お知らせ

2018年7月3日

2018年協力会イベント情報

現在、募集中のイベントは下記のとおり。

平成30年8月26日(日)14時~
・碧南市藤井達吉現代美術館:『長谷川利行』展ミニツアー
(希望者はお食事会も参加可能)

平成30年9月16日(日)9時45分~
・名古屋ボストン美術館:『ハピネス』展ミニツアー

平成30年10月7日(日)17時~
・名古屋市美術館:『ザ・ベスト・セレクション』展ギャラリートーク

会員の皆様は、ファックスか、お電話でお申込ください。
なお、ホームページからもお申込可能です。
(右側の”Gトーク”申込ボタンから)

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会員の皆様へ、以下のアンケートにご回答をお願いします。
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ギャラリートークの開催日に関するアンケート
(アンケート募集期間:2018年7月7日から8月31日まで)

「エミール・ビュールレと大原孫三郎 東西の大コレクター」(後編)

カテゴリ:記念講演会 投稿者:editor

◆プレ印象派と印象派について
マネは印象派に近い部分と、古典派に近いものを併せ持つ画家です。人々の生活をしっとりと描きました。ドガは印象派の仲間とされていますが、馬、踊り子などを描き他の画家達とは路線が違います。
印象派が登場した19世紀は市民社会が中心となった時代です。市民を相手にするということから、展覧会が画家と市民をつなぐ場所になりました。展覧会は、画家にとっては「訴える場所」、市民にとっては「見に行く場所」でした。「サロン」は政府主催の展覧会で、毎年開催されました。画家がサロンに出品しても審査に通らなければ、つまり入選しなければ展示されない。現代も同じですが、入選しなければ画家の発表する場所はありません。
1860年代、マネ、ルノワール、ピサロはサロンに入選したことがあります。しかし、作品に自己主張が入ると落選が続きました。そこで1874年に、マネ、ルノワール、ピサロたちはサロンとは別の自分たちのグループ展・「画家・芸術家組合展覧会」を開催しました。ルアーブルの港の朝日の印象を描いたモネ《印象、日の出》は、この展覧会に出品されました。ジャーナリズムは、この展覧会の新聞評の中で《印象、日の出》を揶揄して「印象派」と命名しました。「印象派」は悪口のタネでした。
印象派による展覧会は全部で8回開催されましたが、第3回か第4回からは自ら「印象派」と名乗りました。ピサロ、モネ、ルノワールは主に風景を、ドガは馬、踊り子、動きのある人物を描いています。ドガは晩年、目が悪くなって踊り子の彫刻を制作しました。
・大原コレクションのドガは《赤い衣装をつけた三人の踊り子》
舞台に出る前の踊り子を描いた作品です。
◎カミーユ・ピサロ《ルーヴシエンヌの雪道》
ピサロは印象派グループの中で最年長の1930年生まれ。モネは1940年、ルノワールは1939年。印象派展全8回すべてに登場するのはピサロだけです。
この作品は雪の道、木の影を描いています。ピサロは水を描かない「大地の画家」と呼ばれます。題材は道、林、農家で、それに人の生活が加わります。その土地の人々の社会生活を描いた画家です。
・大原コレクションのピサロは《りんご採り》
 第8回目の印象派展に出品した作品で、上から見下ろした視線で描いています。
◎アルフレッド・シスレー《ブージヴァルの夏》
 シスレーは「空の画家」、大気・空気の画家です。《ブージヴァルの夏》は、空が画面を覆っている明るい風景を描いた作品です。
・大原コレクションのシスレーは《マルリーの通り》
 広い空、道、建物を描いた作品です。
◎クロード・モネ《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》
 モネは春先のヒナゲシを良く描いています。フランスで5月に咲くヒナゲシの風景は色彩豊かなものです。もともとフランスは色彩豊かな国ではないので、ヒナゲシが咲く季節は、その期間は短いものの、見事な風景となります。
与謝野晶子の短歌「ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟 われも雛罌粟 (読み)アアサツキ フランスノノハ ヒノイロス キミモコクリコ ワレモコクリコ」は5月のヒナゲシ(Coquelicot) を歌ったものです。前年に渡欧した与謝野鉄幹の後から、シベリア鉄道を乗り継いでフランスに到着した晶子。彼女を夫・鉄幹がパリの駅で迎えてくれた時に詠んだ歌です。
(注:晶子は車窓から、モネのヒナゲシ畑のような風景を見ていたのでしょうね。ヒナゲシは虞美人草とも書きます。「虞美人草」は夏目漱石が職業作家として執筆した第1作の題名でもあります。美貌の女性、甲野藤尾さんが登場しますね。)
◎クロード・モネ《陽を浴びるウォータールー橋、ロンドン》
 ロンドンシリーズの作品です。モネは、サヴォイ・ホテルから見えるテムズ川に架かる橋、ウォータールー橋とチャーリング・クロス橋を何枚も描いています。霧の中の風景です。
◎クロード・モネ《ジヴェルニーのモネの庭》
 庭の中の風景です。モネは後半生ジヴェルニーに住み敷地の中に池を作って睡蓮を植え、庭には花を植えています。池には日本風の太鼓橋を置き、睡蓮の絵をいっぱい描きました。
◎クロード・モネ《睡蓮の池、緑の反映》
 オランジュリー美術館の睡蓮の部屋には、どこまでも広がる睡蓮の壁画が展示されています。
・大原コレクションのモネは《積みわら》と《睡蓮》
 《積みわら》はポプラ並木と積みわら、母子を描いた作品。《睡蓮》は児島虎次郎がモネのところに行って(モネは1926年まで存命)入手した作品です。なかなか「うん」といってくれないところを粘って、手に入れました。《睡蓮》は上から眺め下ろした画面の作品です。これは日本独特の視点です。西洋の風景画は、空と大地を地平線が区切るという構図が一般的です。《睡蓮》には水平線がありませんが、水面に映った空が水平線を暗示させます。
◎ピエール=オーギュストスト・ルノワール《夏の帽子》、《泉》
 ルノワールは風景画では、南画風の知友会の風景を描いていますが、もっぱら女性像の画家として知られています。《夏の帽子》は金髪とブルネット、白の衣装と赤の衣装の対比が美しい作品です。《泉》は裸婦を描いた作品ですが、アングルにも《泉》という作品があります。どちらも西洋の伝統に従って、泉の精を擬人化した絵です。
・大原コレクションのルノワールは《泉による女》
 これは泉の水を受け止めている座った裸婦の像です。三好達治は「仏蘭西人の使う言葉では母の中に海がある、僕らの使う文字では海の中に母がいる」と書いています。フランス語の母はmère、海はmer。発音は同じですが、母の方が一文字多いので「母の中に海がある」のです。脱線しましたが、「水と女性には縁がある」ということです。
 この作品は、大原孫三郎が、安井曾太郎などを通して、直接にルノアールへ制作を頼んだ作品です。
(注:三好達治の詩の出典は、詩集「測量船」所収の散文詩「郷愁」です。全文は以下のとおり。中央公論新社「日本の詩歌22 三好達治」に収録されたものを記しました。
  郷  愁
 蝶のやうな私の郷愁!……。蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角(まちかど)に海を見る……。私は壁に海を聴(き)く……。私は本を閉ぢる。私は壁に凭(もた)れる。隣の部屋で二時が打つ。「海、広い海よ! と私は紙にしたためる。――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」)         

