お知らせ

2025年3月4日

2025年協力会イベント情報

現在、下記のイベントの申し込みを受け付けています。

1.珠玉の東京富士美術館コレクション 西洋絵画の400年展 会員向けギャラリートーク 名古屋市美術館 令和7年4月12日 午後5時より

参加希望の会員の方は、ファックスか電話でお申し込みください。ホームページからの申し込みも可能です。

参加の際は、感染症対策にご協力をお願い致します。体調の優れない場合は、参加をご遠慮ください。

最新の情報につきましては随時ホームページにアップしますので、ご確認ください。また、くれぐれも体調にはご留意ください。

これまでに制作された協力会オリジナルカレンダーのまとめページを作りました。右側サイドメニューの「オリジナルカレンダー」からご覧ください。

事務局

上田麟太郎 ≪視聴者の部屋≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members
今年の情報科学芸術大学院大学(以下、IAMAS)の修了研究発表会/プロジェクト研究発表会の特色として、展示作品のまとまりの良さがある。他の美大、芸大の展示を見ると、「百花繚乱」的な展示が多いが、本研究発表会は優秀なキュレーターが丁寧に準備した展覧会のような心地よさがある。

情報科学芸術大学院大学修了研究発表会/プロジェクト研究発表会にて (その4)

上田麟太郎 ≪視聴者の部屋≫

研究発表会の受付で渡されたリーフレットを見ると、一番近い展示は2階らしい。階段を上り、展示作品「15」のマークの貼られた部屋を見つけた。元々の部屋の用途は「男子仮眠室」らしい。ホワイトキューブの展示室や、アトリエではないあたりが目新しい趣向だ。上がり框で靴を脱ぎ、襖をあけ、仮眠室に静かに入る。

展示会場入口

室内は消灯され、壁面にライブ配信のログ画面が映っている。その他に敷かれたままの布団、使用中のノートパソコン、タブレット、布団の上にはスマホが転がっている。薄暗い室内で、明るく光るモニターがデバイスを使用する人間の存在を暗示している。

作品は映像だけではなく、ログに対応する数名の男性のたわいない会話が聞こえてくる。会話を聞くと、かみ合っているような、ずれているような微妙な調子が続く。

≪視聴者の部屋≫(部分)

作家は、ライブ配信のコミュニケーションと対面のコミュニケーションの相違に興味があるようだ。≪視聴者の部屋≫の登場人物たちは、思い出話や噂話をして、画面の向こうの見えない相手とコミュニケーションをとる。その内容がすれ違っていても、お構いなしだ。

本作は、様々なコミュニケーションとディスコミュニケーションを例示することで、コミュニケーションにおける人間存在の必要性への疑問を提起しているのだろうか。すれ違う会話の様子は、まるで生成AIとの会話に似ている。

杉山

樋口絢女 ≪百花為誰開≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members
愛知県立芸術大学の卒業・修了制作展を見るため、「藤が丘」駅から「リニモ (Linimo)」(愛知高速交通株式会社の磁気浮上式鉄道路線)に乗り、最寄りの「芸大通」駅で降りた。「芸大通」駅から東側の丘陵を眺めると、愛・地球博記念公園の大観覧車が見える。その麓には有名な「ジブリパーク」がある。来月、春休みが始まると、「リニモ」も大混雑するのだろうなと思いながら、芸大への坂道を歩き始めた。

愛知県立芸術大学卒業・修了制作展にて (その1)

樋口絢女 ≪百花為誰開≫

色とりどりの花々が、金色の背景の中に浮かびあがるように描かれている。花々には蝶やとんぼ、バッタが集まり、それらを狙う蜘蛛もひっそりと張られた巣の真ん中で待ち構えている。朝顔が開いているところを見ると、穏やかな早朝の花畑の風景のようだ。

近づくにつれ、画面の所々に、こすれたような跡やモザイクのような模様があることに気がついた。

≪百花為誰開≫

画面の左から右へ、ゆっくりと移動しながら画面を見ると、流れたような跡やモザイクのような模様が、かくれんぼするかのように、あちこちに隠れている。題名を見ると≪百花為誰開≫とある。禅語にちなむ題名のようだが、単に花を題材とした古典的な作品というわけではなさそうだ。

