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事務局
2022年
2月22日
本年2月19日(土)付・日本経済新聞の「読書」欄に、山下裕二著「商業美術家の逆襲」の書評が載っていました。表題を入れて12字×17行の短い記事なので、取り上げた作家はグラフィックデザイナーの田中一光のみです。
私が田中一光のポスターに出会ったのは、2014.05.11(日)の協力会「春のツアー」が最初です。大阪市の国立国際美術館で開催の「アンドレアス・グルツキー展」鑑賞後に見た「コレクション展」の一角に展示されていました。そこに展示されていたのは美術館所蔵のポスター。時間が無いので急いで通り過ぎたのですが、一つのポスターの前で足が止まってしまいました。ポスターの左上に書かれているのは「Nihon Buyo」。他の文字も全て英数字でした。「不思議なポスターだな」と思いましたが、残り時間がわずかだったため、「田中一光」という作家名を確かめただけ。急いで、ツアーのバスに戻りました。
次の出会いは、2017.09.23(土)の協力会「秋のツアー」。移転新築後の富山県美術館「コレクション展」でした。「デザイン・コレクション ― ポスターと20世紀の椅子」のコーナーで、田中一光「Nihon Buyo」1981との再会を果たしたのです。二つの美術館で収蔵しているということから、「重要な作家」だということは分かりましたが、そこで途切れてしまいました。
三度目の出会いが、日本経済新聞の書評が取り上げた「商業美術家の逆襲」です。これまでの出会いでは、ポスター以外には作家名・作品名・制作年という限られた情報しか得られませんでしたが、今回は作家の経歴・位置付けなど様々な情報に接することができました。
日本経済新聞の記事を読んだ後、国立国際美術館のホームページにアクセスし、同館が田中一光の作品を多数所蔵し、2016.04.05~06.19には「田中一光ポスター展」を開催していることを知りました。また、「田中一光ポスター展」のホームページでは「Nihon Buyo」のほか、「商業美術家の逆襲」に掲載の「JAPAN」、尾形光琳《紅白梅図屏風》を思わせる作品など、全7点のポスターを見ることができます。更に知りたい方は、「所蔵作品検索」で独立行政法人国立美術館の4美術館の所蔵作品が検索できますので、お試しください。
蛇足ながら、以下に日本経済新聞の記事を引用しました。
Ron.
◆ 2022.02.19 日本経済新聞 書評(新書・文庫)『商業美術家の逆襲』 山下裕二 著
著者はグラフィックデザイナーの田中一光を「20世紀の琳派」とみる。ポスター「JAPAN」は俵屋宗達が「平家納経」に描いたとされる鹿の絵を引用してデザインした。この引用と変換こそが琳派の精神だという。著者は日本美術を継承し、新たな表現を切り開いてきたのはこうした商業作家だと指摘。浮世絵から漫画まで、商業作品を糸口に明治以降の美術史を捉え直す。(NHK出版新書・1210円)
2022年
2月8日
昨年6月13日開催の協力会ミニツアーで、岡崎市美術博物館の「渡辺省亭 ―欧米を魅了した花鳥画―」展を鑑賞しました。当日は、入場者が館の想定を超えたため、一時、入場制限。入場後、展示されていた作品を見て、館の想定を超える入場者があったことに、「なるほど」と深く納得した覚えがあります。最近、その渡辺省亭に関する書籍を2冊、近所の書店で発見しましたので、ご紹介します。
◆「商業美術家の逆襲 もうひとつの日本美術史」 山下裕二 著 NHK出版新書666 2021.12.10発行
刺激的なタイトルに惹かれて手に取ると「渡辺省亭」の文字が目に飛び込み、迷わず買いました。著者は本書の目的を〈日本美術のメインストリームから外れたことで、美術史上、正当な評価を受けてこなかった商業美術家たちを「再評価」するだけでなく、むしろ彼らを本流として明治以降の美術史を再考してみたい〉と書いており、パートⅠ「商業美術の到達点」、パートⅡ「浮世絵から新版画まで」、パートⅢ「戦後の商業美術家へ」の三部構成となっています。
〇パートⅠ 商業美術の到達点
・取り上げている商業美術家
パートⅠで取り上げている商業美術家は、渡辺省亭(1851-1918)、鏑木清方(1878-1972)及び小村雪岱(1887-1940)の三人です。渡辺省亭と小村雪岱は、著者が監修・企画協力をした展覧会で取り上げた画家。ともに存命中は高く評価され、画壇も一目置く存在でありながら、没後、その盛名が忘れられていました。鏑木清方は日本画の巨匠。「忘れられた画家」ではありませんが、画業の出発点は「商業美術」の口絵・挿絵であり、省亭・雪岱の二人と関係の深い作家でもあります。
・渡辺省亭・鏑木清方・小村雪岱に共通するもの
著者は、省亭、清方、雪岱の三者に共通する点を〈江戸の風流を愛し、酒井抱一、柴田是真に連なる「江戸の美意識」の継承者であること。権威に与することも関心もなく、淡々と描き続けたこと。そして、その類まれな画力とセンスを、商業美術的なものに惜しみなく注いだ〉と書いています。この言葉どおり、彼らは小説の挿絵・口絵という「商業美術」で好評を博しています。
・渡辺省亭を敬愛する鏑木清方
清方は、自伝的随筆『こしかたの記』に〈省亭は、年方に直結して、間接的には私にまで及んでいる〉と書いています。著者は〈清方の師・水野年方(1866-1908)は、月に二度ほど省亭のもとに通って花鳥画の手ほどきを受けていた時期があり〉、清方自身も〈省亭を敬愛し、粋で気品のある花鳥画に深く心を寄せていた〉と書き、晩年の清方が省亭の掛軸を床の間に掛けていたという、キャバレー王・福富太郎の証言を載せています。
