お知らせ

2020年12月25日

2020年協力会イベント情報

会員の皆様へ

新型コロナウイルスの影響で協力会の活動もしばらく休止させていただいていましたが、2021年1月の名古屋市美術館の開館に伴い、少しづつ活動を再開していきたいと思っています。

まずは、再開後初めての企画展である、「写真の都」名古屋市写真運動史:1911-1972展の協力会会員向け解説会を開催いたします。定員は90名までとなりますが、みなさまマスク着用のうえ、体調に十分注意してご参加ください。

「写真の都」名古屋市写真運動史:1911-1972展 令和3年2月7日(日)16時~ 

最新の情報につきましては随時ホームページにアップさせていただきますので、そちらをご確認ください。

皆さま方にはご迷惑をおかけしますが、なにとぞご理解のほど、お願いいたします。また、くれぐれも体調にはご留意ください。

展覧会見てある記 わが青春の上杜会+コレクション展 豊田市美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

令和3年の展覧会巡りは、豊田市美術館(以下「豊田市美」)から始まりました。豊田市美の受付では「『わが青春の上杜会』は美術館でチケットを販売していますが、『デザインあ展』のチケットは販売していません。『デザインあ展』は、コンビニ等で日時指定チケットをお求めのうえ、お越し下さい」との案内がありました。

「デザインあ展」の日時指定チケットは持っていないため、1階インフォメーションカウンターで「わが青春の上杜会」のチケットを購入。会場入口で手指消毒を済ませ、検温を受けて会場に入りました。

◎わが青春の上杜会 昭和を生きた洋画家たち:1F展示室8

「わが青春の上杜会 昭和に生きた洋画家たち」(以下「本展」)は、東京美術学校(現:東京藝術大学)洋画科の1927(昭和2)年卒業生の作品を展示した展覧会です。「上杜会(じょうとかい)」は卒業生で結成した団体で、「上杜」は「上野の森(=杜)」に因んだ名称です。なお、豊田市美・常設展で作品を展示している洋画家・小堀四郎は上杜会の会員。この外、文化勲章を受章した三人の洋画家・牛島憲之、小磯良平、荻須高徳に加え、猪熊弦一郎、岡田謙三、中西利雄、山口長男など著名な洋画家が会員だった、とのことです。

・序章(1 結成前夜-東京美術学校と関東大震災、2 いざ、上杜会結成)

本展は「序 1922-1927」から始まり、年代順に「Ⅰ 1927-1936」「Ⅱ 1937-1945」「Ⅲ 1946-1994」と続きます。なお、1994年は上杜会展の最終回展が開催された年です。

「序-1」は教授たちの作品を展示。和田英作《カーネーション》(1939)の色彩が鮮やかでした。次の「序-2」は学生の作品を展示。第7回帝展で特選となった小磯良平《T嬢の肖像》(1926)を見て、「首席で卒業した」ということが納得できました。

・Ⅰ章(1 画家としての始まり、パリ留学、2 それぞれの選択、3 帝展騒動と「新制作派協会」結成)

「Ⅰ-1」では、小磯良平《ブルターニュ・ソーゾン港》(1928)や中西利雄《トリエール・シュル・セーヌ》(1930)、橋口康雄《シドナム・ウエスト・ヒル》(制作年不詳)など、フォービスムの影響を受けたと思われる作品が目立ちます。「Ⅰ-2」では永田一脩《『プラウダ』を持つ蔵原惟人》(1928)や山本宣二の葬儀を描いた大月源二《告別》(1929)などのプロレタリア美術の作品のほか、山口長男《池》(1936)のような抽象画もあります。「Ⅰ-3」の猪熊弦一郎《馬と裸婦》(1936)、中西利雄《人物》(1936)は、マティス風の作品でした。

・Ⅱ章(1 戦時中の制作活動、2 戦争と疎開)

「Ⅱ-1」には、小磯良平の作戦記録画《日緬(にちめん)条約調印図》(1944)など、戦争に関連した作品が何点も出品されています。外には、同じ風景を描いた岡田謙三《ラマ寺》(1941)と荻須高徳《熱河喇嘛廟(くねっからまびょう)》(1941)を並べて展示していたのが印象的です。作風の違いなどがよく分かりました。「Ⅱ-2」では、枯れた植物や鳥の巣を描いた《冬の花束》(1946)の枯れた色彩は、「序-1」に出品されていた《カーネーション》の鮮やかな色彩と頭の中で対比させながら鑑賞しました。

・Ⅲ章(1 新たな時流の中で 葛藤と開花、2 上杜会再開-年々去来の花)

「Ⅲ-1」の高野三三男《デコちゃん(高峰秀子)》(1953)は、人物は丹念に描かれているのですが背景がほぼ真っ白な作品。ソファも単純な線で描かれているだけなので、デコちゃんが宙に浮いているように見えました。牛島憲之《まるいタンク》(1957)は、ガスタンクを描いた写実画ですが、単純化した描写なので抽象画のような雰囲気があります。「Ⅲ-2」の牛島憲之《青田》(1992)は「人が空に浮かんでいる不思議な絵」だと思ったのですが、よく見ると空は描かれておらず「空だ」と思ったのは水田でした。

