至上の印象派展 ビュールレ・コレクション

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

待ちに待った名古屋市美術館開館30周年記念「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(以下「本展」)が開幕しました。(9月24日まで)本展の入口は2階。最初に目に入るのがコレクションの主、E.G.ビュールレ氏がコレクション8点に囲まれた写真の垂れ幕(以下「入口の写真」)です。うち6点を本展で確認できました。
◆ジャンル別、作家別などに細かく区分された展示
出品作品は64点。「至上の印象派展」という名前のように印象派の作品が中心ですが、17世紀から20世紀までの作品を展示。絵画の流れを理解しやすくするためにジャンル別、作家別等と細かく区分され10章もあります。同じ章の作品だけでなく別の章の作品も気になって見比べたので滞在時間は長くなりました。どの作品も見応えがあるため64点でも満腹です。
◆肖像画では
本展は「第1章 肖像画」で始まります。肖像画は第1章以外に「第3章 19世紀のフランス絵画」「第5章 印象派の人物-ドガとルノワール」「第6章 ポール・セザンヌ」「第7章 フィンセント・ファン・ゴッホ」「第8章 20世紀初頭のフランス絵画」「第9章 モダン・アート」でも展示。西洋美術史の流れと各作家の作風の変遷をつかむことができるように、いくつもの章で展示しているのでしょう。このうち第5章のルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》は赤壁の特別席に第6章のポール・セザンヌ《赤いチョッキの少年》は緑壁の特別席に展示。
肖像画では《赤いチョッキの少年》とドガ《ピアノの前のカミュ夫人》が入口の写真に写っていました。展示作品の半数以上は肖像画など人物を描いた作品。《アングル夫人の肖像》《扇子を持つセザンヌ夫人の肖像》を始め、どの章の展示も充実しています。
◆風景画では
展示作品の約3分の1が風景画。「第2章 ヨーロッパの都市」では18世紀に描かれたヴェネツィアの「都市景観図」と装飾的なポール・シニャック《ジュデッカ運河、ヴェネツィア、朝》を対比するように展示していたのが印象的です。「第4章 印象派の風景」にマネ《ベルヴュの庭の隅》、モネ《ヴェトイュ近郊のヒナゲシ畑》《ジヴェルニーのモネの庭》が並んでいるのをみて、「こんな感じの作品がコレクションのきっかけになったのかな」と妄想していました。
「第10章 新たなる絵画の地平」には大画面のモネ《睡蓮の池、緑の反映》が展示され、写真撮影する人で大賑わいです。
◆ゴッホでは
 ゴッホ《日没を背に種まく人》は青壁の特別席に展示。太陽の黄色は図版で想像していたよりも落ち着いた色調でした。《二人の農婦》は「落穂拾い」ではなく畑を鍬で耕している姿です。《自画像》も見もの。ゴッホでは《花咲くマロニエの枝》が入口の写真に写っていました。
◆モダン・アートでは
「第9章 モダン・アート」では《室内の情景(テーブル)》ブラック《果物のある静物》ピカソ《花とレモンのある静物》の3点が入口の写真に写っていました。いずれも静物画です。
◆最後に
チラシでは「約半数が日本初公開。日本でまとめて鑑賞できるのは今回が最後の機会」とのこと。見逃せませんね。
8月5日(日)午後5時から協力会会員向けのギャラリートークが開催されます。
                            Ron.

印象派が描く女性たち ~ビュールレ・コレクションの傑作から~

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋地方気象台が「東海地方が梅雨明けしたとみられる」と発表した7月9日、名古屋市美術館・深谷副館長(以下「深谷さん」)の講演を聴くため中区大井町のイーブルなごや(e–able–Nagoya:正式名称は、名古屋市男女平等参画推進センター、名古屋市女性会館)まで足を運びました。会場の3階ホールは、ぱっと見満席。ポツリポツリと空席があるので「300人以上の入り」と見ました。入場無料とはいえ平日の午後としては盛況。以下は講演の概要です。

◆講演中の注意事項について
深谷さんが登場すると、開口一番「午後の一番眠い時間帯なので講演中に眠ってもかまいませんが、イビキはご遠慮ください」との注意事項。モネ展の解説会でアンケートを取ったところ「隣の人のイビキがうるさくて講演が理解できなかった」という苦情があったとか。会場全体が「クスッ」としたところで、本題に入りました。

