お知らせ

2025年8月18日

2025年協力会イベント情報

現在、下記のイベントの申し込みを受け付けています。

1.近代名古屋の日本画界(常設企画展) 協力会向け解説会 名古屋市美術館 令和7年1026

参加希望の会員の方は、ファックスか電話でお申し込みください。ホームページからの申し込みも可能です。

なお、次回特別展の「藤田嗣治 絵画と写真」の解説会は、アンケートを実施しています。ファックスまたは、下記のアンケートサイトから希望時間帯をお知らせください。後日、開催日をお知らせします。

最新の情報につきましては随時ホームページにアップしますので、ご確認ください。また、くれぐれも体調にはご留意ください。

10月からギャラリートークの形式が変更になりますので、会員の皆様の参加希望をアンケートさせていただきます。アンケートはこちら(受付期間:8月10日~9月10日まで)

これまでに制作された協力会オリジナルカレンダーのまとめページを作りました。右側サイドメニューの「オリジナルカレンダー」からご覧ください。

事務局

「北大路魯山人展」

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

碧南市藤井達吉現代美術館で開催中の「没後60年 北大路魯山人 古典復興 現代陶芸をひらく」(以下「本展」)に行ってきました。平日の昼近くでしたが美術館の駐車場は、ほぼ満車。美術館の職員さんが誘導してくれたので、何とか駐車できました。

北大路魯山人(以下「魯山人」)だけでなく、中国・朝鮮の陶磁器、尾形乾山、長次郎、石黒宗麿、荒川豊蔵、金重陶陽(かなしげとうよう)、加藤土師萌(はじめ)(以上4名は人間国宝)、加藤唐九郎、川喜田半泥子(はんでいし)の外、現代美術のイサム・ノグチ、八木一夫の作品も展示されています。出品点数も多いので、展示室では「やきもの好き」のオーラを放ちながら熱心に見て回る高齢男性の姿が目立ちました。

◆展覧会の構成 本展は7章で構成。入口は2階でⅠ.中国陶磁、Ⅱ.朝鮮陶磁と唐津・萩、Ⅲ.織部・志野・黄瀬戸など、Ⅳ.色絵・染付などの日本陶磁、Ⅴ.書・漆・画、と続き、Ⅵ.信楽・萩・備前は1階・第3展示室と多目的室に、Ⅶ.現代陶磁は多目的室に展示していました。

◆Ⅰ.はじまりの中国陶磁ー色絵・染付・青磁(注:作品名の前の数字は作品番号) 中国陶磁と魯山人などの作品が比較できるよう工夫した展示なので、楽しく鑑賞できました。書から出発した魯山人らしく6《染付吹墨貴字向付》、16《染付福字皿》、26《染付詩文大花入》など文字を書いた作品は手慣れた感じです。また、白地に黒い魚を描いた石黒宗麿の21《白瓷黒絵双魚文盆》はオシャレな器で、目を惹きました。

◆Ⅱ.朝鮮半島のやきものへー朝鮮陶磁、そして唐津・萩 最初に三島手(朝鮮半島から伝わった技法。半乾きの素地に印を押して、へこんだ部分に化粧土を入れて模様を出す。身近では万古焼の土鍋などに使用)や刷毛目(化粧土を刷毛で塗る技法)の茶碗が並んでいました。唐津焼や萩焼も含めて、中国の華やかな色絵や染付とは違う「侘び、寂び」のやきものが勢ぞろいしています。

◆Ⅲ.桃山陶へのあこがれー織部・志野・黄瀬戸など 荒川豊蔵の120《志野筍絵茶碗「随縁」》だけが第1展示室でスポットライトを浴びており、他は全て第2展示室。第2展示室の入口には、荒川豊蔵が美濃で魯山人とともに古志野筍絵の陶片を発見した時の話を描いた資料《古窯発見端緒之図》が貼ってあります。また図録には、《志野筍絵茶碗「随縁」》について「この時に発見した陶片と徳川美術館所蔵の《志野筍絵茶碗》を範として制作した」という解説がありました。

第2展示室でスポットライトを浴びていたのは、魯山人の96《織部秋草文俎(まないた)鉢》と105《織部間道俎鉢》です。いずれも名古屋・八勝館所蔵で《織部間道俎鉢》は本展のチラシを飾っています。いずれも大振りで「こんな器に料理が盛られて出て来たら、インスタ映えするだろうな」と思いました。

この外に見ものだったのは、長次郎の黒楽茶碗と瀬戸黒の茶碗、魯山人・荒川豊蔵・川喜田半泥子の黒い茶碗が並んでいるコーナーと志野茶碗が並んでいるコーナーの二つです。なかでも黒茶碗は、どれもよく似ているのに、それぞれが微妙に違っているので見飽きません。茶道具のことはよくわかりませんが、確かに長次郎の126《黒楽茶碗》は一味違うと感じました。先入観に引っ張られていることは否めませんが……。

◆Ⅴ.書・漆・画 展示スペースの関係でしょうか、Ⅲの次はⅤでした。魯山人の書156《天上天下唯我独尊》の「天上」には良寛の書のような雰囲気があります。また、「我独」は元の漢字をどのように崩しているのか分かりませんでした。漆の器は豪華でしたね。

◆Ⅳ.名工との対話ー日本陶磁、色絵・染付など 2階の最後は尾形乾山と魯山人の作品です。尾形乾山は色絵も良かったですが、154《染付阿蘭陀写草花文角向付》の藍色が印象的でした。魯山人は、大振りの雲錦(うんきん)鉢が数点出品されており、華やかでした。 この外、川喜田半泥子の144《茶杓 銘「乾山」》もありました。

◆Ⅵ.枯淡の造形・土にかえるー信楽・伊賀・備前 ◎第3展示室 1階の第3展示室は、主に信楽と伊賀。展示室の入口近くには、大きく歪んだ魯山人の170《倣古伊賀水指》があります。伊賀焼の水指といえば、川喜田半泥子《伊賀水指 銘「慾袋」》が有名ですが、残念ながら千葉会場のみの出品でした。荒川豊蔵の106《黄瀬戸破竹花入》は「黄瀬戸」と言いながら、第3展示室にあります。下の方まで亀裂が入っているので、実用には「難あり」の花入れでした。魯山人の173《竹形花入》は、竹の花入れの「そっくりさん」でした。古信楽や加藤唐九郎の作品もあります。