・渡辺省亭と鏑木清方を結ぶキーマン・柴田是真
著者は、省亭と清方を結ぶキーマンとして、漆工家で画家の柴田是真(1807-1891)を挙げています。省亭は小さい頃から是真の木版画を手本に絵を描き、先ず是真に弟子入りを志願。是真の勧めと仲介で歴史画の大家・菊池容斎(1788-1878)に弟子入りしています。一方、清方の家は是真一門と深い付き合いがあり、床の間を飾る掛軸の多くは是真の作。清方も、9歳で是真の次男・真哉に絵の手ほどきを受けています。
柴田是真も、生前は国内外で高い評価を受けていたにもかかわらず、没後、忘れられた作家です。著者は、省亭、是真と同様に河鍋暁斎(1831-1889)も〈作品のクオリティーや海外での評価の高さと、日本での認知度に大きなギャップがある〉としています。また、その原因は〈絵画と工芸の両分野でずば抜け、また、盛期が江戸と明治にまたがっていたため、その足跡や作品世界の全貌がきちんと理解されてこなかったからだろうと思います〉と書いています。
・渡辺省亭が描いた挿絵が引き起こした大騒動
省亭については、山田美妙(1868-1910)の小説「蝴蝶」に描いた挿絵について、次のようなエピソードを紹介しています。省亭は、小説中の描写に沿って鎧武者と向き合う美女の裸体画を描き、それが評判となって、小説を掲載した雑誌『國民之友』は二万部の増刷。しかし、蝴蝶人気に便乗して数多(あまた)の裸婦画が出現し、『國民之友』は一年足らずで発禁処分となってしまったとのこと。大騒動だったようです。
・鏑木清方と小村雪岱の関係
清方と雪岱については、ともに泉鏡花(1873-1939)の小説に挿絵を描いている、と紹介されています。清方は、泉鏡花の単行本『三枚続』に口絵を描いたことから、二人のコンビで次々と作品を世に出します。雪岱が商業美術の世界に飛び込んだのも、泉鏡花の『日本橋』の装幀がきっかけです。以後、鏡花の本の装幀はもっぱら雪岱が担当することになります。しかし、著者によれば、清方と雪岱は良きライバルであり、先輩・後輩として、とてもいい関係を築いていた、とのことです。
〇パートⅡ 浮世絵から新版画まで
パートⅡでは、世界が熱狂した日本の商業美術、浮世絵版画について、岩佐又兵衛(1578-1650)の「洛中洛外図屏風(舟木本)」から伊東深水(1898-1972)、川瀬巴水(1883-1957)、吉田博(1876-1950)、橋口五葉(1881-1921)の新版画まで、幅広く取り上げています。
なかでも、著者が注目しているのは歌川国芳一門。師風を強く受け継いだのが月岡芳年(1839-1892)で、芳年から「年」の字をもらった弟子が水野年方。年方から「方」の字を受け継いだ鏑木清方の門下に、新版画の伊東深水と川瀬巴水がいます。一門の外で、洋画家から新版画に転じたのが吉田博と橋口五葉です。
〇パートⅢ 戦後の商業美術へ
パートⅢでは、広告ポスターのデザインやイラストレーション、雑誌の表紙、マンガの作家を取り上げています。西部流通グループ(のちのセゾングループ)のクリエイティブ・ディレクターを務めた田中一光(1930-2002)や『週刊少年マガジン』の表紙を芸術にした横尾忠則(1936- )、『ねじ式』を描いたマンガ家・つげ義春(1937- )、小村雪岱からの影響を感じさせるマンガ家・林静一(1945- )などを紹介しています。特に、子供向け学習雑誌の表紙を四半世紀にわたって描き続けた玉井力三(1908-1982)については〈学習誌の表紙を飾った昭和の子どもたちの笑顔には、その湧き出すような力強さまで描出されていて、時代を映す風俗画としても貴重です。その原画などを紹介する回顧展を、現在準備中(2022年秋開催予定)ですが、女性誌の表紙に展開された美人画についても、かつて橋口五葉が三越呉服店のポスターに描いた女性像を嚆矢とする経脈を継ぐものとして、今後研究が進むことを期待しています〉と綴っています。なお、この本のカバーは、小村雪岱「おせん 雨」と玉井力三「『小学三年生』表紙」の図版を使っています。
〇ひとこと
渡辺省亭について知るために買った本ですが、小村雪岱の画業についても知ることができたのはラッキーでした。2019年12月21日から翌年2月16日まで岐阜県現代陶芸美術館で開催された「小村雪岱スタイル 江戸の粋から東京モダンへ」展は、チラシがきれいで「行きたい」と思っていたのですが、気が付いたら会期は終了。協力会の会員から「とてもよかったですよ」という評判を聞き、「見ておけばよかった」と後悔したものです。今回、この本に掲載された雪岱の作品を見たことで、少し気分が晴れました。
商業美術家でたどる「明治以降の美術史」は新鮮で、とても面白いものでした。お勧めです。
◆別冊太陽296 「渡辺省亭 花鳥画の絢爛」 山下裕二 古田亮 監修 平凡社 2022.2.25発行
大型の書籍で図版が大きく、発色もきれいなので「商業美術家の逆襲」と併せて読むと良いと思います。
巻頭に「渡辺省亭の再評価元年がやってきた!」という山下裕二氏と東京藝術大学大学美術館館長・古田亮氏との対談が掲載されています。このほか、鏑木清方が書いた渡辺省亭の追悼文(『中央美術』五月号 大正七年五月一日発行)、2021年の展覧会の会期中にその存在が明らかになった絶筆《春の野邊》(岡崎市美術博物館から公開)、「省亭の画技を支えた書」という記事なども掲載され、見ごたえ十分です。
Ron.
