名古屋市美術館で開催中の「永青文庫 日本画の名品」(以下「本展」)のギャラリー・トークに参加しました。前日からの大雪で欠席者が続出したものの48名が参加。展覧会への期待の高さが伺えました。JR東海道線の運行停止で、保崎学芸員(以下「保崎さん」)が開始時刻に間に合わず、代わりに角田学芸員(以下「角田さん」)のレクチャーでスタート、中盤から保崎さんへバトンタッチとなり、「二人から話が聞けて、お得なギャラリー・トーク」となりました。
◆本展について
角田さんによれば、「永青文庫は、熊本藩の藩主・細川家の家宝を所蔵する財団。明治維新、敗戦という二つの危機で多くの藩主がお宝を散逸させた中、細川家は財産を持ちこたえた稀有な存在。特に、永青文庫の現理事長である細川護熙氏(元総理大臣)の祖父、細川護立氏は「美術の殿様」と呼ばれるほどの審美眼があり、永青文庫のコレクションを充実。本展は、護立氏による収集作品のなかから、近代日本画の名品と江戸時代の禅画を展示。近代日本画は、作家が画壇で認められるきっかけとなった見どころの多い作品ばかりなので、じっくりと鑑賞して欲しい。白隠、仙厓の禅画は、今でこそ人気だが、つい先ごろまでは「知る人ぞ知る」見向きもされないものだった。それを、護立氏は白隠・約千点、仙厓・約百点所蔵。見る目の確かさが窺えます。本展では、日本画の技法を解説したパネルも用意したので、是非、見てください。照明にも凝っており、全て、外注。」とのこと。会場に入ってみると、その言葉どおりでした。
■第一部 近代の日本画
◆日本美術院の大家たち
展示の冒頭は、岡倉天心が日本美術院を茨城県五浦海岸へ移したときに同行した画家の作品。
角田さんによれば、「下村観山は「うまい」作家で、《女》は「技巧の極致」。帯にナデシコの花と「やまと」の文字。これで「大和撫子」を暗示。木村武山《祇王妓女》は平家物語のエピソードを絵にしたもので、やまと絵と狩野派の統合を図っている。横山大観《山路》は修復を終えており、復活した鮮やかな色彩を見てほしい。熊本県美所蔵の三幅対《焚火》は、禅画の画題として好まれた「寒山・拾得」を描いたもの。巻物を手にしているのが寒山、箒を持つのが拾得で、煩悩の塊である落ち葉を燃やしている図。《老子》は、先生である岡倉天心へのオマージュ。下村観山・横山大観合作の《寒山拾得》は観山が寒山を、大観が拾得を描いている。個性豊かな二人なのに調子を合わせて描いているのが面白い。なお、観山は「寒山」のもじり。菱田春草の《平重盛》は、清盛が上皇を討とうとするのを、息子の重盛が諫めようと駆け付けた場面を描いたもの。有職故実をしっかりと押さえて描いている。また、とても早描き。重要文化財の《落葉》は、日本画の技法「ぼかし」「たらしこみ」をうまく使って描いている。横に広がる「無限感」がこの絵の魅力。落ちる木の葉で時間を表現している。」とのことでした。
◆再興日本美術院展の画家たち
午後6時少し前に、ようやく保崎さんが到着。大観たちの次の世代、再興日本美術院展の作家から保崎さんの解説になりました。保崎さんによれば、「今村紅紫の三幅対《三蔵・悟空・八戒》は、南画風の自由奔放な作品。小林古径の二曲一双《鶴と七面鳥》は、琳派の《風神雷神》を意識している。川端龍子は、当初洋画を描いていたが日本画に転向し、再興日本美術院展で入賞。その後、「会場芸術」としての日本画を主張して青龍社を旗揚げした作家。本展では三面の《霊泉由来》を展示している。」とのことでした。