◎多目的室 多目的室は備前。ただし、魯山人の182《伊部(いんべ)大平鉢》だけは第3展示室にあります。魯山人の外には、川喜田半泥子と金重陶窯の作品が出品されています。備前焼は「土の存在感」が前面に出ているやきものです。備前焼が展示されている一角は、他の展示室とは全く違う雰囲気の空間でした。

◆Ⅶ.現代陶芸をひらく イサム・ノグチと八木一夫の作品に加えて、サム・フランシスの墨絵202《魯山人の顔》が並んでいます。《魯山人の顔》は色紙に即興で描いたもののようですが、思わずクスッと笑ってしまいました。イサム・ノグチの作品は「陶磁器」ではなく、現代彫刻ですね。八木一夫のコーナーには現代美術だけではなく、古典に倣った201《花刷毛目茶盌》などの作品もありました。

◆最後に  美術館の帰りに碧南駅前の大正館で「展覧会の解説を読むと、魯山人は周りを振り回す大変な人。それなのに何故、お金持ちのパトロンが彼を援助してくれたんだろう」と話していたところに、旬彩弁当が出てきました。蓋を開けると、そこには織部の角鉢。「織部の器は料理を引き立てる」ことを確認しつつ味わいました。 なお、本展の会期ですが、前期は5月19日(日)まで、後期は5月21日(火)から6月9日(日)までです。          Ron.

「印象派からその先へ」ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「印象派からその先へ―世界に誇る吉野石膏コレクション」(以下「本展」)の協力会ギャラリートークに参加しました。担当は森本陽香学芸員(以下「森本さん」)と深谷克典副館長(以下「深谷さん」)。参加者は67人。2階講堂で森本さんから吉野石膏コレクションについてのレクチャーを聴いた後、二つのグループに分かれて動きました。以下は、森本さん(1階)と深谷さん(2階)によるギャラリートークの要約筆記で、(注)は私の補足です。

◆吉野石膏コレクションについて(2階講堂:森本さん) 17:00~17:10

吉野石膏株式会社は「タイガーくん」でおなじみの住宅建材メーカーです。吉野石膏コレクションは吉野石膏美術振興財団(注:2008年設立。2011年から公益財団法人)が所有している日本画、洋画、西洋絵画合わせて420点のコレクションで、特に印象派の絵画が充実しています。コレクションの多くは、創業の地・山形県にある公益財団法人山形美術館(以下「山形美術館」)と天童市美術館に寄託しています。西洋美術品は約100点。そのほとんどは、山形美術館への寄託です。山形美術館には吉野石膏コレクション室があります。他の美術館に対する個々の作品の貸し出しはありましたが、まとまった形での国内巡回は今回が初めてです。

本展にはコローからミロまでの作品を出品しており、全3章の構成です。1章が印象派、2章がフォーヴィスム、キュビズム、抽象絵画、3章はエコール・ド・パリです。

1章と2章前半を1階に展示しており、森本がご案内します。2章後半と3章は2階に展示しており、深谷副館長がご案内します。それでは、二手に分かれ、それぞれ1階と2階の展示室に移動してください。

◆森本さんのギャラリートーク 17:10~17:45

◎1章:印象派、誕生 ~革新へと向かう絵画~

1章はバルビゾン派から始まります。印象派は戸外にキャンバスを持ち出したことで知られていますが、戸外にキャンバスを持ち出すことはバルビゾン派から始まりました。それまでの画家は、戸外でスケッチして、それをもとにアトリエで油絵を描いていました。

・ジャン=フランソワ・ミレー《バター作りの女》

ミレーは農民が働く姿を描いた画家です。「農民が働く姿」は、ミレー以前の時代には好まれなかった題材です。当時、地位が高い絵画は歴史上の出来事を題材にした「歴史画」でした。

牛乳を攪拌するとバターが出来ます。《バター作りの女》は、その作業を描いた作品です。画面右の背景に注目してください。戸口の向こうに納屋があり、納屋では女性が座って作業をしています。その納屋の小窓からは牧草地が見えます。このように奥へ奥へと題材がつながるのが、この作品の見せ所です。右下にミレーのサインがありますが、石に彫ったように描いています。バターを作っている女性の足元には猫もいます。

・ギュスターヴ・クールベ《ジョーの肖像、美しいアイルランド女性》

艶めかしい女性像です。評価が高かった作品でクールベは同じものを4点描いています。この作品は、そのうちの1点です。クールベは現実を描こうとした作家ですが、この作品がモデルの「ジョー」そっくりに描いたものどうかは定かでありません。というのは、ホイッスラー《白のシンフォニー》も同じモデルを描いた作品ですが、二つの作品を比べると、違う女性を描いたように見えるからです。

・アルフレッド・シスレー《モレのポプラ並木》

シスレーは、印象派の中ではもっともオーソドックスな作家です。本展には6点を出品していますが、どの時期の作品もあまり作風が変わらず、質の高さを保っています。6点のなかでも《モレのポプラ並木》は、最も印象派らしい作品です。ポプラの葉は「筆触分割」といって、絵の具の色を混ぜずに、キャンバス上に並べて配置しています。非常に質の高い、見ごたえのある作品で光が靡く(なびく)のが見えます。背景を描いてからポプラの葉を描くというのが普通の描き方ですが、シスレーは空と木の葉を同時に描いているので、水色と緑色がキャンバス上で混じっています。

なお、モネの風景画には「人」がいないことが多いのですが、シスレーはどの景色を描いても「人」がいます。次は、モネです。

・クロード・モネ《サン=ジェルマンの森の中で》

名古屋には初めて出品される作品です。モネは「風景を描いたい」というより「色面を描きたい」という作家です。それが次の世代の「抽象絵画」へとつながっていきます。

・クロード・モネ《睡蓮》《テムズ河のチャリング・クロス橋》

2点とも、昨年の「モネ それからの100年」以来、1年ぶりの再会です。《テムズ河のチャリング・クロス橋》は煙だけですが「何を描いているか分からなくても成立する」作品です。

