お知らせ

2025年3月4日

2025年協力会イベント情報

現在、下記のイベントの申し込みを受け付けています。

1.珠玉の東京富士美術館コレクション 西洋絵画の400年展 会員向けギャラリートーク 名古屋市美術館 令和7年4月12日 午後5時より

参加希望の会員の方は、ファックスか電話でお申し込みください。ホームページからの申し込みも可能です。

参加の際は、感染症対策にご協力をお願い致します。体調の優れない場合は、参加をご遠慮ください。

最新の情報につきましては随時ホームページにアップしますので、ご確認ください。また、くれぐれも体調にはご留意ください。

これまでに制作された協力会オリジナルカレンダーのまとめページを作りました。右側サイドメニューの「オリジナルカレンダー」からご覧ください。

事務局

展覧会見てある記「コスチュームジュエリー」愛知県美術館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

現在、愛知県美術館(以下「県美」)で開催中の「コスチュームジュエリー シャネル、ディオール、スキャパレッリ 美の変革者たち 小瀧千佐子コレクションより」(以下「本展」)に行ってきました。アクセサリーの展示が中心なので、女性の来館者が多く、子どもの姿もありました。

 なお、作品リストはスマホでQRコードを読み取る方式です。紙のリストが欲しい方は、事前に本展の公式サイト(URL:コスチュームジュエリー 美の変革者たち シャネル、ディオール、スキャパレッリ 小瀧千佐子コレクションより (ctv.co.jp) )からダウンロードし、印刷しておくと良いでしょう。

◆第1章 ポール・ポワレとメゾン・グリポワ

★ポール・ポワレの作品

第1章の見どころは、何といっても、ポール・ポワレがデザインした夜会用マスク・ブレスレット《深海》(1919)です。写真ではよくわかりませんが、実物を見ると「マスクのモチーフは蛸だ」とわかります。目の隙間がとても細く「本当に前が見えるだろうか?」と心配になりました。作品のキャプションには「制作:マドレーヌ・パニゾン」と書かれています。

県美では他の会場と違い《深海》だけでなく、ポール・ポワレの《イヴニング・ドレス》(1933₋35年頃)や、デザイン画も併せて出品されています。ドレスやデザイン画も展示されているので、視野が広がった気がしますね。イヴニング・ドレスは、「ハーレムパンツの上から円錐状のスカートを着ている」という感じの奇抜なスタイルです。スカートの裾には輪が入っているので、きれいな円錐形のシルエットになりますが「歩きにくいのでは?」と心配になってしまいます。

なお、本展の出品作品は基本的に「撮影可能」ですが、ドレスやデザイン画は「撮影禁止」。ドレスの図版は、公式サイトでご覧ください。

★メゾン・グリポワの作品

第1章の解説によれば、メゾン・グリポワはポワレのコスチュームジュエリーの制作を担ったジュエリー工房のひとつ。後に、ガブリエル・シャネルやクリスチャン・ディオールのコスチュームジュエリーも制作しています。シャネルのために制作したものの中では、ブローチ“蜂”モチーフ(No.92:No.は作品番号、以下同じ)や“カエル”(No.93)が、ディオールのために制作したものの中では、ネックレス“葉と藤の花”モチーフ(No.131:写真)やイヤリング、ブローチ“すみれ”モチーフ(No.138)が目を引きました。いずれも、色ガラスや針金を使った、細かい細工の美しいものです。なかでも“蜂”や“カエル”は、とても小さくて可愛らしいと感じ、宝石や貴金属を使っていなくても、美しく着飾ることができるのだと思いました。

なお、第1章「ポール・ポワレとメゾン・グリポワ」は、県美独自の章立てです。他の会場では「美の変革者たち オートクチュールのコスチュームジュエリー」の中で《深海》を展示しています。

◆第2章 美の変革者たち

 第2章には本展の副題に書かれた「シャネル、ディオール、スキャパレッリ」が登場するので、先ずは、シャネルからご紹介します。

★シャネルの作品

本展に展示されている《デイ・スーツ》《カクテル・ドレス》は、いずれも1960年頃のものです。ジャクリーヌ・ケネディもアメリカ製のシャネル・スーツを愛用していましたね。ピンク色の花に緑の葉をあしらったネックレス“花”モチーフ(No.60:写真)は、メゾン・グリポワ制作ですが、第1章ではなく第2章に展示。首にかけた状態で展示しているので、身につけた時の感じが分かりやすいと感じました。葉の緑色が良いアクセントになっています。