◆京都画壇の作家
解説は続きます。「円山応挙の系譜に連なる竹内栖鳳は、写実と筆の技術に西洋風の色使いや写真の構図も取り入れた作家。三幅対《松竹梅》のなかの《梅》は、モネの睡蓮に近い描写が見られる。西村五雲の六曲一双《林泉群鶴図》は、非常にうまい。堂本印象《調鞠図》は彼の出世作。」とのことです。鍋鶴と丹頂鶴を描いた《林泉群鶴図》は、まさに「酉年のお正月」の絵です。
本展では向かい側に作品が無く、ただの壁になっているという展示が多いと感じました。おかげで、大きな作品を見るために後ろへ下がっても支障がなく、ガラス面の写り込みも目立ちません。とても快適です。保崎さんも「展示方法には、こだわった。」と言っていました。
◆2階には
2階にも近代日本画の展示が続きます。保崎さんは鏑木清方の双幅《花吹雪・落葉時雨》について、「この作品は、文展に対抗して開催された国画玉成会主催の展覧会で三等賞第三席を受賞。因みに一等賞、二等賞は該当作がなく、三等賞は、外に前田青邨、今村紫紅が受賞。また、上村松園が文展で三等賞を受賞。なお、描かれた女性の衣装は文化文政頃のもので、花吹雪は京都、落葉時雨は江戸の風俗。」と解説。平福百穂《「豫譲(よじょう)》については「『史記列伝』の『刺客列伝』に登場する人物を題材にしたもの。文展で特選となり、千五百円の値が付きました。ただ、現在に換算した値段は見当がつきません。」という話になり、角田さんが「家が一軒建つ値段です。」と補足してくれました。
■第二部 白隠と仙厓の禅画
◆白隠
保崎さんの解説では「護立氏は若い頃、大病を患ったときに知人の阿部無仏氏から白隠の「夜船閑話」を読むよう勧められ、その教えを実践して回復。それがきっかけとなり、十代の頃から白隠の禅画収集を開始。当時は、禅画を収集する人は少なく、比較的容易に収集できたようだ。白隠は沼津の禅僧で絵はアマチュア、禅の教えを広めるための手段として禅画を描き、人々に与えた。絵と画賛(絵に添えられた文章、詩句)を、ともに味わうのが禅画の楽しみ方。」とのことでした。
◆仙厓
保崎さんの解説では「仙厓は岐阜県関市の生まれで、博多の聖福寺(しょうふくじ)の住職の住職を務めている。《寒山拾得》のような伝統的な禅画も描いているが、最近は「ゆるキャラ」というか子どもが描いたようなユーモラスな絵が人気。《朧月夜》は画賛に「切れ縄に口ハなけれど朧月」とあり『暗いところでは縄を蛇と勘違いすることがある、先入感を捨て真実をとらえる必要がある』という教えを説いている。《絶筆》は、あまりに絵の注文が多いので「今後、絵は描きません。」と知らせるもの。ただ、この《絶筆》、実は何枚も描いている。」とのことでした。
◆最後に
見て回った点数は多くないのに、終わってみればタップリ2時間あまり。角田さん、保崎さんの展覧会にかける意気込みが伝わりました。ありがとうございます。参加者一同、大満足でした。
近代日本画はお殿様の収集品らしく、大広間で見たくなる豪華なものが多くて、お正月らしい展覧会です。一方、禅画は、絵はへたウマでも画賛は禅の教えに裏打ちされており、味わい深いものばかりです。どちらも、もう一度、じっくり鑑賞する必要がありますね。
後期のみの展示が菱田春草《黒き猫》や上村松園《月影》な十点もあるので、後期(2月7日(火)~26日(日))も見逃せませんね。
Ron.