・カミーユ・ピサロ《モンフーコーの冬の池、雪の効果》

浮世絵の影響を受けた作品です。浮世絵ほど大胆ではありませんが、対角線の構図を試しています。ピサロは印象派の中では一番年長で、柔軟な人です。

・カミーユ・ピサロ《ロンドンのキューガーデン、大温室前の散歩道》

ピサロは、スーラ、シニャックたちの新印象派による点描技法を吸収しようとした作家です。とはいえ、この作品は純粋な点描ではなく、印象派と新印象派(点描)の中間です。 ・ピエール=オーギュスト・ルノワール《シュザンヌ・アダン嬢の肖像》

パステル画です。本展ではパステル画が見もので、4点を出品しています。パステル画はふわっとした、パウダリーな仕上げが魅力ですが、キャンバスへの定着力が弱く、輸送するときにパステルの粉が落ちるので扱いに細心の注意が必要です。

ところで、このお嬢さん、何歳ぐらいに見えますか。実は、10歳の時の姿を描いたものです。大人びた長髪で、日本なら中学生くらいに見えますね。ブリジストン美術館はシュザンヌ・アダン嬢のスケッチを所蔵しているので、日本には2点のシュザンヌがあります。以前にパステル画とスケッチの2点が並んだ展覧会がありました。

・ピエール=オーギュスト・ルノワール《庭で犬を膝にのせて読書する少女》

ルノワールらしい作品です。ルノワールは時期により作風をどんどん変えていった作家で、《箒を持つ女》は古典に回帰した時期の作品です。

・ポール・セザンヌ《マルセイユ湾、レスタック近郊のサンタンリ村を望む》

初期の、迷いながら描いていた時期の作品です。

・フィンセント・ファン・ゴッホ《雪原で薪を運ぶ人々》

ミレーの影響を受けて描きました。初期のゴッホとしては珍しい「太陽を描いた作品」です。

・エドガー・ドガ《踊り子たち(ピンクと緑)》

ルノワールとはパステルの使い方が違います。また、筋肉とチュチュ(注:スカート状の舞台衣装)とでは、パステルの使い方が違います。パステルで描いたのは「油絵の油が乾く時間のを待っていられなかったから」と、言われています。

◎2章:フォーヴから抽象へ ~モダン・アートの諸相~ 前半

・モーリス・ド・ヴラマンク

《セーヌ河の岸辺》《大きな花瓶の花》は激しく、《花瓶の花》はキュビスム風、《村はずれの橋》はセザンヌのような筆触と、作風の変化を4点の作品でたどることができます。 ・アンリ・マティス《緑と白のストライプのブラウスを着た読書する若い女》 古典に回帰した時期の作品です。マティスは太いストライプと唐草の組み合わせなど、模様の組み合わせをこの作品で楽しんでいます。

・ピエール・ボナール《靴下をはく若い女》 この作品でボナールは、色面を楽しんでいます。 ◆深谷さんのギャラリートーク 17:45~18:15

◎2章:フォーヴから抽象へ ~モダン・アートの諸相~ 後半

・アンリ・ルソー《工場のある町》 本展は1階に41点、2階に31点、計72点の作品を展示しています。2階のモダン・アートの展示はルソーから始まります。ルソーは独学で絵を学んだ作家ですが、ピカソなどの作家に影響を与えています。この作品でルソーが描いた「人物」は、遠近法を無視して、極端に小さく描かれています。これは、子どもと同じで、重要なものを大きく描いたためです。ルソーは精神的な大きさを表現するため、実際よりも人を小さく、風景を大きく描いたのです。

・ジョルジュ・ブラック《洋梨のある静物(テーブル)》 キュビスムは1910年代が頂点で、この作品を描いた1918年は古典的な表現で描くことに戻ってきた時期です。この作品では「額」に注目してください。17世紀スペインの額を使っています。古いスペインの額を手に入れて、作品を収めたのです。ただ、大半の絵画では、それを買い取った人が額を選んで入れます。オリジナルの額が残っていることは、少ないのです。

・ジョアン・ミロ《シウラナ村》 初期の珍しい作品です。ミロは1920年にパリに出ますが、この作品はそれ以前のもの。フォーヴィスムやセザンヌをお手本にして描いています。

・パブロ・ピカソ  本展では、ピカソの作品を3点出品しています。《フォンテーヌブローの風景》は珍しいパステル画で、新古典主義の時期の作品です。パステル画は定着性が弱く、粉が落ちやすいので平らにして運びます。そのため、運搬時に占有する荷台面積が広くなるので、どうしても値段が張ってしまいます。《女の肖像(マリー=テレーズ・ワルテル)》はピカソの愛人を描いた作品です。キャンバスをいくつかの面に分割して色を塗り分け、その上からマリー=テレーズの肖像を描いています。

・ワシリー・カンディンスキー《結びつける緑》《適度なヴァリエーション》 本展の出品作中、様式が一番新しいのはカンディンスキーです。《結びつける緑》はワイマールかデッサウのバウハウスで描いたもの、《適度なヴァリエーション》はフランスに亡命後で亡くなる3年前に描いたものです。カンディンスキーの作品は、もとになる具象的なものがあって、それを抽象化して描いています。画集を見るとわかるのですが、彼の作品には船がよく出てきます。

・ジョルジュ・ルオー 2章最後の作品はルオーです。彼は「フォーヴの一員」と言われていますが、精神的なものが強く、表現主義に近い作品です。

◎3章:エコール・ド・パリ ~前衛と伝統のはざまで~

・モーリス・ユトリロ《モンマルトルのミュレ通り》 この作品は、名古屋市美術館所蔵の《ノルヴァン通り》で描いた場所の反対側から見たものです。実は、ミュレ通りからサクレクール寺院は見えません。見えないはずのサクレクール寺院を描いたのです。その理由は、画面構成のためです。

