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事務局
2016年
11月25日

名古屋市美術館で開催中の「マヌエル・アルバレス・ブラボ写真展」(以下「本展」)のギャラリー・トークに参加しました。参加者は44名と、写真展にしては多め。2階講堂に集合した後、1階展示室へ移動。山田学芸課長(以下「山田さん」)のトークが始まりました。
◆本展について
山田さんによれば「本展は国内初の本格的かつ最大規模の回顧展、と言いたいのですが、20年前に清里フォトアートミュージアムでブラボ展が開催されているので、残念ながら2回目の回顧展。しかし、192点という規模は国内最大。世界でも4番目。展示は年代別の4部構成。写真の並びは、ほぼ撮影年代順だがテーマによっては時代的に前後するものもある。」とのこと。
◆ブラボの魅力
ギャラリー・トークの冒頭、参加者はブラボの言葉(下記の通り)を記したパネルの前に集合。
私にとって写真とは、見る技法です。ほぼそれに尽きるといえます。
見えるものを撮り、絵画と違って、ほとんど改変もしない。
こうした姿勢でいると、写真家は予期せぬものを、実に上手に活かせるのです。 1970.4.4
この言葉について、山田さんは「ブラボの写真は、基本的に見えるものをそのまま撮ったストレート写真。刺激的なものは無く、どれも一歩引いて撮った静かな写真。しかし、被写体の周りのものも含めて撮っているので、新しい発見ができる。それがブラボの魅力。」と解説。
当日は盛りだくさんの内容だったので、以下は、その一部を抜粋して紹介します。
■第1部:革命後のメキシコ―1920-30年代
◆第1章:モダニズムへ
1920年代のブラボは、006《カボチャとカタツムリ》(数字はカタログ番号。以下同じ)や007《小便をする子供》のように、造形の面白さに着目して写真を撮っている。基本はストレート写真だけれど、写真にすると現実とは違ってしまう。それが、この写真の魅力。
◆第2章:ざわめく街の一隅で
022《理髪師》、パッと見は「道端で何かやってるな」という印象しかない。しかし、よく見ると町の床屋だと分かる。その発見が、この写真の面白さ。ブラボが撮った街角の写真はフランスの写真家アジェの影響を受けているが、違いもある。アジェの被写体はカメラ目線で大きく写っているが、ブラボの被写体は小さい。撮られていると気づかれないうちにサッと撮っている。
ブラボは街中の看板も好んで撮影。027《二組の脚》は、タイトルどおり男女の脚だけが描かれた壁面の写真。「何だろう」と思って見ると、上にライトが二つ。看板から、店は電気設備屋であり、夜には二組の脚にスポットライトが当たると分かる。照明された脚も想像させる写真。
■第2部:写真家の眼―1930-40年代
◆第1章:見えるもの/見えないもの
044《鳥を見る少女》の少女は上の方を見ている。しかし、この写真を見ている我々に、少女が見ているはずの鳥は見えない。写っていないものを想像したくなる写真。049《舞踊家たちの娘》や059《夢想》も、被写体がカメラ目線ではないので、いろいろなことを想像してしまう。
◆第2章:生と死のあいだ
メキシコは死が生と近い国。日本と違い、死を隠そうとしない。11月1日~2日が「死者の日」、日本のお盆に近い位置づけだが、お盆と違い明るく楽しく祝う。062《死者の日》の少女が持っているのは、砂糖菓子の髑髏。065《梯子の中の梯子》の画面右上は、看板がわりの子供用棺桶。建物の中には、天井まで棺桶が積まれ、梯子のように見える。071《人々の魂》は、新しいお墓を撮ったもの。一番左のロウソクには、まだ火がついており、さっきまで墓参りをしていたことがわかる。
◆第3章:時代の肖像
この章の展示は、雑誌“Mexican Folkways”のために、仕事として撮ったポートレート。093《セルゲイ・エイゼンシュテイン》は、ソ連の映画監督。メキシコに来て、監督、助監督、カメラマンの3人で「メキシコ万歳」を撮影したものの、完成することなく帰国。

