三重県立美術館 「シャルル=フランソワ・ドービニー展」ミニツアー

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三重県立美術館(以下「三重県美」)で開催中の「シャルル=フランソワ・ドービニー展 印象派へのかけ橋」(以下、「本展」)鑑賞の名古屋市美術館協力会ミニツアーに参加しました。参加者は12名。三重県美地下1階の講堂で鈴村学芸員(以下「鈴村さん」)の解説を聴いた後、自由観覧・自由解散となりました。

1 鈴村さんの解説(概要)15:00~15:45

◆本展の巡回先・構成について

 本展は、山梨・広島・東京・鹿児島・三重の5つの美術館を巡回する展覧会で、三重県美が最終会場となります。(注:詳しくは、山梨県立美術館2018/10/20~12/16、公益財団法人ひろしま美術館2019/01/03~03/24、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館2019/04/20~06/30、鹿児島市立美術館2019/07/19~09/01、三重県立美術館2019/09/10日~11/04です。)

 本展は「1章 バルビゾンの画家たちの間で(1830-1850)」「2章 名声の確立・水辺の画家(1850-1860)」「3章 印象派の先駆者(1860-1878)」「4章 版画の仕事」の4章で構成され、「1章」には同時代の画家たちの作品も出品されています。

◆シャルル=フランソワ・ドービニーについて

 シャルル=フランソワ・ドービニー(以下「ドービニー」)(1817~1878)はパリ生まれで、死去したのもパリです。彼が活躍したのはフランスの第二帝政期(注:1852~1870。ナポレオン三世が皇帝としてフランスを支配)で、スライドの《オワーズ川のほとり》(1865)のような、横長の画面に描かれた穏やかな川辺の風景を多く描きました。

ドービニーはバルビゾン派の画家ですが、バルビゾン村で描いた作品は多くありません。(注:本展の3章には「オーヴェールとオワーズ川周辺」というコーナーがあり、多くの作品が出品されています。バルビゾン村はパリの南東ですが、オワーズ川(セーヌ川の支流)は、パリの北東を流れています)

◎歴史風景画家としての成功はあきらめる

ドービニーは歴史画家のポール・ドラローシュのアトリエで学び、若手画家の登竜門「ローマ賞コンクール」の歴史風景画部門に二度挑戦し、失敗。アカデミックな画家としての成功はあきらめます。なお、ポール・ドラローシュは中野京子著「怖い絵」で有名な《レディ・ジェーン・グレイの処刑》(1833)の作者です。歴史画は、歴史上の物語の一場面を描いたもので「物語画」と言ったほうが分かりやすいかもしれません。当時、歴史画は絵画の最上級に君臨していました。「歴史風景画」は、風景表現に主眼が置かれつつも、歴史画の要素も入っている絵で、ドービニーは《聖ヒエロニムス》(1840)を出品しています。

◎華やかなりし第二帝政期

歴史風景画家としての成功をあきらめたドービニーは風景画家をめざし、風景画をサロン(官展)に出品します。1850年代初頭に《ギリュの池》(1853)がナポレオン三世の目にとまり、買い上げられます。《ギリュの池》は現在、アメリカのシンシナティ美術館が所蔵しています。

 1850年代、30代から40代のドービニーは「水辺の画家」として画壇で地位を確立します。名声が高まりまる一方で、「筆づかいの粗さ」に対し「入念な仕上げがなされていない、未完成の作品」という批判がありました。ドービニーは、本物の風景が目の前に立ちあらわれるように、筆跡を残す描写をしたのです。

◎アトリエ船「ボタン号」

 ドービニーは1857年にアトリエ小屋を取り付けた「ボタン号」を購入しました。ボタン号の購入によって船の上から、水面スレスレの視点からの作品を制作することが可能になりました。本展ではボタン号の縮小模型を展示しているので、ご覧ください。また、ボタン号の実物大模型が航行する動画を三重県美のツイッターで、配信しています。(注:URLは、https://twitter.com/mie_kenbi)1868年には二代目のアトリエ船を購入し、川を下って海に出ることも可能になりました。初代のアトリエ船の名前は「ボタン(BOTIN)号」、二代目は「ボッタン(BOTTIN)号」。二つの船の名前は、微妙に違います。  