★スキャパレッリの作品

 ポール・ポワレに才能を見出されたスキャパレッリの《ディナー・スーツ》(1935頃)は茶色のベルベット地で、襟とポケットに金色の飾りをつけた豪華なものです。黒い《イヴニング・ドレス》(1948)のキャプションには「デザイン:ユベール・ド・ジバンシィ」と書かれています。ひざ下から広がっている女性的なものでした。ジバンシイは、スキャパレッリに師事し、1952年に独立しています。映画「ティファニーで朝食を」でオードリー・ヘプバーンが着ていたブラックドレスは、彼のデザインでしたね。県美では、スキャパレッリだけでなく、ジバンシィのドレスも見ることが出来ました。

ネックレス“葉”(1937:写真)も首にかけた状態でクリップ“葉”モチーフと一緒に展示されていました。キャプションには「デザイン/制作:ジャン・クレモン)」と書かれています。金色の葉がキラキラ光り、とても豪華な雰囲気があります。

スキャパレッリのコーナーには、当時のファッション雑誌も展示されており、ダリの記事も載っていました。「一見の価値あり」です。

★ディオール、イヴ・サンローランの作品

 クリスチャン・ディオールの作品は、黒の《ディナー・ドレス》(1952)とグレーの《イヴニング・ドレス》(1953)。ディナー・ドレスは腰を強く絞っているので、着る時は大変だったでしょうね。イヴニング・ドレスは一昔前のバッスル・スタイルで、お尻にボリュームがあります。復古調のスタイルですが、第二次世界大戦後ということで受け入れられたのでしょうね。ディオールに才能を見出されたイヴ・サンローランの作品は《パンツ・スーツ》(1982)です。男性のファッションであるタキシードを女性向けにアレンジしたもの。時代の空気を先取りしたファッションだと思います。

ディオール向けに制作されたジュエリーで目を引いたのは、ネックレス・イヤリング(No.115:写真はネックレス)。素材はガラスと模造パールですが、とても上品なアクセサリーです。キャプションには「デザイン:ロジェ・ジャン=ピエール、制作:ミッチェル・マイヤー」と書かれていました。

◆第3章 躍進した様式美

第3章ではパルリエ(宝飾師。宝石やコスチュームジュエリーなどを制作する職人)別に作品を展示。目を引いたのは、リーン・ヴォートラン:ブローチ“花の精”(No.206)、コッポラ・エ・トッポ:チョーカー“花火”(No.216:写真)、ロジェ・ジャン=ピエール:ネックレス(252)、リナ・バレッティ:ネックレス(No.296)などです。

◆第4章 新世界のマスプロダクション

第4章は、アメリカのコスチュームジュエリーを展示。目を引いたのは、ミリアム・ハスケル:ペンダント・ネックレス(No.324)、ケネス・ジェイ・レーン:ネックレス“ジャッキー・オナシス スタイル”(No.407)などです。

◆最後に

昨年度は名古屋市美術館「マリーローランサンとモード」でファッションの展示がありましたが、今回は展示されるファッションの点数が多いので、更に楽しむことができます。

Ron.

「吉本作次 絵画の道行き」記念講演会と「吉本さんを囲む会」

カテゴリ:作家を囲む会 投稿者:editor

現在、名古屋市美術館で開催中の「吉本作次 絵画の道行き」(以下「本展」)関連催事として、4月21(日)午後2時から記念講演会「吉本作次―絵画論」が開催されました。また、同日午後5時からは、名古屋市美術館協力会の「吉本さんを囲む会」も開催されました。以下は、その概要です。

◆記念講演会「吉本作次―絵画論」 pm2:00~3:30

会場は名古屋市美術館2階の講堂。定員180人の会場は、「見た目では満席」という状態でした。

講演会を始めるにあたり、吉本作次さん(以下「吉本さん」)は「全部乗せで行く」と宣言。講演会は、宣言どおり「盛り沢山」で、あっという間に1時間半が過ぎてしまいました。吉本さんが「全部乗せ」と言うだけあって、とても情報量が多いので、項目を絞って内容をご紹介します。

★芸術って、必要ですか?

講演の冒頭、吉本さんは講演参加者に「芸術って、必要ですか?」という質問を投げかけました。

そして、吉本さんのお答えは、「飢えている子どもや災害のときに、アートは無力。先ず必要なものは、食べる物。日本の終戦後、ガード下に登場したのは食べ物の屋台」というものでした。

ただ、それだけでは終わらず「1949年には、読売美術展(後のアンデパンダン展)が開催された。“衣食足りて芸術を知る”」と話されました。「衣食足りた状態になって、ようやく人は芸術を求める」ということですね。

「“猫を飼うことって、必要ですか?”という質問は、“芸術って、必要ですか?”という質問に似ている。どちらも、個人の嗜好性に関するものだ」という吉本さんの言葉も、含蓄の深いものでした。

★芸術もAIに乗っ取られる?