≪百花為誰開≫(部分)

樋口によると、本作は古典絵画と現代的表現の技法を融合させて制作しているそうだ。テレビを見ていると、突然、社会的配慮により解像度を落としたモザイク映像に切り替わることがある。スマホの使用中に電波が届かなくなると、画面の更新が遅れ、色が流れた映像になることがある。そのような視覚体験を古典絵画の上で再現するという、樋口の発想には驚いた。

そのような制作の背景を聞くと、題名の≪百花為誰開≫に込めた作家の思いが気になる。「花は誰かのために咲くのではない。ただ無心に咲くのだ。」という意味の題名は、一時的な人気や流行に一喜一憂せず、自分の制作スタイルに自信を持ち、これからもなお一層、果敢に絵画に取り組む気概を込めた作家の独立宣言のように思われる。

成田愛実 ≪超宇宙生命ラボ 宙蟲≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members

愛知県立芸術大学卒業・修了制作展にて (その2)

成田愛実 ≪超宇宙生命ラボ 宙蟲≫

近い将来、人類が発見するかもしれない地球外生命体の数々が並んでいる。作家により「宙蟲」(SORAMUSI)と命名された彼らは、過酷な環境に適応し、誰かに発見されるのを待っている(らしい)。

展示風景

バリエーション豊かな彼らは、確かに架空の存在なのだが、展示台の説明を見ると、居住地域や生態などの設定が細かく書かれ、まるで実在しているかのようだ。

例えば、大きな口(?)を開け、こちらを威嚇する生命体は、SF映画の凶悪キャラクターを彷彿とさせる。実在すれば、間違いなく「危険な外来生物」の指定を受けるだろう。

≪ヴェナスキャッチャー≫

細かい突起に覆われた金ピカの生命体は、土星の美しいリングの中をふわふわと浮遊しながら、粘液で獲物を捕獲し、吸収する想定だ。地球の生物でよく似ているものとしては、クラゲがあげられるだろうか。

≪リングリークス≫

それにしても、それぞれの生命体の設定、水族館か動物園のような展示方法、展示全体をラボ(研究所)とするアイディアなど、完成度の高さは群を抜いている。とてもよく考えられた展示だった。

杉山

金井花織 ≪無題≫、≪救命艇≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members

愛知県立芸術大学卒業・修了制作展にて (その3)

金井花織 ≪無題≫、≪救命艇≫

画面いっぱいに、赤色、緑色、青色の多数の多角形が飛び散っている。青色の地色は、上側で薄く、下側で濃く塗られている。濃淡の境目に船のような形を見つけた。もしかすると、そのあたりが水平線なのだろう。画面は、左右にとても長く、左側の出入り口の半分ほどを隠している。おそらく、今年の愛知県芸の卒業・修了制作展に出品された油画の中で一番の大きさではないか。

≪無題≫

本作は、どのような場面を描いたものだろうか。飛び散る多角形は、何をイメージしたものだろうか。

≪無題≫(部分)

金井のステートメントによると、「私は絵画を通して光を表現しています」とある。もし、夕焼けの海で光の粒子が見えるとすると、押し寄せてくる太陽の赤色と海面の青色の光の粒子は、このように見えるのだろうか。描かれた光は、周囲を明るく照らす光というより、「寂しさ」、「不安」、「神秘さ」の混ざり合った、ほの暗い光のように思われた。

≪無題≫(部分)

≪無題≫の横に掛けられた≪救命艇≫には、四角形の大きな帆を広げた船と、貝殻と小石の散らばる砂浜と海が描かれている。船は海の上空にプカリと飛行船のように浮かんでいる。この船は着水しようとしているのか、飛び去ろうとしているのか、このまま留まろうとしているのか。以前、心理テストで使うアートカードの中に、よく似た絵柄を見たような気がする。

≪救命艇≫

金井の故郷は港町らしく、海と船はとても身近な存在だ。また、制作に使用するキャンバスの生地は、帆船の帆布として利用するものでもあり、海と船のモチーフは金井にとって相性が良い。子供の頃、水平線の方向にまっすぐ進むとオーストラリアに着くと考えていた金井にとって、≪救命艇≫で描いた船は、大空を目指し、出発したばかりの自分の姿を映したものではないか、そのように思われた。