・感想など

協力会から郵送されたチラシだけでは本展のイメージがつかめなかったのですが、時代の移り変わりや画家の個性などを知ることができる面白い展覧会でした。小堀四郎は豊田市美術館、荻須高徳は稲沢市荻須記念美術館、小磯良平は神戸市立小磯記念美術館、猪熊弦一郎は丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に、まとまったコレクションがあるとはいうものの、これだけの規模で上杜会会員の展覧会を開催するための準備作業は大変だったろうと思われます。来てよかったですね。2月9日からは後期の展示になるので、それも楽しみです。

なお、当日中であれば、本展チケットの提示で再入場可。また、本展チケットで常設展と「開館25周年記念コレクション展VISION」、高橋節郎記念館の観覧もできます。

◎常設展:1F展示室6、展示室7

 展示室6は「わが青春の上杜会」の関連で、小堀四郎だけでなく和田英作、藤島武二、荻須高徳の作品も展示。また、2階の展示室を「デザインあ展」に使っているので、クリムト《オイゲニア・プリマフェージの肖像》と、その習作の外、エゴン・シーレ《カール・グリュンヴァルトの肖像》の展示もありました。一方、展示室7では通常通り、宮脇晴・綾子夫妻の作品を展示しています。

◎開館25周年記念コレクション展VISION:作っているのは誰?―「一つの私」の(非)在について:1Fギャラリー

 「開館25周年記念コレクション展VISION」の3回目となる「作っているのは誰?-『一つの私』の(非)在について」は、1階のギャラリーで開催していました。コロナ禍に伴う日程調整の結果、「わが青春の上杜会」と「デザインあ展」も同時に開催されるので、これまでの2回に比べると小規模です。

会場に入ると、ムンクの版画、イケムラレイコの彫刻に並んで古池大介のヴィデオ《ディソリューション》(1998)が上映されています。キリスト像が溶解して、次々と別のイメージに変わっていくという作品でした。

外には、女性の写真家ナン・ゴールディンの作品が4点あります。キリストが磔になるまでの14の場面を描いた、村上友晴《十字架の道》(1994)は、どれも全面を黒く塗っているので同じように見えましたが、解説に書かれていたことを一口でいえば、「一つ一つに祈りを込めて描いた作品」ということのようです。イヴ・クライン《Monochrome IKB 65》(1960)は、199×152.2㎝の大画面を全て、あの独特の青色で塗った作品で、迫力がありました。

また、徳富満《My Attribute》(1966)は台形のカンヴァスに本人の名前(MITSURU TOKUTOMI)を描いた作品のほか、(MY BLACK)を始め、白、赤などの色の名前を描いた8点、計9点の作品で河原温の ”Today” シリーズを想起させるものでした。今回のコレクション展では外にも、青いボールペンで塗りこめられた11点組の、アリギエロ・ボエッティ《ONONIMO》や、黒い地に白い絵の具で数字を描き続けるローマン・オパルカの作品3点に加え、2人の作家の「河原温の ”Today” シリーズを想起させる」作品が展示されています。

◎コロナ禍でミュージアムショップは入店制限、年間パスポートも……

帰りがけにミュージアムショップの前を通ると行列が出来ていました。ショップ内の三密を避けるため、お客の人数が一定数を超えると「入店ストップ」になるのです。先客が買い物を済ませショップを出るまで、じっと我慢して行列に並ばなければなりません。

豊田市美の年間パスポートも「新型コロナウイルスの感染拡大が収束するまで、販売の予定はありません」とのこと。今はただ、ひたすら感染予防を心がけ、コロナ禍が終息する日を祈るばかりです。

Ron.

巣ごもりの日々の読書ノート(再開2)

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

◆文春美術館「東洋美術逍遥」(9)橋本麻里 (週刊文春2020年12月17日号)

膨大な破片から蘇った美 特別展「海を渡った古伊万里~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇~」

 12月6日(日)放送の NHK・Eテレ「日曜美術館 アートシーン」で、大倉集古館で開催中の「海を渡った古伊万里~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇~」の紹介動画を見て「面白い展覧会が開催されているのだな」と思っていたら、週刊文春でも取り上げました。

橋本麻里によれば、展覧会の第1部は「伊万里焼」の歩み、第2部は第2次世界大戦後に旧ソ連兵士によってことごとく破壊された古伊万里コレクションの、復元作品の展示です。