生成AIが描いた絵画が話題になる時代になりましたが、吉本さんは「世界最速の男ウサイン・ボルトと言っても、競走すれば犬より遅い。将棋のAIソフトと対局すれば、人間が負ける時代。一定のルールの中で競うことで感動が生まれる。人と人の対決は無くならない」と話されました。生成AIが商業デザインの仕事に利用されるようになるとは思われますが、芸術家の役割は無くならないだろう、と少し安心しました。

★芸術は客観性だけでは測れない

吉本さんは、美の優劣は判断基準によって変わることを、セザンヌの名作を例に話されました。古典主義の絵画が全盛時代なら、セザンヌの良さは評価されない。芸術作品の鑑賞には「見るポイント」を持つことが必要、ということでした。

「千利休の茶器の“わび・さび”の価値は、主観の為せる技。美の価値は、客観性だけでは測れない」という言葉も、心に響きました。

★現代アートは“親殺し”、一代限りのもの

ダダイズムの作品で、既製品の便器に“泉”というタイトルをつけたものがありますが、吉本さんは「現代美術は“親殺し”、前の世代の否定。絶えず“アンチ”を出すことには限界が出てくる」と話します。この言葉には、衝撃を受けました。

★吉本さんが辿ってきた道

講演会の話題は、吉本さんの経歴に移っていき、吉本さんは以下のような話をされました。

高校生の時、月刊漫画誌『ガロ』に嵌(はま)り、受験勉強は真剣に取り組まなかったので、何校も受験したけれど合格したのは名古屋芸術大学だけ。若い頃は、キース・ヘリングやバスキアが流行しており、倉庫のようなギャラリーで作品が展示されている時代。巨大な作品用のキャンバスは、既製品では手に入らないので、麻布(あさぬの)を業者に縫ってもらい、それを板に貼りつけて作品を制作。作品が雑誌『BRUTUS』の目に留まり、特集号の表紙を飾った。当時は、桑名市の鋳物工場で作品を制作。油絵具ではなくアルキッド系のインクを使用。本展に出品している当時の作品は《中断された眠りⅠ》《中断された眠りⅡ》(いずれも1985)。《Bone》(1986)は油絵具で描いた。ニューヨークに渡り、メトロポリタン美術館のブリューゲルの作品に感動。透明色を塗り重ねる「グレージング」を知る。また、ジャスパー・ジョーンズやジョン・ケージのアトリエの近くのコテージで《Goodbye Tomato》(1986)を制作した。インスタレーションの制作を繰り返し、1989年にニューヨークで個展をやってもうれしくなかった。個展のお客は少なく、落ち込むばかりで「俺は何をやっているんだ?」と思った。

★「書の勉強」が転機となった

吉本さんは「NHK教育テレビで放送していた榊漠山“書の歴史講座”が転機となった」と語ります。

講座は甲骨文字から始まり、「削る」が書の原型だそうです。粘土に甲骨文字を削る時、最初に刃物を沈め、その後、浮かせるように使うとのこと。筆と墨を使って紙に文字を書くようになると、沈めたり浮かせたりを複数回行う「多節法」が生まれる。吉本さんは「これは、そのまま絵に使える」と思ったそうです。

吉本さんは「藤原佐理(注:ふじわら・すけまさ=小野道風・藤原行成と並ぶ三蹟(三跡とも言う)の一人。藤原行成は大河ドラマ「光る君へ」に登場しましたね)が好き」とのことで、褚遂良(注:ちょ・すいりょう=唐初期の書家。虞世南・欧陽詢と並ぶ初唐の三大家・楷書の完成者の一人)、黄庭堅(注:こう・ていけん=北宋の書家・詩人)、傅山(注:ふ・ざん=明末・清初の書家・画家。唐の顔真卿、晋の王羲之の書に取り組む)、倪元璐(注:げい・げんろ=明末の書家・官僚、書を王羲之、北宋の蘇軾に学ぶ)についても紹介されました。

★テンペラから油絵へ

「書」の続きは、油絵の起源についての話です。

吉本さんによれば「油絵はフランドルが起源」とのこと。それまでの絵は、絵の具を卵の黄身を混ぜ合わせて板に絵を描くテンペラが主流。イタリアのヴェネツィア派になると、カンヴァス(帆布)を使った大きな絵を油絵具で描くようになる。ティツィアーノは白(鉛白)でハイライトを描き、その上にグレージングで透明色を塗る。北方ルネサンスもヴェネツィア派と同じとのことです。

ダ・ヴィンチ、ラファエロからアングルまで、筆跡を消すスフマートが主流ですが、ルーベンスの作品には筆跡が残されています。ルーベンスの魅力は、筆跡のS字カープ。なお、日本人の描く線はS字ですが、西洋人はS字ではなく、“C”と“裏返しのC”の組み合わせ、という違いがある。