2017年
1月20日
「永青文庫展」ギャラリー・トーク
2017年
1月18日
永青文庫展ギャラリートーク
1月15日日曜日、昨日から全国的に大雪に見舞われるなか、名古屋市美術館では協力会の会員限定ギャラリートークが開催されました。当日解説してくださる予定だった保崎学芸員が公共交通機関のトラブルに巻き込まれ開始時間に間に合わず、急遽副担当の角田美奈子学芸員による助っ人解説がはじまりました。
永青文庫のコレクションは、大名細川家に伝来した文化財、そして、かつて総理大臣をされた細川護熙さんのおじいさんに当たる細川護立さんが蒐集した膨大な美術工芸品によって成り立っています。護立さんは優れた目利きとして知られ、後に日本美術の発展に大きく貢献することになる横山大観、下村観山、菱田春草などの、当時まだ評価の定まっていない作品なども蒐集しています。近年大変な人気の白隠や仙厓の書画も多数展示されており、今回の展覧会では、日本画の優品に加え、これらの禅画も楽しむことが出来ます。
話を聴いているうちに保崎学芸員が到着!6時からの約1時間は、各作品についてのエピソードなどを話してくださいました。その間も角田学芸員も解説を加えてくださり、当日集まった会員は二人の学芸員からの解説にご満悦でした。
展覧会は前期後期で作品の入れ替えあり。後期には春草の黒き猫も展示されます。必見です。
2016年
11月25日
「マヌエル・アルバレス・ブラボ写真展」ギャラリー・トーク
名古屋市美術館で開催中の「マヌエル・アルバレス・ブラボ写真展」(以下「本展」)のギャラリー・トークに参加しました。参加者は44名と、写真展にしては多め。2階講堂に集合した後、1階展示室へ移動。山田学芸課長(以下「山田さん」)のトークが始まりました。
◆本展について
山田さんによれば「本展は国内初の本格的かつ最大規模の回顧展、と言いたいのですが、20年前に清里フォトアートミュージアムでブラボ展が開催されているので、残念ながら2回目の回顧展。しかし、192点という規模は国内最大。世界でも4番目。展示は年代別の4部構成。写真の並びは、ほぼ撮影年代順だがテーマによっては時代的に前後するものもある。」とのこと。
◆ブラボの魅力
ギャラリー・トークの冒頭、参加者はブラボの言葉(下記の通り)を記したパネルの前に集合。
私にとって写真とは、見る技法です。ほぼそれに尽きるといえます。
見えるものを撮り、絵画と違って、ほとんど改変もしない。
こうした姿勢でいると、写真家は予期せぬものを、実に上手に活かせるのです。 1970.4.4
この言葉について、山田さんは「ブラボの写真は、基本的に見えるものをそのまま撮ったストレート写真。刺激的なものは無く、どれも一歩引いて撮った静かな写真。しかし、被写体の周りのものも含めて撮っているので、新しい発見ができる。それがブラボの魅力。」と解説。
当日は盛りだくさんの内容だったので、以下は、その一部を抜粋して紹介します。
■第1部:革命後のメキシコ―1920-30年代
◆第1章:モダニズムへ
1920年代のブラボは、006《カボチャとカタツムリ》(数字はカタログ番号。以下同じ)や007《小便をする子供》のように、造形の面白さに着目して写真を撮っている。基本はストレート写真だけれど、写真にすると現実とは違ってしまう。それが、この写真の魅力。
◆第2章:ざわめく街の一隅で
022《理髪師》、パッと見は「道端で何かやってるな」という印象しかない。しかし、よく見ると町の床屋だと分かる。その発見が、この写真の面白さ。ブラボが撮った街角の写真はフランスの写真家アジェの影響を受けているが、違いもある。アジェの被写体はカメラ目線で大きく写っているが、ブラボの被写体は小さい。撮られていると気づかれないうちにサッと撮っている。
ブラボは街中の看板も好んで撮影。027《二組の脚》は、タイトルどおり男女の脚だけが描かれた壁面の写真。「何だろう」と思って見ると、上にライトが二つ。看板から、店は電気設備屋であり、夜には二組の脚にスポットライトが当たると分かる。照明された脚も想像させる写真。