橋本は「マイセン窯の白磁大壺などは、これほど細かい細工をどうやって元にもどしたのか、まるで魔法を見るようだ。ありがたいことに、修復手法の解説パネルや道具も紹介されているので、後世のために『修復した痕跡を残す』という文化財修復の考え方まで、併せて理解できる。一連の調査からわかってきたのは、ロースドルフ城のコレクションが非常に広い時代、地域の窯の作品を集めていること、また古伊万里金襴手をモデルに、中国・景徳鎮窯が日本から市場を奪回した『チャイニーズイマリ』や、ヨーロッパ各地の窯で焼かれた模倣製品が多いことなどだという」とも、書いています。

「伊万里」については、NHK「ブラタモリ」が2週にわたって放送した「有田町特集」を視聴していたので身近な感じがします。今年、岡崎市美術博物館で開催された「マイセン動物園展」で装飾壺や動物の置物などを見たので、「マイセン窯の白磁大壺」にも興味が湧きます。

NHK・Eテレ「日曜美術館 アートシーン」によれば、「海を渡った古伊万里~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇~」は2021.4.10~6.13の会期で愛知県陶磁美術館に巡回、とのこと。

今から楽しみです。

    Ron.

展覧会見てある記 豊橋市美術博物館「コレクション展」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

巣ごもり中ですが、豊橋市美術博物館に行ってきました。1階の講義室と第2企画展示室では愛好家団体の写真展が、一番奥の特別展示室ではコレクション展が開催されていました。

◎1階・特別展示室2020コレクション展 郷土の美術「白い情景」

 展示室の入口には平川敏夫の《白樹》(1960)が展示されています。画面の下4分の1ほどは真っ暗、下草でしょうか。枯れたように真っ白な樹木が何本も生えていますが、よく見ると樹木の下には若木。「死と生」を対比させているのでしょうか。コレクション展の説明書きには「白をテーマにした日本画を展示」と書いてあります。

最初の展示ケースには、中村正義の《松梅菊(しょうばいきく)》(1959)と《斗士(とうし)》が並び、その右に大森運夫(かずお)の《皓(しろ)き修羅[小下図]》(1984)。《松梅菊》は、淡いモノトーンの静物画、《斗士》は細長く直線的な仏像を描いたもので「自画像のバリエーションとみなすこともできます」との解説がありました。《皓き修羅》は長野県飯田市の浄瑠璃人形を描いたもの、人形の表情が印象的です。次の展示ケースには平川敏夫の四曲一隻の屏風《白松(はくしょう)》(1978)と四曲二双の屏風《雪后閑庭(せつごかんてい)》(右隻1985)(左隻1992)が並んでいます。《雪后閑庭》の白は「アラビアゴムなどの防色材で描いた上から墨を施し、防色材を除去することであらわした地色」とのことです。三つ目の展示ケースには星野眞吾の作品が4点。抽象画や和紙のコラージュ、人拓などバリエーションに富んでいます。

最後の展示ケースは「冬景色のスケッチ」。日本画ではなく、石川新一、浅田蘇泉、平川敏夫、大森運夫のスケッチです。展示室に置いてあった展示解説シートには、浅田蘇泉は「中村正義に次いで中村岳陵の門下生になった」、石川新一は「豊橋高等女学校(現:豊橋東高等学校)の美術教師。高畑郁子は女学校在学中に石川新一から絵を学び、彼を通じて中村正義の画室を訪ねるようになった」などと書いてありました。石川新一のスケッチ《[豊橋百景第87景]大池雪景》は、豊橋市民の憩いの場、女学校の近くの池の景色を描いたものです。

展示解説シートには「昭和26年、正義は絵画塾『中日美術教室』を発足させました。正義のほか、星野・大森・平川・高畑の5名が参加」とも書いてあります。特別展示室2020コレクション展に展示されているのは「全て、中村正義ゆかりの画家の作品」ということになりますね。

◎2階・第Ⅲ期コレクション展・シンボル展示コーナー「海外に渡った現代美術家 ―荒川修作と飯田善國―」

 2階へのスロープを登ると、荒川修作《S.A.方程式》(1962)が展示されています。解説によれば「S.A.方程式は、Syusaku Arakawa方程式のこと。落下によって人間から他のものになる方法を示している」そうです。画面右下から右上に向って直線と矢印、2つの円錐が、画面上部には右から左に向かう矢印と2本の直線が、画面左下には、中に格子のある円が描かれています。解説には「矢印に沿って2つの円錐が進み、左端で爆発して円形の格子に落下しており、我々の視点を別次元に導いているかのようです」と、書いてあります。

荒川修作といえば、受付でもらった「Nagoya art news No.176」に、名古屋市美術館の「名品コレクション展Ⅰ」(2021.1.5~3.14)では同時に、特集として荒川修作の初期平面の仕事を紹介する、と載っていました。