◆ポスト印象派の画家について=セザンヌ・ゴッホ
◎ポール・セザンヌ《赤いチョッキの少年》
 セザンヌは第1回目から第3回目まで印象派展に参加していましたが、次第に印象派から離れていきました。骨格のあるものを描く、つまり構築的な、物(山、建物など)がはっきりと分かる作品を描く画家です。
 《赤いチョッキの少年》はセザンヌの代表作です。彼は存在感を強く出そうとするので、動きのないポーズになります。モデルに向かって「絶対に動くな」と言ったのは有名な話です。この作品は赤、青、白のバランスが良くとれています。
 セザンヌは「20世紀芸術の父」と呼ばれます。彼の作風はやや新しいもので、ゴッホ、ゴーギャンとともに「ポスト印象派」に分類されます。
・大原コレクションのセザンヌは《風景》と《水浴》
 《風景》は周囲に塗り残しがあり、未完成の作品かもしれません。彼は作品を完成するのに時間がかかる人でした。それは、物の存在、画面の構築に苦労するからです。一つ一つの物を描くだけでなく、それを画面の中でどのように調和させるか考えながら描くので全体がまとまりにくいのです。そのため、しばしば四隅が塗り残されている作品を描いています。《風景》も四隅を塗り残した状態で画面全体のバランスをみて、「これで良し」としたのかもしれません。《水浴》は女性像のポーズの組み合わせを考えた作品です。
◎フィンセント・ファン・ゴッホ《日没を背に種まく人》と《二人の農婦》
 《日没を背に種まく人》はミレーの宗教的主題を引き継ぐ作品で、聖書に主題を取っています。ミレーと同様に「聖なるもの」を描きました。黄色い太陽は光背です。《二人の農婦》も同様に、宗教的主題の作品です。
・大原コレクションのゴッホ
 大原コレクションにもゴッホの作品は1点ありますが、真偽が怪しいのです。児島虎次郎による取集の後に購入したものです。ゴッホの作品には偽物が多いのです。

◆贋作について
 贋作、偽物という問題には微妙な事情があります。例えば、レンブラントは工房で作品を制作していたので、レンブラントの名前で仲間に描かせた作品や弟子に描かせた作品もあります。ルーベンスも同様で、大まかな構図はルーベンスが指導しているものの、工房で手分けして作品を制作しています。日本の俵屋宗達も工房で描いています。現代の作家は一人で最後まで仕上げることが普通ですが、工房で制作している作家の場合は、「贋作」と断定できない要素があります。
 アメリカのメトロポリタン美術館で「Rembrant or Not Rembrant」という展覧会を開催したことがあります。これは、全てメトロポリタン美術館の収蔵品で開催したからできたことです。偽物と言われる恐れのある展覧会に作品を貸す美術館はありません。

◆ポスト印象派の画家について(続き)=ゴーギャン
◎ポール・ゴーギャン《肘掛け椅子の上のひまわり》と《贈りもの》
 ゴーギャンはゴッホに誘われて、アルルでゴッホとの共同生活を送りますが破綻しました。ゴッホは「耳切り事件」を起こしています。
 ゴーギャンは晩年にひまわりを描いた作品を2点制作しています。ひまわりはゴッホの象徴でありゴッホへの思いを描いたものです。《肘掛け椅子の上のひまわり》の「肘掛け椅子」はアルルでゴッホが、ゴーギャンのために用意した肘掛け椅子の象徴です。ゴーギャンはその椅子に、ゴッホの象徴であるひまわりを載せて、この作品を描いています。
・大原コレクションのゴーギャンは《かぐわしき大地》
 ビュールレ・コレクションの《贈りもの》と同様にタヒチの女性を描いたものです。《かぐわしき大地》に描かれた裸婦は、旧約聖書に出て来る悪魔に誘惑されるイブを描いたものです。

◆ビュールレ・コレクションと大原コレクションの対比
◎アンリ・ド・トゥールズ=ロートレック《コンフェッティ》= ポスターの下絵
→大原コレクションのロートレックは《マルトX夫人 - ボルドー》=肖像画
◎ピエール・ボナール《室内》 →大原コレクションは《欄干の猫》
◎エドゥアール・ヴュイヤール《訪問者》《自画像》
 →大原コレクションは《薯をむくヴュイヤール夫人》
◎ポール・シニャック《ジュデッガ運河、ヴェネツィア、朝》
 →大原コレクションは《オーヴェルシーの運河》
◎アンリ・マティス《雪のサン=ミシェル橋、パリ》
 →大原コレクションは《画家の娘-マィティス嬢の肖像》
・大原コレクションのエドモン=フランソワ・アマン=ジャン《ヴェニスの祭》は大原別邸の装飾のため画家に直接注文した作品です。(注:本展にはアマン=ジャンの出品作品はありません)
◎モーリス・ド・ヴラマンク《ル・ペック近くのセーヌ川のはしけ》
 →大原コレクションは《サン・ドニ風景》
◎アンドレ・ドラン《室内の情景(テーブル)》
 →大原コレクションは《静物》と《イタリアの女》
◎ジョルジュ・ブラック《レスタックの港》《ヴァイオリニスト》
 →大原コレクションは《裸婦》
◎パブロ・ピカソ《イタリアの女》《花とレモンのある静物》
 →大原コレクションは《鳥篭》と《頭蓋骨のある風景》