2022年
1月13日
令和4年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。主人公の北条義時を始め、時政、宗時、政子、実衣など北条氏の面々が登場しますが、なんと名古屋市美術館協力会は、今年の大河ドラマで話題になると思われる北条氏ゆかりの地(現在の伊豆の国市)を「秋のツアー箱根2016」で訪れていました。9月25日(日)のことです。
◆伊豆の国市で見た場所は
当日は箱根の岡田美術館見学後、源頼朝が配流された「蛭ケ小島(ひるがこじま)跡」の横をバスで通り過ぎ、世界文化遺産「韮山の反射炉」の隣にある「蔵屋鳴沢」で昼食。反射炉を見ながらの網焼きバーベキューでした。とてもボリュームがあり、皆、大満足。300円の入場料を払って反射炉見学をした人もいました。
ツアーの最後は、反射炉の目と鼻の先にある、北条政子の父・北条時政が建立した寺院の願成就院(がんじょうじゅいん)。阿弥陀如来坐像を始め、平成25年に国宝指定された運慶作の五体の仏像を安置。我々が本堂に入るのとほぼ同時に住職が登場して「この阿弥陀如来は体格が良くて男らしい仏様で、両掌を前に向ける説教印を結んでいるのが特徴。地震で螺髪、鼻、目が損傷し、玉眼ではなくなった。体内から五輪塔型の木札が見つかり、運慶作であることが確認された。現在の本堂は、50年ほど前に再建された」との解説がありました。(注:願成就院については、呉座勇一「頼朝と義時」(講談社現代新書)p.188に〈文治五(1189)年、北条時政は本拠地である伊豆国北条に願成就院を建立し、奥州征伐の成功を祈願している(『吾妻鏡』)。〉という記述があります)
見学後のバスでは、会員の藤井さんから阿弥陀如来像について「座像は瞑想など修業中や説教中のお姿。一方、立像は人々を救済しようと立ち上がったお姿。両足を揃えたお姿だけでなく、歩き出したように片足が前に出た立像もある」という内容のお話があり、参加者一同が聞き入っていました。
◆その後、調べた事柄
・運慶のこと(Wikipedia による。(注)は、私の補足です)
平重衡による「南都焼討」(1180)で東大寺・興福寺が焼失。東大寺・興福寺の再興に伴う仏像制作は、京仏師と奈良仏師が分担しましたが、主要な仏像は京仏師の分担でした。運慶は奈良仏師のひとりとして興福寺の仏像制作に取り組んでいましたが、その後、鎌倉幕府関係の仕事を引き受け、1186年には願成就院の阿弥陀如来坐像、不動明王像及び二童子像及び毘沙門天像を作り始めました。奈良に戻ってからは、東大寺・興福寺の仏像を制作。有名な東大寺・金剛力士像は1203年に完成。晩年は、源実朝・北条政子・北条義時など、鎌倉幕府要人の仕事を手掛けています。(注:南都焼討といえば、最近、澤田瞳子の「龍華記」を読みました。「龍華記」は南都焼討を巡る小説で、京仏師に反発して伊豆に旅立つ運慶も登場します)
・北条時政のこと(本郷和人「北条氏の時代」文春新書 による。(注)は、私の補足です)
p.17 平安時代後期、北条氏は伊豆国に暮らしていました。伊豆半島の西側、三島から少し南に下ったところに幕末に作られた反射炉が世界遺産になった韮山(にらやま)があります。この韮山の西側に北条と呼ばれる地域がありましたが、ここが北条氏発祥の地になります。(注:現在の地図にも、「中條」「南條」という地名が残っています)現在でも北条政子(1157~1225)の産湯に使ったとされる井戸や時政の墓などのゆかりの史跡があり、北条氏発祥の地であることがよくわかります。(注:北条時政の墓は願成就院の境内に、北条政子産湯之井戸は願成就院の北にあります)
p.22 頼朝が流されたのは、時政の本拠地の近くにある蛭ケ小島と呼ばれる場所です。多くの人が海に浮かぶ「島」をイメージすると思いますが、山間の盆地にある平地です。正確な場所は特定していないのですが、川の中洲であったとも考えられています。頼朝は、この地で十四歳からの二十年を過ごします。
p.81 (略)(注:1205年の)閏七月、時政が主導する、さらに大きな陰謀が「発覚」しました。牧の方と計って、将軍・源実朝をその座から引きずりおろし、平賀朝雅を将軍にしようとしたというものです(牧氏の乱)(略)義時は軍勢を率いて一気に館を囲みます。そして、勢いのまま実朝を連れ出し、自分の保護下に置きました。「玉」を取られた時政はこれでおしまいです。時政は、その日のうちに出家させられ、鎌倉から本拠地の北条に追われました。(略)十年後の1215(健保3)年に復帰することなく78歳の天寿を全うして時政は亡くなりました。ちなみに愛妻の牧の方はいつの間にか京に戻っています。藤原定家の『明月記』には、非常に贅沢をしている人物として描かれていますので、それなりに楽しい後半生だったのでしょう。(略)
◆最後に
当時、願成就院や北条時政が大河ドラマで注目されるようになるとは思ってもみませんでした。今は、穴場的なスポットを、ゆったり見学できたことが「秋のツアー箱根2016」の良い思い出となっています。また、坂東彌十郎「北条時政」・宮沢りえ「牧の方」が、どのような「策略家ぶり」を演じるか、今から楽しみです。
Ron.