◎2階・第Ⅲ期コレクション展・第4展示室「洋行画家たちの夢」

 2階の第4展示室は、フランスやアメリカに渡った画家たちの作品を展示。最初の作品は黒田清輝《夕陽》(1898)、芦ノ湖の夕暮れを描いたものです。佐分眞、荻須高徳、鬼頭鍋三郎、北川民次など、名古屋市美術館の常設展でお馴染みの作家の作品もあります。藤田嗣治の鉛筆画《ユキのポートレート》も目を惹きました。ユキの本名はリュシー・バドゥー、1920年代のパリで藤田の絶頂期を共にした女性です。そういえば、名古屋市美術館所蔵の《自画像》(1929)にもユキのポートレートが描かれていましたね。

◎1階・休憩コーナー「連続テレビ小説 エール展」

 スロープを降りると、休憩コーナーで「連続テレビ小説 エール展」が12月27日(日)までの会期で開催されていました。出演者の等身大パネルの外、関口音が出演した学芸会「竹取物語」で使われた烏帽子などの小道具も展示されています。

◎最後に

 会期は、特別展示室のコレクション展が来年1月31日(日)まで、第Ⅲ期コレクション展が来年1月11日(日)まで、いずれも入場無料。以上の展示を見て回り「コレクション展は大事」だと再認識しました。

コレクション展といえば、12月7日付け日本経済新聞・文化面「回顧2020 美術」に「横浜美術館で開催中の『トライアローグ』展では同館と愛知県美術館、富山県美術館がタッグを組んだ。それぞれの所蔵品からピカソらの名作を厳選し、20世紀の西洋美術史を通観する企画展を実現したのだ。『今後はコレクションを生かすことが一層求められる。一つのモデルケースになればいい』と同館担当者」と書いてありました。「トライアローグ」展は、2021.4.23~6.27の会期で愛知県美術館に巡回予定のようです。楽しみですね。

Ron.

巣ごもりの日々の読書ノート(再開)

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

投稿:2020年11月29日

新型コロナウイルスの感染拡大を警戒して「巣ごもりの日々」を再開しましたので、最近読んだ雑誌の記事と書籍について書かせていただきます。

◆「名画レントゲン」(8)秋田麻早子 (週刊文春2020年12月3日号)

「両サイドの法則」が安定を生む グスタフ・クリムト「オイゲニア・プリマフェージの肖像」

 豊田市美術館のコレクション展「VISION」(12月13日まで開催)に出品の、花柄のドレスを着ている女性の肖像画について、著者は「この絵の場合、モデルが縦長の画に直立しているだけなので、画面下部に描きこみを「足す」ことで、主役を両サイドに繋いで固定し、下部が見た目の上で「重く」安定するようになっているのです」と、その構図を分析・解説しています。

ネットで画像を検索すると、確かに手首から下の背景には、画面の両サイドまで花が書き足されています。タイトルの「両サイドの法則」とは「画面の両サイドに何らかの形でつなげることでも、バランスがとれる」ということなのですね。

「オイゲニア・プリマフェージの肖像」は豊田市美術館で馴染みの作品ですが、次に行ったときはこの記事を参考に、じっくり鑑賞したいと思います。

◆中公新書 2569「古関裕而―流行作曲家と激動の昭和」刑部芳則 著(2019.11.25 初版発行)

NHKの連続テレビ小説「エール」は「古関メロディ祭り」で幕を閉じましたが、古関裕二は手塚治虫とも接点があったことを、この本で知りました。該当箇所を下記に引用します。

(前掲書 p.133~134)

戦争末期には日本初の長編アニメーションといわれる、子供向けの映画音楽を監修している。昭和20年4月に公開された松竹映画「桃太郎 海の神兵」である。映画に使われる歌の作詞はサトウハチローが行なっている。富士山の麓の村から出征した猿、犬、熊たちが、海軍陸戦隊落下傘部隊の隊長桃太郎のもとで訓練を受け、最後は「鬼ヶ島」への空挺作戦が展開されるという話である。(略)戦意高揚を図る部分もあるが、平和への夢や希望を持たせる雰囲気が随所に見られる。マンガの神様といわれる手塚治虫は、焼け野原となった大阪の映画館で封切り日に見ている。視聴した感想を「戦争物とは言いながら、実に平和な形式をとっている」、「天狗猿と手長猿と眼鏡猿が、三匹でコーラスをやるのがとても気に入った」と、日記に書いている。そして「おれは漫画映画をつくるぞ」と誓った。美しい古関の音楽は、手塚のアニメーションづくりに一役買ったのである。(引用終り)

Youtubeで『桃太郎 海の神兵』の動画を検索すると、映画のデジタル修復版の冒頭部を見ることができました。「海軍省後援」「昭和19年12月完成」「音楽監督 古關裕而」「作詩 サトウ・ハチロー」等の文字が並び、富士山麓の村を水兵姿の雉、猿、犬、熊が歩く牧歌的な場面が続きます。

Youtubeには、映画の冒頭以外のシーンも分割してアップされています。手塚治虫が「コーラスをやるのがとても気に入った」と評した「アイウエオの歌」を歌うシーンを始め平和なシーンが多いのですが、落下傘部隊が降下して、戦闘を行なうシーンは記録映画のようにリアルでした。