◆大原美術館へのお誘い
 「至上の印象派展」は9月24日で終了しますが、大原コレクションは倉敷まで行けば、いつでも見ることができます。ぜひ、大原美術館にお出で下さい。
(注:主要作品の画像と解説だけなら大原美術館のHPで閲覧できます。)

◆最後に
 特別公演は、数多くの図版をスクリーンに映しながら2時間近く続きましたが、与謝野晶子の歌や三好達治の詩の紹介もあり、多岐にわたった内容で飽きることがありませんでした。
 高階秀爾さま、ありがとうございました。
Ron.

「至上の印象派展」特別講演会について

カテゴリ:記念講演会 投稿者:editor

演題「エミール・ビュールレと大原孫三郎 東西の大コレクター」
講師 高階秀爾(大原美術館館長)
2018.8.5(月)14:00~15:45 名古屋市美術館 2階講堂

名古屋市の最高気温が39.9度を記録した8月5日に、大原美術館館長 高階秀爾さんの特別講演を聴くため「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(以下、「本展」)開催中の名古屋市美術館2階講堂まで足を運びました。
特別講演の開会に当たり名古屋市美術館の深谷副館長から「本日の講師・大原美術館館長 高階秀爾さんは皆さんご存知の通り、西洋美術研究の第一人者で東大教授、国立西洋美術館館長を歴任され、文化勲章も受賞されています。」という紹介があり、高階秀爾さんが挨拶されました。
以下は講演内容を要約筆記したものです。なお、(注)は私が補足したものです。

◆講演の趣旨
大原美術館もビュールレ美術館も同じ頃の印象派のコレクションを所蔵しています。今日はビュールレ・コレクションと大原コレクションを対比しながら話したいと思います。

◆優れたコレクションのための3条件
優れたコレクションが成立するためには3つの条件が必要です。第1は「チャンス」。収蔵庫にしまい込まれて世の中に出てこない作品を収集することはできません。作品収集には、いいものが出る、出物があるという「チャンス」をつかむ必要があります。第2は「鑑識眼」。優れたものを見る眼です。第3が「資金」。
ビュールレは、あちらこちらに情報網を張り巡らせてチャンスをつかみました。大原コレクションの創設者・大原孫三郎(以下、「大原」)は倉敷絹織(注:現在の「クラレ」)を始め、いくつもの事業を手掛けていましたが、鑑識眼は自身ではなく児島虎次郎に任せました。もちろん、収集は大原と相談のうえです。

◆大原コレクションについて
大原美術館は昭和5年に開館しましたが、大原コレクションは美術館開館よりも前、第一次世界大戦(1914-1918)直後から始めています。1920年代にコレクションを始めたという点では、松方コレクションと同じ頃ということになりなります。
児島虎次郎は大原の援助でヨーロッパに渡り、1912年(大正元)に帰国する時に大原に手紙を出しています。手紙の主旨は「美術作品は本物を見ないと良さが分からない。一つでもよいから本物を買って、日本の若者、若い画家、愛好家に見せたい」というものでした。大原はすぐO.K.を出します。大原コレクションは最初から「美術館」=みんなに見せたいという目的を持っていたのです。
ヨーロッパのコレクターの目的は、先ず「自分が眺めるため」で、次に「人に見せて自慢するため」です。したがって、コレクションには個人の好みは強く反映されます。個人コレクションの例としてはロシアの資産家、モロゾフやシチューキンのコレクションがあります。
大原は茶人の嗜みとして日本の美術・工芸に関する素養はありましたが、西洋の絵を買ってきて何の役に立つのかという点に疑問があり、作品の収集になかなか「うん」とは言いませんでした。
ところが、最初に買い付けた何点かの作品を倉敷市内の小学校に飾ったところ、これが大評判となり東京から倉敷に来た人で倉敷駅から会場の小学校まで行列が出来ました。大原は、これを見てびっくり。美術にこれほどの力があるならば本気になって収集しようということになり、児島虎次郎は3回ほどヨーロッパへ収集に行きます。(注:大原美術館のHPによれば児島虎次郎が収集した最初の西洋絵画は、当時のフランスを代表する画家・エドモン=フランソワ・アマン=ジャンの《髪》です。倉敷市内の小学校にも飾られました。)
第一次世界大戦後のヨーロッパには画商の「良いお得意様」が三人いました。大原孫三郎、松方幸次郎(注:松方コレクション→戦後、国立西洋美術館が所蔵)と新薬の開発・販売で財を成した米国人のバーンズ(注:アルバート・C・バーンズ=バーンズ・コレクションの創設者)です。1994年に国立西洋美術館で開催した「バーンズ・コレクション展」には107万人以上の来館者がありました。(注:当時の国立西洋美術館館長は高階秀爾氏)三人は同じ頃にパリで美術品を収集していました。
印象派の発足は1870年。ナポレオン3世が普仏戦争で捕虜となってフランス第二帝政が崩壊し、第三共和政が始まった年です。印象派の作品は最初の頃、売れませんでした。印象派の画家達は第一次世界大戦のころまではまだ生きており、やっと世の中に認められるようになってきた時期でした。印象派の収集にはタイミングが良かったのです。