・モイーズ・キスリング《背中を向けた裸婦》 この作品は、アングル《ヴァルパソンの浴女》を連想させますが、直接にはマン・レイの写真《アングルのヴァイオリン》をもとにしています。この作品、影がおかしいのです。画面の左斜めから光が当たっているので、本来なら女性の左側に影が出ることはありません。左側の影は、女性の顔を際立たせるために描いています。

・キース・ヴァン・ドンゲン《座る子供》 これは、画商の子どもをモデルにして描いた作品です。その画商・デルスニスは1920年代にフランス絵画を日本に売り込んだ人物で、筑波大学の先生の研究によって2018年9月に、この事実が判明しました。ドンゲンと藤田嗣治は仲が良かったため、藤田が画商に「売ってこい」と言って、当時の日本に売り込んだのです。

・マルク・シャガール《逆さ世界のヴァイオリン弾き》 この作品は、2017年から2018年にかけて名古屋市美術館で開催した「シャガール展」に出品しています。また、《モンマルトルの恋人たち》と《サント=シャベル》は1989年に同館で開催した「シャガール展」に出品しています。《夢》の制作年は1939-44年です。1939年はシャガールがヨーロッパにいた時期です。その後、米国に亡命。1944年にウイルス性の病気で妻のベラが急死しました。妻の死から立ち直り、ヨーロッパから持ってきた作品を描き変えたのが1944年です。右下には、シャガールの故郷ヴィテブスクの風景が描かれています。 私の解説は以上です。しばらくの間、自由にご観覧ください。

◆自由観覧  18:15~18:30  参加者は、1階・2階の作品を自由に見て回り、皆さん満足して三々五々と名古屋市美術館を後にしました。 深谷さんに聞いたところでは、山形美術館の吉野石膏コレクション室に展示されている作品は20点から30点で、72点もの作品をまとめて鑑賞できるのは、今回が初の機会とのことでした。 最後になりましたが、森本さん、深谷さん、ギャラリートークありがとうございました。                             Ron.

展覧会見てある記 「印象派からその先へ」

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市美術館(以下「市美」)で「印象派からその先へ ― 世界に誇る吉野石膏コレクション」(以下「本展」)が開幕しました。展覧会のチラシには、こんなことが書いてあります。

(略)石膏建材メーカーとして知られる吉野石膏株式会社は、1970年代から本格的に絵画の収集を開始し、2008年には吉野石膏美術振興財団を設立。(略)そうして形成された西洋近代美術のコレクションは、質量ともに日本における歴代のコレクションに勝るとも劣らぬ内容を誇っています。現在、その多くは創業の地、山形県の山形美術館に寄託され、市民に親しまれています。本展ではバルビゾン派から印象派を経て、その先のフォーヴィスムやキュビズム、さらにエコール・ド・パリまで、大きく揺れ動く近代美術の歴史を72点の作品によってご紹介します。とりわけピサロ、モネ、シャガールの三人は、各作家の様式の変遷を把握できるほどに充実しており、見応え十分です。(略)中部地方では初めて。知られざる珠玉の名品を、どうぞこの機会にご堪能ください。

 「でも、大したことないんじゃないの」と、少し馬鹿にして市美に出かけたのですが、結果は良い方に大ハズレ。「へへー、おみそれいたしました」と、なりました。本展を舐めていたことを大いに反省しています。「見応え十分」というだけでなく、コレクターの感性によるのでしょうか、「見ていて気持ちが良い」のです。 「印象派」だけでなく、「その先」の展示も充実しています。また、わかりやすくて簡潔な「子供向け解説」は大人でも十分、読み応えがあります。本展は、見逃せません。

◆1章:印象派、誕生 ~革新へと向かう絵画~ ◎エントランスホールでモネ《睡蓮》と《サン=ジェルマンの森の中で》が出迎え  市美1階の橋を渡って企画展示室のエントランスホールに入ると、正面の壁に拡大されたモネ《睡蓮》と《サン=ジェルマンの森の中で》が並んでいます。「ピサロ、モネ、シャガールの三人」のうち、先ず、モネが出迎えてくれました。展示は、バルビゾン派からクールベ、マネ、ブーダンと続き、印象派はシスレーから始まります。作品は年代順に並んでいますが、《モレのポプラ並木》の前で思わず足が止まってしまいました。  続くのはモネ。なかでも《サン=ジェルマンの森の中で》は不思議な作品です。見ていると、絵の中に引き込まれそうになります。映画「となりのトトロ」に出てきた“秘密の抜け穴”を思い出しました。《睡蓮》と《テムズ河のチャリング・クロス橋》は、「モネ それからの100年」以来1年ぶりの再会。去年の展覧会を思い出します。

◎特等席はルノワール、ドガ、ゴッホ  1章では、ルノワール《シュザンヌ・アダン嬢の肖像》とドガ《踊り子たち(ピンクと緑)》が水色の壁、ゴッホ《静物、白い花瓶のバラ》が茶色の板の特等席に展示されていました。ルノワールとドガが特等席なのは納得できますが、ゴッホの静物画が特等席なのは何故でしょうか?重要な作品だとは思うのですが……。

◎パステル画を堪能 コレクターの好みなのか、本展ではパステル画が目立ちました。水色の特等席の2作品だけでなく、メアリー・カサット《マリー=ルイーズ・デュラン=リュエルの肖像》、ピカソ《フォンテーヌブローの風景》がパステル画です。鮮やかな中間色のふわっとした感じがいいですね。癒されます。

◆2章:フォーブから抽象へ ~モダン・アートの諸相~  2章で強烈な印象を受けたのはヴラマンク。《セーヌ河の岸辺》は「どこがセーヌ河?」という感じの赤と緑のコントラストが目に飛び込んでくる作品。しばらく眺めていて「左上の白っぽいところがセーヌ河?」とわかりました。でも、このめちゃくちゃな色使いは癖になりますね。静物画が2点並んで、最後の《村はずれの橋》は正に「万緑叢中紅一点」。ワンポイントの赤が効いています。 マティス《緑と白のストライプのブラウスを着た読書する若い女》はストライプが印象的な作品。「子ども向け解説」を読みながら鑑賞することをお勧めします。