■第2部:写真家の眼―1930-40年代
◆第1章:見えるもの/見えないもの
044《鳥を見る少女》の少女は上の方を見ている。しかし、この写真を見ている我々に、少女が見ているはずの鳥は見えない。写っていないものを想像したくなる写真。049《舞踊家たちの娘》や059《夢想》も、被写体がカメラ目線ではないので、いろいろなことを想像してしまう。
◆第2章:生と死のあいだ
メキシコは死が生と近い国。日本と違い、死を隠そうとしない。11月1日~2日が「死者の日」、日本のお盆に近い位置づけだが、お盆と違い明るく楽しく祝う。062《死者の日》の少女が持っているのは、砂糖菓子の髑髏。065《梯子の中の梯子》の画面右上は、看板がわりの子供用棺桶。建物の中には、天井まで棺桶が積まれ、梯子のように見える。071《人々の魂》は、新しいお墓を撮ったもの。一番左のロウソクには、まだ火がついており、さっきまで墓参りをしていたことがわかる。
◆第3章:時代の肖像
この章の展示は、雑誌“Mexican Folkways”のために、仕事として撮ったポートレート。093《セルゲイ・エイゼンシュテイン》は、ソ連の映画監督。メキシコに来て、監督、助監督、カメラマンの3人で「メキシコ万歳」を撮影したものの、完成することなく帰国。
■第3部:原野へ/路上へ―1940-60年代
◆第1章:原野の歴史
1940年代になって、ブラボは新しいジャンルである「風景写真」を撮り始める。この頃、メキシコ政府が国家事業として遺跡の記録写真を撮影することとなり、ブラボも写真家として事業に参加した。それが風景写真を撮るきっかけ。
風景写真といっても、102《頭蓋骨、遺跡、トゥルム》や106《ヒナギク》などを見ると、造形的な面白さに惹かれているのがわかる。また、111《アンガウアのレオン》112《トゥルムのマヤ人の少年》113《ボナンパクのマルガリータ》は、記録写真として撮影しため、他の時代の写真とと違い、カメラ目線になっている。
◆第2章:路上の小さなドラマ
この章の写真のテーマも街中の様子だが、以前よりも更に下がって撮影しているところが違う。ブラボは同じテーマを繰り返しながら撮っていった写真家。
128《世間は何と狭いことか》は、見ず知らずの男女がすれ違うところを撮ったもの。文学的なタイトルがドラマを想起させる。129《大いなる悔悟者》は寝そべっている酔っ払いを撮った写真だが、5体の天使が写っているので、天使に向かって自分のしたことを悔やんでいるように見える。131《正午15分前》には動きがある。大急ぎで家に帰ろうとしている様子が微笑ましい。
■第4部:静かなる光と時―1970-90年代
◆第1章:あまねく降る光
ブラボは1920年代から光と影を主題にした写真を撮っているが、70年代以降、光と影を主題にしたものが多くなる。また、165《シペ、ケンタウルス》や166《黒い布》などの裸婦像も、ブラボが一貫して撮り続けたテーマ。
◆第2章:写真家の庭
180《自写像》は、カメラと自分の間に窓の格子が写っている。世界から離れてみた自分自身を象徴的に撮ったもの。
また、181から184までの《シリーズ< 小さな空間に>より》は、ブラボが何度も撮ってきた「シーツ」をモチーフにした写真。187から192までの《シリーズ< 内なる庭>より》も、ブラボが何度も撮ってきた「光と影」。メキシコの光は強烈。コントラストが強くなりすぎて写真撮影には不利。しかし、壁に映った木の影を撮ると、コントラストを弱めた柔らかな写真になる。
◆最後に
「各章とも二、三枚の写真を取り上げて、駆け足で解説します。」という前置きで始まったギャラリー・トークでしたが、終わってみればタップリ1時間半。内容豊富で、参加者は大満足。山田さん、ありがとうございました。
Ron.