★線について

吉本さんは、レンブラント《解体された牛》(1655)の線について「激しいストローク(注:大きく腕を振るって筆を動かすような運動間のある行為)は、長谷川等伯《松林図屏風》(1568-1600)と共通する、と話します。また、ストロークの白眉は、マネ《フォリー・ベルジェ―ㇽのバー》(1882)のチョーカーの中のストローク。「線が似ている」と感じるのは、ヴェロッキオの作品の髪と《平治物語絵巻(三条殿焼討)》(13世紀後半)の炎、ダ・ヴィンチの髪と尾形光琳《紅白梅図屏風》(18世紀)。

また「線の良し悪しは漫画を読めばいい」と話し、上村一夫の作品を投影しました。

★遠近法について

講演会の最後は、各種の遠近法=「平行遠近法」「ジグザグ遠近法」「逆行き遠近法」と絵画の構図についてのお話と、「画家は60過ぎてから!」「打ち上げでは、宴会を開く」という話をされて、講演会は終了しました。

◆「吉本作次 絵画の道行き Ⅱ」KENJI TAKI GALLARY

記念講演会の終了後、協力会の「吉本さんを囲む会」の開始までは時間があったので他の会員と連れ立って、美術館の近所(中区栄三丁目20-25、本町通の東側)のケンジタキギャラリー(URL: ケンジタキギャラリー (kenjitaki.com))で開催中の「吉本作次 絵画の道行き Ⅱ」を見てきました。

◆吉本さんを囲む会

会場は名古屋市美術館1階のスギヤマコーヒー。最初にビールやシャンパン、日本酒、ソフトドリンクで乾杯。軽食を食べながら歓談を楽しみました。吉本さんから「講演会では顔真卿の話も予定していたが、時間の関係で割愛。残念だった」という話を聞きました。「顔真卿の書は建築的」と話され、好奇心が湧きましたね。最後に吉本さんとのQ&Aタイムもあり、「宴会好き」の吉本さんだけでなく、参加した皆さん方も満足されていました。

◆「吉本作次 絵画の道行き」のレビュー(Web記事のご紹介)

本展の概要については、「美術展ナビ2024.04.21」に記事(URL:【レビュー】特別展「吉本作次 絵画の道行き」 ~重厚長大な画面を経て、線がもたらす視覚的愉しみへ~ 名古屋市美術館 – 美術展ナビ (artexhibition.jp))が載っています。分かりやすい解説で、図版も入っているご紹介します。

◆補足(岡本太郎と北大路魯山人、顔真卿の書が親子三代にわたる関係をつなぐ)

吉本さんから「顔真卿」という名前を聞いて、数年前に読んだWeb記事(URLは下記のとおり)を思い出しました。岡本太郎の祖父・岡本竹次郎は、顔真卿の書を基本とする書道家で、「岡本可亭」と名乗っていました。北大路魯山人(本名:福田房次郎)は22歳の時、可亭に弟子入り。顔真卿に憧れ30代で「魯卿」40代で「魯山人」と名乗ります。魯山人は可亭の内弟子を2年で終えて独立。「福田鴨亭」と名乗り、書・篆刻(看板彫り)で生計を立てますが、岡本家との関係は、内弟子を終えた後も親子三代にわたって続いたとのことです。

出展:■北大路魯山人と岡本家の人びと | 政治・文化情報2017 (kousin242.sakura.ne.jp)

Ron.

春のツアー2023 長野・軽井沢(後編)

カテゴリ:アートツアー 投稿者:members

◆軽井沢千住博美術館『チキュウ・ウチュウノキセキ』

〇出発まで

 宿泊したコテージは中央に大きなテーブルがあったので、夜遅くまでカードゲームやおしゃべりを楽しむことができました。翌朝5:30にコテージから出て、スマホを見ると軽井沢の気温は15度。耳を澄ますと、薄い朝靄に包まれた青紅葉やメタセコイヤの間から、微かですが小鳥のさえずりが聞こえます。リゾート地に居ることを実感しました。ぶらぶら歩きをすると、テニスコートや結婚式場、ゴルフ場に囲まれていることがわかります。1時間ほど歩いて「これは道に迷ったかな?」と思った瞬間、同じコテージに泊まったツアー参加者から声をかけられ、一緒に朝食会場へと向かいました。ラッキーでしたね。朝食の開始は7:00。たっぷり1時間かけて朝食を済ませ、コテージに戻って荷物をまとめ、指定場所に再集合。バスは予定通り9:15に発車しました。

〇深谷さんの事前レク

深谷さんによれば、軽井沢千住博美術館の開館は2011年。建物を設計したのは金沢21世紀美術館を手掛けた西沢立衛(にしざわ りゅうえ)。樹々に囲まれるだけではなく、総ガラス張りの建物には4カ所のガラス張りの吹き抜けがあり、その中にも樹木があります。床は土地の起伏のままで、緩やかに傾斜しているとのことでした。

