名古屋市美術館で開催中の「ラファエル前派展」(以下「本展」といいます。)のギャラリートークに参加しました。参加者は46名、解説は笠木日南子学芸員でした。
Ⅰ ヴィクトリア朝のロマン主義者たち
最初に出合うのはミレイ《いにしえの夢―浅瀬を渡るイサンプラス卿》。この絵は、緻密に描く所と荒い描写を使い分けることで主題を際立たせているとの解説でした。確かに遠景はout of focus いわゆる「ボケ」が効いており、前景の人物が鮮やかに浮かび上がっています。葡萄の彫刻で装飾された金色の額縁が豪華で、リバプールの産業資本家の財力を見せつけています。
同じくミレイ《ブラック・ブランズウィッカーズの兵士》は、精一杯のおしゃれをしていることを示すため、わざわざ「おろしたて」のしるしである折り皺をドレスに描いているとの解説で、戦場に出発する前の、短い時を惜しむように寄り添う男女の姿は映画の1シーンのようです。
ロッセティ《シビラ・パルミフェラ》は、理想的な女性を象徴的に描いたとのこと。華奢ではなく、骨太な感じのする女性なので、中村獅童の女形を連想してしまいます。
Ⅳ 19世紀後半の象徴主義者たち
Ⅰ章の次にⅣ章が続くという不思議な順序ですが、理由はバー=ジョーンズの《スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)》が大きすぎて、2階に運べなかったから。展示室の天井まで届く絵で、かなり後ろに下がらないと全体が見えません。花嫁の背景には擬人化した北風と南風が描かれていますが、ボッティチェリの名画《ヴィーナスの誕生》に着想を得たものとか。
ウォーターハウス《エコーとナルキッソス》は図録の解説に誤りがあり、画面右の水仙がナルキッソスの死の象徴であり、エコーが握るツタと黄色いアイリスが彼女の象徴との解説でした。
解説は無かったのですが、フォーテスク=ブリックデール《小さな召使(少女エレン)》の男装した少女の姿に惹かれました。
Ⅱ 古代世界を描いた画家たち
この章には女性のヌードがいくつもあります。解説では、ヴィクトリア朝の英国では古代ギリシア、古代ローマ帝国の女性ヌードを描くことが流行したとのこと。現代の女性のヌードは卑猥ですが、古代世界のヌードは「芸術である」と言い訳できたようです。なかでも、古代ローマの微温浴室に入浴する女性を描いた、タマデ《テピダリウム》は、男性の視線を十分に意識した作品です。タマデはこのような作品を描くことで成功した画家、との解説がありました。解説はありませんでしたが、アパリー《プロクリスの死》も横たわった女性が官能的です。
一方、ムーア《夏の夜》に描かれたのは古代ギリシア彫刻のような女性で、タマデと違い官能性は無く、絵には日本的なモチーフも描かれているとのこと。淡い色彩で、黄色が印象的です。海の夜景に懐かしさを感じてしまうのは、何故でしょうか。
Ⅲ 戸外の情景
最後の作品がハント《イタリアの子ども(藁を編むトスカーナの少女》で、「もう帰ってしまうのですか。もう少し見て行って。」と話しかけているようです。ハントには良心の目覚めなど宗教的主題のものが多く、この絵は「ハントらしくない主題」とのこと。
最後に
「自然に忠実に」をモットーにしたと言われるとおり人物も風景も写実的な描写で、素直に絵の世界に入っていけます。チラシのとおり「豊かな物語性を孕み、想像力を喚起」される作品ばかり。笠木さんによれば、ほとんどが日本初公開ではないかとのこと。会期は12月13日まで。
Ron.