◎2章は、アンリ・ルソーから2階に展示 2階は抽象画が中心。カンディンスキーの作品は「音楽」を感じさせます。また、ルソー《工場のある風景》も、ここで見ると抽象画のような感じがします。

◆3章:エコール・ド・パリ ~前衛と伝統のはざまで~ ◎ユトリロとマリー・ローランサン 3章はユトリロとローランサンから始まります。ヴラマンクと違って、ドキドキせず、安心してみることのできる作品が並びます。この中では、群像を描いたローランサン《五人の奏者》がいいですね。

◎これは「小さなシャガール展」です  本展の最後を飾るのは、吹き抜けの上の広い空間に展示されたシャガールの作品です。数えると、シャガールだけで10点。そのうち3点に「子ども向け解説」が付いていました。シャガールは学芸員さんの「お気に入りの作家」なのでしょうか?それとも、「子どもを引き付ける作家」なのでしょうか?いずれにせよ、吹き抜けの手すり近くから、L字型の壁に並ぶシャガールを眺めるのは壮観です。

◆最後に  名古屋市美術館協力会では4月14日(日)午後5時から、会員向けに「印象派からその先へ ― 世界に誇る吉野石膏コレクション」のギャラリートークを開催します。詳しくは、名古屋市美術館協力会のホームページをご覧くださいね。                             Ron.

「人騒がせな名画たち」

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 かなり評判になっている本なのでもう読まれたひとも多いだろう。筆者は西洋美術史家「木村泰司(きむら たいじ)」氏。「目からウロコ」と表題の前に小さくある。画家は変人が多いから、それほど目からウロコはなかったが、それでも聞いたこともない話はいろいろあり、興味深く読んだ。なかでも、昨年市美であった「ビュールレ・コレクション」展に出ていたルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」のイレーヌ(1872-1963)の話には感動した。深谷副館長の講演では、「イレーヌの両親はこの肖像画が気に入らなかった。イレーヌはユダヤ系銀行家で貴族のダンベール家に生まれ、同じような出自のユダヤ人と結婚した。しかし、離婚してユダヤ教からカトリックに改宗してイタリア人と再婚した。1963年にイレーヌが死んだとき、その死は新聞で大きく報道された」ということだった。時間もなかったのかも知れないが、それ以上詳しいイレーヌの人生についての言及はなかったと思う。しかし、いくら有名な絵でも、なんで絵のモデルが死んだくらいでそんなに話題になったのか、何かモヤモヤしたものが残っていた。それがこの本を読んで腑に落ち、すっきりとした。イレーヌはフランスでは有名な、悲劇のヒロインだったのだ。美しい金持ちの女性の幸せな人生は面白くもないし、決して共感は呼ばない。章題は「小説より奇なモデルの少女の壮絶人生!」。

イレーヌの結婚相手は、ダンヴェール家と同じようなユダヤ系の名家、貴族で銀行家で大金持ち、12歳年上カモンド家のモイーズ・ド・カモンドだった。その当時1890年頃としては、あたり前で良い縁組みだっただろう。イレーヌは一男一女を産み名家に嫁いだ義務を果たした。しかし、一家の厩舎長であった、イタリア人のサンピエリ伯爵と恋に落ちてしまう。夫婦は別居しイレーヌは恋人と生活を始めた。世間体が悪いことから離婚できず、離婚成立までに6年の歳月を要した。イレーヌが晴れて再婚したのは1903年、ふたりの子供はモイーズが育てた。第一次世界大戦が始まると、長男ニッシムはパイロットとして従軍、戦死してしまう。第二次世界大戦では、長女ベアトリスがユダヤ人の夫とふたりの子供と共に、アウシュビッツで虐殺され、イレーヌの肖像絵はナチスに奪われてしまう。イレーヌはカトリックに改宗していて助かった。ベアトリスが相続していたカモンド家の遺産は、全てイレーヌのものとなった。イレーヌは莫大な財産を使いながら、91歳で亡くなるまでの余生を南フランスで過ごした。終戦後手元に戻ったルノワール作の肖像画、イレーヌは過去を思い出したくなかったのか、すぐに手放していた。

このような波瀾万丈の人生を送り、死んだ頃はルノワールのこの肖像画も有名になっていて、彼女の死は大々的に報じる価値があった。「ニッシム・ド・カモンド美術館」がパリ8区モンソー通りにある。1910年頃モイーズ・ド・カモンドが建てて住んでいた邸宅。戦死した息子の名をつけた美術館として、モイーズが蒐集した美術品を展示している。エトワール凱旋門の東北東1 km強のモンソー通り沿い、モンソー公園隣。

佐久閒洋一

ボストンの美術館巡り—ボストン美術館で名古屋市美術館所蔵作品に遭遇—

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:editor

 3月23日から一週間ほどのあいだボストンに出かけました。ボストンではこの期間 オペラもクラシックコンサートもなかったのでただひたすら美術館そして名所、旧跡を 訪れる旅となりました。

ボストン美術館

 まずは収蔵点数50万点を誇る美の殿堂ボストン美術館です。ミュージアムショップでmfaというロゴマークを見て最初何なのか分かりませんでしたが、正式名称がMuseum of Fine Arts, Bostonということで納得。愛称がMFAです。最初驚いたのが入場料の高さ。25ドルです。でも冷静に考えれれば企画展が二つ含まれているので妥当な値段です。驚くことにその企画展の両方ともに自分と関係があり、こんなこともあるんだと驚いています。企画展の一つが「フリーダカーロ展」。

 名古屋市美術館にはメキシコ絵画が常設展示してあります。その中でも私のお気に入りがフリーダカーロの「少女と死の仮面」です。それがボストン美術館になんと展示されているではないですか。すぐさまキャプションを見る。Nagoya City Museumと書かれている。まさしくいつも見ているあの作品が飾ってある。名古屋市美術館が評価されたみたいで単純に嬉しい。その絵の前で立ちどまる人達をすこし観察してみた。50代の夫婦、母親と3歳ぐらいの幼児、40代ぐらいの男性二人、若いカップルなど、みな足を止めて話をしている。作品の小ささにも関わらず興味を引くようで皆その絵で立ちどまる人たちが多かったように思う。  