◎コローと知り合う

 1952年、ドービニーはドーフィネ地方のクレミューへの旅行でカミーユ・コロー(1796-1775)と知り合い、生涯の友となります。二人はパリのペール・ラシエーズ墓地に、隣同士で眠っています。

◎クロード・モネもアトリエ船を真似る

 クロード・モネは、ドービニーを真似て1873年にアトリエ船を購入しています。ただ、二人のアトリエ船の使い方には違いがあります。ドービニーは、アトリエ船を「移動手段」として有効活用しました。しかし、揺れがひどいので、船の上で油絵を制作することは難しかったと思います。一方、モネは自宅近くの水辺に船を固定して、船の上で油絵を制作しました。

◎ランス美術館からの出品

 名古屋市はランス市と姉妹都市提携をしていますが、本展ではランス美術館からの出品が多数あります。なお、ランス美術館は2019年9月から2023年末までリノベーション工事のため、休館中です。(注:出品リストで確認すると、ランス美術館の所蔵品はドービニー及び他の画家の作品を合せて27点でした。また、図録にはランス市長のメッセージが載せられ、カトリーヌ・ドゥロ=ランス美術館館長が「近代の風景画家、ドービニー」「ランス美術館コレクションにおけるドービニー」及び「年譜」を書いています)

◎ドービニー展の紹介アニメーションについて

 本展の入口で展覧会を紹介する7分間のアニメーションを上映していますので、ご覧ください。アニメーション監督は城井文(しろい・あや)さんで、三重インターネット放送局でも視聴できます。(注:URLは、http://www.pref.mie.lg.jp/MOVIE/l1002400001.htm です。)

2 自由観覧 14:45~

◆展覧会の紹介アニメーション

 紹介アニメーションの案内役は、「水辺の画家」にちなんで「カエル」でした。ドービニーの評価が高まったのは、パリが近代的な都市に変貌する中、郊外の豊かな自然への憧れが人々の間で広まったことが背景にあること。1860年代にサロンの審査員になって、印象派の画家を高く評価したこと。1870年にモネの作品がサロンに落選したことに抗議して、コローと共に審査員を辞職したこと。画商のポール・デュラン=リュエルにモネ・ピサロを紹介し、二人の窮状を救ったこと。ドービニーの死後、ゴッホが未亡人を訪ねて《ドービニーの庭》(1890)を描いたことなどを分かりやすく紹介していました。

◆展覧会の印象

想像していたよりも小さく、渋い色彩の作品が多いと感じました。当時、自宅に飾るには、これくらいのサイズ・色彩の方が落ち着くのかもしれません。渋めの絵が並んでいるのを見ると、印象派の作品の鮮やかな色彩に当時の人々が驚いたことが理解できます。ただ、多くの絵では、空とハイライトの部分の色彩は鮮やかです。晩年《ケリティ村の入口》(1871)はハッキリした色彩の作品でした。

鈴村さんから「筆跡を残す描写が批判された」という解説がありましたが、《果樹の花》(制作年不詳)《ブドウの収穫》(1863頃)の筆あとを残す描写は、印象派の作品のように見えます。      

解説してくださった鈴村麻里子さん、ありがとうございました

Ron.

「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」ミニツアー

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今回のミニツアーは、碧南市藤井達吉現代美術館(以下「当館」)で開催中の「空間に線を引く 彫刻とデッサン展」(以下「本展」)を鑑賞しました。参加者は9名。解説は、大長(だいちょう)悠子学芸員(以下「大長さん」)でした。大長さんは「本展は彫刻家のデッサンに着目した展覧会です。画家は三次元を二次元で表現しますが、彫刻家は二次元の中で三次元をめざします。そのために触覚・手触りを働かせます。19人の戦後作家のデッサン・彫刻を紹介しますが、プロローグとして戦前の彫刻家・橋本平八のデッサン・作品を展示しています」と、本展の意図・構成を話してくださいました。

◆2階エントランスホール

本展の入口は2階。2階エントランスホールには青木野枝《雲谷(もや)2018-2》が展示されています。大長さんは「これはまさに『空間に線を引いた』作品です。展示室の壁に貼られたデッサンを見ると『デッサンを立体化』した作品であることが分かります。《雲谷》は目に見えない空気を表現したものですが、本展で紹介した彫刻家はいずれも形にならないものを彫刻するためにデッサンをしました」と解説してくださいました。

