お知らせ

2025年12月1日

2025年協力会イベント情報

現在、下記のイベントの申し込みを受け付けています。

1.コレクション×現代美術 名古屋市美術館をめぐる4つの対話 協力会会員向け解説会 名古屋市美術館 

第1回  令和8年1日(金)16:00~

第2回  令和8年1月25日(日)15:00~

参加希望の会員の方は、ファックスか電話でお申し込みください。ホームページからの申し込みも可能です。両方の回に参加も可能です。

最新の情報につきましては随時ホームページにアップしますので、ご確認ください。また、くれぐれも体調にはご留意ください。

これまでに制作された協力会オリジナルカレンダーのまとめページを作りました。右側サイドメニューの「オリジナルカレンダー」からご覧ください。

事務局

春のツアー2023 長野・軽井沢(後編)

カテゴリ:アートツアー 投稿者:members

◆軽井沢千住博美術館『チキュウ・ウチュウノキセキ』

〇出発まで

 宿泊したコテージは中央に大きなテーブルがあったので、夜遅くまでカードゲームやおしゃべりを楽しむことができました。翌朝5:30にコテージから出て、スマホを見ると軽井沢の気温は15度。耳を澄ますと、薄い朝靄に包まれた青紅葉やメタセコイヤの間から、微かですが小鳥のさえずりが聞こえます。リゾート地に居ることを実感しました。ぶらぶら歩きをすると、テニスコートや結婚式場、ゴルフ場に囲まれていることがわかります。1時間ほど歩いて「これは道に迷ったかな?」と思った瞬間、同じコテージに泊まったツアー参加者から声をかけられ、一緒に朝食会場へと向かいました。ラッキーでしたね。朝食の開始は7:00。たっぷり1時間かけて朝食を済ませ、コテージに戻って荷物をまとめ、指定場所に再集合。バスは予定通り9:15に発車しました。

〇深谷さんの事前レク

深谷さんによれば、軽井沢千住博美術館の開館は2011年。建物を設計したのは金沢21世紀美術館を手掛けた西沢立衛(にしざわ りゅうえ)。樹々に囲まれるだけではなく、総ガラス張りの建物には4カ所のガラス張りの吹き抜けがあり、その中にも樹木があります。床は土地の起伏のままで、緩やかに傾斜しているとのことでした。

〇自由鑑賞

美術館には発車10分後には到着していましたが、開館時刻は9:30。開館時刻まで待機となりました。ツアー参加者以外で待機している人々の多くは外国人。うち半数はアジア系です。「ここは、観光スポットなのだ」と思いました。添乗員の石井さんから「20分おきに約7分間の映像作品が上映される」という情報が入り、ツアー参加者は「The Fall room」へ向かいました。そのため、定員20名の部屋はツアー参加者だけで満席(ただし、立ち見も可)となりました。「その後、10:00からの上映も見た」という参加者が多数いました。その他の展示は「waterfall」シリーズから始まり、初期のビルを描いたものから、Flatwaterシリーズや絵本「星降る夜に」の原画、浅間山を描いた2023年の作品まであります。

軽井沢千住博美術館前にて

入場券を見せれば「再入場可」なので、周辺の散策もできました。駐車場の横にはミュージアムショップとベーカリーカフェ浅野屋があるので、お土産を買い込んでいる参加者が多数いましたね。

◆軽井沢安東美術館『藤田嗣治 エコール・ド・パリの時代』

〇深谷さんの事前レク

深谷さんによれば、軽井沢安東美術館(以下「安東美術館」)は、投資ファンドの経営者である安東泰志氏(以下「安東氏」)の個人コレクションを展示する「藤田嗣治だけの美術館」として2022年10月に開館した美術館、とのこと。安藤氏は、安東美術館を開館する前は自宅の壁に多数の藤田作品を飾っており、安東美術館を開館するにあたっても「自宅のような美術館」をコンセプトにしており、作品は制作年代順にならべられ、展示室ごとに壁の色が違っているとのことでした。深谷さんは安東美術館の開館レセプションに招かれたそうで、来賓は小池百合子東京都知事を始め、長野県知事、文化庁長官など、錚々たる顔ぶれだったとのことです。