映画の外にも、手塚治虫と映画の脚本・演出を担当した瀬尾光世、映画評論家の荻昌弘の三人による座談会の映像もアップされています。座談会で、瀬尾光世は「海軍省から、平和な場面が多すぎると注意された」「海軍省から兵器の機密情報まで映画に写っている等のクレームを受け、その修正をするために映画の公開が遅れた」「『アイウエオの歌』は映画オリジナルではなく、南方の占領地の人々に日本語を教えるために、古関裕而とサトウ・ハチローのコンビが作ったもの」等と語っていました。

手塚治虫の誕生日は昭和3年11月3日なので、映画公開の昭和20年4月当時は16歳だったと思うのですが、既に「映画通」で、大人顔負けの映画評を書いていたのですね。

    Ron.

展覧会見てある記 愛知県美術館「古代エジプト展」など

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

協力会から送付された資料の中に愛知県美術館「古代エジプト展」(以下「本展」)のチラシと2020年度第3期コレクション展の案内・出品リストが入っていたので、行ってきました。本展のチラシに「土日祝日・日時指定券(事前予約)」と印刷されていたので、予約不要の平日にしたのですが、入場券売り場には午前10時の開館を待つ数十人の行列。「入場券所持」でも十数人の行列ができていました。マスク着用で行列に並び、開館時刻到来で入場。先ず、手指の消毒。サーモカメラ映像のモニターを見ている係員さんから「どうぞ、お進みください」と、声を掛けられて会場へ。展示室入口で「出品リストはありますか?」と聞いたところ「申し訳ございませんが、今回は置いておりません。本展HPから印刷してください」との回答。リサーチ不足でした、残念。

◎第1章 エジプトを探検する

A ヨーロッパによるエジプトの探検

 最初に展示されていたのはロゼッタ・ストーン。ナポレオンがエジプト遠征から持ち帰ったものです。本物は花崗緑閃岩ですが、出品されていたのはプラスチック製。ロゼッタ・ストーンは3段に分れ、上段はヒエログリフ(神聖文字)、中段はデモティック(民衆文字)、下段はギリシア文字、上段と下段には白い点線で囲った文字列があります。当時のファラオはギリシア人のプトレマイオス(アレクサンドロス大王の後継者のひとり)なので、点線で囲まれたギリシア文字は“ΠΤΟΛΕΜΑΙΟΣ”(ラテン文字表記=PTOLEMAIOS)だと思ったのですが、“ΠΤΟΛΕΜΑΙΟY”と読めました。《ツタンカーメン王の倚像(いぞう)》(新王国時代・第18王朝、前1330年頃)は、なぜか頭部が欠けています。10月1日付け中日新聞に写真が載っていましたね。

B ライデン国立古代博物館によるエジプトの発掘調査

 《円筒形壺》(初期王朝時代、第1王朝、前2900~2730年頃)は美しい乳白色のアラバスター(方解石)の壺。どうやって石を削ったのでしょうか?《椀》(後期メロエ時代、2~4世紀)は土器。《コプト十字架の断片》(古ヌビア時代、8~15世紀頃)は青銅製で、十字架の4本のうち1本が欠けています。当たり前ですが、キリスト教伝来以降の品物です。なお、コプトはアラビア語で「エジプト」を表すとのことです。

◎第2章 エジプトを発見する

A 古代エジプト史の概要

 《ワニの描かれた椀》(先王朝時代、ナカーダ期、前3750~3650年頃)は彩色土器、エジプトが統一される前の品物です。《クウと家族の供養碑》(中王国時代、第12王朝、アメネムハト2世の治世、前1878~1843年頃)は石灰岩製の四角い碑。人物と供物は浮彫で、ヒエログリフも彫られています。《タネトアメンのブタハ・ソカル・オシリス像》(第3中間期、第21王朝、前1076~944年頃)は木製の彩色像で、ヒエログリフは縦に書かれています。《イシスの像》(グレコ・ローマン時代、ローマ時代)は花崗閃緑岩の像で「姿勢はエジプト風、写実的な描写はギリシア・ローマ様式」という説明が付いていました。

(参考)古代エジプト史の歴史(2分間のビデオ+本展HPの内容)

 本展で上映されていたビデオの内容と本展HPの記事によれば、古代エジプトが存在したのは、紀元前3000年頃に始まった第1王朝から紀元前30年にプトレマイオス朝がローマに滅ぼされるまでの約3000年間。時代区分は、下記のとおりです。

○第1~第2王朝が「初期王朝時代」(前2900~2590年頃)