〇自由鑑賞

美術館には発車10分後には到着していましたが、開館時刻は9:30。開館時刻まで待機となりました。ツアー参加者以外で待機している人々の多くは外国人。うち半数はアジア系です。「ここは、観光スポットなのだ」と思いました。添乗員の石井さんから「20分おきに約7分間の映像作品が上映される」という情報が入り、ツアー参加者は「The Fall room」へ向かいました。そのため、定員20名の部屋はツアー参加者だけで満席(ただし、立ち見も可)となりました。「その後、10:00からの上映も見た」という参加者が多数いました。その他の展示は「waterfall」シリーズから始まり、初期のビルを描いたものから、Flatwaterシリーズや絵本「星降る夜に」の原画、浅間山を描いた2023年の作品まであります。

軽井沢千住博美術館前にて

入場券を見せれば「再入場可」なので、周辺の散策もできました。駐車場の横にはミュージアムショップとベーカリーカフェ浅野屋があるので、お土産を買い込んでいる参加者が多数いましたね。

◆軽井沢安東美術館『藤田嗣治 エコール・ド・パリの時代』

〇深谷さんの事前レク

深谷さんによれば、軽井沢安東美術館(以下「安東美術館」)は、投資ファンドの経営者である安東泰志氏(以下「安東氏」)の個人コレクションを展示する「藤田嗣治だけの美術館」として2022年10月に開館した美術館、とのこと。安藤氏は、安東美術館を開館する前は自宅の壁に多数の藤田作品を飾っており、安東美術館を開館するにあたっても「自宅のような美術館」をコンセプトにしており、作品は制作年代順にならべられ、展示室ごとに壁の色が違っているとのことでした。深谷さんは安東美術館の開館レセプションに招かれたそうで、来賓は小池百合子東京都知事を始め、長野県知事、文化庁長官など、錚々たる顔ぶれだったとのことです。

〇自由鑑賞

安東美術館は、前日に見学した軽井沢ニューミュージアムの少し東に建っていました。安東美術館に駐車場は無いので、バスは町営駐車場に駐車。北に向かって歩くと道路を隔てて西に軽井沢大賀ホール(注)がありました。

(注)ソニー名誉会長で声楽家でもある大賀典雄が寄贈した16億円の資金等によって建設され、2005年4月29日に開館。詳細は、軽井沢大賀ホール – Wikipediaを検索してください。

軽井沢安東美術館前にて

安東美術館に着くと、館長の水野昌美さん(以下「水野さん」)がツアー参加者を出迎えてくださっただけでなく、館内を案内してくださいました。これも、深谷さんが同行して下さったおかげです。展示は2階の展示室2(壁は濃緑)「渡仏―スタイルの模索から乳白色の下地へ」から始まります。《二人の少女》(1918)は、安東美術館の入口でもらったチラシの表(おもて)面に使われている作品。深谷さんによれば「向かって右の少女は、モディリアーニ《おさげ髪の少女》(1918)と共通点がある」とのことでした。《壺を持つ女性》(1920)を見て、「ピカソの作品の影響があるかも」と指摘する参加者もいました。1920年代初期の藤田嗣治はモディリアーニやピカソとの交流があったので、影響も受けたのでしょうね。《カーニュ、シェロンへの手紙》(1918)について、水野さんは「画面左で洗濯物を干しているのは妻のフェルナンド、部屋の中で絵を描いているのが藤田嗣治。画面右で脚を投げ出しているのはモディリアーニ」と解説してくださいました。当時の写真も多数展示されており、「藤田嗣治と写真をテーマにした展覧会を計画中」という話も聞こえてきました。

展示室3(壁は黄色)のテーマは「旅する画家―中南米、日本、ニューヨーク」。《メキシコの男》(1933)は、中南米を旅しているときの作品。また、水野さんは《犬と遊ぶ子どもたち》(1924)について「絹本に描いていますが、使っているのは油絵具」と解説。日本画のような雰囲気がありました。リトグラフの《夢》(1957)を見て、「この作品、どこかで見たことがある」とツアー参加者が思わず声を出すと、深谷さんが「名古屋市美術館の所蔵作品を版画にしたのですから、似ているのは当然です」とフォロー。

ギャラリートークの様子

展示室4(壁は濃紺)のテーマは「ふたたびパリへ―信仰への道」。細長い部屋の突き当りに《金地の聖母》(1960)がありました。金地の背景に描かれた十字と円を組合せた装飾模様は、日本の紋所を想起させました。1952年制作のガラス絵《除悪魔 精進行》からは、藤田嗣治の叫びが聞こえてくるようです。