〇自由鑑賞

安東美術館は、前日に見学した軽井沢ニューミュージアムの少し東に建っていました。安東美術館に駐車場は無いので、バスは町営駐車場に駐車。北に向かって歩くと道路を隔てて西に軽井沢大賀ホール(注)がありました。

(注)ソニー名誉会長で声楽家でもある大賀典雄が寄贈した16億円の資金等によって建設され、2005年4月29日に開館。詳細は、軽井沢大賀ホール – Wikipediaを検索してください。

軽井沢安東美術館前にて

安東美術館に着くと、館長の水野昌美さん(以下「水野さん」)がツアー参加者を出迎えてくださっただけでなく、館内を案内してくださいました。これも、深谷さんが同行して下さったおかげです。展示は2階の展示室2(壁は濃緑)「渡仏―スタイルの模索から乳白色の下地へ」から始まります。《二人の少女》(1918)は、安東美術館の入口でもらったチラシの表(おもて)面に使われている作品。深谷さんによれば「向かって右の少女は、モディリアーニ《おさげ髪の少女》(1918)と共通点がある」とのことでした。《壺を持つ女性》(1920)を見て、「ピカソの作品の影響があるかも」と指摘する参加者もいました。1920年代初期の藤田嗣治はモディリアーニやピカソとの交流があったので、影響も受けたのでしょうね。《カーニュ、シェロンへの手紙》(1918)について、水野さんは「画面左で洗濯物を干しているのは妻のフェルナンド、部屋の中で絵を描いているのが藤田嗣治。画面右で脚を投げ出しているのはモディリアーニ」と解説してくださいました。当時の写真も多数展示されており、「藤田嗣治と写真をテーマにした展覧会を計画中」という話も聞こえてきました。

展示室3(壁は黄色)のテーマは「旅する画家―中南米、日本、ニューヨーク」。《メキシコの男》(1933)は、中南米を旅しているときの作品。また、水野さんは《犬と遊ぶ子どもたち》(1924)について「絹本に描いていますが、使っているのは油絵具」と解説。日本画のような雰囲気がありました。リトグラフの《夢》(1957)を見て、「この作品、どこかで見たことがある」とツアー参加者が思わず声を出すと、深谷さんが「名古屋市美術館の所蔵作品を版画にしたのですから、似ているのは当然です」とフォロー。

ギャラリートークの様子

展示室4(壁は濃紺)のテーマは「ふたたびパリへ―信仰への道」。細長い部屋の突き当りに《金地の聖母》(1960)がありました。金地の背景に描かれた十字と円を組合せた装飾模様は、日本の紋所を想起させました。1952年制作のガラス絵《除悪魔 精進行》からは、藤田嗣治の叫びが聞こえてくるようです。

展示室5(壁は臙脂)のテーマは「少女と猫の世界」。水野さんによれば「他の展示室との違いはキャプションもスポットライトも無いこと。その理由は、安東家のリビングを再現した部屋というコンセプトに従ったため」とのことでした。安東美術館から撮影許可が出たので《猫の教室》(1949)の前でツアーの記念写真を撮影しました。

展示室にて

最後は、「特別展示室」と「屋根裏展示室」。特別展示室では、オッフェンバックの詩集のための挿絵『エロスの愉しみ』よりを展示。屋根裏展示室では藤田嗣治が1930年に制作したテーブルなどを展示しており、寄木細工のテーブルに描かれた封筒やペン、トランプなどは、絵具で描いたのではなく、木を薄く削って貼り付けたものでした。藤田嗣治は手先が器用で、職人としても一流だったのだな、と感心した次第です。

展示風景

〇安東美術館からのサービスとプレゼント

安東美術館の入場券に印刷されたQRコードを1階の「Salon Le Damier」の入口にある機械にかざすと、フリードリンクが飲めます。飲み物は、紅茶、コーヒー、チョコレートドリンクの3種でした。