2016年
8月23日
「あいちトリエンナーレ2016」ギャラリートーク
「あいちトリエンナーレ2016」の名古屋市美術館協力会員向けギャラリートークに参加しました。先ず、2階講堂で山田学芸課長(以下「山田さん」といいます。)のレクチャー、その後に展示室に移動してのギャラリートークでした。参加者は38名。今回は、下記のように「徒然草」52段の教訓「少しのことにも先達はあらまほしき事なり」を実感いたしました。
Ⅰ 講堂でのレクチャー
◆あいちトリエンナーレ2016のテーマは?
レクチャーは「虹のキャラバンサライ 創造する人間の旅」というテーマの解説からスタート。チラシでテーマを見て「虹色の作品があるのか」と思ったのですが、実は深い意味がありました。山田さんによれば「キャラバンサライとは、砂漠を行く隊商の宿。宿と訳すが、巨大な城砦のようなもの。また、虹は多様性を表し、創造する人間は芸術家。テーマの前半と後半を合わせると、世界中から芸術家を集めて、あいちトリエンナーレで展示するという趣旨になる。作家はざっと30か国から参加。名古屋市美術館では7か国、11作家の作品を展示。」とのことでした。
Ⅱ 展示室にて
ギャラリートークに参加する前に名古屋市美術館の展示作品は一通り見たのですが、下記の通り「仁和寺にある法師」と同様、「え、そうだったの」ということがいくつもありました。
◆岡部昌生《被弾痕のある公益質屋遺構 沖縄 伊江島1929/1945》など
ギャラリートークに参加する前、この作品を見て分かったのは「鉛筆を使った拓本だな」ということだけ。また、3つの作品のうち《公益質屋遺構 貫かれた内部壁面の被弾痕-1 沖縄 伊江島》だけがカラフルである理由が分からず、「なぜ?」と固まってしまいました。
山田さんによれば「太平洋戦争当時、伊江島には滑走路があった。そのため、沖縄戦では伊江島が真っ先に攻撃目標となって徹底的な艦砲射撃を受け、島で残ったのは公益質屋の建物だけ。今回の作品は、公益質屋の外壁と内壁に紙を当てて、上から鉛筆などでこするフロッタージュという技法で描いたもの。建物は二階建てで、展示作品は建物と同サイズ。よく見ると、建物の入口や艦砲射撃で出来た大きな穴がわかる。内壁の上半分がカラフルなのは、差し込んだ日光が壁を照らしていることを表現している。写真や絵ではなく、フロッタージュで描いたのは質感を表現したいから。想像力を働かせて、沖縄戦の遺構を思い描いてほしい。」とのことでした。
家に帰って、当日もらった「キャラバンガイドブック」25ページを見たら、この作品の制作風景が載っていました。無残な姿に変わり果てた建物の周りに足場を組んで描いたのですね。
◆ジョヴァンニ・アンセルモ《星々が1スパン近づくところ》
この作品、ギャラリートークの前に見たはずなのですが、山田さんの解説を聞いて初めて作品があることに気づきました。吹き抜けの上からこちらを見下ろしている人が何人もいた、ということは覚えているのですが、足元の作品はすっかり記憶から抜け落ちていました。
山田さんによれば「作家は、主に質素な素材に文字を刻んだ作品を制作。今回の作品は花崗岩で6つのブロックを制作し、文字を刻んだもの。作家の指示で、6つのブロックを吹き抜けの真下に、南北方向に並べて展示した。ブロックに刻まれた字はイタリア語で、訳すと《星々が1スパン近づくところ》になる。スパンとは古代ギリシアの長さの単位で、手の平を広げたときの親指の先から小指の先までの距離。この作品はブロックの厚さが25センチで、ブロックの上に立つとこの厚み分だけ星が近づく。「作品に触れないで下さい」という注意書きがあるので、作品の上に立つことはできないが、立ったと想像して宇宙の大きさを感じて欲しい。」とのことでした。
今回の展示では、企画展示室1は仕切りが全く無いというだけでなく、吹き抜けの周りの壁も撤去され、天窓からは自然光が降り注ぐようになっており、とても開放感のある空間となっているため、「原っぱの中に立っている」ような気持で作品を鑑賞することが出来ました。
◆頼 志盛(ライ・ヅーシャン)《境界 愛知》
これは、地下の企画展示室3の空間すべてを使った作品で、ベニヤ板、軽量鉄骨の切れ端やペンキの空き缶などが散乱した床を白い壁が取り囲み、その壁に地上1メートルくらいの高さの狭い通路が取り付けられているというものです。ギャラリートークの前に見たときは、親子連れがその狭い通路を蟹の横這いのように歩いていたのが楽しそうで、その後に着いて歩きました。小学校の遊具みたいだな、という印象でした。
山田さんによれば「英語の題名は《Border_Aichi》。Borderは境界というよりもフチ(縁)と訳したほうが英語の題名に近いと思う。床に散らばっているのは、この作品の壁や縁を作るのに使った建築資材。作品完成後、廃材となった中から、作家が一つひとつ選んで来て、床に並べたもの。リヨンでは120センチメートルの高さに縁を付けたが、名古屋市美術館では1メートルの高さ。何故か?それは、建築基準法の規定では、高さ1メートルを超える通路には手すりを設置しなければならないから。この作品で手すりを付けたら、全く意味ないよね。」とのこと。
「参加型の作品」というので、ギャラリートーク参加者は自己責任で縁に上って行きました。上る人数が増えるに従い「40人近く上っても大丈夫か。縁が壊れることはないか。」と、皆が不安になりましたが、「縁は軽量鉄骨で出来ています。作品の壁と展示室の壁面との間には50センチメートルくらいの隙間があって、壁の向こうでしっかり支えているので、縁が落ちることはないです。」と、山田さんが言ってくれて、参加者一同、ほっとした次第です。この時、事務局の中村さんが縁に上がっている参加者の写真を撮影してくれました。
ギャラリートークの前に縁を歩いたときは落ちないようにするだけで精一杯。作品を鑑賞する余裕は全くありませんでしたが、今回は、1メートルの高さから見たときの景色を楽しむことが出来ました。山田さんが「床に降りて、見上げてみても面白い。」というので、床に降りて縁の上にいる人たちを見上げると確かに全く違う景色で、作品を二度楽しめました。
「あいちトリエンナーレ2016では、この作家が一番大きいと感じる。」とは、山田さんの弁ですが、その通りだと思いましたね。
◆最後に
今回のギャラリートークでは「現代美術の鑑賞には、見る側が想像力を働かせることが大事だ」ということを改めて感じました。名古屋市美術館に出品している11作家のうち3作家しか書けませんでしたが、他の作品も面白いですよ。会期は10月23日(日)まで
Ron.
2016年
6月15日
平成28年度総会およびギャラリートーク
去る6月12日日曜日、名古屋市美術館協力会の平成28年度総会が行われました。参加した会員は35名と盛況となり、総会後の話合いも充実したものとなりました。会員みなさまには後日議事録をお送りいたします。
名古屋市美術館協力会 総会後、協力会会員向けに「藤田嗣治展」の後期出品作品22点を中心にしたギャラリートークが開催されました。総会終了後に講堂内の椅子の並び替えやプロジェクターの設置を行い、16時20分から17時まで深谷副館長のレクチャー。その後、展示室に移動して17時10分から、同じく深谷副館長のギャラリートークを聴きました。レクチャー参加は総会出席者34名プラスアルファ、ギャラリートーク参加は28名でした。
Ⅰ 深谷副館長のレクチャー
◆若い人は、藤田嗣治を知らない?
レクチャーは「会場を見ると年配者が多く、若い人が少ない。そのため、平日と土曜・日曜の入場者数が変わらないという予想外の現象が起きている。」という「泣き言」(本人談)で始まりました。「若い人は、藤田嗣治を知らないのではないか。」というのです。
「藤田には著作権の問題というネックがあった。君代未亡人には日本に対する強い思いがあり、特に藤田の死後は画集、本、展覧会のどれにも、ほとんど許可が下りないという状況が続いた。1986年に、東京の庭園美術館で回顧展が開催されたが、戦争画の出展は許可が下りず“タブー”とされた。2005年に出版された戦争画集も、未亡人の許可が下りず、藤田の作品ははいっていない。小栗康平監督によると、映画“FOUJITA”以前にも藤田嗣治を映画化する話はあったが、戦争当時の話に触れると未亡人の許可が下りないため見送られてきたという歴史がある。」と続き、締めくくりは、「ただ、2009年に未亡人が亡くなったことで、状況が変わってきた。今年、2016年には、名古屋市美の藤田嗣治展以外にも、9月17日から来年1月15日までDIC川村記念美術館で“レオナール・フジタとモデルたち”が開催(その後、巡回)され、9月10日から来年3月3日までは箱根のポーラ美術館で“ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ ― 境界線への視線”が開催される。」という話でした。
藤田関係の展覧会が続くことで、再評価が進むと良いですね。
◆第5章は意図的に作品を減らした
次に、展覧会の構成の説明がありました。そのなかで「国内の美術館の保有作品数が一番多いのは“第5章フランスとの再会”(1949-63)の時代の作品ですが、意図的に展示する作品数を減らしました。理由は、作風のマンネリ化です。第5章の作品は、第2章の頃の繰り返しでは、と思うのです。」という言葉に、少し衝撃を受けました。
「晩年は、マンネリ化していたのか。」と、考え込んだ次第です。
◆《婦人像》のモデル
第1章で展示している《婦人像》のモデルについて、「先日、林洋子さんが講演で話されたように、従来は最初の夫人の登美さんがモデルと言われてきたが、それより前に付き合っていた彼女がモデルではという説が出てきた。その根拠は、作品の右上にある“may 1909”というサイン。登美と出会ったのは1909年の夏休みといわれているので、5月に描いた絵のモデルは彼女ではないというわけです。しかし、サインをよく見ると自分の名前を”Foujita”と書いています。このサインは渡仏してからの表記で、日本でのサインは“Fujita”でした。そのため、このサインは渡仏後に書いたもので、may1909という日付は記憶間違いではないかという説もあります。つまり、モデルが誰かは、はっきりしないということです。」とのことでした。
◆藤田とルソー、写真家アジェ
第1章の《パリ風景》1918の解説では「藤田は、渡仏当初にキュビズムなどの流行の絵画を描いたが、流行の絵では頭角を現すことができないと考え、エジプトやギリシア、中世の宗教美術などのプリミティブな表現を取り入れた時期がある。この《パリ風景》には、アンリ・ルソーや写真家ウジェーヌ・アジェの影響がある。」という話でした。
今年の協力会秋のツアーは9月24日~25日の日程で、箱根方面を目指す予定です。ポーラ美術館で開催の“ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ ― 境界線への視線”も鑑賞予定。ルソー、フジタ、アジェの視線をとらえたパリを見ることが、今から楽しみです。
◆藤田の「戦争責任」
藤田の戦争責任については「記録が残っていないので、よくわからない。東京芸術大学に藤田の手紙、日記、写真などの資料が寄贈され、藤田展の準備のために見せてもらった。藤田は筆まめな人で、資料の量が膨大。読みやすい字で書かれており、今後、研究が進むと思う。しかし、残念ながら戦時中のものは残っていない。処分されたと思う。藤田は、友人にも送った手紙を処分するよう依頼している。処分依頼の手紙には“この手紙も処分してほしい”と書かれていたが、処分されずに残っている。“被害妄想”だったという話もある。」というところで閉館時刻を迎えたため、レクチャーは終了。展示室に移動することとなりました。
Ⅱ 展示室にて
◆日本画も勉強
第1章の《鶴》1918頃については、「藤田が、流行のものを追うのではなく独自のものを目指すようになったとき、日本の伝統である日本画についても学ぶようになった。《鶴》は、その頃に描かれたもの。」との解説。
◆裸婦を描くのは、モディリアーニの影響
《風景》1918の前では「藤田は1918年に、第一次世界大戦の戦火を逃れるためスーチン、モディリアーニとともに南仏のカーニュに疎開。そこでは、ルノアールに会って裸婦の素晴らしさに目覚め、モディリアーニの描く裸婦からも影響を受け、以降、裸婦を描くようになった。」との解説。
◆掛け軸を額装に
初公開となる《77歳の父の肖像》1930ですが「よく見てください、これは絹に描いたものでもともとは掛け軸だったものを額装に直しています。《マドレーヌ・ルクーの肖像》1933も掛け軸を額装になおしたものです。」という解説を聞き、参加者からは「なんてもったいないことをしたの。」と、驚きの声が出ていました。
どちらも、ランス美術館所蔵。掛け軸をやめたのは、技術的な理由からでしょうか。
◆子どもの絵
第5章の時代、藤田は「少し不機嫌な口を尖らせたキューピーさん」のような子どもの絵を数多く描いていますが、今回の藤田嗣治展、子どもの絵は《校庭》1956、《小さな主婦》1956など僅かです。
参加者からは「子どもの絵が一番好きなのに、少なくて残念。」という声もあれば、「あの顔は嫌いだから、ちょうどいい。」など、賛否入り混じった声が飛び交いました。
◆ドローイングに見る、藤田の技量
第5章のドローイングは、前期、後期で大幅な入れ替えがあります。深谷副館長によれば「紙は光にデリケートな素材なので、3館を巡回する作品は半期しか展示できない。ドローイングが多いのは、藤田の技量を見てほしいから。藤田は、いわば職人で、その描く技量は素晴らしい。」とのことでした。まさに「お言葉どおり」ですね。
◆最後に
閉館後、しかも少人数による鑑賞なので周囲に気兼ねすることなくおしゃべりできて、とても楽しい時間が過ごせました。深谷副館長始め名古屋市美の皆さまに感謝します。 Ron.
2016年
1月26日
ポジション展ギャラリートーク
今回のギャラリートークではこの展覧会自体が個性ある作家たちの作品展示ということでいろいろな種類のアートに触れることができた。従来のポジション展は絵画というか平面的な作品が多いのだが今回は針金、陶器、米粒、糸、紙などを使った立体的な作品が多く地元の作家たちの力作が並ぶものとなったと思う。自分たちでも購入できそうな作品も多く協力会のメンバーで購入した人もいるという話も聞く。日常生活にアート作品を持ち込むなんて素敵な選択だと思う。つい先日シャネル銀座のギャラリーでフランスの作家の作品を見てきたがあまり興味を抱かなかった。作家の意図はあるのだが日本人にはピンとこない。しかしこの展覧会では地元作家のセンスのよさがひかる。学芸員の中村さんによる話でさらに作品に対しての深い理解ができたと思う。
水谷さんのかわいい猫たち、水野さんの蚊帳のある部屋の展示、中谷さんの提灯をつかった哲学的な作品、稲葉さんの糸を使用した鳥の巣、徳田さんの未来的なカップ、KIMさんの遊び心満載の作品、そして米山さんの自分の名にちなんで米粒にこだわるのかどうかわからないが米粒を使った大変な作業時間を要する作品、白居易の詩を使った作品など細かく丁寧に見れば見るほどいろいろな発見ができる展覧会である。まだ見ていない人たちにぜひ見てほしいと思う展覧会である。参加者は30人ほどであった。
谷口 信一