展示室5(壁は臙脂)のテーマは「少女と猫の世界」。水野さんによれば「他の展示室との違いはキャプションもスポットライトも無いこと。その理由は、安東家のリビングを再現した部屋というコンセプトに従ったため」とのことでした。安東美術館から撮影許可が出たので《猫の教室》(1949)の前でツアーの記念写真を撮影しました。

展示室にて

最後は、「特別展示室」と「屋根裏展示室」。特別展示室では、オッフェンバックの詩集のための挿絵『エロスの愉しみ』よりを展示。屋根裏展示室では藤田嗣治が1930年に制作したテーブルなどを展示しており、寄木細工のテーブルに描かれた封筒やペン、トランプなどは、絵具で描いたのではなく、木を薄く削って貼り付けたものでした。藤田嗣治は手先が器用で、職人としても一流だったのだな、と感心した次第です。

展示風景

〇安東美術館からのサービスとプレゼント

安東美術館の入場券に印刷されたQRコードを1階の「Salon Le Damier」の入口にある機械にかざすと、フリードリンクが飲めます。飲み物は、紅茶、コーヒー、チョコレートドリンクの3種でした。

安東美術館の見学が終わった時、ツアー参加者全員に「猫のシール」のサプライズ・プレゼントがありました。水野さん、お気遣い、ありがとうございました。

◆昼食

昼食の会場は、北佐久郡軽井沢町長倉のホテル「そよかぜ」に併設の「ビストロプロヴァンス軽井沢」。安東美術館からは西に向かってバスで30分ほどの距離。山道に入ると、ヘルメットをかぶって自転車で山道を登る人の姿を多く見かけました。「傾斜が急な山道を自転車で登るのは並みの筋肉では無理」と思いましたが、ツアー参加者のMさんは「筋肉は貯金できない。一度自転車で山登りをする快感を味わうと、走る習慣を止めることはできないの」と解説してくれました。料理は、フレンチ。たっぷり1時間かけて腹ごしらえが出来ました。

◆復路でも中央道リニューアル工事の影響を受け、予定を1時間ほど超過

中央道リニューアル工事に伴う渋滞はありましたが、ツアー参加者は全員無事に帰還できました。ツアーを企画したMさん、同行の深谷さん、道中適切に状況を判断して、最小限の遅れにとどめてくださった、添乗員さんと運転手さん始め、今回のツアーに参加された皆さま方全員に感謝します。ありがとうございました。

最後になりますが、ツアー終了の翌日から、台風の影響で雨が続いています。晴れ女・晴れ男が誰だったのか、私には分かりませんが「我こそは、晴れ女・晴れ男だ」と思っている皆様方、今後とも、よろしくお願い申し上げます。

Ron.

春のツアー2023 長野・軽井沢(前編)

カテゴリ:アートツアー 投稿者:members

実に6年ぶりに一泊の美術館見学ツアーが開催されたので、その概要を報告します。前回の一泊ツアーの目的地は九州(太宰府・佐賀・福岡)でしたが、今回は長野・軽井沢です。

目的地が遠いので、集合は午前7時30分。集合場所の「JR名古屋駅西側 太閤通口広場(旧:ゆりの噴水前)」(噴水撤去により、2023年2月から名称変更)は、待ち合わせの団体客で大混雑。コロナ禍前よりも人出が多い感じです。

◆往路中央道のリニューアル工事の影響で目的地到着は35分遅れ

 名古屋駅を出発後、最初の休憩・恵那峡SA(岐阜県恵那市)までは極めて順調でしたが、次の梓川SA(長野県安曇野市)に到着するまでに2回の渋滞(中津川IC~飯田山本IC間と岡谷IC~岡谷JCT間)に遭遇し、食事会場の宿坊(長野市)に到着した時は、予定を35分超過の12時35分でした。

〇沈みがちな気持ちを吹き飛ばした車窓の「残雪」

ようやく渋滞を脱した時には予定時間の大幅超過は確定的で、車内の空気は沈んでいました。ところが、車窓から山の頂に白いものが見えると、車内に活気が出ました。「あれは残雪だ」という声が上がる一方「5月末まで雪が残っているの?」という声もあります。「あれは、北アルプスの乗鞍。山岳部の時によく登ったよ」という声で、「白いものが残雪」と分かった瞬間に沈む空気は吹き飛んでしまいました。安曇野を走っているとういうだけで、ウキウキしましたね。まだ、山をひとつ越えなければなりませんが、「姥捨」「川中島」という文字を見ると、「もうすぐ善光寺だ」という気持ちになり、渋滞を抜けるまでの嫌な思い出は消えていました。