熱心に話を聴く会員たち

最後まで熱く語ってくださった山田学芸課長さん、ありがとうございました!
2016年
11月8日
先日、名古屋市美術館(以下「市美」といいます)「アルバレス・ブラボ写真展」(以下「本展」)に行ったところ、知り合いの協力会員が何人もいたので一緒に見て回りました。本展担当の山田学芸課長(以下「山田さん」)の話では、「マヌエル・アルバレス・ブラボ(以下「ブラボ」)は100歳まで(1902-2002)生きたメキシコの写真家。本展は192点のモノクロプリントと多数の資料で70年間に及ぶ彼の足跡を辿る、日本では最大、世界でも4番目の規模の回顧展」とのこと。
「静かなる光と時」という副題のとおり、市美の常設展でおなじみの《カボチャとカタツムリ》や《小便をする子供》など、静かな写真が並んでいます。どれも、ブラボの遺族が運営するマヌエル・アルバレス・ブラボ・アーカイヴからの出品。保存状態がよく、白と黒の諧調が美しい写真ばかりです。また、タイトルが文学的で頭脳を刺激するため、一緒に見て回った協力会員と写真を巡る会話が弾み、楽しい時間を過ごすことできました。お勧めの展覧会です。
展示は全4部・9章の構成。以下に、その時の会話を集めてみました。
第1部 革命後のメキシコ ― 1920-30年代
◆第1章 モダニズムへ
《砂と松の苗木 : Arena y pinitos 》(スペイン語は、原題。以下、同じ)
「ぱっと見は、貧相な《三保の松原から望む富士》。葉っぱがブレて写ってるから、タイトルは《風に吹かれて : Blowin’ in The Wind 》でもいいかな。」
「画面左に写ってるものを見れば『風景写真じゃない』と分かる。工事現場の砂の前に苗木を並べて撮ったみたい。それにしても、近寄って撮ると、何でも別物に見えるのね。」
◆第2章 ざわめく街の一隅で
《目の寓話 : Parábola óptica 》
「何か変だな、と思って文字を見ると裏返し。まさかとは思うけど間違って裏焼きしたの?」「シュールな感じを出すために、わざと裏焼きしたのかもしれませんね。どっちだろ?」
「あの…、第2章の解説に『裏焼きのバージョンを発表したら作品の魅力はいっそう高まり、《目の寓話》は作家の代表作となりました』と、書いてありましたよ。」
◆第2部 写真家の眼 ― 1930-40年代
◆第1章 見えるもの/見えないもの
《舞踊家たちの娘 : La hija de los danzantes 》
「《舞踊家たちの娘》という日本語、何かしっくりこない。普段、こんな言い方する?」
「女の子の姿を見ると、舞踊団の踊り子みたいよ。スペイン語なら原題のままでいいと思うけど、タイトルは《舞踊団の少女》のほうが日本語らしいかな。それにしても、この子は何を覗いてるの?そっちのほうが興味深いわね。」
《夢想 : El ensueño 》
「この写真、わたし大好き。女の子がかわいい。絵ハガキを買うなら、これかな。」
◆第2章 生と死のあいだ
《眠れる名声 : La buena fama durmiendo 》
「不思議なものは、何ひとつ写ってないけど、見れば見るほど不思議な写真ですね。」
「そうですよね。まず、身に着けているのが包帯だけというのが不自然ですよ。それも、手首、足首と腰の周りだけ。体の脇にサボテンが転がってるのも、変。明らかにヤラセというか、謎めいた演出写真ですね。」
「《眠れる名声》というタイトルも、文学的すぎて、よくわからない。『眠れる』はわかるけど、『名声』て、何。buena famaを直訳すると『美しい名声』だけど。」