安東美術館の見学が終わった時、ツアー参加者全員に「猫のシール」のサプライズ・プレゼントがありました。水野さん、お気遣い、ありがとうございました。

◆昼食

昼食の会場は、北佐久郡軽井沢町長倉のホテル「そよかぜ」に併設の「ビストロプロヴァンス軽井沢」。安東美術館からは西に向かってバスで30分ほどの距離。山道に入ると、ヘルメットをかぶって自転車で山道を登る人の姿を多く見かけました。「傾斜が急な山道を自転車で登るのは並みの筋肉では無理」と思いましたが、ツアー参加者のMさんは「筋肉は貯金できない。一度自転車で山登りをする快感を味わうと、走る習慣を止めることはできないの」と解説してくれました。料理は、フレンチ。たっぷり1時間かけて腹ごしらえが出来ました。

◆復路でも中央道リニューアル工事の影響を受け、予定を1時間ほど超過

中央道リニューアル工事に伴う渋滞はありましたが、ツアー参加者は全員無事に帰還できました。ツアーを企画したMさん、同行の深谷さん、道中適切に状況を判断して、最小限の遅れにとどめてくださった、添乗員さんと運転手さん始め、今回のツアーに参加された皆さま方全員に感謝します。ありがとうございました。

最後になりますが、ツアー終了の翌日から、台風の影響で雨が続いています。晴れ女・晴れ男が誰だったのか、私には分かりませんが「我こそは、晴れ女・晴れ男だ」と思っている皆様方、今後とも、よろしくお願い申し上げます。

Ron.

春のツアー2023 長野・軽井沢(前編)

カテゴリ:アートツアー 投稿者:members

実に6年ぶりに一泊の美術館見学ツアーが開催されたので、その概要を報告します。前回の一泊ツアーの目的地は九州(太宰府・佐賀・福岡)でしたが、今回は長野・軽井沢です。

目的地が遠いので、集合は午前7時30分。集合場所の「JR名古屋駅西側 太閤通口広場(旧:ゆりの噴水前)」(噴水撤去により、2023年2月から名称変更)は、待ち合わせの団体客で大混雑。コロナ禍前よりも人出が多い感じです。

◆往路中央道のリニューアル工事の影響で目的地到着は35分遅れ

 名古屋駅を出発後、最初の休憩・恵那峡SA(岐阜県恵那市)までは極めて順調でしたが、次の梓川SA(長野県安曇野市)に到着するまでに2回の渋滞(中津川IC~飯田山本IC間と岡谷IC~岡谷JCT間)に遭遇し、食事会場の宿坊(長野市)に到着した時は、予定を35分超過の12時35分でした。

〇沈みがちな気持ちを吹き飛ばした車窓の「残雪」

ようやく渋滞を脱した時には予定時間の大幅超過は確定的で、車内の空気は沈んでいました。ところが、車窓から山の頂に白いものが見えると、車内に活気が出ました。「あれは残雪だ」という声が上がる一方「5月末まで雪が残っているの?」という声もあります。「あれは、北アルプスの乗鞍。山岳部の時によく登ったよ」という声で、「白いものが残雪」と分かった瞬間に沈む空気は吹き飛んでしまいました。安曇野を走っているとういうだけで、ウキウキしましたね。まだ、山をひとつ越えなければなりませんが、「姥捨」「川中島」という文字を見ると、「もうすぐ善光寺だ」という気持ちになり、渋滞を抜けるまでの嫌な思い出は消えていました。

◆昼食:信州善光寺 兄部坊(このこんぼう)の精進料理

昼食は、善光寺の宿坊・兄部坊(このこんぼう)の精進料理でした。二階の広間に案内されると二つ重ねの御膳の上に、料理が並んでいます。広間は畳敷きですが椅子が置かれているので、楽に座れます。御膳の料理は「生姜ご飯と信州みその味噌汁、手打ちそば、丸茄子の西京焼き、うなぎ湯葉、ゴマ豆腐、ジャガイモの酢の物、牛蒡と昆布の佃煮、香の物、デザート」と紹介されました。法要以外で精進料理を食べる機会はあまりないので、ツアー参加者は、料理をひとつひとつ眺め、味を楽しみながら完食。うなぎ湯葉は湯葉と海苔でうなぎの蒲焼のように見せたもので、生姜ご飯には生姜と油揚げが入っています。生姜ご飯がおいしかったので、お代わりをしてしまいました。