◆昼食:信州善光寺 兄部坊(このこんぼう)の精進料理

昼食は、善光寺の宿坊・兄部坊(このこんぼう)の精進料理でした。二階の広間に案内されると二つ重ねの御膳の上に、料理が並んでいます。広間は畳敷きですが椅子が置かれているので、楽に座れます。御膳の料理は「生姜ご飯と信州みその味噌汁、手打ちそば、丸茄子の西京焼き、うなぎ湯葉、ゴマ豆腐、ジャガイモの酢の物、牛蒡と昆布の佃煮、香の物、デザート」と紹介されました。法要以外で精進料理を食べる機会はあまりないので、ツアー参加者は、料理をひとつひとつ眺め、味を楽しみながら完食。うなぎ湯葉は湯葉と海苔でうなぎの蒲焼のように見せたもので、生姜ご飯には生姜と油揚げが入っています。生姜ご飯がおいしかったので、お代わりをしてしまいました。

◆長野県立美術館

〇深谷さんの事前レク

今回は、名古屋市美術館の深谷克典参与(以下「深谷さん」)が休日を利用して「個人の立場」でツアーに同行してくださいました。バスが出発し、高速道路を走行するようになったところで、深谷さんによる長野県立美術館の事前レクが始まりました。深谷さんによれば、長野県立美術館の前身は「長野県信濃美術館」。1966年に開館し、1990年には谷口吉生の設計による「東山魁夷館」を併設。その後、施設の老朽化などのため2017年に休館。本館改築、東山魁夷館改修後の2021年4月に「長野県立美術館」としてリニューアルオープン。改築後の本館を設計したのは宮崎浩だが、谷口吉生が設計した東山魁夷館と調和するものになっている。長野県立美術館に行ったら、建物の美しさを見て欲しい、とのことでした。

深谷さんは谷口吉生設計の「豊田市美術館」が一番好きな美術館だったが、同じく谷口吉生の設計による「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」(1991年開館)を見た後は、「こっちの方が一番」に変わったそうです。また、1時間の鑑賞時間では「生誕150年 池上秀畝」まで見るのは難しいかもしれないけれど、東山魁夷館はぜひ見ておく価値がある」とのアドバイスもありました。

〇自由鑑賞

昼食会場・兄部坊からの移動は徒歩。兄部坊を出て右折、参道を進んで山門をくぐり、右折して前進すると、目の前に長野県立美術館の建物が見えてきました。本館と東山魁夷館は、通路で繋がっています。「間もなく霧の彫刻が始まる」というので、参加者一同、本館と東山魁夷館を繋ぐ通路の下にある池の周りや、連絡通路の中で「霧の彫刻」の開始を待っていると、池の周囲から細かな霧(ミスト)が噴出します。風に吹かれ様々に形を変えるミストと周りの風景や観客の姿が融け合う「その時限りの情景」を、暫しの間楽しむことができました。

中谷芙二子 《霧の彫刻 #47610》

東山魁夷館は二階建て。連作「白い馬の見える風景」の起点となった代表作《緑響く》(1982)等のヨーロッパの風景や、唐招提寺御影堂障壁画の準備作や京都・奈良の風景などが展示されていました。

本館で信州出身の作家の作品を見ていたら、深谷さんの「屋上広場『風テラス』を見逃さないように」というアドバイスが伝わり、急いで3階に移動しました。3階のカフェから屋上広場に出ると、西に善光寺の屋根が見え、実に良い眺めです。屋上広場に集まったツアー参加者は、北西の方角を指して「戸隠山は、天の岩戸を隠したという伝説があるけれど、隠すような場所はあるの? どうやって運んだの?」と、話していました。話し合ったところで埒が開かないので、スマホで調べることとなり、「戸隠神社の歴史」に「弟のあまりの乱行に天照大神は、岩戸にお隠れになり、世の中は真っ暗になり、大混乱になりました。(略)歌や踊りの賑わいを不思議に思い天照大神が少し戸をお開きしたところで、手力雄命(たぢからおのみこと)が岩戸を押し開き、大神をお迎えしました。その岩戸が下界に落ちて戸隠山になったという伝説もあります」という記述を見つけました。つまり、高天原から岩戸が落ちて戸隠山になった、と言うことのようです。

以上の時点で「残り10分」。「生誕150年 池上秀畝」は駆け足で見てまわることになりました。わずかな時間でしたが、長野県出身で、鋭い観察眼と描写力で、とても細かい所まで精緻に描いた画家だったということは理解できました。詳細は、生誕150年池上秀畝 高精細画人 | 展覧会 | 長野県立美術館 (art.museum) を検索してください。