◆ビュールレ・コレクションの中身について
◎フランス・ハルス《男の肖像》
タッチが素早い。印象派風の描写。堂々としている。
◎フランチェスコ・グァルディ《サン・マルコ沖、ヴェネツィア》
画面右手はサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。ヴェネツィアはターナーが好んだ都市。これは旅行者の記念、お土産の絵です。グァルディの作品は、その中でも優れた油絵です。
◎カナレット《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》
17世紀から18世紀の代表的な作品。
◎ウジェーヌ・ドラクロア《モロッコのスルタン》
ドラクロアは19世紀ロマン派を代表する画家です。アングルを代表とする新古典派と競いました。一方のアングルは、本展で《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》と《アングル夫人の肖像》が出品されています。
フランスは1855年にパリ万国博覧会を開催しました。第1回万国博覧会は1851年にロンドンで開催。最初は産業博覧会で、水晶宮が有名です。パリ万博では「イギリスの真似だけではつまらない」ということから、万博に併せて「フランス美術の百年展」を開催しました。万博と美術が結びついた最初の万国博覧会でした。また、毎年開催している美術展の拡大版も開催しています。「フランス美術の百年展」では、ドラクロアとアングルそれぞれに特別室が与えられ、二人が競いました。
なお、アングルの持ち味は明確なデッサンと、はっきりした色彩です。

◆大原コレクション:エル・グレコ《受胎告知》について
大原コレクションの中で古いものはエル・グレコ《受胎告知》(1530頃-1603)。エル・グレコは、ご存知のようにマニエリスムの画家です。
児島虎次郎が収集したのは同時代の作品でした。印象派の外に、クールベ、ミレー、コローなどの作品を収集しました。エル・グレコ《受胎告知》の収集は特別なものです。
ご存知のようにエル・グレコは17世紀の優れた画家で、スペイン・プラド美術館の収蔵品が有名です。エル・グレコは一時期「忘れられた画家」でしたが、表現主義の画家に持ち上げられて20世紀初頭に再評価されました。1920年代はエル・グレコ再評価の時代でした。画商から売りに出された《受胎告知》を見て、児島虎次郎は「特別な絵だ。ぜひ買いたい。今は、まさにチャンスだ」と見て、高価な絵でしたが購入したのです。
「受胎告知」の構図は通常、マリアと天使が同じ高さで対面しています。しかし、エル・グレコの《受胎告知》では天使が上から降りてきて、鳩は天使の下、マリアは下から天使を見上げるという構図です。画面のダイナミックな動き、明暗の対比は表現主義の画家の心をとらえるものでした。

◆ビュールレ・コレクションと大原コレクションの対比
◎ギュスターヴ・クールベ《彫刻家ルブッフの肖像》
クールベは理想化、美化をしない、そのままの姿を描く「レアリスム」「写実主義」の画家で、同時代の生きた社会を描きました。この作品は、友人の彫刻家を描いたものです。
一方、新古典派のアングルは、親しい人、王侯貴族、歴史画を描きました。
・大原コレクションのクールベは《秋の海》
「波のシリーズ」の一つです。波立つ海、空、ヨットを描いています。
◎カミーユ・コロー《読書する少女》
コローは風景画家として有名で、人物画は少ないものの優れた作品を残しています。
・大原コレクションのコローは《ラ・フォンテ=ミロンの風景》
小品だが見事です。
・大原美術館自慢のジャン=フランソワ・ミレー《グレヴィルの断崖》
ミレーはノルマンディーの生まれ。この作品は育った海岸を描いたものです。崖の上で休む人物はミレー自身でしょう。大原コレクションではミレー、コロー等のバルビゾン派の作品を収集しています。(注:本展にはミレーの作品は出品されていません)
◎ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ《コンコルディア習作》
シャヴァンヌはアカデミーの古典的様式を引き継ぎながら、象徴的な意味を持たせた象徴主義の画家です。
19世紀後半のフランスでは、リヨン、マルセイユなどいくつもの地方美術館ができました。壁画家として評判が高かったシャヴァンヌには建物の装飾の依頼が来て、よく手がけました。《コンコルディア習作》も壁画の下絵です。
・大原コレクションのシャヴァンヌは《幻想》
 大きな作品で、ブルジョアの食堂を飾っていた4点のうちの1点です。少年と女性、羽の生えた馬を描いています。自然そのままではなく、そこに様々な理念、象徴をまとわせた作品です。
・大原コレクションの象徴派 ギュスターヴ・モロー《雅歌》
人気のある女性像です。(注:本展にはモローの作品は出品されていません)                                    <後編につづく>

佐川美術館で開かれている田中一村展

カテゴリ:アート見てある記,旅ジロー 投稿者:editor

先日NHK日曜美術館でも紹介されたように、琵琶湖の畔の佐川美術館で「生誕110年 田中一村展」が開かれている。佐川美術館では7月14日から9月17日まで開催されている。佐川美術館は佐川急便が創立40周年を記念して1998年に開館した美術館。通常は平山郁夫と佐藤忠良と15代樂吉左衛門を展示する美術館だが、特別展も時折開かれている。
前回行ったのは、偶然佐藤忠良が亡くなってすぐだったから、2011年2月のことだった。所在地が守山市ということなので、東海道線守山駅からタクシーで行った。守山駅からもバスはあるが本数がとても少なく、タクシー代は\3,000.-以上だった。今回は京都にも寄るつもりで調べてみたら、湖西線の堅田駅に出てバスに乗るのが便利なことが分かった。地下鉄東西線の蹴上駅から山科駅で湖西線に乗り換えて堅田駅まで30分ほど。堅田駅前からバスに乗ると15分ほどで美術館に着いた。バスはだいたい一時間に一本で、湖西線に連絡している。気候が良いときは、堅田駅から琵琶湖大橋を渡って歩く人もいるようで距離は4 km強、タクシーだと\1,800.-程度。名古屋から一番速く簡単に行く方法は、新幹線で京都駅に出て、湖西線に乗り換えて堅田駅に出る行程で、名古屋駅から美術館まで1時間半程度だ。入館料は\1,000.-、特別展をやっていてもいなくとも同じ料金だ。
田中一村は、1996年に東京新宿にあった三越美術館で観て以来、とても好きな画家だ。奄美大島に観に行きたいと前々から思っているが、未だに行けていない。今回の展示作品は、一村の子供時代から奄美大島時代までを網羅していて、一村作品の軌跡がよく分かるようになっている。個人蔵の作品がかなり多いので、奄美大島の田中一村記念美術館に行っても観られないだろうと思う作品がかなりあった。その一方で、これぞ一村という作品はそれほど多くなかった。今回の目玉は「アダンの海辺」、アダンの実の向こうに砂浜と海が見える作品だ。22年前には気付かなかったが、砂浜の表現が超絶技巧で暫し見入ってしまった。ヤマボウシの白い花を一面に描いた大きな作品「白い花」も美しい。いつもは佐藤忠良の作品を並べてある展示室も使っているので、忠良作品は廊下などに展示されていた。