杉山

作石大河 ≪橙 Light from behind≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members

名古屋造形大学卒展・修了展にて

作石大河 ≪橙 Light from behind≫

薄暗い展示室の中に、大きな祭壇のような作品が置かれている。天井には、星明りを模した青いライトが小さく光っている。作品の天井部からは、何本も吊り輪がぶら下がり、オレンジ色に光る窓の下側には長いベンチがある。

暗さに目が慣れると、壁沿いの棚に多くの石膏像が並んでいることがわかる。おそらく、普段はデッサンの授業で使用する場所らしい。

展示風景

作品に近づき、窓の中を眺めると、観覧車の看板、黒猫、吊り橋、海、大きな入道雲、傾いた自動車、巨大なビル群などが見える。窓の中の景色は、まるで廃墟のように埃か砂にうずもれている。ベンチの上には、ゲームが始まったばかりのチェス盤と、観覧車の模型の右半分が置かれている。ベンチに座ると、ふかふかでとても柔らかい。このベンチには、どのような人々が座っていたのだろうか。

≪橙 Light from behind≫(部分)

作石によると、≪橙 Light from behind≫は、「新たな出会いと別れを繰り返し、私を実らせる。そんな時間をテーマにした。」作品らしい。とすれば、窓から見える風景の廃墟感やノスタルジックな照明の色調は、もろもろの思い出との距離感の表れか。

よく見ると、作品は列車の客室の一部を再現しているようだ。さて、この列車は、これからどのような人々を乗せ、どこに向かうのか。卒業にあたり、その期待感と不安感がよく表れた作品になっている。

杉山

若林凜 ≪苦し紛れのParadise!≫

カテゴリ:アート見てある記 投稿者:members

名古屋芸術大学卒業・修了制作展にて (その1)

若林凜 ≪苦し紛れのParadise!≫

名古屋芸術大学の卒業・修了制作展で、若林の≪苦し紛れのParadise!≫を見たとき、まず画面の密度の高さに驚いた。画面には、おそらく相当な樹齢を重ねた大木の切り株が描かれている。切り株の中央にはスタジアムがあり、観客席は来場者で埋まり、グラウンドは紅白に分かれて「玉入れ」の真っ最中だ。その他にも、ラッシュアワーの電車内で押しつぶされる人々、密集する高層ビル、ミニトマトが植えられた畑、塔の連なる建物などが描かれている。切り株から地中につながる根の表面は無数の描線で埋まり、同じような描線は画面右にも広がっている。

≪苦し紛れのParadise!≫

画面右下を見ると、椅子に腰かけ、開いた本を両手に抱えた人物が、上を向いて涙を流している。椅子の右には、台車に載せた荷物を運ぶ引っ越しの一団と、つかみ合いをしている人物、階段の下の道路にはパトカーがいる。

まるで収拾のつかない画面を見て、困惑しながら作品タイトルを見ると≪苦し紛れのParadise!≫とある。描かれた場面が「Paradise!」かどうかは別として、確かに「苦しい」、「悲しい」という気持ちは伝わってくる。

左から ≪苦し紛れのParadise!≫、≪枯山水≫

≪苦し紛れのParadise!≫は、連作ではなく独立した作品だが、その右に掛けられた≪枯山水≫と関連があると思う。≪枯山水≫で描かれるのは、苔の生えた岩々の間を流れる小川と、その水を湛える池だ。ここで表現されるのは「静けさ」、「穏やかさ」、「癒し」のような感覚であり、「騒がしさ」、「激しさ」、「疲れ」を満載した≪苦し紛れのParadise!≫とは正反対の画面になっている。

おそらく「Paradise!」で描かれたのは「現世」、その事後譚として描かれたのが≪枯山水≫ではないだろうか。

作家に制作時のポイントを聞いてみた。心掛けているのは「(作品は)カオスから生まれる」ということだそうだ。気象図に台風が1個の時、等圧線は比較的単純な楕円になるが、台風が2個、3個と増えると、相当に複雑な曲線が現れる。作品に溢れるほどの要素を詰め込み、驚くような画面を生み出す若林は「もっと大きな作品を作りたい」と言う。「カオスから生まれる」これからの作品に期待したい。

杉山

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