○第3~8王朝が「古王国時代」(前2592~2118年頃)で、ピラミッドが作られた時代

○第9~10王朝が「第1中間期」(前2118~1980年頃)で、混乱の時代

○第11~12王朝が「中王国時代」(前1980~1760年頃)で、流麗なスタイルが流行し後代にも影響を与えた時代

○第13~17王朝が「第2中間期」(前1759~1539年頃)で、再び混乱に突入し、第18~20王朝が「新王国時代」(前1539~1077年頃)で、ツタンカーメンは第18王朝のファラオでした

○第21~24王朝が「第3中間期」(前1076~723年頃)で、第25 ~30王朝と第2次ペルシア支配の時期が「後期王朝時代」(前722頃~332年)。「第3中間期」から「後期王朝時代」にかけては、リビア人や海の民、ヌビア人など、様々な外国勢力の侵入を受けた時代です

○アレクサンドロス大王の後継者のひとり=プトレマイオスがファラオとなったプトレマイオス朝から、プトレマイオス朝が滅ぼされ、ローマの属領となった時代までが「グレコ・ローマン時代」(前332年~後395年)で、ギリシアなどの影響を強く受けた美術様式が主流となった、とのことです

B 古代エジプト史の宗教

 古代エジプトは多神教で、上部が半円形の石灰岩に浮き彫りされた《イシスとオリシスが彫られた石碑》(新王国時代、第18王朝から第19王朝、前1300年頃)のような人間の形をした神だけでなく、《猫の像》《コブラ》《コウモリ》(いずれも青銅製、後期王朝、前722~332年頃)のような動物の神もいます。

◎第3章 エジプトを解読する

A 死後の世界

 古代エジプト人は「永遠の生」を信じており、パピルスに書かれた《ネスナクトの『死者の書』》(グレコ・ローマン時代、プトレマイオス朝、前304~30年)の解説には「来世への死者の旅路を案内する呪文の集成、通称『死者の書』と呼ばれる。この案内は(略)死者を守り、彼/彼女が来世における多くの障害を乗り越えるための手助けであった」と、書かれていました。《心臓スカベラ》(年代不詳)は、緑色の石で出来たフンコロガシで「古代エジプト人は、人間の思考をつかさどるのは心臓と考え、ミイラ制作時に体内に残した」という解説がついていました。《醸造所の模型》(中王国時代、前1980~1760年頃)は木製の副葬品で、11月3日付け中日新聞に「ビール醸造 詳細な工程」という表題の写真付き解説が載っていました。《護符とビーズの首飾り》(新王国時代、前1539~1077年頃)は9月30日付け中日新聞に写真が載っていました。

B 埋葬習慣の変化

 ミイラを納める棺、ミイラの制作方法、来世のための護符が出品されています。展示を見て知ったのですが、ミイラを埋葬する時は、ミイラの上に「ミイラ覆い」を載せて「内棺」に納め、「内棺」を更に「外棺」に納めたのですね。ミイラの棺はどれも大きくて、本展のハイライトのひとつです。詳細は本展HPをご覧ください。

《男のミイラの肖像》(グレコ・ローマン時代、ローマ時代、1~2世紀)は、ポンペイの壁画を思わせる肖像です。エジプトがローマの属領となった後もミイラの習慣はあったのですね。《ハビ神の護符》(年代不詳)は、11月4日付け中日新聞に「青色に『再生復活』願い」という表題の写真付き解説が載っていました。きれいな青緑色なのでトルコ石製かと思ったのですが、実は「ファイアンス」という、青色が特徴の焼き物でした。

◎第4章 エジプトをスキャンする

A 永遠の命:ミイラのベールを取る

展示の最後は、ミイラと、それをCTスキャンで透視したビデオで、本展の「もうひとつのハイライト」です。「科学の進歩はここまで来たのか」と、思いました。詳細は本展HPをご覧ください。

◎感想

本展チラシの「土日祝日・日時指定券」の説明に「館内での滞在時間は1時間半を目安にご鑑賞・ご利用いただくようお願いいたします」と印刷されていましたが、今回の鑑賞時間も1時間半。本展の鑑賞には「1時間半というのがちょうど良い頃合い」ということなのですね。

◎2020年度第3期コレクション展

協力会から案内・作品リストが送られてきたので、コレクション展も鑑賞しました。

・展示室8 《黒漆厨子 千体観音図貼付》愛知県文化財指定記念 木村三コレクションの仏教美術

今回は、仏教美術の工芸品が出品されていました。愛知県文化財に指定された《黒漆厨子》は厨子の内側に千体の観音像を描いた絵が貼り付けられたもの。外にも2点の黒漆厨子が出品されています。銅三鈷杵や銅独鈷杵、銅経筒、携帯できる仏像の《愛染明王香合仏》など、多数の仏具が並んでいました。

・展示室7 新収蔵記念かたかげり ―秋岡美帆とともに―

秋岡美帆(1952-2018)は「風景を撮影した写真を大きく引き伸ばした作品で知られる作家」との解説があり、仲田好江、島田鮎子、辰野登恵子の作品も出品されています。