「至上の印象派」ギャラリートーク(後編)

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor

ギャラリートークの様子

ギャラリートークの様子


◆2階展示室における深谷副館長の解説
◎第1章 肖像画
本展の壁の色、章立てはビュールレ財団からの指示に従っています。2021年に公開予定のビュールレ・コレクションも本展の章立てをなぞるようです。第1章の壁の色は赤で、最初の作品はアンリ・フォンタン=ラトゥール《パレットを持つ自画像》。年代順に並べるなら、ハルス《男の肖像》が最初の作品になるはずなのですが、そうではありません。なぜか、それはビュールレ財団からの指示に従ったからです。指示は「左右対称が重要。年代順にはこだわらない」というものでした。
アングルの作品が並んでいます。《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》は細部まで克明に描かれていますが隣の《アングル夫人の肖像》は質感表現が十分ではありません。未完成のような絵ですが、それが、むしろ《アングル夫人の肖像》を生き生きとした作品にしています。

◎第2章 ヨーロッパの都市
第2章と第3章の壁の色は濃い緑色。ヨーロッパの都市、ヴェニス、ロンドンとパリの風景を描いた作品です。室内の真ん中の2点、カナレット《カナル・グランデ、ヴェネツィア》と《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》はビュールレ美術館の写真と同じように並んでいます。
グランドツアーは貴族の子弟が行った、長期間をかけてヨーロッパの名所旧跡を回り見分を広めた大旅行で、その記念品・お土産として克明かつ緻密に描かれた風景画が描かれました。

◎第3章 19世紀のフランス絵画
第3章には1870年代のマネの作品が3点並んでいます。マネは印象派展には参加しませんでしたが、印象画風のテーマ・タッチに変わっていくのが分かります。

◎自由観覧 18:10頃~30
第4章の壁の色は薄い緑色。
縦長のマネ《ベルヴュの庭の隅》と横長のモネ《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》《ジヴェルニーのモネの庭》の3作が並んでいるのを見ると、一瞬、「同じ作者の作品か」と感じました。よく見ると、何か違っています。しかし、違いをうまく指摘するのは難しい。……

◆1階展示室における深谷副館長の解説
◎第5章 印象派の人物-ドガとルノワール
 第5章も壁の色は薄い緑色。
ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》を見てください。顔は滑らかで筆跡がありません。一方、衣装には筆跡が残っています。
この絵はダンヴェール家の庭=屋外で描いたにしては光が均一に回っています。この絵では、ルノワールの作品によくある「木洩れ日表現」はしていません。光が良く回っており、古典的な表現がされています。

◎ドガ《14歳の小さな踊り子》
この彫刻、オリジナルはワックス=蝋。ワシントン・ナショナルギャラリーが所蔵しています。展示しているのはブロンズ像で、10点ほど制作されたうちの1点です。
オリジナルの彫刻は、1881年、第6回の印象派展に出品されました。出品時、ワックスで制作した本体は胴衣、スカート、トゥシューズ、ソックスを身に着けていました。この試みに対し、当時の評価は二分。「彫刻の基本から外れる」として反対する意見とドガの意図に賛成する意見に分かれました。

◎第6章 ポール・セザンヌ / 第7章 フィンセント・ファン・ゴッホ
第6章と第7章の壁の色は黄土色。
セザンヌとゴッホはそれぞれ、一人に1章が配分されています。これは、ビュールレ・コレクションがこの二人を大切にしていることの現れです。各章とも6点の作品だけで、それぞれの作家の変化が分かるようになっています。

◎セザンヌ《赤いチョッキの少年》
国立新美術館で好きな作品のアンケートを取ったところ、第1位はルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》、第2位はカナレット《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》で《赤いチョッキの少年》がベスト10にも入っていないのは意外でした。
作品をよく見ると、右腕は白を塗り重ねて前に出てくる感じです。一方、左腕は暗く奥まって見えます。立体感がよく出ています。

◎ゴッホ《日没を背に種まく人》
本日、午後2時からの特別講演会で大原美術館・高階館長が「ゴッホの《日没を背に種まく人》はミレーの宗教的主題を引き継ぐ「聖なるもの」を描いた作品で、黄色い太陽は光背を表す」と話されましたが、私もゴッホの作品は宗教絵画だったと思っています。彼の作品は信仰告白につながっています。

◎第10章 新たなる絵画の地平
第9章と第10章の壁の色は白。第10章はモネ《睡蓮の池、緑の反映》だけを展示しています。大作であること、その後の絵画につながる作品であることから最後に置かれています。

◎自由観覧 18:40頃~19:00
セザンヌの作品の前で、ある参加者が「昔、セザンヌのどこが良いのか分からなかったけれど、最近、セザンヌはすごい、と思うようになってきた」と話しているのを聞いて、深谷副館長が「よかったですね」と声をかけてくれました。
ルノワールの絵にはサービス精神があるので万人向きですが、セザンヌの絵は求道者のようで、玄人受けはしますが初心者にはとっつきにくいですね。《扇子を持つセザンヌ夫人の肖像》も存在感はあるのですが「もう少し美人に描いてあげたら」と同情します。ただ、セザンヌ本人は「万人受け」することを微塵も考えていなかったことは確かです。
ゴッホ《アニエールのセーヌ川にかかる橋》の前で、ある参加者が「汽車の動き、川面の青がきれいで、紅一点の女性が画面を引き締めていますね」と感想を漏らしていました。私もこの感想に同調、作品を眺め直しました。仲間内の鑑賞会なので、あまり気兼ねせずにおしゃべりできるのもギャラリートークの魅力です。