「服部嵐雪の『蒲団着て 寝たる姿や 東山』という俳句はどう?モデルの足を比叡山に見立てると、東山三十六峰。でも、ブラボが嵐雪を知っていたとは思えない、この案、取り下げ。」
「それと、何でこの写真が第2章『生と死のあいだ』に展示されているの?敷物の上で仰向けになっている女性が眠っているようにも、死んでいるようにも見えるということ?」
◆第3章 時代の肖像
《フリーダ・カーロ : Frida Kahlo 》
「フリーダ・カーロの自画像にそっくり。やっぱり、こんな顔をしていたんですね。」
「当たり前でしょ、生写真なんだから。それにしても目のあたり、迫力がありますね。」
第3部 原野へ/路上へ ― 1940-50年代
◆第2章 路上の小さなドラマ
《ちょっと陽気に優雅に : Un poco alegre y graciosa 》
「この写真のタイトルも、よくわからない。何が『陽気に優雅に』なの?」
「右上に写ってる女の子の動きじゃないの。graciosaを辞書で引くと、“茶目っ気がある”とか“かわいい”とかの訳が書いてある。踊りのステップを可愛く踏んでるみたいですよ。」
「それなら、右下に写ってる草や左上の、コンクリートに直接広げたシュミーズは、何?」
「草を干してるのかな。シュミーズは、たぶん洗濯物。コンクリートに広げると早く乾く。」
「干すのじゃなく、これから燃やすのかも。それと、下着を干すならロープに吊るすでしょ。」
「草が入っている皿の支えは木製。草を燃やしたら、支えも焦げちゃうよ。」
「山田さんに『皿の上の草は、なあに?』と聞いたら、答えは『知りません』でしたよ。」
「ブラボに同じことを聞いても、『知らない』という答えが返ってきたかもね。」
第4部 静かなる光と時
◆第2章 写真家の庭
《オクタビオ・パス : Octavio Paz 》
「この人知ってる!ノーベル文学賞を受賞した人でしょ。でも、何でブラボの庭に居るの?」
「説明を読むと、ブラボの写真と自分の詩を組み合わせた本を出版したそうよ。」
※ など、いろいろな会話がありましたが、このあたりで失礼いたします。
◆市美の常設展も
地下の常設展示室にも、特集「マヌエル・アルバレス・ブラボと同時代のメキシコの作家たち」の展示があります。ブラボの写真はもちろん、彼の師にあたるティナ・モドッティや同時代の写真家の作品があって、興味深い展示でした。
「郷土の美術」も写真の特集です。こちらは風景写真というよりも、水墨画のように見える作品ばかりで、とても面白かったです。
◆最後に
今月20日(日)の午後2時から、山田さんの作品解説会、同日午後5時からは協力会会員向けに山田さんのギャラリートークが開催されます。楽しみですね。
2016年
10月12日
「あいちトリエンナーレ2016」名古屋市美術館会場の出品作家、佐藤克久さんを招いた「作家を囲む会」が10月9日(日)午後5時10分から、名古屋市美術館1階 ”Sugiura Coffee” で開催されました。当日のゲストは佐藤さんの外、作家の森北伸さん(県芸文センターB2、名駅 JPタワー名古屋2F貫通通路に出品)、アーキテクトの栗本さん、市美の山田学芸課長の4名。協力会の会員は18名。和気あいあいのうちに「囲む会」は終了。ゲストの皆様、会員からの様々な質問に対し気軽に受け答えをいただき誠にありがとうございました。以下、その一部を紹介させていただきます。