◆「LIFE」誌に掲載されたE.G.ビュールレ氏の写真
講演の主題は7月28日から名古屋市美術館で開催される「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(以下「本展」)で展示される女性像を中心にした作品の解説です。
スクリーンに映された最初の画像は1954年にアメリカの雑誌「LIFE」が掲載したエミール・ゲオルク・ビュールレ氏の写真。コレクションが公開される前、自宅で5点のコレクションとともに写されたもので、本展では写真の5点全てが展示されるとのことでした。
スクリーンに向かって左下の作品はポール・セザンヌ《赤いチョッキの少年》、右下がアンドレ・ドラン《室内の情景(テーブル)》、右上はパブロ・ピカソ《花とレモンのある静物》、左上がフィンセント・ファン・ゴッホ《花咲くマロニエの枝》、奥の部屋はエドガー・ドガ《ピアノの前のカミュ夫人》で、「自分と一緒の写真を撮らせたのですからお気に入りの作品だったと思われます」との解説がありました。(注:「LIFE」「ビュールレ」等のキーワードを入れたら、Webで写真を見ることができました)

◆E.G.ビュールレ氏と彼のコレクションについて
ビュールレ氏と彼のコレクションについては、次のような解説がありました。
1890年 ドイツ生まれ。1909年 大学で文学、美術史を学ぶ。1924年からスイスの工作機械会社で20ミリ機関砲を製造。1936年 最初の作品4点の素描を購入。1956年 死去。1958年 E.G.ビュールレ財団が設立され、自宅のすぐ横の邸宅に美術館を開館。
ビュールレ氏が生涯で収集したコレクションは600点。バーンズ・コレクション(1994年(平成6年)に国立西洋美術館で開催した「バーンズ・コレクション展」の入場者は100万人を超え、最終日は入場に7~8時間待ち)の3,000点に比べると控えめの数字だが、全て一級品。どれも代表作ばかりで「質で勝負」のコレクション。ビュールレ・コレクションは印象派から始まるが、大学で美術史を学んだことから印象派以前の作品もコレクションに含まれる。
第二次世界大戦後の1948年には戦時中に収集した13点がナチスの略奪品と判明した。うち9点は元の所有者と話をして再度代金を支払い、自分の物にしたが、残り4点は元の持ち主に返却している。
ビュールレ美術館開館後の2008年には銃を持った強盗団に作品4点が盗まれるという事件が発生。盗まれたのは「LIFE」の写真に写っていた《赤いチョッキの少年》と《花咲くマロニエの枝》に加えて、エドガー・ドガ《リュドヴィック・ルピック伯爵とその娘たち》とクロード・モネ《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》。うち、モネとドガはその月のうちに回収されたが、残り2点は4年後の2012年にセルビアで回収された。本展では盗難に遭った4点すべてを展示。
なお、ビュールレ美術館は2015年に閉館。ビュールレ・コレクションは2020年に開館予定のチューリッヒ美術館新館(現在、建設中)の1フロアに展示される予定。

◆ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《アングル夫人の肖像》(1814頃)
これはフランス古典主義を代表する作品。19世紀フランス絵画の二大潮流は古典主義とロマン主義。古典主義のトップはアングルで、ロマン主義のトップがドラクロア。
アングルは画家の登竜門・ローマ賞を受賞しローマに派遣されることとなったが、ナポレオン戦争のためにローマへの派遣は4年延期された。アングルはローマに派遣された後24年間、現地にとどまって制作。この作品はアングル初期のもので、34歳の時にローマで制作している。アングルは1914年に結婚。新婚ほやほやの妻を描いたのがこの作品。
アングルがフランス統治下のイタリアでフランス役人を描いた《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》(1811)(本展で展示)を見ても分かるように、アングルは質感表現がうまく、ウール、シルク、コットンの違いを描き分けている。また、緻密な描写で筆跡を感じさせない滑らかな画面に仕上げている。
《アングル夫人の肖像》は《イポリット=フランソワ・ドゥヴィレの肖像》に比べ、顔の描写は精緻だが体の描写は大雑把。発表する気がないプライベートな作品だったのか、それとも未完成の作品だったのか、この作品の描写が大雑把な理由は不明。