深谷副館長

深谷副館長


 
◆最後に
 ギャラリートークを終えて名古屋市美術館を後にする参加者は、どなたも笑顔でした。また、「どの作品も質が高くて、満足しました」という声も聞かれました。参加者数が多いので解説の声が届かなかったらどうしようかと心配しましたが、ポータブル・アンプのおかげで参加者が多くても参加者の隅々にまで声が届き、杞憂に終わりました。
2時間もの長時間にわたりギャラリートークに協力していただいた深谷副館長はじめ名古屋市美術館のスタッフの皆さま、ありがとうございました。
本展で気がかりなのは猛暑。熱中症の予防はもちろんですが、外気の気温と美術館展示室内の室温との差が大きいので「寒さ対策」もお忘れなく。
Ron

「至上の印象派」ギャラリートーク(前編)

カテゴリ:協力会ギャラリートーク 投稿者:editor
展示会場で話をきく会員たち

展示会場で話をきく会員たち


名古屋美術館で開催中の「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(以下、「本展」)の名古屋市美術館協力会員向けギャラリートークに参加しました。担当は深谷副館長。応募が90人を超えたため美術館2階講堂で展覧会の概要を解説。展示室におけるギャラリートークは主要な作品に絞るという方式になりました。当日、名古屋市の最高気温は39.9度。「危険な暑さ」のため屋外での活動や日中の外出を控えたためか欠席者があり、講堂に集まったのは81人。減ったとはいえ、人気の高さを感じました。
レクチャーの始めに深谷副館長から「連日、大勢のお客が来館していますが40度超えの気温で来館者の行動に変化があります。いつもなら午後2時から3時が来館者のピークですが、本展は開館前から行列が出来て午前中が来館者のピーク。午後になると来館者が減っていきます」という話がありました。連日の猛暑は、こんなところにも影響しているのですね。
以下は講堂における展覧会の概要解説と展示室のギャラリートークを要約したものです。

<展覧会の概要=講堂における深谷副館長の解説>
◆エミール.ゲオルク.ビュールレ氏と彼のコレクションについて
TV等の広報でご存知の方も多いと思いますが、本展はスイス・チューリッヒの個人コレクター=エミール・ゲオルク・ビュールレ氏(以下「ビュールレ」)のコレクションを展示しています。
ビュールレはドイツ人ですが、妻の父親が工作機械の会社を経営しており、その後を引き継ぎました。スイスの会社を買収し、機関砲等の兵器製造で巨万の富を築いて美術品の収集に振り向けました。来館者から「そのような人物のコレクションを展示することに問題はないのか」という質問がありました。しかし、作品に罪はないのでコレクターとは切り離して展覧会を企画しています。
ビュールレは大学で文学、美術史を学んでおり、単なる愛好家ではありません。彼は1936年・46歳の時からコレクションを始め、66歳で死去するまでの20年間に600点を収集しました。本日、午後2時からの特別講演会で大原美術館・高階館長が「優れたコレクションに必要な3条件は、タイミング・鑑識眼・資金」と話されましたが、ビュールレ・コレクションの「タイミング」は収集した時期が第二次世界大戦をはさんでいたことです。戦争の際には多くの美術品が動くので作品が集まりました。
ビュールレは若い頃から美術館に出入りし、学生の時、ベルリンの美術館で印象派の作品に出会っています。
1948年には戦時中に収集した13点がナチスの略奪品と判明。うち9点は元の所有者と話をして再度代金を支払い買い取りましたが、残り4点は元の持ち主に返しています。ナチスの略奪品には、いまだに行方の分からないものが多数あります。国外の美術館、特にアメリカの美術館に作品を貸し出すのを嫌がるコレクターがいます。来歴が良く分からない作品が「略奪品」だと分かると「差し押さえ」になるおそれがあるからです。
ビュールレは1956年、心臓病で死去。遺言はありませんでした。ビュールレ美術館は自宅の隣の家を改築して美術館としてオープンしたものです。1958年から2015年まで開館し、現在は閉鎖しています。スクリーンに映しているのは展示室を撮影した写真です。正面の壁に掛かっているのは本展展示のカナレット《カナル・グランデ、ヴェネツィア》と《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂、ヴェネツィア》。まさに個人の邸宅に作品を展示していました。
スクリーンに映したのは、現在建設中のチューリッヒ美術館新館の完成予想図。新館の完成は2020年。ビュールレ・コレクションは新館の1フロア・約1,000平方メートルに展示。名古屋市美術館の常設展ぐらいの規模です。
なお、「ビュールレ・コレクションは600点」といいましたが、一部は売却され、ビュールレのファミリーが保有している作品もあるため財団に移管したのは200点ほどです。

講堂でレクチャを聴く会員一同

講堂でレクチャを聴く会員一同

◆本展の展示内容
◎第1章
本展は10のセクションで構成。第1章は肖像画。ビュールレ・コレクションの中核は印象派ですが、第1章は肖像画の歴史的な流れを印象派以前にまで遡って示したものです。ビュールレは美術史を学んでおり美術史を踏まえています。本展では印象派がどういう文脈の中で生まれ来たのか、印象派がその後にどんな影響を与えたのかを見てほしいと思います。
本展展示のフランス・ハルス《男の肖像》とアングル《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》を比べると、ハルスの方が新しく感じます。ハルスの描写は印象派につながるものだと思います。
印象派は絵画の革新を行ったといわれますが、印象派の作家たちに「新古典派に反旗を翻す」という意図はありませんでした。サロンの審査ではねられたから自分たちの展覧会を開いたということです。
第1章の最後にドガ《ピアノの前のカミュ夫人》を展示しています。スクリーンに映したのはアメリカの雑誌「LIFE」が1954年にビュールレ・コレクションを紹介した時の写真です。ビュールレの本宅で撮影したもので前列に並ぶ作品は別の場所から持ってきました。椅子に腰かけるビュールレの後方にドガ《ピアノの前のカミュ夫人》が写っています。ドガの肖像画はビュールレ邸の訪問客を最初にお迎えするために飾られていた作品でした。

◎ドガの彫刻《14歳の小さな踊り子》
ドガは後半生に彫刻を制作しています。彼は動いている人や馬の瞬間の姿を描いているので絵を描くときの参考にするため、色々な方向から自由に観察できる彫刻を作りました。ただし、展覧会に彫刻を出品したのは一回だけ。ドガの彫刻に関してはギャラリートークでお話しします。