◆「題名が先か」「作品が先か」
歓談の途中、市美の山田さんからクイズが出題されました。「佐藤さんの創作スタイルは、①題名を決めてから作品を創る、②作品が出来てから題名を考える、のどっちでしょう。」という問題。挙手は①7名、②11名。佐藤さんの答えは「状況による。どっちもありだけど、②の方が多いかな。」でした。ならば、選択肢にない「両方」が正解?それとも、②が11①が7なので「会員全体で正解」?

山田さんのクイズに考え込む参加者たち

ごちそうを前に話が弾む会員たち

2016年
8月23日
「あいちトリエンナーレ2016」の名古屋市美術館協力会員向けギャラリートークに参加しました。先ず、2階講堂で山田学芸課長(以下「山田さん」といいます。)のレクチャー、その後に展示室に移動してのギャラリートークでした。参加者は38名。今回は、下記のように「徒然草」52段の教訓「少しのことにも先達はあらまほしき事なり」を実感いたしました。
Ⅰ 講堂でのレクチャー
◆あいちトリエンナーレ2016のテーマは?
レクチャーは「虹のキャラバンサライ 創造する人間の旅」というテーマの解説からスタート。チラシでテーマを見て「虹色の作品があるのか」と思ったのですが、実は深い意味がありました。山田さんによれば「キャラバンサライとは、砂漠を行く隊商の宿。宿と訳すが、巨大な城砦のようなもの。また、虹は多様性を表し、創造する人間は芸術家。テーマの前半と後半を合わせると、世界中から芸術家を集めて、あいちトリエンナーレで展示するという趣旨になる。作家はざっと30か国から参加。名古屋市美術館では7か国、11作家の作品を展示。」とのことでした。
Ⅱ 展示室にて
ギャラリートークに参加する前に名古屋市美術館の展示作品は一通り見たのですが、下記の通り「仁和寺にある法師」と同様、「え、そうだったの」ということがいくつもありました。

入口を陣取る岡部さんの力強い作品
◆ジョヴァンニ・アンセルモ《星々が1スパン近づくところ》
この作品、ギャラリートークの前に見たはずなのですが、山田さんの解説を聞いて初めて作品があることに気づきました。吹き抜けの上からこちらを見下ろしている人が何人もいた、ということは覚えているのですが、足元の作品はすっかり記憶から抜け落ちていました。
山田さんによれば「作家は、主に質素な素材に文字を刻んだ作品を制作。今回の作品は花崗岩で6つのブロックを制作し、文字を刻んだもの。作家の指示で、6つのブロックを吹き抜けの真下に、南北方向に並べて展示した。ブロックに刻まれた字はイタリア語で、訳すと《星々が1スパン近づくところ》になる。スパンとは古代ギリシアの長さの単位で、手の平を広げたときの親指の先から小指の先までの距離。この作品はブロックの厚さが25センチで、ブロックの上に立つとこの厚み分だけ星が近づく。「作品に触れないで下さい」という注意書きがあるので、作品の上に立つことはできないが、立ったと想像して宇宙の大きさを感じて欲しい。」とのことでした。
今回の展示では、企画展示室1は仕切りが全く無いというだけでなく、吹き抜けの周りの壁も撤去され、天窓からは自然光が降り注ぐようになっており、とても開放感のある空間となっているため、「原っぱの中に立っている」ような気持で作品を鑑賞することが出来ました。
◆頼 志盛(ライ・ヅーシャン)《境界 愛知》
これは、地下の企画展示室3の空間すべてを使った作品で、ベニヤ板、軽量鉄骨の切れ端やペンキの空き缶などが散乱した床を白い壁が取り囲み、その壁に地上1メートルくらいの高さの狭い通路が取り付けられているというものです。ギャラリートークの前に見たときは、親子連れがその狭い通路を蟹の横這いのように歩いていたのが楽しそうで、その後に着いて歩きました。小学校の遊具みたいだな、という印象でした。
山田さんによれば「英語の題名は《Border_Aichi》。Borderは境界というよりもフチ(縁)と訳したほうが英語の題名に近いと思う。床に散らばっているのは、この作品の壁や縁を作るのに使った建築資材。作品完成後、廃材となった中から、作家が一つひとつ選んで来て、床に並べたもの。リヨンでは120センチメートルの高さに縁を付けたが、名古屋市美術館では1メートルの高さ。何故か?それは、建築基準法の規定では、高さ1メートルを超える通路には手すりを設置しなければならないから。この作品で手すりを付けたら、全く意味ないよね。」とのこと。
「参加型の作品」というので、ギャラリートーク参加者は自己責任で縁に上って行きました。上る人数が増えるに従い「40人近く上っても大丈夫か。縁が壊れることはないか。」と、皆が不安になりましたが、「縁は軽量鉄骨で出来ています。作品の壁と展示室の壁面との間には50センチメートルくらいの隙間があって、壁の向こうでしっかり支えているので、縁が落ちることはないです。」と、山田さんが言ってくれて、参加者一同、ほっとした次第です。この時、事務局の中村さんが縁に上がっている参加者の写真を撮影してくれました。