◆長野県立美術館

〇深谷さんの事前レク

今回は、名古屋市美術館の深谷克典参与(以下「深谷さん」)が休日を利用して「個人の立場」でツアーに同行してくださいました。バスが出発し、高速道路を走行するようになったところで、深谷さんによる長野県立美術館の事前レクが始まりました。深谷さんによれば、長野県立美術館の前身は「長野県信濃美術館」。1966年に開館し、1990年には谷口吉生の設計による「東山魁夷館」を併設。その後、施設の老朽化などのため2017年に休館。本館改築、東山魁夷館改修後の2021年4月に「長野県立美術館」としてリニューアルオープン。改築後の本館を設計したのは宮崎浩だが、谷口吉生が設計した東山魁夷館と調和するものになっている。長野県立美術館に行ったら、建物の美しさを見て欲しい、とのことでした。

深谷さんは谷口吉生設計の「豊田市美術館」が一番好きな美術館だったが、同じく谷口吉生の設計による「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」(1991年開館)を見た後は、「こっちの方が一番」に変わったそうです。また、1時間の鑑賞時間では「生誕150年 池上秀畝」まで見るのは難しいかもしれないけれど、東山魁夷館はぜひ見ておく価値がある」とのアドバイスもありました。

〇自由鑑賞

昼食会場・兄部坊からの移動は徒歩。兄部坊を出て右折、参道を進んで山門をくぐり、右折して前進すると、目の前に長野県立美術館の建物が見えてきました。本館と東山魁夷館は、通路で繋がっています。「間もなく霧の彫刻が始まる」というので、参加者一同、本館と東山魁夷館を繋ぐ通路の下にある池の周りや、連絡通路の中で「霧の彫刻」の開始を待っていると、池の周囲から細かな霧(ミスト)が噴出します。風に吹かれ様々に形を変えるミストと周りの風景や観客の姿が融け合う「その時限りの情景」を、暫しの間楽しむことができました。

中谷芙二子 《霧の彫刻 #47610》

東山魁夷館は二階建て。連作「白い馬の見える風景」の起点となった代表作《緑響く》(1982)等のヨーロッパの風景や、唐招提寺御影堂障壁画の準備作や京都・奈良の風景などが展示されていました。

本館で信州出身の作家の作品を見ていたら、深谷さんの「屋上広場『風テラス』を見逃さないように」というアドバイスが伝わり、急いで3階に移動しました。3階のカフェから屋上広場に出ると、西に善光寺の屋根が見え、実に良い眺めです。屋上広場に集まったツアー参加者は、北西の方角を指して「戸隠山は、天の岩戸を隠したという伝説があるけれど、隠すような場所はあるの? どうやって運んだの?」と、話していました。話し合ったところで埒が開かないので、スマホで調べることとなり、「戸隠神社の歴史」に「弟のあまりの乱行に天照大神は、岩戸にお隠れになり、世の中は真っ暗になり、大混乱になりました。(略)歌や踊りの賑わいを不思議に思い天照大神が少し戸をお開きしたところで、手力雄命(たぢからおのみこと)が岩戸を押し開き、大神をお迎えしました。その岩戸が下界に落ちて戸隠山になったという伝説もあります」という記述を見つけました。つまり、高天原から岩戸が落ちて戸隠山になった、と言うことのようです。

以上の時点で「残り10分」。「生誕150年 池上秀畝」は駆け足で見てまわることになりました。わずかな時間でしたが、長野県出身で、鋭い観察眼と描写力で、とても細かい所まで精緻に描いた画家だったということは理解できました。詳細は、生誕150年池上秀畝 高精細画人 | 展覧会 | 長野県立美術館 (art.museum) を検索してください。

◆長野から軽井沢まで

昔、鉄道で長野から清里まで行ったことはありますが、軽井沢は初めて。高速道路を使っても2時間近くかかる行程でした。車窓からは山に挟まれた盆地(上田盆地、佐久盆地)が続きます。軽井沢に近付くと、上部が吹き飛んで平らになった、とても大きな山が見えます。調べると「浅間山」でした。Wikipediaには「十万年前から周辺では火山活動が活発であり、浅間山は烏帽子岳などの3つの火山体とあわせて、浅間連峰もしくは浅間烏帽子火山群と総称される」と書いてありました。同じくWikipediaによれば、有名なのは「1783年8月5日(天明3年7月8日) 天明大噴火 」とのことです。バスからは「鬼押出し」という文字も見えます。「鬼押出し」は、浅間山の北に広がる溶岩流のことを指すようです。