◆プロローグ 橋本平八から現代へ

会場入口近くに、橋本平八の彫刻《石に就いて》を印刷したハガキと彼の日記が展示されています。大長さんの解説は「《石に就いて》は自然石を木で彫った作品です。そして、この作品は『石を超越した存在』であるということから、作家は『仙』と呼んでおり、作品名も《石》ではなく《石に就いて》です。日記をみると、何枚も下図を描いて、どのような作品にするかを追求していたことがわかります。本展は平塚市美術館、足利市立美術館と巡回し、当館は3館目の展示なので《石に就いて》はハガキ、《少女立像》《裸形少年像》は下図だけの展示になりました。次の巡回先は町立久万美術館(愛媛県久万高原町)です」というものでした。

同じ場所の奥には、戸谷成雄の彫刻《襞の塊(ひだのかたまり)Ⅴ》《襞の塊Ⅵ》とデッサン《鉛のかたまり》《紙のかたまり》が展示されています。大長さんは「《襞の塊Ⅴ》は鉛板の塊、《襞の塊Ⅵ》は紙の塊を表現したもので、鉛板や紙をかたまりにした時に表面にできる襞(ひだ)がモチーフです。また、二つの彫刻はデッサン《鉛のかたまり》《紙のかたまり》に対応しています。重そうに見えますが中空なので意外と軽くて、それぞれの重さは30㎏です」と解説してくださいました。《石に就いて》は具象彫刻、《襞の塊》は抽象彫刻。分野は異なりますが「目指すものは同じ」ということなのですね。

◆第1章 具象Part1

「具象Part1」は柳原義達と佐藤忠良、舟越保武のデッサン・彫刻を展示しています。大長さんの解説は「三人は『具象彫刻の三羽烏』と呼ばれた作家で、新制作派協会彫刻部を創立しています。特に、柳原義達はデッサンを重視して何千何万というデッサンを描きました。細かい線で、周りの空間も含めて、触るように描いています。舟越保武はクリスチャンで信仰心が篤く、精神の気高さを彫刻で表現して、戦後の抽象彫刻が流行した時期に具象彫刻を牽引した作家です。佐藤忠良のデッサンには定評があり、ロシア民話をもとにした絵本『おおきなかぶ』の作者としても知られています。ロシア民話を取り上げたのは、シベリアに抑留された経験が関係しているかもしれません」というものでした。

この時ミニツアーの参加者から、柳原義達の彫刻《犬の唄》について「妊婦のような体型と《犬の唄》というタイトルの関係がわからない」という質問がありました。大長さんの回答は「《犬の唄》というタイトルは、普仏戦争で敗れたフランス人の心情を歌ったシャンソンの題名です。抵抗する気持ちを持ちながらも、表面上、プロイセンに対しては犬のように従順さを示す、とフランス人の心情を歌ったシャンソンに託して、作家は第二次世界大戦の敗戦で破壊された人間像を表現しました」というものでした。

◆第2章 抽象Part1

「具象Part1」の部屋は、最後に「抽象Part1」の展示に変わります。森堯茂のデッサン・彫刻について大長さんは「視覚が通り抜けていく内部空間を表現しようとした作家です」と解説。デッサンと彫刻を見比べると、森堯茂のデッサンはまさに設計図だと思いました。森堯茂の彫刻《罠》については「ブロンズ彫刻ではなく鉄の針金と石膏で制作して漆を塗ったものです。経年劣化が進んで、今はボロボロ」との解説がありました。砂澤ビッキについては「ビッキはアイヌ語で『虹』。《午後三時の玩具》の玩具は、足を動かすことが出来ます」という解説でした。原裕治については「戸谷成雄と同世代の作家で、学年は違いますが二人とも愛知県立芸術大学の同窓生です。原は水脈をモチーフにした、立体と平面の間のような作品を制作しています。また、《けもの道1》《けもの道2》などのデッサンに描かれた白い線は、練りゴムなどで削ったものです。平面なのに彫刻のような雰囲気があります。紙が波打っているのは、屋外で制作したことによる湿気の影響だと思われます」という解説があり、若林奮の《1999.2.21》というタイトルのドローイング2点については「若林奮はドローイングを『薄い彫刻』と捉えていた」と解説してくださいました。