2021年
12月28日
名古屋市博物館で開催中の「大雅と蕪村 文人画の大成者」(以下、「本展」)鑑賞の協力会ミニツアーに参加しました。参加者は24名。1階展示説明室で横尾拓真学芸員(以下「横尾さん」)の解説を聴いた後、自由観覧・自由解散となりました。
◆横尾さんの解説(10:00~30)の要旨(注は、筆者の補足です)
・本展のポイント
本展ポイントは、①大雅と蕪村を比べながら鑑賞できる、②大雅・蕪村と尾張との関係が分かる、という2点です。蕪村の展覧会は開催されるものの、大雅と蕪村の作品を比べながら鑑賞できる機会はあまりありません。大雅・蕪村と尾張との関係については、重要なつながりがひとつあります。それは、国宝『十便十宜図』で、大雅と蕪村の合作です。川端康成が所蔵し、現在は公益財団法人川端康成記念会の所蔵です。『十便十宜図』は、中国の文人・李漁が自分の住いの「十便」(十の便利なところ)と「十宜」(十のよろしいところ)について詠んだ七言絶句の漢詩「十便十宜詩」を絵にしたもので、大雅49歳、蕪村56歳の時の作品です。尾張との関係は、この作品が鳴海宿の豪商・下郷学海(しもさとがっかい)が所蔵していたもので、彼が注文主だと考えられているという点です。本展では、「本当に下郷学海が注文したものなのか」という点を掘り下げました。その結果「下郷学海が注文した」と考えられます。
・本展の構成
プロローグ 文人画とは?
第1章 文人画の先駆者―彭城百川(さかきひゃくせん)
彭城百川は名古屋ゆかりの画家なので、第1章で紹介しています。
第2章 早熟の天才絵師―池大雅
池大雅は、文字どおり早熟の天才絵師で、20代から30代の作品を紹介しています。
第3章 芭蕉を慕う旅人―与謝蕪村
池大雅と違って、与謝蕪村は大器晩成型の画家で、若い頃といっても40代から50代の作品を紹介しています。
第4章 『十便十宜図』の誕生

長い前置きがあります。本なので、一度にお見せできるのは1ページだけです。他のページについては、お配りする『十便十宜図』をご覧いただくか、図録をご覧ください。(注:名古屋市博物館敷地内の北側通路にも、『十便十宜図』のパネル展示があります)
第5章 蕪村の俳諧―尾張俳壇と蕪村
与謝蕪村は名古屋の俳人と交流が深く、蕉風の同志として交流とともに、蕪村の「俳画」を紹介しています。
第6章 かがやく大雅 ほのめく蕪村――ふたりが描く理想の世界
池大雅と与謝蕪村の代表作を並べています。心ゆくまで楽しんでください。
第7章 尾張の文人画―丹羽嘉言
付けたりです。尾張の画家を紹介しています。
エピローグ 両雄並び立つ-歴史となった大雅と蕪村
・本展のみどころ
〇張月樵《大雅・蕪村肖像》(プロローグ)
名古屋の画家なので紹介します。三幅対の肖像画ですが、スクリーンに映しているのは、大雅と蕪村の肖像です。二人を描いた肖像画を元に、滑稽味を加えて描いたものです。

〇池大雅《前後赤壁図屏風》(第2章)
大雅27歳の時の作品で、彼の魅力が凝縮されています。山水画を「わび・さび」の世界ではなくデザイン的に描いたものです。同じような形の松を繰り返し描き、墨の濃淡で概念的な奥行きを出しています。樹木の葉も楕円形で、抽象的な表現です。楕円をいっぱい並べて、グラデーションをつけています。自然を写実的に描く、というより、形の面白さを表しています。中国で出版された、木版による文人画のお手本のスタイルを取り入れたと思われます。私(注:横尾さん)は琳派の影響があったのではないかと考えています。デザイン的な描き方なので、中国の文人画とは違うものです。
文人画には、詩・書・画の一致が求められました。大雅は書もうまく、《前後赤壁図屏風》に大きく書かれた「前赤壁」「後赤壁」という篆書は、墨のかすれも計算に入れて書いたもので、画一的にならないよう工夫しています。
〇与謝蕪村《倣銭貢山水画》(第3章)
蕪村51歳の時の作品で、中国の文人画を写し、お手本の絵と並び立つほどの出来になっています。文人画には決められたスタイルがあります。それは、細い線と点をうまく組み合わせて、山・岩・土の凹凸を表し、親しみやすい空間を描くというものです。
なお、作品名は「銭貢に倣った山水画」という意味で、明の蘇州の職業画家・銭貢の山水画に倣って描いたものです。自然の中で自由に暮らす様子を描いています。池大雅の絵は圧倒的にうまいですが、中国の文人画風のものは描きません。一方、与謝蕪村の若い頃の絵はぎこちないものです。中国の文人画を丁寧に模写して、それをしっかりと再現するように修練し、それを土台にしてその後の作品を描きました。
〇池大雅《漁楽図》(第6章)
大雅の代表作です。点描の雨嵐で、中国の文人画にもない表現です。明るく、伸び伸びと文人の理想を表現した大雅らしい作品です。
〇池大雅《蘭亭曲水・龍山勝会図屏風》(第6章)