◆軽井沢ニューアートミュージアム

〇深谷さんの事前レク

深谷さんが長野から軽井沢に向かうバスの中で話された内容によれば、2012年4月に開館。1階は無料エリア、2階は有料エリア。オーナーの白石さんは画廊を経営。アジアに5つのギャラリーを持ち、作家の紹介に力を入れているとのことでした。

ミュージアム外観

〇自由鑑賞

美術館は軽井沢駅から北に延びる通りの東側に建つ、真っ白な柱と全面ガラスの壁で構成された2階建てのおしゃれな建物でした。エントランス正面の階段を上って左側の部屋が第1展示室、テーマは「地球」。入口から見て右側と左側の壁に映像作品(上映時間は、いずれも10分)が投影されています。どちらも夕方の空で、右が東の空、作品名は《地球影:earth shadow》(2024)。左が西の空で《トワイライト:Twilight》(2024)。作家はどちらも萩原睦です。いずれの作品も方角は美術館が建っている所の方角と一致。美術館学芸員の石川さんの解説によれば、《地球影》の地平線付近の空の紫色は沈みゆく太陽の光を地球が遮った影、とのこと。山や建物に遮られることなく、地平線が見通せる場所でないと観察できないようですが、初めて知りました。NASAの衛星写真を利用した地球儀や段ボール製のドーム模型なども展示していました。

ギャラリートークの様子

第2展示室のテーマは「風景」。自然を描いた風景画を展示生態ました。第1展示室に戻ってから廊下を挟んだ向こう側が第3展示室で、テーマは「山水(もう一つの風景)。日本画や盆石などを展示しています。第4展示室のテーマは「環境(ランドアート)」。1976年から78年にかけてクリスト&ジャンヌ=クロードが、地元の反対派と交渉しながら陸地から海までの広い土地に数多くの柱を立てて、布を張るというインスタレーションを完成するまでを記録した57分の映像《THE RUNNING FENCE》(1976-78)を始め、自然や環境を表現する作品を展示。次の第5展示室で目を引くのは中西夏之《G/Z to May Ⅳ》(1992)。「新美の巨人たち」で紹介された、座面がプラスチック製の「イームズチェア」なども展示。最後の第6展示室では、AIを使って動くシーラカンスを再現したデイジーの《ancient aquarium》(2019)を上映。美術館のスタッフからは「AIが自動的に新しい動画を作るため、同じ動画が繰り返されることは無い」との解説がありました。

入口に佇む《ボブロ》ロナルド・ヴェンチューラ、2018年、317.5×165.1×137.2cm
1Fサロン「田中一平展」の展示風景

Ron.

吉本作次さんを囲む会

カテゴリ:作家を囲む会 投稿者:editor

令和6年4月21日、名古屋市美術館協力会は、現在名古屋市美術館にて開催されています展覧会の作家である吉本作次さんを美術館のカフェにお迎えして、作家を囲む会を開催しました。

吉本さんは、彼の作品の中でもしばしば酒盛りの様子が描かれているのですが、大のお酒好きとお聞きしました。そこで、お酒とお料理を用意しますとお誘いしたところ、出席を快諾してくださいました。

吉本さんは酒盛り中もいたくご機嫌で、参加した会員たちとにこやかに食事とお酒を楽しまれ、思い出に残る会となりました。お酒、お強そう。お飲みになってもあまり顔色も変わりません。

吉本さん、ほんとうにありがとうございました。

吉本作次展 絵画の道行き ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

名古屋市美術館では、4月6日より、1980年代以降の日本の現代美術を代表する作家である吉本作次さんの展覧会「絵画の道行き」が開催されています。4月13日土曜日は、この展覧会の協力会会員限定のギャラリートークが、閉館後の美術館にて開催されました。