◎ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》
 これは、とても有名な作品で「目にしたことがある」という人が多いと思います。この作品を制作した1880年はルノワールの転換期でした。1870年からの10年間は作品が売れないため、画家としての方向性に疑問を感じていました。今までのやり方を続けるのか、アカデミックな方向に移ったほうがいいのか迷い始めた頃です。
この作品の描写は1870年代に比べるとアカデミックなものです。アカデミックな描写と印象派の描写のバランスが取れているのが好かれる理由でしょう。イレーヌは銀行家カーン・ダンヴェール氏の三人姉妹の長女で当時8歳。次女のエリザベスは6歳、三女のアリスは4歳。次女と三女の二人を描いた肖像画はサンパウロ美術館が所蔵しています。イレーヌの絵と妹たちの絵を比べるとイレーヌは大人びた感じで二人の妹たちは子どもらしさを前面に出していますね。
 イレーヌの肖像は、ほぼ真横から描いた作品。ルノワールの肖像画は4分の3、スリー・クォーターの方向から描いた作品が圧倒的に多く真横の肖像は少ない。どうして真横に近いにポーズをとらせたのか良く分かっていません。真横に近いポーズが、多くの人をこの絵に惹き付ける理由でしょう。
スクリーンに映したのはイレーヌが8歳の時の写真です。イレーヌの死亡記事に掲載されたものです。8歳の時の写真といいましたが、写真の説明には「イレーヌの肖像と同じ時代に、同じポーズ・髪型、同じ衣装で撮影した写真」とあるだけです。イレーヌ本人を撮ったという確証はありません。ただ、1880年当時、イレーヌの肖像画の存在は現在ほど知られていないはずなので、別人をイレーヌと「同じポーズ・髪型、同じ衣装」で撮るということは考えられません。ですからイレーヌを撮ったのだと思いますが、確証はないのです。
イレーヌの肖像画は1881年にサロンに出品され評判は良かったのですが、家族には気に入られませんでした。使用人の部屋に飾られていたということですから、ダンヴェール家を訪問した人はイレーヌの肖像画を見ていないと思います。
スクリーンに映したのはルノワールが1879年のサロンに出品した《シャルパンティエ夫人と子どもたち》です。夫人の写真と絵を比べると本物よりも少し美人に描いています。2割増しくらいですね。2013年に愛知県美術館で開催された「プーシキン美術館展」に出品された《ジャンヌ・サマリーの肖像》も本人の写真と比べると、ご覧のとおりです。
イレーヌの肖像画が家族に気に入られなかった理由は何か。スクリーンに映したのは、カロリス・デュランの描いたダンヴェール夫人=イレーヌの母の肖像画です。カロリス・デュランはアカデミズムの有名な画家でした。イレーヌの父親もアカデミズムの画家レオン・ゴナに肖像画を描かせています。
当時、ルノワールはまだ駆け出しでした。ルノワールに肖像画を描かせたのは、イレーヌの母の友人の美術評論家から頼まれたからです。当時の人々にとって、ルノワールの絵は前衛的でアカデミックな古典的作品では無いことから気に入らなかったと思われます。今から見るとアカデミックな肖像画は冷たくて固いという印象を受けますが、それは時代による感性の違いというものです。

◎贋作事件
スクリーンに映したのは1939年6月にスイスのルツェルンで開催されたオークションを撮影した写真です。オークションにかけられているのはゴッホ《坊主としての自画像》で現在はハーバード大学フォッグ美術館が所蔵しています。
当時、ナチスは略奪した美術品をスイスでオークションにかけ、戦費につぎ込んでいました。オークションにはヨーロッパだけでなく米国からも参加があり、ビュールレもオークションに出かけています。ビュールレは《坊主としての自画像》を買おうとしたのですが落札できませんでした。《坊主としての自画像》の代わりにビュールレが買ったのはゴッホの贋作でした。
スクリーンに映したのは《坊主としての自画像》とビュールレが買った作品です。ビュールレが買ったのはイギリス人の絵描きがゴッホの模写をした作品で、本物と間違えられないように背景に花が描いたものです。今、こうして二つを比べると「ビュールレが買った作品は怪しいのでは?」と思う人が多いと思います。
実は、ビュールレが「本物だ」と思ってしまったのには理由があります。スクリーンに映したのはクレラーミューラー美術館所蔵のゴッホ《郵便配達夫ジョゼフ・ルーランの肖像》です。ご覧のように背景に花が描かれています。ビュールレはこの絵の存在を知っていました。美術の知識があったことが災いして贋作を本物だと思ったのでした。

◎ナチスが開催した「退廃美術展」と「大美術展」
スクリーンに映したのはナチスが開催した「退廃芸術展」の写真です。ヒトラーには画家を目指していた時期があり、モダン・アートを目の敵にしていました。ポスト印象派や表現主義、ピカソなどのほかユダヤ人画家の作品も精神の退廃を招く「退廃芸術」としてドイツ国内の美術館から撤去。見せしめのために、撤去した作品を展示したのが「退廃芸術展」です。展覧会で「笑いもの」にしたのです。一方、ヒトラーが好んだのは古典主義的な芸術。「人間の健全な精神を養う」として「大ドイツ芸術展」を開催しました。

◎セザンヌ《赤いチョッキの少年》
2008年にビュールレ美術館では作品4点が盗まれるという事件が発生しました。盗まれたのはセザンヌ《赤いチョッキの少年》、ゴッホ《花咲くマロニエの枝》、ドガ《リュドヴィック・ルピック伯爵とその娘たち》とモネ《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》です。
このうち、セザンヌ《赤いチョッキの少年》はビュールレ・コレクションの中で一番有名で重要な作品です。セザンヌは同じモデルの作品を4点残していますが、ビュールレ・コレクションのものが一番の出来です。
《赤いチョッキの少年》の表現は、右腕が長くて左腕は短いなど不自然なところが様々あるのですが、絵画としては調和がとれています。スクリーンに映したのは試しに普通の人体のサイズに直してみたものです。ご覧の通り絵画としてのバランスは悪いのです。
私は、セザンヌはアングルをものすごく研究していたのではないかと推測しています。スクリーンに映したのはアングル《オダリスク》です。残されたデッサンでは人体を正確に描いていますが、完成した作品では、あえて胴体を伸ばして描いています。
左腕の袖をまくっているのもアングルを参考にしているのではないかと思います。スクリーンに映したアングル《ヴァルパンソンの浴女 》では左腕にシーツを巻き付けることで、右腕とのバランスをとっています。《赤いチョッキの少年》も同じですね。
ただ、《ヴァルパンソンの浴女 》のシーツは何のために巻き付けているのか不明な「謎のシーツ」です。肘から下をどう描いたらいいかわからないのでシーツをまいたのかもしれません。