ボストン美術館 名古屋市美術館の作品を鑑賞する人々

 もう一つの企画展〈Gender Bending FASHION〉の中でファッションデザイナーの山本耀司さんの作品が展示されていたことです。以前からアメリカで評判がいいことは知っていましたがこんなに評価が高いことに驚きました。皆さんもご存じだと思いますが耀司さんのブランドはワイズという名前です。私的なことで申し訳ありませんが、私は大学卒業後にアパレルメーカーのイッセイミヤケインターナショナルという名の三宅一生さんの服を販売する会社で働いていました。当時の会社の上司が野球好きでワイズとイッセイで野球をしようということになりました。現在あるかどうか分かりませんが、麻布球場という場所で仕事が終わってから照明をつけて野球をしました。私は入社2年目ぐらいだと思いますが、試合に打者で出させてもらいました。そのときに対戦した投手が耀司さんでした。サイドスローの球を投げられたんですが、結果がどうだったか今は全く覚えていません。試合もどっちが勝ったかさえ覚えていません。三宅デザイン事務所のデザイナーたちがチアリーダーさながらの応援を見て爆笑していたのを鮮明に覚えています。当時はアルマーニ等のイタリアファッションの勢いがある時代で耀司さんはまだ世界的にはそれほど知られている存在ではありませんでした。今から40年ほど前の話です。現在は高校で教師をしていますがイッセイやワイズの服はもう着ないと思いますが思い出もあり、いまだに捨てることができずに大切に取ってあります。  

 常設展ではゴーギャンの雑誌などでよく目にする「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」、ルノアールの「ブージバルのダンス」 モネの「日本娘」 セザンヌの「赤いひじ掛けイスのセザンヌ婦人」 を堪能。また哀愁ある印象的な絵のホッパーの「ブルックリンの部屋」など知られた画家の絵を鑑賞する。とにかくアメリカ美術、ヨーロッパ美術、日本や中国の美術、古代エジプトやギリシア、ローマ、エトルリアなどの美術とても一日でみられる規模ではなかった。 

イザベラ・スチュアート・ガードナー美術館

 つぎにイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館。レンゾ・ピアノが設計した新館から入場する。この美術館、大富豪イザベラが莫大な富に任せて館を建てそこに彼女の趣味で集めた絵画、調度品を生活に根差して展示してある美術館。絵にひとつひとつキャプションがついていない。説明書が各部屋においてあり鑑賞者はそれで誰の作品かを理解することになっている。どこかでみたような作品だなと思うとそれがレンブラントだったりする。 絵の作者を当てる楽しみも出てくる。マザッチオ、ボッティチェッリ、クラナッハ、 デューラー、サージェントが部屋の中にさりげなく飾ってある。ここの中庭は殊に有名でヨーロッパから資材を運んで作ったようだ。メトロポリタン美術館別館のクロイスターズに似ている。ここの有名なテッツィアーノ「エウロペの略奪」は貸し出し中であった。

Harvard Art Museum

 三番目はHarvard Art Museum ここはフォッグ美術館、Busch-Reisinger 美術館、Arthur M.Sackler美術館 を一つにまとめたもの。さすがにハーバード大学すべてに充実している。これが大学への寄贈でなりたっているのがすごい。ゴッホ、ピカソ、モネ、セザンヌ、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、フランク・ステラ、マーク・ロスコ、白隠など。またこれが撮影OKで写真撮りまくりの世界にはまる。雪の田舎道を描いたモネの絵、魚を描いたモネの絵、花瓶に花があふれんばかりのルノアールの絵、農村の中の中央に白い家を描いたセザンヌの絵、特徴ある女性の絵を描いたロセッティなどあまり見る機会のない絵を鑑賞することができ大満足。

MIT博物館

 最後はMIT博物館。ここはここでまた面白い。ヨットのアメリカズカップで優勝するためにヨットをいかに設計すれば最小の動力でスピードをアップできるかというようなコーナー。そしてベアリング、ねじ、コイル、モーターなどを使った作品など意外と面白かった。またDrawing Designing Thinkingという企画展ではMITの150年に及ぶ歴史を主に建築中心にパネル展示してあり興味深った。

 アメリカ発祥の地であるボストンは結構見どころも多く名所、旧跡が比較的地区に集まっているので観光しやすい街です。アメリカ最古の公園ボストンコモン、独立宣言が読み上げられた旧州庁舎、植民地時代に独立のための集会場であったファニエル・ホール、独立戦争の英雄たちが眠るグラナリー墓地、高級住宅街のビーコン地区、ハーバード大学等を訪れた。今回はオペラがないのでひたすらボストン市内を歩き回りました。

谷口 信一

「辰野登恵子 ON PAPERS」ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催中の「辰野登恵子 ON PARERS」(以下「本展」)の協力会ギャラリートークに参加しました。担当は清家三智学芸員(以下「清家さん」)。参加者は52人と多かったのですが、ポータブル拡声装置を使えば離れた参加者にも清家さんの声が届くので、全員が一緒に動きました。以下は、清家さんによるギャラリートークの要約筆記で、(注)は私の補足です。
なお、ギャラリートークに先立って、2階講堂で辰野登恵子(以下「辰野」)の略歴が紹介されました。