◆アングルの作品は「どこか変」
本展の展示作品ではないがアングルの《グランド・オダリスク》は美しく均整の取れた女性のヌードだが、よく見ると胴体が長い。元になった素描では正しく人体デッサンをしているが、油絵では人体の比率を無視している。人体の比率を無視したのは「カーテンと胴体とで形成されたU字形の曲線を描きたかったからではないか」と私は思う。アングルは写実性よりも絵画的な美しさを優先するため、「よく見るとおかしい」作品をいくつも描いている。
これは後世のセザンヌと同じ考え方。《赤いチョッキの少年》も、よく見ると「右腕が長すぎる」と分かる。

◆アングルの肖像画について
アングルにとって肖像画は本意ではなかった。彼にとって大切なものは歴史画。歴史画は大画面に歴史的な場面を描いたものだが、注文が無いと描けないし、巨大すぎて注文は少ない。そのため、アングルは生活のために肖像画を数多く描いた。今になってみると、ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵の《座るモワテシエ夫人》など肖像画に傑作が多い。ただ、《座るモワテシエ夫人》は胸から下の衣服の描写が平べったくて「よく見るとおかしい」。
アングルが奥さんを描いた肖像画にはデッサン(素描)も残っている。これが素晴らしい。ローマ時代、アングルはフランス人からの肖像画の注文が多かった。油絵は数カ月から数年をかけて制作しているが、素描は一日から半日という短時間で完成。しかし、これがうまい。デッサン力が素晴らしい。描き直しがない。線だけの描写だが作品に存在感がある。

◆エドガー・ドガ《ピアノの前のカミュ夫人》(1869)
ドガは印象派の画家だが精神的には古典派、アングルを神のように崇拝していた。ドガは人生の途中から視力を落としている。この作品に描かれた「カミュ夫人」は、ドガが治療を受けていた眼科医の夫人でピアノの先生。さっきまで演奏していたところに来客が来たため立ち上がったという瞬間を描いた、スナップ・ショット的作品。ドガはこの作品を1896年のサロン展に出品したが落選。落選理由は、右手がちゃんと描かれていないなど「細かい点まできちんと描いていない」ためだったと思われる。ドガは1870年のサロン展に《カミュ夫人》(ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵)を出品して、ようやく入選を果たした。

◆エドガー・ドガ《14歳の小さな踊り子》ブロンズ彫刻
1880-81年 ワックスによる原作、1932-36年 ブロンズによる鋳造
この彫刻、ワックスによるオリジナルはワシントン・ナショナルギャラリー所蔵。ブロンズの鋳造作品は数点制作されている。
ドガは後半生に彫刻を制作しているが、第6回の印象派展に《14歳の小さな踊り子》のオリジナルを一点のみ出品した。彼は絵を描くための材料として彫刻を制作したため、それを作品とは考えていなかった。何枚ものスケッチを元に制作した彫刻は様々な方向から自由に観察することができるので、絵を描くときに役立った。ドガは馬の彫刻も多数制作。彫刻だけでなく、写真も何点か撮影している。
印象派展にオリジナルの彫刻を出品した時、ワックスで制作した本体は本物のモスリンで作ったスカートや金色のベスト、本物のトゥシューズを身に着けていた。この試みに対する当時の評価は「彫刻の基本から外れる」として反対する意見とドガの意図に賛成する意見とに二分された。

◆ピエール=オーギュスト・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》(1880)
 これは、とても有名な作品で「目にしたことがある」という人が多いと思う。
 イレーヌは、お金持ちの銀行家カーン・ダンヴェール氏の三人姉妹の長女で当時8歳。次女のエリザベスは6歳、三女のアリスは4歳だった。
 1870年に印象派の中心にいたルノワールだったが、この作品を制作した1880年には印象派から方向転換していた。その理由は「印象派の絵を描いても評価されない、売れない」というもので、1878~79年から方向転換を始めた。
 どのように方向転換したかと言えば、古典的なものに方向転換した。今日配ったチラシに「絵画史上、最強の美少女(センター)。」というキャッチ・コピーが書いてあります。このコピーは私が考えたものではありませんが、コピーが示すように「多くの人に受け入れてもらえる」方向に転換したということです。
 この作品のどこが古典的かというと、顔の部分の筆のタッチです。アングルの絵は筆跡を感じさせない描き方をしますが、印象派は筆跡を残します。これは、画家の個性を強く残すということです。イレーヌの顔を見ると滑らかで筆のタッチはありません。また、この絵はダンヴェール家の庭で描いており、バックは深い緑色です。数年前の作品ならば、光源が分かるような描き方をしていますが、この絵では光が良く回り、均一な光が当たっています。
また、顔から胸までは丹念に描かれていますが、手の辺りになると筆のタッチが分かります。伝統的な要素と新しい要素をうまく融合させた作品です。横顔を描いた肖像画は堅苦しくなりがちですが、この作品では柔らかな印象を受けます。かといって自由な感じもしない、うまくバランスが取れています。
 ダンヴェール家の三姉妹の肖像画、最初の予定では一人ずつ描くことになっていました。しかし、長女を1880年に描いただけで、次女・三女の肖像画は1881年になってから描かれました。しかも、一人ずつではなく二人一緒です。スクリーンに映したのは、その《ダンヴェール家のアリスとエリザベス》(サンパウロ美術館所蔵)で、向かって左が三女のアリス、右が次女のエリザベスです。

◆歴史に翻弄された作品《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》
 スクリーンに映しているのは、1963年にイレーヌが91歳で死亡した時フランスの死亡記事に掲載された8歳の時の写真と、三女のアリスが1898年にイギリス貴族と結婚した時写真です。4歳のアリスと大人のアリスを比べることは難しいですが、《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》は写真のイレーヌよりぽっちゃりしており可愛く描かれています。
 カーン・ダンヴェール家はユダヤ人の金持ちであったため、イレーヌの両親はナチスによるホロコーストの犠牲になり、次女のエリザベスも収容所で死亡しています。
 イレーヌは19歳の時にユダヤ人の銀行家と結婚し、男・女二人の子どもに恵まれますが6年で別居。その後、離婚しています。離婚後のイレーヌはイタリア人と再婚し、カトリックに改宗。女の子が一人生まれます。カトリックへの改宗はユダヤ人社会から非難を浴びたようです。
 《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》はイレーヌの最初の娘が相続しますがナチスの略奪に遭い、イレーヌの娘は収容所で死亡。第二次世界大戦後、イレーヌが作品の所有権を主張して取り戻しますが、直ぐビュールレに売却しました。
 カーン・ダンヴェールは《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》と《ダンヴェール家のアリスとエリザベス》の2点とも気に入らなかったらしく、《ダンヴェール家のアリスとエリザベス》は女中部屋に飾ってあったとのこと。《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》はイレーヌ本人も好きではなかったようで、良い場所には飾ってなかったと思われます。作品を取り戻しても直ぐにビュールレへ売り払ったのは、そのためかもしれません。

◆肖像画の比較・アカデミズムと印象派との違い
 本展の展示作品ではありませんが、パリ社交界の花形を描いたルノワール《シャルパンティエ夫人と子供たち》(1878)を見ると、ルノワールは絵の注文主が望む方向へ少し美人に描くのが得意だったようです。
 ルノアールの画風ですが、1876年制作の《陽光を浴びる裸婦》では「木洩れ日」を表現。一方、古典時代のピーク1887年に制作した《大水浴》では輪郭線をはっきりと描き、人物が背景と分離していて固い表現になっています。
これも本展の展示作品ではありませんが、当時一番人気の画家カロリュス=デュランが描いた《ルイーズ・カーン・ダンヴェールの肖像》(1870)は、すごくうまいがよそよそしい作品で、アカデミズムと印象派の違いが良く分かります。

◆フランス映画「勝手にしやがれ」にも《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》が登場
 ヌーベル・バーグの代表作・ジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」にも《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》が登場します。ジーン・セバーグが演じるアメリカ娘・パトリシアがジャン=ポール・ベルモンド演じるミシェルに向かって「どちらがきれい」と聞くシーンに登場。《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》は本物ではなく部屋の壁に貼られたポスター。映画では「美の基準」として使われています。

◆ポール・セザンヌ《扇子を持つセザンヌ夫人の肖像》(1878-88)
 制作年が(1878-88)とされているのは1878年に描いて、10年後の1888年にかなりの部分に手を加えて制作したため。この作品は最初、アメリカ人著作家のガートルード・スタインが購入しました。彼女は、アメリカ人が山のようにパリへと渡った1920年代にパリでサロンを主宰した人物です。彼女はピカソとも交流があり、ピカソは1806年に《ガートルード・スタインの肖像》(メトロポリタン美術館所蔵)を描いています。

◆ポール・セザンヌ《赤いチョッキの少年》(1888-90)
 この作品はセザンヌの代表作だが、よく見ると右手と腰が長くておかしい。右手と腰が長いのは「よい構図」を作るための仕掛け。この作品のモデルはイタリア人の少年。この少年をモデルにした作品は外に3点あるが、4点を比べるとビュールレ・コレクションの《赤いチョッキの少年》の出来栄えが一番。
 講演会の終了時刻が迫って来たので、残りは本展の解説会でお話しします。

◆Q&A
Q1 カミーユ・コロー《読書する少女》(1845-50)はスライドが映されただけで解説は聞けなかったので、解説をお願いします。
A1 コローは風景画家だが、60代になってから人物画を描き始めた。コローの風景画には必ず点景として人物が出て来る。人物画は自分の楽しみのために描いたが、風景画の勉強のためでもあった。とはいえ《読書する少女》はいい作品。コローの風景画は手馴れすぎていて新鮮さに欠ける。人物画は手馴れていないので新鮮さがある。
この作品のモデルは風景画の点景を描くために雇った女性。スナップ・ショット的に見えるが、ちゃんとポーズをとらせてアトリエの中で描かれた作品。「面白そうだから、ポーズをとってみて」と声をかけて描いたのではないかと、私は勝手に想像している。

Q2 美術館で開催される展覧会では、作品にどこまで近づいてもいいのですか。
A2 本展では絵の前に柵があります。柵を乗り越えて近づかないでください。上半身を乗り出すことは可能ですが、手を出すと監視の女性から注意されるので気をつけて下さい。

◆最後に
 ビュールレ・コレクションとアングル、《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢》の解説に力がこもったため他の作品の解説時間が短くなりましたが、当初危ぶまれた「講演中にイビキをかく人」はおらず、1時間半を楽しく過ごすことができました。7月28日からの「至上の印象派展」が楽しみです。
 深谷さんは8月5日(日)午後5時から開催予定の協力会会員向けの「ギャラリートーク」でも解説して下さいますので、こちらについても期待しています。

◆追伸:「至上の印象派展」関係の主なURL
 Web上で検索できる「至上の印象派展」関係の主なURLは下記のとおりです。
◎名古屋市美術館 ビュールレ展
http://www.art-museum.city.nagoya.jp/buhrle
◎ビュールレ展の公式サイト
http://www.buehrle2018.jp/
◎九州国立博物館 ビュールレ展
https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s51.html
 
上記のうち、九州国立博物館のサイトには「出品目録」に加えて「作家名・生没年一覧」や「エミール・ゲオルク・ビュールレの生涯とビュールレ・コレクション」のpdfファイルも掲載されているので参考になります。
Ron.

名古屋市美術館 「麗しきおもかげ」二度目の楽しみ

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

名古屋市美術館で開催している「麗しきおもかげ」で、作品の入れ替えがあったので、行ってきました。お目当ては3点。高橋由一《美人(花魁)》、浅井忠《収穫》と橋本平八の木彫《花園に遊ぶ天女》です。

◆高橋由一《美人(花魁)》
 モデルになった女性が、「自分はこんな顔ではないと泣いて怒った」というエピソードが有名ですが、新聞などに掲載されている図版はともかく、展示されている本物に違和感はありません。
丁寧に描かれているので、なぜ泣いたのだろうと思いましたが、あわせて展示している日本画の美人図を見ると納得しました。
表現の仕方が全く違うのですね。「脳は見たいものしか、見えない。」と言いますから、当時の人は鏡を見ても日本画の美人図のような自分を見ていたのでしょう。

◆浅井忠《収穫》
絵の解説にあるとおり、まさにバルビゾン派の絵です。1890年の制作といいますから、フランスではすでに印象派が台頭してたと思いますが、当時の日本人の感性に合ったのは、このような絵だったのですね。

◆橋本平八《花園に遊ぶ天女》
前に見ていたはずの木彫ですが、始めて出会ったという印象です。
この木彫をお目当てにしたのは、先日の協力会ミニツアーで行った三重県立美術館のコレクション展で、橋本平八の特集に出会ったからです。三重県立美術館では丸々1部屋を使って、木彫などを展示していました。そのときは、質が高い木彫だと思っただけですが、その後、「麗しきおもかげ」でも橋本平八の木彫が展示されていることを知り、駆け付けました。
天女というより少女で、首を傾げたポーズが特徴的です。
他の美術館も見てみるものですね。
                            Ron.

東京藝術大学コレクション 麗しきおもかげ 日本近代美術の女性像

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

3月5日(土)から、名古屋市美術館で東京藝術大学コレクションによる女性像の展覧会が開催されています。展覧会は2部構成で、第1部が東京藝術大学コレクションと名古屋市美術館所蔵作品11点による「日本の近代美術の女性像」、第2部が「東京美術学校日本画科の卒業制作の女性像」です。

ギャラリートークの様子

ギャラリートークの様子


◆第1部では、重要文化財が3点
 第1部の見どころは3点の重要文化財でしょう。とはいえ、会期中に展示替えがあるので、現在見ることが出来るのは狩野芳崖《悲母観音》(3月21日まで)だけ。高橋由一《美人(花魁)》と浅井忠《収穫》は3月23日からのお楽しみです。後期に、もう一度見に来ましょう。
 《悲母観音》は日本画のためか、照明が暗いので近くでじっくり見なければなりません。仔細に見るとヒゲが描かれ「あれ?」と思いましたが、「母性愛」を表現しているということならば、やはり女性像ですよね。
 なお、個人的趣味ですが、百武兼行《ブルガリアの女》に描かれた民族衣装が印象的でした。一枚革と皮ひもで出来ている靴が面白いですね。
◆名古屋市美術館のコレクションが11点
 何故か懐かしさを感じる作品が何点もあるのでキャプションに目を凝らすと、作品番号の右肩に小さな*印が付いています。市美のコレクションでした。普段は常設展示室の狭いコーナーに展示されていますが、今回のような広い空間で見て、作品の質の高さを改めて感じました。佐分眞《食後》では、テーブルの果物や右の女性のドレスの色の鮮やかさに目を見張りました。
◆日本画の変遷が体感できる第2部
 2階には、1940年までに収蔵された日本画科の卒業制作から厳選された40点が展示されています。どの絵も大きく、色彩が鮮やかなことに目を引かれます。全力を注ぎこんで卒業制作に取り組んだことがうかがわれます。展示室の入口の解説では5期に分けて、卒業制作の変遷を概観していますが、確かに、絵のテーマや描かれた女性の服装が時代とともに変わっていくのが良く分かります。篠田十一郎《あかとんぼ》は、女の子が七五三の記念写真のようで可愛らしく、思わず見入ってしまいました。
 昭和になると洋装の女性が描かれるようになりますが、金子孝信《季節の客》では雑誌「VOGUE」がチラッと見え、昭和15年という時代にこんな絵を描いた勇気に驚きます。図録の解説には「中国戦線に派遣され、1942(昭和17)年に戦死。」との記述。「さぞ無念だったろうな。」と、ため息が出ました。
 3月13日(日)に協力会のギャラリートークがありますが、所要のため参加できないのが、とても残念です。会期は4月17日(日)まで。       Ron.
思い思いの絵に見入る会員たち

思い思いの絵に見入る会員たち

ランス美術館・館長 特別講演会のこと

カテゴリ:Ron.,アート見てある記 投稿者:editor

当日は余裕を見て12時半に着いたのですが、既に20人ほどの行列が出来ていました。午後1時の開場と同時に整理券を手に入れて場所取り。講演が始まる頃になると満席で立ち見もチラホラ。PRはチラシとホームページの告知だけのはずですから、皆さんの関心の高さを感じます。
深谷副館長から「名古屋市美術館では2016年春にランス美術のコレクションを中心に藤田嗣治の大回顧展を予定しています。本日はランス美術館のダヴィッド・リオ館長をお招きし、ランス美術館の歴史と日本・藤田との関係について語っていただきます。」と紹介があり、特別講演会が始まりました。特別講演会の要旨は、以下のとおりです。

ランス美術館と日本との関係
ランス美術館の所在地はパリの東、シャンパーニュ地方のReims。シャンパンの醸造が主要産業。(ちなみに、ルーブル美術館ランス分館はパリの北、Lens。全く別の場所)
ランス美術館は、幕末のころ日本に渡航し、横浜の元町で船用飲料水やレンガ製造で財を成したランス出身のアルフレッド・ジェラールから寄贈されたコレクションをもとに設立したとのことです。彼のコレクションには日本美術が800点余含まれ、お墓には鳥居が建てられるなど、彼は日本美術をこよなく愛好した人だそうです。
また、ランス出身のヒューグ・クラフトは親の遺産で世界一周をしたとき、日本に7か月も滞在し各地を旅行しています。彼は日本画も習って「横浜サヨナラ」という画集を残したほか、名古屋城やミヤ(熱田神宮?)を撮影するなど多数の写真を残しており、ランス美術館には彼の写真が400枚ほどあるとのことで、ランスは日本と深いつながりがある街なのですね。

ジャポニスムについて
モネの初期の作品は北斎の影響の下に描かれたもので、ナビ派にも浮世絵の影響があります。前出のヒューグ・クラフトも、帰国後、日本から大工・庭師を呼んでパリ郊外に日本式庭園を持った家「緑の里」を作り、着物を着て記念撮影しています。
幕末に日本が開国したとき一気に美術品、工芸品が海外に流出し、人々がその繊細さ美しさに惹かれてジャポニスムが生まれました。セザンヌのサンヴィクトワール山も富岳三十六景に触発されたものです。
ジャポニスムを語る上で、1900年は大事な年です。この年に開催されたパリ万博から、アール・ヌーボーが生まれました。エミール・ガレはジャポニスムに影響を受け、自然や植物を家具の装飾に取り入れ、寄木細工でブドウの図柄を描いたのです。
ランス市役所は第1次世界大戦で大きな被害を受け、内装を作り直す際にアール・デコの様式を取り入れています。ランス市役所のフレスコ画はアンリ・ラパンが描きましたが、彼の仕事は東京都庭園美術館でも見ることができます。

藤田嗣治のこと
 ランス美術館には、藤田嗣治(1886~1968)の遺族から彼のコレクションが寄贈されています。
彼は1913年にフランスに渡り、ピカソのアトリエを訪ね、フランスの社交界に溶け込んだ、とても西欧的な日本人。たちまち、アイドルになって”Fou Fou”(お調子者)と呼ばれました。おかっぱ頭の髪型などユニークなファションで有名でした。
ランス美術館のコレクションには、彼の恋人マドレーヌをモデルにした絵(「ランス美術館のマドンナ」と呼ばれているそうです)があります。彼女はランス近くに生まれたダンサーで、藤田と南北アメリカを旅行し、1930年代に東京で死去しました。彼女を失った後、藤田は君代(1911~2009)と結婚。第2次世界大戦中は従軍画家となり、戦後、フランスに戻りフランス国籍を得て、ランスの大聖堂でカトリックに改宗し、ランスで死去しました。
ランスの大聖堂は歴代フランス国王の戴冠式が行われた場所で、彼はそこに世界から200人のジャーナリストを呼び洗礼を受けました。
ランスは彼の改宗の出発点です。彼はその後の人生を平和に捧げ、ランスに平和の聖母教会礼拝堂を建てました。礼拝堂の壁画も彼が平和への思いを込めて描いたもので、現在、礼拝堂の下には藤田と君代夫人が埋葬されています。
また、近年、藤田の礼拝堂で結婚式を挙げる若い日本人のカップルが増えています。

館長へのQ&Aなど
講演の残り時間で、質問を募ったところ「藤田嗣治の戦争画を展示する考えはあるか」という質問が寄せられました。
ダヴィッド・リオ館長は答え難そうにしていましたが、深谷館長から「藤田嗣治の戦争画は東京国立近代美術館が所蔵しており、2016年の大回顧展でも3~4点展示できるようお願いしている。」という答えがありました。
また、深谷館長からは「現在、藤田嗣治を描いた映画が製作中で、年内公開の予定です。監督は「泥の河」「死の棘」などを制作した小栗康平監督。主演はオダギリジョーと中谷美紀です。楽しみにしていてください。」と話がありました。

追記
2月9日の日経新聞(夕刊)の文化面に「藤田嗣治の人生 光と影で描く」というタイトルで映画「FOUJITA」(フジタ)についての記事が掲載され、その中に次の文章がありました。
1943年、青森での戦争画展に「アッツ島玉砕」を出品した藤田(オダギリジョー)が゙画家仲間の但馬と共に上野に帰る車中だ。(略)オダギリは語りだす(略)「技術がないと描けません。今回は命がけの腕試しだったのです」「でもあれは会心の作です。画が人の心を動かすものだと言うことを、私は初めて目の当たりにした」
休憩時間に小栗に話を聞いた。「藤田はヤワな近代主義者ではない。ヨーロッパ仕込みの個人主義、現実主義。それは戦争協力画を描いている時もびくともしなかった」と小栗。日本の体制に付和雷同したのではなく「現実的に生きる絵描きが、絵画の問題だけを考えて描いた」と見る。

小栗監督も日経の記者も藤田の戦争画に強い関心を抱いており、作家としての藤田を肯定的に見ようとしているように感じます。たしかに、戦争画を抜きに藤田嗣治の大回顧展を開催することはできませんね。ただ、70年以上も前のことであり、子どもたちも鑑賞するので、展示に際しては、描かれた当時の時代背景についても理解できるようにすることが必要だと思います。
 ちなみに、東京国立近代美術館は藤田嗣治の戦争記録画を14点所蔵しており、同館のホームページをみると、現在開催中の平成26年度第4回所蔵作品展「MOMATコレクション」でも藤田嗣治の「ハルハ河畔之戦闘」「アッツ島玉砕」「サイパン島同胞臣節を全うす」を展示しています。
なお、収蔵経緯の欄には「無期限貸与」と書かれていました。
                            Ron.

作家(山口晃さん)を囲む会

カテゴリ:Ron.,作家を囲む会 投稿者:editor

展覧会場の山口さんの作品の前で記念撮影

展覧会場の山口さんの作品の前で記念撮影

 作家を囲む会は、名古屋市美術館で展覧会が開催されるときに、現役の作家が名古屋市に来られる機会を捉えて開催する行事です。市美術館にお願いして、作家さんが講演会やワークショップなどをされた後、美術館閉館後に美術館内のコーヒーショップ「おはな」を貸し切って作家さんと協力会会員が歓談する行事です。もちろん、軽食、ソフトドリンクにビール、ワイン、日本酒などのアルコールも出ます。
 山口晃さんを囲む会は、先ず、展示室内の山口晃さんの作品の前で参加者の記念撮影から始まりました。山口晃さんが椅子に座り、その周りを協力会会員が取り囲んだところを撮影。
お料理も家庭的で美味しい!ワインと一緒に

お料理も家庭的で美味しい!ワインと一緒に

 撮影後は、「おはな」に移動。椅子は全て壁際に寄せて床を広くとり、机を集めて飲み物の島を二つ、食べ物の島を一つ作って、参加者はその周りを取り囲むという立食形式の会食です。今回は40人近い参加者なので、初の試みとして立食としました。
 会の始まりが予定よりもだいぶ遅くなったので、開会早々「乾杯」です。乾杯直後から、山口晃さんと一緒に写真を撮ってもらいたい協力会員が次々に押し寄せたので、山口晃さんはゆっくり食事する間もなかったと思います。申し訳ありませんでした。
山口先生の周りは人だかり

山口先生の周りは人だかり

 アルコールの助けもあり、会場のあちらこちらで話が弾みます。山口晃さんも近くに来た協力会員の感想や質問に嫌な顔ひとつ見せずに応えてくれます。これは「作家を囲む会」でなければ味わえない醍醐味ですね。
 和気藹々のなか、6時30分から「高橋コレクション展」担当の笠木学芸員の話に続いて協力会の佐久間会長の挨拶となり、最後に、山口晃さんから「囲む会」の感想などのお話をいただき、中締めとなりました。最後に、有志で後片付けをして解散です。
先生と直接お話できた会員も!ラッキーです。

先生と直接お話できた会員も!ラッキーです。


最後に先生からお言葉をいただきました。ありがとう!

最後に先生からお言葉をいただきました。ありがとう!


 朝から晩まで、3つの行事をハシゴした忙しい一日でしたが、満足できました。
 次回は、6月29日(日)名古屋ボストン美術館「ミレー展」ミニツアーです。     Ron.

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