2015年
10月13日
「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」ギャラリートーク
2015年
7月24日
「画家たちと戦争:展」ギャラリートーク
名古屋市美術館で開催中の「画家たちと戦争:展」(以下「本展」といいます。)のギャラリートークに参加しました。本展は、14人の画家たちの戦前、戦中、戦後の作品の変遷を見ることで、彼らが戦争を「いかにして生きぬいたのか」を検証しようとするものです。当日の参加者は43名。山田学芸課長(以下「山田さん」といいます。)のトークは、通常の時間大きく超え2時間半に及びました。
◆当日は12人の画家の作品を鑑賞しました
日本画と版画は展示できる期間が短いため、14人の画家のうち横山大観、恩地孝四郎は前期(7/18~8/23)のみ、福田豊四郎、吉岡堅二は後期(8/25~9/23)のみの展示です。全部見ようと思ったら、後期も来ないといけませんね。
◆山田さんいわく「今回の主役は松本俊介」
本展では一人の作家につき9点の作品を取り上げていますが、松本俊介だけは11点。なかでも、本展のポスターなどに使われている《立てる像》からは画家の覚悟が感じられ、これだけでも見に来た価値があります。《街》の青色も良かった。
◆藤田嗣治は「猫」に注目
山田さんによれば「藤田嗣治は質・量ともに最大の戦争画家で、その作品は前期と後期に分かれる。前期は従軍時の見聞をもとに描いたもの。後期は負け戦で現地に行ける状況ではないため、新聞記事や資料をもとに想像で描いたもの。」とのことです。本展では前期最後の作品《シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)》が展示されており、その大きさと描写力に圧倒されます。後期の代表作は《アッツ島玉砕》(展示なし)で、その原点が《猫「争闘」》(参考図版を展示)とのこと。牙をむいて争う猫に残忍な本性が見えます。藤田の猫の絵は、他にも多数展示。
◆答えに窮する、北脇昇の《クォ・ヴァディス》
この絵の前で、山田さんは「左は行進する民衆たち、右は嵐の中の荒廃した街。どちらに進むのか聞かれているのは、絵を見ているあなたですよ。どう答えますか。」と聞いたのです。私は「うっ。」というばかりで、答えに窮しましたね。
◆穏やかな作風の岡鹿之助にも戦争の影響があった
地下の常設展示室3は、岡鹿之助と宮本三郎の展示です。なかでも岡鹿之助は風景画と静物画ばかりで戦争とは無関係に見えます。しかし、山田さんによれば「戦中の作品は色がくすみ、もとの色彩が戻るのは戦後しばらくしてから。」とのこと。良く見ると、その通りです。戦争の影響の大きさを感じました。
◆見逃せない展覧会
残念ながら余白が僅かなのでこれで最後にしますが、本展は見逃せません。理由は二つ。一つは、各作家の代表作がこれだけ集まっている展覧会は滅多にないから。もう一つは、戦後70年に当たり、過去を振り返り、未来を展望するヒントを与えてくれる作品が展示されているからです。 Ron.
2015年
7月22日
画家たちと戦争展ギャラリートーク
7月20日月曜日、昼間は茹だるような暑さのなか会員44名が集まり、戦後70年に合わせて企画された特別展覧会「画家たちと戦争展」のギャラリートークが行われました。
画家たちが、どのように悲惨な先の大戦前後を生き抜いたのか、14人の作家にスポットを当てて展覧会を構成しています(入れ替えがあるため、現在は12人の作品) ひとりずつ個々に、戦前、戦中、戦後の作品を並べて、どのような変化が見られたか、または変化が無かったか、どうしてそのようになったのか、を担当の山田学芸課長から解説を受けました。
考えてみると、14名の作家はみな著名な作家であり、展示作品のなかには以前にみたことのある作品も多数含まれていましたが、戦争を境に区切ってその作風などを分析してみたことは無く、こうして比較すると戦争が画家たちに及ぼした影響は大きいことに気づきました。
出品作家は日本を代表する素晴らしい作家たちですし、作品も傑作力作が集まっており、一時にこれだけの作品を見られるのは本当に贅沢です。是非、作品のパワーを感じながら、戦争の恐ろしさ、平和の大切さをこの機会に考えてみて欲しいです。
2015年
4月28日
若林奮 飛葉と振動 ギャラリートーク
「飛葉(ひよう)と振動(しんどう)」英文表記で”Flying Leaves and Oscillation”と名付けられた、若林奮(わかばやし・いさむ/1936-2003)回顧展のギャラリートークに参加しました。参加者は42名、抽象彫刻としては予想外に多い人数です。