大雅41歳の時の作品で、明るく、優しく、伸びやか、朗らかで、登場する文人たちも楽しそうです。
〇与謝蕪村《新緑杜鵑図》(第6章)
蕪村63歳以降のラフな表現の作品ですが、見る者の想像力を喚起します。余白をうまく使っており、モヤがかかった風景に合う、ぼんやりした表現です。中国風のかっちりとして緻密な表現を、意図的にラフなタッチに崩しています。詩的で情緒的な作品です。
〇与謝蕪村《奥の細道図巻》(第5章)
蕪村63歳の時の俳画です。一見すると、誰でも描けそうですが、なかなか描けない絵です。いくつかの線を省略していますが、足の向きなどはちゃんとわかります。
◆自由鑑賞
〇彭城百川《十二ケ月押絵貼屏風》(第1章)
会員のNさんたちに評判が良かったのが、八月の天橋立図でした。墨の濃淡が綺麗です。ただ、その場にいた誰も「押絵貼」の意味が分からず、スマホで「押絵」を検索したら羽子板の「押絵」の画像が出て来て途方に暮れました。家に帰って調べたら伊藤若冲《鶏図押絵貼屏風》の画像が出てきて「独立した図を貼る押絵貼屏風という形式をとり」という文章が出て「押絵貼屏風」の意味が分かりました。
〇彭城百川《梅図屏風》(第1章)
金屏風に墨で描いた、渋いけれど豪華な屏風です。墨で右隻の紅梅と左隻の白梅を描き分けているところに、会員のNさんたちは感心していました。
〇池大雅《前後赤壁図屏風》(第2章)
横尾さんが「見どころ」として解説された作品ですが、篆書も楷書も良かったですね。
〇与謝蕪村《晩秋飛鴉図屏風》(第3章)
濃い墨で描いた鴉と、薄い墨で描いた背景の対比にも、会員のNさんたちは感心していました。
〇横井金谷《蕪村筆奥細道図巻模本》(第5章)
横尾さんが「見どころ」として解説された蕪村《奥の細道図巻》のコピーが展示してあったので、「何故だろう」と思ったところ、解説に「原本である『奥の細道図巻』が、当時の名古屋にあったことの傍証となるのである」と書いてありました。そのために展示しているのですね。
「来てよかった」「来年の展示替えも見に来る」などの声も聞こえてきました。お勧めですよ。
Ron.
2021年
12月21日
名古屋市美術館(以下「市美」)で開催中の「現代美術のポジション 2021-2022」(以下「本展」)の協力会・会員向け解説会に参加しました。2階講堂で森本陽香学芸員(以下「森本さん」)から、本展の概要を聴き、その後は2つのグループに分かれてギャラリートーク・自由観覧・自由解散となりました。森本さんが担当するグループは1階の展示から、もう一つのグループは2階の展示から見ることになりました。私が参加したのは後者で、担当は久保田舞美(くぼた・まみ)学芸員(以下「久保田さん」)です。ギャラリートークの冒頭で、「今年の4月に学校を卒業し、市美に採用されたばかりの新人です」と自己紹介がありました。
◆2階講堂・森本さんの解説(16:00~16:10)の概要
「現代美術のポジション」は1994年に始まり、前回開催は2016年、本展は6回目の開催となります。本展では、名古屋市や愛知県を拠点として活動している作家、名古屋市や愛知県で学び巣立っていった9名の作家を紹介します。ジャンルは偏らないようにしました。男女比をみると、奇数なので同数は無理ですが、男性5名、女性4名。期せずして、ほぼ半分。女性のうち母親が2名というのも、時代を反映しています。これも、自然とそういう形になったものです。年齢は、全員が20代後半から30代後半の若い作家で、ステップアップに期待できる人たちです。美術系大学の講師も、複数いらっしゃいます。
◆久保田さんのギャラリートーク(16:10~17:15)の概要
(注)久保田さんが担当するグループのギャラリートークは2階から始まりましたが、以下の文章は、展示の順番に従って、1階の作品解説から書かせていただきました。なお、(mm)は久保田さんのギャラリートークの概要、(Ron)は私の「つぶやき」です。
1階
◆木村充伯(きむら みつのり)1983~

(mm)エントランスにいるのはミーアキャットの彫刻、木村充伯の《Wonderful Man》です。ミーアキャットの毛皮は、チェーンソーで木材の表面を毛羽立たせたものです。皆さん、ミーアキャットはたくさんいるのに、作品名は単数、おかしいと思いませんか。実は、Man はミーアキャットではなく、ミーアキャットたちが見ている「不思議な人物」。つまり、皆さん方のひとりひとりを指しています。展示室に展示されている彫刻は《大丈夫、あなたを見ている人がいる》です。ヒョウ、キリン、ペンギンとネコの4点が出品されています。

(Ron) 《Wonderful Man》も《大丈夫、あなたを見ている人がいる》も、参加者の中では「カワイイ!」という声が飛び交っていました。
◆多田圭佑(ただ けいすけ)1986~