◆第3章 抽象Part2

「抽象Part2」は舟越直木のデッサン・彫刻の展示から始まります。大長さんは「舟越直木は舟越保武の三男で、舟越桂の弟。舟越保武の長男は幼い頃に亡くなっています。直木は絵画でスタートしましたが、兄の舟越桂は『直木の方が造形力がある』と評価しています」と解説し、長谷川さちについては「本展では一番若い作家です。1階フロアには重さ500kgの石の彫刻を展示しています。彼女は『石は何千回もハンマーを振って削らないと形にならなくて不自由だが、デッサンは自由』と言っています」と解説。大森博之については「《背後の手間》は、ネバネバした光がテーマです。素材は石膏ですが、表面に蜜蝋を塗って質感を出しています。彼は『ネバネバ度が高いのものが彫刻で、ネバネバ度の低いものがデッサン』と言っており、《昼休み》については『座薬を入れる感覚』と表現しています」と解説。青木野枝のデッサンについては「鉄のモノトーンな彫刻と違って、色彩豊かな作品が多い」と解説してくださいました。

◎1階フロア

1階フロアに降りると、大長さんが「重さが500kg」と紹介した長谷川さち《mirror》が置かれています。見ただけでは重量を実感できませんが「2階に上げることが難しかったので、仕方なく1階フロアに置きました」という大長さんの話を聞いて、如何に重いか納得できました。

◎1階 手前の展示室

「抽象Part2」の展示は1階展示室にも続いています。床に置いてある4個の立方体について、大長さんは「4個の鉄の塊は多和圭三《無題》で、1個あたりの重量は280kg。表面の模様はハンマーで何回も叩いて作った槌目です。ドローイングは木炭で描いています。一見すると前面を真っ黒に塗りつぶしているように見えますが、目を凝らすと六角形を描いていることが分かります」と解説してくださいました。

◆第4章 具象Part2

多和圭三のドローイング・彫刻の奥に「具象part2」舟越桂と高垣勝康のデッサン・彫刻が並んでいます。大長さんによると「舟越桂は、戦後の具象彫刻を代表する作家で、1980年代に発表された作品は衝撃をもって迎えられました。終わったと思われた具象彫刻に光を当てたのです。《冬の木》の眼は大理石の玉眼です。彫刻の目線と鑑賞者の目線が交わらないので、不思議な雰囲気があります。また、作家のドローイングを見ると、輪郭線をしっかりとつかもうとしていることが分かります。また、高垣勝康は今回の展覧会で発掘した作家です。金沢工美術工芸大学を卒業していますが、彼の生前は作品をほとんど発表していません。彼のデッサンは、顔の中心から描き始めるのが特色です」とのことです。高垣勝康のデッサンは平面なのに、何故か立体感があり、レリーフのように見える不思議な作品でした。

◎1階 

奥の展示室 奥の展示室では三沢厚彦と棚田康司のデッサン・彫刻を展示していました。大長さんの解説は「二人とも舟越桂の影響を受けて彫刻家を目指した作家です。棚田康司《少女》は、3.11の震災後、舟を漕ぐ少女のイメージを夢でみて制作した作品です。棚田康司は一本の木から人間を彫り出す「一木造り」で作品を制作しています。先ず、木材の表面にドローイングします。ドローイングを描いたら、表面部分を剥いで手元に置き、それを見ながら彫刻する、という独特の制作スタイルです。そのため、ここでは紙ではなく木材の表面に線画を描いたドローイングも展示しています」というものでした。

◆最後に

 抽象彫刻の鑑賞は苦手でしたが、大長さんの解説を聞きながら作品を見ると、分かってきたような気がしました。やはり「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」(徒然草 第五十二段)ですね。大長さん、ありがとうございました。

 Ron.

あいちトリエンナーレ「豊田市美術館会場」ミニツアー

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今回参加した「あいちトリエンナーレ『豊田市美術館会場』ミニツアー」は、あいちトリエンナーレに関連する二つ目の協力会主催行事です。なお、一つ目は8月4日開催の「名古屋市美術館会場ギャラリートーク」でした。今回の参加者は21名。ミニツアーの案内は能勢陽子(のせ・ようこ)さん(以下「能勢さん」)。自己紹介によると能勢さんは豊田市美術館の学芸員ですが、今回は「あいちトリエンナーレのキュレーター」として案内してくださいました。なお、見出しに記した「T〇〇」のうち「T」は豊田会場を表わし、数字は作品の通し番号を表わします。