今回の展示作品数は多く、初期の荒々しい力強さの目立つ作風から、次第に彼独特のかわいらしい人々の登場する作風に変貌していく過程が展覧会を通して見て取れます。

展覧会の担当学芸員の清家さんの解説を聞きながら、会員たちも作品を1つ1つ興味深そうに鑑賞しました。展覧会は6月9日日曜日まで、開催されます。

読書ノート 「コスチュームジュエリー」小瀧千佐子 著

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

―美の変革者たち― シャネル、ディオール、スキャパレッリ 発行日2023.10.15 発行 世界文化社

今回、ご紹介するのは、近所の図書館で借りてきた本です。一般書籍という体裁でしたが、巻末の「おわりに」に「全国5カ所に巡回する展覧会の図録」(ただし、巡回先の記載なし)と書いてありました。著者については「ムラーノガラス(ヴェネチアンガラス)、ヴェネチアンビーズ、コスチュームジュエリー、三つのジャンルの研究者・コレクター。前勤務先のエールフランス航空在籍中からコレクションを開始。1983年には日本ではじめてのムラーノガラスの専門店をオープン、2014年にショップchisa(チサ)をスタート」との紹介があります。

◆「はじめに」 コスチュームジュエリーとは

コスチュームジュエリーという言葉について、著者は「貴金属を用いず合金、銀、ガラスや半貴石などで作られたネックレス、プローチ、イヤリング、ブレスレットをはじめとするファッションジュエリー」と定義。そして「金やダイヤのように素材そのものに市場価値がないことから、流行の終焉と共に消え去る運命にある」のですが「二つの大戦を経てなお生き残ったコスチュームジュエリー」には「デザインしたアーティストたちの先鋭的で独創的な、ゆるぎないスタイル(様式美)があった」「20世紀の誕生から100年を迎える今、アートとして認識されるべきものであろう」と書いています。

◆ポール・ポワレ《夜会用マスク・ブレスレット”深海“》(1919)

本書はp.5に、ポール・ポワレがデザインした夜会用マスク・ブレスレット“深海”の写真を掲載。とてもインパクトのある作品です。制作者は、1928年までポワレと共に働いていた帽子職人のマドレーヌ・パニゾンです。本書は「100年を超えて、悲惨な状態であったポワレのマスク」と書くだけですが、2023.11.26付の日本経済新聞「The STYLE」には、「ベルギーの収集家から届いた時はチュール(薄い網状布)がボロボロ。ビーズを通した糸も今にも切れて、ビーズが落ちそうな状態。似たチュールを探し染めるところから始め、ビーズ一粒一粒、一針一針、2年がかりで修復した」と書いてありました。一見の価値がある作品だと思います。“深海”の画像・動画は、下記の展覧会公式サイトで検索できますが、是非とも実物を見てみたいですね。

公式サイトのURL:コスチュームジュエリー 美の変革者たち シャネル、ディオール、スキャパレッリ 小瀧千佐子コレクションより (ctv.co.jp)

◆Chapter 1 美の変革者たち オートクチュールのコスチュームジュエリー

Chapter 1では、「“本物の偽物”を公言してジュエリーの概念を覆したシャネルと、コスチュームジュエリーにアートの要素を取り入れたスキャパレッリ、そしてフェミニンなドレスに合わせて優美な作品を発表したディオールというモード界を代表する三人の初期作品群」をはじめとする作品を掲載しています。ただし、展覧会のタイトルとは違い、スキャパレッリ、シャネル、ディオールという順番に並んでいます。なお、上記・公式サイトでは、以下の作品を掲載しています。

スキャパレッリ:《ネックレス“葉”》(1937)本書p.14(デザイン/制作:ジャン・クレモン)、

《ブローチ》(1951頃)本書p.35(デザイン:サルバドール・ダリ、製作国アメリカ)

シャネル:《ネックレス“花”モチーフ》(1938頃)本書p.39(制作:メゾン・グリポワ)

ディオール:《ネックレス、イヤリング》(1954頃)本書p.64(デザイン:ロジェ・ジャン=ピエール、製作:ミッチェル・メイヤー)

作品の写真のほか、「『戦前』と『戦後』で異なるスキャパレッリの作風」「スキャパレッリとシャネル その作風の違い」などのコラムもあり、スキャパレッリはポール・ポワレに類まれなセンスを見出され、1927年にはパリで自身の小さな店を開くに至ったこと、スキャパレッリとシャネルはライバル関係にあったことなどを知ることができます。