(mm)木の板やタイル、チェーン、ビスを組み合わせた作品に見えますが、実は、木の板やタイル、チェーンなどは、型にアクリル絵具を流し込んで固めた作品です。型から取り出したアクリル絵具の塊に着色し、本物そっくりに仕上げました。なお、作家は、テーマパーク(ディズニーランド)でセットを制作しています。
(Ron) 「アクリル絵具で作った」と聞いて、参加者の中から「鎖はどうやって作ったの? 信じられない!」という声が出ていました。タイルと木の板、チェーンの組み合わせというだけでも、作品として十分成立しますが、更に手の込んだ仕掛けをしていると知って、びっくりです。
◆鈴木孝幸(すずき たかゆき)1982~

(mm)作家は愛知県新城市を拠点にしています。映像作品は地震を体験した人の話を編集したもので、机の上に並んでいるのは、河原から採取した石などです。コールタールで黒く塗ってある部分は、地中に埋もれていたところです。モルタル(セメント、水、砂を混ぜて固めた素材)にコールタールを塗った板と鉄板を組み合わせた作品は《heaping earth-627 中国の地図》です。モルタルの板は地盤、鉄板は断層を表しています。
(Ron) 《heaping earth-627 中国の地図》をみて、参加者の間から「どうやって並べたのだろう?作家の意図通りにモルタルの板や鉄板を並べるのは、とても難しい」というひそひそ話が聞こえてきました。
◆水野里奈(みずの りな)1989~

(mm)油彩画は、中東の細密画、水墨画などを組み合わせた装飾性豊かな作品です。このうち、《青い宮殿》は、高橋コレクションの所蔵です。一方、細密ドローイング6点は、油彩画とは直接関係しません。よく見ると、フレームにも図柄を描いていますね。でも、《細密ドローイング2021.5》のフレームだけは、何も描いてません。
(Ron) 油彩画は、絵の中に絵が描かれている、とても緻密できれいな作品でした。参加者からは「この作者の作品は“あいちトリエンナーレ2013”の長者町会場でも見た。とても、なつかしい!」という声が上がりました。
◆横野明日香(よこの あすか)1987~

(mm)最初は、《curve》など、山肌の曲線を美しく表現し、その場に立っているかのように感じられる風景画を描いていました。最近は《百合とかすみ草》など、花を描いた大きな作品を制作しています。
(Ron) 花を描いた作品は大きなものばかりで、《百合とかすみ草》は2枚のパネルを使った大作です。「大きすぎて、普通の家だと飾る場所がない」と思ったのですが、作家が2階の「アーティストの日常」に出品している「灯台」のシリーズは、小さなものばかり。これなら、小さな家にも飾れます。
◆川角岳大(かわすみ がくだい)1992~

(mm)愛知県出身の作家さんで、現在は埼玉県を拠点に活躍しています。犬が大好きで、ご本人は柴犬を飼っています。《rear dog》は、犬を後ろから見た作品。飼い主でないと気がつかない視線で描いたものです。なお、《front dog》と《rear dog》は、高橋コレクションの所蔵です。《He has gone》は、自転車に乗っているところを描いた作品ですが、自転車と手・足だけが描かれています。乗っている人の目線で描いたのでしょう。
(Ron) 犬を飼っている参加者は《rear dog》を見て「変なアングルだけど、確かにこんな風に見える時がある」と、面白がっていました。《He has gone》も「自転車で段差を跳び越すときに体が受けている感覚は、このようなものかな」と、思わせる作品です。
2階
◆本山ゆかり(もとやま ゆかり)1992~

(mm)「画用紙」のシリーズは、デジタルペイントツールで描いたドローイングの中から、気に入った線を選んで、透明アクリル板の裏側から絵具で描いた作品です。裏から描くので表面がツルツルで、普通の絵とは違った感じになります。裏から描くとき、黒い線が先だったり、白い部分を先に描いたりと、臨機応変に描いています。「Ghost in the Cloth」は、複数の布を縫い合わせて、その裏に綿を置き、ミシンを使って透明な糸でナイフや薔薇を線描したものです。作家は「絵画とは何か」を問い直しながら、作品を制作しています。
(Ron) 「画用紙」シリーズの(二つの皿を持つ人)は、ぱっと見た感じでは「落書き」ですが、しばらくの間眺めていると、単純化された顔と二本の腕、二つの皿が見えて来ました。(草原と日の出)は、上から三番目の太い横線の真ん中から、小さな太陽が顔を出しているように見えます。
◆寺脇扶美(てらわき ふみ)1980~

(mm)「Crystalシリーズ」は、鉱物を写生して、その図像から線を抽出し、線をデジタル化して凸版を作り、凸版で麻紙にエンボス加工を施してから、岩絵の具で彩色する、という手法で描いた作品です。「autuniteシリーズ」はウラン鉱石をモチーフに、「diamondシリーズ」はダイヤモンドをモチーフに、「Crystalシリーズ」と同手法で描いたものです。「red + whiteシリーズ」は絵絹の裏から彩色した作品です。「抱っこの光景」などの作品は、絵絹に描いた絵を裏返したものです。