・展示室6 クリンガーと「ブリュッケ」 ―令和元年度新収蔵作品を中心に―

クリムト《人生は戦いなり(黄金の騎士)》のほか、マックス・クリンガーやエルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー、エーリッヒ・ヘッケルの版画などが出品されていました。

・展示室5 私は生まれなおしている ―令和2年度新収蔵作品を中心に―

愛知県美術館のHPに「新型コロナウィルス感染拡大の影響により、作品発表の場が減っている作家・アーティストを支援するため、愛知県では、今年度から3年間、美術品等取得基金に1億円の特別枠を設け、愛知県美術館で若手作家の現代美術作品を重点的に購入します」と、書いてあります。展示室5は、令和2年度に購入した作品のお披露目ですね。展示室に入って正面奥にネオンサインで制作したような作品があったので近寄ってみると、横山奈美《Sexy Man and Sexy Woman》(2018)でした。今年の6月に豊田市美術館のコレクション展でみた《LOVE》(2018)と同じ作者の作品です。遠目にはネオンサインの作品に見えますが、実は油絵でした。水戸部七絵《I am a yellow》(2019)は、大量の油絵具を盛り上げた塑像のような油絵。山田七菜子《海みずから泳ぐ海》(2012)は、青く塗られた大画面の中に赤が点在する作品。本山ゆかり《画用紙(柔道_左)》と《画用紙(柔道_右)》は、ハリガネ細工の人形を描いたような作品。山下拓也《TALIONの子(TALION GALLERRYの壁を使って欄陵王の彫刻を制作する》(2014-15)は、題名のとおりギャラリーの壁面で制作した立体作品でした。

美術館が若手作家の現代美術作品を重点的に購入するのは、好い試みだと思いますね。必見です。なお、会期は「古代エジプト展」「2020年第3期コレクション展」のいずれも、12月6日まで。

Ron.

読書ノート 『トキワ荘と日本マンガの夜明け』(芸術新潮2020年11月号の特集)など

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

豊橋市美術博物館で「手塚治虫展」が11月23日までの会期で開催されているので、手塚治虫を始めとする戦後まんがに関する書籍を2冊ご紹介します。

◆『トキワ荘と日本マンガの夜明け』(芸術新潮2020年11月号の特集)

 皆さんご存知のとおり「トキワ荘」は、手塚治虫を始めとするマンガ家たちが住んだ木造2階建てのアパートです。特集には2020年7月にオープンした豊島区立トキワ荘マンガミュージアムを紹介するグラフ「ようこそ! トキワ荘マンガミュージアムへ」のほか、「トキワ荘 居住期間年表」「トキワ荘の青春」「黎明期のマンガ進化論」「水野英子と『少女マンガ』誕生」「トキワ荘こぼれ話」「マンガ家たちのそれから」など、読み応えのある記事がひしめいています。

○トキワ荘 居住期間年表

主なマンガ家の居住期間は次のとおりです。手塚治虫=昭和28年1月~29年10月、藤子・F・不二雄/藤子不二雄A=昭和29年10月~36年10月、石ノ森章太郎=昭和31年5月~36年12月、赤塚不二夫=昭和31年8月~36年10月、水野英子=昭和33年3月~10月。このうち、藤子不二雄の二人は手塚治虫と入れ替わりに入居。また、水野英子はトキワ荘に住んだ唯一人の女性マンガ家です。7か月入居した後、故郷の下関に戻りますが、また上京して「少女マンガ」のパイオニアになります。

○絵物語 「トキワ荘の青春」 絵:吉本浩二 文:編集部

11のエピソードで構成されています。①「ジャングル大帝」最終回、藤子A感涙のアシスタント、⑥手塚治虫行方不明?「ぼくのそんごくう」代筆事件、⑧紅一点、水野英子来る!⑩赤塚不二夫がギャグマンガでついにブレイク!など、エピソードのタイトルを読むだけでも興味津々です。

○黎明期のマンガ進化論 文:中条省平

「戦後日本マンガは手塚治虫とともにはじまったといっても過言ではないでしょう」という言葉で始まります。「『新宝島』の衝撃」という章では、手塚治虫の『新宝島』(1947刊行)を見て藤子不二雄A(安孫子素雄)が発した「これは映画だ。紙に描かれた映画だ」という驚きの言葉が紹介され、「後にトキワ荘に集まる藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫のマンガ人生の軌跡は、手塚治虫のマンガとの出会いから始まったのです」と続けています。また、「卓抜な石ノ森のセンス」という章では「いちばん最初に独創的なマンガ表現に踏みだしたのは、4人のなかで最年少の石ノ森章太郎でした。(略)石ノ森のスタイルの唯一無二の特色が鮮やかに表れたのは、意外なことに少女マンガのジャンルにおいてでした」と、書かれています。