◆Chapter 2 躍進した様式美 ヨーロッパのコスチュームジュエリー

Chapter 2では、パルリエ(宝飾師。宝石やコスチュームジュエリーなどを制作する職人)別に、主な作品を紹介しています。なお、上記・公式サイトでは以下の作品を掲載しています。

リーン・ヴォートラン:《ブローチ“花の精”》(1945頃)本書p.100

コッポラ・エ・トッポ:《チョーカー“花火”》(1968)本書p.112

ロジェ・ジャン=ピエール:《ネックレス》(1960頃)本書p.135、《クリップ》(1960頃)本書p.139

シス:《ネックレス》(1950頃)本書p.144,《ネックレス》(1960頃)本書p.142

メゾン・グリポワ:《ブローチ》(1960年代)本書p.156、《ブローチ》(1989)本書p.159

◆Chapter 3 新世界のマスプロダクション アメリカのコスチュームジュエリー

Chapter 3は、アメリカのコスチュームジュエリーを取り上げています。本書p.164に「ヨーロッパとアメリカのコスチュームジュエリーの比較表」があり、ヨーロッパは「比較的上流階級の少人数に対して手作りによる小ロット」、アメリカは「広く一般大衆向けで機械による大量生産」など、両者は大きく異なっていることがわかります。なお、上記・公式サイトでは、以下の作品を掲載しています。

ミリアム・ハスケル:《ペンダント“エンジェルストランペット”モチーフ》(1930年代)本書p.166

《ネックレス、クリップ“フラワー”モチーフ》(1938)本書p.176

トリファリ:《ブローチ“枝に二羽の鳥”》(1942)本書p.186、

《ペアクリップ“テノールフィッシュとマーメイド”》(1940)本書p.189

ケネス・ジェイ・レーン:《ネックレス“ジャッキー・オナシス スタイル》(1970)本書p.197

トリファリについては「おわりに」本書p.206に、「約40年前にロンドンのフリーマーケットでオレンジ色のガラス製ペンダントに魅了され、裏を返すと「Trifari」という刻印があり、説明を聞いてすぐに購入した」というエピソードが書いてあります。トリファリがコレクションの原点だったのですね。

◆図、年表など

本文、コラム、作品写真の外、コスチュームジュエリー展事務局・編の「デザイナーたちの相関関係」(本書p.86)、「セレブリティとデザイナーの相関関係」(本書p.200)、「用語解説」(本書p.201~203)、「コスチュームジュエリークロニクル」(=年表、本書p.204~205)等もあり理解の助けになりました。

◆愛知会場限定の展示

上記・公式サイトによれば、愛知会場は愛知県美術館、会期は2024.4.26~6.30とのこと。会場が広いため、愛知会場限定で、コスチュームジュエリー展に関係するシャネル、ディオール、スキャパレッリなどのファッションの展示があるようです。

なお、上記「デザイナーたちの相関関係」は、デザイナーたちの師弟関係、ライバル関係を書いています。この相関関係を頭に入れて展示作品を見るのも、一興ではないでしょうか。面白いのは、シャネルとディオールはライバル関係ですが、ディオールの後を継いだイヴ・サンローランの「パンツ・スーツ」を見ると、「シャネルとの相性が良いのでは」と思えることです。

① 師弟関係(その1)ポール・ポワレ(才能を見抜く)→ スキャパレッリ ←(師事)ジバンシィ

② ライバル関係(その1)スキャパレッリ ←(対極の発想)→ シャネル

③ ライバル関係(その2)シャネル ←(対極の発想)→ ディオール

④ 師弟関係(その2) ディオール(私の後を継ぐのはイヴしかいない)→ イヴ・サンローラン

◆最後に

昨年度は名古屋市美術館「マリーローランサンとモード」でファッションの展示がありましたが、今回は展示される作品の点数が多いので、今から楽しみですね。

Ron.

 

展覧会見てある記「ブルターニュの光と風」豊橋市美術博物館

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

2024.03.07 投稿

大規模改修工事のため2022年6月から休館していた豊橋市美術博物館(以下「美術館」)ですが、3月1日にリニューアルオープンしたので早速行ってきました。リニューアルオープン記念の展覧会は「ブルターニュの光と風」(以下「本展」)。以下は、本展の概要と感想などです。

◆リニューアルで変わったのは?