◆T06b アンナ・フラチョヴァー

あいちトリエンナーレの受付は2階。通常の展覧会と違って、3階・第4展示室が会場の入口です。最初の作品は二人の養蜂家を表現したレリーフ、2階と3階を結ぶ階段の踊り場・壁面に展示されていました。能勢さんによると「作者のアンナ・フラチョヴァーはチェコ共和国の人で、地下鉄にある飾られた二人の宇宙飛行士のレリーフをもとに制作した作品です。養蜂家のレリーフは、最近話題になった「ミツバチが消える」という問題を取り上げています。ミツバチが消えた原因は不明ですが「農薬の影響ではないか」と言われています。農業技術の開発が進む一方で、果樹の受粉を行うミツバチが消えれば、農業ができなくなるという悪夢のような事態が起きることを訴えた作品」とのことでした。この作品、ミニツアー参加者の一人が「壁に針で留められている」ことを発見しました。材質はアクリル樹脂、針で留めることが出来るくらいに軽い作品なのでしょうか。

◆T07 シール・フロイヤー

暗い部屋の床に一つ、小さく星型に照らされた場所があります。プロジェクターが投影した星形の光が天井の鏡に反射して床を照らしており、《Fall Star》と名付けられています。床に小さな星形が投影されているだけで少しも変化しませんが、何か「カワイイ」感じのする作品でした。

◆T08 タリン・サイモン

写真・動画とテキストを組み合わせた作品で、二つの部屋に分かれています。入口側の部屋には映画「スター・ウォーズ」のデススターⅡの模型やJ.F.ケネディ空港で没収された食べ物などアメリカの秘部・恥部の写真・動画と説明文を組み合わせた作品が展示され、出口側の部屋には過去に行われた国際協定の調印式で飾られた花を再現した写真と説明文を組み合わせた作品が展示されています。能勢さんによると「写真に写っている花は、全てオランダの花き市場で調達したものです。オランダは18世紀には植民地の覇者だったので、市場で調達した花もケニア産、エクアドル産、メキシコ産など、植民地の跡が見える」とのことでした。

◆T09a 高嶺 格(たかみね・ただす)

展示室4と展示室3を結ぶ廊下の突き当りに、2019年2月25日付の琉球新報と覗き眼鏡が展示されていました。

◆T10 レニエール・レイバ・ノボ

展示室3の壁面に2019年8月12日付けの「表現の自由を守る」という声明が貼られています。声明の署名作家は、タニア・ブルゲラ/ハビエル・テジェス/レジーナ・ホセ・ガリンド/モニカ・メイヤー/ピア・カルミ/クラウディア・マルティネス・ガライ/イム・ミヌク/レニエール・レイバ・ノボ/パク・チャンキョン/ペドロ・レイエス/ドラ・ガルシア/ウーゴ・ロンディーヌの12名。 レニエール・レイバ・ノボの絵画は全て新聞記事で覆われ、一部の彫刻が黒いゴミ袋で覆われていました。黒いゴミ袋で覆われた彫刻は1937年のパリ万博で発表された巨大彫刻 ”Worker and Kolkhoz Woman” の一部=ハンマー(工場労働者を象徴)と鎌(農民を象徴)。一方、覆われていない彫刻もあります。1980年のモスクワ・オリンピックで発表された “Monument of Gagarin” (像の高さ42.5m)の指部分です。それにしても「デカい」作品でした。

◆T06b アンナ・フラチョヴァー

展示室2も、踊り場壁面と同じアンナ・フラチョヴァーの作品《アセッション・マークⅠ=Ascension MarkⅠ》。能勢さんによると「チェコ共和国の首都プラハには労働者の像が数多く立っています。この作品は労働者の像をもとにしたもので、女性の顔にはアイロンの底の写真が、男性の顔にはシェーバーの刃の写真が貼ってあります。日常生活の不気味さを可愛らしさとともに表現した作品です。アセンションは直訳すると『上昇』『昇天』で、一つ上の段階への上昇を意味する宗教的な言葉。男女の像は溶けて、変形を始めています」とのことでした。