展示室に移る前に、今回の担当学芸員である角田美奈子さんから簡単なレクチャーがありました。角田さんは「『飛葉と振動』とは最晩年の彫刻につけられた名前。移り変わっていくこと、変化を表現したもので、今回の展覧会のテーマでもある。難解といわれる若林の作品だが、今回は、わかりやすさを心がけた。」と話され、「作家が存命中なら、わかりやすくすることは許されなかっただろう。」と付け加えていました。
展示室に移動し、42名の参加者であふれかえっている会場を見て、角田さんは「若林の作品を鑑賞する環境としては、静けさの中、一人で向き合うというのが望ましいのですが、今日は真逆ですね。」と笑っていました。
ま、作品と向き合う心の準備をするため、ギャラリートークに参加したのですから、ぜいたくは言えないでしょう。観光ツアーの団体さんが大挙して押しかけ騒然としている状況だと「早く一人にしてくれ。」と腹も立ちますが、仲間内の鑑賞会なので気になりません。「一人で向き合う」のはしんどいですが、仲間がいるので楽な気持ちで向き合えます。
ごく初期の作品には「猫」など、具象的なものもありますが、ほとんどは抽象的な作品です。チラシに図版が載っていた「日の出、日没Ⅰ(グラマンTBFを見た)」も飛行機は具象的ですが、ほかの要素は何を表現しているのかよくわかりません。角田さんによれば「空気の流れなど、目に見えないものも表現している。」とのことでした。
抽象的な作品は目に見えるものをストレートに造形しているわけではないので、鑑賞する者に観察眼と想像力を要求します。それだけに「わかってくる」とハマってしまうのでしょう。ギャラリートーク当日にも5時間見続けたお客がいたとのことです。数は少なくとも、熱心な信奉者がいるのですね。作家に魅了された美術評論家や学芸員も多いようです。
彫刻だけでなく、ドローイングの外、庭の写真パネルや模型なども展示されています。角田さんは「作家にとって、庭も彫刻であった。」と言っていました。
展覧会の本質からは外れますが、角田さんによれば「若林の作品は、見かけでは想像できないくらい重いものが多いので要注意。」だそうです。チラシの表面にある「所有、雰囲気、振動-SLITⅢ」などは大の男でも持ちあがらないとのことです。恐るべし、若林奮。会期は5月24日(日)まで。
Ron.
2015年
1月17日
だまし絵Ⅱ ギャラリートーク
当日は入場者が3,895人もあり閉館時刻を過ぎても館内に人が居たので、講堂で短いレクチャーを受けてから展示室に入ることになりました。担当の保崎裕徳学芸員によれば「前回(2009年)のテーマは、だまし絵400年の歴史。今回のテーマは、20世紀になって「だまし絵」がどのように進化したのか。」とのことです。 レクチャーが終わって、参加者52名が展示室に移動。通常の展覧会とは違い入口は2階です。
プロローグは古典的なだまし絵の展示で、最初の展示はアルチンボルドの「司書」。チラシに印刷されていた絵です。目は鍵、ひげはハタキ。本と人物のダブルイメージです。
第1章 トロンブルイユ(だまし絵)からは、20世紀の作品になります。杉本博司の「Polar Bear」は福岡伸一が日経新聞の連載「芸術と科学のあいだ」で取り上げていました。福田美蘭の「Copyright原画」は、一見ディズニーのキャラクターなのですが、著作権に抵触しないようキャラクターが隠されているという作品です。須田悦弘の「雑草」「葉」は見落としそうなところに展示されていました。
第2章 シャドウ、シルエット&ミラー・イメージは、鏡を使った20世紀の技法。福田繁雄の「アンダーグラウンド・ピアノ」は、現実の世界の破片の寄せ集めが、鏡の中ではちゃんとしたピアノになっています。ダニエル・ローズィンの「木の鏡」は、その前に人が立って動作をすると、いくつもの木片でできたパネルに影が出現し、カタカタと音を立てて動作を真似るという楽しい作品です。
第3章 オプ・イリュージョンは錯覚を楽しむもので、パトリック・ヒューズの「広重とヒューズ」は、前に立って体を左右に振ると、絵も左右に動く不思議な作品です。(ただし、仕掛けを見ると魔法が解けてしまいます)アニッシュ・カプーアの「白い闇Ⅸ」を凝視していると、穴の中が底なしの空間に見えてきます。
第4章 アナモルフォーズ・メタモルフォーズは歪み・変容。ダリの「海辺に出現した顔と果物鉢の幻影」に隠されたイメージを探していると、いつまでたっても絵の前から離れることができません。エヴァン・ペニーの「引き伸ばされた女#2」は高さ3メートルの作品で大きさにびっくりします。トニー・アウズラーの「ピンク」は人間の目と口を持ったカエルが様々な表情をします。とても気味が悪いけど、思わず見入ってしまうキモかわいい作品です。
地下1階の常設展示室3ではハンス・オプ・デ・ベークの「ステージング・サイレンス(2)」を上映しています。風景が次々に変わり、やがて角砂糖の摩天楼が出現するのですが、最後はどうなるでしょうか?美術館で確かめてください。
理屈ぬきで楽しめる展覧会です。お勧めします。
Ron.