美術館の玄関を入ると、正面にガラス張りのエレベーターが新設されていました。本棚が無くなり、ミュージアムショップも模様替え。エントランスホールが明るくなりましたね。各展示室の出入り口には自動扉が設置されています。なお、詳細は次のURL〔r60103.pdf (toyohashi.lg.jp) 〕をご覧ください。

◆本展について

カンベール美術館

本展のチラシ〔URL: 1215ブルターニュの光と風A4 (toyohashi-bihaku.jp)〕によれば、本展はフランス北西部・ブルターニュ地方の西端にあるカンベール美術館のコレクションを中心に、ブルターニュの風土や人々を描いた近現代の絵画を紹介しているとのこと。全3章で構成されていました。

ブルターニュ地方の位置

◆第1章 ブルターニュの風景-豊饒な海と大地(展示室1,2)

〇展示室1

目を引いたのは、131.5cm×202.5cmの大画面に描かれたテオドール・ギュダン《ベル=イル沿岸の暴風雨》(1851)です。画面中央の海にヨット、左下の大岩の上に人物、右下の岩陰には海鳥が飛んでいます。何れも点のようで、描かれた風景の雄大さが強調されています。図版は美術館のホームページ(URL: https://toyohashi-bihaku.jp/bihaku03/brittany/)に掲載されていますので、ご覧ください。

外にも、荒々しい海を描いた作品が目を引きました。荒波に揺られる小舟)の上で網を引き揚げる様子を描いた、テオフィル・ディオール《鯖漁》(1881)、嵐に遭遇して難破した親子を描いたアルフレッド・ギュ《さらば!》(1892)は、息子の亡骸に口づけする父の厳粛な姿に引き付けられました。同作家の《コンカルノーの鰯加工場で働く娘たち》(1896頃)は荒海ではないものの、漁港の生き生きとした様子とブルターニュの女性の民族衣装が印象的でした (2作品ともチラシに図版)。

〇展示室2

 展示室1からの連絡通路を歩いて展示室2に入ると、アレクサンドル・セジェ《プルケルムール渓谷、アレー山地》(1883年頃、ホームページに図版)を始め、穏やかな風景を描いた作品が並んでいました。

展示室2の最後の壁に掲げられたリュシアン・レヴィ=デュルメール《パンマールの聖母》は、ブルゴーニュの海岸を背景にした母子像。額縁が立派なので、思わず撮影してしまいました。

第1章は、名前を聞くのも初めての作家ばかりでしたが、いずれもサイズが大きく、描写力もあって見ごたえのある作品が並んでいます。

◆第2章 ブルターニュに集う画家たち-印象派からナビ派へ(展示室4)

第2章にはブルターニュに来て絵を描いた、ポール・ゴーギャン、モーリス・ドニ、ピエール・ボナールなどの作品が並んでいます。なかでも目を引いたのが、タヒチに旅立つゴーギャンとの別れを描いたポール・セルジエ《さようなら、ゴーギャン》(1906、ホームページに図版)とピエール・ボナール《アンドレ・ボナール嬢の肖像 画家の娘》(1890、チラシに図版)です。

◆第3章 新たな眼差し-多様な表現の探求(展示室3)

第3章には、新しい時代の作品が並んでいます。アンドレ・ドーシェ《ラニュロンの松の木》(1917)は、浮世絵のような作品。リュシアン・シモン《じゃがいもの収穫》(1907)は、強い光を浴びた女性の赤いリボンが目に焼き付きました。

◆最後に

冒頭にも書きましたが、リニューアル後の美術館は、内装にはガラスが多用され、近代的な雰囲気が増しています。

ロッカーが「コイン式」から「4つの数字を組み合わせる方式」に替わりました。100円玉が不要になったのは良いのですが、鍵がありません。どのロッカーに荷物を入れたのか忘れ、一瞬、あせりました。ロッカーを使った時は、「ロッカーの番号」と「セットした4つの数字」をメモすることをお忘れなく。

なお、本展は4月7日(日)まで。開催期間が短いので、ご注意ください。

Ron.

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