縁に立つ参加者たちーなかなか良い眺め

床は宝物でいっぱい(!?)
2016年
6月15日

講堂にて、総会風景

発言する役員


1連の裸婦像を前に
2016年
5月10日
「生誕130年記念 藤田嗣治展 ―東と西を結ぶ絵画―」の記念講演会に行ってきました。チラシの表示は「先着順 定員180名 午後1時30分開場」。午後0時30分に名古屋市美術館2階講堂に行くと、待っている人は一人。展覧会を見てから並ぶことにして、午後1時に行列の最後尾へ。午後1時30分の開場と同時に入場券が配布され、私の入場券番号は「26」。開場時刻には長い行列が出来ており、直ちに満席となりました。以下は後援会の概要です。
◆後援会のテーマ、深谷副館長の解説など
講堂正面のスクリーンには「FOUJITA AND REIMS by Catherine Delot Chief Curator Director of the Museum des Beaux–Arts of Reims」の文字。
午後2時に深谷副館長が登場して解説。解説は、以下のような内容でした。
「本展は、ランス(Reims)市と名古屋市の姉妹友好によるもの。ランスはパリの東。急行で約1時間、人口20万人ほどの市。フランスの国王の戴冠式が行われる大聖堂で有名。シャンパーニュ地方に位置し、シャンパン製造のマム社(G.H.MUMM)の社長は藤田のパトロンでした。1959年に藤田はランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受け、1966年にノートル・ダム・ド・ラ・ペ(Notre Dame-de-la-Paix = 平和の聖母)礼拝堂、通称フジタ・チャペル(Foujita chapelle)を建てて、ランスに寄贈。君代夫人の相続人はランス美術館に多数の作品・資料を寄贈。本展の展示作品150点中、3分の1がランス美術館の所蔵。本日の講演は礼拝堂をめぐる話が中心。」
◆マム社社長ルネ・ラルー(René Lalou)と藤田の出会い
ランス美術館館長カトリーヌ・ドゥロさん(以下、「館長」といいます。)によれば、マム社の社長(以下、「社長」といいます。)と藤田が出会うきっかけは、1956年に藤田がパリの大ギャラリーで開催したバラの連作の展覧会。社長は展覧会で見たバラの花が気に入り、藤田に近づいたとのことです。そして、藤田はマム社のシャンペン「コルドン・ロゼ」のマークのためにバラの花(このマークは現在も使われています)を描き、また、マム社のクリスマスカードのために「バラを持つ少女」も描きました。
◆カトリックの洗礼を受けるまで
1959年、藤田はランスの聖レミ大聖堂(Saint Remi de Reims)を訪れました。聖レミ大聖堂はフランス王の戴冠式が行われた所です。藤田が大聖堂でお祈りをしていると、「洗礼を受けなさい。」という神からの啓示を受けた気がして「カトリックの洗礼を受けたい。私は結婚・離婚を繰り返してきたが、それでも洗礼は受けられるのか。」と聞いたそうです。答えは「あなたは一度も教会で結婚式を挙げていないので、洗礼を受けることは可能。」というもので、藤田は洗礼を受けることに決めました。
洗礼は、ノートルダム大聖堂(Notre Dame de Reims)で1959年10月14日(日)午前10時30分から行われることとなり、洗礼に備えて、藤田は2人の司祭から教えを受け、君代夫人には藤田が教えたそうです。 また、藤田は感謝の印としてノートルダム大聖堂に絵を寄贈。この絵は、現在、ランス美術館に寄託されており、レオナール・フジタ(Léonard Foujita)と署名された最初の絵です。(注:《聖母子》142 本展で展示されています。)