2014年
11月25日
「ゴー・ビトゥイーンズ:こどもを通して見る世界」展 ギャラリートーク
「ゴー・ビトゥイーンズ:こどもを通して見る世界」展(以下、「本展」と記します)の ギャラリートークに参加しました。参加者は現代美術展にしては多く、33名も来ました。
◆「ゴー・ビトゥイーンズ」とは
本展の担当学芸員の清家三智さんによれば、「ゴー・ビトゥイーンズ(媒介者たち)」とは19世紀末から20世紀初頭のアメリカで移民を撮影した写真家のジェイコブ・A・リースが、英語の話せない親のために通訳をする子どもたちを呼んだ言葉だということです。
また、本展は、異なる価値観や文化をつなぐ存在としての子どもを通して見る世界、大人には無い自由な発想でものごとをとらえ前向きに生きる子どもを通して見る世界をテーマに、映像、写真、絵画などの作品を紹介する展覧会で、主に東京の森美術館が立ち上げたとのことでした。
◆見るものに「考えさせる」作品が多い
チラシを読むと「これからの世界を私たちはどう生きるか、新たな視点でともに考え、語り合う場としての展覧会を、どうぞご体験ください。」と書いてあります。
この言葉どおり、清家さんの解説に従って展示室の中を進むにつれ、「他の展覧会とは何かが違う。」という気持ちが強くなってきました。通常の美術展ですと、作品の美しさや、技術の高さに感嘆するのですが、本展では「美しさに見入る」よりも「考えてしまう」作品が多いのです。
◆一見すると、普通の記念撮影なのですが……
展示室に入って最初に目にするのが、ジャン・オーの「パパとわたし」のなかの6点です。どれも、晴れた日の戸外、花を背景にした父親と娘の写真です。画面は正方形で、昼間なのにフラッシュを焚いて撮っています。ありきたりの記念撮影なのですが、何か違和感があります。清家さんは「どれも米国人の養父と中国出身の養女の写真」と解説してくれました。中国の一人っ子政策により、女の子は養女に出されることが多いという社会背景があるようですが、見れば見るほど「なぜ、この写真に居心地の悪さを感じるのだろう。」と考えてしまいます。
◆100年以上前の児童労働の写真も
紹介されている作品の中には1908年にルイス・W・ハインが撮った、紡績工場で働く幼い女の子の写真もあります。このような児童労働は、今は違法ですが、当時は普通にあったのですね。その後の百年間の出来事を想起させるインパクトがあります。
◆もともとは対話の記録だったものも
「ストーリー・コー(StoryCorps)」の「Q&A」と「ケーキの飾り」はアニメーション作品ですが、清家さんによれば、もともとは対話の記録とのことでした。このうち「Q&A」は、学校の成績は良いのですが、アスペルガー症候群で人づきあいが苦手な男の子と母親の対話の記録です。
母親が男の子に向かって「あなたはわたしの期待以上のこどもよ。あなたは、わたしを親として成長させてくれたわ。」と答えるところが心に響きました。
◆女子中学生の悪ふざけ
梅佳代の「女子中学生」は思春期の女の子を撮ったものです。エネルギーにあふれているというか、何というか。問題視した人もあったでしょうが、これを展示していることは偉いと思います。
◆静かにショックを受けるビデオ
菊池智子の「迷境」は中国で撮影したビデオ作品で、丸坊主に近い髪型をしたスマップの中居正広似の少女の生活を描いたものです。小さなテレビ画面を見ていると、やがて彼女が性同一障害者だとわかってきます。今回の作品のなかで、一番ショックを感じました。
以上はほんの一部です。見かけと違って結構重いテーマの展覧会です。 Ron.