50名をこえた参加者

50名をこえた参加者

◆2階講堂にて
辰野は1950年、長野県岡谷市生まれ。3人姉弟の第2子で姉は2歳上、弟は5歳下です。辰野が子供の頃、通っていたお絵描き塾の先生が「風景を自由に描いて」と課題を出したところ、マティス風に真っ赤に塗った絵を描いて提出したというエピソードがあります。辰野は、幼い時から色づかいに「こだわり」のある人でした。
辰野は大学進学のため、高校2年生の時から週末や夏休みなどを利用して、美術系予備校の「すいどーばた美術学院」(東京都豊島区西池袋)に岡谷から通い始めました。また、高校時代は学校が開く時刻に登校して美術室で絵の勉強。授業終了後も学校が閉まる時刻まで美術室に居たそうです。努力の甲斐あって、辰野は東京芸術大学(以下「芸大」)の油絵科に現役合格します。当時の合格者は50名、女子は10名、うち現役合格は4名でした。
芸大入学後、1969年には学園紛争のため大学の授業がなくなります。そんな状況でも辰野は芸大に通い続け、版画教室で当時の教官の駒井哲郎、中林忠良の指導を受けています。油絵科の学生でしたが制作したのは写真製版によるシルクスクリーンの作品です。辰野はアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインなどのポップアートの影響を受け、映像を作品に生かそうとしていました。「映像を作品に生かす」には、油絵でカンバスに描くよりもシルクスクリーンで紙に刷る方が合っていたのです。
本展は、辰野の回顧展としては初めての展覧会です。2階にⅠからⅣ、1階にⅤ・Ⅵ・Ⅷ、地下1階にⅦを展示しています。それでは、2階の展示室に移動してください。

◆Ⅰ
Ⅰは主に大学・大学院6年間の作品で、ウォーホルやリキテンスタインの影響が見られます。大学・大学院時代の辰野は「絵の中に映像を取り込む」作品を制作しています。作品No.2《Self portrait》は自分の写真を写真製版してシルクスクリーンでカンバスに印刷したもので、作品No.3《無題》キャベツを写真製版して、いくつも印刷したものです。
シルクスクリーンは同じイメージを何度も使うことができるだけではなく、刷り方を変えることによって「100パーセン完璧なコピー」ではなくなり少しずつ異なったものができるところに、辰野は関心をもちました。
当時の辰野は芸大同級生の柴田敏雄さん、鎌谷伸一さんと3人で「コスモス・ファクトリー」という制作集団をつくり、写真は3人で共用、ステンシルも3人で共用して作品制作を行いました。作品No.10-1~10-4《無題》は大学院修了制作で、9点制作したうちの4点を展示しています。作品のモデルはマイケル・ダグラスの父親のカーク・ダグラスで、イエナ書店で売っていた洋物の雑誌に掲載されていた映画「チャンピオン」の写真をコピーしたものです。作品No.7《9つの長方形》は、その後の辰野作品の原点で「同じ形が、少しずつ印刷を変えながら反復する」というところに特色があります。

◆Ⅱ
本展に学芸員が書いた解説パネルの掲示はありません。解説パネルの代わりに、作家本人のことばを「切り文字」で壁に貼りました。Ⅱでは、辰野の言葉は「ノートの横線や、原稿用紙のます目や、網点や、そういう整然と並んでいるものを、じっと見ているのが大好きで、そういう不毛なところに、もし、何かを一点落としたら、全然違ったものに変身するでしょ。点ひとつで、新しい空間が出現する。」というものです。「整然とならんでいるもの」を「不毛なところ」というのは辰野独特の表現ですが、「整然とならんでいるもの」が作家の関わり方によって微妙な差が生じ立体感や奥行きが生まれるのが楽しい、という気持ちがよくわかります。
Ⅱで展示している作品は、いずれも辰野の実験です。実験する中で、辰野はグリッド(格子)の規則性を破るのを楽しんでいます。男性の皆さんにはわかりにくいかもしれませんが、辰野は「規則性を破るのを楽しさ」を「ストッキングが伝線する瞬間が好き」と表現しています。「伝線する瞬間が好き」とは規則性が揺らぐ瞬間が好きということであり、グリッドなどに対して、その規則性を破るような関わり方がしたいということです。
Ⅱに展示しているのはすべてシルクスクリーンの作品で、規則正しい反復に破綻が生じて出現した「新しい空間」を表現しています。

◆Ⅲ
Ⅲで展示しているのは「地下鉄のホームの壁のタイル」など、現実世界にある格子状のものから、タイルの厚みや奥行きなどの現実にある歪みを読み取ってデザインし、それに濃淡を加えて描いた作品です。それは「現実そっくり」に表現するのではなく、自分の感覚を加え、絵画という空間の中で何ができるかデフォルメする実験でした。絵画空間という架空の世界、イリュージョンを描いています。
Ⅲでは罫線が登場します。そして、「罫線」という一つのものを、①罫線そのものと②罫線で囲まれた領域という二つの視点で描いています。コクヨの罫紙をコピーして、シルクスクリーンで色を重ねました。塗り重ねる都度、版に目止め剤を塗って色を変えた作品もあります。
Ⅲの終わりに油彩画が登場します。作品No.59《WORK-78-P-14》はミニマリズムの絵画です。
(注:Ⅱは抽象的な図形の規則性を破った時に生ずる新しい空間を描いた作品であるのに対し、Ⅲでは壁のタイルや罫紙など現実世界にある要素が表現に作品に加わってきます、装飾的要素を最小限に切り詰めたものになっている、ということでしょうか)

◆Ⅳ
辰野の言葉は「切り文字」です。シートに文字の形に切り込みを入れて壁に貼り付け、その後、文字以外の部分を剥がして作りました。パネルの掲示よりも手間がかかりますが「作品以外のものに物質感を持たせたくない」ので、パネルでなく「切り文字」を貼ることにしました。
Ⅲの最後の油彩の作品No.59《WORK-78-P-14》は名古屋で発表されたものです。辰野は1978年に名古屋の「ギャラリーたかぎ」で油彩の個展を開いています。この作品では、それまでの作品にあった規則性を離れ、フリーハンドでの絵画制作にチャレンジしています。
Ⅲまではグリッドや罫線など前提になる形があったのですが、Ⅳで油彩に戻ると表現の自由度が増して、色づかいや画面構成に気を配るようになります。また、油彩とシルクスクリーン、カンバスと紙、という違いを自分の手で確かめながら試行錯誤をしています。したがって「一つ一つ作品それぞれに意味がある」というよりも、すべて実験結果です。なお、辰野は「色づかいには自信がある」と言っています。一方で「デッサンは苦手」とも言っていますが。
作品No.68《WORK80-P-22》と作品No.69《無題》には、次に続くⅤの作品群の片鱗が見られます。このように作風が変わるきっかけに、辰野の結婚があったという見方もあります。辰野は理知的な性格ですが、結婚によって夫の「感性を素直に表現する」という考え方に影響を受けたのではないかというのです。一方で「自分がやりたいから作風が変わったのではないか」という見方もあります。
それでは1階に移動しましょう。

