てるという販売方式を取りました。今では、コム・デ・ギャルソン等とコラボした《スツール60》も生産・販売しています。
アアルトは、自分がデザインした椅子の製造・販売会社アルテックを、友人とともに4人で立ち上げました。アルテック社はアルテック・ギャラリーを設けてフェルナン・レジェとアレクサンダー・カルダーの展覧会やポール・ゴーギャンの展覧会などを開催し、作家とのネットワークを作りました。展覧会の招待状も展示しています。正面の壁は《スツール60》を作っている様子と「曲げ木」を作っている様子を撮影した写真です。(注:このコーナーでは《スツール60》の製造工程を撮影した動画も見ることができます)

◎アアルトがデザインした椅子《アームチェア41 パイミオ》
 《アームチェア41 パイミオ》は「パイミオチェア」とも呼ばれる椅子で、パイミオのサナトリウムのためにデザインしたものです。この椅子の背もたれは、結核患者が楽に呼吸できる角度になっています。また、椅子の座面は合板製で、曲線を上手く使っています。

◎アアルトがデザインした椅子《リクライニングチェア 39》
 このリクライニングチェアの脚は「カンチレバー」(cantilever=片持ち梁)という構造で、U字型の脚です。前方の部材だけで重さを支えているので弾力性があります。後ろに支えるものがないので「大丈夫か」とも思いますが、ちゃんと計算して作っているので、安心して座ることにしましょう。

◎アアルトがデザインした照明器具
 壁際に並んでいるのは、アアルトがデザインした照明器具です。照明器具を吊るしている板をご覧ください。最初に持ち込まれた板は厚さが15センチもあり、とても重かったので別の板を用意して展示しました。

素敵な照明器具のもとで

素敵な照明器具のもとで


◎アアルトがデザインしたガラス器
 ここに展示されているのは《サヴォイベースの型》で、フィンランドの湖の曲線をイメージした花瓶を作るための型です。溶けたガラスに息を吹き込んで膨らませ、この型に入れて成型したのです。現在、イッタラ(iittala)でサヴォイベースを販売しています。
 隣に展示しているのは、アアルトの最初の妻アイノ・アアルトがデザインしたタンブラーです。アイノに先立たれたアアルトは、エリッサと結婚しました。

◎アアルトが設計した建物の模型、図面、写真と建築部材
 この写真は「アアルトの夏の家」で、エリッサと一緒に過ごした別荘です。「実験住宅」という名のように様々なタイルやレンガをモザイクのように組み合わせて使用し、部材がフィンランドの気候に耐えるかどうかを実験しました。建築部材が並んだ棚には「L-レッグ」、「Y-レッグ(2つのL-レッグを組み合わせたもの)」、「ドアハンドル」「棒状のタイル」「赤いレンガ」など、アアルトがデザインした建築部材を展示しています。
「サウナッツァロのタウンホール」では、議会ホール天井の梁の模型をご覧ください。「マルチビーム・バタフライ・トラス」という構造で、放射状に配置された沢山(たくさん)の梁で屋根を支えています。
(注:このほか、「ヴォクセンニスカの三つ十字の教会」「国民年金局」「フィンランディア・ホール」「スニラ・パルプ工場と住宅地区」「文化の家」などについて解説がありました。なお、建築模型の展示台には図面を収納した引き出しがあり、自由に閲覧することができました)

建築模型をのぞきながら

建築模型をのぞきながら


◆影の主役はアルミン・リンケ
本展は「ゆったりとした配置のおしゃれな展示」が印象的で、特に2階の椅子と照明器具の展示空間は気持ちよかったですね。また、アルミン・リンケが撮影した大画面の写真が数多く展示されており、建物の雰囲気を味わうことができました。確かに中村さんが指摘したように「建物の全体は分かりにくい」ものの、「建物の細部を切り取るように撮影」していて臨場感があります。表向きは「アルヴァ・アアルト展」ですが、影の主役はアルミン・リンケでした。

◆最後に
ギャラリートークが終わっても、参加者はなかなか美術館を後にしません。2階出口のショップで《スツール60》などのグッズを眺めている人が多かったのです。販売員が帰ってしまい、グッズ購入はできないのですが可愛い品物が沢山あって見飽きません。また、2階のロビー西側にはパイミオチェアなど数種類のアームチェアに座ることができるコーナーもあり、歩き疲れた参加者が交代で休んでいました。なお、「板張りのパイミオチェアよりも、ふかふかのアームチェアのほうが体は楽だ」というのが、大方の参加者の感想でした。
Ron.

わかりやすく解説してくださった中村学芸員、ありがとうございました!

わかりやすく解説してくださった中村学芸員、ありがとうございました!

「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」展

カテゴリ:アート・ホット情報 投稿者:editor

 11月28日付の日本経済新聞文化欄に宮川匡司編集委員による美術展の記事とカラフルな図版2点が掲載されていました。見出しは「多彩で繊細な抽象表現の冒険」、以下は記事の抜粋です。

4年前に64歳で急逝した辰野登恵子は、1980年代以降、豊麗な色彩と力強い形態の抽象表現で、現代絵画のトップランナーとして活躍した画家である。さいたま市の埼玉県立近代美術館で開催中の「辰野登恵子 オン・ペーパーズ」展は、主に紙に描いた作品を数多く集め、代表的な油彩画約30点と合わせて年代順に紹介した回顧展だ。(略)抽象の領域で、画家がいかに多彩で繊細な冒険を積み重ねてきたのか。その道筋を克明に見つめた展示である。2019年1月20日まで。名古屋市美術館に巡回。(注:70年代から2000年代以降までの作品の変遷を記した部分はスペースの関係で省略しました)

埼玉県立近代美術館のホームページを開くと展覧会の概要と出品作品の図版がアップされていました。記事に書かれた「紙に描いた作品」とは版画やドローイングで、約200点が出品されているようです。
名古屋市美術館での会期は2019年2月16日から3月31日まで。今から楽しみですね。
追伸
埼玉県立近代美術館のホームページにアップされていた動画「椅子の美術館」を見たら、アルヴァ・アアルト《パイミオチェア》が出てきました。「アルヴァ・アアルト展」にも縁があるようです。
Ron.

2018ArtLabTokyoここにもアートラボ 石切り場 前室にて 音のアーキテクチャ トンネルでピクニック 佐川美術館 ギャラリートークの様子 展示会場で話をきく会員たち 泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち