永青文庫展ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

 1月15日日曜日、昨日から全国的に大雪に見舞われるなか、名古屋市美術館では協力会の会員限定ギャラリートークが開催されました。当日解説してくださる予定だった保崎学芸員が公共交通機関のトラブルに巻き込まれ開始時間に間に合わず、急遽副担当の角田美奈子学芸員による助っ人解説がはじまりました。

急遽解説してくださった角田学芸員

急遽解説してくださった角田学芸員


 永青文庫のコレクションは、大名細川家に伝来した文化財、そして、かつて総理大臣をされた細川護熙さんのおじいさんに当たる細川護立さんが蒐集した膨大な美術工芸品によって成り立っています。護立さんは優れた目利きとして知られ、後に日本美術の発展に大きく貢献することになる横山大観、下村観山、菱田春草などの、当時まだ評価の定まっていない作品なども蒐集しています。近年大変な人気の白隠や仙厓の書画も多数展示されており、今回の展覧会では、日本画の優品に加え、これらの禅画も楽しむことが出来ます。
保崎学芸員到着!ここで交代です

保崎学芸員到着!ここで交代です


 話を聴いているうちに保崎学芸員が到着!6時からの約1時間は、各作品についてのエピソードなどを話してくださいました。その間も角田学芸員も解説を加えてくださり、当日集まった会員は二人の学芸員からの解説にご満悦でした。
 展覧会は前期後期で作品の入れ替えあり。後期には春草の黒き猫も展示されます。必見です。

「マヌエル・アルバレス・ブラボ写真展」ギャラリー・トーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor


名古屋市美術館で開催中の「マヌエル・アルバレス・ブラボ写真展」(以下「本展」)のギャラリー・トークに参加しました。参加者は44名と、写真展にしては多め。2階講堂に集合した後、1階展示室へ移動。山田学芸課長(以下「山田さん」)のトークが始まりました。
◆本展について
 山田さんによれば「本展は国内初の本格的かつ最大規模の回顧展、と言いたいのですが、20年前に清里フォトアートミュージアムでブラボ展が開催されているので、残念ながら2回目の回顧展。しかし、192点という規模は国内最大。世界でも4番目。展示は年代別の4部構成。写真の並びは、ほぼ撮影年代順だがテーマによっては時代的に前後するものもある。」とのこと。
◆ブラボの魅力
ギャラリー・トークの冒頭、参加者はブラボの言葉(下記の通り)を記したパネルの前に集合。
 私にとって写真とは、見る技法です。ほぼそれに尽きるといえます。
 見えるものを撮り、絵画と違って、ほとんど改変もしない。
 こうした姿勢でいると、写真家は予期せぬものを、実に上手に活かせるのです。 1970.4.4
この言葉について、山田さんは「ブラボの写真は、基本的に見えるものをそのまま撮ったストレート写真。刺激的なものは無く、どれも一歩引いて撮った静かな写真。しかし、被写体の周りのものも含めて撮っているので、新しい発見ができる。それがブラボの魅力。」と解説。
当日は盛りだくさんの内容だったので、以下は、その一部を抜粋して紹介します。
■第1部:革命後のメキシコ―1920-30年代
◆第1章:モダニズムへ
1920年代のブラボは、006《カボチャとカタツムリ》(数字はカタログ番号。以下同じ)や007《小便をする子供》のように、造形の面白さに着目して写真を撮っている。基本はストレート写真だけれど、写真にすると現実とは違ってしまう。それが、この写真の魅力。
◆第2章:ざわめく街の一隅で
022《理髪師》、パッと見は「道端で何かやってるな」という印象しかない。しかし、よく見ると町の床屋だと分かる。その発見が、この写真の面白さ。ブラボが撮った街角の写真はフランスの写真家アジェの影響を受けているが、違いもある。アジェの被写体はカメラ目線で大きく写っているが、ブラボの被写体は小さい。撮られていると気づかれないうちにサッと撮っている。
ブラボは街中の看板も好んで撮影。027《二組の脚》は、タイトルどおり男女の脚だけが描かれた壁面の写真。「何だろう」と思って見ると、上にライトが二つ。看板から、店は電気設備屋であり、夜には二組の脚にスポットライトが当たると分かる。照明された脚も想像させる写真。
■第2部:写真家の眼―1930-40年代
◆第1章:見えるもの/見えないもの
044《鳥を見る少女》の少女は上の方を見ている。しかし、この写真を見ている我々に、少女が見ているはずの鳥は見えない。写っていないものを想像したくなる写真。049《舞踊家たちの娘》や059《夢想》も、被写体がカメラ目線ではないので、いろいろなことを想像してしまう。
◆第2章:生と死のあいだ
 メキシコは死が生と近い国。日本と違い、死を隠そうとしない。11月1日~2日が「死者の日」、日本のお盆に近い位置づけだが、お盆と違い明るく楽しく祝う。062《死者の日》の少女が持っているのは、砂糖菓子の髑髏。065《梯子の中の梯子》の画面右上は、看板がわりの子供用棺桶。建物の中には、天井まで棺桶が積まれ、梯子のように見える。071《人々の魂》は、新しいお墓を撮ったもの。一番左のロウソクには、まだ火がついており、さっきまで墓参りをしていたことがわかる。
◆第3章:時代の肖像
 この章の展示は、雑誌“Mexican Folkways”のために、仕事として撮ったポートレート。093《セルゲイ・エイゼンシュテイン》は、ソ連の映画監督。メキシコに来て、監督、助監督、カメラマンの3人で「メキシコ万歳」を撮影したものの、完成することなく帰国。

熱心に話を聴く会員たち

熱心に話を聴く会員たち


■第3部:原野へ/路上へ―1940-60年代
◆第1章:原野の歴史
 1940年代になって、ブラボは新しいジャンルである「風景写真」を撮り始める。この頃、メキシコ政府が国家事業として遺跡の記録写真を撮影することとなり、ブラボも写真家として事業に参加した。それが風景写真を撮るきっかけ。
風景写真といっても、102《頭蓋骨、遺跡、トゥルム》や106《ヒナギク》などを見ると、造形的な面白さに惹かれているのがわかる。また、111《アンガウアのレオン》112《トゥルムのマヤ人の少年》113《ボナンパクのマルガリータ》は、記録写真として撮影しため、他の時代の写真とと違い、カメラ目線になっている。
◆第2章:路上の小さなドラマ
 この章の写真のテーマも街中の様子だが、以前よりも更に下がって撮影しているところが違う。ブラボは同じテーマを繰り返しながら撮っていった写真家。
128《世間は何と狭いことか》は、見ず知らずの男女がすれ違うところを撮ったもの。文学的なタイトルがドラマを想起させる。129《大いなる悔悟者》は寝そべっている酔っ払いを撮った写真だが、5体の天使が写っているので、天使に向かって自分のしたことを悔やんでいるように見える。131《正午15分前》には動きがある。大急ぎで家に帰ろうとしている様子が微笑ましい。
■第4部:静かなる光と時―1970-90年代
◆第1章:あまねく降る光
ブラボは1920年代から光と影を主題にした写真を撮っているが、70年代以降、光と影を主題にしたものが多くなる。また、165《シペ、ケンタウルス》や166《黒い布》などの裸婦像も、ブラボが一貫して撮り続けたテーマ。
◆第2章:写真家の庭
180《自写像》は、カメラと自分の間に窓の格子が写っている。世界から離れてみた自分自身を象徴的に撮ったもの。
また、181から184までの《シリーズ< 小さな空間に>より》は、ブラボが何度も撮ってきた「シーツ」をモチーフにした写真。187から192までの《シリーズ< 内なる庭>より》も、ブラボが何度も撮ってきた「光と影」。メキシコの光は強烈。コントラストが強くなりすぎて写真撮影には不利。しかし、壁に映った木の影を撮ると、コントラストを弱めた柔らかな写真になる。
◆最後に
「各章とも二、三枚の写真を取り上げて、駆け足で解説します。」という前置きで始まったギャラリー・トークでしたが、終わってみればタップリ1時間半。内容豊富で、参加者は大満足。山田さん、ありがとうございました。
最後まで熱く語ってくださった山田学芸課長さん、ありがとうございました!

最後まで熱く語ってくださった山田学芸課長さん、ありがとうございました!


Ron.

「あいちトリエンナーレ2016」ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

「あいちトリエンナーレ2016」の名古屋市美術館協力会員向けギャラリートークに参加しました。先ず、2階講堂で山田学芸課長(以下「山田さん」といいます。)のレクチャー、その後に展示室に移動してのギャラリートークでした。参加者は38名。今回は、下記のように「徒然草」52段の教訓「少しのことにも先達はあらまほしき事なり」を実感いたしました。

Ⅰ 講堂でのレクチャー
◆あいちトリエンナーレ2016のテーマは?
レクチャーは「虹のキャラバンサライ 創造する人間の旅」というテーマの解説からスタート。チラシでテーマを見て「虹色の作品があるのか」と思ったのですが、実は深い意味がありました。山田さんによれば「キャラバンサライとは、砂漠を行く隊商の宿。宿と訳すが、巨大な城砦のようなもの。また、虹は多様性を表し、創造する人間は芸術家。テーマの前半と後半を合わせると、世界中から芸術家を集めて、あいちトリエンナーレで展示するという趣旨になる。作家はざっと30か国から参加。名古屋市美術館では7か国、11作家の作品を展示。」とのことでした。

Ⅱ 展示室にて
 ギャラリートークに参加する前に名古屋市美術館の展示作品は一通り見たのですが、下記の通り「仁和寺にある法師」と同様、「え、そうだったの」ということがいくつもありました。

入口を陣取る岡部さんの力強い作品

入口を陣取る岡部さんの力強い作品


◆岡部昌生《被弾痕のある公益質屋遺構 沖縄 伊江島1929/1945》など
ギャラリートークに参加する前、この作品を見て分かったのは「鉛筆を使った拓本だな」ということだけ。また、3つの作品のうち《公益質屋遺構 貫かれた内部壁面の被弾痕-1 沖縄 伊江島》だけがカラフルである理由が分からず、「なぜ?」と固まってしまいました。
山田さんによれば「太平洋戦争当時、伊江島には滑走路があった。そのため、沖縄戦では伊江島が真っ先に攻撃目標となって徹底的な艦砲射撃を受け、島で残ったのは公益質屋の建物だけ。今回の作品は、公益質屋の外壁と内壁に紙を当てて、上から鉛筆などでこするフロッタージュという技法で描いたもの。建物は二階建てで、展示作品は建物と同サイズ。よく見ると、建物の入口や艦砲射撃で出来た大きな穴がわかる。内壁の上半分がカラフルなのは、差し込んだ日光が壁を照らしていることを表現している。写真や絵ではなく、フロッタージュで描いたのは質感を表現したいから。想像力を働かせて、沖縄戦の遺構を思い描いてほしい。」とのことでした。
家に帰って、当日もらった「キャラバンガイドブック」25ページを見たら、この作品の制作風景が載っていました。無残な姿に変わり果てた建物の周りに足場を組んで描いたのですね。

◆ジョヴァンニ・アンセルモ《星々が1スパン近づくところ》
この作品、ギャラリートークの前に見たはずなのですが、山田さんの解説を聞いて初めて作品があることに気づきました。吹き抜けの上からこちらを見下ろしている人が何人もいた、ということは覚えているのですが、足元の作品はすっかり記憶から抜け落ちていました。
山田さんによれば「作家は、主に質素な素材に文字を刻んだ作品を制作。今回の作品は花崗岩で6つのブロックを制作し、文字を刻んだもの。作家の指示で、6つのブロックを吹き抜けの真下に、南北方向に並べて展示した。ブロックに刻まれた字はイタリア語で、訳すと《星々が1スパン近づくところ》になる。スパンとは古代ギリシアの長さの単位で、手の平を広げたときの親指の先から小指の先までの距離。この作品はブロックの厚さが25センチで、ブロックの上に立つとこの厚み分だけ星が近づく。「作品に触れないで下さい」という注意書きがあるので、作品の上に立つことはできないが、立ったと想像して宇宙の大きさを感じて欲しい。」とのことでした。
今回の展示では、企画展示室1は仕切りが全く無いというだけでなく、吹き抜けの周りの壁も撤去され、天窓からは自然光が降り注ぐようになっており、とても開放感のある空間となっているため、「原っぱの中に立っている」ような気持で作品を鑑賞することが出来ました。

◆頼 志盛(ライ・ヅーシャン)《境界 愛知》
 これは、地下の企画展示室3の空間すべてを使った作品で、ベニヤ板、軽量鉄骨の切れ端やペンキの空き缶などが散乱した床を白い壁が取り囲み、その壁に地上1メートルくらいの高さの狭い通路が取り付けられているというものです。ギャラリートークの前に見たときは、親子連れがその狭い通路を蟹の横這いのように歩いていたのが楽しそうで、その後に着いて歩きました。小学校の遊具みたいだな、という印象でした。
 山田さんによれば「英語の題名は《Border_Aichi》。Borderは境界というよりもフチ(縁)と訳したほうが英語の題名に近いと思う。床に散らばっているのは、この作品の壁や縁を作るのに使った建築資材。作品完成後、廃材となった中から、作家が一つひとつ選んで来て、床に並べたもの。リヨンでは120センチメートルの高さに縁を付けたが、名古屋市美術館では1メートルの高さ。何故か?それは、建築基準法の規定では、高さ1メートルを超える通路には手すりを設置しなければならないから。この作品で手すりを付けたら、全く意味ないよね。」とのこと。
 「参加型の作品」というので、ギャラリートーク参加者は自己責任で縁に上って行きました。上る人数が増えるに従い「40人近く上っても大丈夫か。縁が壊れることはないか。」と、皆が不安になりましたが、「縁は軽量鉄骨で出来ています。作品の壁と展示室の壁面との間には50センチメートルくらいの隙間があって、壁の向こうでしっかり支えているので、縁が落ちることはないです。」と、山田さんが言ってくれて、参加者一同、ほっとした次第です。この時、事務局の中村さんが縁に上がっている参加者の写真を撮影してくれました。

縁に立つ参加者たちーなかなか良い眺め

縁に立つ参加者たちーなかなか良い眺め


 ギャラリートークの前に縁を歩いたときは落ちないようにするだけで精一杯。作品を鑑賞する余裕は全くありませんでしたが、今回は、1メートルの高さから見たときの景色を楽しむことが出来ました。山田さんが「床に降りて、見上げてみても面白い。」というので、床に降りて縁の上にいる人たちを見上げると確かに全く違う景色で、作品を二度楽しめました。
「あいちトリエンナーレ2016では、この作家が一番大きいと感じる。」とは、山田さんの弁ですが、その通りだと思いましたね。
床は宝物でいっぱい(!?)

床は宝物でいっぱい(!?)


◆最後に
 今回のギャラリートークでは「現代美術の鑑賞には、見る側が想像力を働かせることが大事だ」ということを改めて感じました。名古屋市美術館に出品している11作家のうち3作家しか書けませんでしたが、他の作品も面白いですよ。会期は10月23日(日)まで
             Ron.

平成28年度総会およびギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

講堂にて、総会風景

講堂にて、総会風景


去る6月12日日曜日、名古屋市美術館協力会の平成28年度総会が行われました。参加した会員は35名と盛況となり、総会後の話合いも充実したものとなりました。会員みなさまには後日議事録をお送りいたします。
発言する役員

発言する役員


名古屋市美術館協力会 総会後、協力会会員向けに「藤田嗣治展」の後期出品作品22点を中心にしたギャラリートークが開催されました。総会終了後に講堂内の椅子の並び替えやプロジェクターの設置を行い、16時20分から17時まで深谷副館長のレクチャー。その後、展示室に移動して17時10分から、同じく深谷副館長のギャラリートークを聴きました。レクチャー参加は総会出席者34名プラスアルファ、ギャラリートーク参加は28名でした。

Ⅰ 深谷副館長のレクチャー
◆若い人は、藤田嗣治を知らない?
レクチャーは「会場を見ると年配者が多く、若い人が少ない。そのため、平日と土曜・日曜の入場者数が変わらないという予想外の現象が起きている。」という「泣き言」(本人談)で始まりました。「若い人は、藤田嗣治を知らないのではないか。」というのです。
「藤田には著作権の問題というネックがあった。君代未亡人には日本に対する強い思いがあり、特に藤田の死後は画集、本、展覧会のどれにも、ほとんど許可が下りないという状況が続いた。1986年に、東京の庭園美術館で回顧展が開催されたが、戦争画の出展は許可が下りず“タブー”とされた。2005年に出版された戦争画集も、未亡人の許可が下りず、藤田の作品ははいっていない。小栗康平監督によると、映画“FOUJITA”以前にも藤田嗣治を映画化する話はあったが、戦争当時の話に触れると未亡人の許可が下りないため見送られてきたという歴史がある。」と続き、締めくくりは、「ただ、2009年に未亡人が亡くなったことで、状況が変わってきた。今年、2016年には、名古屋市美の藤田嗣治展以外にも、9月17日から来年1月15日までDIC川村記念美術館で“レオナール・フジタとモデルたち”が開催(その後、巡回)され、9月10日から来年3月3日までは箱根のポーラ美術館で“ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ ― 境界線への視線”が開催される。」という話でした。
藤田関係の展覧会が続くことで、再評価が進むと良いですね。
◆第5章は意図的に作品を減らした
次に、展覧会の構成の説明がありました。そのなかで「国内の美術館の保有作品数が一番多いのは“第5章フランスとの再会”(1949-63)の時代の作品ですが、意図的に展示する作品数を減らしました。理由は、作風のマンネリ化です。第5章の作品は、第2章の頃の繰り返しでは、と思うのです。」という言葉に、少し衝撃を受けました。
「晩年は、マンネリ化していたのか。」と、考え込んだ次第です。
◆《婦人像》のモデル
第1章で展示している《婦人像》のモデルについて、「先日、林洋子さんが講演で話されたように、従来は最初の夫人の登美さんがモデルと言われてきたが、それより前に付き合っていた彼女がモデルではという説が出てきた。その根拠は、作品の右上にある“may 1909”というサイン。登美と出会ったのは1909年の夏休みといわれているので、5月に描いた絵のモデルは彼女ではないというわけです。しかし、サインをよく見ると自分の名前を”Foujita”と書いています。このサインは渡仏してからの表記で、日本でのサインは“Fujita”でした。そのため、このサインは渡仏後に書いたもので、may1909という日付は記憶間違いではないかという説もあります。つまり、モデルが誰かは、はっきりしないということです。」とのことでした。
◆藤田とルソー、写真家アジェ
第1章の《パリ風景》1918の解説では「藤田は、渡仏当初にキュビズムなどの流行の絵画を描いたが、流行の絵では頭角を現すことができないと考え、エジプトやギリシア、中世の宗教美術などのプリミティブな表現を取り入れた時期がある。この《パリ風景》には、アンリ・ルソーや写真家ウジェーヌ・アジェの影響がある。」という話でした。
今年の協力会秋のツアーは9月24日~25日の日程で、箱根方面を目指す予定です。ポーラ美術館で開催の“ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ ― 境界線への視線”も鑑賞予定。ルソー、フジタ、アジェの視線をとらえたパリを見ることが、今から楽しみです。
◆藤田の「戦争責任」
藤田の戦争責任については「記録が残っていないので、よくわからない。東京芸術大学に藤田の手紙、日記、写真などの資料が寄贈され、藤田展の準備のために見せてもらった。藤田は筆まめな人で、資料の量が膨大。読みやすい字で書かれており、今後、研究が進むと思う。しかし、残念ながら戦時中のものは残っていない。処分されたと思う。藤田は、友人にも送った手紙を処分するよう依頼している。処分依頼の手紙には“この手紙も処分してほしい”と書かれていたが、処分されずに残っている。“被害妄想”だったという話もある。」というところで閉館時刻を迎えたため、レクチャーは終了。展示室に移動することとなりました。
Ⅱ 展示室にて
◆日本画も勉強
第1章の《鶴》1918頃については、「藤田が、流行のものを追うのではなく独自のものを目指すようになったとき、日本の伝統である日本画についても学ぶようになった。《鶴》は、その頃に描かれたもの。」との解説。
◆裸婦を描くのは、モディリアーニの影響
《風景》1918の前では「藤田は1918年に、第一次世界大戦の戦火を逃れるためスーチン、モディリアーニとともに南仏のカーニュに疎開。そこでは、ルノアールに会って裸婦の素晴らしさに目覚め、モディリアーニの描く裸婦からも影響を受け、以降、裸婦を描くようになった。」との解説。
1連の裸婦像を前に

1連の裸婦像を前に


◆掛け軸を額装に
 初公開となる《77歳の父の肖像》1930ですが「よく見てください、これは絹に描いたものでもともとは掛け軸だったものを額装に直しています。《マドレーヌ・ルクーの肖像》1933も掛け軸を額装になおしたものです。」という解説を聞き、参加者からは「なんてもったいないことをしたの。」と、驚きの声が出ていました。
 どちらも、ランス美術館所蔵。掛け軸をやめたのは、技術的な理由からでしょうか。
◆子どもの絵
 第5章の時代、藤田は「少し不機嫌な口を尖らせたキューピーさん」のような子どもの絵を数多く描いていますが、今回の藤田嗣治展、子どもの絵は《校庭》1956、《小さな主婦》1956など僅かです。
参加者からは「子どもの絵が一番好きなのに、少なくて残念。」という声もあれば、「あの顔は嫌いだから、ちょうどいい。」など、賛否入り混じった声が飛び交いました。
◆ドローイングに見る、藤田の技量
 第5章のドローイングは、前期、後期で大幅な入れ替えがあります。深谷副館長によれば「紙は光にデリケートな素材なので、3館を巡回する作品は半期しか展示できない。ドローイングが多いのは、藤田の技量を見てほしいから。藤田は、いわば職人で、その描く技量は素晴らしい。」とのことでした。まさに「お言葉どおり」ですね。
◆最後に
 閉館後、しかも少人数による鑑賞なので周囲に気兼ねすることなくおしゃべりできて、とても楽しい時間が過ごせました。深谷副館長始め名古屋市美の皆さまに感謝します。     Ron.

ポジション展ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor

不思議な作品、見上げる会員たち

不思議な作品、見上げる会員たち


  今回のギャラリートークではこの展覧会自体が個性ある作家たちの作品展示ということでいろいろな種類のアートに触れることができた。従来のポジション展は絵画というか平面的な作品が多いのだが今回は針金、陶器、米粒、糸、紙などを使った立体的な作品が多く地元の作家たちの力作が並ぶものとなったと思う。自分たちでも購入できそうな作品も多く協力会のメンバーで購入した人もいるという話も聞く。日常生活にアート作品を持ち込むなんて素敵な選択だと思う。つい先日シャネル銀座のギャラリーでフランスの作家の作品を見てきたがあまり興味を抱かなかった。作家の意図はあるのだが日本人にはピンとこない。しかしこの展覧会では地元作家のセンスのよさがひかる。学芸員の中村さんによる話でさらに作品に対しての深い理解ができたと思う。
美しい雨の中にいるような作品

美しい雨の中にいるような作品



  水谷さんのかわいい猫たち、水野さんの蚊帳のある部屋の展示、中谷さんの提灯をつかった哲学的な作品、稲葉さんの糸を使用した鳥の巣、徳田さんの未来的なカップ、KIMさんの遊び心満載の作品、そして米山さんの自分の名にちなんで米粒にこだわるのかどうかわからないが米粒を使った大変な作業時間を要する作品、白居易の詩を使った作品など細かく丁寧に見れば見るほどいろいろな発見ができる展覧会である。まだ見ていない人たちにぜひ見てほしいと思う展覧会である。参加者は30人ほどであった。
                              谷口 信一
丸テーブルを囲んで

丸テーブルを囲んで

「リバプール国立美術館所蔵 英国の夢 ラファエル前派展」ギャラリートーク

カテゴリ:会員向けギャラリートーク 投稿者:editor


名古屋市美術館で開催中の「ラファエル前派展」(以下「本展」といいます。)のギャラリートークに参加しました。参加者は46名、解説は笠木日南子学芸員でした。
Ⅰ ヴィクトリア朝のロマン主義者たち
最初に出合うのはミレイ《いにしえの夢―浅瀬を渡るイサンプラス卿》。この絵は、緻密に描く所と荒い描写を使い分けることで主題を際立たせているとの解説でした。確かに遠景はout of focus いわゆる「ボケ」が効いており、前景の人物が鮮やかに浮かび上がっています。葡萄の彫刻で装飾された金色の額縁が豪華で、リバプールの産業資本家の財力を見せつけています。
同じくミレイ《ブラック・ブランズウィッカーズの兵士》は、精一杯のおしゃれをしていることを示すため、わざわざ「おろしたて」のしるしである折り皺をドレスに描いているとの解説で、戦場に出発する前の、短い時を惜しむように寄り添う男女の姿は映画の1シーンのようです。
ロッセティ《シビラ・パルミフェラ》は、理想的な女性を象徴的に描いたとのこと。華奢ではなく、骨太な感じのする女性なので、中村獅童の女形を連想してしまいます。
Ⅳ 19世紀後半の象徴主義者たち
Ⅰ章の次にⅣ章が続くという不思議な順序ですが、理由はバー=ジョーンズの《スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)》が大きすぎて、2階に運べなかったから。展示室の天井まで届く絵で、かなり後ろに下がらないと全体が見えません。花嫁の背景には擬人化した北風と南風が描かれていますが、ボッティチェリの名画《ヴィーナスの誕生》に着想を得たものとか。
ウォーターハウス《エコーとナルキッソス》は図録の解説に誤りがあり、画面右の水仙がナルキッソスの死の象徴であり、エコーが握るツタと黄色いアイリスが彼女の象徴との解説でした。
解説は無かったのですが、フォーテスク=ブリックデール《小さな召使(少女エレン)》の男装した少女の姿に惹かれました。
Ⅱ 古代世界を描いた画家たち
この章には女性のヌードがいくつもあります。解説では、ヴィクトリア朝の英国では古代ギリシア、古代ローマ帝国の女性ヌードを描くことが流行したとのこと。現代の女性のヌードは卑猥ですが、古代世界のヌードは「芸術である」と言い訳できたようです。なかでも、古代ローマの微温浴室に入浴する女性を描いた、タマデ《テピダリウム》は、男性の視線を十分に意識した作品です。タマデはこのような作品を描くことで成功した画家、との解説がありました。解説はありませんでしたが、アパリー《プロクリスの死》も横たわった女性が官能的です。
一方、ムーア《夏の夜》に描かれたのは古代ギリシア彫刻のような女性で、タマデと違い官能性は無く、絵には日本的なモチーフも描かれているとのこと。淡い色彩で、黄色が印象的です。海の夜景に懐かしさを感じてしまうのは、何故でしょうか。
Ⅲ  戸外の情景
最後の作品がハント《イタリアの子ども(藁を編むトスカーナの少女》で、「もう帰ってしまうのですか。もう少し見て行って。」と話しかけているようです。ハントには良心の目覚めなど宗教的主題のものが多く、この絵は「ハントらしくない主題」とのこと。
最後に
「自然に忠実に」をモットーにしたと言われるとおり人物も風景も写実的な描写で、素直に絵の世界に入っていけます。チラシのとおり「豊かな物語性を孕み、想像力を喚起」される作品ばかり。笠木さんによれば、ほとんどが日本初公開ではないかとのこと。会期は12月13日まで。
Ron.

解説してくださった笠木日南子学芸員

解説してくださった笠木日南子学芸員

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