(Ron) 「red + whiteシリーズ」の表面はピンク色ですが、裏から見ると鮮やかな紅色です。絵絹は礬水(どうさ)引き(膠と明礬を溶かした水を紙や絹の表面に塗ってにじみ止めをすること)をしているので、絵の具を塗った面を裏から見るとピンクに見える、という説明がありました。《抱っこの光景》は、赤ちゃんを抱いた母親を、後ろから描いた作品です。しかし、裏返しているので母親の姿は、よく見えません。久保田さんの説明では「はっきり見えなくても、抱っこの光景は確かに存在していると、作家は思っている」とのことでした。
◆水野勝規(みずの かつのり)1982~

(mm) 作家は、三重県生まれ。2018年に市美で開催した「モネ それからの100年」にも映像作品を出品しています。《snow garden》は古い規格のビデオ作品ですが、《sync code》や《monotone》は4Kビデオなので、画像が鮮明です。
(Ron) 《monotone》は鮮明で綺麗な作品ですが、上映時間が24分と長いので、最初から最後までを通して鑑賞することはできませんでした。最後の方、満月を背景に花火が打ち上げられるシーンで、火の粉が弧を描き、月の前を落ちて行った後、暫くして、同じように弧を描きながら月の前を通り過ぎて行く煙の軌跡がクッキリと見え「4Kだと、こんな風に見えるのか」と、感動しました。
◆アーティストの日常
本展の最後に、出品作家の身の回りの物を展示する「アーティストの日常」が企画されています。時間が限られていたため、説明があったのは水野里奈さんの「刺繍」だけでしたが、一見の価値はあります。
◆最後に
その前に立つと心が引き込まれ、雑念が取り払われていくような気持ちになる作品が幾つもありました。脳の疲れが減っていく感覚です。まさに、mindfulnessの実践だと感じました。
Ron.
2021年
12月17日
名古屋市博物館(以下「市博」)で開催中の「大雅と蕪村―文人画の大成者」(以下「本展」)を見てきました。地下鉄「桜山」の駅から歩いて市博の敷地に入ると、もう、本展の展示が始まっていました。大雅の《十便図》と蕪村の《十宜図》から、対になる絵を一つずつ取り出して並べたパネルが、北側通路の柱に掛かっているのです。パネルは全部で十枚、説明もついていました。
◆プロローグ 文人画とは?
本展の入口は通常の展覧会の「出口」です。つまり、チケットを買うと、右に進んだ所に「入口」があります。最初に出会うのが張月樵《大雅・蕪村・応挙肖像》です。三幅の掛軸で、向かって左から蕪村、応挙、大雅の順で並んでいます。説明によれば、張月樵(1764-1832)は京都で呉春(1752-1811)に師事し、やがて拠点を名古屋に移した画家とのこと。呉春は蕪村に師事するも、蕪村の死後は応挙に師事し、四条派を開いた画家なので、応挙が真ん中になっているのでしょうね。中国で刊行された、絵の手本『芥子園画伝』も併せて展示されていました。
◆第一章 文人画の先駆者―彭城百川
第一章の展示は、名古屋出身の文人画家・彭城百川(さかきひゃくせん)の作品。最初の展示は、俳諧の本や俳画など。文人画のなかでは、墨で描いた《梅図屏風》に迫力を感じました。
◆第二章 早熟の天才絵師―池大雅
第二章の最初に展示されているのは、重要文化財の《前後赤壁図屏風》。六曲一双の大きな屏風で、右隻、左隻のいずれにも篆書の大きな文字が書かれています。表題に基づけば、右隻は「前赤壁」左隻は「後赤壁」と推測できますが、気がつくまでには、かなりの時間がかかりました。まさに中国風の絵です。
◆第三章 芭蕉を慕う旅人―与謝蕪村
最初に目を引くのが《晩秋飛鴉図屏風》。黒々と描かれた鴉と、薄墨であっさりと描かれた積み藁と鳴子の対比が面白い作品です。重要美術品の《山水図屏風》も手前の樹木と薄墨でかすれたような背景の山水の対比が、作品に味わいを与えているように感じられました。
◆第四章 『十便十宜図』の誕生
本展の目玉である『十便十宜図』は、高校生向けの日本史資料『図説 日本史通覧』(帝国書院)にも「文人の余技で描かれた文人画(南画)』(p.191)と記載されるほど有名な作品ですが、展示は鳴海宿の豪商・下郷家の紹介から始まります。下郷家の庭園「小山園」を始め、数多くの資料が展示されていました。市博の意気込みが伝わります。『十便十宜図』の模写《十便十宜帖》も展示されていました。