洗礼の当日は1000人以上の列席者、取材のジャーナリストは200人以上と、藤田はスター扱いでした。当日の午前11時30分からはシャンパン製造のテタンジュ(TAITTINGER)社主催の祝賀会、午後1時からはマム社主催の昼食会が開催されました。
◆平和の聖母礼拝堂(Notre Dame-de-la-Paix á Reims)の建設
その後、藤田は礼拝堂の建設を思い立ち、建設にふさわしい土地を探し始めました。やがて、マム社のゲストハウス=ヴィラ・コルドン・ルージュ(Villa Cordon Rouge)のすぐ隣に適地が見つかったのでマム社が自社の敷地として取得し、藤田に提供(所有権はマム社)。
礼拝堂の建設は社長の友人モーリス・コージェが担当。藤田は礼拝堂の模型を作るだけでなく、建物の外観や門、祭壇など多数のデッサンを描き、コージェは藤田の手による模型やデッサンに基づいて図面を作成したのです。
礼拝堂の工事は1966年3月に始まり、藤田は1966年5月1日から礼拝堂の隣のヴィラ・コルドン・ルージュに居を構え、1966年6月6日からフレスコ画の制作に取り掛かりました。
礼拝堂は、1966年10月18日に落成式を迎え、その数か月後にランスに寄贈されました。しかし、藤田はフレスコ画作成による疲れで健康を害し、寄贈式には代理人が出席。
健康を害した藤田は、1968年1月29日にチューリッヒの病院で逝去。亡骸はランスに戻り、2月2日に葬儀が行われ、遺言により礼拝堂に埋葬されました。
◆藤田の亡骸、遺品の行方
礼拝堂に埋葬された藤田の亡骸は、1971年8月19日に、藤田の家があるパリ郊外のヴィリエ・ル・バクル(Villiers-le Bacle)に移されました。2002年に君代夫人が「ランスの地で」という藤田の言葉を見つけ、亡骸は2003年10月6日再びにランスの地へ。2009年4月2日に君代夫人が死去すると、その亡骸は、同年4月25日に礼拝堂へ埋葬されました。
また、君代夫人は藤田の描いた油絵3点をランス美術館に遺贈。その後、君代夫人の12人の相続人は2013年、2014年の2回に分けて藤田の作品やコレクション、資料をランス美術館に寄贈しました。ランス美術館では240平方メートルの展示室を作って12人の寄贈者のプレートを飾り、寄贈された藤田の作品やコレクションなどの遺品を交替で展示する予定。
◆Q&A
講演後、3つの質問に館長が答えました。
Q1 藤田の宗教画は、フランスでどのような評価を受けているか。
A1 藤田は様々な絵画を描いており、宗教画も高く評価されている。ただ、人気が高いのは乳白色の裸婦と小動物。宗教画は、それらほどの人気ではない。
Q2 NHKの番組で「洗礼のときに神秘的な体験があった」と聞いたが、どんな体験か。
A2 聖レミ大聖堂でお祈りしているときに、神様からの「洗礼を受けなさい」という啓示 を聞いたような気がしたということ。洗礼のときではない。
Q3 藤田を受け入れなかった日本について、どう思うか。
A3 つらいこともあったが、当時としては仕方がなかったのではないか。藤田は、長いフランス暮らしで、日本とのギャップを感じていたかもしれない。また、フランスで好きな生活ができてよかったかもしれない。
◆最後に
深谷副館長から「来年、ランス美術館名品展の開催を予定しています。今回の展覧会で出なかった藤田の作品が展示されるかもしれません。楽しみにしていてください。」という話があり、講演会は終了しました。
6月4日(土)には、美術史家・文化庁芸術文化調査官の林洋子さんの記念講演会が、5月21日(土)、6月18日(土)には深谷副館長の作品解説会があります。 Ron.