◆Ⅴ
Ⅴの展示空間は中央に柱があります。展示空間の真ん中に柱を置くような配置は避けるのが普通ですが、1階は大きい作品が多いので広い空間を確保するため、あえて柱を残しています。
辰野はⅤで作品の画面構成に試行錯誤をしています。Ⅳの作品のように色を上から下に垂らすだけなら、描く物体の形や画面構成を意識しなくてもよいのですが、「自由に描く」となったら「画面へのおさまりやすさ」も考える必要があります。辰野はⅤで、長方形の画面の中に菱(◇)型の物体を描いたり、右上から左下に対角線を描くなどの試行錯誤を繰り返しました。
画材も、いろいろと試しています。水彩や鉛筆はサラサラ描けますが色は弱い、油彩だと色は強いのですが絵の具が乾くのに時間がかかります。銅版画だとエッチングやドライポイントならシャープな線が描け、アクアチントなら色面を作ることができます。パステルだと物体や背景を「ぼかす」ことができます。

◆Ⅵ
Ⅵに掲げた辰野の言葉に「イメージは見えている世界からピックアップされてくるものもあれば、心の闇から生まれてくるものもあります。」という一節があります。この「見えている世界からピックアップされてくるもの」のひとつが「原稿用紙」です。Ⅵでは、①原稿用紙の枡目の枠と②枡目で囲まれた領域、という2種類のドローイングが登場します。チラシやポスターで使った画像の作品No.109《Oct-20-95》は原稿用紙の枠をピックアップした作品で、国立国際美術館コレクションの作品No.124《March-3-98》は、囲まれた領域をピックアップした作品です。
また、地と図形の関係、つまり「地の処理を変えることで、どのように図を目立たせることができるか」も試しています。たとえば、作品No.107《無題》では図の内部を黒くすることで図が浮き上がってきます。作品を見くらべてください。
Ⅵには「ザ 辰野登恵子」というべき作品が並んでいます。なかでも、大型の作品は上部の解放感が必要なので吹き抜けに集めました。市美所蔵の特別出品《WORK86-P-12》も大型で、しかも左右の空間が必要だったため、結果的に通路の正面という一番目立つところに展示することになってしまいました。

清家学芸員、ちょっと風邪気味でした

清家学芸員、ちょっと風邪気味でした

◆Ⅷ
辰野は2011年と2012年にフランスに渡り、パリの版画工房イデム(IDEM)でリトグラフを制作しています。イデムは石灰石の版を用いたフランスの伝統的な技法でリトグラフを制作する工房です。伝統的な技法による版画制作は辰野にとって初めての体験でした。制作を始めると、今までの版画制作の経験が使えないということが分かり、これまでの自分のやり方を一度捨てて、一から描いたイメージで版画を制作しました。
ご覧いただくとわかるように、Ⅷには今までとは違うイメージの作品が並びます。なかでも、作品No.215《望まれる領域》は最晩年の作品で、さらなる発展を考えていたことが感じられます。メインの赤いモチーフに青やピンクの背景を組み合わせた作品ですが、左下に異質なものが描かれています。
それでは、地下1階に移動します。

◆Ⅶ
Ⅶは信濃毎日新聞に連載された辻井喬(堤清二)のエッセイの挿絵として制作した作品です。紙面コピーをファイリングした資料も用意しています。作品は辰野の故郷の岡谷市で両親の介護をしているときに制作したものです。ご覧いただいているように、月やミモザの葉、連なる山など身の回りの景色や物から得たイメージを描いています。
(注:Ⅶで展示されている作品は新聞連載の挿絵ということもあってか、親しみやすいものでした。参加者からは「この作品なら、部屋に飾りたい」とか「Ⅶの画集が出たら、絶対買うのに」などの声がありました)

◆Q&A(地下1階・常設展示室3にて)
Q1 Ⅰの作品No.4《無題》に描かれているスリッパの中に、スリッパを剥がしたような跡があるのですが、作家はわざと剥がしたのですか。
A1 その通りです。最初はスリッパをコラージュしていたのですが、それを剥がしています。

Q2 Ⅶに展示してある作家の写真は学生時代に撮影されたものですか。
A2 その通りです。大学院の研究室で撮影されたものです。マギーブイヨンの缶が写りこんでいますね。雑然とした様子は「いかにも研究室」という感じです。
(注:灰皿とタバコの吸い殻も写っていましたね)

Q3 作品のタイトルに《無題》や整理番号のようなものが多いのですが、なぜでしょうか。
A3 そのようなタイトルをつけたのは、辰野が「見方を自由にしてほしい」と考えていたからです。「見る人がいろいろ違ったことを考えてくれるのが一番うれしい」ということですね。

Q4 展覧会のチラシやポスターの画像などは、巡回する美術館で統一しているのですか。
A4 美術館ごとに違う画像を使っています。市美では、辰野作品のイメージがよくわかるⅥの作品No.109《Oct-20-95》を使っています。油彩の作品を推す声もありましたが「オン ペーパーズという副題の展覧会で、カンバスの作品はまずいだろう」ということから、春らしくて明るい紙の作品を選びました。

◆最後に
ギャラリートークではレクチャーを聴くだけでなく自由に観覧する時間もあり、とても楽しく鑑賞することができて、あっという間に時間が過ぎてしました。また、Ⅶを鑑賞した後のQ&Aでは多くの質問が出され、Q4では展覧会の裏話を聴くこともできました。
参加者は皆、満足して市美を後にしました。清家さん、ありがとうございました。
Ron.

最後までていねいに興味深い解説をしていただきありがとうございました

最後までていねいに興味深い解説をしていただきありがとうございました

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