◎ゴッホ《日没を背に種まく人》
スクリーンに映したのは歌川広重《名所江戸百景・亀戸梅家鋪》、ゴッホが油絵で模写したことで有名な絵です。《日没を背に種まく人》は、この絵の構図を取り入れています。

◎ピカソ《花とレモンのある静物》
これは1941年の制作で、ビュールレ・コレクションの中では一番新しい作品です。ピカソは第二次世界大戦中パリにとどまり、何枚も静物画を描いています。この作品は人間の五感を表したもので画面下に描かれた巻貝は「聴覚」の象徴です。巻貝を耳にあてると海の音が聞こえるといわれることから「聴覚」のシンボルとなっています。
日本人は風景や静物に「意味」を求めることはありませんが、ヨーロッパの画家は「意味」を持たない絵画を描くことができません。描いたものは、何かを象徴しているのです。

◎モネ《睡蓮の池、緑の反映》
本展は2階が入口になっています。その理由は、この作品が大きすぎて2階に持って行くことができないからです。最後に置く作品が1階にあるので入口が2階になりました。
マネはオランジュリー美術館に飾っている22枚の《睡蓮》の倍の数の作品を描いています。たくさん描いた作品の中から22枚を選んでオランジュリー美術館に展示しました。
オランジュリー美術館を飾らなかった《睡蓮》。そのうちの1枚がビュールレ・コレクションになりました。「モネ、それからの100年」のギャラリートークでも話したとおり《睡蓮》が注目されたのは第二次世界大戦後です。1番始めにモネのアトリエに残された《睡蓮》を購入したのは米国人のウォーター・プライスラー、ビュールレが購入したのは2番目です。先ず、2枚買ってチューリッヒ美術館に寄贈。もう1枚買って手元に残したのが本展の作品です。

<ギャラリートーク=展示室における解説>
講堂での解説は午後6時に終了。2階の展示室に移動して深谷副館長から主要作品の解説を聴いた後、各自、2階展示室の中を自由観覧することとなりました。
(つづく)

展覧会見てある記 「名古屋ボストン美術館 最終展 ハピネス」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋ボストン美術館の最終展「ハピネス ~明日の幸せを求めて」が開催されています。最終日は10月8日(祝)。展示は「明日の幸せを求めて」(英語表記は In Pursuit of Happiness)をテーマに5章で構成。馬場駿吉館長のコレクションと名古屋市博物館のコレクションの特別出品の外、3階ロビーにはシヴァ神のコスプレができるコーナーがあります。展示は4階から、概要は以下のとおりです。
◆第1章 愛から生まれる幸せ ~日常の情景から~
切り口は男女の愛、親子の愛、ペットとの愛から生まれる幸せ。ヒンドゥー教で最も人気のあるクリシュナが、いたずらをして恋人ラーダから懲らしめられる場面を描いた絵が面白かったですね。クリシュナの銅像もあります。外には、アダムとエヴァの銅版画、ミレーやルノワール、歌麿等が描いた母と子の姿の外、若い女性とペットの犬を描いた写真みたいな大画面の油絵など、古今東西の「愛から生まれる幸せ」が並びます。
◆第2章 日本美術にみる幸せ
目玉は、理想の高士像を描いた曾我蕭白の襖絵《琴棋書画図きんきしょがず》。解説によれば、展示作品は六曲一双の屏風として収蔵されてしたものを襖に復元したもの。襖を屏風にしたときに「棋」つまり囲碁を描いた襖の一面が失われたようです。外には、四季の遊び、舟遊び、お座敷遊びなど、江戸時代の日本美術が並びます。
◆第3章 ことほぎの美術
 切り口は「おめでたいもの」。見どころは糸で刺繍した豪華な打掛、振袖、袱紗。6点並ぶと壮観です。「壽」の文字や七福神の外、焼成していない鑑賞用の土器や貝殻、トルコ石、銀などを組み合わせたネックレスもあります。
特別展示は名古屋市博物館所蔵の宝船置物、花瓶、鐔、渡辺清《鯉図》(8/26まで、8/28からは白隠慧鶴《布袋図》)。見逃せないですよ。
◆第4章 アメリカ美術に見る幸せ
5階展示室では鞍を着けた豚が出迎えてくれます。第4章前半の「Ⅰ 幸せを彩った芸術 ~アメリカン・フォークアートの世界~」は素朴なアメリカ美術がテーマ。あまり可愛くないジョン・F・フランシス《3人のこども》などに加え、伝統的な手工業に携わる人々を撮影した記録写真も展示されています。
後半の「Ⅱ 東西の出会い ~心の平安を求めて~」は東洋美術と米国人の出会いがテーマ。米国人芸術家が描いた日本画や浮世絵風の油絵の外、踊るシヴァ神の銅像、仏壇のようなチベットの小祠、インドネシアの仏頭など東洋美術の展示があります。
◆第5章 アートの世界に包まれて ~現代における幸せの表現~
 ハートをかたどったジム・ダインの作品が11点も展示され、「小さなジム・ダイン展」になっています。特別展示は、河原温《百万年(過去・未来)》を始めとする馬場駿吉館長のコレクション。
◆最後に
 20年間続いた名古屋ボストン美術館の展覧会もこれが見納め。淋しくなりますね。
                            Ron.

泉屋博古館にて まずは講堂でレクチャを聴く会員たち 会長の乾杯の音頭に合わせて、いただきます! 「回生の苗床」 光内惟奈 燃やせないもの 夢見たものは 展示室で解説を受ける会員たち プティパレ まずはエントランスホールでの解説 2017_ジャコメッティ_1 富山県立美術館にて