当日展示されていた『十便十宜図』は、チラシに印刷されていた「課農耕便図」(家の窓からは田畑がすっかり見渡せるので、使用人の仕事を見渡せるので便利である)と「宜夏図」(家の周りの木々は太陽の暑さを遮り、おかげで安らかに夏の長い一日を過ごすことができる。この家は夏に宜(よ)し)の2点。出品リストには、本展の期間中、十回に分けてページ替えをするとのこと。全ページを見るには、市博に10回通わなければなりません。とはいえ、展示室には『十便十宜図』鑑賞ガイドが置かれ、持ち帰ることができます。市博の帰りに、北側通路でじっくり鑑賞することもできるので、文句は言えません。
◆第五章 蕪村の俳画―尾張俳壇と蕪村
与謝蕪村が松尾芭蕉に憧れ、尊敬してやまず「蕉風復興の人」であったことが良く分かる章です。
芭蕉が著した最初の旅行記『野ざらし紀行』の全文を書写し、挿絵(俳画)を添えた六曲一隻の《野ざらし紀行図屏風》は「蕉風復興の動きの中で企画された作品」という解説が付いていました。図巻だったものを屏風に仕立てたようです。木版本の『野ざらし紀行』は既に発行されていたでしょうから、商品価値を高めるために「挿絵付きの手書き」にしたのでしょう。与謝蕪村は、商機に敏感な人だったと思いました。
《井上士朗・加藤暁台宛書簡》は、落書きのような絵を見るだけでも楽しくなりますが、現代語訳を読むと《おくのほそ道絵巻》を、さりげなく売り込んでいることが分かり、興味を引かれました。以下は、その抜粋です。
(略)おくのほそ道の絵巻は、書画共に私が筆を執ったものです。近々お送りしますので、試しにご覧いただければ幸いです。この絵巻は同様のものを二三本ほど作り、芭蕉翁の名文が語り継がれるよう末永く世の中に残し伝えていきたいと願っております。名古屋は文化が栄えた土地ですから、その内の一本は残しておきたいと思います。しかしながら紙や筆などの材料費も多くかかりますので、宰馬子(吉田吉右衛門)のようなお金持ちの風流人にお買い求めいただくのが良いと思います。(引用終り)
当日は、《奥の細道図巻 上巻》も展示され、序章と旅立を見ることができました。毛筆で書かれた「月日ハ百代乃……」という文字を見ていると、中学校の国語の時間に、何度も声を出して読み上げた思い出がよみがえりました。挿絵もついているので「お金持ちの風流人」は、高く買ってくれたと思います。蕪村の図巻を模写した作品も展示されていますので、商品としても人気があったのでしょうね。
◆第六章 かがやく大雅 ほのめく蕪村―ふたりが描く理想の世界
第六章には、池大雅と与謝蕪村の屏風や掛軸・図巻が多数展示され、ゆったりと楽しむことができました。池大雅の重要文化財《蘭亭曲水・龍山勝会図屏風》も良かったのですが、与謝蕪村の重要文化財《富嶽列松図》は、昔、愛知県美術館で見て以来だったので、懐かしさを感じました。この作品を見ることができただけでも、本展に来てよかったと思いました。
◆第七章 尾張の文人画―丹羽嘉言・エピローグ 両雄並び立つー歴史となった大雅と蕪村
第七章では、丹羽嘉言《神州奇観図》が良かったですね。市博の所蔵品といっても、本展のような機会がないと、なかなか出会うことのできない作品です。
◆【複製品】重要文化財《山野行楽図屏風》(与謝蕪村筆)の前で撮影できるコーナー
展示の最後には、靴を脱いで座敷に上がり、与謝蕪村筆の重要文化財《山野行楽図絵巻》(ただし、複製品)を鑑賞できるコーナーがありました。写真撮影もできます。私が通った時には、和服姿の女性数人が記念撮影に夢中でした。屏風は、畳の部屋で鑑賞するのが良いですね。
◆最後に
文字を読むことが多かったので、4倍の拡大鏡のお世話になりました。拡大鏡をお持ちの方は、是非ご持参ください。
さて、俳人・画家のマルチタレントとして知られる与謝蕪村ですが、本展では「お金を稼いだのは、画家としての与謝蕪村?」という思いを強くしました。ネットで調べると、明和5年(1768)版の「平安人物志」では、太西酔月、円山応挙、伊藤若冲、池大雅に続く5番目に、安永4年(1775)版では、円山応挙、伊藤若冲、池大雅に続く4番目に、池大雅没後の天明2年(1782)版では円山応挙、伊藤若冲に続く3番目に与謝蕪村の名前がありました。
一方、俳人としての与謝蕪村に影響された人物と言えば、俳句を革新した正岡子規ですが、彼は『俳人蕪村』に、こう書いています。(ネットの「青空文庫」から引用)
(略)蕪村の名は一般に知られざりしにあらず、されど一般に知られたるは俳人としての蕪村にあらず、画家としての蕪村なり。蕪村歿後(ぼつご)に出版せられたる書を見るに、蕪村画名の生前において世に伝わらざりしは俳名の高かりしがために圧せられたるならんと言えり。これによれば彼が生存せし間は俳名の画名を圧したらんかとも思わるれど、その歿後今日に至るまでは画名かえって俳名を圧したること疑うべからざる事実なり。余らの俳句を学ぶや類題集中蕪村の句の散在せるを見てややその非凡なるを認めこれを尊敬すること深し。(略)俳人としての蕪村は多少の名誉をもって迎えられ、余らまた蕪村派と目(もく)せらるるに至れり。今は俳名再び画名を圧せんとす。(引用終り)
Ron.