○水野英子と「少女マンガ」誕生 構成・文 図書の家

 筆者は「恋愛を描くことがタブーとされていた少女マンガ黎明期、ロマンティックな恋愛を最初に持ち込んだのは水野英子である。(略)人と人の関係性や繊細な感情の機微を描くことを重要視する、今ある少女マンガの原型を、1950年代末にすでに完成させていた功績は高く評価されるべきである。(略) 69年からスタートした「ファイヤー!」は、その当時世界を席巻していたロック、ヒッピー・ムーブメントを描き、社会問題も色濃く反映した作品で、同性愛にも深く切り込んでいる。余談だが、そうした水野作品を読みながら育ち、強く影響されマンガ家を志した、いわゆる“花の24年組”と呼ばれる主な作家たちがデビューしたのは、実にこの69年前後である」と、その功績をたたえています。

○ミニコラム トキワ荘こぼれ話

「⑧他にもあったマンガ家コミュニティ」で紹介されるコミュニティは先ず、トキワ荘が一杯になった頃に上京した松本零士に、ちばてつや、牧美也子、トキワ荘を出た後再び上京していた水野英子ら女性マンガ家も加わった「本郷グループ」。次に、手塚・トキワ荘的なストーリーマンガとは一線を画す一派をなした、辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを等の劇画制作集団「劇画工房」です。

○エピローグ マンガ家たちのそれから

「早すぎた死」という章が切なかったですね。「平成元年(1989)2月、手塚治虫が亡くなった。胃がんだった。(略)手塚の最後の言葉は、「頼むから仕事をさせてくれ」だったという。平成8年(1996)9月には、藤子・F・不二雄が仕事場で倒れ、その3日後に死去。石ノ森章太郎は、平成10年(1998)1月に亡くなった。手塚と石ノ森は60歳で、藤子Fは62歳だった。若い頃から徹夜は当たり前で、無理に無理を重ねて、膨大な量の仕事をこなしてきただろうか。あまりにも早すぎる死だ」と書かれています。本当に「もう少し生きていてほしかった」と、思いました。

◆『まんがでわかる まんがの歴史』大塚英志 角川書店 2017年11月4日発行

 「まんが日本の歴史」などの「学習まんが」と同じような「日本まんがの歴史書」です。近所の図書館で借りてきました。以下は、面白いと思った内容です。

「日本型のまんが」とは

著者は、戦後日本まんがのキャラクターについて、①額や目や鼻や口や耳の各パーツ(「記号」)を組み合わせる「描き方」(「ミッキーの書式」)をしている、②ミッキーマウスは「記号」の組み合わせなので、ガケから落ちても死なないし、成長しない。しかし、戦後日本のキャラクターは「ジャングル大帝」に登場するレオのように成長するし、死ぬこともある、③リアルな身体を持っているので、心があり、思い悩むことも可能という、三つの特徴があるとしています。

また、このキャラクターに「映画的手法」と「ストーリー」が組み合わさって「日本型のまんが」になる、とも説明しています。

16歳の手塚治虫少年のノートの中で戦後まんがは生まれた

著者は「映画的手法は、戦争中のまんがに文化映画が侵入する過程で成立し、それを手塚が長編アニメーション『桃太郎 海の神兵』を観て、ノートに描いた習作『勝利の日まで』に持ち込んだのであって、誰か個人の発明というわけではない(略) 「新宝島」で映画的手法が「発明された」という説は否定されるが、この作品に衝撃を受けたまんが少年たちが多数いたことは重要」と解説。藤子不二雄Aの『まんが道』や自伝を引用して、その衝撃の大きさを書いていました。

少女まんがについて

著者は「第5講 ミュシャと与謝野晶子から少女まんがは生まれた ―アール・ヌーヴォーと『明星』の挿絵―」で、「少女まんがの絵。実はその起源は「外国」にあるのです。それがミュシャに代表されるアール・ヌーヴォーの「絵」です。ただ、この「絵」によってもたらされたものが、まんがの様式と最終的に結びついていくのは戦後少女まんが史のことです。しかし始まりは明治にあります!」として、一条成美が雑誌『明星』誌上で晶子の詩に付したイラストや『明星』の表紙などを紹介しています。この内容は、同じ著者の角川新書「ミュシャから少女まんがへ」(2019年7月10日発行)にも書かれていますが、まんがによる解説の方が、感性に訴えるので分かりやすいと感じました。

◆最後に

 「手塚治虫展」の年表には、手塚治虫が「ジャングル大帝」の連載中に東京へ進出し、トキワ荘に住んだことが書かれていました。また、「映画的手法」「ストーリーマンガ」についても、詳細な解説がありました。とはいえ「手塚治虫展」では図録が見当たらなかったので、上記の2冊は「手塚治虫展」で知った内容を更に深めたり広げたりするのに、とても役立ちました。

 蛇足ですが、豊橋市美術博物館の「手塚治虫展」・玄関ホールでは、100人に近いキャラクターが来館者をお迎えしているそうですよ。

    Ron.