◆長野から軽井沢まで

昔、鉄道で長野から清里まで行ったことはありますが、軽井沢は初めて。高速道路を使っても2時間近くかかる行程でした。車窓からは山に挟まれた盆地(上田盆地、佐久盆地)が続きます。軽井沢に近付くと、上部が吹き飛んで平らになった、とても大きな山が見えます。調べると「浅間山」でした。Wikipediaには「十万年前から周辺では火山活動が活発であり、浅間山は烏帽子岳などの3つの火山体とあわせて、浅間連峰もしくは浅間烏帽子火山群と総称される」と書いてありました。同じくWikipediaによれば、有名なのは「1783年8月5日(天明3年7月8日) 天明大噴火 」とのことです。バスからは「鬼押出し」という文字も見えます。「鬼押出し」は、浅間山の北に広がる溶岩流のことを指すようです。

◆軽井沢ニューアートミュージアム

〇深谷さんの事前レク

深谷さんが長野から軽井沢に向かうバスの中で話された内容によれば、2012年4月に開館。1階は無料エリア、2階は有料エリア。オーナーの白石さんは画廊を経営。アジアに5つのギャラリーを持ち、作家の紹介に力を入れているとのことでした。

ミュージアム外観

〇自由鑑賞

美術館は軽井沢駅から北に延びる通りの東側に建つ、真っ白な柱と全面ガラスの壁で構成された2階建てのおしゃれな建物でした。エントランス正面の階段を上って左側の部屋が第1展示室、テーマは「地球」。入口から見て右側と左側の壁に映像作品(上映時間は、いずれも10分)が投影されています。どちらも夕方の空で、右が東の空、作品名は《地球影:earth shadow》(2024)。左が西の空で《トワイライト:Twilight》(2024)。作家はどちらも萩原睦です。いずれの作品も方角は美術館が建っている所の方角と一致。美術館学芸員の石川さんの解説によれば、《地球影》の地平線付近の空の紫色は沈みゆく太陽の光を地球が遮った影、とのこと。山や建物に遮られることなく、地平線が見通せる場所でないと観察できないようですが、初めて知りました。NASAの衛星写真を利用した地球儀や段ボール製のドーム模型なども展示していました。

ギャラリートークの様子

第2展示室のテーマは「風景」。自然を描いた風景画を展示生態ました。第1展示室に戻ってから廊下を挟んだ向こう側が第3展示室で、テーマは「山水(もう一つの風景)。日本画や盆石などを展示しています。第4展示室のテーマは「環境(ランドアート)」。1976年から78年にかけてクリスト&ジャンヌ=クロードが、地元の反対派と交渉しながら陸地から海までの広い土地に数多くの柱を立てて、布を張るというインスタレーションを完成するまでを記録した57分の映像《THE RUNNING FENCE》(1976-78)を始め、自然や環境を表現する作品を展示。次の第5展示室で目を引くのは中西夏之《G/Z to May Ⅳ》(1992)。「新美の巨人たち」で紹介された、座面がプラスチック製の「イームズチェア」なども展示。最後の第6展示室では、AIを使って動くシーラカンスを再現したデイジーの《ancient aquarium》(2019)を上映。美術館のスタッフからは「AIが自動的に新しい動画を作るため、同じ動画が繰り返されることは無い」との解説がありました。

入口に佇む《ボブロ》ロナルド・ヴェンチューラ、2018年、317.5×165.1×137.2cm
1Fサロン「田中一平展」の展示風景

Ron.

吉本作次さんを囲む会

カテゴリ:作家を囲む会 投稿者:editor

令和6年4月21日、名古屋市美術館協力会は、現在名古屋市美術館にて開催されています展覧会の作家である吉本作次さんを美術館のカフェにお迎えして、作家を囲む会を開催しました。

吉本さんは、彼の作品の中でもしばしば酒盛りの様子が描かれているのですが、大のお酒好きとお聞きしました。そこで、お酒とお料理を用意しますとお誘いしたところ、出席を快諾してくださいました。

吉本さんは酒盛り中もいたくご機嫌で、参加した会員たちとにこやかに食事とお酒を楽しまれ、思い出に残る会となりました。お酒、お強そう。お飲みになってもあまり顔色も変わりません。

吉本さん、ほんとうにありがとうございました。

吉本作次展 絵画の道行き ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館では、4月6日より、1980年代以降の日本の現代美術を代表する作家である吉本作次さんの展覧会「絵画の道行き」が開催されています。4月13日土曜日は、この展覧会の協力会会員限定のギャラリートークが、閉館後の美術館にて開催されました。

今回の展示作品数は多く、初期の荒々しい力強さの目立つ作風から、次第に彼独特のかわいらしい人々の登場する作風に変貌していく過程が展覧会を通して見て取れます。

展覧会の担当学芸員の清家さんの解説を聞きながら、会員たちも作品を1つ1つ興味深そうに鑑賞しました。展覧会は6月9日日曜日まで、開催されます。

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