◆T11 スタジオ・ドリフト

能勢さんによると「作者はオランダのグループ。作品名は《Shylight》。もとになったのはバレエのチュチュ(tutu:バレリーナがつけるスカート。薄いチュール・オーガンジーなどを何枚も重ねたもの)。テクノロジーで自然現象を再現できるか試した作品。花が開いたり閉じたりする様子をコンピュータでプログラミングしています」とのことでした。 床に寝そべって、下から見上げている人が何人もいます。能勢さんの言う通り「もとはバレリーナのスカートの動き」なのですが、先日、水族館で見た「クラゲの漂う姿」にも見えます。様々な動きをするので、見飽きません。

◆おまけ

豊田市美術館の解説は以上でしたが、能勢さんからは「隣の旧豊田東高等学校プールにはT09b 高嶺格さんの作品があります。また、愛知環状鉄道新豊田駅の西の「喜楽亭」にもT04 ホー・ツーニェンの作品があります。喜楽亭は高級料理旅館で戦前は養蚕業者、戦後は自動車関係者が利用。その後、現在地(豊田産業文化センター西)に復元移築されたもので、作品名は《旅館アポリア》。4つの部屋を使って12分×7本=84分の動画を上映しています」という案内がありました。

◎T09b 高嶺 格 旧豊田東高等学校プールには、コンクリート製のプールの底を切り取って、その場に立てた作品が展示されています。切り取られたプールの底は頑丈そうな鉄骨で支えられており、迫力満点でした。

◎T04 ホー・ツーニェン  豊田産業文化センター(愛知環状鉄道新豊田駅の西)を目印にして探したら、豊田産業文化センター駐車場の奥にトリエンナーレの看板が見つかり、会場の喜楽亭にたどり着くことが出来ました。  動画の素材は「父ありき」(1942)「東京物語」(1953)「彼岸花」(1958)「秋刀魚の味」(1962)などの小津安二郎監督の映画と横山隆一のアニメ映画「フクチャンの潜水艦」(1944)(海軍のプロパガンダ映画)、絵本「ジャカルタ記」(1944)などです。動画の内容は太平洋戦争当時に名古屋で編成された特攻隊=草薙隊の話(二ノ間「風」:上映場所と作品名、以下同じ)など、太平洋戦争関係の話が中心でした。案内を読むと、シンガポールを拠点に活動している作家のようです。 映画は、出演者の顔にスモークがかけられているので表情は分かりませんが「彼岸花」では、一瞬ですが、佐分利信や愛知県蒲郡市の三河大島、蒲郡ホテル(現:蒲郡クラシックホテル)が映り(一ノ間「波」)、「秋刀魚の味」では笠智衆の「元艦長」と岸田今日子の「バーのマダム」の前で加藤大介が軍艦マーチを歌うシーンが映ります(三ノ間「虚無」)。また、「父ありき」には「戦後、日露戦争の広瀬武夫中佐を歌った詩吟と軍歌『海ゆかば』を歌うシーンが削除されました」という解説がついていました(三ノ間「虚無」)。調べてみると、GHQの命令だったようです。なお、四ノ間「子どもたち」は、時間に余裕がなく、残念ながら鑑賞できませんでした。

Ron.

神谷さんと行く、本丸御殿ミニツアー

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 7月28日日曜日、梅雨明けのうだるような暑さのなか、名古屋城の本丸御殿を見学するミニツアーを開催しました。 講師は名古屋市美術館や名古屋市博物館で学芸員としてご活躍された神谷浩氏。 協力会でもよく解説会などでお世話になっていますので、神谷さんファンの会員が30名以上、集まりました。

 暑さを想定して、集合は9時15分。開門が9時なので、まっすぐに本丸御殿に向かうとこの時間になります。 当日は青い澄んだ空のもと、まずは屋外で神谷さんのお話を聞きます。

 名古屋のお城は、何故この位置に建てられたのか?そして誰によって、誰の住まいとして築城されたのか。 神谷さんのお話を聞いていると、歴史的な背景から名古屋城や本丸御殿の役割が見えてきます。

 だいたいの概要を聞いてから、いよいよ中に入ります。どんなに暑い日でも本丸御殿は冷房が入りません。みなさん覚えておきましょう。 

 本丸御殿に入るのは2度目ですが、何度入っても素晴らしい。節のない見事な木材は見た目にも滑らかですし、襖絵や欄間もため息が出るほどでした。今回は神谷さんがいらっしゃったので、襖絵の1つ1つの意味や、1部屋1部屋の用途、役割を解説してくださいました。

 暑いなか、2時間近くお話してくださった神谷さん、本当にありがとうございました。